サーキュレーション
マルタがナギと結婚してから2年が過ぎると、ナギは急激に弱っていった。
床に伏せることが多くなって、マルタと散歩をすることもなくなった。
「ナギさん、おはよう。今日はどう?起きれそう?」
毎朝マルタはナギを起こしに行く。明るく声を掛け、起きられないようであればそのまま少し会話を交わすのが日課になっていた。
医者には何度も診せているが、特に目立った病気はなく、老いだと言われている。もう長くはないだろうとも。
マルタは覚悟をしなくてはならないことを理解していた。だから、自分に課せられたものを着実にこなそうと気を張っていた。
「奥様、こちらが出資先のリストです。ご挨拶のときに間違えぬよう、しっかりと覚えてください。」
文字の読み書きは一通り出来るようになった。まだ馴染みのない単語はたどたどしいが、常に執事が側に居るから問題は起こらないだろう。近頃はナギの仕事を引き継げるように勉強をしているところだった。
「ナギさん、今いい?」
暇を見つけては夫を見舞った。
そして、今どんな勉強をしているとか、今日は珍しい鳥を見掛けたとか、日々のあれこれを報告する。
ナギは弱々しく笑って、妻の話を聞いた。時折心配そうに、無理をしていないかと問い、嫌になったら外に遊びに行っておいでと気遣った。
「あとのことは…レナードに任せてあるから…ね…マルタさんが…無理をすることはないんだよ…」
「大丈夫。覚えがいいってレナードが言ってたよ。昨日だって…」
安心させようと執事に褒められた話をし始めたところで、急にナギが咳き込んだ。
けほ、けほ…
声を押し出すような、力の無い咳き込み。スッキリする様子もなくただただ苦しげに見えて、マルタは慌てて背中をさすった。
しばらくして咳が治まると、マルタは疲れているだろうと案じてヒールを唱えた。
するとナギはマルタの手をそっと掴んで、ゆっくりと目配せをする。
ダメだよ
必要の無い魔法を使っては
以前言われたことを思い出した。野鳥の骸を土に埋めたあの時、寿命で死んだ命を魔法で循環に乗せるのは精霊に失礼だ、とナギが言っていた。
老衰にヒールは効かない。ということは、それは無駄な不必要な魔法だということ。
あの時は納得が出来る話だと思った。
でも、今は…。
「嫌だ…元気でいてほしい…ずっと私の家族でいてよ…」
握り返した手に、マルタの涙が一粒零れた。染みこむように二人の手の中に吸い込まれる。
「…ごめんね…僕の奥さんの…仕事を…してくれるかい?」
「何でもするから…お願いだから…いなくならないで…」
「…僕のね、手紙…遺言書…それを読んで…その通りにしてほしい…机の…引き出し…に…」
そこまで言うと、ナギはふーっと息を吐いて目を瞑った。
ゆっくりとした呼吸が寝息だと気付いて、マルタは少しホッとした。
そして今言われたことを思い出して、胸を痛める。
遺言書。
もう、避けられない未来なのだと、突き付けられてしまった。
数日後、ナギはこの世を去った。
看取ったマルタは、無駄と知りながらしばらくヒールを唱え続けていた。
「奥様、もう、休ませてあげてください。」
傍らに跪いたレナードがマルタの手を取ってそう言うまで、やめようとしなかった。
そのあとは、ただただナギに縋りついて泣いていた。
レナードの指揮の下、葬儀や家督の引き継ぎがつつがなく進み、ひと月経つ頃にはマルタは平穏な日常に戻っていた。仕事の殆どを執事が管理している今、彼女がやるべきことは特になかった。
夫を亡くした彼女のところに、最近では縁談が舞い込むようになっている。その殆どが財産目当てだとわかる相手だったが、レナードはその中から良さそうな相手を見繕ってはマルタに勧めるようになった。
「レナード、言ったでしょ? そんな気分じゃないから、結婚なんてしたくない。」
何度断っても勧めてくる執事に辟易して、マルタは夫の部屋に籠もった。
ベッドに腰掛けて、日がな一日ボーッと過ごす。
なにをやればいいんだろう、自分はなぜここにいるんだろう。そんなことを考え続けて、やっと彼女は夫の言葉を思い出した。
「…遺言書…忘れてた…」
奥さんの仕事をして欲しいと言われていたのに、すっかり記憶の底にしまい込んでいた。
立ち上がって窓の側に寄り、机の引き出しを開けてみる。
しかし、そこにそれらしいものは入っていなかった。
「レナード!」
呼びつけるとすぐに彼はやってきた。
「この引き出しに遺言書があったはずなんだけど、知らない?」
ハッとしたような顔に、心当たりがあるのだと思って、マルタは「どこ?」と問いかけた。
ところがレナードは申し訳なさそうな顔で視線を落とす。
「…実は…私も探していたのです。旦那様は確かにそこに入れたはずなんですが…私が見たときには既になくなっていて…」
「そんな…。ナギさんに読むように言われてたのに…。」
あちこち探したのだと執事は答え、もしかしたら、と付け加えた。
「旦那様の気が変わって、ご自分で破棄されたのかもしれません。」
それには即座に違うと返す。
「そんなわけない!私が聞いたのはナギさんがもう立てなくなってからだった!だから、自分で捨てたり出来ないはずだよ!」
「お忘れになっていたのかも…」
「ナギさん、意識はしっかりしてたでしょ!?おかしなこと言うこともなかった!」
「ですが、現に見つからないわけですし…」
レナードを信用していないわけではないが、マルタは諦められなかった。
すぐに執事とメイドを集めて、探すように言った。
「お願い、大事なことなの。」
「はい、わかっております。みんな!隅々まで探しますよ!」
ダーナが率先して家中を探し回る。
レナードも釈然としない風を見せながら、机の周りを探し始めた。
「何かの書類に紛れていないとも限りませんね。しっかり確かめることにします。」
「ありがとう。お願いね。」
その日は結局見つからず、次の日も朝から遺言書探しに取りかかった。
夕方になって空が赤くなった頃、マルタは夫の部屋の奥から明かりが漏れていることに気付いた。
その扉の向こうには小さな部屋があり、ナギが元気な頃は二人で暖炉の前で本を読んだこともある。本棚もあるから自分でも何度も探したが、また誰か探し直しているのだろうと労うために歩み寄った。
すると…。
「…申し訳ありません、旦那様…」
ボソッと呟くように吐き出された言葉が気になって、マルタは足音を忍ばせる。
そっと覗いてみると、レナードが火の付いた暖炉に向けて何かを投げ入れたところだった。
嫌な予感がして駆け寄った。
「何を入れたの!?」
火にくべられたものが手紙のような形状であることが分かると、マルタはやけども厭わず手を差し入れた。
「奥様!危ない!」
止めようとするレナードを突き飛ばすようにして、それを拾い上げる。
燃え始めている封書を床に叩きつけ、パンパンと手で叩いて火を消した。
「奥様!御手が!」
「私ヒール使えるからほっといて!」
手がヒリヒリと痛む。でも、それよりも重要なものが今、手の中にあった。
「ゆ…ゆい…ごん…しょ……何で…?何で!?これ、ナギさんの字でしょ!?どうして燃やすの!?」
レナードが一歩二歩、後ずさった。
マルタは大きな声で皆を呼んで全員を集めると、執事の一人にその書面を手渡した。
「声に出して読んで。私、まだ読めない言葉もあるから。」
何故側に居るレナードではなく自分なのかが分からず、彼は戸惑った。
「あの…私で良いのですか?」
「レナードがこれを燃やそうとしてたの!嘘吐かれると困るから、みんなが証人になって!」
全員が愕然とする。ナギに可愛がられていたレナードが、何故そんなことをしたのか。シンと静まりかえるなか、遺言書が読み上げられた。
僕、ナギ・トワイライトが死んだら、次のことを間違いなく遂行してほしい。
一、僕の持っている権利を速やかにマルタさんに移すこと
二、喪が明けたら、マルタさんと執事長のレナードとの婚儀を行うこと
三、僕からマルタさんに移した権利をレナードに移すこと
そして、上記三つを終えた後、もしマルタさんが望むなら、離縁をし、所定の謝礼金を渡してマルタさんを自由にすること
皆が息を飲んだ。
マルタはやっと自分を結婚相手に選んだナギの意図を理解した。彼は、レナードを息子のように思っていたのだ。しかし、養子を取らないという誓いだけは曲げたくなかった。マルタと夫婦になり、自分が死んだ後、レナードが夫になることで、家を継がせることが出来る。そういうことだ。
「…もう…ナギさんったら、ややこしいことを…」
そんなに家督を譲りたいなら養子にすればいいのに、とマルタは思ったが、それが出来なかった拘りも分かる。きっと一人目の妻を深く深く愛していたのだ。
「結婚式をします。準備をお願い。」
「奥様、元孤児の私には家督を継ぐ資格など…」
レナードが反対を言おうとするのを睨み付けて止めた。
「今のこの家の主人は私です。これは命令だから、みんな、お願いね。」
はい!と真っ先にダーナが返事をし、他のメイドも執事も慌てて仕事を始めた。皆、そうすることが一番正しいと思ってのことだ。前々から疑問だった。何故ナギがレナードを養子にしないのかと。この家をどうするつもりなのかと。その答えが出たのだから当然だろう。
マルタは少し胸が痛かった。
自分は愛されていなかった。彼が愛したのは一人目の妻と、息子のように育てたレナードだ。
『ごめんね』
何度か謝られたことがあった。その理由も分かった。
それでも、とマルタは思う。
彼は私の最初で最後の家族だった。
数日後、結婚式を挙げてすぐに権利をレナードに移すと、マルタはまた皆を集めた。
「えーっと、これで私の仕事は終わったから、出てくね。」
「奥様!」
声を上げたのはダーナだった。彼女の中では、マルタへの情がしっかりと育っていた。例えナギとマルタの結婚がレナードに家督を譲るための偽物だったとしても、マルタがこの家を出てしまうことを良しとは出来なかった。
マルタは困ったような顔でニコッと彼女に笑いかけてから、レナードの方を向く。
「レナードはさ、自分が孤児だったから、この家を継ぐ資格がないって言ったけど、それを言うなら…」
マルタは、えへへと笑って頭を掻いた。
「私、昔泥棒やってたんだよね。だから、もっと資格がないの。だから、いいんだよ、これで。だから…さよなら、みんな、ありがとね。楽しかった。」
皆が呆然とする中、マルタは部屋に戻って簡素な服に着替えると、小さな荷物を持って玄関に向かった。
「レナード…いえ、旦那様、よろしいのですか?これっきりになってしまいますよ!」
全員が同じ事を思っているようで、皆の視線がレナードを刺した。
教育係として側についていた間、情が生まれなかったと言えば嘘になる。彼にとっても、マルタは家族のような存在になっていた。
「皆さん、先程マルタさんが言ったことは忘れてください。いいですね。」
過去のことを口止めして、彼は急いで彼女を追う。
玄関の大きな扉の前で名残惜しそうに足を止めたマルタを見つけ、レナードは駆け寄った。
「奥さ…あ、いえ、マルタさん!待ってください!」
忘れ物でもあったかと振り返ると、レナードは間近まで歩み寄って手を取った。
そうして、ゆっくりと片膝を付く。
「遺言書には、『もし、マルタさんが望むなら』と但し書きがありました。あなたは、望んで出ていくわけではないでしょう?」
「…でも…」
「過去など!私には関係ありません。私は、ここに来てからのあなたしか知りません。どうか、あなたが嫌じゃなければ、私の妻でいてください。私の家族でいてください。私には、家族がいないのです。あなたにとってナギ・トワイライトがそうであったように、私にとって、あなたが初めての家族なのです。」
膝を付いたまま、彼は見上げて「誓いを交わしたでしょう?」と手に口付けた。
そうだ、彼も孤児だった。本当の家族の記憶が無いなら、この結婚で初めての家族を得たのだ。
「…そっか。…私とおんなじなんだ。」
「そうです。だから、私に家族をください。」
マルタはもう一度「そっか」と口に出した。
そして首を傾げる。
「それって、子供を産んで欲しいってこと?」
レナードはハッとして顔を赤らめると慌てて立ち上がった。
「あ、いえ、その、そういうつもりで言ったわけでは…」
彼は、単に家族でいて欲しいと言ったつもりだった。
マルタは笑って「いいよ」と返す。
「私も家族が欲しかったんだ。もし、もうひとり増えるなら、増やした方が楽しいよね。」
「は、はい。家族に、なりましょう。」
レナードが引き寄せると、マルタはされるまま身を寄せた。そっと抱きしめ合う。
「よろしく、旦那様。」
「はい、よろしくお願いします。奥様。」
「ところで、子供ってどうすればできるの?ナギさんとは結婚式したのにできなかったよね。夫婦になると精霊がお腹に入れてくれるんじゃないの?」
レナードと近くで聞いていたダーナは、思わぬ障壁に頭をぶつけた気分だった。
「旦那様、頑張ってくださいまし。」
fin.
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