月光石
ゼルフィナ(Ⅱ)
3.
交代で眠り、朝早くに森の出口に向かった。
その街に入ろうとしたその時、唐突にそれは起こった。
ヒュンッと風の音がしたと思うと、馬が次々に倒れていく。
「うわっ!」
伝令役の一人が投げ出されて転がった。
見れば足から血を流している。
ルウは飛びつくように駆け寄った。
「避けてっ!!」
また風の音がして、怪我をした兵士に勢いよく何かが迫る。
寸でのところでルウが彼の体を突き飛ばし、自らも身を翻した。
体勢を立て直して振り向いても、「何か」を視界に入れることが出来ない。
「動ける?」
「あ…足が…。」
傷口はきれいにぱっくり開いていた。
すぐにルウ達のところに他のメンバーが駆け寄った。
ダグラスとレンが剣を抜いて身構える。
シュタッ。
全員がぎくりとして音のした方を向いた。
現れたのは身長が2メートルはあるかという大柄の男だった。
圧倒するような威圧感を放ち、それでいて繊細なイメージを醸し出している。
それは不思議な光景に見えた。
男は長い赤髪を振り乱すでもなく、淡々としている。
ゆったりと動き、倒れている馬に近付いた。
そして馬にとどめを刺す。
「ひっ!!」
兵士の一人が声を上げ、声を出してしまったことで男がこちらを振り返るのではないかと恐れ慄き、自分の口を両手で押さえた。
しかし男はそんな声など聞こえていないかのように、倒れている馬を次々殺している。
動けない馬など放っておけば死んでいくだけだ。
とどめを刺す必要はない。
それでも男はそれをどうしてもやっておかなくてはいけない事のように続けていく。
皆、動けなかった。
男の意図が分からない。
何をしたいのか。
この一行の足止めか?
それなら、馬を相手にするよりこちらに切りかかって来た方が効率的だ。
馬を切っている間に逃げられる可能性だってあるのだから。
ハッとルウは我に帰った。
「伝令!行け!敵は一人。北国入口にて対峙中。」
怪我をしていない方の伝令役、先ほど声を上げた兵士が戸惑いつつ足を後ろに一歩出した。
「…し…しかし…。」
「少ない情報でもないよりましだ!行け!」
「は、はい!」
タッと彼は走り出す。
それは丁度、男が馬を殺し終えた時だった。
男がこちらを振り向き、口元を歪めて笑ったかと思うと飛び上がった。
その動きに揺り起こされるようにダグラスとレンも動いた。
「ルウも行け!」
レンが叫びながら、男の前に立ちはだかった。
男がブンと一太刀振るうだけで周りの木が倒れる。
剣圧は重い。
ダグラスもレンもそれを止めるだけで必死だ。
剣を振るっても相手の剣圧を相殺するのみ。
「行け!」
レンがもう一度叫んだ。
早く逃がさないと全滅するのではないかという不安が沸き起こる。
「ダメ!コイツは走れない。治癒魔法掛ける間食い止めて!」
そんな奴放っておけ、と口から出そうになるのを寸でのところで止めた。
彼は死んでよくてルウは死んではいけない、そんな心理が垣間見える。
レンはチッと舌打ちしてダグラスに声を掛けた。
「全力だ!」
「当たり前!」
二人は同時に男に切りかかった。
淡い光が兵士の足を癒していく。
「す…すみません。」
「気にしないの。それより、アンタはもうちょっと情報引き出してから逃げなさい。」
「引き出す…?」
こっちへ、とルウは兵士を促した。
ダグラス達が戦っている場所から少し離れた所に、地面のくぼみが出来ていた。
そこに座らせる。
「治癒魔法は?出来る?」
「初歩のものなら。」
「OK、傷口は塞がったから、出来るだけ自分で治して。治しながらきちんとアイツを見て、話を聞いて、合図したら走る。いい?」
「は、はい。」
兵士の返事を訊くと同時にルウは飛び出した。
ダグラスとレンの攻撃の合間に突っ込んでいく。
「ルウ!やめろ!」
「気を散らさない!」
自分の事は気にするなとルウは名を呼んだレンに返す。
そうして男の剣筋を縫うように駆けまわる。
「アンタ軍人には見えないねぇ!軍は何処で待ってんのさ!」
跳び上がって言葉を投げかけた。
男はふと動きを止めた。
「グンとは何だ。」
がたいのでかい男ではあるが、その様子は“きょとん”という表現が当てはまるように見える。
動きの止まった男にダグラスが切りかかった。
しかし、男はまるで虫でも追い払うかのように片手で剣を振るっただけだった。
うっと小さく声を上げ、ダグラスが飛ばされる。
その間もルウは男に話しかけ続けた。
「軍を知らないの?へえ?じゃあ何の為にウチの国に来るんだい。」
「何の為?知らないな。私は殺すだけだ。」
「何で殺すの。誰かの命令?」
「命令…?そうだ…殺せと言われた。」
「誰に。」
男の口元が笑みの形を作った。
「名など知らぬ。」
その笑みの意味は皆理解できなかった。
ルウがまた問う。
「何処に居るんだ?会わせなよ。」
「もう死んだ。最初に殺した。」
え?と一様に驚きの表情になる。
それが面白かったのか、男はまた動きを止めた。
「殺した。殺せと言ったから、まず最初に殺してやった。それからその周りの者を。そして、外の者を。そして…お前たちが何人目なのかは知らない。もう殺す者がいなくなったからここに来た。」
殺す者がいなくなったから。
男はそう言った。
まさか、国中の人間を殺したのか?
国軍は全滅したというのか?
この国の軍隊は世界に名だたる屈強な戦士だという。
それが、この一人の男に滅ぼされたというのだろうか。
あり得ない、という考えと、この男ならやりかねない、という考えがダグラスの中で入り交じる。
先ほどから剣を向けてはいるが、全く切り合っているというレベルではない。
男にとってこちらは子供の様なものだ。
動きを止めている男に切りかかることもできず、ダグラスもレンも剣を構えて止まっている。
「伝令!!行け!」
叫んだのはルウだ。
その声に押され、兵士が走り出した。
男はその背中に向かって剣を振るう。
剣圧の届く距離。
「させるか!」
ダグラスが間に割り入って剣圧を止めた。
レンはすきを突いて切りかかる。
「ルウももういい!行け!」
退路を死守するため、二人が男に突っ込んで行った。
しかし、ルウは逃げようとしなかった。
それどころか男の居る方向にまた走って行く。
「ルウ!」
「アイツの言う事を信じるなら、アイツの向こう側は敵がいないだろ?ちょっと調べてくる!」
まっすぐに駆け寄り、ひらりと空に飛び上がった。
一気に男を飛び越える。
「背中は預けたよ!!」
振り向きもせず、ルウは走り去った。
その後を男がゆったりとした歩みで追うのを見て、残された二人は頷き合って飛びかかる。
勝算など無い。
4.
ルウが男を飛び越えて街に入ると、そこは息苦しくなるほどの奇妙な匂いで覆いつくされていた。
何も生気を感じない街。
匂いは死臭だとすぐにわかった。
何処を見ても死体しかない。
建物は大昔に滅びた国の様に崩れ、戦争で焼かれたようにも見える。
「な…に…これ…。」
何人もの遺体が折り重なっているところもある。
ルウは思わず足を止めた。
同時に激しい吐き気に襲われる。
「うっ…。」
一度吸いこんでしまった街の空気は容赦なくルウの体に嫌悪感を与えた。
ふらつきながら瓦礫に手を付き、込み上げるものを我慢できずに彼女は吐き気に身を任せた。
はるか後方ではダグラスとレンが男と戦っているであろう剣の音が聞こえる。
胃の中の物を出してしまうと、一応は落ち着いた。
きっと眉間に力を入れ、前を見る。
「行くよ…。」
自分に言い聞かせるように呟き、ルウは走り出した。
街はもう死体しかなかった。
その死体に群がるモンスターでさえ、殺されていた。
あの男の言った通り、殺し尽くしてあるといった様子だ。
森に一旦は入っておきながら、次の街に足を踏み入れなかったのはその所為だろう。
一人だって、一匹だって命のあるものを残しておきたくなかったらしい。
街に入ってくるモンスターをも殺し尽くしているのだ。
この国は数年前から内乱が起こっていた。
その事はルウ達も聞き及んでいる。
情勢が良くないため、その頃から国交も絶えていたのである。
その間、物流はもとより、情報も殆ど入って来なかった。
その数年で、豊かだったはずのこの国は死に絶えてしまっていたのか。
奥へ奥へと進むと、死体の腐乱は酷くなっていく。
つまり、もっと向こう、次の街はさらに前に狩りつくしてある筈だ。
そして、男の行動を遡って行きついた先に、男の言にあった、命令を下した人物の遺体がある筈。
ルウは街を抜け、森に出た。
そこも、もはや生気は感じられなかった。
瓦礫の中になだれ込む様に二人は倒れ込んだ。
幸いそこには住人の遺体はなかった。
街中を男と戦いながら駆けまわり、その光景に「地獄」という表現がぴったりだとダグラスは思った。
その地獄で戦い続け、空が暗くなる頃、闇にまぎれて二人は姿を隠した。
はあ、はあ、と荒い息遣いが重なる。
「なあ…夜になるのは…二回目の様な気がするんだが…俺の…気の…所為か?」
ダグラスはそう言って腰にある非常食を出した。
「いや…気の所為じゃ…ない…。二回目…だ…。」
レンも懐を探る。
寝転んだまま、ダグラスが小さな実を上げて見せた。
「お前…いくつ食べた?…カフカの実。」
カフカの実というのは兵士の非常食として用いられる、高カロリー食材だ。
一粒食べれば一日戦えるという代物である。
それをダグラスはもう4つ、食べてしまっていた。
それだけの消耗があるということだ。
レンは取りだした一粒をポイッと自分の口に放り込んで答える。
「これで5つ目。」
俺も、とダグラスも口に入れた。
「まだ持ってるか?」
問われてレンは肩を竦めた。
「カラだ。」
「手、出せ。」
訝しげにダグラスを見ると、彼は手のひらサイズのきんちゃく袋を差し出した。
「…まさか…カフカの実か?」
普通、一週間分を準備するにしても7粒持っていればいい。
それをダグラスは巾着一杯持って来ていたらしい。
「呆れた臆病者だ。」
「ティムシーが無理やり持たせたんだ。」
差し出されたレンの手のひらに、バラバラと実を出してやる。
レンはそれを自分のアイテム袋にしまい込んだ。
「ティムシー様様だな。」
軽く笑ってレンがそう言うと、ダグラスも笑みを漏らす。
「おう、帰ったら礼を言えよ。」
「ああ。キスしたいぐらいだ。」
ニッと歯を見せて笑った。
レンのそういう表情は珍しい。
もちろんそれはダグラスとティムシーの関係を知っているからこその揶揄である。
「ばかやろ。それは俺の仕事なの。お前はダメだ。」
「仕方ない。俺は手の甲で我慢しておくか。」
はは、と笑い合い、二人揃って剣を杖にして立ち上がる。
男の気配がすぐ近くに来ていた。
陽が高くなっても、戦局はまるで変わらなかった。
戦い始めてもう三日目に入っている。
依然圧されたままだ。
「化け物か、コイツは。」
ダグラスのぼやきは当然と言える。
男はまるで消耗を知らないように見えた。
「だから、悪魔だというんだろ?」
なるほどね、とレンの言葉に納得する。
生き残りが正確に敵の特徴を言っていたのだと今更理解した。
「あとどのくらい持つかな、俺達は。」
ボソッとレンが言った。
「もう死ぬ気でいるのか?」
この仕事の依頼をされた時に言われたことを、ダグラスはレンに返す。
ムスッとしてレンは「ばかやろ。」とだけ言った。
まったく勝機が見えないこの状況で、それでも戦い続けているのはルウの帰りを待っているからだ。
恐らく彼女はもう一度この街を通る。
もし通らないにしてもほど近いところを行くしかない。
だとすると、彼女が無事、国に帰り着くまでは持ちこたえなければ。
自分たちがやられてしまったら、この脅威は真っ直ぐにルウに向かうだろう。
「ぐはっ!」
何度目か、ダグラスが膝を付いた。
ぽたぽたと滴る血を止めている暇はない。
男の剣がダグラスに向かう寸前、レンが横から突いて出た。
しかしレンも軽くふっ飛ばされる。
ザンッ!!
振り下ろされた剣は寸でのところでかわしたダグラスのすぐ傍に落ちた。
直撃は免れたものの、ダグラスはその剣圧に転がる。
転がりながら足に力を入れ、体勢を立て直すと即向かっていく。
「まだまだあ!」
怪我をした左腕に力が入らず、右腕だけで剣を振るう。
軽く避ける男のところにまたレンが迫った。
「お前が片腕なら、俺の方が戦える!無茶をするな!」
男の動きを食い止めながら、レンが叫んだ。
「問題ない!行くぞ!」
チッと舌打ちしてレンは男に切りかかった。
バシィっと男の剣から稲妻が発せられた。
どれだけやっても死なない獲物に男が業を煮やしたようだった。
二人は弾き飛ばされ、地面に体を打ちつけた。
くっと唸り声をあげて男を見る。
男は笑みを浮かべていた。
「これで終わりだな。」
近くに倒れていたレンに剣を向ける。
その時、遠くから声がした。
「ゼルフィナ!」
ルウの声だ。
彼女は高く跳び上がった。
「アンタ、ゼルフィナってんだろ!?いいもんやるよ!!」
そう言って何かを投げつける。
爆弾か何かの武器だと思い、レンもダグラスも身構えた。
しかし次の瞬間。
投げつけられたものを受け止めるべく飛び上がったゼルフィナは、三人から少し離れたところに着地すると
「それ」を食べ始めた。
レンはポカンとそれを眺めた。
「なん…だ?」
「あれ?ソウジュの実。ガイロウの好物だよ。」
ルウは答えてから怪我の酷いダグラスに治癒魔法を掛ける。
ふう、と息を付いてダグラスは身を起こした。
「ガイロウ?ってモンスターのか?」
「そ。アイツ、ガイロウと人の合いの子なんだってさ。」
言ってルウは資料を出して見せた。
ルウは首都まで行っていた。
そこの研究施設には白骨死体がゴロゴロと転がっていた。
街の中も似たようなものだったが、当たりを付けて入ってみると資料の中にゼルフィナと書かれたものがあり、その被験体の特徴が類似していることと、唯一の成功体だという記述で男のことだろうと判断した。
「で、何でアイツあんなに大人しくなってるんだ?」
レンは立ち上がって二人に歩み寄りつつゼルフィナを見遣る。
「猫にマタタビあげると大人しくなるでしょ?それと一緒。猫にマタタビ、ガイロウにはソウジュの実ってね。」
ガイロウとは大型の肉食モンスターで、長寿で強靭なことが特徴である。
その遺伝子が入っているのだから、ソウジュの実が有効だろうと準備してきたのだ。
ゼルフィナは実を食べ終えると立ち上がった。
「女。」
「なによ。私はルウっての。人の名前はちゃんと呼びなさい。」
「お前、まだ持っているか?」
ソウジュの実のことだろう。
「今はないけど、帰れば手に入るから。言うこと聞くならいくらでもあげるよ。」
「わかった。お前は殺さない。」
そう言ってまた剣を手に取ろうとする。
「ストップ!この二人も殺しちゃダメ!」
なぜだ、と言わんばかりに訝しげな顔を向けた。
「ゼル!アンタなんで殺そうとすんの!?」
「…私は殺す為に作られた。」
「それはあの馬鹿科学者が言ったことでしょ!?そんなの真に受けなくていいの!!」
「…では何をすればいい…?」
本当に分からないと言った風にゼルフィナは動きを止めた。
「ソルジャーになんなさい。」
「…わかった。それをやればくれるのか?さっきの食べ物…。」
「うん、あげるから。いい子にするんだよ!」
大男が小柄な若い女に向かってコクンと頷く様子は滑稽に見える。
ダグラスもレンも一度立ち上がっていたが、崩れるように腰を下ろした。
「…あー、…俺たちの苦労はなんだったんだ…。」
「こんな簡単に手懐けるとは…。」
「ダグラス!」
一行が皆が待つ月光石の街に帰ると、真っ先にティムシーが駆け寄って来た。
あまりの勢いに、抱きついてくるのではないかとダグラスは身構えたが、公衆の面前だという事を思い出したようにティムシーはピタッと立ち止まった。
「無事でよかった…。」
はにかんだように言った彼女に、ダグラスも少し照れくさそうに小さく頷く。
その横からレンがツンと付くようにしてダグラスを押しのけ、ティムシーの前に立った。
「ティムシー、カフカの実、助かった。感謝する。」
レンは恭しく跪き、彼女の手を取ると軽くキスをした。
周りの者は皆あんぐりと口を開けている。
ティムシーも驚いて飛びのくように一歩下がったほどだ。
「なななな何!?」
「命拾いをした礼だ。」
そう言って立ち上がると、ニッと含み笑いをダグラスに向ける。
そして小声で言った。
『お前も宣言通りにやれよ。』
レンが冗談で「キスをしたいぐらいだ」と言った時、ダグラスは「それは俺の仕事だ」と返していた。
その事だと思いだしてダグラスは赤面した。
「俺はやったからな。」
「お…お前…。」
困るダグラスを余所に、レンはティムシーに笑顔を向けた。
「後でダグラスからも礼があるそうだ。」
仲はいいくせに何の進展もしない二人にちょっとした助け船だ、とレンは一人納得してその場を後にした。
ゼルフィナの処遇はルウに任せるということになった。
本能で動く彼を止められるのは手懐けたルウだけだ。
実際連行するという形をとる為に手枷を付けたところ、彼はいとも簡単に引き千切ってしまった。
それも、動きにくい、という理由でだ。
建物さえ破壊する力を封じ込める手段はない。
殺そうとすれば身を守るために戦うだろうし、そうなったら彼の強さは止められない。
なら、ルウが飼いならしてソルジャーとしておいておくのが一番有用だろうという判断だった。
fin.
3.
交代で眠り、朝早くに森の出口に向かった。
その街に入ろうとしたその時、唐突にそれは起こった。
ヒュンッと風の音がしたと思うと、馬が次々に倒れていく。
「うわっ!」
伝令役の一人が投げ出されて転がった。
見れば足から血を流している。
ルウは飛びつくように駆け寄った。
「避けてっ!!」
また風の音がして、怪我をした兵士に勢いよく何かが迫る。
寸でのところでルウが彼の体を突き飛ばし、自らも身を翻した。
体勢を立て直して振り向いても、「何か」を視界に入れることが出来ない。
「動ける?」
「あ…足が…。」
傷口はきれいにぱっくり開いていた。
すぐにルウ達のところに他のメンバーが駆け寄った。
ダグラスとレンが剣を抜いて身構える。
シュタッ。
全員がぎくりとして音のした方を向いた。
現れたのは身長が2メートルはあるかという大柄の男だった。
圧倒するような威圧感を放ち、それでいて繊細なイメージを醸し出している。
それは不思議な光景に見えた。
男は長い赤髪を振り乱すでもなく、淡々としている。
ゆったりと動き、倒れている馬に近付いた。
そして馬にとどめを刺す。
「ひっ!!」
兵士の一人が声を上げ、声を出してしまったことで男がこちらを振り返るのではないかと恐れ慄き、自分の口を両手で押さえた。
しかし男はそんな声など聞こえていないかのように、倒れている馬を次々殺している。
動けない馬など放っておけば死んでいくだけだ。
とどめを刺す必要はない。
それでも男はそれをどうしてもやっておかなくてはいけない事のように続けていく。
皆、動けなかった。
男の意図が分からない。
何をしたいのか。
この一行の足止めか?
それなら、馬を相手にするよりこちらに切りかかって来た方が効率的だ。
馬を切っている間に逃げられる可能性だってあるのだから。
ハッとルウは我に帰った。
「伝令!行け!敵は一人。北国入口にて対峙中。」
怪我をしていない方の伝令役、先ほど声を上げた兵士が戸惑いつつ足を後ろに一歩出した。
「…し…しかし…。」
「少ない情報でもないよりましだ!行け!」
「は、はい!」
タッと彼は走り出す。
それは丁度、男が馬を殺し終えた時だった。
男がこちらを振り向き、口元を歪めて笑ったかと思うと飛び上がった。
その動きに揺り起こされるようにダグラスとレンも動いた。
「ルウも行け!」
レンが叫びながら、男の前に立ちはだかった。
男がブンと一太刀振るうだけで周りの木が倒れる。
剣圧は重い。
ダグラスもレンもそれを止めるだけで必死だ。
剣を振るっても相手の剣圧を相殺するのみ。
「行け!」
レンがもう一度叫んだ。
早く逃がさないと全滅するのではないかという不安が沸き起こる。
「ダメ!コイツは走れない。治癒魔法掛ける間食い止めて!」
そんな奴放っておけ、と口から出そうになるのを寸でのところで止めた。
彼は死んでよくてルウは死んではいけない、そんな心理が垣間見える。
レンはチッと舌打ちしてダグラスに声を掛けた。
「全力だ!」
「当たり前!」
二人は同時に男に切りかかった。
淡い光が兵士の足を癒していく。
「す…すみません。」
「気にしないの。それより、アンタはもうちょっと情報引き出してから逃げなさい。」
「引き出す…?」
こっちへ、とルウは兵士を促した。
ダグラス達が戦っている場所から少し離れた所に、地面のくぼみが出来ていた。
そこに座らせる。
「治癒魔法は?出来る?」
「初歩のものなら。」
「OK、傷口は塞がったから、出来るだけ自分で治して。治しながらきちんとアイツを見て、話を聞いて、合図したら走る。いい?」
「は、はい。」
兵士の返事を訊くと同時にルウは飛び出した。
ダグラスとレンの攻撃の合間に突っ込んでいく。
「ルウ!やめろ!」
「気を散らさない!」
自分の事は気にするなとルウは名を呼んだレンに返す。
そうして男の剣筋を縫うように駆けまわる。
「アンタ軍人には見えないねぇ!軍は何処で待ってんのさ!」
跳び上がって言葉を投げかけた。
男はふと動きを止めた。
「グンとは何だ。」
がたいのでかい男ではあるが、その様子は“きょとん”という表現が当てはまるように見える。
動きの止まった男にダグラスが切りかかった。
しかし、男はまるで虫でも追い払うかのように片手で剣を振るっただけだった。
うっと小さく声を上げ、ダグラスが飛ばされる。
その間もルウは男に話しかけ続けた。
「軍を知らないの?へえ?じゃあ何の為にウチの国に来るんだい。」
「何の為?知らないな。私は殺すだけだ。」
「何で殺すの。誰かの命令?」
「命令…?そうだ…殺せと言われた。」
「誰に。」
男の口元が笑みの形を作った。
「名など知らぬ。」
その笑みの意味は皆理解できなかった。
ルウがまた問う。
「何処に居るんだ?会わせなよ。」
「もう死んだ。最初に殺した。」
え?と一様に驚きの表情になる。
それが面白かったのか、男はまた動きを止めた。
「殺した。殺せと言ったから、まず最初に殺してやった。それからその周りの者を。そして、外の者を。そして…お前たちが何人目なのかは知らない。もう殺す者がいなくなったからここに来た。」
殺す者がいなくなったから。
男はそう言った。
まさか、国中の人間を殺したのか?
国軍は全滅したというのか?
この国の軍隊は世界に名だたる屈強な戦士だという。
それが、この一人の男に滅ぼされたというのだろうか。
あり得ない、という考えと、この男ならやりかねない、という考えがダグラスの中で入り交じる。
先ほどから剣を向けてはいるが、全く切り合っているというレベルではない。
男にとってこちらは子供の様なものだ。
動きを止めている男に切りかかることもできず、ダグラスもレンも剣を構えて止まっている。
「伝令!!行け!」
叫んだのはルウだ。
その声に押され、兵士が走り出した。
男はその背中に向かって剣を振るう。
剣圧の届く距離。
「させるか!」
ダグラスが間に割り入って剣圧を止めた。
レンはすきを突いて切りかかる。
「ルウももういい!行け!」
退路を死守するため、二人が男に突っ込んで行った。
しかし、ルウは逃げようとしなかった。
それどころか男の居る方向にまた走って行く。
「ルウ!」
「アイツの言う事を信じるなら、アイツの向こう側は敵がいないだろ?ちょっと調べてくる!」
まっすぐに駆け寄り、ひらりと空に飛び上がった。
一気に男を飛び越える。
「背中は預けたよ!!」
振り向きもせず、ルウは走り去った。
その後を男がゆったりとした歩みで追うのを見て、残された二人は頷き合って飛びかかる。
勝算など無い。
4.
ルウが男を飛び越えて街に入ると、そこは息苦しくなるほどの奇妙な匂いで覆いつくされていた。
何も生気を感じない街。
匂いは死臭だとすぐにわかった。
何処を見ても死体しかない。
建物は大昔に滅びた国の様に崩れ、戦争で焼かれたようにも見える。
「な…に…これ…。」
何人もの遺体が折り重なっているところもある。
ルウは思わず足を止めた。
同時に激しい吐き気に襲われる。
「うっ…。」
一度吸いこんでしまった街の空気は容赦なくルウの体に嫌悪感を与えた。
ふらつきながら瓦礫に手を付き、込み上げるものを我慢できずに彼女は吐き気に身を任せた。
はるか後方ではダグラスとレンが男と戦っているであろう剣の音が聞こえる。
胃の中の物を出してしまうと、一応は落ち着いた。
きっと眉間に力を入れ、前を見る。
「行くよ…。」
自分に言い聞かせるように呟き、ルウは走り出した。
街はもう死体しかなかった。
その死体に群がるモンスターでさえ、殺されていた。
あの男の言った通り、殺し尽くしてあるといった様子だ。
森に一旦は入っておきながら、次の街に足を踏み入れなかったのはその所為だろう。
一人だって、一匹だって命のあるものを残しておきたくなかったらしい。
街に入ってくるモンスターをも殺し尽くしているのだ。
この国は数年前から内乱が起こっていた。
その事はルウ達も聞き及んでいる。
情勢が良くないため、その頃から国交も絶えていたのである。
その間、物流はもとより、情報も殆ど入って来なかった。
その数年で、豊かだったはずのこの国は死に絶えてしまっていたのか。
奥へ奥へと進むと、死体の腐乱は酷くなっていく。
つまり、もっと向こう、次の街はさらに前に狩りつくしてある筈だ。
そして、男の行動を遡って行きついた先に、男の言にあった、命令を下した人物の遺体がある筈。
ルウは街を抜け、森に出た。
そこも、もはや生気は感じられなかった。
瓦礫の中になだれ込む様に二人は倒れ込んだ。
幸いそこには住人の遺体はなかった。
街中を男と戦いながら駆けまわり、その光景に「地獄」という表現がぴったりだとダグラスは思った。
その地獄で戦い続け、空が暗くなる頃、闇にまぎれて二人は姿を隠した。
はあ、はあ、と荒い息遣いが重なる。
「なあ…夜になるのは…二回目の様な気がするんだが…俺の…気の…所為か?」
ダグラスはそう言って腰にある非常食を出した。
「いや…気の所為じゃ…ない…。二回目…だ…。」
レンも懐を探る。
寝転んだまま、ダグラスが小さな実を上げて見せた。
「お前…いくつ食べた?…カフカの実。」
カフカの実というのは兵士の非常食として用いられる、高カロリー食材だ。
一粒食べれば一日戦えるという代物である。
それをダグラスはもう4つ、食べてしまっていた。
それだけの消耗があるということだ。
レンは取りだした一粒をポイッと自分の口に放り込んで答える。
「これで5つ目。」
俺も、とダグラスも口に入れた。
「まだ持ってるか?」
問われてレンは肩を竦めた。
「カラだ。」
「手、出せ。」
訝しげにダグラスを見ると、彼は手のひらサイズのきんちゃく袋を差し出した。
「…まさか…カフカの実か?」
普通、一週間分を準備するにしても7粒持っていればいい。
それをダグラスは巾着一杯持って来ていたらしい。
「呆れた臆病者だ。」
「ティムシーが無理やり持たせたんだ。」
差し出されたレンの手のひらに、バラバラと実を出してやる。
レンはそれを自分のアイテム袋にしまい込んだ。
「ティムシー様様だな。」
軽く笑ってレンがそう言うと、ダグラスも笑みを漏らす。
「おう、帰ったら礼を言えよ。」
「ああ。キスしたいぐらいだ。」
ニッと歯を見せて笑った。
レンのそういう表情は珍しい。
もちろんそれはダグラスとティムシーの関係を知っているからこその揶揄である。
「ばかやろ。それは俺の仕事なの。お前はダメだ。」
「仕方ない。俺は手の甲で我慢しておくか。」
はは、と笑い合い、二人揃って剣を杖にして立ち上がる。
男の気配がすぐ近くに来ていた。
陽が高くなっても、戦局はまるで変わらなかった。
戦い始めてもう三日目に入っている。
依然圧されたままだ。
「化け物か、コイツは。」
ダグラスのぼやきは当然と言える。
男はまるで消耗を知らないように見えた。
「だから、悪魔だというんだろ?」
なるほどね、とレンの言葉に納得する。
生き残りが正確に敵の特徴を言っていたのだと今更理解した。
「あとどのくらい持つかな、俺達は。」
ボソッとレンが言った。
「もう死ぬ気でいるのか?」
この仕事の依頼をされた時に言われたことを、ダグラスはレンに返す。
ムスッとしてレンは「ばかやろ。」とだけ言った。
まったく勝機が見えないこの状況で、それでも戦い続けているのはルウの帰りを待っているからだ。
恐らく彼女はもう一度この街を通る。
もし通らないにしてもほど近いところを行くしかない。
だとすると、彼女が無事、国に帰り着くまでは持ちこたえなければ。
自分たちがやられてしまったら、この脅威は真っ直ぐにルウに向かうだろう。
「ぐはっ!」
何度目か、ダグラスが膝を付いた。
ぽたぽたと滴る血を止めている暇はない。
男の剣がダグラスに向かう寸前、レンが横から突いて出た。
しかしレンも軽くふっ飛ばされる。
ザンッ!!
振り下ろされた剣は寸でのところでかわしたダグラスのすぐ傍に落ちた。
直撃は免れたものの、ダグラスはその剣圧に転がる。
転がりながら足に力を入れ、体勢を立て直すと即向かっていく。
「まだまだあ!」
怪我をした左腕に力が入らず、右腕だけで剣を振るう。
軽く避ける男のところにまたレンが迫った。
「お前が片腕なら、俺の方が戦える!無茶をするな!」
男の動きを食い止めながら、レンが叫んだ。
「問題ない!行くぞ!」
チッと舌打ちしてレンは男に切りかかった。
バシィっと男の剣から稲妻が発せられた。
どれだけやっても死なない獲物に男が業を煮やしたようだった。
二人は弾き飛ばされ、地面に体を打ちつけた。
くっと唸り声をあげて男を見る。
男は笑みを浮かべていた。
「これで終わりだな。」
近くに倒れていたレンに剣を向ける。
その時、遠くから声がした。
「ゼルフィナ!」
ルウの声だ。
彼女は高く跳び上がった。
「アンタ、ゼルフィナってんだろ!?いいもんやるよ!!」
そう言って何かを投げつける。
爆弾か何かの武器だと思い、レンもダグラスも身構えた。
しかし次の瞬間。
投げつけられたものを受け止めるべく飛び上がったゼルフィナは、三人から少し離れたところに着地すると
「それ」を食べ始めた。
レンはポカンとそれを眺めた。
「なん…だ?」
「あれ?ソウジュの実。ガイロウの好物だよ。」
ルウは答えてから怪我の酷いダグラスに治癒魔法を掛ける。
ふう、と息を付いてダグラスは身を起こした。
「ガイロウ?ってモンスターのか?」
「そ。アイツ、ガイロウと人の合いの子なんだってさ。」
言ってルウは資料を出して見せた。
ルウは首都まで行っていた。
そこの研究施設には白骨死体がゴロゴロと転がっていた。
街の中も似たようなものだったが、当たりを付けて入ってみると資料の中にゼルフィナと書かれたものがあり、その被験体の特徴が類似していることと、唯一の成功体だという記述で男のことだろうと判断した。
「で、何でアイツあんなに大人しくなってるんだ?」
レンは立ち上がって二人に歩み寄りつつゼルフィナを見遣る。
「猫にマタタビあげると大人しくなるでしょ?それと一緒。猫にマタタビ、ガイロウにはソウジュの実ってね。」
ガイロウとは大型の肉食モンスターで、長寿で強靭なことが特徴である。
その遺伝子が入っているのだから、ソウジュの実が有効だろうと準備してきたのだ。
ゼルフィナは実を食べ終えると立ち上がった。
「女。」
「なによ。私はルウっての。人の名前はちゃんと呼びなさい。」
「お前、まだ持っているか?」
ソウジュの実のことだろう。
「今はないけど、帰れば手に入るから。言うこと聞くならいくらでもあげるよ。」
「わかった。お前は殺さない。」
そう言ってまた剣を手に取ろうとする。
「ストップ!この二人も殺しちゃダメ!」
なぜだ、と言わんばかりに訝しげな顔を向けた。
「ゼル!アンタなんで殺そうとすんの!?」
「…私は殺す為に作られた。」
「それはあの馬鹿科学者が言ったことでしょ!?そんなの真に受けなくていいの!!」
「…では何をすればいい…?」
本当に分からないと言った風にゼルフィナは動きを止めた。
「ソルジャーになんなさい。」
「…わかった。それをやればくれるのか?さっきの食べ物…。」
「うん、あげるから。いい子にするんだよ!」
大男が小柄な若い女に向かってコクンと頷く様子は滑稽に見える。
ダグラスもレンも一度立ち上がっていたが、崩れるように腰を下ろした。
「…あー、…俺たちの苦労はなんだったんだ…。」
「こんな簡単に手懐けるとは…。」
「ダグラス!」
一行が皆が待つ月光石の街に帰ると、真っ先にティムシーが駆け寄って来た。
あまりの勢いに、抱きついてくるのではないかとダグラスは身構えたが、公衆の面前だという事を思い出したようにティムシーはピタッと立ち止まった。
「無事でよかった…。」
はにかんだように言った彼女に、ダグラスも少し照れくさそうに小さく頷く。
その横からレンがツンと付くようにしてダグラスを押しのけ、ティムシーの前に立った。
「ティムシー、カフカの実、助かった。感謝する。」
レンは恭しく跪き、彼女の手を取ると軽くキスをした。
周りの者は皆あんぐりと口を開けている。
ティムシーも驚いて飛びのくように一歩下がったほどだ。
「なななな何!?」
「命拾いをした礼だ。」
そう言って立ち上がると、ニッと含み笑いをダグラスに向ける。
そして小声で言った。
『お前も宣言通りにやれよ。』
レンが冗談で「キスをしたいぐらいだ」と言った時、ダグラスは「それは俺の仕事だ」と返していた。
その事だと思いだしてダグラスは赤面した。
「俺はやったからな。」
「お…お前…。」
困るダグラスを余所に、レンはティムシーに笑顔を向けた。
「後でダグラスからも礼があるそうだ。」
仲はいいくせに何の進展もしない二人にちょっとした助け船だ、とレンは一人納得してその場を後にした。
ゼルフィナの処遇はルウに任せるということになった。
本能で動く彼を止められるのは手懐けたルウだけだ。
実際連行するという形をとる為に手枷を付けたところ、彼はいとも簡単に引き千切ってしまった。
それも、動きにくい、という理由でだ。
建物さえ破壊する力を封じ込める手段はない。
殺そうとすれば身を守るために戦うだろうし、そうなったら彼の強さは止められない。
なら、ルウが飼いならしてソルジャーとしておいておくのが一番有用だろうという判断だった。
fin.
7/7ページ