サーキュレーション
日常から少し外れたことをするのは心が躍った。比較的安全な小高い丘を目指して二人はゆっくりと歩く。最初マルタは気が急いて駆け出しそうになっていたが、ナギの静止に応じて歩調を緩めた。
「良い風だね。」
「うん。」
供を付けるべきだと言う使用人たちの進言をナギが断ったのは、勿論マルタの為だった。慣れない勉強ばかりで窮屈な毎日を送っているだろうと、彼は少し申し訳なく思っていたのだ。人目がない方が羽を伸ばせるだろう。
丘のてっぺんまであと少しのところで、ナギは膝に手を当てて息を吐いた。
「ナギさん、大丈夫?疲れた?」
すかさず覗き込んだマルタが心配そうに言った。
ナギは疲れた様子を見せながらも、微笑んだ。
「大丈夫。ゴールが見えたら急に気が抜けちゃってね。」
ふう、と大きく息を吐くと、もう一度「大丈夫」と言って歩き出す。
するとマルタは急に掛けだした。
「すぐ座れるように準備するね。ゆっくり来て。」
広げた敷物に荷物を置き、クッション代わりにブランケットを丸める。ちょうどやってきたナギにマルタは「さあ、どうぞ」と少しばかり大仰な振りを付けて勧めた。
「おやおや。本来なら僕が席を勧めなくちゃいけないのに、奥様に先を越されてしまったね。」
「今は私の番なの。レストランではいつも椅子引いてくれてるもん。」
ふふふと笑って腰掛けると、ナギは隣を示してマルタを促す。
景色を眺めながら他愛ない話をし、近くにモンスターが姿を現せばマルタが倒し、準備してきた材料で作ったサンドイッチを二人で食べて、ゆっくりと時を過ごした。祖父と孫娘ほどの年の差がかえって平和な関係を作っている。家庭と縁がなかったマルタには普通の夫婦がどんな風なのか見当も付かないが、常に優しく接してくれるナギにザイールに対するそれとも違う尊敬の念を抱いていた。
そろそろ帰路につこうかと帰り支度を始めたところに、思いがけず声が掛かった。
「なんだ、マルタじゃねーか。なにやってんだこんなとこで。」
振り向けばそこにはザイールが。
マルタは驚いて「そっちこそ」と返す。
「俺はいつも通り仕事だよ。依頼主んとこに戻るところだ。」
「私はピクニック。」
「ああ、あんた、旦那か。」
ナギに向けてそういうと、何かごまかすように頭をガシガシと掻いた。
「ふふ、マルタさんのお師匠ですね。お噂はかねがね。」
「式には顔出せなくて申し訳ない。」
二人の結婚の知らせはザイールにも届いていたが、自身の立場やら旅の仲間との関係性の薄さやらを考慮すると出向くのも憚られ、仕事を理由にして訪問しなかったのだ。
「いえ。お忙しいのは承知しておりますよ。」
諸々の事情を一通り知りながらナギはそう返し、ザイールはなんとなくバレている風を感じてまた頭を掻く。
「そりゃどうも。お供も付けずに遠出は危ねーんじゃねーですかい?」
「遠出というほどでもないが…もし街まで行くなら、ついでに護衛を頼んでみようかな?」
ナギは言葉の後半をマルタに向けて、首をかしげて見せた。
パッと笑顔を見せた彼女だったが、すぐに顔を顰めて声を落とした。
「お金ぼったくられるよ?」
「聞こえてんだよ。」
ついでだからというとこで、ザイールは無償で護衛を引き受けた。
道中、冒険の思い出やら何やら共有の話題で盛り上がったが、ふとマルタが「最近はみんなどうなの?」と尋ねると、ザイールは眉を顰めた。
「知るわけねーだろうが。エディンの故郷も行ったこたねーし、あー、フェリエもあっちの方だったか。カードは城詰めだろ?」
「そっか…私も会う機会ないからどうかなって思って。」
少ししょんぼりしていると、ナギが言う。
「バルトゥール殿は親衛隊長だったよね、じゃあ、今度会えるよ。」
マルタはびっくりして夫の顔を見る。
「今度ね、城で舞踏会があるんだけど、僕も呼ばれてるんだ。一緒に行こうね。」
本当のことを言うと、ナギはその招待を上手く断ろうと思っていた。何せ自分は貴族ではない。資産家ということで社交界に関わることが多々あるけれど、そういう場に出向くと、要らぬ詮索や侮蔑を受けることがあった。しかし、先程の妻の様子を見て気が変わったのだ。
「そうなの!?…じゃあ、ダンスの練習しなくちゃ!」
「そうだね。帰ったら始めようか。」
フフッとザイールが笑う。
「思った以上に仲が宜しいようで。」
「そうでしょう?マルタさんが頑張ってくれているからね、僕もいい夫でいなくちゃと思っているんですよ。」
「ま、ちょっと安心したかな。カードにも見せつけてやってくださいよ。」
「そうだねぇ。きっとマルタさんのことを心配してくれているだろうから。」
仲間たちが心配していたのは、マルタが騙されているのではないか、ということだった。城下町で突然声を掛けられ、結婚を申し込まれて即受け入れてしまった。しかも相手は金持ちの高齢者だ。何か裏があるのではないかと気に掛けていた。ただ、結婚式のときにはもう、カードからの調査報告で、恐らく大丈夫だろうと皆一応の結論に達していたのだが。それでも心配するのが仲間というものだろう。
「ザイール、私のこと心配してくれてたの?…なんで?」
「は?…そりゃ、お前が変なヤツに騙されて、娼婦宿送りにでもなったら、助け出すのに苦労するだろうがよ。お前のために払う金なんかねーからな。」
心配してくれたのは嬉しかったのに、最後の言葉に引っかかった。
「ドラゴン討伐報酬があるでしょ!?そういうときぐらいポンと出してくれてもいいじゃん!」
「家買っちまったからもうねーよ。」
「え?家?」
キョトンとして、足を止めた。
「ザイール、家買ったの?」
「まーな。」
「へー?ずっと根無し草で居るのかと思った。どういう風の吹き回し?」
悪戯っぽい笑顔でそう聞くと、ボソッと言う。
「結婚、したからよ。」
「は!?なんで知らせてくんなかったの!?結婚式行きたかった!!」
「式なんかするかよ!」
「どんな人どんな人!?」
「うるせー。…ソニアだよ。」
誰だっけ、と考えて、ザイールの故郷で出会った元娼婦の女性だと思い出す。
「リベンジ行ったの?意外に諦め悪いね。」
「うるせえな!ほっとけ!」
横で聞いていたナギが笑い出す。
「仲の良い師弟だね。」
「コイツにアンタの嫁さん務まるのかよ。なかなかの口の悪さだぞ。」
「とてもいい奥さんだよ。…それより、ご結婚おめでとう。」
突然祝福を向けられて、ザイールは返事に困って唸った。
「ん…お、おう…えーっと…ありがとうございます?」
ぷぷっと笑っているマルタにも、祝いの言葉を言うものだよ、とナギが教える。
「ご結婚…おめでとう…ございます?」
首をかしげながらそう言ったマルタには、「どーも」とだけ返した。
「ありがとうございます、じゃないの?」
「なんでお前に丁寧に答えなきゃなんねーんだよ。」
「私は、ナギさんの奥さんだよ!?」
「おーおー、もっと奥さんらしく振る舞えるようになったら、丁寧な対応ってのをしてやろうじゃねーか。」
ニヤッと不敵に笑ったザイールに、マルタは拳を握って見せた。
「ちゃんと奥さんらしくなってやるから!見てなよ!?」
「そーかい、先は長そうだ。」
ぷーっと膨れて、ナギの手を掴む。
「家こっちだから、じゃあね、ザイール。」
「おう、ダンスの練習で旦那の足を踏みつけんじゃねーぞ。」
丁度差し掛かった分かれ道で別れる。
マルタはべーっと舌を出してザイールを見送った。
家に着くと、早速ダンスの練習を始めた。ナギは疲れていたため、相手をするのは執事のレナードだ。
「では、奥様。僭越ながら。」
別に舞踏会で踊り続けるわけではない。一応恰好が付けば良いのだ。転ばぬように、足がもつれぬように。マルタは身体を動かすことには長けている。すぐにコツを飲み込んで、一日二日で申し分ない動きが出来るようになっていた。
それよりも、そういう場では既婚者も見知らぬ男性からダンスに誘われることもある。その断り方や、受ける場合の条件ややりとりなどを覚える方が厄介だった。
「基本的には、旦那様の腕をとっていればそうそう誘われることはありませんし、結婚していることを理由に断ることは出来ます。が、旦那様とその方の関係性によってはお断りするのが失礼になる場合もあります。できる限り、旦那様から離れないようにしてください。」
側にいればその都度、どうすれば良いかを教えて貰えるだろう。
その後、ひとりで居るときに誘われた場合の対処方法を教えられ、言葉遣いも事細かに注意を受けた。
当日、マルタは緊張で堅くなっていた。
「随分と脅かされちゃったみたいだね。そんなに構えることはないよ。僕が側にいるから。」
「う、うん。…でも、ナギさんに恥を掻かせるようなことはしたくない…」
「大丈夫、大丈夫。」
そう言って、ナギは左腕に掴まるマルタの手を軽くポンポンと叩く。
「それよりも、今日の僕の奥さんはとっても綺麗だよ。そのドレスにして良かったね。とても似合ってる。」
「そ、そう?…ありがと。」
マルタは、はにかんで夫の腕に寄り添った。
形ばかりのダンスを少し踊り、体裁を保ってホールの端に移動する。
「女王陛下がいらっしゃるのはまだ先かな。親衛隊長殿が側についてくる筈だから…」
そう言ってナギは壁伝いに奥の方を目指した。
「僕たちはここまでかな。この先は貴族じゃないとね。」
境界線も目印もない場所でそう言ったナギを、マルタは不思議そうに見やる。
「何か違うの?」
「うーん、…難しいね。何というか、そうそうたる顔ぶれがあちらに揃ってらっしゃるから、ここから先は跪かないと礼を尽くせない。僕は所詮、庶民だからね。」
奥の大きな階段の前には王族が座るための椅子が据えられている。そこから少し離れたところに豪奢な装飾を纏った貴族たちが陣取っていた。
マルタの目にも、その貴族たちの形が格段に豪華だということが分かった。
彼らが王族の座する椅子から距離を取っているように、ナギも彼らから距離を取らざるを得ないということだ。
「…カード、気付いてくれるかな…。」
事前に手紙を送っているが、それが彼に届いているかはわからない。勿論、城の兵士に言付けて面会を求めることも出来るのだが、側付きの役目を置いてとなると難しいだろう。
「どうだろうね。ただ、この位置で最敬礼をするものがいれば、目を引くことにはなると思うよ。…少し恥ずかしいけれど。」
周りは貴族ばかりだ。女王陛下が現れたとき、お辞儀をする彼らの中で二人だけ跪いたとしたら、視線を奪うことは間違いないだろう。
警備の兵が階段近くに現れ、ダンスの音楽が一旦止まると、別の曲が流れ始めた。
女王陛下のお出ましが告げられ、会場の視線が階段の方に集まる。
「わあ」という感嘆の声がそこここで上がった。
美しいその人は、穏やかな笑みを皆に向けて手を振る。
「今日のお召し物も素敵ねぇ。」
「流石、ご趣味が良くていらっしゃる。」
「新調かしら。」
「当たり前じゃない。」
ささやき声がかの人の噂をする。それにつられてマルタがナギの耳元にコソッと告げた。
「カードだよ。」
小さく女王陛下の後ろを指さす。
ナギは少し慌ててその手を下ろさせ、唇の前に人差し指を立てた。
女王が階段を下りきるところで、皆が一斉にお辞儀をする。そして、ナギは片膝を付き、マルタも深く腰を落としたお辞儀をして見せた。
ちらちらと視線が集まる。
「何かしら?」
「どこの無作法者でしょう。こんなところまで入り込んで」
困惑や嫌悪の声が微かに聞こえた。
兵士が一人、駆け寄ってきた。
「お前たち、陛下の御前だ。もう少し下がりなさい。」
詫びを言って下がろうとしたとき、その兵士の後ろから女王陛下が軽い足取りで近付いてきた。
「おお、マルタじゃないか。良い良い。私が呼んだのだ。すまないね。言っておくのを忘れた。さあ、こちらへ。」
周りは驚きの色を見せ、少しざわつく。
「ああ、皆、知らぬのか。彼女は勇者一行の一人、マルタ・トワイライトだ。親衛隊長、バルコニーにご案内しろ。御夫君も一緒にな。」
「は!」
二人はカードに連れられて、会場の二階のバルコニーに出た。小さなテーブルと椅子が常時置かれているようだ。二人は促されて椅子に腰掛けた。
「…女王様、呼んだって言ってたけど…」
「助け船を出してくれたんだよ。」
マルタの疑問にナギがそう答える。
カードは少し後ろを気にしながら、小声で言った。
「貴族は面倒くさいからな。」
「ふふっ、カードも貴族なのに。」
「そう、面倒くさい連中に囲まれて、面倒くさい状況に置かれているよ、今まさに。」
カードは近くに居た兵士に何やら言付けて、バルコニーと会場の境の扉を閉めた。そして自身も椅子に落ち着く。
「よく来てくれたね、マルタ。それに御夫君も。距離は遠くないのに、疎遠になってしまって申し訳ない。気にはしていたんだが、中々会いに行けなくてね。」
ナギは軽く頭を下げた。
「ご招待にあずかったのでね。折角だからと身分をわきまえず参上した次第ですよ。」
「いえ、招待に足るお方だということです。…要らぬことを言う者はいるでしょうが…」
要らぬこととカードが言ったのを聞いて、マルタは思い出して口を尖らせた。
「そう!入り口で嫌なヤツが…」
会場に入ったところでナギの顔を知っている貴族に出会い、何やら嫌味のような言葉を投げかけられたのだ。マルタには話の内容が理解できなかったが、相手の蔑むような口調と嘲笑、そしてナギの困ったような表情で大体のことは察することが出来た。
「マルタさん、つまらない話はやめておこう。折角バルトゥール殿とこうして話が出来るのだから。」
マルタはハッとして小さな扇で口を隠す。
「そ、そだね。ごめんなさい。」
扉で会場と隔離されたことで、すっかり気が抜けてしまっていた。例えこちらに正当性があったとしても、誰かの批判をすればいずれ悪意を呼ぶことにもなるだろう。今日はナギの伴侶としてここにいるのだと、マルタは気を引き締め直した。
「いい奥さんをやっているみたいだね、マルタ。安心したよ。」
今失敗をしたばかりだというのに、カードにそんなことを言われてバツが悪い。
「ぜ、全然…」
彼は笑った。
「キミは素直だから、ちゃんと良くあろうとしているじゃないか。それは美徳だ。元仲間として誇らしい。そういえば旅の時も…」
勇者一行の仲間になってからのマルタは、その素直な性格が己の鍛錬の助けになった。そしてその素直さはときに仲間を助けることもあったのだ。そんなことを懐かしそうに彼は語った。
ナギは自室の机で一枚の紙に署名をして、丁寧に畳むとそれを封筒に入れた。しっかりと封をし、机の引き出しに仕舞う。
「レナード、よろしく頼むよ。」
レナードは少し困ったような顔で、小さく了承の返事をした。
彼はまだ二十代前半だ。その彼がどうして執事長などという座にいるのか。簡単に言えばナギのお気に入りだからなのだが、ナギに子がいないことが関わっていた。
孤児だった彼は幼い頃にナギに拾われたのだ。そして、まるで実の子のように大事に育てられた。
その頃の執事やメイドたちは、レナードはいずれナギの養子になるのだろうと思っていた。だがそうではなかった。ナギは彼に充分な教養を身に付けさせると、執事として据えた。
「ごめんねぇ、僕のお古で。」
おどけたような主人の言葉に、またレナードは困惑する。
「そのようなこと…仰らないでください。」
