楽園



 この『氷の城』に閉じ込められて一週間が経った。
 彼は幸い氷を溶かすための道具と燃料を持ち合わせていたし、携帯食も多少準備してあった。だから取り敢えず生き延びてはいる。
 とは言え、それもそろそろ限界になりそうだ。
「なんか気に障ることを言ったかな…。」
『ソレ』は彼に向かって「寒いね」と言った。別段寒がっている風でもないその言葉は、「寒いだろう?」と言っているように聞こえた。幾分かの侮蔑も含まれているように感じた彼は、素直に答える気にはならなかった。
「そうだな。でも、寒さも楽しめなくはない。」
 楽しめる程度の気温でないことは百も承知だ。はっきり言って強がりなのだが、相手の予想を外してやろうという企みと、相手を観察するために会話を引っかき回す目的もあった。
 が、答えた途端『ソレ』は目の前から忽然と消え、同時に彼の周りは氷の建造物になっていた。
 どこかで見たような城の中にぽつんと立っている自分に気付いた彼は、状況を把握するために城中を歩き回ったが、分かったのは出口がないということだけだった。

 各部屋の重そうな扉は、ご丁寧に開いた状態で固まっている。だから城の中は何処にでも行けたが、外に通じているであろう扉は堅く閉ざされていた。窓も然りだ。
(大体、アレは何なんだよ。この星に生き物は居ないんじゃ無かったのか?)
 そう思ってから、アレは生き物なのか、という疑問が浮かんできた。
 生き物というよりは幽霊のように見えた。霊体の何か。
 最初は彼にそっくりだった。鏡の中の自分が現れたのかと驚いていると、ソレは少女のような姿になった。
「…アレが幽霊ってことはその元の生き物が居たはずで…。」
 幽霊なんてものを信じたわけではないが、ごく一般的な概念で言えば、という思考だ。
「…腹が…減ったな…」
 救助が見込めないのは疾うに分かっている。何せ、今この星で生きている人間は、彼一人なのだから。
 せめて船まで戻れれば、そうも思ったが、それも希望にすらならない。
「戻ってもなァ…。『奴ら』、俺をどう扱うか…。」
 船には厳しい管理システムが備わっていた。規律を重んじ、従わぬ者に厳罰を与える。船の至る所に、機銃や毒ガスの噴射口がある。凶悪犯たちを乗せる為に作られた、特別仕様の船だ。
 全員が十人以上を殺した殺人犯だ。そんなメンバーで数年の宇宙の旅を無事終えたのは、互いに協力という名の牽制をしてきたからだ。そうしなければ、船の中でシステムに殺される。
 だが一見平和だった旅がただの絵空事だったと、船を降りた途端発覚した。
 システムに管理され続けて溜まりに溜まった鬱憤を、気性の荒い数人が晴らし始めたのだ。
 そして、彼も勿論その騒動に巻き込まれ、応戦するしか無かった。
「つまらない殺しだったな…」
 せっかく凶悪犯ばかりで気兼ねなく殺れた筈なのに、自分の身を守るために簡単に殺してしまった。そんな風に思うのは、彼が快楽殺人者だからだ。
「正当防衛、だよなぁ、一応。」
 騒動は船のすぐ側で起こった。船から攻撃が無かったのは、船外での事件を観察していないのか、船外だから不問にするのか、それとも罰則が発動するのが船内だけなのか。もし観察されていて、船に戻った途端に罰則が科せられたら、弁明の余地もなく殺されるかもしれない。

「腹が…減った…」
 最後は飢餓で死ぬのか、凍死が先か、そんな思考ももはやどうでも良くなり始めている。
「死ぬ前に…タノシイコトしたかったな。」
 彼は殺す相手と会話をするのが好きだった。相手がどんな人生を送ってきて、何に怯え、何を喜ぶのか。ときには数年、軟禁することもあった。相手を深く知り、最後に殺すことで、その人生を食べているような気分を味わっていた。
 部屋には調度品も揃っている。テーブルの側の椅子に腰掛けて項垂れ、もう動く気にはならなかった。
 ぼうっと昔殺した少女を思い出していた。
(そういえば、あの子はお城が好きだった…)
 その少女のために、城ばかり写った写真集や動画を探した。沢山見せてやると、彼女は嬉しそうに笑った。
「ああ、あの城かぁ…」
 この城は彼の記憶で出来ていた。
「じゃあ、お前も、どっかで会った誰かか?」
 その言葉に応じるように、また『ソレ』は現れた。
「あれは動かないのか?」
 何を聞かれたのか分からず、彼は小さく首をかしげた。
「あれだ。」
 指さした先に窓がある。座っている彼には外の景色があまり見えなかったが、その方角は船がある場所だと思い出した。
「お前と同じ形をしているのに少しも動かない。あれはどうすれば動くんだ?」
 死んだ人間のことを言っているのだとやっと分かり、彼は笑った。
「アレは死んでるから動かないよ。凍らせて飾ったらどうだ?」
「あまり面白くない。お前は動くから面白い。」
「俺ももうすぐ動かなくなるよ。残念だな。」
「どうすれば動けるんだ?」
 一応助ける気があるらしいと知って、言ってみる。
「暖かくして、食べ物をくれれば動ける。」
 無理だろう、と彼は口角を上げた。この星は全体が氷で覆われていて、およそ人間の住む環境ではない。植物も動物も観測されていない。たまたま大気の構成と気圧が母星と似ているため、開拓地と称して手に負えない犯罪者を送り込んだのだ。死刑が廃止された母星の政府が取った苦肉の策だった。
「食べ物、は分からないが、暖かくすればいいんだな?」
 ふっと椅子が消え、彼は床に叩きつけられると思った。が、衝撃はなく、落下はそれ以上に続いた。
「うわあああ!」
 城だった氷が一気に溶け、その水と共に下へ下へと落ちていく。
 目の前に少女姿のソレが一緒に落ちていた。
「こんな!高さから落ちたら!死ぬ!」
 慌ててそう教えると、途中からスピードが緩やかになり、最後には宙に浮くようにして下降した。
 そこには土があった。
「暖かい…」
「上までは暖められない。あとは食べ物か。」
 困った風を見せ、その少女は考え込んでいる。
「船の中に食料が沢山ある。ただ、俺は入れないんだ。」
「なんだ。だったら持ってくる。記憶をよこせ。」
 彼が了承の返事をする前に、彼女は彼の頭を掴んだ。
 記憶を読み取っているのだとわかり、彼は皮肉めいた笑みを浮かべる。
「もしかしたら、俺はお前を殺すかもしれないよ。」
 すると少女も笑った。
「出来るものか。私はこの星そのものだ。」
 思いも寄らぬ返答に一瞬呆け、ああそうか、と先程の落下速度の低下や一瞬で作られた城を思い出して納得をする。神だ、と。
「なんと呼べばいい?」
「コフィン。お前たちが名付けたのだろう? それでいい。」
 それは天文学者か誰かが付けた、この星の名だった。

 船は機能しなくなった。彼女が色々と無茶をやらかしたらしいが、彼はケタケタと笑っただけで見に行くことは無かった。
 陽の届かない地底に食料以外にも船にあったものをあれこれ運び込んで、なんとか暮らしていける展望は立った。
「なあ、楽園を作らないか?」
 彼が言うと少女は「好きにしろ」と返す。
 棺と名の付いた星を楽園にする。愉快な思いつきだとコフィンは笑った。


「お前は人の人生の話が好きなんだったな。いくらでも話してやろう。楽しい話だけでも一億年分はある。」
「そりゃいい。退屈しなさそうだ。」


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