逡巡
月明かりが煌々と降り注ぐ中、親衛隊の詰め所でレクレスはひとり机に向かっていた。今日は夜詰めの番、夜勤を命じられている。
コンコン、と軽めのノックの音に即座に返事をすると、入って来たのはカードだった。
「これは我らが親衛隊長どの。何かお忘れ物ですか?」
口角を上げてそう訊くと、彼は少し嫌な顔をした。呼び方が気に食わなかったらしい。
「差し入れを持って来た。…ちょっと話がしたくてね。」
差し出された酒瓶を見て、レクレスは笑ってペンを置く。
「夜通し飲むおつもりですか?隊長殿。明日に障りますよ。」
「明日は休暇を取ってある。そのつもりで今日はお前に残ってもらったんだ。」
「昼の訓練に隊長が留守では格好がつかないぞ?」
急に砕けた物言いで返すと、カードは肩をすくめて笑った。
「いいさ。明日は大した仕事はない。」
女王の身辺警護が彼らの任務だ。以前は近衛隊から数名が交代でその役目を果たしていたが、ドラゴン討伐の功績に対する褒賞として、新設された親衛隊の隊長にカードが据えられた。隊員たちはあの時ヴァズが率いた応援隊のメンバーである。
ソファーに腰かけてグラスを傾けると、まずレクレスが唸った。
「流石、貴族様は羽振りがいいな。差し入れでこんなうまい酒が飲めるとは。」
「いつでも飲めるなんて思うなよ? 今日は特別だ。」
どう特別なのかと問えば、月が綺麗だと返ってきた。
しばらく取り止めのない会話を続けていたが、一杯目の酒が途切れるころ、カードが言葉を止めた。
「…なあ、レクレス…。お前、どう思う?」
突然の質問に考えあぐねて、レクレスはグラスの中身を飲み干した。
「…何が?」
「どこまでが、女王陛下の筋書きだったのか、って話だ。」
何の、とは訊かなくても分かる。あの討伐のことだ。それはレクレスも気になっていた。生贄の噂に正規討伐隊、何十人にも及ぶ犠牲者。少し考えれば問題が起こることは分かりそうなものだ。それでもアイリス女王はヴァズの隊を正規討伐隊と名付け、生贄の討伐隊を送り続けた。あの賢王が先の問題に目を瞑っていたとは考えにくい。ならば、考えあってのことである筈。
少し考えて、ぼそりと答える。
「…全て。」
「全てというのは、どこまでのことだ?」
ふん、と息を吐いて、もう一度答えた。
「ヴァズ隊長の失脚まで、全て、だ。」
討伐の証拠に持ち帰ったドラゴンの爪。あの一部が削り取られ、その日の宴で魔法の火にくべられた。
炎の上部に映し出されたドラゴンの最期、その討伐の様子に、当然ながらヴァズはいなかった。それが取りざたされ、彼は失脚に至った。敵前逃亡とみなされたのだ。近衛隊隊長の地位を剥奪され、今は田舎の常駐部隊の小隊長をやっている。
隊員たちが今親衛隊にいるのは、ヴァズの機転に依るものだ。あの時、道中で倒したドラゴンの一部を必ず、ひとかけらでいいから持ち帰れ、と命じていた。隊員たちはそれに従って、自分たちが戦った証拠を持っていたため、処分を免れた。もちろんその証拠の中に、ヴァズの姿も映し出されたはずだが、それは上層部で黙殺されたようである。ヴァズ自身は証拠をただの一つも持っていなかった。
「そうだろうか…。そうだと考えるとおかしなことがあると思わないか?」
ヴァズが失脚するには、討伐に参加してはならない。そうなるとあの時のカードの行動がかなり重要になってくる。
「だからお前を、彼らと行かせたんだろ? 貴族でなくてはできないことだ。おかしくはないと思うけどね。」
「それはそうなんだが…。」
また暫し黙って、カードは頬を掻いた。
「自慢じゃないが、旅立ちの時、あの時点で俺はそこまで陛下に信頼されていたとは思えない。あの頃の俺は、多分あんな大それたことは出来なかったよ。」
それはレクレスも同意見だ。お人好しで、貴族という生まれを笠に着るのを嫌う彼がヴァズを黙らせたあの一件には、驚かざるを得ない。
「…賭け、だったんじゃないか? 筋書き通りに進むかどうかの、一番重要な、賭け。」
一番重要、とは国にとってということではない。アイリス女王個人にとってだとレクレスは付け加えた。
討伐を成功させる、という目的は、状況が違っても果たされただろう。ヴァズの隊、レクレスたちは充分に強かった。だがその場合、ヴァズの処遇は雲泥の差だ。彼は英雄としてまた重要な役割を与えられることになった筈である。
「陛下は、ヴァズ隊長を自由にしてやりたかった。だが、何もなくお役御免とはいかない事情があった。…でも、あの人だからな、そうそう失敗はしてくれそうにないし。」
国を守る目的と同時に、ヴァズを失脚させる策を講じたアイリス。それを賭けに託した心中はどのようであったのか。
「賭け、と言うなら、俺たちが討伐を成し得るだけの強さを身に着けるというところも賭けだと言える。よく、俺たちに託してくれたと思うよ。」
当初はたった三人の討伐隊だ。そしてそのうちの一人はまだ10歳の少女。
「ああ、確かに。…でも、強くなった。陛下はお前たちに、あのエディンって男に、何らかの可能性を見出していたんだろう。」
「…全て、筋書き通り、か。怖いお人だ。」
そう言ってカードは笑った。レクレスも、「確かに。」と応じる。さあ飲め、とレクレスがまた酒を注いだ。
どこまでが当たっているかは分からない。しかし、自分たちが仕えている相手が底知れぬ人物だということは、ヒシヒシと感じていた。
「俺が持って来た酒だぞ?忘れてるかもしれないが。」
「いえいえ、覚えておりますとも。隊長殿。」
二人で笑って月明かりに目をやる。
「この平穏が長く続いて欲しいもんだ。」
「そうはいかないだろう?お前は。」
レクレスの言葉にカードは眉を顰めた。
先日、長老たちの会議で大きく取り上げられた事柄は、本来カードには何の関わりもないはずだった。だが家の地位にこだわる父親の行動が、彼を放っておいてはくれなさそうだ。
「まさか、花婿候補に名が挙がるとはな。」
「言っておくが、正式に挙がったわけじゃない。それに全会一致で否決されたんだ。」
今、国の一大事とされているのは、アイリスの結婚だった。まだ相手が決まっていない。本来ならもっと年若い時分に婚約者を決める習わしだが、女王がヴァズを結婚相手に選ぶのではないかという懸念やドラゴン討伐などの問題で先送りにされていた。それを今早急に決めようという動きになっている。ヴァズが失脚したタイミングで話が挙がったのは、勿論偶然ではない。
カードが巻き込まれそうになっているのは、花婿候補を決める貴族院での会議で彼の父親が彼を推したからだ。
『ドラゴン討伐の功績は、親衛隊長就任程度で釣り合うものではない』
そう主張したらしい。
「正直、勘弁して欲しいよ…。」
心底うんざりした表情で酒をあおる。
「親父さん、意外と執念深いんだな。」
「…というか、ある意味強欲なんだと最近知ったよ。人を妬んでばかりで、自分の処遇が不当だと心から思っている。俺はそんな父の言葉を素直に信じすぎていた。兄は早々に気付いて見切りを付けていたらしい。驚くことばかりだ。」
カードの兄は、父親が治めるはずだった田舎の領地を受け継いで領主をやっている。祖父の代に賜った領地だが、片田舎の税収も見込めない小さな領地に、祖父も父親も不満を持っていた。彼らはロクに領主の責任も果たさず、税だけを集め、そのお金を方々へのごますりに使っていたようだ。
「兄からいろいろ聞いて、父が他の貴族から煙たがられている理由がわかったよ。嫌われて当然のことをやっている。」
父親を信じていたカードにはつらい事実だった。早くに家から離れて国軍に入ったことで、そのことに気付く機会を得られなかった。兄からは「お前は真面目すぎる」と呆れられた。
そして父親は父親で、その長男には見切りを付けていた。あんな辺境の領地で満足してのんびり暮らすなんて情けない、と思っているようだ。そう言いながら、その領地での税収をアテにして長男に金の無心をしてはいるのだが。ともかく、貴族としての地位を上げる手段として、今はカードを使おうとしているのだった。
「花婿候補にはならずに済んだが、会議での顛末をネタにいつまでも揶揄われそうだよ。候補の四人は中々の曲者ぞろいだから…。」
「陛下の警護で常にお側に控えなくちゃならんしな。何というか、…ご愁傷様。」
レクレスは苦笑して見せたが、それは他人事として笑った訳ではなく親友として心から気の毒に思っての表情だった。
婚約者が決まるまで、幾度となくその四人と顔を合わせることになるだろう。そして、そのうちの一人は女王の伴侶になるのだから、仕える相手になるということだ。カードが親衛隊長でいる限り、揶揄われ続ける可能性も否定できない。
「…ともかく、今は平穏だ。忘れさせてくれよ、そんなこと。」
「ヤケ酒はやめておけよ? 極上の酒が泣くぞ。」
「そうだな。今日は月の光に乾杯だ。」
「ああ。」
本当はカードが隊長に任命されたことを、レクレスは少し悔しく思っていた。だから今でも、そのうち成り代わってやるという気概は失っていない。とは言え、親友という立場が揺らぐことはないだろう。
fin.
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