みかのり短編

余波



 三日月と則宗が恋仲だという噂が本丸内を駆け巡った頃、一文字のところにその噂が届いたのは、かなりあとになってからだった。則宗本人がそこにいるから話題にしづらいというのもあるし、身内はもう知っているだろうという憶測もあったからだ。
「御前、少々お話が。」
「なんだい、改まって。」
 気まずそうに話しかけた山鳥毛に、則宗はキョトンと応える。山鳥毛の横には日光もついてきていて、何だか仰々しい。
「その、…御前についてある噂を耳にしたのですが、確認をしておきたいと思いまして。もし間違いなら、否定しておいた方が良いかと。」
「噂?…知らないな。」
 自分が噂になっているなど思いもしてなかった則宗は、何の警戒もなく相手の話に耳を傾けた。
「その…御前が…」
 山鳥毛は言い淀んで、どういう言い回しで聞くべきか、悩み始めてしまった。
「そんな良くない噂なのか?…それは僕としても心外だな。…日光、お前さんも知ってるのかい?」
 中々口に出さない山鳥毛に痺れを切らして、日光に振る。
「はい。御前と三日月宗近が懇ろだと。」
 日光はあっさりと言った。
 一瞬絶句して、則宗は「あっはっは」といつものように笑った。
「…何かと思えば、そんな噂が立っているのか。…困ったな…」
 その返事を否定と捉えて、日光はすっくと立ち上がる。
「やはり根も葉もない噂なのですね。すぐに訂正して参りましょう。」
「ちょい待ちな。」
 日光が立ち上がってくるっと身体の向きを変えると、正面に姫鶴が立ちはだかった。
「姫、こういうことは迅速に対処すべきです。」
「その対処が間違ってんの。座りな。」
「しかし…」
 姫鶴は日光の身体の向きを変え、無理矢理座らせる。それを押さえつけるようにして頭に頬杖をついた。
「ねー、御前。否定はしないっしょ?」
 姫鶴は事前に二人の様子を窺っていたこともあって、関係を把握していた。一番に則宗を心配して三日月に脅しを掛けたほどだ。
 則宗は返事に困ってあさっての方向を向く。
「あー…それは…」
「御前、もしかして、本当の話なのですか?」
 まっすぐに見てくる山鳥毛の視線が痛くて、つい扇子で顔を隠す。
「…こっちを見るな…」
 扇子で隠しきれない部分に赤みが差しているのを見て、山鳥毛は頭を下げた。
「立ち入ったことをお聞きしました。どうかお許しを。」



「知っていたのか、姫鶴。」
「まーねー」
 則宗は今日も出かけていった。それを見送ったあと、山鳥毛は子細を知っておきたくて姫鶴を捕まえた。
「いつから、だ?」
「んー?いつから知ってたか?それともいつから二人がそういう仲なのか?」
「どちらも。答えられることは全て答えて欲しいのだが。」
 姫鶴はつまらなそうに自分の髪を触りながら、そうだ、と思いつく。
「にゃんこ、お前も知ってんじゃん。お前が答えなよ。」
「にゃにゃ!?」
「そうなのか!?」
「どら猫!何も知らないと言ったのは嘘だったのか!?」
 山鳥毛と日光に詰められ、アワアワと後ずさる。
「いや!断じて!知らないにゃ!」
「偵察、行ったっしょ?」
「にゃあ!?あのときから!?にゃ!?」
「御前が会いに行く相手、つきとめてきてくれたっしょ。」
 話が見えない、と説明を求められ、姫鶴は不機嫌ながらも順を追って全てを話した。
「だから、言ったっしょ?月見のとき。『いいの?』って。あんな堂々と攫われてくのを見送ったじゃん?」
「それは、お前が事前に話してくれていれば、お止めすることも出来ただろう?」
「だから言わなかったんじゃーん。」
「つまり、お前は御前が三日月の手に落ちるのをヨシとしたわけだな?」
「手に落ちるとかサイテー。御前は騙されてないでしょ。」
 さっきまでどうでもいいことのように喋っていた姫鶴が、キッと視線を強くして山鳥毛を見返した。
「ああ、お前と三日月は『マブダチ』だったか。」
「あれはみかちに対する牽制。こっちの目があることを忘れるなってったの。」
「なら、何を怒っている。」
 姫鶴はムスッとして「べーつーにー?」と答える。
「こちらも別にお前を責めたいわけではない。子細を知りたかっただけだ。」
「ふーん?じゃー終わり。全部話したし。」
 そう言って姫鶴はその場を離れた。



 三日月のところへ向かう道中、則宗はいつもより周りの視線が気になり、どうにも態度がぎこちなくなっているのを自覚して足を止めた。
 今日は会いに行くのをやめようか、でもそうしたら三日月は変に思うだろうか。
 考えあぐねているところに、乱が通りかかった。
「あ、御前さん、こんにちは。三日月さんのところに行くの?」
「あー、うん、そのつもり…だったんだが…」
 歯切れの悪い返事に、乱は首をかしげる。
「行かないの?…喧嘩でもした?」
 後半は小声で尋ねた。
 そう聞かれたことで、やはり皆二人の関係を知っているのだとわかって則宗はたじろぐ。
「…いや、喧嘩はしていないんだが…その、僕らのことが噂になっていると聞いたんでな、少々気まずい…」
 乱はニコッと笑って則宗の手を取った。
「なんだ、恥ずかしがることないのに。一緒に行ってあげる。」
「お、おい!待て待て待て。」
「いいじゃない。恋仲なんだから、毎日会いに行ったって全然おかしくないよ。」
 引っ張り合ってあっちにふらふら、こっちにふらふらしながら歩いて行くと、今度は加州に出くわした。
「…何やってんの?二人。」
「あ、加州。御前さんを三日月さんのところに連れて行くの。手伝って。」
「は?ほっといても行くでしょ。」
「今日は行きたくないって言うから…」
「いや!行きたくないわけではなくてだな!」
「どゆこと?」
 別に則宗は逃げだそうとしているわけでもない。乱は一旦引っ張る力を緩めて加州に説明した。
「うーん、…わかるけど、その力業はどうかと思うな。ほら、髪も乱れちゃったし、直してからでもいいでしょ?時間はあるんだし。俺たちの部屋来れば?」
 そう言って二人を促した。



 姫鶴は本丸の建物の外を回って三条のところまでやってきた。
 縁側で一人お茶を飲んでいる三日月を見つける。
「あれ?御前は?」
「おや、姫鶴ではないか、珍しいな。菊を探しに来たのか?残念だが、今日はまだ来ていないぞ?」
「マジ?…先に出たのに、おかしいな…」
「どこかに寄っているのかもしれん。そのうち来るだろう。ここで待ってはどうだ?」
 んー、と返事をして三日月の隣に腰掛けた。
「…んー、別に御前に用があるわけじゃないんだけどー…」
「そうなのか?」
「…お頭に怒られたからー」
「何かあったのか?」
「二人のこと知ってて隠してたからー」
「俺と菊のことを、か?」
「そー。」
「それは、迷惑を掛けたなぁ。すまぬ。」
「別にぃ?一文字の頭が固いだけ。…ちょっちグチりたくなっただけだし」
 沈んだ様子で子供のようにむくれる。
「しかし、おぬしが黙っていたのは、菊を案じてのことだろう?それは言ったのか?」
「いーよ、分からない人には言う気がしなーい。」
 依然むくれている姫鶴を見て、三日月は笑みを浮かべた。
 ポンと軽く手を姫鶴の頭に乗せて、撫でるような仕草をする。
「よしよし。」
「なにそれー。」
「あ、姫鶴一文字じゃないですか。どうかしたんですか?元気がないですねぇ。」
 今剣が縁側を走り寄ってきた。
「いまつるちゃん、ちわー。」
「はい、こんにちわ。元気がない子には癒やしをあげますよ。」
 言って今剣も姫鶴の頭を撫でる。
「いまつるちゃん優しー、惚れちゃいそー。」
「うふふ、ぼくの魅力に気付いてしまいましたね?じゃあ、もっと優しくしてあげます。」
 今剣が立ったままギューっと姫鶴の頭を抱きしめると、姫鶴も相手の足の辺りに腕を回して軽く抱きしめ返す。
「一文字はねー、カチカチなんだよー。」
「そーなんですか?じゃあたっぷり甘えていくといいですよー。」
「うれしー。三条の子になっちゃおうかなー。」
「それもいいですねぇ。」



 加州の部屋で、則宗は乱に髪を弄られていた。
「ホントふわふわ~!シャンプーは何を使ってるの?共用?」
「アレは合わなくてなあ。あれこれ試している最中だ。」
「じゃあ、僕のも使ってみる?今日一緒にお風呂行こうよ。」
「いいのかい?じゃあ、お言葉に甘えようかな。」
「じゃあ、夕餉の時にまた待ち合わせ決めよ?」
 その横で加州が呆れたような顔をしている。
「なんか意外に馴染んでるね、二人。」
「だって、御前さん綺麗だから、いろいろ情報交換したいじゃない?」
「世話をされるのは悪くないしな。」
 髪にクシを通しながら、乱は服のポケットからリボンをひとつ取り出した。
「おいおい、まさか…」
「ふわふわだからリボン似合うと思うな~」
「待て待て、それは遠慮するぞ?」
 慌てて身をよじって乱の手を避ける。
「黄色いふわふわに赤いリボンってとっても可愛いでしょ?」
「可愛くしてくれなくていいんだ。」
「三日月さん、僕が可愛くしてると褒めてくれるよ?」
「それは!お前さんだからだろう?おい、坊主。坊主からも言ってやってくれ。」
 はあ、と溜息を吐いて、加州が口を挟む。
「乱、ふざけるのはやめてあげなよ。」
「ふざけてないよぉ。黄色いふわふわ、デコりたいじゃない。三日月さんも喜ぶよ、きっと。」
「喜ばないだろう!?」
 則宗はそう返したが、加州は考え込んだ。
「…ワンチャン、喜ぶかも…」
「はあ!?」
「だって、黄色くてふわふわでツヤツヤだもんな。」
「でしょ!黄色くてふわふわでツヤツヤだもん。」
 二人の意気投合の理由が見えなくて、則宗は顔を引き攣らせた。
「いや、訳が分からんぞ?とにかく、それは付けなくていいからな。」
 え~?と不服そうな乱の横で、加州は顎に拳を当ててまた考えている。
「乱、あんま派手にデコるんじゃなくてさ、もっとさりげなくってのはどう?」
「リボンはダメ?」
「ダメだ!」と答えたのは則宗だ。
「じゃあ、メッシュ入れる?ラメ付ける?」
「ラメを少しだけにしよう。派手になっちゃうと折角の黄色いふわふわが霞んじゃうよ。」
 乱がパッと笑顔になって、「そうだね!」と同意した。
「坊主はなんでそっち側なんだ!」
「はいはい、大人しくして。すぐ済ますから。」
 二人がかりでああだこうだと言いながら髪を弄る。
 幸いリボンを免れたこともあって、則宗は渋々ではあるが大人しくしていた。
「これで良し。」
「やれやれ。」
 やっと解放されると思って動こうとすると、乱が肩を押さえた。
「待ってね。次はお化粧だよ。」
「な!?」
 愕然としていると、今度は加州が普通に止める。
「お化粧はしちゃダメだよ。」
「えー?だって。」
「三日月はこの人の睫毛が好きだからさ、化粧はしない方がいいんだ。」
 加州は何でもないことのようにサラッとそう言った。
 突然のことに、則宗は一瞬止まって、ふいっと目を逸らす。
「何をいきなり…」
「そうなの?」と乱。
「前に三日月がアンタの睫毛、褒めてたろ?『艶っぽい』ってさ。」
 加州と大和守が気配を殺して二人が出てくるのを待っていたとき、確かそんなことを言われた、と思い出す。
 それからも度々、睫毛のことを持ち出されているから、確かに三日月はこの睫毛を気に入っているのだろう。
「…聞いていたのか…」
「そりゃね。」
 乱はパンッと手を打って嬉しそうに「そっか!」と言った。
「ツヤツヤは睫毛のことだったんだね。」
「ああ、なるほど。」
 加州は納得したが、則宗は何のことだか分からないでいる。
「さっきから何のことだ?その、ツヤツヤだの何だのと。」
 自分のことを言われているらしいとは思っても、何故それが二人の共通認識になるのか。
「あれ?噂聞いたんじゃないの?」
 二人が首をかしげる。
「僕のところに来たのは、その…僕と三日月が…懇ろだと…。」
「それだけ?」
「他にも何かあるのか!?」
 いったいどんなことが噂になっているのか。何か見られてはいけないことを見られてしまったのだろうかと、あらぬ心配をしてしまう。
「別に変な話じゃないよ?三日月さんが御前さんのことを『黄色くてふわふわでツヤツヤな洋菓子』って例えたんだよね。」
「それを安定がホントにお菓子だと思って探し回ってたって話。」
「よ…洋菓子?」
 どういう経緯で三日月がそんなことを言ったのかは分からないが、なんとなく気恥ずかしい。
「ま、愛されてるってことじゃないの?」



 加州たちに見送られて三日月のところに行ってみると、その近くでは姫鶴と今剣が遊んでいた。
「姫鶴じゃないか。どうしたんだ?お前さん。」
「あ、やっときたー。みかち待ちくたびれてたよ~。ねー。」
「はっはっは。そうだな。待っていたぞ?」
 三日月に促されて、則宗は隣に腰掛ける。
「ちょっと坊主…加州と乱に捕まっていたんだ。」
 そう則宗が言うと、三日月はチラッと髪に目をやった。
「ああ、それで。なかなか似合っているぞ?うむ、綺麗だ。」
 流れるように褒められて則宗は顔を背ける。
「そ、そうか?」
 今剣が走ってきて則宗の頭を覗き込んだ。
「わあ、ほんとうです!綺麗ですねぇ!」
「おめかししてたんだ?御前。」
 姫鶴にまで見られたのがまた恥ずかしくて、話をそらせようと尋ねる。
「そんなことより、お前さん、何か用だったのか?」
「んー?べつにぃ?」
 答える気のない姫鶴の代わりに、三日月が答えた。
「少々拗ねていたのだ。愚痴を聞いて欲しかったようだぞ?」
「ぼくが癒やしてあげましたからもうだいじょうぶですよー。」
「そー、もうだいじょーぶ。…御前も来たし、帰るねー。」
 姫鶴は今剣ともう一度ハグをすると、バイバイと手を振って去って行った。
「姫鶴一文字、元気になってよかったですねぇ。じゃあ、ぼくも岩融とおにごっこの約束をしているので、行きますね。」
「今剣よ、助かったぞ?」
「いいえ。げんきを分けるのはぼくのおとくいですからね。」
 ニッコリと笑って、今剣が去って行く。
「うちのが世話を掛けたな。」
 そう姫鶴のことを謝ると、三日月は笑った。
「なんのなんの。」
 言って則宗の髪に指を通す。
「嬉しいぞ?」
「何がだい。」
「俺に会うために、おめかしをしてくれたのだろう?」
「い、いや、これは、…坊主たちが勝手に…」
「そうか。だとしても、嬉しいぞ?」
「そ、そうかい?」
 三日月の指が、髪の中を滑ってうなじまで降りていく。そわっと心地良い刺激が生まれる。
 思わず身体を寄せると、唇が合わさった。
「み、三日月。そう言えば僕のことを洋菓子に例えたらしいな。」
「ああ、あの話か。」
「僕は洋菓子っぽいのか?」
 三日月は、フフッと笑ってもう一度口付ける。
「ああ、とても甘いからな。」




fin.
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