霧の向こう

6グアンド


「…でかいって聞いてはいたけど…。」
 グアンドの街の賑わいは、エディンの想像をはるかに超えていた。城下町でさえ都会だと思っていたのに、その何倍だろう、といった風だ。
「城のあたりは女王の意向で古い町並みを大事にしてるからな。無闇に開発できないんだ。」
 カードの言ったことに素直に感心して、エディンは唸る。建物も店の並びも珍しいものばかりで目を奪われていた。
「お前ら、倉庫を借りろ。」
 ぶっきらぼうにそう言ったのはザイールだ。何故だか不機嫌な様子である。
「倉庫?…旅してんのに、ここに荷物置いてくわけに行かないだろ?」
 訝しげに返すエディンに、フェリエが「いえ、」と口を挟んだ。
「遠くからでも使えるように出来ますから、借りておきましょう。この先、この大荷物を持ったまま進むのは骨が折れますでしょう?」
 あはは、とキャムが苦笑いで自分の担いでいる荷物に視線をやる。
 山頂の村から使ったグライダーが、かなり邪魔になっていた。勿論重さもそれなりのものだ。
 こっちだ、とザイールが先を示した。
 ザイールにしてみれば、もうここで別れる約束なのだから正直なところすぐにでもサヨナラをしたいのだが、別れてしまったら背負っている二人用のグライダーの行き場に困る。彼の旅は基本、徒歩の一人旅だ。二人用のグライダーは無用の長物でしかない。かといって、あの村でしか使われていないようなものがいい値で売れるとは思えない。珍しさに買う者はいるかもしれないが。
「大物はこのグライダーだけだろ。ベッドルーム程度の大きさがあれば充分だ。」
 システムが分からないエディン達に代わって、ザイールが貸主との交渉をした。面倒くさがらずにやるのは後腐れのないように整えておくためでもある。
 貸主から鍵を受け取って早速行ってみると倉庫の中は少々埃っぽかったが、それはフェリエの魔法ですぐに解決した。
「この辺りで宜しいでしょうか。」
 フェリエが入口のすぐ近くに立ってザイールに尋ねた。
「知らねーよ。俺は関係ねーだろ。」
 ふいっと横を向いてしまった彼を見てフェリエは困ったような笑みを浮かべてから、自分で納得したように小さく頷いた。
 屈み込んで床に陣を描く。
「何やってるんだ?フェリエ。」
「転送用の魔法陣です。これで何処にいても荷物の出し入れが出来ます。」
「描いた本人にしか使えねーけどな。」
 そう付け足して、ザイールは自分の持っているグライダーを一番奥に降ろした。
「んじゃ、ま、そういうことで。もう手を組むこたあねぇと思うが、俺んとこに厄介事を持ち込むなよ。」
 さっさと倉庫を後にする彼をマルタが捕まえた。
「え!?手を組まないって、一緒に旅してるんじゃないの?おじさん。」
「街までって約束だったんだ。じゃあな、嬢ちゃん。」
「ちょっと待ってよ。あたしに稼ぎ方教えてくれるって約束だったでしょ!?」
「ンな約束してねーだろうが!」
「したもん!!」
 心底面倒臭そうに眉間にしわを作るザイールと、腕を掴んで離すまいとするマルタ。
 その攻防を暫し眺め、カードが言った。
「この街なら仕事は山ほどあるんじゃないか?俺達も修行がてらしばらく滞在するから、マルタはザイールと組んで稼いだらどうだ?」
「いいね!!」とマルタが嬉しそうに言い、「馬鹿かお前!」とザイールが睨みを効かせる。
 と、エディンは笑った。
「好きにすればいいよ。俺達は滞在する。俺達だってギルドに行くつもりだし、仕事によってはバラバラになったり二人でやったりするだろ?暇な時間、マルタがどうするかはマルタ次第だ。」
 個人の自由、と言ってしまったら、自由奔放なマルタがどういう行動に出るかは目に見えている。ザイールがさらに顔を顰めるのを、エディンは悪戯っぽい笑顔で見遣った。
「それに、アンタはマルタの弓の師匠なんだから、もうちょっと面倒見てもいいんじゃないか?俺たちじゃ教えられないんだ。責任持ってほしいな。」
 少し戦闘に慣れてきたとはいえ、マルタの技術はまだまだだ。この先どんなモンスターが出てくるか分からないというのに、その程度の腕では一緒に旅をするのも難しくなってくる。
 ザイールはチッと舌打ちをした。
「…前金は俺のもの、成功報酬は9:1だ。」
 それではあんまりですわと言ったのはフェリエだ。これまでのこともあって、報酬の分け方が不公平に思えてならない。
「んじゃ聞くがネーちゃん、コイツが俺と一緒に闘って、どのくらいの働きが出来ると思うよ。」
 もしザイールが本気で掛かれば、マルタの出る幕はないだろう。かと言って、ザイールが手こずる敵を相手にした場合、マルタの力で助力になるとは思えない。
「いいよ!9:1だね!」
 フェリエが返答に困っている間に、マルタが元気よく答えた。
 溜め息を吐き、ザイールは観念したようだった。



 宿を決めてから、マルタはザイールと共にギルドに向かった。
「強くなって来いよ~。」
 エディンは心なしか楽しげに手を振る。
「大丈夫でしょうか。」
「大丈夫でしょ。」
「ザイールに任せた方が実戦慣れすると思うぞ?」
 エディンの後ろで仲間三人は小声で話しながら見送った。
「さて、と。」
 一段落ついたというようにそう呟くと、カードは街の地図を広げた。
「どっか行くのか?」
「国軍に顔出さないとな。ちょっと行ってくるよ。」
 位置を確認して、その方向をちらりと見遣る。建物の間から少し離れた場所の旗が見えた。
 じゃあ、とカードが軽く手を挙げて出かけて行くと、フェリエも「では、私は…。」と別の場所を指さす。
「え?フェリエも?」
「はい。ここの教会は歴史が古く、力のある僧侶たちが集う場所だそうです。立ち寄って助言をいただくようにと言われていますから。」
「分かった。俺たち…どうしよっか。」
「散歩しようよ!」
 キャムが賑わっている街並みを指さして、エディンの手を引っ張った。
「そうだな。折角だし、今日は観光するか。」
「面白そうなものがあったら、あとで教えてくださいね。」
 フェリエは笑ってそう言ってから、キャムに耳打ちをする。
「美味しいものを見つけて、エディンにお土産にしようっておねだりしてくださいな。」
「うん、分かった。」
 キャムはニッと笑って親指を立てて見せた。
「内緒話か?」
「女の会話に首突っ込まないでよね、エディン。」
 キャムの悪戯な笑顔に、エディンは拗ねたような表情を見せた。
「えー?俺とキャムの仲なのに、秘密はないだろ?」
「乙女の秘密は厳守なの!」
 二人のやり取りを楽しそうに眺めてから、フェリエは「では。」と声を掛けて教会に向かう。
 キャムが「あとでね~!」と大きく手を振った。





 いってきまーす、と元気に出ていくマルタを、フェリエは複雑な面持ちで見送った。
 その顔を見ていたキャムはクスリと笑う。
「心配?」
 問われてフェリエは「そうですね。」と考える。
「心配もありますが、どちらかと言えば…不思議…なのでしょうか。」
「不思議?」
「ええ。だって、あの方、物言いが乱暴でしょう?」
 フェリエが言っているのはザイールのことである。
 マルタはギルドでの稼ぎ方を教わるのだと言っているが、相手はあのザイールだ。この街への道中を思い起こしてみても、マルタが彼と『仲良く』やっているところは想像し難い。問題勃発は必至だと予想してしまうのだが…。
「なのに、あのように楽しそうに出ていくのを見ると、もう、不思議としか…。」
 キャムは面白そうに声を立てて笑った。
「確かに。あのオジサン、一癖も二癖もある感じだもんね。」
「でしょう?…仕事に対する姿勢に関しては真面目だと評することもできますが、人柄はどうにもなじめなくて…。」
「うん、わかる。フェリエとは正反対な感じだもん。無理ないよ。」
「マルタさんは大丈夫なのでしょうか。」
 うーん、とキャムは唸った。
 マルタもまた全然違うタイプの人間だ。まだ付き合いも浅いため、イマイチ性格をつかめていない。
「怒鳴られても言い返せるってことは、大丈夫なんじゃない?…よくわかんないけどさ、きっと色んなことが楽しいんだよ。覚えることは沢山あるだろうし。」
 キャムの言を聞き、フェリエは納得がいったように笑みを見せた。
「そうですね。新しいことを覚えるのは、確かに楽しいことですわ。」
 ゆったりとした動きで自分の荷物を片づけたフェリエは、姿見の前に立って衣服のヨレを直しながら鏡越しにキャムに問いかける。
「それで、エディンは?」
「今日はカードと一緒にギルドに行くって言ってたよ?ついでにみんなでやれそうな依頼も見てくるって。」
 キャムは答えつつ腰のベルトに手裏剣を留めた。武器を持つ必要がない時でもそうやって常備しているのは、何かに警戒してというより彼女のこだわりだ。
 今日も街の外に出る予定はない。もし何か危険があるとしたら、その相手はモンスターではなく人間ということになる。その場合、戦うにしても手裏剣を使うことはないだろう。彼女の雷技で事足りるということもあるが、どんな悪人であろうと武器でけがを負わせるのは本意ではないのだ。
「よしっと。準備できたよ、フェリエ。」
「はい、私も終わりました。行きましょうか。」




 フェリエが訪れるはずだった教会は10年も前に移転したのだという話で、結局その日は目的を果たせずに宿に戻ってしまった。
 何故すぐに移転先に向かわなかったかと言えば、別段遠かったというわけではなく、その街の風潮に少々気おくれしてしまったからだ。
 教会を探す彼女が街ゆく人に声をかけても、殆どの人が素っ気なく「知らない」という返事を返すだけで何も情報を得られなかった。それが全く知らないのならともかく、たった10年で人々の記憶から消えてなくなるわけがない。移転のことを教えてくれた老婦人の話では、この街では人間関係が希薄になっていて、殊に行きずりの人間とは会話をする習慣がないらしい。
 移転前の場所が大きなショッピングモールになっていたことも、この街の冷たさを物語っているかのように思える。師匠から聞いた話では、ここの教会は大層古く荘厳で、信者も多く大事にされていた筈だった。それがどうして移転されることになったのか。
 そして、奇異の目。
 フェリエの格好にあからさまな不快感を顔に出す人々。その視線にすっかりやる気をそがれて帰ってきてみれば、エディンとキャムも同じような思いをしたらしく、沈んだ顔をして帰ってきた。


「あの服、流行なのかなぁ…。」
 歩きながら、キャムは遠くを行く若者の姿を示す。

 この街の若年層は皆似通った服装をしていた。ボタンや金具が沢山ついていて、それぞれに飾りも施されている。普通そういう装飾品は値が張り、庶民の衣類には使われないものだが、この街ではどういう仕組みなのか安値で扱われているらしい。
 同じく街を歩いてきたカードが言うには、あれは流れ作業で作られた安物だという。貴族出身なだけあって、カードの目には一目瞭然らしいのだが、キャムにはちっともわからなかった。
「あんなものを身に着けて金持ちになった気になっているのだとしたら、馬鹿げているよ。」
 カードはそう言っていた。
「あんなものより、ほら、フェリエの白衣についている組み紐のほうが価値がある。丁寧に作られているのがよくわかるだろ。」
 よくわからないキャムは苦笑いで頷いた。

「フェリエはどう思う?ああいうの。」
「ここの方たちの服装ですか?」
 遠巻きに眺めて二人はしばし立ち止まる。
「珍しいとは思いますが、その街ごとに好まれる傾向というのがあって当然だと思いますから…。」
 服装に文句はない、とそういう意味だとキャムは受け取った。キャムもそうだ。服装に文句をつける気はない。しかし、もやもやしたものが胸につかえる。
「ただ…私たちを異質なもののように見るのはあまり気分のいいものではありませんわ。」
 だよね、とキャムは歩みを進めた。
「エディンとお店まわってたらさ、指さされて笑われちゃった。」
 二人が歩いた場所はたまたま地元の若者がよく行く通りだったらしく、立ち寄った店の主人にも「観光客は西のエリアに行ったほうがいい。」と忠告された。その店主が街の若者の非礼を代わりに詫びてくれるような人のいい人物だったのが救いだ。
「教会の方はきっといい人です。」
 フェリエは自分にも言い聞かせるようにそう言って足を速めた。



 教会は荘厳とはかけ離れた小ぢんまりとしたものだった。
 入ってみると礼拝堂には人影がない。
「誰もいないのかな?」
「そんなことはないと思いますが…。」
 フェリエは精霊像の脇にある奥への扉をノックした。
「ごめんください。どなたかいらっしゃいませんか?」
 暫しの静寂の後、中から返事が聞こえる。
「はい、少々お待ちください。」
 何か御用ですかと言いながら扉を開けた僧侶は、人が訪れることを予想していなかったかのような表情だった。高位の僧侶の証である肩掛けがないことで、彼が中位もしくは低位の僧侶なのだとわかる。
 フェリエが訪問の目的を告げると、彼は「そちらへ」と礼拝堂の椅子へ促した。
 二人は最前列に腰かけ、僧侶の言葉を待つ。
 僧侶は恭しく精霊像にお辞儀をしてから二人のほうを向いた。
「ご修行の旅路、ご苦労様です。わざわざ立ち寄っていただいたのに申し訳ないのですが、今、この教会にはあなたに教えを説ける僧侶はおりません。」
 本当に申し訳なさそうに言われたことに反って恐縮してしまい、来るタイミングが悪かったのだと言おうと尋ねる。
「どこかにお出かけになっているのですか?」
「いえ、そうではなく、昔はこちらに身を置いていた高位の僧侶も、今はもう他所に移ってしまったということです。ここにはわたくししか居りません。」
 予想外の返事に、フェリエは二の句が継げなくなってしまった。
 その戸惑いを察して、僧侶は語り出した。


 確かにこの街の教会は大きく、人々の集う場所になっていました。しかし、それはもう過去のことです。
 街が発展し始めたころから、ここの住人は変わってしまいました。暮らしが便利になってくると、魔法の必要性が薄れ、呪文を覚えて魔法を使おうという人は少なくなっていきました。と同時に、精霊に対する信仰心が薄れてしまったのです。
 そうなってくると、もともと持っている魔法さえ疎ましく感じるようになり、さらには幼いころから魔力が発現した子供は危険だという考え方が出てくるほど。極端な例では、『精霊は赤子を狙う悪しき存在であり、人間はその存在によって操られて生きているのだ。』と説く者までいました。それは新しい宗教のようなもので、住人の一部に浸透していきました。
 その頃の教会は僧侶の修行に力を入れていましたから、一般の方々がどのような考えを持っていても僧侶が真実を知っていれば良いのだ、魔法を使いこなして見せれば悪いものではないと判らせることができる、と考えていたようです。
 しかし、その教会の態度は世間との隔たりを広げただけでした。
 当然のように街の人々との繋がりはなくなり、その状況に嫌気がさしたのでしょう。ここを訪れる僧侶も徐々に減っていきました。
 そしてある時…。


 そこで僧侶は言葉を止めた。
 神妙に聞いていたフェリエとキャムは視線を上げて彼を見やる。
「…何かあったのですか?」
「はい。15年ほど前のことです。…私はその頃まだ修行中の身でしたが…、ここの守りを務めていた前任の僧侶のところに、ある夫婦が赤ん坊を連れてやってきました。」
 夫婦が言うには、その赤ん坊は生まれた時から魔力が強く、躾けようにもまだ言葉が分からないでは躾けられない、だから精霊を封印してほしい、と。
「封印…ですか。」
 フェリエが特に驚かなかったのは、自分も封印を施されたことがあるからだ。
 僧侶を目指す者は必ず一度、守護精霊の封印を受ける。それは、さらに力をつけるため元々自分が使える魔法を封じ、その精霊との再契約を果たしてより力を強固にするためのものである。
「はい。その夫婦はどこからか修行のための封印術のことを聞いてきたらしいのです。民衆の間には既に精霊を軽視する考えが広まっていましたから、勿論その夫婦には子供に修行させようなどという考えは少しもありませんでした。ただ、精霊を封印してほしいと。」
「それで、引き受けたのですか?」
「一度は断りました。そもそも子供の魔力というのはほんの微々たるもので、制御できなくても親が怪我をするほどのことはありません。ですが、夫婦は譲りませんでした。精霊が子供を使って悪さをするのを封印するのは僧侶の責任ではないのか、自分たちだけで封印術を独占しているのは卑怯だ、というのです。」
 話に出ていた『新しい宗教』の考え方なのだろう。精霊は悪しきものだと認識していたことが窺える。
「押し切られたような形で、教会側はその依頼を受けてしまいました。前任の守りも多少躊躇いはあったようでしたが、魔法が必要になった時に封印を解いてあげれば良いと単純に考えていたのです。」
 口ぶりに、その後何か問題が出たことを含ませている。嫌な予感にフェリエは眉をひそめた。
「…何か…良くないことが?」
 僧侶は静かに頷いた。
「その話はすぐに世間に知れてしまい、それからは流行病のように、子供の精霊封印を望む親が教会を訪れました。魔力の発現がみられない子供まで連れてくるほどで…。」
 封印を施すのが常識化してしまったのだという。
 便利な世の中になり魔法を使わない生活が普通になって、魔法は悪しきものだと認識された。その原因たる精霊を封印するのは、その人々にとって当たり前のことだったのだろう。
「問題が起こったのは5年前です。小さいころに封印を施された子供が、親に連れられてここにやってきました。封印を解いてほしい、と。」
「…問題…なのですか?封印を解きたいというのなら、それは喜ばしいことでは…?」
「はい、前任の守りも精霊信仰を取り戻してくれたのだと大層喜んで、封印解除を引き受けました。ところが…。」
 また僧侶は言葉を止めた。胸が詰まるような苦しげな表情を浮かべている。
 先を聞くのも躊躇われ、フェリエも押し黙る。
 重い口が開かれた。
「…封印を解いた瞬間、…その子供には炎の精霊がついていたのですが、その瞬間…精霊はその子供を炎で焼き殺してしまったのです。」
 ハッと息をのんでフェリエは両手で口元を覆った。
「…そ…んな……。」
「私どもは愚かでした…。修行もなく、ただ精霊を閉じ込めることが精霊への冒涜だと、誰一人気付かなかったのです。」
 その事件の後、前任の守りは自ら命を絶ったのだという。自分のしてきたことの罪の重さに耐えられなかったのだろう、と僧侶は語った。
 封印を施された子供たちは今だその解除の方法が見つからず、そのままになっている。15年前から5年前までの10年間、この街のほぼすべての幼児に封印が施された。このまま封印しておいていいのかという声も出ているため解決方法を探っているが、新たな封印解除の方法を考えたところで使ってみなければ成功するかどうかわからない。そして、失敗すればその子供には死が待っているとなれば無暗に試すわけにもいかないのだ。


 そんなわけで今この教会には高位の僧侶はおりません、と彼は締めくくった。
「…やな話聞いちゃったね…。」
 帰り道を歩く二人の足取りは重かった。
「…ええ…。」
 フェリエは短く返事をして、目を伏せた。
 師匠から聞かされた話にあった教会内部の壁画を、ずっと見てみたいと思っていた。それは素晴らしく、一日中でも眺めていたくなると師匠はうっとりと語ったものだった。精霊信仰が軽んじられたなどという話はなかった筈だ。それはいつのことだったのだろう。彼はかなりの高齢だから、もしかすると軽く半世紀は超えているのかもしれない。
 そんなことを考えながら歩いていると、通りの少し先に小さな子供がいるのが見えた。
 5歳ぐらいの兄が、まだ歩き出したばかりの妹の相手をして遊んでいる。
 あの子供は封印術を施されているのだろうか、と足を止めた時、子供の周りに小さな火が熾った。
 キャムがハッとしてフェリエを見ると、彼女は食い入るようにその光景を見ている。
「おかーさん!またロロが火を出した!」
 兄の声にすぐ脇の家から母親が出てきた。
「まあ…。駄目よ、ロロ。」
「痛いよ!僕の手を焼いたんだ!」
 妹を抱き上げた母親の手にすがるようにして兄が手を差し出す。
「大丈夫よ。火傷するような火じゃないでしょ?」
 不機嫌な兄の様子を解っているのか、ロロという幼子は泣き出してしまっている。それを母親があやしているのが兄は気に入らないようだ。自分が痛い思いをしたのに、どうして妹が抱っこしてもらえるのだ、と。
「いっつも僕に向かって火を出すじゃん!!ロロは僕のこと嫌いなんだ!」
「違うわよ、トト。まだうまく操れないだけ。」
「操れないなら封印してもらえばいいじゃんか!!どうして僕は封印したのに、ロロはしないのさ!!」
 途端、フェリエは暗闇で覆われた感覚に陥った。



 目を開けると、フェリエはベッドに横たわっていた。
 どうなったのかわからず、取り敢えず体を起こす。すると部屋には見知らぬ老婆が立っていた。
「あの…すみません。私、気を失っていたのでしょうか…。」
 老婆はその問いかけに答えない。
「…私の連れはどこでしょう…?」
 居心地が悪くてキャムの姿を探すものの荷物もなく、居た形跡すら見当たらなかった。
 すっと老婆が腕を伸ばして指をさした。その先は窓の外に向かっている。
 キャムの居場所を教えてくれたのだと思い、フェリエはベッドから立ち上がって窓に近づいた。
『お前は…』
 しわがれた声が耳に響いた。
『あの子たちを救えるかい?』
 窓はまるでスクリーンのように、先ほどの光景を映し出していた。
 二人の子供、トトとロロが遊んでいる。突然熾る小さな炎。さっき見た光景なのに、フェリエの目には違うものが見えていた。
 トトの周りを取り巻く空気は喘ぎ苦しんでいるかのよう。それが封印された精霊の怒りと苦しみなのだとフェリエは感じ取った。
 そして、ロロの精霊が憂いを持って手を差し伸べているのが見える。二人の精霊は、どちらも炎の精霊だった。
(攻撃したのではなく、助けたいのだ。)
 その思考がフェリエ自身のものなのか、流れ込んできた意識なのか、判別はつかなかった。ただ、フェリエは唐突に理解した。
 老婆の言う『あの子たち』とは、精霊のことだ。
『救えるかい?』
 声が響き、繰り返される…。


「フェリエ!どうしたの!?フェリエ!」
 キャムの呼びかけに、ハッと我に返った。
 血の気が引いたような感覚はあるが、フェリエは倒れてはおらず、あの子供たちを凝視したままだった。
 視線が動いたことでキャムはホッとしてトーンを落とした。
「大丈夫?具合悪いの?」
「…いえ…。キャム?」
「なに?」
「私、やらなくてはならないことがあるのです。先に帰ってくださいな。」
 いつも通りの優しげな口調に、強い意志のようなものが重なっている。
 キャムは何となく嫌な予感が湧き上がり、返事ができなかった。
「先に宿に帰ってください。」
「…用事があるなら付き合うよ。暇だもん。」
 再度の要求に、キャムは否と答える。今はここにいなくてはいけない気がした。
「駄目です。帰ってください。」
「どうして?」
「…私…あの子たちを殺してしまうかもしれません…。」
 だから、とフェリエは続ける。
「あなたは関わらないでください。…エディンに、お世話になりましたと言っておいてください。」
 ニコッと笑った彼女は、止めてはいけないような雰囲気を纏っていた。
「フェリエ…。」
「帰りなさい。」
 歩き出すフェリエを数歩追い、キャムはどうしていいかわからず歩みを止めた。



 フェリエは親子に近づくと、母親に笑みを向けた。
「すみません、娘さんの力を貸ります。」
 そう言って有無を言わさず母親の腕の中の幼子を抱き寄せる。
「なんなんです?」
「息子さんを助けるためです。ね、トト。あなたも、魔法、使いたいのでしょう?」
 その言葉に母親は慌てて娘を取り返そうと腕を回した。
「まさか、封印を解くつもりですか!?やめてください!!危険なのでしょう!?」
「娘さんの助けがあれば、大丈夫です。やらなければなりません。トトの精霊は苦しんでいるのです。」
「やめてください!」
 強く抗議する母親の腕を、いつの間にか近づいてきていたキャムが押さえた。
「待って、おばさん。」
「キャム、帰りなさいと…。」
「おばさん、お願いします。フェリエにやらせてあげて。フェリエは絶対に子供たちを苦しめたりしない。フェリエは、そんな人じゃないもん。子供たちを危険な目に遭わせて平気でいるような人じゃない。私が、保証します。……だから、ね、フェリエ。私はここで見てる。フェリエは、やらなくちゃいけないことをやるんだよね?」
 キャムの瞳にも、強い意志が見えた。
 それは初対面のその母親にも伝わった。キャムに促され、母親は娘からゆっくりと手を離す。
「でも…封印解除は危険だと…。」
「このままでは良くないのです。必ず、成功させます。」
 お願いしますとフェリエは腕の中のロロを支えながら頭を下げた。引く気はない。
 大丈夫だと胸を張って言える自信は、実のところなかった。
 でも、とフェリエは思っている。
 あの老婆は精霊を司る存在に違いない。その存在がフェリエに『救えるか』と問うた。それは、フェリエに問うだけの価値がある証拠ではないか。精霊信仰では、精霊は人間を守護するものだとされている。それが真実なら、精霊だけを解放して子供たちの命を見捨てるようなやり方を、あの老婆が良しとするわけがない。
(私にはその力があるのだ。)
 だから問われたのだ、と心の中で繰り返す。
 あの窓から見た光景は、やり遂げるために必要なものを与えてくれたはずだ。この幼子の精霊の差し伸べた手が、封印された精霊を助ける役に立つはずだ。



 家の中でトトを椅子に座らせ、ロロを抱きかかえたままフェリエはかがんでトトの手を取った。
「イヴィ・ルトゥラ・インヌ・ハウヴ…。」
 教会に仕えるものでなければ知らない言葉を、フェリエの唇が紡いでいく。
 不安げに見守る母親の手を、キャムがグッと掴んだ。母親を気遣ってのことでもあるが、キャムも不安に押しつぶされそうだったからだ。キャムには、ただ祈るしかできない。
 フェリエの祝詞が進むにつれ、子供たちを取り巻くものがキャムと母親にも見て取れるようになっていく。時折熾る火が、見守る二人を驚かせ、トトを逃げ腰にする。
 大丈夫だというように、フェリエはトトを抱き寄せた。万が一の時には一緒に逝く覚悟だ。
(どうか、聞き入れて。どうか、憎しみに飲み込まれないで。どうか、許しを。)
 祝詞には単純に封印を解除するための言葉だけではなく、フェリエの思いも織り込んでいく。
 普通なら1,2分で終わる解除をゆっくりゆっくりと進め、10分以上もかけて紡いだ。そして、最後は精霊を讃える言葉で締めくくる。

 フェリエの声が止まり、その腕から子供たちが解放されたのを見て、母親は急いで二人を抱きしめに駆け寄る。
「トト!ロロ!」
 ふわりとフェリエの体が倒れた。元々白い肌から、完全に血の気が引いている。
「フェリエ!!」
 キャムが抱き起すと、フェリエは薄く瞼を開いた。トトを指し示す。
「掌の痣に集中して、スパーク、と唱えてみてください。」
 母親がトトの右の掌を覗くと、そこには痣ができていた。掌を広げて前に差し出させ、フェリエの言った呪文を言うように促す。
 トトは戸惑いながら、小さな声で「スパーク」と唱えた。
 ポッと小さな火が痣の数センチ上に灯る。
「すごい!!僕、魔法使えた!!」
 歓喜の声をあげ、トトは嬉しそうにその炎を母親と妹に見せている。
 それを見届けると、フェリエはまた瞼を閉じた。
「フェリエ!!」
 キャムがまた声を上げると、母親が慌てて立ち上がった。
「今、お薬をお持ちします!」
 フェリエは気を失ったわけではなく、疲れのために少しも動けない状態になっていただけだった。
 差し出された温かく粘性のある飲み物は、聞けば教会からもらったものだという。
「トトの精霊への捧げものになるといわれて、これを飲ませていたんです。少しでも精霊の怒りを鎮めるために。」
 確かに捧げものとして良いものらしく、フェリエの魔力はすぐに回復した。
 教会の僧侶もただ手をこまねいているわけではなかった。この地区に住む住人達は比較的信仰心があり、封印解除の問題が上がった時から、教会を頼みにしているようだ。そういう人々を対象に、その薬を配っているらしい。封印を施し、解除が出来なくなってしまったことへの償いだろう。



 動けるようになるまで休ませてもらうと、フェリエとキャムは教会に戻って解除の方法を伝え、フェリエはこれから毎日ここを訪れると約束してから宿に帰った。
「ですので、申し訳ありませんが、ギルドのお仕事には参加できません。」
「毎日、封印の解除に行くのか?」
「はい、一日に一人が精いっぱいですが、ここにいる間は毎日行こうと思います。」
 やって見せればあの僧侶もすぐに解除法を自分のものにするだろう。
「そうか。こっちは問題ないよ。気にせず行ってくれ。それも修行のうちだろ?」
「はい、では遠慮なく。」
 エディンとのやり取りを笑顔で終えると、フェリエは談話室から出ていった。そのあとに残ったのはエディンとキャムだ。
 キャムは沈んだ顔で目を伏せた。
「私もギルド行かない。」
「え?」
 エディンが驚いてうつむく顔を覗き込むと、キャムの目は潤んでいた。
「…どうしたんだ?キャム…。」
「私、フェリエの付き添いする。」
「…でも、それじゃあキャムが鍛える時間が無くなるだろ?」
「だって、フェリエ、倒れちゃったんだよ。いつもだってあんな白い肌してるのに、もっと真っ白になって…。死んじゃうんじゃないかって思ったんだから…。」
 話をしていたフェリエはもうすっかり回復しているようだった。だからエディンは別段気にしなかったのだが、間近でその様子を見てきたキャムは心配で仕方ないのだろう。
 少し考えて、エディンはポンと手を打った。
「よし、じゃあ、交代で付き添うことにしよう。カードにも頼んでさ。そうすれば、みんな修行できるし、フェリエのことだって手助けすることもできる。」
 明日は俺が行くよ、とエディンはキャムの背中をポンポンと叩く。
 キャムはパァッと笑顔が戻り、感謝を示すようにエディンの腕に絡みついて甘えた。




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