月光石
レン(Ⅱ)
3.
次の日からぱったりとセツは来なくなった。
レンは何処となく寂しそうだ。
誰に言うでもなく、彼は自嘲を込めて呟いた。
「纏わりついていたものが急になくなると、淋しいものだな。」
フッと口角を上げる彼が悲しくて、皆何も言えなかった。
それからもレンは淡々と日々を過ごした。
いつも通り、今まで通り。
ただ、最近は仲間たちとの会話が減っていた。
「レン!チョコ食べよ!」
レンが一人で珈琲を飲んでいるところへ、ルウがやって来た。
手に持っていた大小いろいろの板チョコをバラバラッとテーブルに置く。
「…板チョコのみ…か?」
彼は普通に訊ねたつもりだったが、ルウは軽くツッコミを入れられた気がしてニコッと笑った。
「そ!板チョコのみ!私、チョコ好きなんだ~♪一緒に食べよ!」
ルウの笑顔につられ、レンも少し笑みを漏らす。
「ん。じゃあ、貰う。」
穏やかな笑顔で返事をするレンを見て、ルウはホッとしていた。
(今日は割合元気かな。)
仕事でパートナーになることが多い彼女は普段からレンの様子を気にかけている。
付き合いにくいと思われがちな彼だが、その言動にはそれなりの理由があるのだとルウは理解していた。
しばらく他愛ない話をしながらチョコをかじる二人。
ルウの冗談にもレンは軽く笑った。
そこに、二週間ぶりにセツが現れた。
「こんにちわ。」
硬い挨拶をするセツにレンも素っ気なく「久しぶり。」とだけ返す。
セツは入口の所に立ったまま、あのさ、と言った。
「…はぐれウォルヴが出て、隣のおじさんが困ってる。」
え?と二人は顔を見合わせる。
ウォルヴとはオオカミの様なモンスターの事だ。
街に出たなら即ソルジャーに知らせが入る筈だが、まだ来ていない。
「どこだ。お前の家の近くか?」
慌てた風に立ちあがったレンの様子に少しセツは驚いて、ぶんぶんと首を横に振った。
「も、森。隣りのおじさんは森に仕事に行くんだ。」
「街に出たわけじゃないんだな?」
「うん。」
レンとルウに走った緊張は解かれた。
レンは小さく息を吐いて、剣を持つ。
「見に行ってくる。」
「私も行こうか?」
「問題ない。」
森に入れなくて困っているのなら、ソルジャーを呼びに来るだろう。
そうしないという事はソルジャーに頼るほどのことでもないということだ。
装備を整えて、レンはセツと共に詰め所を出た。
下町を抜け、森との境界でレンは立ち止まった。
「お前はここまでだ。」
セツはついて行くと言った。
「レンが戦ってるとこ見たいんだ。いいだろ?」
「ダメだ。俺一人で行く。」
セツはムッとする。
「どうして?はぐれウォルヴぐらいどうってことないだろ?いいじゃんか、連れてってよ。それとも…ウォルヴごときでも…俺を守る自信、無いの?」
レンの表情が固まった。
子供の言葉にムキになることはないと思いながらも、それを無視できない自分というものを感じる。
「…分かった。」
セツの案内で森に入ってみたものの、ウォルヴが出たらしいという場所を調べても、何も出て来なかった。
「この辺の筈なんだけどなぁ。おーい!ウォルヴー!」
セツが大きな声を出し始めるとレンは慌てて止めた。
「おいっ、むやみに呼ぶな。他のモンスターにも気付かれるかも知れん。」
もう一度周りをぐるっと見回す。
「…何も気配がないな。セツ、少し移動するぞ。」
そう言ってセツが立っていた場所に目をやると、そこに彼はいない。
「セツ!?」
セツはレンから離れ、更に森の奥へと向かっていた。
「レン!オレ、いい事思いついた!オレがおとりになれば、きっと出てくるよ!」
走って行くセツを追い掛けて、レンが呼ぶ。
「待て!セツ!馬鹿な事をするな!」
すぐに追いついたが、そこは三方を切り立った岩で囲まれた袋小路の様な場所だ。
「行くぞ。ここは危ない。狭くて戦いにくいからな。」
レンはセツの二の腕をしっかり掴んで歩きだした。
すると…。
目の前にウォルヴが立ちふさがった。
周りを見ると岩の上からも二人を見下ろしている。
その数が増えていく。
それは、一つや二つの群れの比ではなかった。
二人が森を歩いている頃、ルウのところに街の住人が二人、仕事を依頼しに来ていた。
「実は南の森でウォルヴが出まして…お願いしたいのですが…。」
それを聞いてルウは「ああ、」とセツの言っていたはぐれウォルヴのことだろうと笑顔で返す。
「それならさっき、セツが知らせに来て、レンが行きましたよ。」
「お一人でですか?」
「はい。」
依頼に来た二人は顔を見合せた。
「そんな無茶な。」
「え?」
「ウォルヴの数が尋常じゃないのです。一人でなんてとても…。」
ルウは慌てて自分の装備を掴み、走りだした。
外に出たところでティムシーとぶつかりそうになって彼女の顔を指差す。
「みんなを呼んで!南の森で大量のウォルヴ!レンが危ないって!!」
腕が…。
腕が足りない。
レンはキリっと奥歯を噛みしめた。
もう一本腕があればセツを抱き上げても剣を振るえるのにと、しようのない事を考えていた。
セツを守るための最善が分からない。
剣に添えていた手を離し、レンはセツを抱き上げた。
「レン!?」
「黙ってろ。集中する。」
バシィっ!!
じりじりと距離を近付けるウォルヴに向け、レンが放ったのはサンダーだった。
しかし、彼の魔法はあまり威力がない。
彼が魔法を習い始めたのはつい数週間前だから至極当然のことであるが。
その後も魔法を撃ちつつ、レンは街に向かって走り始めた。
「レン!降ろしてよ!剣で戦ってよ!」
「黙ってろと言ったろう!」
ちくしょう、と口の奥でぼやく。
どうしてもっと早く魔法を習っておかなかったのだろう。
隊長には散々忠告されていたのだ。
それでもレンは意固地に拒否し続けていた。
もともと剣士を目指していたこともあり、剣技で名をあげるのが理想だった。
だから腕の事を言われればなおさら、魔法なんかに頼ってたまるか、と突っぱねていたのである。
しかし最近になってダグラスが習うと言いだした。
彼が「補助的な役割で魔法は有効だろう?利用しない手はない。」と何のこだわりもなく受け入れる様子に、レンは自分の中のこだわりが馬鹿げたもののように思ったのだ。
それをきっかけにレンも習う事を決めた。
逃げ惑い、魔法で蹴散らしてもすぐにまた囲まれ、それほど街から遠くない筈なのに少しも入口が見えない。
セツを抱きかかえたまま、レンはサンダーを唱え続けた。
「レン!ファイアは!?こいつら炎に弱いって聞いたことある!」
「ダメだ。」
まだレンは炎を操れなかった。
ごく小さな火しか出ないこともあれば、必要以上の威力を出すこともある。
下手をすれば自分たちの逃げ道もふさいでしまう。
また横からウォルヴが飛び出し、レンは咄嗟に飛びのいた。
そこに別の一匹がタックルをするように突っ込んでくる。
防御体制が間に合わない。
セツを庇うように体をひねる。
背中に衝撃を受け、レンは倒れた。
サンダーを唱え立ち上がった時にはもう完全に囲まれてしまっていた。
「セツ、動くなよ。」
今度こそ剣を構える。
片足をセツに沿えるように立ち、剣を振るう。
あっさりとウォルヴはレンの剣に倒れた。
次々と襲い来るウォルヴを切り倒していく。
これだけの数を相手にしてもレンの強さは揺るがないのだとセツには思えた。
きっとすぐに全部倒してくれる。
わくわくとした表情でセツはレンを見上げていた。
しかしレンは内心焦りでいっぱいになっている。
一歩踏み込めば後ろからセツを狙う別のウォルヴが飛びかかる。
自由が利かない状況で彼の疲労はピークを迎えた。
一瞬の隙を突かれ、彼は左胸に大きな傷を負った。
倒れるレン。
「レン!レン!」
セツは驚愕の表情を浮かべ、レンの体を揺り動かした。
対抗する力が無くなった二人に、群れが一斉に襲いかかる。
その瞬間、セツを押しのけるようにレンが立ちあがり、飛びかかったウォルヴに向け剣を大きく振った。
衝撃音と共に間近にいた数匹は切り裂かれ、その周りのウォルヴ達も大きく飛ばされた。
ドサッと言う音はウォルヴの体が地面に叩きつけられただけではない。
レン自身も再び倒れていた。
(また…か……また…同じ事をしてしまうのか…俺は…。)
動かそうとしても力の入らない体。
そこで彼の意識は途切れた。
4.
次にレンが目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。
誰もいない。
誰かを呼ぼうにも、声も出ず体も動かなかった。
たまたま病室を覗いたナースが慌ててドクターを呼びに行った。
彼の容態はまだ危うかったが、意識を戻った事は仲間を喜ばせた。
毎日、誰かしらが見舞いに来た。
しかし、彼が一番会いたかった相手は来なかった。
彼は毎日目を開けるのが怖かった。
誰かに聞くこともできず、ただひたすら眠った。
そんな日々が続く中、ルウがいつもに増して明るく病室に入って来た。
「ひゃっほー!レン!元気ィ?って元気じゃねーよって早くツッコミなさい!」
不覚にもレンは少し笑ってしまった。
「良かった。ちょっと元気そうだね。今日はレンに会いたがってる人を連れて来たの。」
声の出ないレンの返事は待たず、ルウはドアを開ける。
「ほら、入って。」
人の気配が近づいてくる。
レンの視界に入って来たのはセツだった。
暗い顔をして俯いたままのセツは、口を噤んでいた。
「ほら、言うことあんでしょ?」
ルウに促されておずおずと喋りだす。
「レン…ごめん…。オレ…あの時ウソついたんだ…。はぐれウォルヴだなんて…。どうしても、レンが戦ってるとこが見たかったんだ。だってオレ、もうレンが戦えないんじゃないかって…だから…だから…どうしても…。でも、あんなにウォルヴが出てくるなんて思わなかったんだ。それはホントなんだ。本当に知らなかったんだ。…ごめん…ホントにごめんよ。」
涙を袖で拭き拭き、消え入りそうな声で何回もゴメンと繰り返すセツ。
しかしその言葉を聞いている余裕がレンにはなかった。
セツは自分の足で立っているのか。体はどうなのか。
依然動けないレンにはセツの全身が見えない。
レンは力を振り絞った。
「か…から…だ…は…、セツ…け…が…は…?」
レンの声が出たことに驚きながら、ルウはセツの脇の下に手を入れると持ち上げた。
全身をレンの視界に入れるためだ。
「ほら、なんともないよ。」
ルウは笑った。
「まったく、人の体心配してる場合じゃないじゃん?今回ケガしたの、レンだけだよ?みんなでウォルヴやっつけたんだから。私の活躍も見せたかったのに、レンったら寝こけてんだもん。」
「そう…か。…わる…かった…な…。」
ルウの冗談にもレンは途切れ途切れの返事を返す。
セツはレンが心配してくれていたことが嬉しくて笑顔で言った。
「オレ、転んですりむいただけだよ。ぜんぜん心配いらないよ。」
「そう……か…。よか……た…。」
レンはそう答えると疲れて眠ってしまった。
声が出るようになってから、レンの体は回復が速くなったようだった。
手足も徐々に動くようになってきて、リハビリも段階を踏んで進めている。
それでも思うように動かない体はレンを苛々させる。
ダグラスの前で、一度自嘲を込めて呟いたことがあった。
「無様だな…。」
ダグラスはフッと笑った。
「ぼやくな。お前が早く帰って来てくれないと困る。詰め所が女の城と化してるぞ。お前が睨みを効かさないとあれは止まらないな。」
どうやらルウとティムシーが好きなように使っているらしい。
預かって来た見舞いの品を置くと、ダグラスは背中を向けた。
「お前はセツを守り切った。無様なんかじゃないさ。」
レンが入院してから半年が経った。
もう彼は院内を自由に行き来出来る。
退院の日はルウが迎えに来た。
「や、レン。迎えに来たぞ♪」
帰り支度をしていたレンは「別に迎えなど要らないんだが。」と笑んだ。
「ちょっとぐらい荷物あるでしょ?今日ぐらい、持ってあげるよ。」
「何だ。今日だけか。明日からいろいろ頼むつもりだったのにな。」
レンは靴を履きながらそう言った。
「なに~?言うようになったね~。」
閉ざされていたレンの唇は少しほぐれたようだ。
暇なわけではないだろうに毎日来てくれた仲間たち。
どんなに塞ぎこんでも立ち直れたのは、やはりその存在があってこそだろうとレン自身思っている。
名残惜しそうにベッド脇のテーブルをポンっと指で叩くと、レンは「さてと、」と伸びをする。
「早速…。」
と言ったレンの続きの言葉をルウは荷物を手に持って待った。
「ナンパでもしに行くか。」
ルウは不意打ちにずっこける。
「はあ!?」
「冗談だ。」
そう言って笑った彼の顔は、少年のかわいらしさを含んでいた。
面食らうルウ。
その驚きを余所に、レンは誰かが見舞いに持ってきたリンゴの最後の一個を手に取ると、「行くぞ。」と病室を出る。
レンの後を追い、ルウは小走りで横に並んだ。
リンゴをかじるレンに「あれ?」と声を出す。
「それ、行儀が悪いって言ってなかった?」
「いいんだ。美味しく食べたもん勝ち、だろ?」
「もう!私の真似、しないでよね!」
二人は笑いながら歩く。
「ダグラスから聞いたが、あんたたち女で詰め所を好き勝手使ってるらしいな。」
「え~?なんかヤな言われ様だな~。とーっても居心地良くしたんだよ?…可愛い置物置いたりぃ、お昼寝用のクッション持ち込んだりぃ…。」
レンは呆れた顔をした。
「それは楽しみだ。」
「お?生還したな。」
レンが詰め所に行くと、ザハールの言葉を先頭に、皆「おめでとう」「よかったね」と声を掛ける。
そしてそこにセツが待っていた。
「レン、退院おめでとう。また差し入れ持ってくるから…いつかオレの先生になってくれよな。」
そう言うとセツは力を込めてレンの背中をパシッと叩いて走って行った。
軽くつんのめりながらもその照れ隠しの小さな手を嬉しく思う。
皆が微笑ましくセツの背中を見送った。
セツはいつもの様に友達のところに走っていく。
そしてまた、いつもの様に自慢するのだ。
「レンはスッゲー強いんだ。オレ、そのうち絶対レンの弟子になる。だって、レンの左胸にはオレを守ってくれた証があるんだから。」
fin.
3.
次の日からぱったりとセツは来なくなった。
レンは何処となく寂しそうだ。
誰に言うでもなく、彼は自嘲を込めて呟いた。
「纏わりついていたものが急になくなると、淋しいものだな。」
フッと口角を上げる彼が悲しくて、皆何も言えなかった。
それからもレンは淡々と日々を過ごした。
いつも通り、今まで通り。
ただ、最近は仲間たちとの会話が減っていた。
「レン!チョコ食べよ!」
レンが一人で珈琲を飲んでいるところへ、ルウがやって来た。
手に持っていた大小いろいろの板チョコをバラバラッとテーブルに置く。
「…板チョコのみ…か?」
彼は普通に訊ねたつもりだったが、ルウは軽くツッコミを入れられた気がしてニコッと笑った。
「そ!板チョコのみ!私、チョコ好きなんだ~♪一緒に食べよ!」
ルウの笑顔につられ、レンも少し笑みを漏らす。
「ん。じゃあ、貰う。」
穏やかな笑顔で返事をするレンを見て、ルウはホッとしていた。
(今日は割合元気かな。)
仕事でパートナーになることが多い彼女は普段からレンの様子を気にかけている。
付き合いにくいと思われがちな彼だが、その言動にはそれなりの理由があるのだとルウは理解していた。
しばらく他愛ない話をしながらチョコをかじる二人。
ルウの冗談にもレンは軽く笑った。
そこに、二週間ぶりにセツが現れた。
「こんにちわ。」
硬い挨拶をするセツにレンも素っ気なく「久しぶり。」とだけ返す。
セツは入口の所に立ったまま、あのさ、と言った。
「…はぐれウォルヴが出て、隣のおじさんが困ってる。」
え?と二人は顔を見合わせる。
ウォルヴとはオオカミの様なモンスターの事だ。
街に出たなら即ソルジャーに知らせが入る筈だが、まだ来ていない。
「どこだ。お前の家の近くか?」
慌てた風に立ちあがったレンの様子に少しセツは驚いて、ぶんぶんと首を横に振った。
「も、森。隣りのおじさんは森に仕事に行くんだ。」
「街に出たわけじゃないんだな?」
「うん。」
レンとルウに走った緊張は解かれた。
レンは小さく息を吐いて、剣を持つ。
「見に行ってくる。」
「私も行こうか?」
「問題ない。」
森に入れなくて困っているのなら、ソルジャーを呼びに来るだろう。
そうしないという事はソルジャーに頼るほどのことでもないということだ。
装備を整えて、レンはセツと共に詰め所を出た。
下町を抜け、森との境界でレンは立ち止まった。
「お前はここまでだ。」
セツはついて行くと言った。
「レンが戦ってるとこ見たいんだ。いいだろ?」
「ダメだ。俺一人で行く。」
セツはムッとする。
「どうして?はぐれウォルヴぐらいどうってことないだろ?いいじゃんか、連れてってよ。それとも…ウォルヴごときでも…俺を守る自信、無いの?」
レンの表情が固まった。
子供の言葉にムキになることはないと思いながらも、それを無視できない自分というものを感じる。
「…分かった。」
セツの案内で森に入ってみたものの、ウォルヴが出たらしいという場所を調べても、何も出て来なかった。
「この辺の筈なんだけどなぁ。おーい!ウォルヴー!」
セツが大きな声を出し始めるとレンは慌てて止めた。
「おいっ、むやみに呼ぶな。他のモンスターにも気付かれるかも知れん。」
もう一度周りをぐるっと見回す。
「…何も気配がないな。セツ、少し移動するぞ。」
そう言ってセツが立っていた場所に目をやると、そこに彼はいない。
「セツ!?」
セツはレンから離れ、更に森の奥へと向かっていた。
「レン!オレ、いい事思いついた!オレがおとりになれば、きっと出てくるよ!」
走って行くセツを追い掛けて、レンが呼ぶ。
「待て!セツ!馬鹿な事をするな!」
すぐに追いついたが、そこは三方を切り立った岩で囲まれた袋小路の様な場所だ。
「行くぞ。ここは危ない。狭くて戦いにくいからな。」
レンはセツの二の腕をしっかり掴んで歩きだした。
すると…。
目の前にウォルヴが立ちふさがった。
周りを見ると岩の上からも二人を見下ろしている。
その数が増えていく。
それは、一つや二つの群れの比ではなかった。
二人が森を歩いている頃、ルウのところに街の住人が二人、仕事を依頼しに来ていた。
「実は南の森でウォルヴが出まして…お願いしたいのですが…。」
それを聞いてルウは「ああ、」とセツの言っていたはぐれウォルヴのことだろうと笑顔で返す。
「それならさっき、セツが知らせに来て、レンが行きましたよ。」
「お一人でですか?」
「はい。」
依頼に来た二人は顔を見合せた。
「そんな無茶な。」
「え?」
「ウォルヴの数が尋常じゃないのです。一人でなんてとても…。」
ルウは慌てて自分の装備を掴み、走りだした。
外に出たところでティムシーとぶつかりそうになって彼女の顔を指差す。
「みんなを呼んで!南の森で大量のウォルヴ!レンが危ないって!!」
腕が…。
腕が足りない。
レンはキリっと奥歯を噛みしめた。
もう一本腕があればセツを抱き上げても剣を振るえるのにと、しようのない事を考えていた。
セツを守るための最善が分からない。
剣に添えていた手を離し、レンはセツを抱き上げた。
「レン!?」
「黙ってろ。集中する。」
バシィっ!!
じりじりと距離を近付けるウォルヴに向け、レンが放ったのはサンダーだった。
しかし、彼の魔法はあまり威力がない。
彼が魔法を習い始めたのはつい数週間前だから至極当然のことであるが。
その後も魔法を撃ちつつ、レンは街に向かって走り始めた。
「レン!降ろしてよ!剣で戦ってよ!」
「黙ってろと言ったろう!」
ちくしょう、と口の奥でぼやく。
どうしてもっと早く魔法を習っておかなかったのだろう。
隊長には散々忠告されていたのだ。
それでもレンは意固地に拒否し続けていた。
もともと剣士を目指していたこともあり、剣技で名をあげるのが理想だった。
だから腕の事を言われればなおさら、魔法なんかに頼ってたまるか、と突っぱねていたのである。
しかし最近になってダグラスが習うと言いだした。
彼が「補助的な役割で魔法は有効だろう?利用しない手はない。」と何のこだわりもなく受け入れる様子に、レンは自分の中のこだわりが馬鹿げたもののように思ったのだ。
それをきっかけにレンも習う事を決めた。
逃げ惑い、魔法で蹴散らしてもすぐにまた囲まれ、それほど街から遠くない筈なのに少しも入口が見えない。
セツを抱きかかえたまま、レンはサンダーを唱え続けた。
「レン!ファイアは!?こいつら炎に弱いって聞いたことある!」
「ダメだ。」
まだレンは炎を操れなかった。
ごく小さな火しか出ないこともあれば、必要以上の威力を出すこともある。
下手をすれば自分たちの逃げ道もふさいでしまう。
また横からウォルヴが飛び出し、レンは咄嗟に飛びのいた。
そこに別の一匹がタックルをするように突っ込んでくる。
防御体制が間に合わない。
セツを庇うように体をひねる。
背中に衝撃を受け、レンは倒れた。
サンダーを唱え立ち上がった時にはもう完全に囲まれてしまっていた。
「セツ、動くなよ。」
今度こそ剣を構える。
片足をセツに沿えるように立ち、剣を振るう。
あっさりとウォルヴはレンの剣に倒れた。
次々と襲い来るウォルヴを切り倒していく。
これだけの数を相手にしてもレンの強さは揺るがないのだとセツには思えた。
きっとすぐに全部倒してくれる。
わくわくとした表情でセツはレンを見上げていた。
しかしレンは内心焦りでいっぱいになっている。
一歩踏み込めば後ろからセツを狙う別のウォルヴが飛びかかる。
自由が利かない状況で彼の疲労はピークを迎えた。
一瞬の隙を突かれ、彼は左胸に大きな傷を負った。
倒れるレン。
「レン!レン!」
セツは驚愕の表情を浮かべ、レンの体を揺り動かした。
対抗する力が無くなった二人に、群れが一斉に襲いかかる。
その瞬間、セツを押しのけるようにレンが立ちあがり、飛びかかったウォルヴに向け剣を大きく振った。
衝撃音と共に間近にいた数匹は切り裂かれ、その周りのウォルヴ達も大きく飛ばされた。
ドサッと言う音はウォルヴの体が地面に叩きつけられただけではない。
レン自身も再び倒れていた。
(また…か……また…同じ事をしてしまうのか…俺は…。)
動かそうとしても力の入らない体。
そこで彼の意識は途切れた。
4.
次にレンが目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。
誰もいない。
誰かを呼ぼうにも、声も出ず体も動かなかった。
たまたま病室を覗いたナースが慌ててドクターを呼びに行った。
彼の容態はまだ危うかったが、意識を戻った事は仲間を喜ばせた。
毎日、誰かしらが見舞いに来た。
しかし、彼が一番会いたかった相手は来なかった。
彼は毎日目を開けるのが怖かった。
誰かに聞くこともできず、ただひたすら眠った。
そんな日々が続く中、ルウがいつもに増して明るく病室に入って来た。
「ひゃっほー!レン!元気ィ?って元気じゃねーよって早くツッコミなさい!」
不覚にもレンは少し笑ってしまった。
「良かった。ちょっと元気そうだね。今日はレンに会いたがってる人を連れて来たの。」
声の出ないレンの返事は待たず、ルウはドアを開ける。
「ほら、入って。」
人の気配が近づいてくる。
レンの視界に入って来たのはセツだった。
暗い顔をして俯いたままのセツは、口を噤んでいた。
「ほら、言うことあんでしょ?」
ルウに促されておずおずと喋りだす。
「レン…ごめん…。オレ…あの時ウソついたんだ…。はぐれウォルヴだなんて…。どうしても、レンが戦ってるとこが見たかったんだ。だってオレ、もうレンが戦えないんじゃないかって…だから…だから…どうしても…。でも、あんなにウォルヴが出てくるなんて思わなかったんだ。それはホントなんだ。本当に知らなかったんだ。…ごめん…ホントにごめんよ。」
涙を袖で拭き拭き、消え入りそうな声で何回もゴメンと繰り返すセツ。
しかしその言葉を聞いている余裕がレンにはなかった。
セツは自分の足で立っているのか。体はどうなのか。
依然動けないレンにはセツの全身が見えない。
レンは力を振り絞った。
「か…から…だ…は…、セツ…け…が…は…?」
レンの声が出たことに驚きながら、ルウはセツの脇の下に手を入れると持ち上げた。
全身をレンの視界に入れるためだ。
「ほら、なんともないよ。」
ルウは笑った。
「まったく、人の体心配してる場合じゃないじゃん?今回ケガしたの、レンだけだよ?みんなでウォルヴやっつけたんだから。私の活躍も見せたかったのに、レンったら寝こけてんだもん。」
「そう…か。…わる…かった…な…。」
ルウの冗談にもレンは途切れ途切れの返事を返す。
セツはレンが心配してくれていたことが嬉しくて笑顔で言った。
「オレ、転んですりむいただけだよ。ぜんぜん心配いらないよ。」
「そう……か…。よか……た…。」
レンはそう答えると疲れて眠ってしまった。
声が出るようになってから、レンの体は回復が速くなったようだった。
手足も徐々に動くようになってきて、リハビリも段階を踏んで進めている。
それでも思うように動かない体はレンを苛々させる。
ダグラスの前で、一度自嘲を込めて呟いたことがあった。
「無様だな…。」
ダグラスはフッと笑った。
「ぼやくな。お前が早く帰って来てくれないと困る。詰め所が女の城と化してるぞ。お前が睨みを効かさないとあれは止まらないな。」
どうやらルウとティムシーが好きなように使っているらしい。
預かって来た見舞いの品を置くと、ダグラスは背中を向けた。
「お前はセツを守り切った。無様なんかじゃないさ。」
レンが入院してから半年が経った。
もう彼は院内を自由に行き来出来る。
退院の日はルウが迎えに来た。
「や、レン。迎えに来たぞ♪」
帰り支度をしていたレンは「別に迎えなど要らないんだが。」と笑んだ。
「ちょっとぐらい荷物あるでしょ?今日ぐらい、持ってあげるよ。」
「何だ。今日だけか。明日からいろいろ頼むつもりだったのにな。」
レンは靴を履きながらそう言った。
「なに~?言うようになったね~。」
閉ざされていたレンの唇は少しほぐれたようだ。
暇なわけではないだろうに毎日来てくれた仲間たち。
どんなに塞ぎこんでも立ち直れたのは、やはりその存在があってこそだろうとレン自身思っている。
名残惜しそうにベッド脇のテーブルをポンっと指で叩くと、レンは「さてと、」と伸びをする。
「早速…。」
と言ったレンの続きの言葉をルウは荷物を手に持って待った。
「ナンパでもしに行くか。」
ルウは不意打ちにずっこける。
「はあ!?」
「冗談だ。」
そう言って笑った彼の顔は、少年のかわいらしさを含んでいた。
面食らうルウ。
その驚きを余所に、レンは誰かが見舞いに持ってきたリンゴの最後の一個を手に取ると、「行くぞ。」と病室を出る。
レンの後を追い、ルウは小走りで横に並んだ。
リンゴをかじるレンに「あれ?」と声を出す。
「それ、行儀が悪いって言ってなかった?」
「いいんだ。美味しく食べたもん勝ち、だろ?」
「もう!私の真似、しないでよね!」
二人は笑いながら歩く。
「ダグラスから聞いたが、あんたたち女で詰め所を好き勝手使ってるらしいな。」
「え~?なんかヤな言われ様だな~。とーっても居心地良くしたんだよ?…可愛い置物置いたりぃ、お昼寝用のクッション持ち込んだりぃ…。」
レンは呆れた顔をした。
「それは楽しみだ。」
「お?生還したな。」
レンが詰め所に行くと、ザハールの言葉を先頭に、皆「おめでとう」「よかったね」と声を掛ける。
そしてそこにセツが待っていた。
「レン、退院おめでとう。また差し入れ持ってくるから…いつかオレの先生になってくれよな。」
そう言うとセツは力を込めてレンの背中をパシッと叩いて走って行った。
軽くつんのめりながらもその照れ隠しの小さな手を嬉しく思う。
皆が微笑ましくセツの背中を見送った。
セツはいつもの様に友達のところに走っていく。
そしてまた、いつもの様に自慢するのだ。
「レンはスッゲー強いんだ。オレ、そのうち絶対レンの弟子になる。だって、レンの左胸にはオレを守ってくれた証があるんだから。」
fin.