月光石

ゼルフィナ(Ⅰ)


1.
 北の国の様子がおかしい。
 その知らせが届いたのはもう半年も前のことだった。
 ザハールはすぐに調査隊を派遣したのだが、そのメンバーはすぐに音信不通になってしまった。
 つまりは行方不明だ。
 その後、数回にわたり手練の兵士を送り込んだが同じだった。
 そして最後に送った調査隊の一人が、瀕死の状態で国境を越えて戻って来た。

「何が起こっているんです?」
 ダグラスが報告書に軽く目を通してから訊ねた。
 さあな、とザハールは肩を竦める。
「とにかく、最初に異変に気づいたのは村人の証言らしい。ただし、まともな思考能力が残ってないような状態だったって話だ。信用に足るかどうかは分からん。」
「そいつから詳しく話を聞けないんですか。」
 レンもダグラスから手渡された報告書に視線を落としつつ訊ねる。
「もう死んだよ。少ないヒントだけをぽつぽつと話してな。」
「それで、調査隊の生き残りは?」
「そいつの証言はそこにある通りだ。『悪魔がいる』『地獄だ』『もう終わりだ』『すぐに奴がやって来る』『逃げろ』…だったかな。最初の村人とほぼ変わらない内容のことしか言ってない。」
「…それで、俺達、ですか?」
「ああ。」
 調査に向かった数十名はそれなりに戦いに長けた者たちだった。
 それが帰って来た一人を除いて恐らくは全滅。
 これ以上無駄に死者を増やすわけにはいかない。
 そして、奴が来る、と言う言葉を訊いた以上、放っておくことも出来ない。
 生き残りの言葉を真に受けるなら、国境の街が地獄と化すということになる。
「…お前たちなら二人で一個小隊の働きが出来る。もちろん一般兵も連れて行って構わないが…。」
「足手まといになるだけだろう。」
 ふん、と不機嫌にレンはそう呟いた。
「まあ、そうだろうな。」
 ザハールは苦笑して見せる。
 もちろんこの二人を失うことなど考えたくはないのだが、他に頼める人間がいない。
 そして、自分を含めこの城の守りを固めているソルジャーを全員そこに向かわせるのは、出来るだけ避けたいと思っている。
 やってくれるか、と問うザハールにいつもなら即答を返すダグラスが、考えに入って黙り込んでしまった。
 訝しげに眉を顰め、レンがダグラスの二の腕を引いて振り向かせた。
「怖気づいてるのか、お前。」
「いや?誰を連れて行こうかってさ、考えてるだけだ。」
「連れてったって足手まといだろうが。」
「人数が多い方が生き残りを出す可能性が高い。状況の報告があれば国として防御を固める方法も検討できる。」
「行く前から死ぬ気か。」
 はっ、と呆れたように息をはいてレンは掴んでいた腕を離した。
「生きて帰れる確証はないだろう?その時の対処法を考えておくのは無駄な事じゃない。」
 正論を返すダグラスは、少しも死ぬ気はなさそうだ。
「行ってくれるんだな?」
 ザハールはもう一度意思の確認をした。
「はい、勿論。…ルウと、足の速い兵士を数名連れて行きたいのですが。」
 その言葉にまたレンがダグラスの腕を引く。
「ルウ!?女だぞ!?」
「分かってるよ。」
「そんな危ないとこに連れてく気か!」
「腕が立って、足が速い奴、他に思いつくか?」
「それは…そうだが…。それにしたって死の危険があるところへ…。」
「状況を見極めたらすぐにルウと兵士を逃がす。俺達が盾になって。」
 それでいいですよね、とダグラスはザハールに向き直った。
「いい判断だ。頼む。」




 ルウを連れて行く事にはレンは出掛ける段になっても納得していなかった。
 確かに伝令役は必要だろう。
 そして一人だけでもまともに帰れるようにと複数の伝令役を連れて行くのも分かる。
 しかしそれではルウが他の兵士をかばって犠牲になりはしないか。

 レンがそんな事を考えながら馬に鞍を付けていると、後ろから背中を思いっきり叩かれた。
「…っ…何だっ!」
 しかめっ面を向けるとそこにはルウがいた。
「よ。レン。今回もよろしくねぇ♪」
 あっけらかんとしているのはいつものことだ。
 その明るさに気圧され、レンは何も言わずに背を向けた。
「ちょっとレン!仕事前の挨拶はきちんとしろって教えただろ!?」
 ルウはビシッとその背中を指差して怒って見せる。
「パートナーとして信頼できないと!背中を預けられないだろっ!?」
 背中にルウの言葉を聞き、レンは馬に付ける荷物を持ったまま手を止めた。
 ねえ、とルウは穏やかに声を掛ける。
「アンタ達が、私達の盾になってくれるんだろ? だったら、信頼させてよね。」
 沈黙が流れる。
 返事がないのもしょうがないか、とルウは小さく肩を竦めて自分の馬の準備のために向きを変えて歩き出した。
「必ず喰い止める。死ぬ気で逃げろ。」
 ルウが振り返ると、レンもこちらを見ていた。
 いつにも増して引き締まった表情だ。
「よろしく頼む。」
 そう言ってレンは手のひらをルウに向けて差し出した。
「おうっ!全身全霊で逃げまくるよッ!」
 パシンっと二人の手が合わさって気持ちのいい音が響いた。


 ダグラスが詰所から出たところに、ちょうどシグがやって来た。
 よう、とシグは片手を上げる。
「えらい大役を仰せつかったらしいじゃないか。」
 足を止めて正対する相手に合わせ、ダグラスも立ち止まった。
「ああ、まあね。」
「街一番の美人がいなくなるんじゃ寂しいねぇ。」
 片目の厳つい顔をニッと笑みの形にしてシグが言う。
 ダグラスは首を傾げた。
「…ティムシーは連れて行かないぜ?」
「知ってるよ。」
「…ルウの事か?」
 あはは、とシグは声をたてて笑った。
「まあ、あの姉ちゃんも悪かないがな、俺がこの街に来て最初に出会った美人はお前だよ。」
「はあ!?」
 返す言葉を失ってあんぐりとしているダグラスの肩をポンポンと叩いてシグはまた笑う。
「まあ、頑張れよ。俺みたいに顔に傷なんか作ってくんじゃねぇぞ。美人が台無しだ。」
 笑いながら去っていく後ろ姿を見送り、困り顔でダグラスはその場を後にした。

 厩に向かうとティムシーが待っていた。
「私も行きたいな。」
 ボソッとティムシーが呟いた。
「危険だからな。今回は無理だ。」
「ルウは連れてくじゃない。」
「お前よりも格段に強いだろ。」
 だって…とティムシーは暗い顔で俯く。
 危険な所に行くのについて行けないなんて嫌だ、と言いたい。
 でも、危険だからダメだと返されるに決まっている。
 ティムシーが危険だと思っているのは自分の事じゃなく、ダグラスの事だ。
 彼が危険にさらされるのは、現実に胸が痛むほど心配なのだ。
 そんな苦痛に晒されるより、危険でも共に戦った方がいい。
「行きたいんだもの…。」
 ふう、と溜め息をついてダグラスはティムシーに歩み寄った。
「お前がいると全力で戦えない。」
「何よそれ。」
「お前がもし、敵の攻撃に倒れでもしたら、…敵に背を向けて駆け寄っちまうかもしれないだろ?」
 え?とティムシーは顔を上げた。
「お前がもし…ルウより強くて、足も速くて…隊長がお前を連れて行けって言ったら…俺は困ったと思う。」
 心配なんだ、とダグラスは呟いた。
「…ダグ…。」
「お前が危険に晒されてたら、俺は気が気じゃなくて戦えない。だから、ここで待ってろ。」
 胸が一杯で苦しい。
 ティムシーは飛びつくようにダグラスに抱きついた。
「お…おい…。」
「ダグ…帰ってきてね。絶対。」
 自分より少し背の低い彼女の額に頬ずりをするようにダグラスは俯いた。
 抱擁をするのなんて子供のころ以来だと思いつつ、ティムシーの背に腕を回す。
「分かってる。絶対、帰ってくる。」




2.
 国境の街に着くと、街の衛兵が駆け寄って来た。
「ご苦労様です!」
 まるで待ち侘びていたかのように見えたのは気のせいではない。
 聞けば数日前から森のモンスターの気配が消えたという。
「『悪魔』が森に入ったってことか?」
「そう考えるのが妥当だろうな。」
 レンとダグラスの会話に、怯えた風に衛兵が口を挟む。
「昔からここの森にすみついている大型のモンスターの結界が消えたんです。今まで人間はその結界に近付くことさえできなかったのに…。」
 そのモンスターはあまり移動しない植物系のモンスターで、街に人を襲いに来ることはないものの縄張りを荒らされることに異常な警戒心を抱くらしく、結界を張って他の生物を立ち入らせなかったという。
「休んでる暇はなさそうだ。…行けるか?」
 ダグラスは森に目を向けて、同行者に訊ねた。
 ルウ以下伝令役の兵士2人が頷き合う。
「問題ない。やってやるさ。」
 そう言ったのはレンだ。
 手綱を持ったまま、自分の覚悟を確かめるように剣の鞘に触れた。

 森の入口で装備を整え直している間、ダグラスは衛兵から話を聞いて回る。
「やはり、いそうだな。」
「『悪魔』か?」
「ああ。街の人間を避難させよう。この距離じゃ止めきれないかもしれない。」
「…そうだな。」
 すぐに街じゅうに避難命令を出す。
 近隣の街までありったけの馬車を飛ばせと言い置き、ダグラス一行は森に足を踏み入れた。



 森は静かだった。
 普通なら何かしらの生き物の気配がする。
 何かに脅えて隠れているのか、それとももう全て殺されてしまったのか。
 とにかく、そこに生気は漂っていなかった。
「結界が消えた場所に行ってみよう。」
 ダグラスが馬の向きを変え、さらに奥へと進む。
 レンは最後尾で周りの気配を確かめながらついて行った。

「これは…。」
 樹齢何千年、という大木が無残に切り倒されていた。
 切り口は一刀しただけの様に見える。
「これ、モンスターだよ。ジュモーっての。普通の木とあんま変わらないけど、意思を持って結界を張るんだ。」
 ルウはヒョイッと馬から降りて、切り口を覗き込んだ。
 うん、と頷いて振り向く。
「もう干乾び始めてる。結界が消えたのが二日前なら、丁度そのくらいだ。」
「二日前に『悪魔』がここに来たとして、街にやって来ないってのは変じゃないか?」
「それはそうだけど…。」
 皆で街の方向を振り返る。
 街の衛兵には何かが攻め入るような事があれば合図の閃光弾を撃てと言ってあるが、まだそんな騒ぎにはなっていないようだ。
 ホッと小さく息を吐いてレンが言った。
「なあ、『悪魔』ってのは単体だと思うか?」
 多分な、とダグラスが返す。
「帰って来た奴の証言じゃあ、ヤツという表現を使っている。ヤツら、じゃなく。」
 それにもし複数いるとすれば、ダグラス達を引きつけておいて街に攻め入るということもできる筈だ。
 それをする気配はない。
「少し戻ろう。」
 道からそれて森の奥に入っているため、森全体の気配を捉えにくい。
 一行は往路とは少し違う場所を選んで道の方に進んでいく。
 しかし、『悪魔』と呼ばれる何かに出会うことはなかった。



 森を進めばそこに『悪魔』が来たのだろうという痕跡は見られるものの、気配がまるでない。
 もうすぐ森を抜けるという頃には日が暮れかけていた。
「この辺りで休もう。」
 普通なら森をぬけ、街に入って夜を迎える方がずっと安全だ。
 しかし今はこの生気のない森の中の方が、得体の知れないものがいる街よりも安全だろう。
 木の枝を囲いに使って目立たないように木陰に腰をおろす。
 モンスターはいない様子だから薬草を火にくべる必要はない。
 暗闇になってしまうのは不安だが、火をたくのはやめておくことにした。
 ふう、と誰ともなく息を吐いた。
 体力的な疲れより、精神的な疲れの方が大きい。
「思ったよりも厄介だな。」
 レンがそう漏らすと、ダグラスも「ああ。」と同意した。
「犠牲覚悟で一個師団を連れて来た方が良かったかもしれないな。」
 犠牲覚悟で。
 つまり、雑兵を使って人海戦術で捜し回り、犠牲が出たところに駆け付ければよい、ということだ。
 ダグラスのその言葉に、レンは刺すような視線を返した。
「犠牲覚悟だと!?お前本気で言っているのか!」
「今の状況だと、俺達を素通りして街を狙われる可能性があるだろう。」
「それはそうだが…。」
「一般人を犠牲にするより、兵士が犠牲になる方がいい。国を守るための軍隊だろう?」
「…今は軍なんてあって無きが如し、だろ。」
「ザハール隊長がまとめている。無きが如しのようでも機能はしている。」
 軍隊の在り方から言えば、ダグラスの言は正論だろう。
 国民を守るために命を賭すのが軍人だ。
 何処にどれだけいるか分からない敵を相手にするには、この人数では無謀と言える。
「どのみち、俺達がまともに帰れなければ軍を動かすしかなくなる。」
「そうならないように俺達が派遣されたんだろ!」
 思わず声を荒げたレンに、ルウが制止の意味で手を挙げて見せた。
「無駄な言い争いだよ。今この状況で、どう対処するかを考えなさい。ダグラス、言ってもしょうのない事を並べ立てないの。」
 普段はふざけた物言いのルウだが、こういう時は年長者らしい風を見せる。
 了解の返事をしてダグラスは目を伏せた。




続く
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