月光石
レン
1.
「隊長は?」
「ああ、もう来る筈だ。」
いつものそっけない低音でレンが短く訊ね、それに対してダグラスも必要最小限の言葉を返す。
特別仲が悪いわけではないのだが、ダグラスは嫌われているだろうと気兼ねして深く関わろうとはしないし、レンは相手が誰であろうと簡単に打ち解ける性格を持ち合わせていなかった。
それでも他人から見れば喧嘩でもしたのかと思ってしまう険悪なムードを漂わせている。
特に、どちらかに好意的な人間にとっては、もう一方に敵対心を抱いてしまうのも仕方ないことなのだろう。
セツという5歳の少年も、片方に肩入れしてしまっている一人だった。
ダグラスとの擦れ違いざまの会話を交わした後、詰め所に向かっていると、後ろから声がかかった。
「レン!」
セツだ。
セツは崩れた壁をぴょんととび越えてレンに走り寄った。
手にはいつものように差し入れの果物が入ったカゴを持っている。
レンは返事もせずにふいっと振り向く。
「レン!はいっ!差し入れ!」
「…差し入れなんていらないって言ったろ…。」
「母ちゃんから預かって来たんだから受け取ってくれよ。オレ、怒られちゃうよ。」
それにソルジャーの皆さんでって母ちゃん言ってたし、とセツはレンのお腹のあたりにカゴを押しつけた。
少し迷惑そうに眉を寄せながら、仕方なくレンはそれを受け取る。
「…なら、詰め所に持って行け。」
「オレはレンにあげたいの!」
慕ってくれるのはありがたいことだと思わなくもない。
しかし、どちらかと言えばレンにとっては困ることの方が多い。
人付き合いがあまり得意ではないから極力人と関わらないようにしているし、愛想笑いも嫌いでいつも無表情だし、何処に慕う要素があるのかとレンは訝しんでしまう。
「なあ、レン。ダグラスとやった?」
セツはファイティングポーズを取ってレンを見上げている。
その顔は期待いっぱいだ。
ため息混じりにレンは仕方なく答えた。
「訓練なら時々…。」
「どっちが勝った!?」
「…勝ったり負けたりだ。」
そっか、とがっかりして見せるセツ。
しかしその次の瞬間にはもうニカッと笑顔を向ける。
「でも、片腕がないのにゴカクってことは、レンの方が強いってことだよね!?」
「…腕がないことを理由に負けてもいい道理はない。それは言い訳だ。」
「わかってる、わかってるよ。でも、レンが強いんだよ。片腕でも勝つ時もあるんだろ?」
「…互角だ。」
「遠慮しないで強いって言えばいいのに。」
ふん、とまたレンは小さく溜め息をついた。
レンだって別にダグラスに勝ちたくないわけではない。
出会った時からライバル視してきたし、最初は敵わなかった剣術も互角と言えるまでになった。
それでもダグラスに一目を置いている。
アイツを打ち負かしたい、という気持ちより、今はもう共に戦う仲間だ。
まるで敵のように言われてしまうのは少々心外だった。
「じゃあ、今日も頑張れよっ!レン!」
バシンッとセツはレンの背中を叩いて駆けて行く。
困り顔でレンはその背中を見送った。
「今のセツだね。あ、リンゴじゃ~ん。」
そう言って早速カゴの中のリンゴに手を伸ばしたのはルウだ。
彼女はレンとダグラスより二歳年上、幼い頃から城で王女を守るために訓練を受けてきた戦士である。
レン達とは違い素手で戦う彼女はあまり組み合ったりはしないが、時折そういう機会があるとその強さに驚かされる。
ダグラスの幼馴染であるティムシーに武術を教えたのも彼女だ。
年は若いが位置的にはザハールの次と言ったところだろうか。
ルウはキュキュッと服でリンゴを磨き、かじりついた。
「う~ん、おいし~♪」
「まったく、行儀が悪いな。」
年上で立場も上のルウに向かってもレンは態度を変えることはない。
とは言っても変わらないのは他の者も同じではあるが。
そうさせるのは彼女の纏うあっけらかんとした空気なのかもしれない。
ボソッと呟くように言ったレンに対して、ルウも気にすることなく返す。
「いーの!こういうのは美味しく食べたもん勝ちだよ♪」
詰め所に向かって歩き出したルウを呆れたように見ながら、レンも後に続いた。
「あら、美味しそうなリンゴね。」
詰め所に居たティムシーがルウの手にあるリンゴを見て言った。
「セツからの差し入れだよ。」
ウフフ、とティムシーが笑う。
「レンに渡しに来たでしょ。あの子、レンのファンだから。」
「へぇ~?」
「いつも友達に言ってるみたいよ?『オレはレンみたいになるんだ』って。」
「やるねーレン。憧れられてんじゃん。」
二人はレンの顔を見たが、彼は浮かない表情をしていた。
その話題に興味がないというよりは、触れられたくないといった風に見える。
「どうかしたの?レン。」
ルウの問いにすぐには答えず、レンは詰所の中央のテーブルにカゴを置いた。
そして二人に背を向けると詰め所を出る前に口を開いた。
「俺はセツが思っているような男じゃない。」
2.
それから何日か経ったある日の夕方、セツがまた差し入れを持ってきた。
詰め所のソルジャーに混ざって椅子に陣取っている。
そうやってソルジャーの中に居ることだけで満足なのだろう。
嬉しそうな顔をして皆の顔を見比べていた。
暫くすると、セツはレンをまじまじと見つめて言った。
「レン、オレの先生になってよ。オレもレンみたいに強くなりたい。」
珈琲を飲んでいたレンは無表情でカップを置いた。
「ダメだ。まだ早い。」
「えー!?どうしてだよ!オレ、喧嘩で負けたことないんだぜ。」
セツは納得がいかず食い下がる。
「基礎トレーニングの仕方ぐらいなら教える。一人でもできるだろう。」
取りつく島もないといった風にレンはセツの顔も見ずに返した。
その様子にガッカリとして、セツは拗ねたように頬杖をつく。
「レンはさあ…。いくつから始めたの?」
「剣技を習い始めたのは10歳の時だ。」
セツは指折り数えて自分の年と比べている。
「え~!?まだまだだよ~。」
ハハハ、とルウが笑った。
その笑顔にセツはぷーっと膨れて見せる。
「なー、レン。腕失くした時のこと教えてくれよ。あるんだろ、ブユウデンってやつ。」
一口珈琲を口に含んだところで、レンは暫し動きを止めた。
それには気付かずにセツはまた言う。
「でっかい敵とやり合ったのか?かっこいいなー、腕失くしても強いんだもん。なあ、どんなブユウデンなんだ?」
「武勇伝など無い。この腕は俺の弱さと傲慢さの象徴だ。」
「え…。」
これまで見たことのない重苦しい空気を背負うレンに、セツは言葉を返せなかった。
「長いわりにつまらない話ってヤツだ。」
そう前置きをして、レンは話し始めた。
12歳の時、レンは半ば家出のような状態で旅に出た。
まだ経験が浅すぎる彼が城を護るソルジャーになるのだと言いだした時、周りに賛成する者はいなかった。
その反対を押し切って、故郷を後にしたのだった。
一人旅だがレンは不安など無かった。
剣技を習い始めてまだ2年とは言っても周りの生徒に負けたことはないし、見習い戦士にだって引けを取らない腕を持っていると自負していたからだ。
実際に森に出てモンスターと戦ったこともあるが、怖いと思ったことも無かった。
途中、二つの街に立ち寄ることになるが、彼にとってはその事の方がうんざりだった。
人と話をするのは不得手なのだ。
「餓鬼が一人旅か」とからかう面倒な輩もいる。
だから彼はなるべく人と出会わないように、街中でも人通りの少ない道を選んで歩いていた。
細い路地に入ってすぐ、前から自分より小さな少年が走ってきた。
フードを深くかぶっているため、顔は見えない。
「おっとぉ、ごめんよォ。」
少年はレンにぶつかり、その一瞬で財布を抜き取った。
そして走り去る。
(なんだ?アイツ…。)
そう思ってなんとなく自分の服の埃を払うと、財布がない事に気がついた。
「アイツか!!」
レンは慌てて少年を追った。
幸いまだ見える範囲に居る。
(俺の足をなめるなよ!)
全力疾走で距離を縮めるが、少年の足も速かった。
大通りを何度も横切り、また細い路地に入った所でやっと追い詰める。
すり抜けられそうになりながら何とか腕を掴み、壁に押し付けた。
そこで、それが少女であることに気付く。
レンは驚いたものの力は抜かなかった。
女だろうがスリはスリだ。
「い、痛いっ!離せよッ!」
少女は顔を顰めた。
「離せば逃げるだろう。」
「わ、わかったよ、返すよ。」
警戒しながらレンは少女の片腕を解放する。
おずおずと差し出された財布を受け取り、もう一方も解放した。
少女はもう観念したのか、逃げようとしなかった。
レンは財布をしまいながら、彼女を憲兵に付き出そうかと思案する。
(事情を聞かれるのも面倒だ…。)
そう思っていると少女が口を開いた。
「あんた、足早いねー。あたし今まで捕まったことないんだよ?どんな大人相手だって負けたことないのにな~。」
少しも悪びれることなく喋っている。
「あんた無防備だったからさ、絶対大丈夫だと思ったのに。反則だよ、その足。」
スリを働いておいて何を言うのだ、という怒りが沸き起こり、腹立たしさがレンを普段よりも饒舌にした。
「人の物を盗ったくせに悪いとか思わないのか。人の金で楽して暮らすなんて最低だな。自分で働いたらどうだ。お前みたいなやつ、ロクな大人にならないぞ。」
一気に言ったがまだ言い足りない。
喋り慣れた者であればもっとあれこれ言えるのだろう。
そう思うと余計に腹立たしかった。
しかしレンの言葉は少女にも怒りを与えたようだ。
ムッとして言い返す。
「ああ。どうせロクな大人にはならないサ。でもね、働こうったってあたしの歳じゃ雇ってくれるとこなんてないんだよ!生きてく為にやってんだ!あんたはどうせ誰かから金貰って旅してんだろ?楽して生きてんのはどっちだよ!!」
「俺だってこの金がなくなったら困るんだ!ここには頼る相手なんていないんだからな!」
「ちょっと困るだけだろ!?働くか、運が良けりゃ働かなくたって金借りて目的地まで行けば大人が何とかしてくれる。違うかい!?」
少女は歩き出した。
レンは後ろに付いて、何か反論しようと思っていた。
「そ…そりゃあ、そうかもしれないが…お前だって…この街にも孤児院ぐらいあるだろう。そこにいれば何の苦労もないじゃないか。」
少女は鼻で笑う。
「はんっ!それでお恵み貰って、生きろって!?それこそ死んだ方がマシだね!」
一度は彼女も孤児院に居たことがる。
しかし彼女にはそれが飼われているように感じられ、どうしても許せなかった。
自尊心が高すぎたのだ。
それがかえって彼女自身を貶める行為に走らせていた。
二人は暗い路地裏の一角にたどり着いた。
生活するための必要最小限の物がそろっているそこは、かろうじて雨風が防げるところだった。
「こんな所で…暮らしてるのか…。」
レンはそれ以上言葉を出せなかった。
「暮らしてる?ふざけんじゃないよ。あたしは『生きてる』んだ。」
そう、暮らしなどとは呼べない、ただ生きるための場所。
「見物して気が済んだろ!?帰んな!!」
立ち去るに立ち去れず、レンは彼女の近くでしゃがみ込んだ。
「なんだよッ!!」と少女が怒る。
「お前…いくつだ?…名前は?」
「は?カンケーないだろ?」
しっかりと座り込み、にらみを利かせる少女を見上げるレン。
「いいだろ…教えろよ。」
その様子に戸惑いを見せながら、少女は不機嫌ながらもボソと答えた。
「…リノイ…11…。」
「…リノイ…他に…生き方はないのか?…やっぱり…人の物を盗るのは良くないと思う。」
レンは自分の中に湧きあがったものを何とかしようともがいていた。
正義感、と言うのはこういうものなのかなと思いながら、そして同時に、人に関わろうとするなんてらしくないとも思いながら。
「孤児院には行きたくない。絶対。」
「誰か人の良さそうな人に頼みこめば、雇ってもらえるんじゃないか?」
ぶんぶんと首を横に振る。
この街では子供を雇う事を嫌う。
子供を働かせるのは虐げるのと同じだと考えられているのだ。
だからこそ孤児院があるのだが、その風潮がリノイには合わないらしい。
先程彼女がレンなら働けば金を稼げると言ったのは単にレンがもう少し大人だと思ったからにすぎない。
「隣の街まで行けば働けるって聞いたことあるけど…一人じゃ森は越えられないし…。」
リノイはレンの横にしゃがみ込んで俯いた。
モンスターの出没する森に、少女一人で入って行くのは自殺行為だ。
「連れてってくれる人なんていないし…。」
それを聞いてレンの顔は明るくなった。
「何だよ、それくらい。俺が連れてってやる。」
二人は早速隣り街に行く準備をした。
彼らにはそれが唯一正しい方法に思えていた。
隣り街とは言っても、一晩危険な森で野宿しなくてはならない。
レンはできるだけ薬草だの爆薬だのを買った。
「心配するな。俺は強いんだ。それに、お前の足なら絶対モンスターにも負けないさ。」
そんなレンを頼もしく思い、リノイは今までになく嬉しそうな笑顔で頷いた。
森に入った二人は順調に進んでいた。
モンスターが出ても、瞬時にレンが対応し、何の問題も無かった。
そして夜、モンスター避けの薬草を火にくべ、いつでも動けるように、二人で並んで木に凭れたまま眠った。
熟睡は出来ない。
時折レンは目を開け、薪と薬草を火の中に入れる。
その度に、隣に眠るリノイの顔を眺め、安心してレンも目を閉じた。
何度かそんな事を繰り返し、もう闇が深くなった頃、レンは何かの気配に身を固くした。
耳を澄ませ、剣に手をやる。
がさっと音がしたかと思うと、木の上から水が落ち、火が消されてしまった。
慌てて立ち上がるとリノイも目を覚ました。
「何?」
「囲まれてる…?」
二人を狙ってモンスターが集まっていた。
比較的頭の良い、猿の様なモンスターが火を消したのだった。
暗闇の中では敵の数が分からない。
レンはリノイを自分の後ろに立たせ、周りの気配を窺う。
「リノイ、取り敢えず荷物はいいから、俺の後に付いてこいよ。」
「う、うん。」
行くぞ、と声を掛け、気配の薄い場所に走り出した。
リノイも続く。
近づいてくる敵を片っ端から倒して少しでも明るい場所を求めて走った。
暫くして、少し開けた場所に出た。
月明かりが届く。
ハアハアと息をつき、背中合わせに立って周りを見回した二人はぞっとした。
30匹は下らない。
「な…何でこんなに…。」
森の中とは言っても、こんな数のモンスターが集まるなど聞いたことも無かった。
「囲まれてる…やるしか…ない。」
最初に襲いかかって来た一匹を仕留め、次々にモンスターを倒す。
確かにレンは強かった。
しかし、その状況はどう見ても不利だった。
自分だけではなく、傍にいるリノイを狙うモンスターの動きも見落とせない。
疲労のピークが来るのは早かった。
レンはモンスターの攻撃で離れた場所に飛ばされた。
(しまった!)
次の瞬間。
「きゃあっ!!」
短い悲鳴の後、リノイの声が途切れた。
「リノイ!リノイ!!」
必死で彼女の元へ向かう。
「ちくしょー!!どけ!どけよ!!」
モンスターを倒しながらやっと辿り着いたそこには…。
喰いつくされたリノイの残骸があった。
「リノイ…嘘だろ…。嘘だ…。嘘だー!!」
尚も襲いかかって来るモンスターに、生きたいという本能だけで剣を振るうレン。
既に思考は止まっていた。
何匹目かの攻撃に、彼の防御は間に合わなかった。
剣を持った右手は鋭い爪にえぐられた。
衝撃と痛みに、レンの意識はそこで途切れた。
レンは旅の剣士に助けられた。
たまたま通りかかって敵を蹴散らしてくれたらしい。
「運が悪かったな。…いや…お前だけでも助かったんだ。運は良かったのかな。」
森の反対側で、大きな旅団が移動中だという。
その旅団が強力な薬草を大量に使い、その影響でモンスターがこちら側に集まっていたらしい。
「自分の愚かさを呪うんだな。どんな運の悪い状況であろうと、軽く切り抜けられなきゃ人を守る資格など無い。何人かでつるむのも一つの知恵だ。ガキが一人で誰かを守りながら旅をするなんて、無理だという事だ。」
レンは返事をしなかった。
何も考えたくなかった。
彼は前にも増して、人を拒絶するようになった。
「彼女を殺したのは俺だ。俺が余計なおせっかいを焼かなければ、彼女はスリでも何でもやって、大人になれた。もしかしたら親切な大人が彼女を更生させてくれたかもしれない。俺はわざわざ街の外に連れ出して、彼女を死なせた。」
レンの話を聞いていた全員が押し黙っている。
「つまらない話だったろ?」
その言葉をきっかけに、セツは椅子から立ち上がった。
「オレ…帰る…。」
セツは走って行ってしまった。
その背中を見送った後で、レンは立ち上がった。
差し入れのカゴの中から手にすっぽりと納まる小さな果物をひとつ取って、「貰うぞ。」というと帰って行った。
皆、溜め息を吐く。
「ねぇ…彼、自分の事、人殺しだと思ってるのかな…。」
ティムシーの呟きに、ルウが答える。
「かもね。でも、レンは人殺しじゃない。…なのに、背負っちゃってんだね。」
溜め息がもれ、部屋はまた静かになった。
続く
1.
「隊長は?」
「ああ、もう来る筈だ。」
いつものそっけない低音でレンが短く訊ね、それに対してダグラスも必要最小限の言葉を返す。
特別仲が悪いわけではないのだが、ダグラスは嫌われているだろうと気兼ねして深く関わろうとはしないし、レンは相手が誰であろうと簡単に打ち解ける性格を持ち合わせていなかった。
それでも他人から見れば喧嘩でもしたのかと思ってしまう険悪なムードを漂わせている。
特に、どちらかに好意的な人間にとっては、もう一方に敵対心を抱いてしまうのも仕方ないことなのだろう。
セツという5歳の少年も、片方に肩入れしてしまっている一人だった。
ダグラスとの擦れ違いざまの会話を交わした後、詰め所に向かっていると、後ろから声がかかった。
「レン!」
セツだ。
セツは崩れた壁をぴょんととび越えてレンに走り寄った。
手にはいつものように差し入れの果物が入ったカゴを持っている。
レンは返事もせずにふいっと振り向く。
「レン!はいっ!差し入れ!」
「…差し入れなんていらないって言ったろ…。」
「母ちゃんから預かって来たんだから受け取ってくれよ。オレ、怒られちゃうよ。」
それにソルジャーの皆さんでって母ちゃん言ってたし、とセツはレンのお腹のあたりにカゴを押しつけた。
少し迷惑そうに眉を寄せながら、仕方なくレンはそれを受け取る。
「…なら、詰め所に持って行け。」
「オレはレンにあげたいの!」
慕ってくれるのはありがたいことだと思わなくもない。
しかし、どちらかと言えばレンにとっては困ることの方が多い。
人付き合いがあまり得意ではないから極力人と関わらないようにしているし、愛想笑いも嫌いでいつも無表情だし、何処に慕う要素があるのかとレンは訝しんでしまう。
「なあ、レン。ダグラスとやった?」
セツはファイティングポーズを取ってレンを見上げている。
その顔は期待いっぱいだ。
ため息混じりにレンは仕方なく答えた。
「訓練なら時々…。」
「どっちが勝った!?」
「…勝ったり負けたりだ。」
そっか、とがっかりして見せるセツ。
しかしその次の瞬間にはもうニカッと笑顔を向ける。
「でも、片腕がないのにゴカクってことは、レンの方が強いってことだよね!?」
「…腕がないことを理由に負けてもいい道理はない。それは言い訳だ。」
「わかってる、わかってるよ。でも、レンが強いんだよ。片腕でも勝つ時もあるんだろ?」
「…互角だ。」
「遠慮しないで強いって言えばいいのに。」
ふん、とまたレンは小さく溜め息をついた。
レンだって別にダグラスに勝ちたくないわけではない。
出会った時からライバル視してきたし、最初は敵わなかった剣術も互角と言えるまでになった。
それでもダグラスに一目を置いている。
アイツを打ち負かしたい、という気持ちより、今はもう共に戦う仲間だ。
まるで敵のように言われてしまうのは少々心外だった。
「じゃあ、今日も頑張れよっ!レン!」
バシンッとセツはレンの背中を叩いて駆けて行く。
困り顔でレンはその背中を見送った。
「今のセツだね。あ、リンゴじゃ~ん。」
そう言って早速カゴの中のリンゴに手を伸ばしたのはルウだ。
彼女はレンとダグラスより二歳年上、幼い頃から城で王女を守るために訓練を受けてきた戦士である。
レン達とは違い素手で戦う彼女はあまり組み合ったりはしないが、時折そういう機会があるとその強さに驚かされる。
ダグラスの幼馴染であるティムシーに武術を教えたのも彼女だ。
年は若いが位置的にはザハールの次と言ったところだろうか。
ルウはキュキュッと服でリンゴを磨き、かじりついた。
「う~ん、おいし~♪」
「まったく、行儀が悪いな。」
年上で立場も上のルウに向かってもレンは態度を変えることはない。
とは言っても変わらないのは他の者も同じではあるが。
そうさせるのは彼女の纏うあっけらかんとした空気なのかもしれない。
ボソッと呟くように言ったレンに対して、ルウも気にすることなく返す。
「いーの!こういうのは美味しく食べたもん勝ちだよ♪」
詰め所に向かって歩き出したルウを呆れたように見ながら、レンも後に続いた。
「あら、美味しそうなリンゴね。」
詰め所に居たティムシーがルウの手にあるリンゴを見て言った。
「セツからの差し入れだよ。」
ウフフ、とティムシーが笑う。
「レンに渡しに来たでしょ。あの子、レンのファンだから。」
「へぇ~?」
「いつも友達に言ってるみたいよ?『オレはレンみたいになるんだ』って。」
「やるねーレン。憧れられてんじゃん。」
二人はレンの顔を見たが、彼は浮かない表情をしていた。
その話題に興味がないというよりは、触れられたくないといった風に見える。
「どうかしたの?レン。」
ルウの問いにすぐには答えず、レンは詰所の中央のテーブルにカゴを置いた。
そして二人に背を向けると詰め所を出る前に口を開いた。
「俺はセツが思っているような男じゃない。」
2.
それから何日か経ったある日の夕方、セツがまた差し入れを持ってきた。
詰め所のソルジャーに混ざって椅子に陣取っている。
そうやってソルジャーの中に居ることだけで満足なのだろう。
嬉しそうな顔をして皆の顔を見比べていた。
暫くすると、セツはレンをまじまじと見つめて言った。
「レン、オレの先生になってよ。オレもレンみたいに強くなりたい。」
珈琲を飲んでいたレンは無表情でカップを置いた。
「ダメだ。まだ早い。」
「えー!?どうしてだよ!オレ、喧嘩で負けたことないんだぜ。」
セツは納得がいかず食い下がる。
「基礎トレーニングの仕方ぐらいなら教える。一人でもできるだろう。」
取りつく島もないといった風にレンはセツの顔も見ずに返した。
その様子にガッカリとして、セツは拗ねたように頬杖をつく。
「レンはさあ…。いくつから始めたの?」
「剣技を習い始めたのは10歳の時だ。」
セツは指折り数えて自分の年と比べている。
「え~!?まだまだだよ~。」
ハハハ、とルウが笑った。
その笑顔にセツはぷーっと膨れて見せる。
「なー、レン。腕失くした時のこと教えてくれよ。あるんだろ、ブユウデンってやつ。」
一口珈琲を口に含んだところで、レンは暫し動きを止めた。
それには気付かずにセツはまた言う。
「でっかい敵とやり合ったのか?かっこいいなー、腕失くしても強いんだもん。なあ、どんなブユウデンなんだ?」
「武勇伝など無い。この腕は俺の弱さと傲慢さの象徴だ。」
「え…。」
これまで見たことのない重苦しい空気を背負うレンに、セツは言葉を返せなかった。
「長いわりにつまらない話ってヤツだ。」
そう前置きをして、レンは話し始めた。
12歳の時、レンは半ば家出のような状態で旅に出た。
まだ経験が浅すぎる彼が城を護るソルジャーになるのだと言いだした時、周りに賛成する者はいなかった。
その反対を押し切って、故郷を後にしたのだった。
一人旅だがレンは不安など無かった。
剣技を習い始めてまだ2年とは言っても周りの生徒に負けたことはないし、見習い戦士にだって引けを取らない腕を持っていると自負していたからだ。
実際に森に出てモンスターと戦ったこともあるが、怖いと思ったことも無かった。
途中、二つの街に立ち寄ることになるが、彼にとってはその事の方がうんざりだった。
人と話をするのは不得手なのだ。
「餓鬼が一人旅か」とからかう面倒な輩もいる。
だから彼はなるべく人と出会わないように、街中でも人通りの少ない道を選んで歩いていた。
細い路地に入ってすぐ、前から自分より小さな少年が走ってきた。
フードを深くかぶっているため、顔は見えない。
「おっとぉ、ごめんよォ。」
少年はレンにぶつかり、その一瞬で財布を抜き取った。
そして走り去る。
(なんだ?アイツ…。)
そう思ってなんとなく自分の服の埃を払うと、財布がない事に気がついた。
「アイツか!!」
レンは慌てて少年を追った。
幸いまだ見える範囲に居る。
(俺の足をなめるなよ!)
全力疾走で距離を縮めるが、少年の足も速かった。
大通りを何度も横切り、また細い路地に入った所でやっと追い詰める。
すり抜けられそうになりながら何とか腕を掴み、壁に押し付けた。
そこで、それが少女であることに気付く。
レンは驚いたものの力は抜かなかった。
女だろうがスリはスリだ。
「い、痛いっ!離せよッ!」
少女は顔を顰めた。
「離せば逃げるだろう。」
「わ、わかったよ、返すよ。」
警戒しながらレンは少女の片腕を解放する。
おずおずと差し出された財布を受け取り、もう一方も解放した。
少女はもう観念したのか、逃げようとしなかった。
レンは財布をしまいながら、彼女を憲兵に付き出そうかと思案する。
(事情を聞かれるのも面倒だ…。)
そう思っていると少女が口を開いた。
「あんた、足早いねー。あたし今まで捕まったことないんだよ?どんな大人相手だって負けたことないのにな~。」
少しも悪びれることなく喋っている。
「あんた無防備だったからさ、絶対大丈夫だと思ったのに。反則だよ、その足。」
スリを働いておいて何を言うのだ、という怒りが沸き起こり、腹立たしさがレンを普段よりも饒舌にした。
「人の物を盗ったくせに悪いとか思わないのか。人の金で楽して暮らすなんて最低だな。自分で働いたらどうだ。お前みたいなやつ、ロクな大人にならないぞ。」
一気に言ったがまだ言い足りない。
喋り慣れた者であればもっとあれこれ言えるのだろう。
そう思うと余計に腹立たしかった。
しかしレンの言葉は少女にも怒りを与えたようだ。
ムッとして言い返す。
「ああ。どうせロクな大人にはならないサ。でもね、働こうったってあたしの歳じゃ雇ってくれるとこなんてないんだよ!生きてく為にやってんだ!あんたはどうせ誰かから金貰って旅してんだろ?楽して生きてんのはどっちだよ!!」
「俺だってこの金がなくなったら困るんだ!ここには頼る相手なんていないんだからな!」
「ちょっと困るだけだろ!?働くか、運が良けりゃ働かなくたって金借りて目的地まで行けば大人が何とかしてくれる。違うかい!?」
少女は歩き出した。
レンは後ろに付いて、何か反論しようと思っていた。
「そ…そりゃあ、そうかもしれないが…お前だって…この街にも孤児院ぐらいあるだろう。そこにいれば何の苦労もないじゃないか。」
少女は鼻で笑う。
「はんっ!それでお恵み貰って、生きろって!?それこそ死んだ方がマシだね!」
一度は彼女も孤児院に居たことがる。
しかし彼女にはそれが飼われているように感じられ、どうしても許せなかった。
自尊心が高すぎたのだ。
それがかえって彼女自身を貶める行為に走らせていた。
二人は暗い路地裏の一角にたどり着いた。
生活するための必要最小限の物がそろっているそこは、かろうじて雨風が防げるところだった。
「こんな所で…暮らしてるのか…。」
レンはそれ以上言葉を出せなかった。
「暮らしてる?ふざけんじゃないよ。あたしは『生きてる』んだ。」
そう、暮らしなどとは呼べない、ただ生きるための場所。
「見物して気が済んだろ!?帰んな!!」
立ち去るに立ち去れず、レンは彼女の近くでしゃがみ込んだ。
「なんだよッ!!」と少女が怒る。
「お前…いくつだ?…名前は?」
「は?カンケーないだろ?」
しっかりと座り込み、にらみを利かせる少女を見上げるレン。
「いいだろ…教えろよ。」
その様子に戸惑いを見せながら、少女は不機嫌ながらもボソと答えた。
「…リノイ…11…。」
「…リノイ…他に…生き方はないのか?…やっぱり…人の物を盗るのは良くないと思う。」
レンは自分の中に湧きあがったものを何とかしようともがいていた。
正義感、と言うのはこういうものなのかなと思いながら、そして同時に、人に関わろうとするなんてらしくないとも思いながら。
「孤児院には行きたくない。絶対。」
「誰か人の良さそうな人に頼みこめば、雇ってもらえるんじゃないか?」
ぶんぶんと首を横に振る。
この街では子供を雇う事を嫌う。
子供を働かせるのは虐げるのと同じだと考えられているのだ。
だからこそ孤児院があるのだが、その風潮がリノイには合わないらしい。
先程彼女がレンなら働けば金を稼げると言ったのは単にレンがもう少し大人だと思ったからにすぎない。
「隣の街まで行けば働けるって聞いたことあるけど…一人じゃ森は越えられないし…。」
リノイはレンの横にしゃがみ込んで俯いた。
モンスターの出没する森に、少女一人で入って行くのは自殺行為だ。
「連れてってくれる人なんていないし…。」
それを聞いてレンの顔は明るくなった。
「何だよ、それくらい。俺が連れてってやる。」
二人は早速隣り街に行く準備をした。
彼らにはそれが唯一正しい方法に思えていた。
隣り街とは言っても、一晩危険な森で野宿しなくてはならない。
レンはできるだけ薬草だの爆薬だのを買った。
「心配するな。俺は強いんだ。それに、お前の足なら絶対モンスターにも負けないさ。」
そんなレンを頼もしく思い、リノイは今までになく嬉しそうな笑顔で頷いた。
森に入った二人は順調に進んでいた。
モンスターが出ても、瞬時にレンが対応し、何の問題も無かった。
そして夜、モンスター避けの薬草を火にくべ、いつでも動けるように、二人で並んで木に凭れたまま眠った。
熟睡は出来ない。
時折レンは目を開け、薪と薬草を火の中に入れる。
その度に、隣に眠るリノイの顔を眺め、安心してレンも目を閉じた。
何度かそんな事を繰り返し、もう闇が深くなった頃、レンは何かの気配に身を固くした。
耳を澄ませ、剣に手をやる。
がさっと音がしたかと思うと、木の上から水が落ち、火が消されてしまった。
慌てて立ち上がるとリノイも目を覚ました。
「何?」
「囲まれてる…?」
二人を狙ってモンスターが集まっていた。
比較的頭の良い、猿の様なモンスターが火を消したのだった。
暗闇の中では敵の数が分からない。
レンはリノイを自分の後ろに立たせ、周りの気配を窺う。
「リノイ、取り敢えず荷物はいいから、俺の後に付いてこいよ。」
「う、うん。」
行くぞ、と声を掛け、気配の薄い場所に走り出した。
リノイも続く。
近づいてくる敵を片っ端から倒して少しでも明るい場所を求めて走った。
暫くして、少し開けた場所に出た。
月明かりが届く。
ハアハアと息をつき、背中合わせに立って周りを見回した二人はぞっとした。
30匹は下らない。
「な…何でこんなに…。」
森の中とは言っても、こんな数のモンスターが集まるなど聞いたことも無かった。
「囲まれてる…やるしか…ない。」
最初に襲いかかって来た一匹を仕留め、次々にモンスターを倒す。
確かにレンは強かった。
しかし、その状況はどう見ても不利だった。
自分だけではなく、傍にいるリノイを狙うモンスターの動きも見落とせない。
疲労のピークが来るのは早かった。
レンはモンスターの攻撃で離れた場所に飛ばされた。
(しまった!)
次の瞬間。
「きゃあっ!!」
短い悲鳴の後、リノイの声が途切れた。
「リノイ!リノイ!!」
必死で彼女の元へ向かう。
「ちくしょー!!どけ!どけよ!!」
モンスターを倒しながらやっと辿り着いたそこには…。
喰いつくされたリノイの残骸があった。
「リノイ…嘘だろ…。嘘だ…。嘘だー!!」
尚も襲いかかって来るモンスターに、生きたいという本能だけで剣を振るうレン。
既に思考は止まっていた。
何匹目かの攻撃に、彼の防御は間に合わなかった。
剣を持った右手は鋭い爪にえぐられた。
衝撃と痛みに、レンの意識はそこで途切れた。
レンは旅の剣士に助けられた。
たまたま通りかかって敵を蹴散らしてくれたらしい。
「運が悪かったな。…いや…お前だけでも助かったんだ。運は良かったのかな。」
森の反対側で、大きな旅団が移動中だという。
その旅団が強力な薬草を大量に使い、その影響でモンスターがこちら側に集まっていたらしい。
「自分の愚かさを呪うんだな。どんな運の悪い状況であろうと、軽く切り抜けられなきゃ人を守る資格など無い。何人かでつるむのも一つの知恵だ。ガキが一人で誰かを守りながら旅をするなんて、無理だという事だ。」
レンは返事をしなかった。
何も考えたくなかった。
彼は前にも増して、人を拒絶するようになった。
「彼女を殺したのは俺だ。俺が余計なおせっかいを焼かなければ、彼女はスリでも何でもやって、大人になれた。もしかしたら親切な大人が彼女を更生させてくれたかもしれない。俺はわざわざ街の外に連れ出して、彼女を死なせた。」
レンの話を聞いていた全員が押し黙っている。
「つまらない話だったろ?」
その言葉をきっかけに、セツは椅子から立ち上がった。
「オレ…帰る…。」
セツは走って行ってしまった。
その背中を見送った後で、レンは立ち上がった。
差し入れのカゴの中から手にすっぽりと納まる小さな果物をひとつ取って、「貰うぞ。」というと帰って行った。
皆、溜め息を吐く。
「ねぇ…彼、自分の事、人殺しだと思ってるのかな…。」
ティムシーの呟きに、ルウが答える。
「かもね。でも、レンは人殺しじゃない。…なのに、背負っちゃってんだね。」
溜め息がもれ、部屋はまた静かになった。
続く