刀剣乱舞
バレンタイン
その日、本丸の厨は慌ただしかった。と言っても、忙しなく動いていたのは審神者と燭台切と歌仙の三人だけだが。
燭台切が朝餉の支度をしようと厨に入ると、既にそこには主がいた。
「あ、ごめんね。ちょっとやりたいことがあって。」
聞けば全員分のおやつに、チョコレートケーキを作るという。
寝耳に水だったが、彼女は一応前日から計画していたようで、材料はしっかり用意してあった。
「ケーキ…かい?」
「うん。ホールケーキを五個ぐらい作れば足りるかなあ?…ウチって何人居たっけ?」
今日はバレンタインデーだったと思い出し、燭台切は思案する。
「80振りいるよ。…ケーキよりクッキーを沢山焼けば全員に行き渡りやすいと思うけど、どうかな?」
「私、クッキーを上手く作れたためしがないんだよね。」
「僕が手伝えばちゃんと出来るさ。」
そう返すと、彼女は口を尖らせた。
「それじゃ意味が無いの!」
とにかく自分が作り慣れているものを自分一人で作りたいのだと言い張り、燭台切の提案は無視された。
材料はともかく、道具は有限だ。一度に五個も六個もスポンジケーキを焼けるわけではない。早々に取りかかって次々道具を洗っていかなくては回らない。加えて、食事の準備にだって道具を使う。
後からやってきた歌仙のげんなりとした顔に燭台切は苦笑いを向けて、「まあまあ。僕たちは合間を縫ってなんとかしよう」と小声で言った。
作り慣れているとは聞いたが、この本丸で審神者はケーキどころか他の菓子も作ったことなど無かった。燭台切も歌仙もそわそわしながら時折手伝いを申し出てみるも、主要な部分は触らせてもらえず、洗ったり、粉をふるったり、移動させたり、そんなことばかり頼まれる。
「主、一度休憩して朝餉を食べないかい? もうみんな済ませたよ?」
「はーい。」
ふう、と息を吐き、彼女は腰を下ろした。
ちょうど今、三つ目の生地をオーブンに入れたところだ。
「お三時に出すんだろう?すこし早すぎやしないかい?」
歌仙が言いながら主の前に朝餉の膳を置いた。
「いろいろやることがあるの。焼いたら冷まして、…まあ、いろいろ。手伝わなくていいから。」
そう言ってさっさと食事を済ませると、料理の本とにらめっこを始める。
「僕らも協力したいからさ、何でも言ってよ。ほら、いつもの仕事は大丈夫なの?」
「ありがと。そういうのは全部三日月に頼んであるから心配しないで。」
近侍の三日月が、適当なメンバーに仕事を割り振っているだろう。内番は事前に当番表を作ってあるし、遠征や演練、出陣も審神者が居なくても問題は無い。政府からの仕事も特に急ぎのものは無かった。
二人の心配をよそに、ケーキ作りは順調だ。作業の様子を見て、彼女のやりたいこともなんとなく分かり、それほど心配はいらないのだと納得すると、二人は自分の仕事に戻った。
昼も過ぎ、ケーキは予定より多く出来上がり、加えて小さな器にチョコレートムースが10個ほど作られていた。
「これだけあれば充分だね。…主?まだ何かするのかい?」
またチョコを溶かしている彼女に、燭台切は首をかしげて尋ねた。
「…ん。これはちょっとね、特別。」
言葉を濁した様子を見て笑みを零しそうになり、燭台切は拳で口元を隠す。
(特別、ね)
おそらくはあの人へのものだろう、と想像はするが、それは言わぬが花だろう。
「さあ、みんな。今日のおやつは主の手作りだよ!」
そう声を掛けると、普段は一度に集まることのない人数が食堂にやってくる。
「そんなに入れないから、ほら、散った散った。そっちの部屋に机を出して。」
厨近くの部屋が急遽簡易食堂に変わり、そこにケーキが並べられた。
「えっと、みんなにはお世話になってるからね。そのお礼って事で。ハッピーバレンタイン!」
主はそう言って、端の皿から順番に「これはね、甘いの苦手な人用。次は少し甘い、で、並んでる順に甘み強くなるから、一番そっちは甘党向けね。」と説明をする。
わーっと短刀たちがまず飛びつき、身体の大きな者たちも遠巻きに覗いて選んでいるようだった。
「燭台切と歌仙もちゃんと食べてね。」
「ああ、いただくよ。」
ケーキは好評で、皆賑やかな時間を堪能した。主も満足そうに笑った。
その日の夕餉の後、審神者は縁側を歩く三日月に声を掛けた。
「…今、お腹いっぱいだよね?」
「ん?…ああ、そうだな。」
そう返事をしてから、笑って冗談のように付け加える。
「何か旨いものがあるというなら、入らなくはないが。」
それを聞いて彼女は数秒唸った。
「ん~…、いや、後で…。あ、何時ぐらいに寝る?」
「日によって…。何か用があるなら都合はつくぞ?」
「えっと…どうしよう、あとで私の部屋に来てくれる?」
三日月はふいと空を見て言う。
「今日は月が出ているな。」
「あ、ホントだ。」
「ならば、あの月が丘の大樹の上にさしかかった頃、というのはどうだ?」
「え?うん、それでいい。」
そんな約束の仕方も風流だろう、と思って言ったことだったが、いまいち意図が分からないふうな返事に三日月は目を伏せて笑む。
「では、後でな。」
「うん、待ってるね。」
皆がそれぞれ部屋で寝ようかという時間、陸奥守が厨を覗いた。
「陸奥守、何やってるんだ?」
後ろから声を掛けたのは厚藤四郎だった。その後ろには彼の兄弟たち数人がついてきている。
「お?おぉお、いや、ちーと小腹がすいての。なんかありゃせんかと。」
陸奥守が笑って頭を掻くと、厚も悪戯っぽく笑った。
「実は俺たちも。」
厨の管理人たちに見つからないうちに何か探そう、と意気投合して物色し始める。
「あ、まだ昼間のおやつが残ってますよ?」
「ケーキか!」
「いえ、ムースってやつです。足りないといけないからって主が用意してくれてたでしょ?」
「お!そんなんもあったがか!」
「飾りが乗ってて可愛い!」
「でもこれ一個か~」
「主のケーキ、おいしかったよね。」
「これもきっと美味しいですよ。」
「仲良く分けようぜ。」
うん、と頷きあってスプーンを持ち寄る。
「ん、うまい!」
「ホントだー!」
全員がひとくちふたくち食べ、なくなってしまった丁度その時、主がやってきた。
「あれ?みんなまだ寝ないの?」
えへへ、と笑って空の器を見せる。
「残ってたおやつ、いただいちゃいました。」
「おいしかったよ!」
主は一瞬ハッとして、すぐ笑顔を向ける。
「…そう、それは良かった。実は私もお腹すいちゃって。何かないかな~」
そう言ってカップにココアを作ってお盆に乗せた。
「あ~、最後のひとつ食うてしもうてすまんの。まさか主も食べに来ると思わんかったき…。」
陸奥守が申し訳なさそうに言うと、彼女は首を横に振る。
「気にしないで。みんなのために作ったんだから。私ももう寝るし、これで充分。」
棚から個包装のチョコをひとつ出し、ココアと一緒に持って行った。
「主よ、月が綺麗に見えているぞ?」
三日月が部屋の前からそう声を掛けると、主はふすまを開けた。
「あの、…ごめんね、わざわざ来てもらって…」
「何、今日は目が冴えてな、どうせ眠れないだろうから丁度良かった。」
「それで…あの…実は…」
どこか沈んだような彼女の様子を見て、三日月は空を指さした。
「せっかくだ。まずは月を眺めぬか?」
言って手を差し出し、彼女の手を取ると縁側の端まで促す。
「ほうら、大樹の真上に来ている。今日は空気も澄んで、一層美しい。」
「ちょっと…待ってて。座布団持ってくる。」
主は慌てて部屋に戻り、座布団を二つ持ってくるとまた部屋に戻った。
そして今度はカップの乗ったお盆を持ってくる。
二人で月に向かって並んで座ると、彼女は盆を差し出した。
「実は、昼間のおやつとは別にもう一つ何か作ろうと思ってたんだけど、…時間なくなっちゃって。こんなものでごめん。」
「ココアか。甘いものは良いな。」
受け取って一口含み、うむ、うまい、と笑みを見せた。
「ごめんね。こんなことで呼び出しちゃって…。」
「何を謝る必要がある。俺は嬉しいぞ?」
添えてあったチョコレートも包みを剥いて口に放り込む。
「でも、こんな時間に来るのも気まずかったでしょ?」
「それを言うなら、こんな時間に俺が主の部屋に入ってはいけないことになるな。」
「…そ、そうだね、確かに。」
「月を眺め終わったら、戻ることにしよう。」
「うん…。」
厨から主が去った後、陸奥守たちはしばらくその場に佇む。
「…タイミング悪かったな…」
「ああ、もうちょい早く来てくれれば…」
「ていうか、僕たちがもう少し他の食べ物を探してれば…」
そこに
「ちょっと、キミたち!何やってるんだい?」
振り向けば燭台切が腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「こんな時間に食べちゃダメっていつも言ってるでしょ?」
まったく、と苦言を零しつつ、机の上の食器を片付けようと手を伸ばす。そして気付いた。
「え、これ…。もしかして、キミたちこれを食べたのかい?」
「お、おう…。残っちょったき。」
「これは残りじゃないよ!主が…。」
「あ、でも主はいいよって言ってましたよ。ちょっと食べたかったみたいですけど。」
「主が来たのかい?」
「おお、今しがた。」
ふう、と大きな溜息を吐いて、燭台切は「いいかい?」とトーンを落とした。
「これは、主が三日月サンの為に作ったものだよ。今日はバレンタインデーだ。意味は分かるよね?」
食べた全員、一瞬で血の気が引いた。
「え…だって、ケーキと一緒に同じのが置いてあったよね…」
「そう言えば…もっと小さい器だった気がします…」
「飾りももっと小さかったかも…」
「じゃ…じゃあ、残りやのうて…」
「残りじゃないよ。みんなに出したのとは別で作ったものだ。」
顔を見合わせる。
「謝りに行こう!」
走り出しそうな面々に燭台切が静止の言葉を掛ける。
「ダメだよ!今日は諦めて、明日謝る方が良い。」
「いや、でもすぐ謝った方が!」
「ダメ! さっき主が持ちに来たってことは、これから三日月サンが主の部屋に来るって事だろう?」
ハッとして足は止まったものの、でも、と声が上がる。
おずおずと陸奥守が燭台切に尋ねた。
「…その…主と三日月は…恋仲なんか?」
「今のところそんな関係ではないよ。」
「ほんなら、今から行った方がええんやないか?」
「でも、今日、特別な贈り物をする予定だったわけだよね?なら、今そういう仲になったとしてもおかしくないでしょ?」
それに、と続けた。
「三日月サンは平安刀だよ?その頃の感覚から言えば、夜、女性のところを訪れるのはそういうことなんじゃないかな。三日月サンがどう考えているかはわからないけどね。」
とにかく今日は寝なさいと言われ、皆静かに厨を出た。
「ちょっと、陸奥守!どこ行く気だよ。そっちは主の…」
「ちっくと様子を窺うだけじゃ。もし、三日月がおらんかったら、今日謝った方がええじゃろ?」
陸奥守が主の部屋に向かっているため、厚たちも止めるためにぞろぞろと後をついていた。
「居るか居ないか分からなかったらどうするつもりだよ。」
「ほいたら…おんしらの得意分野じゃろ。偵察行っとうせ。」
「イヤですよ!覗けって言うんですか!?」
「見つからんようにやれば問題ないき!」
「僕はイヤだ!」
「俺だって」
言い合いながら廊下の角にさしかかったところで、あちらからの気配に皆足を止めた。
「これ、何を騒いでおる。」
声に驚いて身を震わせたが、見れば三日月だった。
「み、三日月…。もう用は済んだがか?」
「何の話か見えぬが…、俺は部屋に帰るところだぞ?」
「そうか…そうじゃ、三日月、おんしに頼みがあるんじゃが…」
主に謝りたいことがあると話し、その為に取り次いでもらいたいのだと伝える。
三日月は少し思案して答えた。
「何があったかは知らぬが、こんな時間に行くこともあるまい?明日にしたらどうだ?」
「今謝りたいんじゃ。…それに…おんしにも関係のあることじゃ。」
陸奥守の真剣な様子と、自分にも関係があると言われたことで三日月はもう一度考えに入り、ふむ、と頷く。
「言っておくが、主が寝床に入っているようなら、取り次ぎはしないぞ?」
「おお、わかった。」
声を掛けると、主はまだ起きていたらしく、すぐに返事があった。
「陸奥守と粟田口の坊たちが何やら話があるようなのだが、今からいいだろうか。」
承諾の返事が聞こえ、三日月がふすまを開けて入っていく。皆静かにそれに続いた。
奥に座った主はキョトンと皆を見上げている。
三日月は主と皆の間の壁際に座し、陸奥守たちに主の正面に座るよう手で指し示した。
陸奥守を筆頭に、その後ろに短刀たちが横一列に並んで座った。
「どうしたの?」
「主、…その…大事なものを食ってしもうて申し訳ない!すまんかった!このとおりじゃ!」
床に手を突いて頭を下げる。皆口々に「ごめんなさい」「すみませんでした」と謝罪の言葉を出した。
「え…?さっきの?…いいってば、大丈夫だから。気にしないでって言ったでしょ?」
「さっきは余り物じゃと思うてたし、てっきり主も夜食を探しに来たがじゃと勘違いをして、ろくに謝れんかったき…。やけんど違うたろ?大事なもの…三日月の為に作った菓子じゃったろ?…それを台無しにしてしもうた。ほんにすまん!」
三日月のために作った、とはっきり言われてしまった主はしどろもどろになって言葉が返せなくなっている。
と、黙って聞いていた三日月が笑い出した。
「あっはっはっは、なるほど。そういうことだったか。」
先刻の彼女の気まずそうな態度も、沈んだ様子も、そのせいだったと納得がいく。
陸奥守は三日月の方にも身体を向けて頭を下げた。
「三日月も、すまん、おんしの菓子を食ってしもうた。」
「陸奥守よ。ひとつ聞きたいことがある。」
笑みをたたえたまま、三日月は言った。
「旨かったか?」
その笑顔の真意が分からず、かといってその質問に言い淀むのは主に失礼にあたると瞬間的に思って即座に返す。
「おお、それはもちろん!一番旨かったぜよ!」
「坊たちもか?」
「は、はい、美味しかったです…」
「なら、それに見合った返礼をせねばなるまいな? なあ、主、確か返礼の日があるのだろう?」
一ヶ月後のホワイトデーのことは、ケーキを食べながら誰かが話していた。
「頭をひねる時間はひと月もある。食べた分のお返しを、心を込めて準備すれば充分に見合うだろう。主よ、それで良いか?」
「それは勿論…。でもホントに気にしなくていいからね?注意書きを付けなかった私の落ち度でもあるし…」
「いや、わしらがつまみ食いに厨に入ったんがそもそもの原因やき。」
「ちゃんとお礼します。主、楽しみにしてて。」
もう一度深く頭を下げたところで、三日月が皆を促した。
「さあ、もう遅い。主にしっかり休んでもらわなくてはな。」
次の日、道場では三日月と陸奥守が木刀で打ち合っていた。
ガシッガシッと数回大きな音を鳴らしたところで、陸奥守が劣勢になり倒れ込む。
「ま、参った。やっぱ強いのお、三日月は。」
降参をしたことでもう解放されると思って立ち上がると、そこにも木刀が振り下ろされた。
「ち、ちょい待ちぃ!降参言うたやないか!?」
すんでの所で避けて文句を向けると、三日月は笑った。
「この程度で済むと思うな? 俺の菓子を食った借りは、きっちり返してもらうぞ?」
慌てて制止の為に手のひらを相手に見せる。
「いや、昨日話は付いたじゃろ!主に相応の返礼をするっちゅう…」
「それはお前たちと主の間の話だ。俺は、許すと言った覚えはないぞ?」
は?と一瞬固まり、よくよく思い出してみる。
「…た…確かに…。いや、待ちぃ!それならそれで、厚たちも呼んでくるべきじゃろ!」
「それも考えはしたのだが、短刀たちを痛めつけるのは流石に絵面が悪い。…と言うわけで」
三日月はもう一度構え直した。
「おぬし一人で受け止めてもらおう。」
反論を試みようとするも、言葉が出ず陸奥守はパクパクと口を動かしている。
「ほれ、構えんか、陸奥守。腹をくくれ。とことん、付き合ってもらうぞ?」
陸奥守は一度ギュッと目を瞑ると、木刀を握る手に力を込めた。
「あ~!わあった!付きおうちゃる!」
「では、行くぞ。」
「おお!」
ドタドタ、と乱れた足音がしたかと思うと道場の外周の廊下に陸奥守が滑るように倒れ出る。
丁度通りかかった肥前が間近まで歩み寄ってしゃがみ込んだ。
「おめー、なにやったんだ?」
一目見てしごかれているのを理解して、彼はそう尋ねる。
「お…肥前の…。…ちいとな…三日月の菓子を無断で食うてしもうて…」
「…それは非道な行いだな…」
その一言で彼が食べ専だと思い出す。助けてもらえるなどとは勿論思っていないが、絶望感が増した。
「み…三日月…もう無理じゃ…立てん…」
ゆっくりとした歩みで近付いてくる三日月に、何度目かの降参を申し出た。
「ふむ。まあ、このくらいにしておくか。俺も疲れた。」
三日月は涼しい顔でそう言うと、木刀の切っ先の向きを変えて持ち直した。
「ほれ、陸奥守、礼が済んでないぞ。起き上がれ。礼儀は大事だからな。」
本当にヘトヘトで上半身を起こすのも苦労している陸奥守を見かねて、肥前が二の腕を掴んで引っ張り起こす。
立ち上がってしまえば何とか姿勢を正すことが出来たが、礼を済ますとまた寝転がってしまった。
「ではな、陸奥守。明日も楽しみにしているぞ?」
「ちょ!ちょー待ち!明日も!?」
「旨かったのだろう?あの菓子は。」
ウッと言葉に詰まってから答える。
「旨かった!今まで食った中で一番!」
「相応の詫びが必要だな。」
はっはっは、と高らかに笑って三日月は去って行った。
「肥前のぉ…明日代わってくれんか…」
「食いもん横取りするような奴を助ける気はねーな。」
当然の返事に、ぐうの音も出ず陸奥守は項垂れた。
fin.
その日、本丸の厨は慌ただしかった。と言っても、忙しなく動いていたのは審神者と燭台切と歌仙の三人だけだが。
燭台切が朝餉の支度をしようと厨に入ると、既にそこには主がいた。
「あ、ごめんね。ちょっとやりたいことがあって。」
聞けば全員分のおやつに、チョコレートケーキを作るという。
寝耳に水だったが、彼女は一応前日から計画していたようで、材料はしっかり用意してあった。
「ケーキ…かい?」
「うん。ホールケーキを五個ぐらい作れば足りるかなあ?…ウチって何人居たっけ?」
今日はバレンタインデーだったと思い出し、燭台切は思案する。
「80振りいるよ。…ケーキよりクッキーを沢山焼けば全員に行き渡りやすいと思うけど、どうかな?」
「私、クッキーを上手く作れたためしがないんだよね。」
「僕が手伝えばちゃんと出来るさ。」
そう返すと、彼女は口を尖らせた。
「それじゃ意味が無いの!」
とにかく自分が作り慣れているものを自分一人で作りたいのだと言い張り、燭台切の提案は無視された。
材料はともかく、道具は有限だ。一度に五個も六個もスポンジケーキを焼けるわけではない。早々に取りかかって次々道具を洗っていかなくては回らない。加えて、食事の準備にだって道具を使う。
後からやってきた歌仙のげんなりとした顔に燭台切は苦笑いを向けて、「まあまあ。僕たちは合間を縫ってなんとかしよう」と小声で言った。
作り慣れているとは聞いたが、この本丸で審神者はケーキどころか他の菓子も作ったことなど無かった。燭台切も歌仙もそわそわしながら時折手伝いを申し出てみるも、主要な部分は触らせてもらえず、洗ったり、粉をふるったり、移動させたり、そんなことばかり頼まれる。
「主、一度休憩して朝餉を食べないかい? もうみんな済ませたよ?」
「はーい。」
ふう、と息を吐き、彼女は腰を下ろした。
ちょうど今、三つ目の生地をオーブンに入れたところだ。
「お三時に出すんだろう?すこし早すぎやしないかい?」
歌仙が言いながら主の前に朝餉の膳を置いた。
「いろいろやることがあるの。焼いたら冷まして、…まあ、いろいろ。手伝わなくていいから。」
そう言ってさっさと食事を済ませると、料理の本とにらめっこを始める。
「僕らも協力したいからさ、何でも言ってよ。ほら、いつもの仕事は大丈夫なの?」
「ありがと。そういうのは全部三日月に頼んであるから心配しないで。」
近侍の三日月が、適当なメンバーに仕事を割り振っているだろう。内番は事前に当番表を作ってあるし、遠征や演練、出陣も審神者が居なくても問題は無い。政府からの仕事も特に急ぎのものは無かった。
二人の心配をよそに、ケーキ作りは順調だ。作業の様子を見て、彼女のやりたいこともなんとなく分かり、それほど心配はいらないのだと納得すると、二人は自分の仕事に戻った。
昼も過ぎ、ケーキは予定より多く出来上がり、加えて小さな器にチョコレートムースが10個ほど作られていた。
「これだけあれば充分だね。…主?まだ何かするのかい?」
またチョコを溶かしている彼女に、燭台切は首をかしげて尋ねた。
「…ん。これはちょっとね、特別。」
言葉を濁した様子を見て笑みを零しそうになり、燭台切は拳で口元を隠す。
(特別、ね)
おそらくはあの人へのものだろう、と想像はするが、それは言わぬが花だろう。
「さあ、みんな。今日のおやつは主の手作りだよ!」
そう声を掛けると、普段は一度に集まることのない人数が食堂にやってくる。
「そんなに入れないから、ほら、散った散った。そっちの部屋に机を出して。」
厨近くの部屋が急遽簡易食堂に変わり、そこにケーキが並べられた。
「えっと、みんなにはお世話になってるからね。そのお礼って事で。ハッピーバレンタイン!」
主はそう言って、端の皿から順番に「これはね、甘いの苦手な人用。次は少し甘い、で、並んでる順に甘み強くなるから、一番そっちは甘党向けね。」と説明をする。
わーっと短刀たちがまず飛びつき、身体の大きな者たちも遠巻きに覗いて選んでいるようだった。
「燭台切と歌仙もちゃんと食べてね。」
「ああ、いただくよ。」
ケーキは好評で、皆賑やかな時間を堪能した。主も満足そうに笑った。
その日の夕餉の後、審神者は縁側を歩く三日月に声を掛けた。
「…今、お腹いっぱいだよね?」
「ん?…ああ、そうだな。」
そう返事をしてから、笑って冗談のように付け加える。
「何か旨いものがあるというなら、入らなくはないが。」
それを聞いて彼女は数秒唸った。
「ん~…、いや、後で…。あ、何時ぐらいに寝る?」
「日によって…。何か用があるなら都合はつくぞ?」
「えっと…どうしよう、あとで私の部屋に来てくれる?」
三日月はふいと空を見て言う。
「今日は月が出ているな。」
「あ、ホントだ。」
「ならば、あの月が丘の大樹の上にさしかかった頃、というのはどうだ?」
「え?うん、それでいい。」
そんな約束の仕方も風流だろう、と思って言ったことだったが、いまいち意図が分からないふうな返事に三日月は目を伏せて笑む。
「では、後でな。」
「うん、待ってるね。」
皆がそれぞれ部屋で寝ようかという時間、陸奥守が厨を覗いた。
「陸奥守、何やってるんだ?」
後ろから声を掛けたのは厚藤四郎だった。その後ろには彼の兄弟たち数人がついてきている。
「お?おぉお、いや、ちーと小腹がすいての。なんかありゃせんかと。」
陸奥守が笑って頭を掻くと、厚も悪戯っぽく笑った。
「実は俺たちも。」
厨の管理人たちに見つからないうちに何か探そう、と意気投合して物色し始める。
「あ、まだ昼間のおやつが残ってますよ?」
「ケーキか!」
「いえ、ムースってやつです。足りないといけないからって主が用意してくれてたでしょ?」
「お!そんなんもあったがか!」
「飾りが乗ってて可愛い!」
「でもこれ一個か~」
「主のケーキ、おいしかったよね。」
「これもきっと美味しいですよ。」
「仲良く分けようぜ。」
うん、と頷きあってスプーンを持ち寄る。
「ん、うまい!」
「ホントだー!」
全員がひとくちふたくち食べ、なくなってしまった丁度その時、主がやってきた。
「あれ?みんなまだ寝ないの?」
えへへ、と笑って空の器を見せる。
「残ってたおやつ、いただいちゃいました。」
「おいしかったよ!」
主は一瞬ハッとして、すぐ笑顔を向ける。
「…そう、それは良かった。実は私もお腹すいちゃって。何かないかな~」
そう言ってカップにココアを作ってお盆に乗せた。
「あ~、最後のひとつ食うてしもうてすまんの。まさか主も食べに来ると思わんかったき…。」
陸奥守が申し訳なさそうに言うと、彼女は首を横に振る。
「気にしないで。みんなのために作ったんだから。私ももう寝るし、これで充分。」
棚から個包装のチョコをひとつ出し、ココアと一緒に持って行った。
「主よ、月が綺麗に見えているぞ?」
三日月が部屋の前からそう声を掛けると、主はふすまを開けた。
「あの、…ごめんね、わざわざ来てもらって…」
「何、今日は目が冴えてな、どうせ眠れないだろうから丁度良かった。」
「それで…あの…実は…」
どこか沈んだような彼女の様子を見て、三日月は空を指さした。
「せっかくだ。まずは月を眺めぬか?」
言って手を差し出し、彼女の手を取ると縁側の端まで促す。
「ほうら、大樹の真上に来ている。今日は空気も澄んで、一層美しい。」
「ちょっと…待ってて。座布団持ってくる。」
主は慌てて部屋に戻り、座布団を二つ持ってくるとまた部屋に戻った。
そして今度はカップの乗ったお盆を持ってくる。
二人で月に向かって並んで座ると、彼女は盆を差し出した。
「実は、昼間のおやつとは別にもう一つ何か作ろうと思ってたんだけど、…時間なくなっちゃって。こんなものでごめん。」
「ココアか。甘いものは良いな。」
受け取って一口含み、うむ、うまい、と笑みを見せた。
「ごめんね。こんなことで呼び出しちゃって…。」
「何を謝る必要がある。俺は嬉しいぞ?」
添えてあったチョコレートも包みを剥いて口に放り込む。
「でも、こんな時間に来るのも気まずかったでしょ?」
「それを言うなら、こんな時間に俺が主の部屋に入ってはいけないことになるな。」
「…そ、そうだね、確かに。」
「月を眺め終わったら、戻ることにしよう。」
「うん…。」
厨から主が去った後、陸奥守たちはしばらくその場に佇む。
「…タイミング悪かったな…」
「ああ、もうちょい早く来てくれれば…」
「ていうか、僕たちがもう少し他の食べ物を探してれば…」
そこに
「ちょっと、キミたち!何やってるんだい?」
振り向けば燭台切が腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「こんな時間に食べちゃダメっていつも言ってるでしょ?」
まったく、と苦言を零しつつ、机の上の食器を片付けようと手を伸ばす。そして気付いた。
「え、これ…。もしかして、キミたちこれを食べたのかい?」
「お、おう…。残っちょったき。」
「これは残りじゃないよ!主が…。」
「あ、でも主はいいよって言ってましたよ。ちょっと食べたかったみたいですけど。」
「主が来たのかい?」
「おお、今しがた。」
ふう、と大きな溜息を吐いて、燭台切は「いいかい?」とトーンを落とした。
「これは、主が三日月サンの為に作ったものだよ。今日はバレンタインデーだ。意味は分かるよね?」
食べた全員、一瞬で血の気が引いた。
「え…だって、ケーキと一緒に同じのが置いてあったよね…」
「そう言えば…もっと小さい器だった気がします…」
「飾りももっと小さかったかも…」
「じゃ…じゃあ、残りやのうて…」
「残りじゃないよ。みんなに出したのとは別で作ったものだ。」
顔を見合わせる。
「謝りに行こう!」
走り出しそうな面々に燭台切が静止の言葉を掛ける。
「ダメだよ!今日は諦めて、明日謝る方が良い。」
「いや、でもすぐ謝った方が!」
「ダメ! さっき主が持ちに来たってことは、これから三日月サンが主の部屋に来るって事だろう?」
ハッとして足は止まったものの、でも、と声が上がる。
おずおずと陸奥守が燭台切に尋ねた。
「…その…主と三日月は…恋仲なんか?」
「今のところそんな関係ではないよ。」
「ほんなら、今から行った方がええんやないか?」
「でも、今日、特別な贈り物をする予定だったわけだよね?なら、今そういう仲になったとしてもおかしくないでしょ?」
それに、と続けた。
「三日月サンは平安刀だよ?その頃の感覚から言えば、夜、女性のところを訪れるのはそういうことなんじゃないかな。三日月サンがどう考えているかはわからないけどね。」
とにかく今日は寝なさいと言われ、皆静かに厨を出た。
「ちょっと、陸奥守!どこ行く気だよ。そっちは主の…」
「ちっくと様子を窺うだけじゃ。もし、三日月がおらんかったら、今日謝った方がええじゃろ?」
陸奥守が主の部屋に向かっているため、厚たちも止めるためにぞろぞろと後をついていた。
「居るか居ないか分からなかったらどうするつもりだよ。」
「ほいたら…おんしらの得意分野じゃろ。偵察行っとうせ。」
「イヤですよ!覗けって言うんですか!?」
「見つからんようにやれば問題ないき!」
「僕はイヤだ!」
「俺だって」
言い合いながら廊下の角にさしかかったところで、あちらからの気配に皆足を止めた。
「これ、何を騒いでおる。」
声に驚いて身を震わせたが、見れば三日月だった。
「み、三日月…。もう用は済んだがか?」
「何の話か見えぬが…、俺は部屋に帰るところだぞ?」
「そうか…そうじゃ、三日月、おんしに頼みがあるんじゃが…」
主に謝りたいことがあると話し、その為に取り次いでもらいたいのだと伝える。
三日月は少し思案して答えた。
「何があったかは知らぬが、こんな時間に行くこともあるまい?明日にしたらどうだ?」
「今謝りたいんじゃ。…それに…おんしにも関係のあることじゃ。」
陸奥守の真剣な様子と、自分にも関係があると言われたことで三日月はもう一度考えに入り、ふむ、と頷く。
「言っておくが、主が寝床に入っているようなら、取り次ぎはしないぞ?」
「おお、わかった。」
声を掛けると、主はまだ起きていたらしく、すぐに返事があった。
「陸奥守と粟田口の坊たちが何やら話があるようなのだが、今からいいだろうか。」
承諾の返事が聞こえ、三日月がふすまを開けて入っていく。皆静かにそれに続いた。
奥に座った主はキョトンと皆を見上げている。
三日月は主と皆の間の壁際に座し、陸奥守たちに主の正面に座るよう手で指し示した。
陸奥守を筆頭に、その後ろに短刀たちが横一列に並んで座った。
「どうしたの?」
「主、…その…大事なものを食ってしもうて申し訳ない!すまんかった!このとおりじゃ!」
床に手を突いて頭を下げる。皆口々に「ごめんなさい」「すみませんでした」と謝罪の言葉を出した。
「え…?さっきの?…いいってば、大丈夫だから。気にしないでって言ったでしょ?」
「さっきは余り物じゃと思うてたし、てっきり主も夜食を探しに来たがじゃと勘違いをして、ろくに謝れんかったき…。やけんど違うたろ?大事なもの…三日月の為に作った菓子じゃったろ?…それを台無しにしてしもうた。ほんにすまん!」
三日月のために作った、とはっきり言われてしまった主はしどろもどろになって言葉が返せなくなっている。
と、黙って聞いていた三日月が笑い出した。
「あっはっはっは、なるほど。そういうことだったか。」
先刻の彼女の気まずそうな態度も、沈んだ様子も、そのせいだったと納得がいく。
陸奥守は三日月の方にも身体を向けて頭を下げた。
「三日月も、すまん、おんしの菓子を食ってしもうた。」
「陸奥守よ。ひとつ聞きたいことがある。」
笑みをたたえたまま、三日月は言った。
「旨かったか?」
その笑顔の真意が分からず、かといってその質問に言い淀むのは主に失礼にあたると瞬間的に思って即座に返す。
「おお、それはもちろん!一番旨かったぜよ!」
「坊たちもか?」
「は、はい、美味しかったです…」
「なら、それに見合った返礼をせねばなるまいな? なあ、主、確か返礼の日があるのだろう?」
一ヶ月後のホワイトデーのことは、ケーキを食べながら誰かが話していた。
「頭をひねる時間はひと月もある。食べた分のお返しを、心を込めて準備すれば充分に見合うだろう。主よ、それで良いか?」
「それは勿論…。でもホントに気にしなくていいからね?注意書きを付けなかった私の落ち度でもあるし…」
「いや、わしらがつまみ食いに厨に入ったんがそもそもの原因やき。」
「ちゃんとお礼します。主、楽しみにしてて。」
もう一度深く頭を下げたところで、三日月が皆を促した。
「さあ、もう遅い。主にしっかり休んでもらわなくてはな。」
次の日、道場では三日月と陸奥守が木刀で打ち合っていた。
ガシッガシッと数回大きな音を鳴らしたところで、陸奥守が劣勢になり倒れ込む。
「ま、参った。やっぱ強いのお、三日月は。」
降参をしたことでもう解放されると思って立ち上がると、そこにも木刀が振り下ろされた。
「ち、ちょい待ちぃ!降参言うたやないか!?」
すんでの所で避けて文句を向けると、三日月は笑った。
「この程度で済むと思うな? 俺の菓子を食った借りは、きっちり返してもらうぞ?」
慌てて制止の為に手のひらを相手に見せる。
「いや、昨日話は付いたじゃろ!主に相応の返礼をするっちゅう…」
「それはお前たちと主の間の話だ。俺は、許すと言った覚えはないぞ?」
は?と一瞬固まり、よくよく思い出してみる。
「…た…確かに…。いや、待ちぃ!それならそれで、厚たちも呼んでくるべきじゃろ!」
「それも考えはしたのだが、短刀たちを痛めつけるのは流石に絵面が悪い。…と言うわけで」
三日月はもう一度構え直した。
「おぬし一人で受け止めてもらおう。」
反論を試みようとするも、言葉が出ず陸奥守はパクパクと口を動かしている。
「ほれ、構えんか、陸奥守。腹をくくれ。とことん、付き合ってもらうぞ?」
陸奥守は一度ギュッと目を瞑ると、木刀を握る手に力を込めた。
「あ~!わあった!付きおうちゃる!」
「では、行くぞ。」
「おお!」
ドタドタ、と乱れた足音がしたかと思うと道場の外周の廊下に陸奥守が滑るように倒れ出る。
丁度通りかかった肥前が間近まで歩み寄ってしゃがみ込んだ。
「おめー、なにやったんだ?」
一目見てしごかれているのを理解して、彼はそう尋ねる。
「お…肥前の…。…ちいとな…三日月の菓子を無断で食うてしもうて…」
「…それは非道な行いだな…」
その一言で彼が食べ専だと思い出す。助けてもらえるなどとは勿論思っていないが、絶望感が増した。
「み…三日月…もう無理じゃ…立てん…」
ゆっくりとした歩みで近付いてくる三日月に、何度目かの降参を申し出た。
「ふむ。まあ、このくらいにしておくか。俺も疲れた。」
三日月は涼しい顔でそう言うと、木刀の切っ先の向きを変えて持ち直した。
「ほれ、陸奥守、礼が済んでないぞ。起き上がれ。礼儀は大事だからな。」
本当にヘトヘトで上半身を起こすのも苦労している陸奥守を見かねて、肥前が二の腕を掴んで引っ張り起こす。
立ち上がってしまえば何とか姿勢を正すことが出来たが、礼を済ますとまた寝転がってしまった。
「ではな、陸奥守。明日も楽しみにしているぞ?」
「ちょ!ちょー待ち!明日も!?」
「旨かったのだろう?あの菓子は。」
ウッと言葉に詰まってから答える。
「旨かった!今まで食った中で一番!」
「相応の詫びが必要だな。」
はっはっは、と高らかに笑って三日月は去って行った。
「肥前のぉ…明日代わってくれんか…」
「食いもん横取りするような奴を助ける気はねーな。」
当然の返事に、ぐうの音も出ず陸奥守は項垂れた。
fin.
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