Providence
二人が書斎で言いつけられた仕事をしている時に、入り口の方でアロニの声がした。聞き耳を立てると、どうやら人払いをしているようだ。
ギルがカーラに目配せする。カーラは小さく頷き、唇を結んだ。
「一段落付いたら、休憩にしようか。」
アロニの言葉に二人はにこやかに返事をし、手早く今やっていることを済ませて彼の側に戻った。
「ついておいで。」
アロニは、唇の前に人差し指を立ててそれが秘密の行動であることを伝え、目を細めた。「すべてみせてあげるよ」と言ったところだろうか。
「随分と待たせてしまって悪かったね。ある人物との連絡がしばらく途絶えていたのでね。」
隠し扉をくぐり、その奥の部屋の隅の本棚を動かすと、そこも扉になっていた。薄暗く細い通路にアロニが入っていく。二人は静かに付き従った。
最初のうちは教会と同じもので作られた階段だったが、それが途切れると洞窟のような場所に出た。
「…海へ…続いているのですか?」
そう尋ねたのはカーラだ。かつての城の中に同じような隠し通路があり、それは外部から狙われにくい絶壁の荒れた海まで続いていた。基本的には有事の際に王族が敵から逃れるために準備されたものだ。教会にもそういうものが作られていても不思議ではない。
「よく分かったね。潮の香りでもしたかな?」
アロニは大して気にもとめず、そう答えた。
通路は思いのほか長かった。それでも不安を感じなかったのは、大僧正が教義の講釈を続けていたからだろうか。
相変わらず、彼の話からは正義が感じられた。人は信仰に対してこうあるべきだ、精霊をこう位置づけるべきだ、そういう確固たる信念が存在している。
(でも、メリサに対する信仰心は消えちまったんだな。これから見せられる『何か』のせいで…)
海に出ると、そこからは断崖に設けられた狭い足場を伝っていく。洞窟の暗さより、この足場のほうがよほど恐怖を誘った。
「さあ、この上だよ。おいで。」
先に上がったアロニの靴が雑草を踏み倒したのを見て、やっと人心地つける場所に出たのだと二人は内心ホッとした。が、それも束の間、そこには先客がいた。
「そんな子供を連れてきたのか。」
男は少し笑い、呆れたような口調で言った。
三十歳前後とおぼしき彼は、大僧正への態度がぞんざいだった。身分が高いのかと言えばそういう風にも見えない。服装は小綺麗ではあるが庶民のもの。それなのに、アロニの方がへりくだった対応を見せた。
「お待たせしました。この子たちは次代を担う人材です。本当のことを話しておきたいのです。」
「まあ、あんたがそう言うのなら仕方ない。随分と世話になったからな。」
そう言って懐から何か板状のものを取り出した。
ギルが息を飲む。
その様子に気付いたカーラはあちらの視線がギルに向かないよう、その男の側に小走りで駆け寄る。
「何ですか?それ。何かが書いてあるんですか?」
「これこれ、失礼だよ。ちゃんと見せてあげるから、大人しくしていなさい。」
珍しく子供っぽい行動を取るカーラに、アロニが困ったように注意した。
ギルは表情を整えて、アロニに同意する。
「まったく、時々ガキっぽいよな、カーラは。」
男はすぐ近くの岩の平らな場所に、それを置いた。そして何度か、いくつかの場所を指で触れる。
「さあ、これが真相。今の時代の人間は知りようのない、大昔のお話だ。」
水平に置いた板が発光して空中に像が浮かび上がる。ホログラムだ。この国の中で、おそらく持ち主の男とギルだけが知っている技術。
映し出されたのは、ヴァエルの姿だった。たった一度、人間の前に姿を現した、その時の様子。まだ宇宙にいた船から慌てて撮影したのだろう。映像が始まったときには既に地上の多くの人間がマグマに飲まれていた。側にあった宇宙船も潰され、人の死体と一緒くたにゴミのように丸められ、最終的にそれは星の外に放り出された。
「これが、悪魔の所業。人間はこいつに怯えて暮らさなくちゃならなくなった。人間は、ヴァエルの奴隷に成り下がったんだよ。その原因が、この女だ。」
映像の中で、ヴァエルの足元で怯えて固まっている数人の一人を指さした。
「どうしてこいつらだけ難を逃れたと思う?」
さあ、とギルは小さく答える。
男は小馬鹿にするように笑った。
「この悪魔と契約を交わしていたからだ。この女が悪魔に取り入って、永遠の命を手にした。そのツケを他の人間に払わせたんだ。」
映像には説明もない。そんな話は後から作り上げたものだとギルには分かっている。が、否定する材料がない以上、騒ぎ立てるのは得策ではないだろう。
何も言えずにいるギルとカーラに、アロニはそっと話しかけた。
「驚いて当然だ。私も最初は信じられなかった。しかし、悪魔との契約のせいで人間は文明も技術も捨てざるを得なかったと聞いて合点がいった。人間はこんな技術を持っていたんだ。それが今無いのは、おかしいと思わないかい? すべての力を取り上げられ、不便を強いられているんだよ。」
何を言うべきか、どう弁明すべきか、ギルは必死で頭の中を探し回る。
「不便を強いられている、というなら、精霊信仰の循環に関する決まりも同じだと思うけど。」
大僧正は循環を否定するようなことは言っていなかったはずだ。そう思って口に出した。
「循環は守るべきものだ。それは自然を守り、私たちを守ることになる。だからといって人間の持つ力を取り上げるというのは筋が違う。悪魔は人間から力を奪いたかったんだよ。それは力を恐れてのことだろう。つまり、本来の人間の技術を使えば、あの悪魔を倒せるということだ。」
そう、と男が続けた。
「悪魔さえ殺してしまえば、人間はもう奴隷ではなくなる。今もなお空に存在する船を地上に降ろすことが出来る。そうなれば、この世界はもっと住みやすく、平和で安寧な場所になるんだ。素晴らしいと思わない?」
「船が…あるんですか?」
カーラの素直な驚きだった。
「僕はそこから来たからね。地上に降りて以来、不便な生活が続いて辟易していたんだ。」
だから利害の一致だよ、と彼は言う。
ギルはジッとホログラムを出した機械を見据え、ゆっくりと近づいた。
「で、どうするつもりなんですか?」
そう言いながらその端末に手を伸ばす。
「おや、何も聞いてないのか。アロニさん、生真面目だな。これを見せてからって?」
「ちょっと触っていいですか?もう一度見たいんで。」
「ああ、いいよ。ここに触れて、それから…」
機械の知識が無い筈の相手に、男は丁寧に手順を教える。無警戒なのはアロニの連れだからか、子供だからか。ともかく教えて見せてしまった方がいいと判断したらしい。
ギルは先程の映像をもう一度流し、アロニと男が会話を始めたのを確認すると、ホロを出したまま端末をあれこれ触ってみた。
そしてあることに気付く。
「なあ、あんた。悪魔を殺すってどうやるつもりだい?」
映像を止めて、端末を片手で持ち上げて振って見せた。男は眉を顰める。
「キミ、乱暴に扱わないでくれ。」
「なあ、どういう計画だよ。きちんと教えてほしいもんだな。」
「今から話すつもりだったんだが…気に入らないな。」
アロニが「ギル、失礼な物言いはやめなさい。」とたしなめるが、ギルは大きく溜息を吐いて見せた。
「アロニ、あんたコイツがこんなもん持ってるから、自分より上位の存在だと思ってるだろうが、コイツはただの青二才だ。コイツ、船から兵器かなんかで悪魔を仕留めてくれるとか言ったんじゃないのか?」
ギルの態度が急に不遜になったことにアロニは戸惑った。
「…確かに、そういう計画だが…ギル、ものの尋ね方というのがあるだろう。それに目上に対する態度も。」
「ああ。でも、あんたが騙されてるって事を証明してやるさ。」
貴様、と男は端末を取り返すべくギルに掴みかかった。それを交わしてギルは縛りの魔法を使った。為す術なく地面に座り込む男。
「しばらく大人しくしとけよ。」
そう言って端末を操作する。
「この端末、通信機能が死んでるぜ? 中身のアップデートは十五年前。あんた、その頃に事故かなんかで地上に取り残されたんじゃねーのか? その時に通信機能がやられて、救助も呼べなかった。で、十年以上も経ったのに、未だ壊れたままだ。あんたは採集か何かに借り出されたただの一般市民。端末の不具合の直し方も知らない。何なら、俺が今直してやろうか?」
「何を…言っているんだね…」
そう呟いたのはアロニだ。
「通信機能は死んでる。これは間違いがない。でも、俺なら直せる。」
身体は動かないまま、男はギルを睨んだ。
「そんな馬鹿なことがあるか。お前ら地上の低脳な人間が、天上の機械を直せるわけが…」
ギルは片方の口角を上げて笑って見せた。
「わりぃな、俺はこの機械を知ってるんだよ。専門にやってたんでな。プログラムを組んだり、勿論修理をしたり…ま、大昔の話だ。カーラ、風でガードしてくれ。精密機器はほこりに弱い。ほんの小さな異物もブロック。」
「え、…ああ。風よ!」
カーラは端末をしっかりと風で覆う。ギルはいつも持ち歩いている小さな工具を出し、板を割るようにこじ開けた。
「資源の問題だろうが、端末自体の作りは殆ど変わっちゃいない。プログラムはちょっと興味沸くのがありそうだが、今はそんな場合じゃねーからな。…ふん、見たところ、簡単な接触不良。この程度の修理も出来ないくせに、俺らを低脳呼ばわりか? しかも、大僧正には自分が天上人だって言ったのか。ただの人間のくせに。」
「お前いったい…」
「誰だって?」
まさか、とアロニがギルを見る。
「…エダ…。」
様、を付けないのは、彼が魔女だと思っているメリサの伴侶だからか。
手際よく作業を終え、蓋をしっかりと閉めた。
「よし。…こちら地上の…おい、お前名前は。もしくはコード。」
「…TU00856、ケビン。」
「TU00856、ケビンの端末から発信。応答願う。」
二度三度、同じ文言を唱えると、端末に反応があった。
『母船より発信。端末情報を確認。発信者はケビンではないのか?』
「別の人間だ。だが、本人も側に居る。迎えがほしいそうだ。」
『状況が読めない。ケビンは生きているのか。生死不明になってから十五年が経つ。本人確認をしたい。』
言われるまま、端末で本人を撮影し、指紋情報と共に送る。
数分の間が開き、確認が出来たと返事が返った。迎えは明日になるという話だった。おそらく細かい規定やら手続きやら、何かしらの面倒ごとがあるのだろう。
「さてと、俺はあんたに感謝されてもいいと思うんだが。」
「…ああ、助かったよ。これでこんな原始時代みたいな場所から離れられる。」
もう縛りの魔法は解けているが、ケビンはそのまま地面に座っていた。暴れ出すこともなさそうだ。
「アロニ大僧正。あんた、さっき俺をエダだと言ったな。…そう、その通りだ。ここからはエダとして話をする。…さっきの映像は、確かに本物だよ。だが、コイツの言ったことは作り話だ。」
そう前置きをして、人間がこの星に来たときの話を始めた。
「ヴァエルはトワの…そうだな、何というか…伴侶のようなものだ。これは死んでから知ったんだが、この星が出来るときに最初に生まれたのがヴァエルらしい。それからトワが助け手として生まれたって話だ。ヴァエルの方がトワよりも上位なんだよ。…で、ヴァエルは人間をこの星に入れることを良しとしなかった。なんせ、人間は母星を壊して出てきたんだ。そんな生き物を受け入れて星を壊されたらたまったもんじゃないだろう?だが、俺たち人間にとっちゃ好都合なことに、トワがメリサを気に入って助けたいと言い出した。」
「…だから条件付きで移民を許可した?」
カーラの問いに、ギルは頷く。
「その条件を守ると約束しちまったのがメリサだ。人間は他に行き場がなかった。どうにかしてここに落ち着くしかなかった。でも、後からやってきた奴らがそれを咎め始めた。で、俺たちは刑場に引っ張り出され、処刑される寸前だった。…一番簡単に言うと、あの時のヴァエルは、大事なトワが助けたいと願ったメリサとその仲間を、トワの為に救い出した。…そしてついでに条件を飲まない人間に罰を与えた。」
それは恐ろしい光景だった。神の審判とは言え、人が次々死んでいく様は地獄だ。メリサはそんな事態になったことに責任を感じ、晩年まで悔やんでいた。
ギルはふと空を見上げる。
もしかしたら今もまだ、彼女は悔やんでいるのかもしれない。永遠の牢獄。死してなお、生前の記憶に縛られる場所で。
ひと通り話し終え、ギルはアロニの前に立った。
「あんた、どっちの話を信じる? 船に帰りたいだけのこの男と、当時の事を知ってる俺…と言っても俺がエダだって証拠はないに等しいけどな。」
いや、とカーラが割って入る。
「その機械を直しただけで充分な証拠でしょう。」
アロニは視線を泳がせ、絞り出すように声を出した。
「…トワ様は…トワ様はどうしておいでですか…」
「どうって…常に世界にいるよ。どう表現すればいいんだか…俺たちが魔法を使うとき、属性にかかわらず、トワの能力を借りてる。トワが世界にいる証だ。」
「じゃあ、メリサ…様が、トワ様を捕らえているというのは…」
ギルはケビンを振り返る。冷たい視線で睨み付けると、彼は肩をすぼめた。
「嘘だよ。あんたを乗せるために適当な話を作り上げた。簡単に信じてくれたから、やりやすかったよ。」
「そんな…」
アロニにとってみれば、ケビンは天の使いのような存在だった。不思議な道具を持った空から来た人物、というだけで人間より上位種だと思い込んだ。そして彼の語る昔話も、上位種だからこそ知りうる真実なのだと信じ切っていた。
あ、とギルは思い出して付け加える。
「あの古い書き付けだけどな、当時、不便な生活に文句を言う集団が離反して敵対したことがあった。そん時の奴らだろう。腹いせに、悪戯感覚で残したのかもな。」
それについてはエダにも真実はわからない。保存を狙って樹液で包んだとしても、普通なら樹液が固まる前にインクが溶け出しそうなものだ。それなのに、薄くはなっていたが文字が判別できる程度には残っていた。そして、幸か不幸か、この時代にそれを取り出す事の出来る人間がいた。
「…私は…なんという間違いを…」
アロニはガクッと膝を付き、頭を抱えた。
「じゃあ、生け贄が…何の意味もなく捧げられることに…」
「生け贄!?」
「どういうことです!大僧正!!」
そこで大事なことに思い至る。通信も出来ず、何の手立てもないはずのこの男が、何故そんな計画を立てたのか。
「お前!!何をするつもりだったんだ!?」
ギルの問いに、ケビンは自嘲気味に笑った。
「何でも良かったんだよ。派手なことを起こして、上にいる奴らに気付いてもらいたかった。それこそ、あのでかい悪魔が出てくれば嫌でも地表を観察するだろ。それで、端末の存在と僕に…気付いてくれるかもしれないじゃないか。」
今にも泣き出しそうな顔で、アロニは「どうしたら…」と繰り返す。
「計画はなくなった。やめればいいだけでしょう!?」
カーラの言葉に、ケビンがぼそっと返した。
「もう遅い。」
「…何か…始まってんのか…?」
「もうすぐ、そこの街の人間たちは精霊を捧げることになる。」
そう言って、見下ろした場所にある街を指さした。
ギルは未だ地上の人間を見下している様子のケビンの胸ぐらを掴む。
「言え!!何をした!!」
ハハハ、と乾いた笑い声を立てて、男は言う。
「街を取り囲んで聖魔の儀式をやってるんだ。もうすぐ街中の人間の精霊が捧げられ、それにつられて悪魔が顔を出す………かもしれない。」
その言い草で、それもいい加減な計画だとわかる。ヴァエルを呼び出せる確証なしに、聖魔信者を焚き付けたのだ。ひとつの街をまるごと犠牲にするというのに。
「生け贄って言っても人は死なないんだろ?精霊捧げるだけだから街の人に被害はない。」
「それで本当にヴァエルが出てきたら、被害がないとは言えないだろ!?」
「もう出てこなくていいんだけどな。僕は帰れることになったし。」
「…てめぇ…」
殴りかかろうとするギルを、カーラがすんでの所で止めた。
「儀式をやっている場所を教えなさい。」
「街を囲むように、六ヶ所。キミたちがここに来たときにはもう始まってたよ。今更遅い。」
そんな、とカーラが呟く。
ギルは念じるしかなかった。
ヴァエル!出てくんじゃねえ!頼む…
念じてどうなるわけでもないのは分かっていた。ギルはこの14年の間に、何度かヴァエルとコンタクトを取ろうと心の中で呼びかけてみたことがあった。結果はなしのつぶてだった。
人間とは関わる気がない。怒りが極限に達した時にだけ、行動を起こす。
それでも、今回ヴァエルがエダに使命を課したのは、ある程度人間に歩み寄る気になったのかもしれない。そんな期待も抱かないわけではなかった。
頼む。来るな。
街の様子に変化はない。しかし、もしかしたら次の瞬間にはヴァエルが現れるかもしれないのだ。
「ギル…何も起こってない。…大丈夫だ。」
しばらく経ったところでカーラが言った。
「…わかんねーだろ、そんなもん…」
「いや、精霊が捧げられてないんだ。捧げられてないはずだ。だってそうだろ?精霊を捧げたら、魔族を使役できる。でもその気配がない。このあたりの精霊の気配に変化はない。何処にも魔族が出現していない。」
ハッとして、ギルはもう一度街を見渡した。
「ホントだ…。」
そのとき、空から声が降ってきた。
「ギルさま~!カーラさま~!」
聞き慣れた声に顔を上げると、それはミリーだった。グライダーで旋回しながら降りてくる。
「丁度良かったです!報告が…ありまして…?」
途中から歯切れが悪くなったのは、項垂れたアロニと見知らぬ男がいたからだ。彼女は報告のために教会に行くところだったらしい。
「あの、聖魔信仰の儀式を、阻止したんですが、そちらは…?」
「首謀者だよ。止めたんだな?」
「はい!国際連盟が動いてくれて、一網打尽です。」
ミリーは教会を出た後、過去に釈放された聖魔信仰者を探すため、母国に協力を要請していた。充分な要員が派遣され、調査の末、儀式の情報に辿り着いた。あとは連盟の特務隊と協力して儀式に関わった者をすべて捕らえたとのことだ。
ギルがふらついて岩場に腰を下ろす。
「助かった…恩に着るぜ、ミリー。」
「お役に立てたなら幸いです。」
「これでヴァエルは…」
出てこない、と言おうとした瞬間、地面に異変が起こった。