Providence




 あからさまな地面の変色に皆一様に驚いて、距離をとろうと岩場に集まった。
 異変の中心が黒く湧き出るように盛り上がり、人の背の高さぐらいになると、像がはっきりとしてきた。

「…ヴァエル…」

 サイズは人の大きさだが、見た目は先程の映像そのままだ。
 ギルは慌ててまくし立てた。
「待て待て待て待て!魔族の召喚は阻止した!儀式は全部潰したはずだ!何も起こってないだろ!?何で出てくるんだよ!!」
 数秒、ヴァエルはギルを見据え、不意に視線を逸らした。
 するとその横に今度は白いものが湧き出てくる。そちらは女性の姿、白いヴェールを被った美しい人だ。
「トワまで!?なんで!」
「トワ様!?」
 皆驚き、特にアロニは弾かれたようにトワの前に出て行って額ずいた。
 小さな声で「申し訳ございません」と繰り返すアロニに、トワは屈んで顔を近づける。
「私のことを心配してくれたのは嬉しく思います。でも過ちを犯したのは事実。あとのことは、そちらの国の対処に任せます。」
 そう言って姿勢を戻すと、彼女は微笑んだ。
「さ、目的を果たしましょう。」
 何のことかさっぱり分からず、全員が口を噤んでいる。皆、緊張していた。
 ヴァエルが視線を逸らしたまま喋り出す。
「お前たちの時間の流れに合わせるのは骨が折れる。面倒ごとに巻き込むな。」
 するとトワが「違うでしょう?」と笑った。
 ムッとした表情を作り、ヴァエルがまた口を開いた。
「エダ、ご苦労だった。…これでいいだろう?用は済んだ。」
「まあ、それだけですか?せっかく骨を折って出てきたというのに。」
「人間と話すことなどない。そもそも、お前がどうしてもというから応じただけだ。」
 二人のやり取りを見て、皆顔を見合わせる。
 ミリーがおずおずと手を上げた。
「あの~…。もしかして、労いの言葉を掛けに来てくださったのですか?」
 ええ、とトワは答え、ヴァエルに向かって「もう少し付き合ってくださいね?」と念を押すように言った。
「エダには満足のいく説明も出来ないまま送り出してしまいましたから。本当によくやってくれました。まだ、異物は取り除かれていませんが、迎えが来るのですよね?」
 本来この地にあってはならないもの。船から持ち込んだ端末のことだ。
 ヴァエルが問題視したのはそちらで儀式の方は副次的なものだったのか、とギルは自分の思い違いに苦笑した。
「ああ、間違いなく持ち帰らせる。…たったこれっぽっちのもののために、俺は借り出されたのか? いい迷惑だ。」
「お前たちの不手際のせいだ。さっさとあの船をどこかに追いやれ。我に従う意思もないくせにいつまでも居座り続けている。」
「機械がないと生きていけないんだとよ。こんだけ地上に人間が生きてるってのに、捨てられないらしい。」
「次はない。契約違反に目を瞑るのは今回だけだ。」
「それは空の奴らに言ってくれ。ついでにその罰を受けるのもそいつらってことで。」
「次はない。」
 聞き入れる気はないらしい。ヴァエルはそのまま消えてしまった。
 微笑んでいたトワも、真顔になって釘を刺す。
「空の者たちを従わせるのは難しいでしょうが、この星の循環を乱すなら容赦はしません。一度すくい上げた命。末永く付き合いたいものです。」
 ともあれ、と彼女は続けた。
「本当に良くやってくれたと思っていますよ。それで、もうひとつ、やってもらいたいことがあるのです。」
「はあ!?」
 また面倒ごとを片付けなくてはいけないのかとエダが不服な声を上げる。
「本来、俺はそういう役割のために居るわけじゃないはずだよな…」
「エ、エダ様…いくらなんでもトワ様に不敬な態度をとるのはどうかと…」
 ミリーが恐縮しつつコソッと苦言を呈する。
 エダは自分のことはただの人間だと言う割に、ヴァエルやトワに敬意を払っている様子がない。長い時を過ごす間に親しい間柄になったのかとミリーは思っていたのだが、先程からのやり取りでそうではないらしいと感じた。
(もしや、エダ様、元々凄く失礼な奴なのでは?)
 困惑顔のミリーに、トワが笑顔を向けた。
「ミリー、ご心配なく。エダはこういう人なので、気にしていません。」
「やっぱりそういう人なんですね!?」
 チッとエダが舌打ちをした。
「うるせーぞ。で、何だよ頼みって。」
 トワは笑顔を消して、目を細めて見下ろした。
「頼みではありません。…いえ、メリサの頼み、ということならどうです?」
「その口ぶりじゃ、あいつが頼んだ言伝でもねーんだろ。」
 溜息を吐いて、彼女は「では好きになさい。」と言っておいて続ける。
「メリサが山奥の岩場に文字を刻み込んだのを覚えていますか? あれをお探しなさい。あなた方に必要なものの筈。場所はそこです。」
 そこ、と言って指し示したのはギルの頭だった。
 ギルはウッと唸って片手で額を押さえた。
「てめ…」
 指さされた瞬間、脳内に地図が焼き付けられていた。
「わかりましたね。これは依頼でも命令でもありませんから、その情報をどうしようとあなたの勝手です。ですが、メリサが残したものを世に出ないまま朽ち果てさせるのは…」
 フフッと笑って彼女は言う。
「あなたの望むところなのですか?エダ。」
 ギルは目一杯顔を顰めて見せた。
「わかったよ。…確かにアレを世に出せば、信仰の齟齬を修正できる。」
 メリサが残したもの。それは保存の利かない紙の書物のバックアップとして、岩に刻み込んだ経典だ。すべて記し終わるのに十数年を要したのは、場所が深い山の奥だったという理由だけではない。探索を趣味にしていた彼女が偶然見つけた特殊な岩肌は、傷が付きにくく丈夫だった。そこに、魔法を使って文字を刻んだからだ。
 今の地形と照らし合わせた地図を頭に入れられたが、目指す場所は厄介な状態になっていた。モンスターも多い。探索と調査に何年掛かるか予想が付かないような場所だ。
 大きく息を吐き、ギルは姿勢を正してトワに正対した。そして片膝を付く。
「ご忠告痛み入ります。この生の使命として、必ず成し遂げましょう。」
「よい心がけです。では、皆さん、ごきげんよう。」
 最後にまた美しい笑みを見せ、トワは姿を消した。
 ミリーが感心したように言う。
「エダ様、きちんと出来るじゃないですか。」
「ああでも言わなきゃいつまでも帰ってくれねえだろうが。」
「追い返したのか…。」
 カーラの一言でミリーはがっくりと肩を落とした。



 その後、アロニとケビンは特務隊によって城まで連行されたが、計画が未遂に終わったことで二人の罪状は秘密裏に処理されることになった。そもそもケビンについては外の人間と言うことで、国も連盟も対処に困り、迎えが来たのをこれ幸いとすぐ帰らせることに決まった。勿論、今後この世界に関わりを持たないことを約束させてのことだ。
「アロニ大僧正は騙されただけだ。どうかご配慮を。」
 ギルは正体を国王以下城の主要人物と教会の人間に知られてしまい、特別待遇を受けることになった。例の使命を考えるとその方が動きやすいだろう。そしてアロニにも手伝わせようという思惑で、肩を持ったのだった。



「え…? お前も来るのか?」
 準備万端な姿のミリーに、ギルは唖然としてそう言った。
 彼女は楽しげに書類を見せる。
「ちゃんと許可は取りました。国家間の取り決めにも則って手続きも済ませてありますから、ご心配なく。」
「いや、そういう問題じゃなくて、マジでしんどい旅になると思うぞ?」
 原書の経典の存在は、どの国にとっても最重要事項として扱われた。捜索はエダがいるこの国が中心になって行うことになり、探索隊が組まれて数日後に出発することになっていた。そこに突然彼女が現れたのだ。
 カーラは困惑気味だが、少しホッとしてもいた。
「女だから危険と言う話なら、私も同じだろう?」
 言って、ミリーに歓迎の意を伝える。
「はい!女同士、仲良くやりましょうね!」
 旅は一回きりではない。未踏の地に人が安全に行き来できる場所を確保しつつ、少しずつ奥地に向かっていく。
「いいけどよ。…まあ、どうせ目的地に行き着くのは当分先だ。気楽に行くか。」
 何も目的のない人生より余程いい。それを気楽な仲間でやれるのは恵まれたことだろう。
 まだこの生は続くのだ。

 ギルは一人空を見上げる。
「次に会うときは、楽しい人生だったって言ってやるよ。」




fin.
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