刻を馳せる

04



 その島は神域になっていた。
 何故なら、そこは祖の刀たちの拠点だからだ。三日月と薬研以外の、五百年前に政府施設を抜け出したという刀たち。彼らは政府の干渉を受けぬよう、この島に厳重に結界を張っていた。薬研は秘密裏にその情報を受け取っていたらしい。
 その島の一部に、彼女の本丸はまるごとやってきたというわけだ。
 祖の薬研が辺りを確認して考え込む。
「うーん…本丸が一部壊れてるな。元の地形との兼ね合いか…。すまん、上手くいかなかったようだ。」
 建物の一部と畑の一角が、隆起したように土が盛り上がっていた。
 しかし、幸い本丸に残っていた刀剣たちには怪我もなく、たいした問題は起こっていない。
 三日月と薬研、そして二人の逃走に力を貸した審神者とその本丸の刀剣たち全員が折れずにここに来られた。
 とにかく、最悪の事態はどうにかこうにか免れたことになる。



 事態が落ち着くと、祖の三日月は審神者にお守りのことを尋ねた。
「開けてみて。」
 お守り袋を開けると、中から白い石が二つ出てきた。
「あ…割れちゃったのか…」
 祖の手のひらに乗った二つの石を見て、審神者は申し訳なさそうな顔をする。
「何か…書いてあるな。…はや…隼太……そう、か。」
「身代わりになってくれたんだね。」
 二人の後ろから、祖の薬研が覗き込んだ。
「本望だろうよ。あいつ、ずっと旦那を心配してたからな。」
「…この字は誰が?」
 審神者の顔がカッと赤く染まり、ごにょごにょと言い訳めいた言葉を並べる。
「…下手な字でごめん…」
 最後にそう言って逃げて行ってしまった。
 祖はいつものように高らかに笑った。
「そんなことを責めたりしないというのに、おかしなことを気にするものだな。」
「余程自信が無いんだろう。俺が書けって言ったときも少し渋ってたからな。」
 また笑って、祖は柔らかく笑んだ。
「そうか、アレが……あの娘が書いてくれたか。」

 石は島の一角の高台に埋められた。
 刀剣ばかりのこの島に墓は無かったから、そこを墓地にしようという話になった。
 墓地、とは言っても今後入る予定があるとすれば、審神者一人だけだが。



 その島での生活はのどかなものになるかと思われたが、そうでもなかった。
「アレは俺かもしれなくてなぁ。」
 祖が言っているのは、遡行軍のことだ。
「出来ればこの手で解決したい。…というわけで、その手伝いを頼みたい。」
 滅んでしまった世界。その無念が生み出した、彼の影かもしれないという。
 人間が滅んだのは自然災害に依るもので、歴史を改編したところでどうしようもない。理性でそれは分かっていても、どうにもならない悔しさが、歴史改変主義者たる彼の影を生み出したのではないか。そういう話だった。
「それらしい証拠を見つけたの?」
「いや、単に俺がそう感じているに過ぎないのだが…気になってな。」
 政府も未だ原因究明には程遠いという。なら、祖の言う可能性から攻めてそれが当たっていたら、政府指揮の部隊とは関わらずにその根っこを叩けるかもしれない。
「わかった。原因を取り除けるなら、それに超したことはないもんね。指揮はそちらに任せてもいい?」
「ああ、よろしく頼む。」



 毎日の任務に鍛錬、政府に付いている頃とさほど変わらない日々のある夜半、審神者はふと目を覚ました。
 何かの気配に、引き寄せられるように部屋から出る。
「…三日月?」
 ボーッとしながら、自分を呼んでいるのが近侍だと思い込んで、衝動のまま外に出て行く。

 厠から部屋に戻る途中の厚と秋田が、主の姿を見つけた。
「あれ?大将だ。」
「どこに行くんでしょう?こんな夜更けに。」
 遠目に見ても足元が覚束ないのが分かって、気になって大声で呼んだ。
「おーい!大将!どうしたんだ!?」
 止まる気配が無い。声に全く反応が無かった。
「秋田!三日月とにっかりを呼んでくれ!俺は大将を追いかける!」
 にっかりを呼ぶように言ったのは、つい最近人間を操る幽霊の話を聞いたばかりだからだ。それはただの物語だったが、もしかしたらと思ってしまう。
「はい!厚もお気を付けて!」
 フラフラとしているわりに主の足は速く、厚は走らなくてはならなかった。追いつくことは出来るけれど、三日月たちが来る前に呼び止めて良いものか。万が一、幽霊の類いだったとしたら、自分一人では対処が難しいかもしれない。そう思ってただ後を付けるにとどまる。
 本丸を抜け、木々の中を抜け、向かう先が墓だと分かると、ますます不安になる。
「厚。」
 後ろから声を掛けられてビクッと身体を震わせた。
「み、三日月かよ。驚かさないでくれよ。」
「悪い悪い。…墓に行くのか?」
「どうやらそうみたいだ…。にっかり、刀持ってきたか?」
 にっかりはニコッと笑って刀を見せたが、そのあと肩をすくめた。
「でも、それはイ・ケ・ナ・イ、ことかもしれないねぇ。…幽霊を斬る話だよ?」
 言い回しに苦笑しながら、三日月も同意する。
「何せ、この神域にいる霊と言ったらひとりしかいないからな。」
「あ、そっか。…俺、祖を呼びに行ってくる!」
「ああ、頼んだぞ?」
 彼らの主は墓に辿り着くと、ぼうっとただ立っていた。
 三日月は少し迷ったが主の前に姿を見せた。
「どうした? 夜も深い。寝所に戻らぬか?」
 すると相手は「三日月か。」と言ってきょろきょろ辺りを見回した。
「…三日月…ここは…どこだ?」
「墓の前だぞ?こんな時間に来るところではないな。」
「…墓…誰の?」
 そう言って、自分が立つ場所のすぐ近くに墓石を見つける。
「祖の大事なお人だ。忘れたのか?主よ。」
 答えた途端、主は目を見開いた。
「お前は誰だ。」
 三日月を見据え、確かにそう言った。
「主、わからないのか?」
「三日月と同じ顔してるからって騙されると思うなよ?」
「主、どうした、俺だ。近侍の三日月だ。」
「ぬかせ、偽物。」
 口調も変わり、三日月を偽物と呼ぶその人は、やはり墓の中の御仁だろう。そう理解して、どう主を取り返せば良いのか思案する。悪霊なら斬るなり払うなりするのが当然だが、そういうわけにはいかない。
「隼太、おぬしか?」
 ゆったりとした歩みで近付いてきた祖は、声を掛けて目を細めた。
 墓の前のその人は声の方に振り向く。そしてパアッと笑顔になった。
「三日月!どこにいたんだ。お前の偽物は何だ。」
「隼太、偽物ではない。知っているだろう?審神者が生み出した三日月だ。」
「…ああ、…そう…か。そんなのがいたな…?」
「隼太、覚えているか?」
 その人は首をかしげた。
「隼太は年老いて死んだ。」
 沈黙が流れ、その間、その人は二人の三日月を見比べたり、墓を眺めたりしていた。不思議そうに自分の手を見る。
「…そうだ、俺は…死んだ。」
「ああ、ちゃんと別れを言ってくれたな。」
「じゃあ、これはなんだ?」
 手を見つめ、開いたり閉じたり。わけがわからないといった風に手のひらを見せた。
「その身体は、あちらの三日月の主のものだ。返さねばな。」
「そうか、だから俺を主と呼んだのか。」
「返せるか?」
「どうすればいいか分からん。」
 墓石には帰れないという。恐らく、入っていた石が割れているせいで不安定になったのだろう。
「俺は…いままでどこにいた?」
 祖は優しげに言った。
「きっと、俺の中だ。おぬしはずっと、俺の中で俺を見守っていてくれた。」
「そうか。なら、帰ろう。お前の中に。」
「ああ。」
 祖が両手を広げると、彼はその腕の中に収まって抱きついた。
 そして、ふいに身体の力が抜ける。
 ずり落ちてしまいそうな身体を支えるために抱き留めていると、彼女は目を覚ました。
「…みか…づき…?」
「気がついたか。」
「…三日月、なんで…」
 そこで自分を抱き留めているのが祖だと気付いて暴れ出す。
「ななななんで!?離してよ!」
「待て、誤解だ。このまま離したら倒れるぞ。」
 彼女は祖の腕の中でポカポカと相手の胸を殴る。
 祖は困り顔で近侍を呼んだ。
「近侍殿、受け取れ。」
「あいわかった。主、こちらへ。」
 受け渡され、しっかり抱えられてしまったことにも彼女は不服を言った。
「歩けるから!降ろしてよ。」
「足を怪我しているのではないか?ここまで裸足で来たのだぞ?」
 言われてやっと足の痛みに気付く。
「なんで?…どういうこと?」
「ふふふ。主は初めてを奪われてしまったね。」
 にっかりの言ったことに驚愕して固まる。と、すぐに彼がいつものように付け足した。
「霊体験のことだよ?」
「ば!」
 ばか、と言おうとしたが、今度は霊体験という言葉に驚いて三日月にしがみついた。
「う、嘘!?」

 隼太の霊は取り敢えずは祖に入ったが、やはり墓に安置した方がいいだろうという話になった。
「私がまた綺麗な石を探してくるよ。」
 審神者がそう言うと、祖が首を横に振った。
「俺が行こう。隼太に相応しい石を見つける。そうしたら、またおぬしが名を書いてくれ。」
「え!?やだ!字が下手なの知ってるでしょ!?」
「何、味があって良いではないか。」
「味なんて言える下手さじゃないから!」
「俺がそうして欲しいのだ。頼む。」
 ふざけているわけではなく、彼女に関わってもらいたいと言う。祖の意を汲むべきだとその場の全会一致で決められ、審神者は観念した。



 それ以来だろうか。祖との関係性に微かな変化を感じ、審神者は不思議に思っていた。
 以前とは違い、当然のように距離を取ってくれる。殆ど触れることもなくなり、それを譲歩と考えているわけでも無い様子だ。
 そして何より、「コレ」と彼女のことを指すことが一切なくなった。審神者自身は気付かないことではあるが、彼女が居ない場所で彼女のことを話題に出すときも、「アレ」とは言わない。
「そうそう、おぬしに言っておかなくてはならないことがあったのだが、忘れていた。」
 祖がそう言って隣に立つ審神者に悪戯っぽい笑顔を見せた。
「何?」
「もう縛りは消えたぞ?」
「え?」
「俺にもよく分からんが、いつのまにか、な。」
「え!?見えるんだよね?キミ!」
「ああ。言っておくが、近侍殿も見えているはずだぞ?」
「三日月!?」
 側に居るはずの近侍を振り返って呼ぶ。
「どうかしたか?主。」
「縛り!消えてるの!?」
 ふむ、と近侍は拳で口元を隠してジッと主を見た。
「言われてみれば…」
「いや!気付いてよ!」
 祖が意地悪に言う。
「なんだ?おぬしは縛りがなくなったら俺とは一切会わないつもりだと。そうか、そんなものか、友情とは儚いな。」
「いや!そんなこと言ってないから!」
「主、それはあまりに無情すぎはしないか。」
「だから!言ってないってば!」
 二人の三日月からあらぬ責めを受け、審神者はムキになって言い返す。
 三日月たちが暗黙のうちに結託しているのも、変化のひとつだろう。


「よお!なんだか賑やかになってるな。こいつは驚きだ。」
 空から現れたその人は、真っ白だ。
 ストンと地面に降り立って首をかしげた。
「こっちも驚かせるモンがあるんだが、良いところに居た。三日月…が二人?」
「久しいな、鶴丸。」
「やあやあ、こっちが俺の三日月だな。土産だ。ほら。」
 そう言って鶴丸は背中を向けて羽織を取った。
 彼の背中には褐色肌の幼子が負ぶさっている。
「大陸のずーっと奥の森の中に、居たんだよ、人間が。滅んでなかった。人間が自力で生きてたんだ。どうだ?驚いたろう?」
 祖の三日月は頷いて、嬉しそうに笑った。
「良く帰ってきた。鶴丸。」
「ああ、ただいま。俺の主。」



 まさか攫ってきたのかと思ったその幼子が、鶴丸に差し出された生け贄だというのは、また別の話。


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