Providence



 思惑通り三人は城の教会に入ることが出来た。ミリーのことは、旅の途中で出会った仲間だと説明した。
「襲撃を…そうか。大変な旅だったね。なに、この城の周りでことを起こす輩はいないだろう。安心して休むといい。明日、話し合うとしよう。」
 部外者であるミリーは客間に通された。カーラが同じ部屋で休みたいと申し出たが、それは許されなかった。
 ギルが隙を見て小声で「何かあったら逃げ出せるか?」と問うと、ミリーは小さく頷いた。



 アロニ大僧正は三人の保護と襲撃に関する調査を約束し、しばらくは外に出かけないようにと言った。ミリーは修道女になることを希望したため、同じ教会内で過ごすことになった。しかし、新人の修道女の行動範囲はごく一部に限られ、頻繁に連絡を取り合うことは難しい。
 そして、大僧正の提案で二人は更に一般の修行者との接点は薄くなった。
「いい機会だ。二人ともしばらく私の手伝いをしてくれないか。」
「手伝い、ですか?」
「身の回りの些末ごとを任せる者がいなくてね。雑用係のようなものだが、いいこともあろう。」
 そう言って笑むアロニの様子に含みがあるかどうか、二人には判断が付かなかった。
 彼に対する疑いは疑いのまま、しかし穏やかな対応に危険は感じられず、その後の日々も淡々と続くかに思われた。
「…という教えだ。それに関しては以前少し教えたね。」
 大僧正は仕事の片手間に、二人に教義を聞かせる。内容に不自然なところはない。それは毎日の日課になり、次第に深く詳細になっていく。
「一般的にはぼかして伝えられているが、それは深く知らなくても信仰心で補われるからだ。しかし僧侶が知らないままでは困る。君たちにももっと知識を蓄えてもらわねば。」
「はい、ありがとうございます。でも、いいんですか?私たちを特別扱いしては、問題が生じるのではないでしょうか。」
 カーラがそう問うと、彼は口元に手をやりフフっと笑った。
「側付きの者がより知識を得られるのは当然のこと。側付きに選ばれるには理由がある。それを分からぬ者なら文句も出ようが、そんな浅い人間はここには居ないはずだ。」
 そう返して、また教義の話に戻る。

 大僧正が黒幕であるという予想に二人が疑問を持ち始めた頃、彼の口から聖母の名が出た。最初は問いかけだった。どういう人物像を描いているか、そんなことを二人に尋ねた。
「そうですね。一般的な聖母のイメージとさほど変わらないかと。慈愛の象徴と言いますか…」
 カーラがそう返し、ギルは同意するように頷いた。
 大僧正は「そうだね」と静かに言い、視線を落とす。そしてしばしの沈黙が流れた。
「どうか…なさったんですか?」
 ギルがいぶかしげに眉を寄せると、かの僧侶は息を吐く。
「私も、そう、思っていたよ。十年ほど前までは…」
 先刻まで揺るぎない信仰を語っていた筈の彼は、唐突に信じるものを失ったかのような不安に満ちた遠い目をした。
「この話はまだ数名にしかしていない。が、次代を担う君たちには話しておきたいと思ってね。」
 そう言うと二人を書斎の奥、隠し扉のさらに向こうへ促す。
「十数年前、ある古い書物が見つかった。おそらく世界最古のものだ。」
 厳重な箱から出されたのは朽ちかけた数枚の紙だった。元は綴じられて冊子になっていたようだ。確かに古い。とは言え、その劣化の仕方なら世界最古と断ずるには少々疑問があった。
「いつの時代の物です?」
「内容を見る限り、始祖の時代、聖母メリサが生きていた頃だよ。」
 まさか、とギルは思わず声を上げた。その頃の製紙技術では、長期保存に耐えられるものは作れなかった。加えて保存方法も編み出されていなかったはずだ。そんなことがあるわけがない、と記憶を辿り、ふと思いついたことを口に出す。
「…琥珀?」
 大僧正は少々面食らった様子でギルを見返したが、ゆっくりと頷いた。
「偶然か、魔法によるものかは定かではないが、この書物は大きな琥珀の中に閉じ込められていた。それを慎重に取り出したんだよ。」
 一枚一枚ばらされて補強が施されている紙のあちこちに、細かい結晶のような物が残っている。琥珀を単純に割って取り出したのではなく、魔法を駆使した様子が窺えた。
 詳しく尋ねると、それは厳重に包まれた状態だったという。偶然、と言うには不自然。しかし、魔法を使った様子も見られない。
「一か八か、ってことか…」
 何千年、何万年の保存を狙って樹脂で包む。そうまでして後世に残したい文章。
「読んでもいいですか?」
 裏面には文字が無いようで、透けて見えることもない。補強の枠に数字が振られていてその順に読めばいいとすぐ分かった。

 それは、呪詛だった。メリサに対する恨み辛み。そして、あろうことか、全ての不幸の原因を作ったのがメリサだと書かれていた。
 メリサは悪魔と契約を交わした魔女だ、と。

「こんなもの!信じたんですか!?」
 いきり立つギルに大僧正は悲哀の目を向ける。
「信じなかったよ。最初はね。しかし、信じるに足る証拠を目にしてしまった。」
 彼は視線を落として言葉を閉じた。
 ギルは詰め寄るように一歩踏み出して反論を試みる。
「これは!メリサを悪く言っていた敵対勢力の残した呪詛です!嘘と誤解に塗れている!移民の条件はトワが出したものだ。循環を守るために、その害となるものを持ち込まない。作らない。その約束は最低限の条件で、応じないなら人類を受け入れないと言われた。開拓者は応じるしかなかったんだ!」
 まるで見てきたように語るね、と大僧正は静かに返した。移民や開拓といった言葉は先程の文書にも出てきている。彼もある程度把握はしているようだ。
「それがもし、すべて魔族の王とのやり取りだったとしたら?」
「…それでも応じるしかないでしょう?人類を受け入れてもらうには。」
 本来、神的立場であるヴァエルと約束するものだろう。問題は、ヴァエルが「魔族の王」と呼ばれているところだ。しかも文書には「悪魔」とある。
「そうかもしれない。しかし、メリサは精霊信仰でヴァエルとの契約をうまく隠している。自身の過ちも全て…」
 ギルは拳を握って、荒げそうになった声を殺して低く尋ねる。
「過ち、とは?」
「メリサは罪人だったんだよ。すり切れて読みにくい部分ではあるが、そう書かれている。その罪自体も覆い隠し、さも人類の代表かのように振る舞い、果てに聖母と呼ばれる位置に収まった。許されることではない。」
「…っだから!ここに書かれていることは嘘だ!アンタ敬虔な信者じゃないか!なんで信じるんだよ!」
 冷静さを欠き言葉が荒くなったギルを、彼は哀れむように見返した。
「私が信仰しているのはトワ様だ。今は魔女の手に囚われていらっしゃる。」
「逆だろ!?永遠の牢獄にいるのはメリサの方だ!」
「それこそ嘘なのだ。魔女は悪魔と結託して、精霊の長であるトワ様を手中に収めた。それに気付かせないために、精霊信仰は歪められている。」
 ギルは相手を納得させる言葉が思いつかず「違う、何で」と繰り返す。その横で、じっと聞き入っていたカーラが小さく手を上げた。
「あの、大僧正。先程、証拠を見た、とおっしゃいましたよね?私たちにも見せていただけますか?」
 ギルと正反対に落ち着き払った彼女の様子は、大僧正にとってありがたいものだった。
「そうだね。それを見れば、君たちにも分かってもらえるだろう。…ただ、すぐには難しい。いずれ、見せると約束しよう。」
 今日は戻りなさい、と出口に促され、二人は黙って背を向けた。
「くれぐれも、他言はせぬようにな。今この話を広めても混乱を来すだけだ。」
「はい。心得ています。」


 ギルは憤まんやるかたない思いを抱えたまま、カーラを伴って自室に戻った。
 何から話していいか分からず、口を開き掛けては「あー…」と呻いて口を閉じる。そんなことを数回繰り返したところに、窓をノックする音が聞こえた。かなり控えめなものだ。
 直感でミリーだと悟り、小声で返す。
「どうした。」
 ギリギリ聞き取れる小声が届く。
「私、今から出奔します。」
「何かあったのか?」
 彼女は手短に説明した。
 過去十年の間に、罪人に講釈を施しにアロニ自ら出向いたことが6回あり、それが全て聖魔信仰者だった。しかもその後すぐ、大僧正のお墨付きで改心したと釈放されていた。
「足取りを追います。」
「頼む。出来ればお前の国から対聖魔の組織に話を通してくれ。何か企みがあるようなら潰してもらえ。」
 了承の返事の後、ミリーの気配は去った。
「…あれだけ精霊信仰に傾倒していながら、聖魔信仰者を助けたのか?」
「どうだろう…襲撃に大僧正が関係しているならあり得るよな…それにしては精霊に対する信仰心はしっかりとある…」
 何もかもが分からないことだらけだ。






「メリサは聖母と呼ばれるのを嫌がってた。もう六十を過ぎておてんばも収まってきた頃だったか…。」
 精霊信仰の中心人物として据えられていた彼女を聖母と呼び始めたのは孫たちの世代だ。エダも精霊との契約で永遠に単一の魂を維持することになっており、その話も広まってしまっていたから『聖母の永遠の伴侶』と呼ばれる羽目になった。
「おてんば?…いや、嘘だろそれは。」
 ギルの言葉を何処まで信じていいのか、カーラはまだ掴めない。ザイールのことを思い出すといくらでも嘘を吐きそうな気がするのだ。
「まあ、おてんばの中じゃ大人しい方か。しょっちゅう新しい研究材料を探しにあちこち出かけてたが。」
 なんとなく彼の言う『おてんば』の度合いが分かり、話の続きを促した。


 そもそも、ヴァエルが何故『神』でなく『魔族の王』なのかと言えば、ヴァエル自身が神と名乗ることを避けたというのもあるが、彼らの発する言葉が全てメリサに起因していることが大きい。
 最初に交信を持った精霊トワは、人間の言葉を理解するために彼女の記憶を読み解いた。語彙も、イメージも彼女が基盤になっている。
「あいつ、物語が大好きだからな。魔法だの精霊だの、語彙を全部ファンタジーの世界から引っ張ってきてんだ。」
 彼女から話を聞いた仲間たちは最初、魔法も精霊も信じられなかった。が、実際にメリサが魔法を使うのを見て一応納得はした。それでも仲間の一人、セイゴはずっと呼び方を変えるべきだと主張していた。精霊は上位精神体、魔法は超能力、そうした方が人々に受け入れられやすい。そう言っていた。
「でも結局、メリサがトワから聞いた話を聞いたまんまにしか喋らないもんだから、呼び方は変えられなくてな。」
「つまり、メリサ様の語彙の中から、ヴァエルが気に入った言葉を選んだってことか?」
「ヴァエルじゃなくてトワが選んだのかもしれない。どっちにしろ、あいつが神だと名乗ってりゃこんなことにならなかっただろうに…」
 精霊信仰を立ち上げた当初、ヴァエルの扱いには皆頭を抱えたのだ。立場的には神と呼べるというのが皆の見解だったが、彼は人間を嫌っている。一度神だと定義づけしてしまったら、いずれ崇め奉る集団も出てくるだろう。そんなことで彼の機嫌を損ねたくない。
 崇める対象にせず、同時に彼の司る領域に踏み入らせない。教義にどう盛り込むか。かなりの難題だった。
「循環に必要な存在だって話にしたはずなんだがなぁ…」
 今の教会に伝わっている書物には一通り目を通したが、なぜかその部分が抜け落ちている。どこかの時代で欠損が出てしまったのだろう。
 そして抜け落ちた教義の代わりに、呪詛が発見されてしまった。それが今回のことの始まりだ。
「証拠って何だと思う?」
 カーラが尋ねると、ギルは肩をすくめた。
「さあな。精霊に対する信心深さは折り紙付きなのに、メリサの悪口なんか信じやがって…」
「心当たりはないのか。」
「魔女だって証拠、存在すると思うか?」
 信仰の対象が精霊であるこの世界では、神という概念が薄く、現実味はないといってもいい。それ以上に魔女は空想上のものだ。物語の中で、魔法に長けた長寿の術者が悪に堕ち、魔女と呼ばれることがある。現実にいると思っている者などいないだろう。その物語上の設定に照らし合わせて魔女だと決めつけるとしたら馬鹿げた話だ。
「魔女、というところじゃなく他の証拠は?大僧正が言っていた中では…罪人、ヴァエルとの契約、…あとは…トワ様を捕らえているって話か。」
 ギルはうーんと唸って、眉間にしわを寄せる。
「…罪人…か…」
「そう思わせる何かが?」
「いや、始祖の時代に書き記されたものが他に残ってるなら、そう書かれていてもおかしくはないが、ありえないだろ?」
 おかしくはない、とギルが事もなげに言ったことに小さく驚き、カーラは聞き返した。
「当時そんな話があったってことなのか…?」
「…ああ、俺たちのことを重罪人だと信じて疑わないやつらが少なからずいた。…言っとくが、まったくの濡れ衣だ。」
 その説明は長い話になってしまう。開拓船に乗せられた経緯、母星での常識、疑いが拭いきれなかった理由。いろんなものが絡み合った結果だ。
 ギルは何処まで話せばいいのかと渋い顔をしたが、カーラは詳細については訊かなかった。優先順位を間違えてはいけない。今は証拠を崩す方法が必要なのだ。
 いずれ見せると言われたその証拠が何か分からなければ、アロニに考えを改めさせるのは難しいだろう。
「すぐ見せられないものってことは、書物の類いではないんじゃないかな。」
「…どうだろうな。手元にない、と言う話かもしれないぜ?」
 ともかく、その時が来るまで待つしかない、と結論づけて話を終えた。下手に探りを入れて怪しまれるのは悪手だろう。今は信頼を得ている状態と見ていい筈だ。



「大僧正、伺いたいことがあるのですが。」
「…先日のことかな?」
 アロニが控えめな声量で返したのは、勿論あの書物のことだと思ったからだ。ギルは「いえ」と首を横に振った。
「襲撃のことです。何か情報は入ってきていますか?」
 それがね、と彼は眉をひそめた。
「どうにも分からないんだ。聖魔信仰者の存在も、噂すら出てこないらしい。調査に向かわせた者たちは、信頼の置ける信者だ。だが、君たちの証言に疑問を持つ声も上がってね。調査の中止が決まったところだ。」
 そう言って小さく溜息を吐いた。
「力になれなくてすまないね。」
 自分は二人の話を信じているよというニュアンスを滲ませた謝罪は、演技なのか否か。彼の言動から心理を読み解こうとしても、とことん善良な人物に見える。
 もし彼が首謀者で本当は信仰心などないとしたら、こうまで自然に演じられるものなのか、と感じてしまう。世の中には詐欺をはたらく輩が数え切れないほどいる。それは知っていても、目の前の人物の言動に嘘を見いだすのは難しい。


 その日、言いつけられた仕事をすべて終え部屋に戻る途中、数人の若い僧侶が道を塞いだ。
「おい、君たち。」
 呼び方は穏やかだが、語気は怒りを含んでいた。
「何かご用でしょうか。」
 身構えて応えると、彼らは広がって二人を取り囲むように立った。
「私たちは昨日まで大僧正の指示で調査をしていたんだが、少し言っておきたいことがあってね。」
 一人がそう言うと、隣の僧侶はあからさまに苛立って続ける。
「嘘を吐いて大僧正を困らせるのはやめろ!」
「嘘?」
 即座にギルが顔をしかめて聞き返した。
「襲撃を受けたと嘘を言っただろう!そのために俺たちは無駄足を踏まされたんだ!」
 また別の僧侶がそう言う。
「どうせ自分たちの虚言をそれらしく見せるために嘘を重ねたんだろう。」
「ああ、聖魔信仰の噂を聞いたとか言ったんだって?馬鹿げてる。そんなものとっくの昔に滅んでるよ。」
「大僧正はお優しいから信じてしまわれたかもしれないが、いつまでも通用すると思うなよ!」
 ギルは反論しようとしたが、口々に怒りをぶつけられ、ムッとして押し黙った。
「お前たちに側付きをやらせているのは、襲撃から守るためだ。その証拠にお前たちはまだ階級さえ与えられてない。取り入って出世するつもりか知らないが、そのうち暴いてやるからな。」
 その言葉を最後に、彼らは去って行った。

「ふざけやがって!」
 自室に着くなりそう吐き捨てたギルの拳が震えているのを見て、付いてきたカーラが宥める。そう言えばザイールも怒りっぽかったなと思い出しながら。
「仕方ないよ。あちらからはそういう風にしか見えないだろ。」
「お前!腹が立たないのかよ!嘘つき呼ばわりされたんだぞ!?」
 掴みかかるかと思うほど詰め寄られ、カーラは苦笑した。
「まあ、嘘を吐いてる部分もあるわけだし…」
「それはやむなくだ!」
 ふう、とカーラは溜息を吐く。
「冷静になってくれ。彼らの相手をしている場合じゃないだろう?」
 大僧正が何を考えているのか。本当に彼が黒幕で何か事を起こそうと企てているのか。それを見極めなくてはならない。
 そう考えながらギルを見上げ、気付いたことがある。
 ギルの喋り方や怒りの表し方からザイールを思い出していたカーラだったが、ふと何か違うと感じた。
 そう、彼はもっと冷静で狡猾だった。腹を立てても、次の機会には出し抜くぐらいのことはしてみせた。
 そうか、そうだ。
 カーラは自分自身に頷き、口を開いた。
「エダ様。」
「やめろっつったろ!その呼びか…」
 ギルはカーラがふざけているのかと顔を顰めて見せたが、彼女は真顔だった。
「あなたは素直すぎるんです。エダ様。なんでもまっすぐに受け取って、額面通りにしか理解できない。」
「は?…んなことねーだろうが…」
「人を疑う習慣が無いように見えます。」
 そんなわけがない、と返事をしかけて、ギルは遠い過去を思い出す。

 母星では殆どの人間が管理社会の中にいて、犯罪者はすぐ更生、もしくは排除された。規律が重んじられ、少しでも反抗的な態度を見せれば隔離される。騙されるようなことがそもそも起こりにくく、すべてのことが法で解決できると思っていた。この世界ほど、嘘に敏感である必要がなかった。

「いや、そりゃ確かに昔は…。」
「はい。で、訊きたいんだが。」
 カーラは上目遣いで口角を上げた。
「アンタはいまの状況をどう見る?ザイール。」
 ザイールと呼ばれ、ギルはパッと視界が開けたような気がした。

 ザイールなら、どう受け止めてどう考えたか。
 生まれ変わる度に記憶をなくすため、その人生ごとに性格も考え方も変わった。環境や経験による違いは必ずある。魂はひとつでも人格は違ったのだと、今気付いた。
「あの時の…俺…なら…」
 記憶に深く潜り込む。幼少期の経験上、あまり記憶に触れると熱が出ることが分かっている。だからなるべく他の人生のことは思い出さないようにしていた。必要に駆られても軽く上辺だけをなぞっていたが、それでは記録を読むのと同じようなものだ。
 しばし目を瞑り、ゆっくりと瞼を上げた。
「…アロニのやろうが一枚噛んでるのは間違いねぇ。あいつの目は俺の嫌いな慈悲とか慈愛とかいうやつだ。本気で信仰心で行動してると思うね。やっかいな敵だ。」
 つまり、彼の精霊への信仰は本物、そして彼の言う『証拠』によってできあがった正義感から、すべての行動を正当化できている。だからこそ、善人に見えている、ということだ。
「襲撃を指示したとして、最初は様子見、次は本気、でも倒せなかったから仲間に引き込もうって魂胆だろうな。こっちが子供だと思って、騙し通せている気でいる。」
「指示していない可能性もある?」
「ああ、あんだけ善人なんだ。情報を共有するだけのつもりが、相手が勝手な判断で動いたとも考えられる。」
「どちらにしろ、アンタは大僧正が聖魔の奴らと通じてるって思ってるんだな?」
「当然だろ。ただ、おそらくその辺の行動もすべて目的のためだ。…あいつの言う『囚われの精霊』を救い出すため、じゃねーかな。」
 信仰心が本物で、精霊が囚われていると信じ切っているなら、当然救い出そうとするだろう。
 カーラは予想以上の話が出てきて慌てた。
「聖魔を使って?まさか…」
「まあ、知らねーけどよ。おびき出す、とか考えてる可能性はあるんじゃねーの?」
「なるほど?」





 ギルは夢の中に居た。
 夢の中であの頃のメリサの隣に居た。

「ふざけんな!何で俺たちが!俺たちは任務をこなしただけだろ!?」
 取り囲まれて捕らえられ、為す術なく監禁された。
 犯罪者の流刑として開拓をしていたのは全く別の星だ。だが、そこは人類が暮らすには到底向かない環境だった。だから現実に移民を考えなくてはならなくなったとき、偶然見つかった、母星と環境が酷似したこの星を開拓することになった。開拓者として選ばれたのは、将来性のある学生だった。ただ、秘密裏に進められた計画だったため、彼らに事実無根の罪を着せて船を出発させた。
 移民団がこの星に到着したときには、その計画の全容が公表されていた。にもかかわらず、エダたち開拓者は犯罪者として扱われ、さらに精霊云々を虚言と断じてさらに罪を重くされた。


「なんでだよ…何で…こんな…こと…に…」
「ギル!しっかりしろ!」
 カーラに揺り起こされ、ギルはうっすらと目を開けた。
 身体がだるい。視線を動かして、自分の部屋だということだけ確認すると、また目を瞑った。
「カー…ラ?」
「ああ。状況、わかってるか?」
 ゆっくり首を横に振る。
「熱が出てる。かなり高い。うなされてたから起こしたが、そのまま寝てていいぞ。」
 カーラが額のタオルを取り替えたタイミングで、ドアをノックする音が聞こえた。
 状況は伝えてあるから、何か連絡事項だろうと彼女は慌てず入り口を開ける。と、そこに居たのは昨日苦言を並べ立てた僧侶の一人だった。
「何かご用でしょうか。今ギルは伏せっておりますので、私がお伺いします。」
 少々警戒の色を見せすぎたかと思いつつも、手早く切り上げて帰ってもらおうと相手を見据える。
 僧侶はバツが悪そうに視線を逸らした。
「…熱を出したそうだな。」
「はい。なので今は…。」
「診よう。」
「はい?」
「病気は治せないが、症状を軽くするくらいならできる。高熱だと聞いた。」
 そう言って彼は強引に中に入る。
「あの…。」
 善意か裏があるのか掴めず、カーラは彼の前に滑り込むように立って、後ずさりながらやんわりと行く手を阻んだ。
「心配するな。ちゃんと手当をする。…あんなことをした次の日に倒れられたら後味が悪いだろ。」
 純粋な善意ではなく、自分のためだと言う。
 カーラは納得してベッドの横に促した。
 彼はそっとギルの肌に触れ、眉を顰める。
「本当に高熱だな。…案外精神面が弱いのか?」
「ご心配なく。原因は別のことです。」
 カーラが答えた直後に、ギルが声を上げた。
「何で…誰も…」
 うっすらと開いた目を確認して、僧侶は「ん?」と返事とも付かない声を返す。
 するとギルは自分に触れていた彼の手を弱々しく掴んだ。
「俺たちは…メリサ…は…間違ってない…………何で…信じて…くれない……みんな…聞いて…くれない…」
 おそらく昔を思い出しているのだろうとカーラは予想して取り繕う。
「先程もうなされていたんです。悪夢を見ているんじゃないでしょうか。」
「メリサ様を夢に見るとは幸せ者だ。…悪夢なのはやはり昨日のせいか…四面楚歌の中心に、聖母と共に立っているか。」
 そう呟いて、彼は呪文を唱え始めた。
 ふわりと光がギルを包む。苦しげな表情が幾分か和らいだように見えた。
「自分が聖母と共にいると信じているのだな。信仰心は本物のようだ。昨日は…一方的に疑念をぶつけてすまなかった。」
 いえ、お気遣いありがとうございます、と体裁を気にした返事をして、カーラは彼を見送った。
「なあ、さっきの…演技か?」
 人の気配が無いことを確認してからギルに向けてそう声を掛けたが、すっかり眠っている。耳には届いていなかった。


 熱は丸一日続き、回復したのは次の日の朝だった。
「は?あいつが来たのか?」
「覚えていないのか。私はてっきり朦朧としたふりをしていたんだと思ったよ。」
 事の次第を話すと、ギルは苦虫を噛みつぶしたような顔で唸った。「畜生、俺としたことが」とどうしようもない後悔をしている。弱っているところを見られたのが不服らしい。
「良かったじゃないか。多分もう文句は言われないよ。」
 カーラがそう言っても、ギルはまだすっきりしない風を見せる。また小さく唸ってから、邪念を追い払うように頭を掻いた。
「それはそうと、あいつらはアロニの仲間じゃないってことだよな。」
 ギルがうわごとにメリサの名前を出したことで、ギルの信仰心を信じた。つまり彼もメリサを神格化しているということだ。大僧正側の人間なら、少し違った反応を見せただろう。
 側付きの仕事でずっと行動を共にしているというのに、アロニが秘密の組織を動かしている様子は見受けられなかった。仲間と呼べる人間がいるのか、大掛かりな計画があるのか、まるで掴めないままだ。
「あの呪詛の書き付けを何人かに見せた風なことを言っていたが…。」
 見せられた人物は彼の仲間になっているだろう。もし反発して敵対したとすると、教会内部に派閥が出来ているはずだ。
「私たちを仲間に引き入れる算段なら、待っていればいずれ話が出るだろう。もう少し様子を見よう。」
 何の手立ても打てないままなのが歯がゆい。が、仕方ないと諦めてギルは頷いた。



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