cover




 目を覚まして、独特な空気の冷たさにもしやと思う。外を見てみると、予想通り一面の雪景色だ。
 裏通りに面したこの家の前を通った者はまだいないらしい。足跡は付いていなかった。
 折角の景色を踏み荒らすこともあるまい。先日大きな仕事を終えたばかりで、しばらく依頼を受ける気もなかった。お金もあるし食料の備蓄もある。今日は一日のんびりと本を読もう。そう思った矢先。
「ダグ!起きてる!?」
 慌ただしくドアが開かれると同時に彼、同居人のヒューが駆け込んできた。
「どうかしたか?」
 おそらく雪が嬉しいのだろうと呆れ気味に尋ねると、彼は子供のようなワクワクとした顔で言う。
「雪が積もってるよ?今日は一緒に出掛けようよ!」
 ダグがあからさまに嫌な顔をしてしまったのは、出鼻を挫かれたからだ。けして二人で出掛けるのが嫌なわけではない。しかし、ヒューはそう受け取ってしまったようだった。
「いいじゃないか、たまには…。しばらくお休みなんでしょ?」
 バツが悪そうに、しかし引き下がるのも癪だと少しトーンを落としつつ彼はそう言った。
 ダグはカシカシと頭を掻く。
「あー…こんな日にわざわざ?」
「こんな日だからだよ!雪の中を歩くのもいいじゃない?それに、きっと伝聞屋に人だかりが出来るよ。見に行こうよ。」
 伝聞屋は遠くの街で起きた出来事を語って聞かせる商売だ。ヒューはそれが好きだった。彼ら特有の語り口、醸し出す空気、人の興味を掻き立てる話術。話の内容もさることながら、そういった場の空気を楽しむのがヒューにとっての道楽なのだ。
 ダグは少し考えてから「新聞でも買いに行くか」と出掛ける理由を作った。


 大通りに出るその角に、ダグの馴染みの新聞屋がある。通り掛かると丁度、店主が得意先に届けるであろう新聞を抱えて出てきたところだった。
「よう、ダグ。今、刷り上がったとこだ。持ってくかい?」
 開かれたドアからインクの匂いが溢れている。ダグは少し口元を弛めた。
「いや、今から少し歩くんだ。シワになっても困る。帰りに寄るよ。」
 そうかい?と店主は抱えている物を荷橇に下ろして丁寧にホロを被せる。
「買い物かい?二人で連れ立って。」
 その質問には即座にヒューが答えた。
「伝聞屋を見に行くんだよ!今日は面白い話が聞けそうな予感なんだ!」
 ダグは内心ギョッとした。何せ、新聞屋と伝聞屋は折り合いが悪い。
 ヒューも知らない筈はないのだが、今は伝聞が楽しみすぎて失念しているのだろう。
「…伝聞屋だあ?」
 気さくだった店主が急に不機嫌な顔を向けた。
 ヒューは、しまった、という表情で言葉を探す。
「いや、あの…よその国の話とか、面白いし…」
「あんな口ばっかのヤローの話を真に受けるのか!?この前なんかガセネタで金取ってたじゃねーか!うちの新聞を見てみろ!きちんとウラ取った記事ばかりだぞ!」
「そ、それは分かってます。新聞には新聞の良さが、伝聞には伝聞の…」
「伝聞に良いとこなんかあるもんか!」
 店主のあまりの勢いに気圧されているヒューを見かねて、ダグが止めに入った。
「バリー新聞店の記事は信頼している。伝聞はショーのようなものだ。同列に比べることもないだろう?」
 比較対象には相応しくないと言われれば、新聞屋の面目としては申し分ない。店主は多少の不満を残しながらも怒りを引っ込めた。
「いや、まあ、お前さんがそう言うなら…。いつも買ってくれるしな。」
「楽しみにしてるんだ。あとで必ず寄るから、取っておいてくれ。」
「ああ、取っておくよ。」


「ごめん、ダグ…」
「かまわんさ。あの店主も短気なのが珠にキズだ。」
 店主が腹を立てたのにはワケがあった。数日前、新聞屋が目玉記事として一面に載せた話を、その朝伝聞屋が先行して語ってしまったのだ。そういうイザコザが時折起こる関係、ということだ。


 広場では、もう伝聞が始まっていた。今は何か厳かな雰囲気。
「では皆で黙祷を捧げよう。」
 一番うしろにいた人に小声で尋ねる。
「何があったんです?」
「前領主様が身罷られたそうよ?」
 黙祷のあと、伝聞屋のすぐそばの聴衆から声が上がった。
「若さまは大丈夫かね?」
「ああ、お健やかにお過ごしだよ。でもやはり気落ちなさってるそうだ。」
「お気の毒に…」
「ああ。だが、その『若さま』ってのはいい加減やめてやってくれないかね? もうあの方が領主を継いで5年になる。春にはお子もお生まれになるという話だ。」
 ふわっと聴衆の間に明るい空気が広がる。
「さあ、皆の衆、暗い話はこれで終わり!先代の領主様はお優しくて明るい方だった。皆の暗い顔を見て悲しんでおられる筈だ。楽しい話をしようじゃないか!」
 伝聞屋は異国の珍獣や、発明家の失敗談、勇者が退治した猛獣の話などを面白おかしく語って聞かせた。
 そろそろ終わりかというところでまた声が上がる。
「他にないのかい。例えば…今日の新聞に載ってそうな話、とか」
「勘弁して下さいよ。この前しこたま殴られたんスから。」
 ワハハ、と笑い声が起こり、それが締め括りのひと笑いになった。

 皆が思い思いの金を置いて帰り始め人がまばらになると、ヒューとダグも楽しんだ分に見合う額を払ってその場をあとにする。
 その時、ひとりの人が伝聞屋に声を掛けたのが聞こえた。
「さっきの資産家の話、もうちょっと聞かせてくれないか。」
「いや、あれは速報も速報で、あれ以上は…」
「うちの旦那様もそれなりな資産家だ。同じように命が狙われるなんてことは…」
「金品に手を付けてないからね。怨恨じゃないのかね?」


 二人が来る前にそんな事件の話をしていたらしい。ヒューは少し気になって足を止めたが、ダグは「行くぞ」と歩き続けた。
「資産家が殺されたらしいよ?」
「ふうん?」
 興味なさげなダグに駆け寄って、ヒューは横に並んだ。
「物騒だね。」
「俺たちには関係ないだろ。資産なんてない。」
「怨恨だって。誰にでも起こり得る話じゃない?」
 ねえ、とヒューはダグを覗き込む。
「もし、ボクが誰かに狙われたらどうする?」
「狙われないだろ。…そもそも命を狙われるようなこと、お前はしない」
「逆恨みってコトだってあるでしょ?あとは…うーん…」
 しばらく悩んで、そうだ、と閃いた。
「ダグに惚れた誰かが、ボクが邪魔で殺しにくる、とか。」
 ヒューのくだらない想像に溜め息を吐きながら、ダグは足元の雪を見た。
 もう随分踏み荒らされている。真っ白だった筈の雪が、土の色や何かの黒い汚れで見る影もない。

 家の前の綺麗な景色も、もう失われてしまっただろうか。
 足跡を付けたくない。そう思ったのは雪とヒューを重ねたからだった。
 汚れる一方だった自分に降り積もる雪。すべてを覆い隠してくれる彼が穢されるところなど、見たくない。

「そいつが雪を踏み荒らす前に、俺が殺す。」
 ぼそ、と呟いたのは殆ど無意識だった。
「え?何それ、カッコイー。何かのセリフ?」
「ん?あ…ああ、そうだな。何だったかな。」
「ボクも読みたい。何て本?」
「昔読んだきりだ。忘れてしまったし、多分持ってない。」
「えー、残念。あ、そうだ!」
 今度は何を思い付いたのかとダグは立ち止まった。するとヒューがその腕を引っ張る。
「違う道で帰ろう?そうすれば家の前の雪、あんまり汚れないよね。」
 もう誰かが歩いたかもしれない。そうは思ったが、名案を思いついたつもりでいるヒューにそれを言う気にはならなかった。
「そうだな。」


 その後、ダグは新聞を買い忘れたことに気付いてもう一度出掛ける羽目になった。




1/1ページ
    スキ