みかのり短編

逢瀬



「よし、こんなもんだろう。手伝わせて悪かったな。」
 書類をトントンと机に当てて纏めると、則宗はそう言った。
 主から仰せつかった教育番長の仕事だったが、多少厄介な内容でもあったため、一文字の面々を巻き込んで皆であれこれ練った上で取りまとめたものだ。
「いえ。本丸の皆の為ですから、どうと言うことはありません。御前もお疲れ様です。」
 山鳥毛は部屋を出て行く則宗を見送るべく後に続く。
 すると則宗がふと足を止めた。手の中の書類に目を落としている。
「何か不備が?」
「いんや?これで問題ないとは思うが、一応近侍殿にお伺いを立てるべきかと思ってな。」
 三日月のところに寄るか、と則宗が呟くように言うと、先程手伝いから解放された姫鶴が視線をそらせつつ言った。
「別にそんな口実作らなくてもいーんでない?」
 パッと則宗の頬に赤みが差す。
「ばっ…。これは、純粋に仕事についてだなあ!…意見を仰ごうと…」
 尻すぼみになってしまうのは、自分の中に少なからず『会いたい』という気持ちがあるからだ。
 山鳥毛が振り向いて苦笑する。
「姫鶴よ。御前を困らせるものではないないぞ?」
「はーい。そだね。会いたい時は普通に会いに行くもんね。」
 一段と則宗の顔が赤く染まり、プイッと進行方向に向き直して歩き出した。
「うるさいうるさい。」
「申し訳ありません。言って聞かせます。」
 山鳥毛の見送りにも返事をせず、部屋を後にする。



 道中すれ違う相手数人に、三日月のところに行くのかと聞かれる。書類のことを言うものの、反応は姫鶴と似たようなもので辟易してしまった。
「…まったく…人をサカリの付いた猫のように…」
 公認の仲というのも考えものだ、と今更思う。秘密の関係を保つのは骨が折れる、というのはわかりきっているし、その労力を自分が厭わず出せるかと言えば否と答えるしか無い。それに、そんなことを選択する余地もなく知られてしまったのだからどうしようもない。とは言え、こうも立て続けに『仕事を会う口実にしている』という風に見られるのは心外というものだ。
 三条の区画まで行くと、今剣と小狐丸に出くわした。
「あ、菊さん。三日月のところに来たんですよね?」
 今剣にそう聞かれ、一瞬戸惑いながら、手に持った書類を見せて「少々用事がな。」と答えると今剣はニコッと笑った。
「そんな理由付けなくっても毎日会いに来ていいんですよ?」
 またかと思って微妙な顔をしていると、小狐丸が今剣を見下ろして言った。
「今剣、それは野暮というものですよ?気付かない振りをして差し上げましょう。」
 その言い方もどうなんだと思いながら、則宗は「それはどうも」と苦笑を見せる。
「あ、でも、今三日月は出ていますから、部屋で待ってみてはどうでしょう?」
「そうかい?じゃあそうさせて貰うよ。」



 部屋で待ってはみるが、勝手に入り込んでいるのも居心地がわるい。加えていつ帰ってくるかも分からない相手を待つのは退屈だ。
 三日月は近侍の仕事で出ているのだろう。ならいっそ直接主のところに持って行った方が早かった。こちらに寄ったのは失敗だった。
 そんなことを考えながら、書類を見返してみたり、部屋をキョロキョロと眺めたりする。
「…暇だ…。何か面白い物はないかな。」
 そうは思っても、人の部屋を家捜しするわけにもいかない。目の届く範囲にあるものなら少しぐらい触っても良いだろうが、部屋の中は綺麗に片付けられている。
「日記とかあったら面白そうだが…」
 いや、と思い直す。そんなもの勝手に読むなんて失礼だし、何より自分のことが書かれていたら、それが良いことでも悪いことでも、動揺して会話もままならなくなってしまいそうだ。
 棚の上にひとつ出したままのものがあった。髪飾りだ。そこが定位置なのか、片付け忘れたのか。
 立ち上がって手に取ってみる。
 顕現して人の身を得た時に装束も装飾品も身に纏った状態なのだから、これが三日月の趣味に合っているかどうかは知らない。それでもその姿は魂の有りようを現したものの筈だから、きっと好きなのだろう、と想像する。
「意外に着飾るのが好きなのか?」
 先日、加州と乱に髪を弄られたときにその則宗の髪を見て喜んでいた。
 他のおしゃれ好きな刀たちとは違ってあまりそういうことにこだわりが無いように見えるが、いつも綺麗にしているし、所作も何もかも美しい。多少は興味がある、というところか。
 着物を着ていて正解だったな。などと思う。内番服は楽で好きだが、やはり美しさに欠ける。
 三日月も最近は内番服より軽装でいる方が多い気がする。もしかして、気を遣ってくれているのだろうか。いや、考えすぎか。自惚れすぎか。
 髪飾りを見ながらあれこれ考えているうちに眠くなって、それを手に持ったまま座卓に突っ伏して眠りに入っていく。
(ああ、そういえば…ここは良い香りがする…)



 三日月が部屋に戻ると、そこでは則宗が眠っていた。
 来ていることは聞いていたが、少し驚いて、掛けようとした声をとどめた。
 近付くと、その手に髪飾りがあることに気付く。
 フッと微笑んで、きく、と小さく呼んだ。
 ピクリと睫毛が動いたが、覚醒には程遠い。
 自身の腕を枕にして顔を横に向けている則宗の頬に、そっと唇を付けてみた。
「…ん…」
 まだ目を覚まさない相手の身体を、自分にもたれ掛けさせるように抱き寄せて、今度はしっかりと唇を合わせる。
 そして、唇を割るように舌で優しく愛撫した。
「…ん、はっ…、み、三日月…」
「おはよう、菊。」
「は、離してくれ…」
「ん?どうしてだ?」
「その…びっくりした…から…落ち着きたい…」
「なに、俺の腕の中で落ち着けばよい。」
 それでは落ち着かないんだ、と思って相手の身体を押すものの、三日月は離す気が無いらしく、びくともしない。
 則宗は観念して、その胸に顔をうずめた。
「寂しかったのか?」
 聞かれた理由が分からなくて、顔を上げて首をかしげる。
「ん?どうしてだい?」
「ほれ、これを掴んでいるのが気になってな。」
 三日月が掴んで持ち上げた己の手を見て慌てる。髪飾りが指に絡まったままだった。
「こ、これは…そこにあったから見ていただけで…」
「で、指に絡めて弄んでいた、と。」
「なんか言い方がやらしいぞ!」
「こんな誘われ方をするとは思っても見なかったぞ?」
「さ、誘ったわけじゃない!」
「俺は誘われたぞ。」
 だから!ともう一度否定しようとしたところで、また唇を塞がれた。
 ねっとりとした愛撫に身を震わせて、流されそうになりながら何とか唇を離す。
「僕は!役目の話をしに来たんだ!」
「そうか。わかった。」
 言ってまた唇を合わせる。
「んー!…もう!離せ!」
 突き放す勢いで三日月の肩を押し、やっとの事で離れた。
「僕は真面目に話をしに来たんだ!ふざけないでくれ!」
「わかったわかった。そう怒るな。」
 三日月は、そう返して座卓の上の書類を手に取る。
 きちんと熟読しているその様子にホッとして、則宗は居住まいを正した。
 周りの言動に腹を立てていたが、当の三日月が公私混同しているのでは困ったものだ。仕事だと言い張ってみても、説得力に欠けてしまう。
 これは少しでも仕事らしく振る舞わなくては、と思って、先程の怒りは収めることにした。
 三日月は最後の一枚まで目を通してから、またペラペラと書類をめくる。
「前に言っていたものだな。…ふむ。良く練ってあると思うぞ?このまま主に見せて良いと思うが。」
「…そうか。なら、行ってくる。」
 差し出された書類を受け取って、立ち上がろうとすると、三日月は言う。
「俺に見せる必要はなかったのではないか?」
 見たところ一文字の皆で纏めたようだ、と判断しての意見だ。
「念のため、だ。」
「それでは皆の面目に関わるだろう?」
「面目で間違いが防げるのなら、念を入れる必要は無いだろうな。」
 ふむ、と三日月は納得した風を見せる。
「てっきり、俺に会いたいが為にわざわざ寄ったのかと思ったが、自惚れていたようだ。」
 則宗は返答に困って微妙な顔をした。否定も肯定も障りがある。
「…役目に関係無く、会いに来ているだろう?」
「ああ、分かっているぞ?」
 三日月の顔はいつも通り余裕のある笑みだ。
「…なら、こんなときぐらい関係性は置いておいてだな…」
「誘ったのは菊の方だった気がするが。」
「誘ってない!」
 はっはっは、と笑って三日月は書類を指し示した。
「持って行くのだろう?」
「ああ!行ってくる!」
 また怒って、出て行こうとすると三日月も立ち上がった。則宗が開けようとした障子を押さえて止める。
 そして耳元で囁いた。
「今夜、待っているぞ?」
 怒っているときにそんなことを言われて、ムッとする。
「覚えていたらな。」
 睨み付けてみても三日月はどこ吹く風だ。
「その身体が、忘れるわけがなかろう?」
 そう言って三日月はまた口付けた。




fin.
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