Providence



 教会に修行に入って十年が経ったある日、ギルとカーラは城詰めの大僧正に呼び出された。ギルが十四歳、カーラが十三歳のことだ。
 アロニ大僧正は、本教会では二番目の地位だが、城の教会を取り仕切る立場に居るため、実質トップと言える権限を持つ。その人直々の呼び出しに、二人は襟を正した。
「二人に来てもらったのは他でもない。君たちは聖魔に興味があるようだね。」
 調べていたのがバレたらしい。いらぬ疑いを掛けられたかと少々焦る。
「…その、嫌な噂を聞いたので…」
 ギルがおずおずと答えた。
「噂?」
「どこかで聖魔信仰を復活させようとしているっていう…。なので、突き止めてやめさせようと思ったんです。」
 ギルの説明に、アロニは深く頷いた。
「なるほど。しかし、本当ならとても危険だ。噂はいつ何処で聞いたか、覚えているかな?」
 自分たちが疑われないように、同時に大事にならないようにするにはどうするべきか。慎重に言葉を選ぶ。
「…お笑いになるかもしれませんが…」
「笑う?」
「…小さい頃に、街で、聞きました。」
「小さい頃、つまり…」
「まだここに来る前、確か四歳の時だったと思います。」
 アロニはにこやかな空気を纏って息を吐いた。
「つまり君たちは、その時の話を信じてずっと調べていた、と言うのかね?」
「はい。」
 ふふっと大僧正の口から笑いが漏れる。
「やっぱり、可笑しいですか?」
 思惑通り、子供の勘違いだと思ってくれた様子にギルはホッとした。
「噂と呼べるものかも分からないが、一応こちらでも出所を調べてみるとしよう。しかし、もしあるとしたら隣国だろうね。あそこはずっと聖魔の国だった。」
 やはりそうか、とカーラは思った。歴史上はかなり昔に滅んだ宗教とされているが、水面下で続いていた可能性はある。まずはあの国を調べるべきかもしれない。
「あの…」
 黙っていたカーラが口を開いた。
「二人で、かの国に行ってみたいのですが。」

 旅の許可はあっさりと下りた。
「調査の結果、君たちの耳に入った噂は一時の軽口だったと思われる。おそらく、そんな問題は起こっていないだろう。しかし、修行僧に旅はつきものだ。修行の旅だと思って行っておいで。」


 懐かしいな、とカーラが言い、そうか?とギルが流す。
 修行の旅ということで全行程徒歩。ギルはそれが気に入らない風を見せた。
「かったりぃ…」
「そう言うなよ。知識はあっても、体は実際に鍛えないと強くなれない。教会じゃあまり剣を振れなかったじゃないか。あちらに着くまでに大人並みに戦えるようになっておきたいだろ?」
 へいへい、と渋々な返事をして、ギルはふいっと振り返る。
 つけられてはいない。あまりに簡単に旅の許可が下りたことに何か引っかかるものを感じたが、その正体は思い当たらなかった。ゆえに気が抜けない。ギルは神経を研ぎ澄ませた。



 修行僧の旅というのは本来、道中のモンスター戦で魔法の使い方を上達させ、いろんな教会に立ち寄って教義を賜るものだ。しかし、二人は一直線に隣国を目指す。
 その道行き。
 不意に精霊の気配が消えた気がした。
「待て」
 隣を歩くカーラの腹のあたりに手を伸ばして彼女の足を止める。
「何だ?」
「しっ…」
 木のざわめき、遠くに鳥のさえずり。そういう音はしっかりと耳に届いているのに、何か静まりかえっているように感じる。
 カーラも異変に気付いて小声で問う。
「…魔族…か?」
「こんなだった気がするな。覚えてるか?」
「ああ。確かに、こんな風だった。」
 魔族の気配を感じることは出来ない。しかし、魔族がいるとその周りから精霊が離れるのか飲み込まれるのか、精霊の気配が消える。
 術者の姿も気配も分からなかった。魔力で隠れているのだろう。
「退くぞ…」
 そっと片足を引き、次の瞬間、二人で後ろに走り出した。
「来る!」
 斬撃のようなものがどこからか飛んできた。とっさに魔法を出すが、それは消されてしまった。
「ちげぇねえ!魔族だ!」
 すんでの所で攻撃を避け、それぞれ岩や木の陰に身を寄せる。
 どうする?と聞いたのはギルだった。彼は過去の人生の中でも魔族と対峙した経験が少ない。それに比べてカーラは前世で隣国との戦争を経験している。勿論、敵は魔族を使役していた。
 魔法は効かない。剣を振るうには本体に近づかなくてはならない。
「ギルは斬撃で応戦してくれ。私は風を操ってみる。」
 斬撃も精霊の力が加わっている。あまり効果が無いのは知っていた。が、何もしないよりはマシだ。
 魔法を出して効果範囲を確かめつつ、カーラは魔族の位置を推し量った。
「よし、分かった。」
 一層強い風を出し、短剣をその風に乗せると空高く舞いあげる。
「ギル、悪い。あの木の下まで攻撃を掻い潜りながら行けるか?」
「おま…ったく…分かったよ。」
 囮だと知った上で、ギルは引き受けた。
「行くぞ!!」
 走り出したギルを少しでも守るため、カーラはいろんな場所から風の力で木の枝や石を敵に向けて飛ばす。ギルも斬撃を出すが、どれも大して衝撃を与えていないようだ。
 もう少しで木の下、と言う地点で、ギルの足が止まった。
「剣なら負けねえ!」
 敵の姿を視認して剣を構えなおす。まだ十四の少年の剣技ではおそらく太刀打ちできない。筋力もまだ鍛えられていない。それでも、気概だけはある。
「あまり踏み込むな!ザイール!!」
 カーラが叫んだ。その声が聞こえたのか、数回剣を振るったところで後ろに飛び退く。
 その一瞬を突いてカーラが飛ばした剣が敵を貫いた。
 朽ちるようにその体は風に溶けていく。そしてあたりの空気が元に戻った。
「大丈夫か」
「ああ、問題ねーよ。」
 カーラが走り寄ると、ギルは腕に付いた傷を手のひらで覆って治療していた。僧侶の修行で守護以外の精霊とも契約を済ませている。
 術者の姿はもう無かった。戦闘が終わる前に立ち去ったのだろう。
「…俺たちを狙った?」
「そんな感じがするな。」
「国境を越えさせないつもりか…」
「私たちが邪魔だということだな。」

 その後国境にたどり着くまで何度か襲撃を受けた。狙われているのは明白だ。
 ところが、国境を越えると音沙汰が無くなった。
「どういうこった?」
「国境を越えさせないのが目的だったのは当たっていると思うが…」
 敵はかなり本気だったはずだ。最初は二人の実力を測ったものだったかもしれないが、その後の襲撃では命の危険を充分に感じた。酷い怪我も負って、ぎりぎりくぐり抜けたといったところだ。
「入られちまったら、やり方を変えるってか?」
 敵はやはりこの国にいるのだろう。そう思っていくつかの街を訪れたが、母国の街とさほど違わない。人々は普通に精霊魔法を使う。かつての精霊魔法への差別的な目はもう無かった。
「聖魔信仰があるとしても局所的だろうな。ほんの一部ってこったろ。」
 ギルの言葉に頷きながらも、カーラは首をかしげる。
「でも、だったらなおさら態々あんたにやらせる意味がわからない…」
 確かに、とギルは歩調を緩めた。
「聖魔信仰が原因で循環を大きく歪めるとなれば、大がかりなことをやってるとしか…でもその気配がない…」
 一体、何処で、何が起こっているのか。視線を落として思慮に耽って歩いていると、首都に近い街道に出た途端、道の様相が変わった。
「何だ…この…地面は…」
 二人してかがみ込んで敷石に触れる。
 カーラは感心するような面持ちで、凄いな、と呟いた。
「こんな素材、初めて見る。ところどころ色も変えてある。自在に着色出来るのか…」
「嘘だろ…まさか…」
 ギルはあからさまに血の気が引いていた。呆然と言葉を出す。
「…硬化プラスチック…?」
「どうしたんだ?ギル、知ってるのか?これ。」
 今までに無いギルの様子に少々あっけにとられながら、カーラは説明を求める。しかし、彼はブツブツと独り言を呟くばかりだ。
「どうやって…いや、出来ないわけじゃねーよな。元々人間が作り出したんだ…。土に還るのか?…プラスチックなら還らなくは…循環に乗るなら問題は…」
「ギル!どうしたんだ!?おい!ザイール!!」
 カーラの声が届いていないようだ。何とかしようと彼女は呼び方を変える。
「エダ様!!」
『循環を守ると確約した筈だ』
 ヴァエルに言われたことを思い出して、ギルは両膝を付き、項垂れた。
「大丈夫か?ギル、気分が悪いのか?」
 抱え起こそうとカーラが腕を回すと、ギルは顔を上げた。
「これかもしれない。」





「こんな科学技術の進んだ国があるなんて予想外だった。」
 ギルの落ち着いた様子に安心して、カーラは「まずいのか?」と穏やかに尋ねた。
 首都に入ると、路面だけでなく、二人が驚く光景が広がっていた。透明感のあるなめらかな表面の建材がいたるところに使われている。
「まずいものが開発されてる可能性がある、といったところかな。」
「循環を壊す?」
「そうなりかねない…と言うより、むしろヴァエルとの約束の方が重要か…」
 この星に移住するにあたってヴァエルが出した条件は、循環に乗らないものを持ち込まないことと作り出さないことだった。それを破れば人類は滅ぼされる。
 だからこそ、地表に降りた者たちは原始的な生活を強いられたし、科学開発に慎重にならざるを得なかった。精霊信仰はそれをコントロールするためのものだ。『循環を守る』ことが最も重要で、人間が作り出した物は人間の手で土に返すべきだ、という教義が盛り込まれている。
「質問…」
 しばらく黙って聞いていたカーラが、小さく手を上げた。
「ん?」
「大体分かったんだが…その…移住って、つまりメリサ様もエダ様も、ここで生まれたわけじゃないってことか?」
「言ってなかったか?」
「聞いてない。」
 わりぃわりぃ、と調子よく笑う。
「その辺も伝承では変わっちまってるからな。あんま関係ない話だし、いいだろ。」
 そう切り上げておいて、あっと何やら思い出したように言う。
「メリサが人類の始祖ってのも間違い。俺たちは大勢で移住してきた。」
 彼女が人類の始祖だという話は、おとぎ話として語り継がれている。メリサはトワによって生み出され、エダは彼女の一部から作られた。そして二人の間に子が生まれ、増えていった。
 開拓の仲間たちは二人の子供として物語に登場するし、本当の子供も含めて沢山の子をもうけたことになっている。
「だから、俺もメリサもただの人間だ。精霊の子じゃねえ。」
 ギルが敬われるのを嫌がっているということは理解したが、それでも、とカーラは言う。
「メリサ様は守護精霊を与えてくれた永遠の存在だし、エダ様だって…」
「まあ、メリサはな?俺は毎回ただの人間として生きてる。何の力も無い。生まれてすぐ死んだことだってある。崇められるような存在じゃねえよ。」
 そこまで言うと、ギルは「そんなことより」と目の前の豪奢な建物を見上げた。
 城というよりは官邸といった雰囲気だ。
 この国にも昔は城があったが、血族による王制はかなり初期に廃止されている。それは聖魔信仰の実力主義によるもので、より強い魔族を使役することができる者が政権を握っていた。その長が暴走する度、国が荒れた筈だ。城もそんな荒廃で朽ちたのだろう。
 道中集めた情報によると、今の政権は上流階級が話し合いによって代表者を決めているらしい。国主と呼ばれている。
「真っ向から行って、会ってもらえるかどうか…」
 取り敢えず面会を申し入れるつもりでいるが、会う相手はなにも国主である必要はない。要は循環に乗らない物が作られていないかを探ることができればいいのだ。とはいえ、子供がそういう情報を手に入れるにはなるべく上位の権限のある人物に取り入った方が早いだろう。

 国主、もしくは科学技術を取り仕切る役職の人物に会いたい旨を告げると、目的を聞かれた。
「街で使われている建材について詳しく知りたい。特に循環に関して。」
 どこかの国の使いでも、誰かの紹介でもない少年たちの言葉をどう受け取ったのか。役人たちは何やら奥の方で相談している風だ。
 待たされている間も時折「もう少々お待ちを」と声を掛けに来た。
「意外とまともに取り合ってくれてるのか?」
 門前払いを食らったら何処から忍び込もうか、と考えていただけに、二人してきょとんとした顔を見合わせた。
 そして。
「お待たせしました。」
 そう言ってお辞儀をした若い女性は、今しがた表から入ってきたばかりだ。
 誰だろう、と言葉に詰まっていると、彼女は左肩に付けている階級章を示した。
「私は科学技術担当大臣のアレックス・ローズと申します。今からご案内しますので、こちらへ。」
 まだ二十代に見える女性が大臣だということに驚いている間もなく、案内すると言って示された方向が建物の外であることに慌てる。
「何処に行くんですか?」
 丁寧な物言いをしながら追い出す、という手段もなくはない。もっと悪ければこのまま投獄されることもあるかもしれない。
「研究所です。循環についてお知りになりたいとか。我々の技術は求める者に扉を開くことになっています。」
 不審なところは見受けられない。ギルは信用することにしてカーラと共に後に続いた。
 ところが馬車に乗って三十分程を掛けて到着した場所は。
「さっきの建物の裏だよな、ローズさん。」
 何度かあちらにこちらにと角を曲がったが、遠回りをして広い敷地の反対側にやってきたようだ。
「ふふ。ちゃんとものを見てらっしゃいますね。その通りです。こちらも色々ありまして。あなた方には関係の無いことですから、どうぞお気になさらず。」
 その言葉にも嘘はないようだった。もし騙すつもりなら、そもそも馬車の外が見えないようにするだろう。



「これ、硬化プラスチックか?」
 透明な壁を叩いてギルが尋ねると、大臣は首をかしげた。
「硬化…ぷらす…?その呼び方は初めて聞きます。どこかで同じような物を見たことが?」
「ああ、大昔にな。」
 ギルの返事に眉をひそめ、しばらく目を瞑って考えると彼女は言った。
「だとしたら、それは別物です。そんなものが存在していたなんて驚きですが。」
 変異グラス、というらしい。
「ガラスを使ってるのか?この薄さでこの強度…樹脂とうまく融合すれば…」
 ブツブツと言った独り言にも彼女は反応する。
「そう、樹脂です。実際のところガラスの成分は少量なのですが…」
 前を行く二人の会話を、カーラは殆ど理解できない。
(どこがただの人間なんだか…。大臣さんも舌を巻いてるように見えるぞ…)
「ギル。」
 終わりそうにない話に痺れを切らして、カーラが声を掛ける。
「本題、忘れてないか?作り方はどうでもいいだろ。循環だ。」
 もっと言えば、危ない物を作り出す可能性を示して、新たな物質の開発をやめさせなければならない。
 するとそれにも大臣が答えた。
「勿論、循環を考えて作っています。新たな物質を作るときには、分解の方法も構築しておく。当然のことだと思っています。」
「いい心がけだ。」
「ギル!言い方!」
 終始上からの物言いなのが気に掛かって、思わずたしなめる。相手からすればただの子供。そしてあちらは大臣なのだから。
 ふふっと笑って彼女はまた別の場所へと先導する。
「正直なところ、あなた方をここにお連れするか意見が分かれました。まず国主に会っていただくべきかとも思いましたが、どちらにせよ、私は門扉を閉ざすつもりはありませんでした。」
 求める者に扉を開く。それがこの国の方針なのか。気になってギルは尋ねた。
「技術を他国に奪われるのは、本意では無いだろう?」
「技術は真似ることは出来ても、奪うことは出来ません。私たちが手放さない限り。」
 それよりも重要なことがある、と彼女は言う。
「技術を伝える時には、作り方と同時に分解の仕方も教えなくてはいけないということです。」
 隠そうとすれば探ろうとする者が現れる。それでもし作り方だけが抜き出されれば、循環を乱すことになる。だからこそ、門扉を閉ざしてはならないのだと説明した。
 そして彼女は足を止めてギルに正対する。
「先刻からのあなたの口ぶりでは、技術を学びたいわけではないですね?」
 ギルは作り方をあれこれ尋ねてはいたが、大まかなことばかりで詳細には興味を示さなかった。それどころか、その部分は聞かなくても知っている風に見える。
「もしあなたが作る手立てを持っているなら、尚更これはお話しておかなくてはなりません。」
 そう言って厳重な扉をくぐった更に奥の部屋を開けた。
 そこは先程までとは違い、どこか宗教的な空間だった。
「何を…する場所だ?」
「トワ様のご意見を伺うための部屋です。教会の深部にもあるものですが、ご存じありませんか?」
「いや、知ってる…が、かなり体に負担がかかるだろう。」
 光の精霊トワと人間の間には時間の流れに格差がある。トワと話をするためには、数日、体を放置しなくてはならない。しかも宗教的観点から身を清めることを求められ、まず三日間の断食をする。つまり、一週間近く、飲まず食わずの状態が続く。戻ったときには大抵の者が危険な領域にまで衰弱している。そういう行為だ。
 メリサも、生前にトワと何度も話をしたが、その時はまだ生命維持装置があった。だから多くの情報を持ち帰ることが出来た。そして、今のこの施設の基礎になるものを作ったのもメリサだった。生命維持装置を手放してからもトワと話をするために考案した設備だ。しかし、やはり体の負担が著しく、使ったのは生涯で二回きりだった。
「その代償を払ってでもやるべきことなのです。」
 目的はと問うと、彼女は新物質の正否と答えた。
 ギルが息をのんで唸った。
「マジかよ…。つまり、ここで作ってる物は全てトワの許可済みってことか?」
「そうですが…さすがにトワ様への不敬を見逃すわけにはまいりませんよ?」
 ギルがトワを呼び捨てたことに、大臣は不快の色を見せる。
 が、ギルはまた一人考えに入ってしまったようだった。
「…ったく、ヴァエルのやろう、もうちょっと情報よこしやがれってんだ。」
「おい、ギル、ちょっとは…」
 周りの状況を考えろ、とカーラが彼の腕を揺さぶると、ギルはカーラの肩を掴んで言った。
「違ったんだ。間違えた。いいか?トワが知ってるってことはヴァエルが知らないわけがねえ。つまりここはヴァエルの言ってた問題の場所じゃねーってことだ!」
「分かった!分かったから、落ち着け!」
 カーラの両肩に手を置いたまま、ギルは目を瞑って項垂れる。
「ちくしょう…何処だ…世界中探し回れってか?」
「気持ちは分かるが、落ち着いてくれ。まだ大事は起こってない。まだ時間はある。」
「起こってからじゃ遅いかもしれねーだろ!?」
「ああ、でも…」
 今嘆いても仕方が無い、と言おうとしたところで、カーラは取り囲まれていることに気がついた。
 常駐の兵士なのか、二人を警戒して配置されていたのかはわからないが、しっかりと出口は固められている。
 大臣が一歩近づいてギリっと睨みを効かせる。
「ヴァエル、と言いましたね?あなたは魔族の王とどういう関係が?」
 しまった、とギルは我に返って彼女の方を向くと、周りの様子を見て降参するように手のひらを見せた。
「あー、まず、俺たちはあんた方に敵対するつもりはない。」
「あなた方になくても、聖魔を信仰する者は捉えなくてはなりません。先程のあなたの言からすると、魔族と交信を持った、ということですね?」
 考えあぐねて片手で頭を掻く。
「交信っつーのとはちょっと違うんだが…」
 どう説明すべきか考えている間に、大臣は周りの兵士たちに、二人を捉えるよう命令した。
「待ってください!」
 カーラが声を上げて懇願してみせる。
「お願いします。お時間を!」
 まだ幼さの残る少女の真剣な面持ちに、同性であるが故か彼女は応じた。
「何か言いたいことが?」
「はい。…ギル、こうなってはもう本当の名を明かすしかないと思います。お覚悟を、エダ様。」
 カーラはギルに向かい、片膝を付いて恭しくお辞儀をする。
「みなさん、この方は聖母メリサ様の永遠の伴侶、エダ様です。」
「お…お前っ…ずるいぞ!」
「どうとでもおっしゃってください、エダ様。私は下僕にすぎませんから。」
 ざわっと困惑した空気が広がり、大臣も数秒、ぽかんと口を開けた。
「…エダ…様…?」
「あー、とは言っても、証立てるものがねーんだが…。」
 困って頭を掻いていると、カーラが言う。
「硬化プラスチックとやらの話をなさいませ。星を旅する船の話でもかまいません。」





 拘束は免れたものの、エダの話を信じてもらうのは難しかった。エダの記憶を語ってみたところで、それが本当かどうか確かめる方法がない。
 それよりも、聖魔信仰を止めるのが目的だという話が重要視されたようだ。
「あなたが本当にエダ様かどうかは、正直判断が付きません。ですが、聖魔を信仰しているわけではない、というのは分かりました。」
 ヴァエルとは交信したわけではなく生まれ変わる前に話したのだと説明すると、また混乱させることになり、ギルはカーラにした話をもう一度、大臣や国主、それにこの国の教会幹部に詳しく説明する羽目になった。
「魔族の王とトワ様が懇意とは…信じがたい…」
 その後、ギルの中のエダの記憶のみならず、数人の生まれ変わりの記憶を紐解いて、歴史と照らし合わせ、やっと本物らしいと結論が出たようだった。
 信じてもらえるとわかったところで、一番の問題を尋ねてみる。
「この国で聖魔信仰の噂は出てないんですか?」
 さすがのギルも、国主相手には丁寧な物言いになったようだ。
「ありません。むしろ、あなた方の国が危ないと思っていますが。」
 ギルとカーラは顔を見合わせる。
「どういうことです?」
「少し前、数回にわたり魔族を使った魔法を国境の外で観測したと報告がありました。こちらに入ってくるかと警戒していましたが、それきり何も起こっていないようです。」
 おそらく二人が受けた襲撃のものだろう。観測の手立てがあるということにも驚いたが、それより。
「あの襲撃はこの国に入れないことが目的じゃなかったってことか?」
「私たちを始末することこそが目的だった…。でも国境を越えたから追ってこれなかった?」
 一通りの経緯を知り、アレックスが口を挟んだ。
「そもそも、聖魔信仰の情報を何一つ得ていないというのに、何故その襲撃者たちはあなた方の動向を知り、敵として認識していたんでしょう。」
 確かにそうだ。道中聞いて回った訳でもない。
「俺たちが聖魔信仰について調べているのを知っている人物が、ひとりいる…」
「まさか…」

 街の宿屋に泊まるつもりでいたが、要人向けの客室に通され、ギルが恐縮して詫びを言った。
「申し訳ない。そもそもこの国を疑ったのが間違いだったってのに。」
「いえ、聖魔信仰の阻止が目的なら、無関心ではいられません。この国の過去の汚点でもありますから。」
「それに、大臣さんに何から何まで面倒見てもらってるのも…申し訳ない。」
 アレックスは率先して二人の身の回りのことを手配してくれた。乗りかかった船、それに精霊との交信を管理している彼女は、エダも信仰の対象として身近に感じていたせいもあるだろう。
 国主も謁見の最後に『できる限りの協力をする』と約束してくれたが、彼女のギルたちに対する態度がその判断材料になったことは間違いない。
 それにしても、とカーラが笑った。
「なんだよ。」
「エダ様は結構感情に流されるお方だ。ザイールは落ち着き払って飄々としていたが。」
 驚きに周りが見えなくなり呆然とする、なんて、ザイールはやらないだろう。そうカーラは思っている。
「うるせー、お前こそ、すっかり女みたいになっちまって。」
「それは仕方ないだろう。女なんだから。」
 もう13歳だ。背も伸びて体つきも少し変わってきた。女として扱われるのにも慣れてきたせいか、立ち居振る舞いに女性らしさが垣間見える。
 二人のやり取りを見て、大臣が口を挟んだ。
「あの、ザイール、とは、もしかしてドラゴン討伐の勇者ですか?…では、カーラさんは…」
「カードだ。崇めていいぜ。」
 ギルがニッと歯をむいて笑う。
 カーラは慌てて言った。
「ばかっ!私こそ本当にただの人間だ!崇められてたまるか!」
 姿勢を正してお辞儀をしようとする大臣を止め、この生まれ変わりは今回限りの特別なものだからくれぐれも内密に、と口止めをした。



 二人の動向を知る人物。それは勿論、アロニ大僧正だ。彼が他の誰かに話したとすれば確定ではないが、今のところは一番疑わしいと言えるだろう。
「帰るとなると、また魔族の攻撃をくぐり抜けなきゃいけないわけだが…。」
 ギルはそう言って頭を掻いた。
「あー、あいつ呆れてるかもな…。せっかく近い場所に生まれつかせてやったのにってよ。」
 あいつ、と言うのがヴァエルのことだと分かって、カーラは苦笑いを返す。
「まあ、仕方ないさ。それに教会から出たのは良かったかもしれない。私たちは強くなる時間が必要だった。」
 あのまま教会内部にいたら、自由を奪われて何も出来ないまま終わっていたかもしれない。そう考えればこの旅も無駄ではないだろう。
 何か策を練らなくては、と旅支度をしながら話し合っているところにアレックスが少女を一人連れてきた。
「供にお付けください。連絡役です。必要なときにはお力添えをいたします。それとこれを。」
 差し出されたのはこの国の一般的な衣服だった。
「多少でも変装になるでしょう。」
「エダ様、カード様、お供させていただきます。よろしくお願いします。」
 少女はミリーと言った。カーラより少し背が低く、可愛らしい風貌は年下に見える。
「15歳です。お二人より年上ですから、ドンと任せてくださいね。」
 着替えを手伝うと言いだした彼女を、エダはぴしゃりと断って寝室に戻ったが、カーラはどうしてもと言われて断れず、手伝ってもらうことになった。
「カード様は男装していただきます。その方が敵の目を欺けますから。」
「分かったけど、そのカード様っていうのはちょっと…。」
 困った顔を向けると彼女は「わかっています」と言うような顔で頷く。
「そうですね。でも、カーラ様とお呼びしては変装の意味が無くなりますから、お二人とも新しい名前をお決めになった方がよろしいでしょう。」

 カーラが男の出で立ちで部屋を出ると、待っていたギルが嬉しそうに揶揄った。
「なんだ? 俺が言ったこと気にしてんのか?」
「うるさいですよ、エダ様。」
 ぷいっと顔を背けてそう言うと、ギルは顔をしかめる。
「やめろよその呼び方。居心地悪くてしょうがねえ。」
「私も名前を変えた方がいいってさ。確かに変装しても名前で気付かれたんじゃあな。」


 少年二人と少女一人が見聞を広げるために旅をする。多少驚かれる可能性はあるが、特に怪しまれることもないだろう。
 三人は一路、かの教会を目指す。




 三人の旅はほのぼのと続いた。その空気はミリーの人柄のおかげだろう。
 先行きを考えれば不安材料も分からないぐらい情報がない。あれこれと考えてみても推測、想像の域を出ない。なにしろ、何を止めればいいのか、正せばいいのかも分からないのだ。
「でも、その大僧正さんが関わっているのは確かなんでしょう? 何か怪しい素振りとか無かったんですか?」
 聖魔信仰に傾倒しているのだとすると精霊を供物として捧げているのが普通だ。しかし、そんな風は無かった。
「守護精霊の魔法、使ってたよなぁ?」
「教義も自然だった。聖魔を信仰しているとは思えない…」
 そう言って、カーラは何か思い出したように言葉を止めた。
「どうかしたか?」
 うーん、と考えて「たまたまかもしれないが…」と前置き、思いついたことを話す。
「メリサ様の話になったとき、顔をしかめたような…。一瞬曇ってあとは淡々と読み上げた風に…。今思えばって話だが。」
 それを聞いてギルも思い出そうとするが、思い当たらなかった。
「…すまねえ…。どうもメリサの話が出ると耳を塞ぎたくなっちまって…」
「え!?どうしてですか!?」
 ミリーが驚いて聞いた。
「え…なんつーか…話の伝わり方が大袈裟っつーか…なんかこう、これじゃない感じが…」
「恥ずかしいって言ってたな、そう言えば。」
「どうしてですか!?」
 信じられないといった面持ちで重ねる。
「仕方ねーだろうが。」
「仕方なくありません!あなたは誇らしく思っていればいいじゃないですか!恥ずかしいだなんてメリサ様に失礼です!」
 プンプンと怒ってミリーはギルの顔を指さした。
「メリサ様は私たち子孫に守護精霊を授けてくださったんですよ!?精霊との交信を確立なさったのもメリサ様です!メリサ様は称えられて当然なんです!」
「まー、割と偶然なんだけどな、交信に関しちゃ。」
「偶然でも!……偶然?」
 ハタと復唱した言葉に引っかかって首をかしげる。
 ギルはバツが悪そうな顔で笑った。
「そう。あいつ、動物の鳴き声の真似にハマって五月蠅いぐらいずーっと真似してて、精霊が怒って向こうから交信してきたんだ。」
「…五月蠅いって?」
「そう。お前ら出てけってよ。」
「あの…嘘…ですよね?」
「残念ながらホントだ。」
 正確に言えば単純に声真似をしていたわけではない。モンスターが魔法を出す寸前に鳴き声とは別の音を出していることに気付いたメリサが、魔法を出せないかと音を真似ていたというのが真相だ。だが、この際詳細は構わないだろう。
 とにかく、精霊の力を借りる為の言葉だったから意味も無くそれを延々聞かされたトワが腹を立てたのだ、とメリサから聞いていた。
「俺たちも辟易してたからな、トワが怒っても仕方ねえ。」
「メリサ様、トワ様のお気に入りなんですよね?」
「まあな。その後気に入られたみたいだな。」
「あの…どんな方なんですか?」
 ミリーは自分の中にあったメリサ像が虚像だったのかと、おずおずと尋ねた。
「普通の人間。ちょっと好奇心の強い、時々考えすぎる、こだわりの強いやつだ。」
「…普通の…。…でも、守護精霊は…」
「あれは確かに功績と呼べなくは無いな。でもあれもなあ…」
「え、違うんですか!?」
 自己犠牲を美徳とする考え方からすると、確かに偉大な行為に見えたのだろう。しかし、メリサはケロッとしたものだった。自分の魂が、死後留め置かれる。そう聞いても、死んだ後の魂をどうされても構わない、と笑っていた。永遠の時間を、意識を保ったまま存在し続けるとは思っていなかったようだ。
「俺たちはごく普通の人間だったよ。ただ、立場的に人間の行く末を考えないわけにはいかなかった。だから精霊信仰を作った。」
 循環を守るという約束を交わしたのはメリサだ。彼女がトワを通じてヴァエルに誓った形になっている。彼女はけして人類の代表ではなかったが、移住の許可を取り付ける為には約束する以外無かった、という具合だ。それが後にエダたち開拓者を罪人とする原因になってしまった。
 その罪自体はヴァエルが姿を現して力を見せつけたことでうやむやになったが、約束をした当事者として責任を負わざるを得なかった。開拓者たち、特にメリサが精霊信仰の中心に据えられたのはそういう理由だ。
「それはともかく、どうするかな。」
 ギルが話を打ち切ってそう言った。
 カーラの記憶にあるアロニ大僧正の様子が、どういう心情に依るものなのかは推し量れない。様子がおかしかった、と言っていいかも曖昧だ。
 しかしあの襲撃が大僧正の指示によるものだとすると、教会に辿り着いたところですんなり迎え入れられるとは思えなかった。
 ミリーは顎に人差し指を当てて、うーんと唸ってから言った。
「意外としれっとしてるかもしれませんよ? こちらが気付かない振りをしていれば、ですが。」
「…なるほど? 襲撃を受けたと助けを求めれば、あちらはそのまま騙し続けようと囲い込むか…」
「懐に入って…内部を探ると? 危険だが…それ以外無いかな…。」
 堂々と表から帰ってきた信徒をその場で殺すなんてことはしないだろう。人目もあるし、おそらく殆どの信徒がアロニ大僧正と聖魔との繋がりを知らない筈だ。安全に建物に入ることは出来る。
 大僧正を信じ切っている振りを続けることで、何か証拠を掴む機会も得られるかもしれない。
 三人は頷き合った。


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