月光石

ダグラス



 村のすぐ外まで敵が迫っていた。
 ダグラスの住むマセドという村は国の一番端にあった。
 月の光石をめぐって始まった戦争はまだ終結が見えない。
 あの石があれば国が滅びることはないと昔から言われているが、今回はそのジンクスが破られそうな戦況に陥っている。
 何度も国境が塗り替えられ、マセドももうすぐ敵国の一部になってしまうのだと村人は慄いていた。

「村を捨てろというのか!」
「中央はここからの撤退を決めた。敵の手に落ちたくなければお前たちも逃げるしかない。」

 村に来ていた国軍の兵士たちは、村人の訴えに耳を塞いで撤退の準備をした。
 いくつかのグループに分かれて去っていく兵士たちの最後の小隊が村を離れようという時に、村の男達は彼らを取り囲んだ。

「村を捨てろというのは私たちに死ねと言っているのと同じだ。」

 村の長老会はかたくなに村を離れる決断を下さなかった。
 兵士たちと共に逃げのびろという国軍からの通達も受け入れず、村人にもその事は知らせていない。

 惨劇は敵によるものではなく、村の男達が引き起こした。

 最後の小隊が本隊と合流することは叶わなかった。









「敵が来るの?」
 青ざめた顔でティムシーがダグラスに訊いた。
 少し躊躇いながら、ダグラスは首を傾げる様に頷く。
 村の子供達は戦争の中でも元気に育っていた。
 それでもやはりここまで戦局が悪化すると、皆不安の色は隠せない。
 今年で10歳になるダグラスとティムシーも例外ではなかった。
 屈強な男達は最後まであがこうと戦う準備を始めている。
 まだ成人しない少年たちも武器を持って集っていた。
 ダグラスもそのつもりで剣を手に取ったが、足手まといになるだけだと村の集会所に居る小さな子供たちと一緒に居る様に言われてしまった。
「村が焼かれちゃうの?」
 ティムシーは泣きそうな顔をした。
 何も言えずにいたダグラスだが、前から思っていたことをぽつりと口に出した。
「月光石があれば…。」
「それがあれば…?」
 以前、大人たちが言い合っているのをダグラスは耳にしていた。
 月の光石があれば、敵などものともしないと。
「長老が言ってたんだ。あれがあればこの村を守れるって。」
「月光石って不思議な力があるんだよね。私も聞いたことがある。」
「でも、国軍が独り占めして使わせてくれないんだって。」
「そんな!酷い!」
 うん、とダグラスは頷いた。
 だから、と続ける。
「俺、取ってこようと思う。カケラだけでもきっとすごい力を持ってるんだ。」
「今からじゃ間に合わないよ。もう敵はすぐそこでしょ?」
「俺は戦えないから、出来ることをしなくちゃ。急いで取って来る。必ず持って帰ってくる。」
 ダグラスは剣を持ち、簡単な装備で村を出た。
 馬小屋から一番慣れた馬をこっそりと連れだして。









 月光石のある街に付いたのは3日後だった。
 村がどうなっているのかダグラスには知る術はないが、大丈夫だとただ信じていた。
 モンスターと戦いながら辿り着いた所為でボロボロになっていたダグラスは、国軍に保護される形で街に入ることが出来た。
 隊長らしき人物を見つけて彼は訴えた。

 村を助けてくれ。
 村の為に月光石を貸してくれ。
 カケラでもいいから、少しでいいから。

 答えはノーだった。
「村を見捨てるのか!」
「…ダグラス、残念だが、もう村は落ちた。」
 嘘だ、とダグラスは崩れる様にしゃがみ込んだ。
 その傍らに屈みこみ、大隊長のザハールはダグラスの肩に手を置いた。
「態勢を立て直せば村を取り返すこともできる。それまで耐えるんだ。」
 バシッとその手を払い除けた。
 ダグラスは恨みの目をザハールに向ける。
「月光石を使えば勝てるくせに!村を見捨てたんだ!俺達が死んでもいいって思ったんだろ!!」
 ザハールは哀しげに少年を見た。
 何を言っても、この少年は信じないだろう。
 それでも場を収める為に言っておかなくてはならない。
「もう2週間も前に村を捨てて逃げろと通達を出した。それに従わなかったのは村の方だ。」
「助けられるものを投げだしただけじゃないか!!」
「今の戦況では無理なんだよ。この街を…あの城を守るために軍を集結させなければならないほど、今は危ない状況なんだ。」
「あの石を使えばいいじゃないか!あれで国を守れるんだろ!?」
 はあ、と肩を落としてザハールは静かに言った。
「どうやって?」
「え…?」
「あの石を使う方法を、お前は知ってるのか?」
「…あれが国を守ってくれるって…あれは不思議な力があるって…。」
「それは単なる伝説だ。誰もあれを使ったことなんてない。」
「…そんな…。」
 呆然としてダグラスは黙った。

 じゃあ、何の為に俺はここまで来たんだ…。
 ティムシーを置いて、友達を置いて。

「…みんな…は…。」
「無事だと信じたい。今はそれしか言えない。」
 生気を失ったように力が抜けたダグラスを、ザハールは医務室に連れて行った。
 気がかりではあるが、一人の少年に気を取られているわけにはいかない。
 もう敵は近くの街まで来ていると、報告が入ったばかりだった。





 ドカンと大きな音が起こり、すぐに街は騒然となった。
 兵士たちに指示をしてからザハールはダグラスの事を思い出した。

 あの少年も逃がさなくては。

 急いで医務室に向かった。
「急げ。もう女子供は避難し始めている。」
 手を引いて連れていく。
 自分を逃がそうとしてくれているのだと分かって、ダグラスは剣を持つ手に力を入れた。
「俺も戦う。」
「ダメだ。子供は生き残らなくてはならない。これからの国の為に。」
 でも、と言って立ち止まるダグラスをザハールは強く引いた。
「お前は!これから国を作るんだ!ボロボロになった国を他の子供たちと一緒に作り直すんだ!」
 だから生き残れ、と言って教会の前で手を離した。
「俺だって戦える!」
「なら守れ。教会の奥に山に続く抜け道がある。先に行った子らを守ってやれ。」
 じっと目を見合った。
 ダグラスはもう恨んだ目をしていなかった。
 ザハールは憐れむ目をしていなかった。
「…抜け道の入口を死守する。」
「守り切って、生きろ。」
「分かった。」
 任せた、という言葉を残してザハールはそこを離れた。
 教会に敵を近付ける気はもとより無い。




 街には敵の大部隊が入り込んでいた。
 ザハール自身も武器を手に取って戦った。
 そんな時に近くに居た部下がハッと息を飲むのが聞こえた。
「どうした!」
「あそこに少女が!」
 逃げ遅れた子供がまだいたのか。
 二人で少女の居る所まで駆け寄り、仲間に援護を命じて後方に下がった。
 少女は大した怪我はないようだった。
「教会まで連れて行け。ダグラスという少年にしっかりと守れと言ってやれ。」
 はい、と返事をして部下が少女を連れて行った。



「…ダグラス…ダグラス…。」
「何か言ったか?」
 ぼそぼそと口の中で唱える少女の声は兵士には聞き取れなかった。
 気が急いていた所為もあるかもしれない。
 すぐに教会が見えた。
「ダグラス!」
 兵士の呼び声にダグラスはすぐに顔を出した。
「この少女を抜け道へ。しっかりと守れ!いいな!」
「はい!」
 兵士はすぐに行ってしまった。
 その後に残された少女を見て、ダグラスは目を見開いた。
「ティム…シー…?」
「ダグ…ラス…。」
 ティムシーは駆け寄ってダグラスに抱きついた。
「ダグラスっ!みんなが!みんなが!」
「みんながどうしたんだ!?」
「敵が来て、みんな捕まって、みんな…助けなきゃ…月光石を…持って帰らなきゃ…。」
 そう言ってティムシーは泣き崩れる。
 地面にへたり込んだティムシーをダグラスも屈んで覗き込んだ。
「ダメなんだ。あの石はなんの力もないって、ザハール隊長が…。」
「嘘よ!あれがあれば村が助かるって言ったじゃない!!」
「俺もそう思ってたんだ。…でも…。」
「力がなくってもいいの。あの石を持っていけばみんなを助けてくれるって。そう、言われたの。」
 ティムシーは一度敵に捕らえられたのだと話した。
 殺されそうになったとき、ダグラスが月光石を持ってくるから恐くないわと叫び、それで敵の手が止まったのだという。
「かけらを持って帰れば許してくれるって。みんな助けてくれるって。」
「ホントか?」
 ティムシーがしっかりと頷くと、ダグラスはキッと口を結んだ。
 皆が助かるのなら、ザハールに何を言われようと石を持って帰らなくては。
 幸い教会に敵が近付く様子はない。
「ティムシー、行こう。」
 ダグラスは彼女の手を引いて城を目指した。





 城はもうひと気が無かった。
 侍女たちも王女も既に山の中に避難しているのだろう。
 最上階の石のところまで、そう時間はかからなかった。
 最後の大きな螺旋階段を上ると、そこには巨大な月光石があった。
 ごくりと唾を飲み込む。
 何か、威圧されるような雰囲気がある。
 水晶玉のようなつるつるしたその石から欠片をどうやって削り出そうか考え、ダグラスは剣を構えた。
「ダグラス、早く。」
「あ、ああ。」
 どきどきと心臓が打つ。
 なぜだかやってはいけないことの様な気がした。
「ダグラス。」
「うん。」
 返事はするものの、威圧感に圧されて動けない。
「ダグラス!どうしたのよ!あなたも村を見捨てるの!?」
「そ、そんなことするわけないだろ!?」
「嘘よ、あなたは見捨てたのよ!絶対持ってくるって言ったくせに。」
 怨むような目で見られ、ダグラスは弁解をしようと慌てて剣を下ろしてティムシーの方を向いた。
「もう村が落ちたって聞いたんだ。それにこの石に力はないって。」
「嘘よ、自分だけ逃げて、私たちを見捨てたんでしょう。見捨てて、逃げたのよ。」
「俺はそんなつもりはっ!」
「見捨てたのよ、見捨てて、みんな死んじゃったのに平気で生きてるのよ。」
 え?とダグラスは言葉を止めた。
 死んだ、と今言わなかったか?
 でも、この石を持っていけば皆助かるのではなかったのか。
「ティムシー、みんな、死んだのか?」
「みんな…みんな殺されちゃったわ。…私だけ生き残って…。」
「この石を持っていけば、みんなが助かるんじゃなかったのか?」
「そうよ、助かるわ。これを持っていけば、解放してくれるって…。」
「ティムシー?みんなは…生きてるのか?それとも、死んでるのか?」
 ゆっくりと問うと、ティムシーはぼそぼそと呟いた。
「みんな…死んじゃった…殺されて…嫌…違う…助かるの…この石があれば…解放してくれるって…違う…血まみれで…嫌…嫌…イヤ…。」
 目は何も映してはいない。
「ティムシー!」
「何をしている!!」
 ガシッとティムシーの肩を掴んだとき、螺旋階段からザハールが上がって来た。
 無人の筈の城に人影を見て、数人の兵士を連れて上がってきたようだ。
「ティムシーが、村を助けるのにこの石がいるって言うから…でも…。」
 ダグラスがザハールの方にそう説明をする。
 その時、笑い声が聞こえた。
「はははははは!」
 それはティムシーから発せられているようだったが、まるで違う声だった。
 恐怖にひきつりながら、ダグラスは数歩、ティムシーから離れた。
「ティムシー!ティムシー!」
「どういう事だ。」
 危険を感じてザハールがダグラスの手を引いた。
 笑っているティムシーの姿がぐらりと揺れたかと思うと、彼女の体の周りを黒いもやが覆った。
「月光石は戴いて行く。案内ご苦労だったな。」
 もやがそう言った。
 ティムシーはもやの動きに合わせて石に近付いて手を伸ばす。
「魔道士か!やめろ!それに触れるな!それは…!」
 ザハールの言葉など当然何の効力もなく、そのもやはティムシーの体を使って石に触れた。

 その途端。

 ピカッと石が強い光を発する。
「な、なに!?う…うぉおおおおおおおおおおお!!」
 その声を最後に、もやは一瞬で消えてしまった。
 その場に居た誰もが、状況を把握するのに数秒を要した。
 バタンとティムシーが倒れる。
「ティムシー!」
 ダグラスと共にザハールも駆け寄って抱き上げる。
「大丈夫。気絶しただけだ。」

 もやが消え、ティムシーは解放された。
 そして、石はそこにあるままだ。

 ホッとしていると、数人の兵士が駆けあがって来た。
「大隊長!!大変です!」
「何が起こった!?」
 あまりの慌てぶりに、隊が壊滅したのではないかとザハールはティムシーをダグラスに預けて立ち上がる。
「それが…その…。」
「何といえば…。」
「報告をしろ!何があった!」
 なぜか口ごもる兵士たちにザハールは苛立って声を荒げた。
 すると、その中の年若い兵士が呆然とした風に言葉を出した。
「敵が…消えたんです。」
「はあ?」
 コイツは何を言っているのかと他の兵士を見れば、彼らもうんうんと頷いている。
「敵が、目の前から…こう…パッと…居なくなったんです。」
 耳を澄ませば街のそこここから勝ちどきの声が上がっている。
「月光石が…光ったときか…。」
 そう呟いて石を見上げる。

 石の奇跡だ!と誰かが言った。
 その話は瞬く間に街の兵士たちに伝わった。
 石の奇跡が国を救ったのだと。

 ところが…。

「姫様が、姫様が…。」
 避難していた女たちは泣き崩れた。
 あたりが一瞬光に包まれたかと思えば、皆の中心に座していた筈の王女が忽然と消えていた。
「私は、姫様の手を握っていたのです。それなのに、気付いたら姫様は…。」
 侍女がそう言ってザハールの前でへたり込んだ。
 すすり泣きばかりがその場に響いた。

 敵はいなかった、と護衛に付いていた少女、ルウが言った。
「モンスターも、敵も、あそこにはいなかった。姫様は中央に座ってらっしゃったから、さらわれたなんて考えられないよ。」
 誰に話を聞いても、王女は敵と同じように、月光石の力で消えてしまったようにしか思えなかった。





 それから6年が経ち…。




 未だに王女は見つかっていない。
 王と王妃はそれ以前に事故で命を落としていた為、国の要である王の血筋は絶たれてしまった。
 国が国として成り立たなくなってしまったが、国中に入り込んでいた敵軍が一瞬で消えてしまった奇跡を恐れ、もう何処の国も攻め入ろうとはしなくなった。
 今では友好的に、月光石の調査研究を申し出るという形で関わってきている。
 そして、石には何人も触れるべからずというのが暗黙の了解になっていた。

「ザハール隊長。またここでしたか。」
「ああ、ダグラスか。」
 ザハールは月光石に背中を預け、項垂れていた。
「触れるべからず。」
 ダグラスがそう言うと、ザハールは笑った。
「なーんも起こらないだろう?」
 そう、あれから誰が石に触れても、何も起こらないのだ。
 研究も思うように進まない。
「そうですけどね、一応、決まりでしょう?」
「お前と俺の秘密だ。それで問題なし。」
 ふう、と呆れたようにダグラスは溜め息をついた。
「レンが探してましたよ。剣技の手合わせを願いたいそうです。」
「お前が相手してやれよ。」
「どうしてだか、俺はアイツに嫌われてるんですよ。」
「ライバルだからな。」
「別に敵対心持たれてもなぁ…困るだけなんだよな…。」
 ダグラスは呟いて螺旋階段に踏み出す。
 ははは、とザハールが笑い、ああそうだ、とダグラスが足を止めた。
「今日は何の話をしていたんです?ご友人と。」
 ご友人とは月光石のことだ。
 ザハールはこの数年、毎日石に凭れて話しかけていた。
 その殆どは王女の行方についてだが。
「別にィ?いつもの話さ。そろそろ王女を返してくれってな。」
 あの時点で5歳だった王女は今11歳。
 きっとこの世界のどこかに飛ばされている筈だとザハールが主張して、いろんな場所に捜索員を派遣している。
 しかしあの時消えた敵軍も何処にもいないのだから、王女の生存は望み薄だと殆どの人間が思った。
 それでもその希望を捨てることが出来ない人なのだと、ダグラスは理解している。
 村を見捨てたと恨み事を言った時、怒鳴りつけるでもなく諭してくれたこの隊長の心根がどれだけ素晴らしいか、それを理解できる年齢にダグラスは成長していた。



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