霧の向こう

小休止1


1.ぬいぐるみ

 シアンという町は穏やかなところだった。
 町の外も比較的安全で、ちょっとした用事なら住民は武装なしで出かけてしまうほどだ。
 そんな空気に、エディン達は久々にのんびりとした気分に浸っていた。


「エディン!アレ見て!かっわい~!」
 キャムは今日も元気にはしゃいでいる。雑貨屋を覗こうとエディンを引っ張って行き、あれが欲しいこれもいいなと好きなことを言う姿は、年齢に関係なく女性であることを思い起こさせた。
 買ったって持ち切れないよ、とエディンが苦言を刺すと、キャムはぷうっと膨れた。
「わかってるよーだ。」
 別に本当に買おうと思っている訳ではない。可愛い、欲しい、と口に出したいだけだ。そして、エディンと一緒にいたいだけ。
 エディンと二人で買い物を楽しむ。エディンと二人で散歩をする。エディンと二人で美味しいものを食べる。
 そんなことがとても嬉しく感じられる。
(女心なんて………エディンには分からないか………。)
 そんな事を考えながら、売りもののぬいぐるみを思わず抱きしめていた。
 すると、それはエディンにヒョイッと持ち上げられてしまった。
「これ、気に入ったのか?」
 そう言って返事も聞かずにレジに持っていく。
「あ…。」
 別に欲しい程気に入ったわけではなく、たまたま手に取ったものだった。
 欲しいものなら他にいくらでもあるのに、抱きしめていたことで誤解されてしまったようだ。
 違う、と言おうと思った時にはもう、エディンは店員にお金を差し出していた。



「あら、そのぬいぐるみ、可愛いですね。」
 宿に帰って部屋に入ると、同室のフェリエがキャムの腕の中のぬいぐるみを見てそう言った。
「うーん……そう…かなぁ…。」
 実を言うと少々個性的なぬいぐるみで、一般的な『可愛い』からは少しずれている。サラマンダーをモデルにしているであろうその風貌は、女の子たちから絶賛されるようには見えない。しっかりと抱き抱えるとチラリとのぞいた赤い舌が首筋に当たり、ヤモリ風の足がお腹や胸にぴったりと張り付くから、遠目で目撃したらモンスターに飛びつかれたと思ってしまうだろう。勿論素材が布だから、少し近づくだけで偽物だということは分かるのだが。
「…気に入ったから買ったのではないのですか?」
 不思議そうに問われ、キャムは返答に困った。
「うーん…フェリエは可愛いと思うんだ?」
「個性的ではありますが、モンスターもそう言う姿になると可愛げがあるなと思ったのですが…。」
 キャムはじっくりとぬいぐるみを眺める。
「…確かに…。」
 ぬいぐるみとしての本来の可愛さに到達しているかは置いておいて、本物のサラマンダーと比べたら、かなり可愛いといえるだろう。
 そう思っているとフェリエがクスッと笑った。
「何?」
「うふふ。エディンのお友達ですね、そのぬいぐるみ。」
「どうして?」
「サラマンダーは火の精霊と呼ばれることもあります。実際に火を使いますし。」
「成程、炎はエディンのお得意だもんね。」
 そう納得すると、急にぬいぐるみに愛着が湧いてきた。ぎゅっと抱きしめる。
「決めた。この子の名前、エディーにする。」

 欲しいものは他にもあったけど、未練はなくなった。エディンが躊躇なく買ってくれたのだから。
 それに、エディンの分身だと思えば嫌いになれるわけがない。
 キャムは一生大事にしようと心に決めた。





2.技があれば年の差なんて

 日もとっぷり暮れて、そろそろお風呂に入ろうかとキャムが荷物から着替えを出していると、窓の下、宿の裏手に人の気配がした。
 こんな時間に外に出る人がいるのかと少し気になって覗いてみると、それはカードだった。手には彼の使い慣れた槍を携えている。
「…どうしたんだろ…。」
 窓からは見えない場所に行ってしまったから、カードが何の為に外に出たのかは分からないままだ。
 キャムは少し考えると、武器を持って外に駆けだした。


 ぶんっと槍が空を切る。
 その動きは基本的な型なのか、躊躇いのない美しいラインを描いていた。
 ハッと吐き出される息に声帯の震えは伴わない。本来なら気合を入れるために声を出すところだろう。夜だからと気を使っての事だと見ているキャムは思った。
 また槍が音を立てて空を切った。その音は徐々に早く、連続したものになって行く。
 くるくると回る槍が一陣の風を作った。

 パチパチという拍手の音に、カードは姿勢を正して振り返った。
「…ああ、キャムか。驚いたよ。」
 にこっとキャムが笑う。
「私もびっくりしちゃった。何か事件でもあったかと思って飛んできたんだから。」
「あはは、そうか。悪かったな、寛いでるところ。」
「ううん。私も体動かそうかな。」
 そう言って、持ってきた手裏剣を建物の脇に置いて、衣服のベルトを締め直した。
 それなら、とカードも槍を置く。二人で鍛錬するにはこの場所は狭い。槍を振り回してキャムに掠りでもしたら大変だ。

 ぶんっと二人で同時に蹴りの型を出したときに、キャムはニッと笑みを向けた。
「そう言えば、あの時カードとエディンで連携技やったよね。」
「連携技?」
 しばらく考えて、賞金首の植物系モンスターを相手にした時の事だと思いだす。
「…あ~…あぁ、アレ、連携技かあ…。」
 あれは、キャムが倒れて追いつめられていたから必死になっただけのことで、狙ってやったわけではなかった。
 アレが連携技か、とカードは妙に感心してしまった。
「なんだ、エディンと話さなかったの?」
「あの時はキャムも危なかったし、疲れて夜はすぐ寝たし、ほら、金のことで揉めたりもしただろ?すっかり忘れてたな。」
 あー揉めたね、とキャムは仕事を依頼してきた中年男の事を思い出して顔を顰める。
「アレが普通に出せるようになっといた方がいいんだろうな。二人みたいに。」
「そうだね、きっと戦闘が楽になるよ。エディンと練習すれば?」
「ああ、わかった。明日にでもやってみるよ。」
 そう言いながら、その時の感覚を思い出そうとしたのか、カードは風を起こした。ひゅうっと建物の間を風が駆け抜ける。
 その風を追うようにキャムが視線を動かして空を見上げて言った。
「私の雷も、使いたかったらいつでも言ってよ。バシバシ落としてあげちゃうから。あはは。」
「そうだな、エディンの動きを真似すれば、キャムとも連携できるかな。」
「やってみる?」
「え、今か?」
「善は急げって言うでしょ?」
 ふん、とカードは腕組みをした。
 キャムとしては軽く言ったことだったのに、カードが真面目に悩んでいるように見えて、苦笑を向ける。
 いつでもいいよと言った方がいいかとキャムが思い始めた時、カードは槍を持ち上げた。
「ここじゃ狭い。広場まで付き合ってくれるか?」


 呼吸を合わせるのは難しいことではなかった。
 カードは根が真面目だし、キャムはパートナーに付き従うことに慣れている。試行錯誤は数回で済み、二人の連携技は完成した。
「名前決めようよ。」
 キャムが言うとカードはうーんと唸る。
「雷神…。」
「それじゃ雷様だけだよ。」
「雷神の怒り…とか。」
「あんまり変わってない気がする…。」
「…雷の威力がすごいし、それなりに技の特徴を言い表してると思うんだが…。」
 うーん、と今度はキャムが唸った。
「まあ、いいか。エディンも適当に付けたみたいだし。」
 雷神の怒りで決定ね、とキャムが言ったところで丁度宿に着いた。
「明日モンスター狩りのとき、使ってみんなを驚かしちゃおうよ。じゃ、おやすみ。」
「ああ、付き合いありがとう。おやすみ。」

 性格も違えば歳も離れている。そんな二人が珍しく同じように明日を楽しみに思っていた。






3.一歩前進

 しばらくこの町に滞在することにして、エディンとカードはギルドに顔を出した。
 住人や自治からの依頼をこなせば旅の資金の足しになるし、同時に修行にもなる。とは言っても何でもやればいいというわけでもなく、それなりに吟味が必要だ。
 幾つかの依頼書に目を通して、エディンは指を指した。
「これ、どうかな?」
「…ちょっと簡単すぎないか?」
 簡単な依頼はレベルの低い者の為に残しておくのがマナーだ。大抵の街に、ギルドでの稼ぎで生活している人が存在する。あのザイールのように旅をしながらギルドを転々としているプロとは違い、定住してギルドを利用する者はその日暮らしであることが多く、戦闘能力もあまり高くない。よそ者がその食い扶持を奪っては、そういう人々が生きていけなくなる。
 カードは小さく唸ってから別の物を指した。
「これぐらいなら、行けるんじゃないか?」
「…んー、それ、ちょっと気になってんだけどさ。」
 エディンが引っかかっている部分はカードにも解った。
 モンスターの大きさ、攻撃の種類、必要な武器を見た限りでは、そう強い個体だと思えない。しかし、有効な攻撃などの情報まで判明している割に、成功報酬が高くなっている。
 依頼書を見る時、最初に成功報酬が目に入る。その金額で難易度がある程度推し量れるから普段はそこでふるいにかけるのだが、その依頼は金額と内容が釣り合ってないように見えた。
「あー…あんたら、ツレに中位以上の呪文が使えるヒーラーはいるかい?」
 悩んでいる二人に、店主が声を掛けた。
「え?ヒーラーはいるけど…中位呪文って…?」
 呪文のことに明るくない二人は顔を見合わせる。フェリエがいれば即答できるのだろうが。
「依頼書の補足を見てみな。そのモンスターには手を焼いててなぁ…。」
 言われて視線を走らせると、下の方に後から付け加えられた情報が書いてあった。
『モンスターの特殊攻撃:縛り』
「縛り…って?やられるとどうなるんだ?」
 エディンには初めて耳にする技名だ。モンスターの攻撃の『縛り』も、魔法の『縛り』も聞いたこともなかった。
「簡単にいえば動けなくなる。種類は幾つかあるが。」
 カードがそう答えると店主は頷いた。
「そいつが使うのは、足が動かなくなるタイプだ。上半身は動けるから剣は振れるんだがな、腕だけじゃ何とも。子供が無茶苦茶に腕を振ってんのと大差ないんだよ。」
 そのモンスターはゴーレムタイプの硬くて重いものだ。斬る攻撃はあまり有効ではない。打突タイプのインパクトのある攻撃が必要になってくる。それなのに足を縫いとめられてはロクな攻撃が出せないだろう。
「だから、解放の魔法が使えるヒーラーがいないと。」
 店主の言葉に二人はまた顔を見合わせた。
 フェリエがそれを使えるか分からない。数秒の間のあと、二人は同時に店主に向かって行った。
「やめとくよ。」「引き受けます。」
 え?と店主も含めて三人で固まる。
「えーっと…、どうするんだい、兄ちゃんたち。」
 困り顔の店主を余所に、エディンとカードは向かい合った。
「フェリエが使えなきゃ無理だろ?」
「俺たちは、修行をしてるんだよな?フェリエも。なら、多少の危険は範疇のうちじゃないのか?」
 新しい魔法の必要性を感じれば彼女のステップアップにも繋がる筈だ、とカードは言う。
 ゴーレムタイプは動きが極端に遅い。足を止められても手が動くなら攻撃の合間にアイテムは使える。縛りは一定の時間が経過すれば自然と外れる魔法だ。解けるまでアイテムで持ちこたえればいい。万が一倒せなくても、逃げ帰ることぐらいは出来る筈だ。
「うーん…まあ、確かに…。」
 エディンが腕組みをして考えに入り、それでもまだ踏ん切りが付かない風を見て取って、カードはさらに言った。
「4人もいれば、なんとでもなるさ。」
「…そう…だな。同時に全員ってことはないだろうし。」




 解放の呪文はまだ発動を成功させた事がないのだとフェリエは恥ずかしげに小さくなった。
「いい機会じゃないか。切羽詰まれば使えるようになるかもしれないだろ?」
「…そんなにうまくいくでしょうか。」
 困った様子でそう言うフェリエに、キャムは首を傾げる。
「魔法って呪文覚えれば使えるようになるもんなの?」
「いえ、厳密にいえば呪文だけでは…。呪文を唱えることで精霊を呼びだすのです。その呪文に見合った力がないと、魔法は発動しません。」
 例えば、とフェリエは短い呪文をキャムに教えた。
「そちらの落ち葉に集中して、唱えてみてください。」
 うん、とキャムは頷いてから落ち葉に視線を落とす。
「ショート!」
 パチッとはじけるような電気が走った。
「特に訓練なしでこの魔法が使えるのは、キャムが既に呪文に見合った力を持っているからです。普段から雷を使っていますでしょう?それはキャムがその生をもって雷の精霊と契約しているからで、呪文を唱えなくても精霊を呼び出せる特権を持っているのです。この場合、呪文は命令をより明確にするためのものでしかありません。」
 でも、とフェリエは別の呪文を教え、「唱えてみてください。」と促す。
「ブリーズ!」
 キャムが唱えた呪文は小さな風を起こすものだ。しかし、何も起こらない。
「キャムは風の精霊を呼びだす力がありません。だから、唱えても何も起こらないのです。その呪文を使えるようになるためには、風の精霊を呼び出すための初歩的な召喚呪文から始めて、徐々に鍛えていく必要があります。」
 呪文なしで魔法を使えるのは、普通一人一種類だ。生まれる時、赤ん坊の魂が精霊と契約を交わすからだと言われている。キャムは雷の精霊と、カードは風の精霊と、エディンは炎の精霊と契約しているということになる。
「フェリエが解放の呪文を発動させられないのは、何の力が足りないの?」
「さあ、それは私にも。難しい呪文は言葉の意味を正確に理解するところから始めなくてはなりませんから、私がまだ、言葉の隅々まで理解できていないということかもしれません。」
 キャムは「ふーん。」と溜め息のような長い相槌を打った。
「難しいんだね。」




 縛りに捕まらないように、4人はなるべく動き回ってモンスターの狙いを散らしつつ攻撃を掛けた。
 しかし、ギルドで手を焼いているだけあって、縛りの魔法は思いがけないところにも現れる。それぞれが二度三度と足を取られ、その度にフェリエが解放を試みるものの発動には至らなかった。
「!?…申し訳ありませんっ…掛かりました…。」
「フェリエ!」
 足を止められたカードとキャムの体力を回復しようと走り寄ったところで、今度はフェリエが捕まってしまった。
 モンスターはゆっくりとフェリエの方に歩み寄っている。
「口は動きますから、私はここで回復魔法を使います。お気になさらず攻撃をしてください!」
 そうは言っても威力のあるモンスターの攻撃を受けてしまっては呪文が中断されてしまうだろう。エディンはフェリエの前に立ってモンスターの攻撃に備えた。
「フェリエ、アレをやる。全回復たのむ。」
 アレが何を指しているのか、フェリエはすぐに気付いた。数日前、エディンが期せずして編み出した破壊技だ。
 旅の途中、大岩に道を阻まれ、それを破壊しようとした一行は何度も岩に攻撃を加えたのだがままならなかった。とうとう怒りに身を任せたエディンが体ごと突っ込んで行くと、それまでにない攻撃力が生み出されて岩は砕け散った。
 近くで見守っていた旅人達も大喝采だったのだが、エディンは体力を急激に消耗した風で、その場に座り込み、しばらく動けなかった。
 確かにあの技ならゴーレムタイプに有効だろう。しかし、体力の消耗が凄まじい。
 フェリエは言われた通り全回復の魔法を掛けた後、エディンを呼びとめた。
「待って!あの技を使うのでしたら、私の合図で出てください!」
 彼女が何を考えているのか予想が付かないが、呪文を唱え始めてしまったヒーラーには話しかけるわけにいかない。エディンは了解の返事を返し、ガードをしながら合図を待った。
 ゆっくりした動きのモンスターだが、攻撃の威力はかなりのものだ。気を抜けば力に負けて膝をつくか飛ばされるか。ヒーラーを背中に隠している今、エディンは動くわけにはいかない。心地好い呪文を背中に聞きながら、エディンは足に力を込めた。
 フェリエが唱えているのは体力回復呪文だ。いつもと変わらない。それはエディンに向けてのものだが現時点で回復は意味をなさない。これからの攻撃に備えての事だとはわかる。それが唱え終わったところで合図が来ると思っていたのに、フェリエはまだ呪文を唱えていた。
「フェリエ!?」
 振り返ると、真剣な眼差しがエディンを捕らえている。まだ待てとの意だと受け取り、エディンは逸る気持ちを抑えた。
 フェリエは魔法を重ねて同時に放つことが可能だ。その時は二つの呪文の間に接続呪文を入れる。攻撃魔法を重ねる時は『エス』、回復魔法を重ねる時には『ハス』である。
『ハス』のあとに続けられたのは、また体力回復だった。
「…この者に生の活力を、ヒール!!」
 言い終わると、フェリエはモンスターを指し示す。同時にエディンが飛び出した。
 魔法の同時打ちは魔力をどんどん吸い取られる。その代わり、その効果と継続時間は普通の倍以上になる。エディンの使う技が体力を急激に消費するため、それを補おうというわけだ。

 フェリエの魔力はエディンの大技に際限なく力を注ぎこんでいるかのようだった。
 エディンの破壊技がモンスターを怯ませ、その硬い体を砕いていく。
 それは大岩を砕いた時の比ではなかった。




 エナジーアタック。
 エディンはフェリエとの合わせ技にそう名付けた。
「すごい威力だったな。」
 カードの溜め息交じりの言葉に、エディンは得意げに笑って見せる。
 その横でフェリエが少し残念そうな溜め息を吐いた。
「でも、解放の魔法は結局修得出来ませんでしたわ…。」




4/22ページ
スキ