霧の向こう

4.風向き


 何かの気配に、カードは目を覚ました。
 音もなく閉まったドアの向こうに、確かに人影が消えたと眉を顰める。
「…おい、エディン。」
 トーンを抑えて呼び、カードは体を起こした。
 ドアの外にはもう気配はないようだ。
「おい、エディン、今、誰かいなかったか?」
 小さな声でそう問うと、エディンは「ん~?」と眠そうに目をこすっている。今起きたばかりらしい。
 月明かりに照らされた部屋の中、テーブルの上に何か乱雑に置かれている。
 嫌な予感がして、カードは慌てて灯りを付けた。
「荒らされてる!?エディン、荷物を確認しろ!」
 ただならぬ雰囲気に一気に目が覚め、エディンも起き上がって荷物の中を見た。
「!?財布がないっ!」
「俺もだ!」
 顔を見合わせ、次の瞬間二人は反対の方向に駆けだした。
 窓から身を乗り出したカードが建物の脇を掛けていく影を見つけて、ドアに向かったエディンに声を掛ける。
「裏手だ!」
 言ってカードはひらりと窓から外に舞い降りた。
 エディンは隣の部屋をノックして、「泥棒だ!」と仲間に声を掛けてから、階段を下りていく。
 その部屋の中では、フェリエとキャムが財布を盗られたことに気付いたところだった。
 窓の外にエディンが走って行くのを見て、二人も後を追う。

 まだその人影が泥棒かどうか確信が持てないまま、カードは確実に距離を詰めていた。
 行き着いた先が廃屋だったことで、恐らく犯人だろうと予想を付ける。今は深夜だ。こんな時間に出歩いているだけでも充分疑わしいが、こんな場所を訪れるのも怪しいと思えた。
 ここが泥棒のねぐらかと、カードは足音を忍ばせた。
 後から来た仲間も事態を把握して、そっと近付く。
 チラリとのぞいた一画に人影を見つけ、一気に踏み込んだ。
「おい、お前!」
 一瞬ビクンと震えた肩は、すぐに落ち着きを取り戻した。
「なんだい?」
 振り向いたのは女だった。
 まだ若い、幼さの残る容姿の彼女は、歳にそぐわない老けた服装をしている。全体のシルエットからは中年女性のようにも見えた。
 一瞬躊躇してしまったのは、その風貌から受ける印象がちぐはぐで、相手をどう判断していいか分からなかったからだろう。
 気を取り直して、カードは女を見据えて言った。
「宿で財布を盗んだだろう?返してもらう。」
「はあ?何の事だい。」
「とぼけるな。こんな時間に出歩く理由が他にあるか?」
「眠れなかったから、散歩してただけさ。疑うんなら、家探しでもしなよ。な~んにも無いだろうけどね。」
 女を一瞥して、カードは辺りを見回した。
 ねぐらにしてはいるようだが、荷物と呼べるようなものは殆どない。
 エディンが部屋の隅にある毛布らしきものを持ち上げてみる。が、何も出てこなかった。
「ホントにお前じゃないのか?」
 床に落ちているものをあれこれ手にとっては戻しながら、訝しげに女を見遣った。
 手ぶらで、服にはポケットらしきものも見当たらない。4人の財布が隠されているようには見えなかった。
「違うって言ってんだろ?分かったら帰りな!」
 犯人だと言い切る自信がない所為で、4人はそれ以上追及することに二の足を踏んでいる。とは言うものの、そのまま立ち去る気にもなれない。
「どうする?」とキャムが小声でエディンに聞いた。
 うーんと唸りながら、エディンが仲間の傍に歩み寄ると、女のほど近くにいたカードもそっと歩みを戻した。
「…すまん、犯人の姿をはっきり見たわけじゃないんだ…。分からないな…。」
 フェリエも困惑しつつ口を開く。
「そう…ですわね…。たまたま…宿の近くを散歩していただけ…かもしれませんし…。」
 考えあぐねていると、女が肩を竦めた。
「あ~あ、アンタらが居ちゃあ、余計眠れないね。もうちょっと散歩でもしてこようっと。」
 そう言って、エディン達がいる方とは別の、壊れた扉の方へ歩いていく。
 追及して違っていたらと思うと呼び止めることも出来ず、4人は立ちつくしたままだ。
 すると後数歩で部屋から出るというところで、女の足元が鈍く光った。
「え!?」
 女は焦った風に体を動かすが、まるで足を縫いとめられたように動けない。
 あれは縛りの魔法だ、と4人が思った時、窓から誰かが入ってきた。
「この俺に仕事以外で魔力を使わせるとはいい度胸だ。」
 盗んだ財布を出せと女に詰め寄っているのは、あのザイールだった。どうやら彼も同じ宿に泊まっていたようだ。
「ぬ…盗んでないって言ってんだろ!?」
 女は尚も言い張る。
 と、ザイールが短剣を出して女の胸ぐらを掴み、そして胸元から服を切り裂いた。
「きゃあっ!!」
 見ている4人がハッとする。
「な!何をするんです!!」
 フェリエが慌てて抗議した。
「女性になんてことを!」
「下着の中に隠した財布を、服を引っぺがさないでどうやって見つけろって?」
 ザイールは別段慌てることもなく、そう返した。
 半裸にされた女の足元には、バラバラと財布が落ちている。
「あ!私の財布!」
 キャムが真っ先に飛びついた。
「あ…俺のだ…。」
 全員の財布が難なく見つかった。
 ザイールも自分のものを拾い上げる。
「いいプロポーションが台無しだな、ネェちゃん。」
 財布は下着の腰回りに入れられていたようだ。若いのに中年風の体型に見えたのはその所為らしい。下着には特別なポケットが付けられていて、計画的犯行なのが見て取れる。
 足元にはまだいくつも財布が落ちていた。宿の客のものだろう。
「中身は…ちゃんとあるな。…はあ、一件落着か。」
「どうする?この財布。」
「憲兵を呼びましょうか。」
「そうだな、それが妥当だろう。」
 そんな事を言いあっていると、縛りがやっと解けて動けるようになった女が床にへたり込んだ。
「ま、待ってよ!憲兵に突き出すのだけは勘弁しとくれよ!」
 へたり込んだまま、両手をついて頭を下げている。
「盗みを働いたんだ。突き出されて当然だろ。」
 カードが顔を顰めてそう言うと、女は「だって…」と泣きそうな顔をした。
「他に生きてく方法がないんだ。餓鬼ン頃から一人っきりで、食べるには盗むしかさあ…。家だってないよ。だからこんなとこに…。お願いだよ、見逃しとくれよ。生きてけないんだよ!」
「しかし…。」と言ったカードを制して、エディンは女のすぐ傍にしゃがみ込んだ。
「…あんま食ってないのか…?」
「昨日だって、残飯漁ってさぁ…。もう…腹減って…我慢できなかったんだよ…。」
「…でも、盗みは良くない。」
「分かってるよォ…。でも、金がなきゃ生きてけないじゃん…。」
 滲んだ涙を手の甲で拭って、女はもう一度頭を下げた。
「頼むよ、財布は返すから。見逃しとくれよぉ。」
 しゃがみ込んだままエディンは暫し考え、立ち上がると仲間たちを振り返った。
「…許してやらないか?…財布は返させてさ。」
 泥棒に情けを掛けることに躊躇いはある。それはエディンの表情に表れていた。
 その申し訳なさそうな顔に、仲間も困った顔を向けた。
「…取り敢えずは…それでいいか。」
 それで女がこれから泥棒を止めるかと言えば、十中八九、元の木阿弥だろう。そうは思っても、エディンの顔を見ているとカードは厳しくなれなかった。
「…エディンがそう言うなら…。」
「…そう…ですわね。」
 キャムもフェリエもエディンの優しさに好感を持ちこそすれ、それが間違いだと断罪する気には到底なれない。
 カードは興味無さ気なザイールに向けて「いいか?」と遠慮がちに訊ねた。この男の性格からすると、賛成してくれると期待は出来ない。
 すると、意外にもザイールは「かまわない。」と返した。
「ただし、俺に魔力を使わせた分の詫びは入れてもらう。」

 女はマルタといった。
 マルタは盗みに慣れているようで、盗ってきた財布を難なくその持ち主にこっそりと返した。
 ちゃんと返してきたよ、といって現れた彼女を、今度はザイールが連れていく。
「あ、あの…詫びったって…あたしお金もってないよ?」
「心配すんな。体で払やあいい。」
 体で、と言われたマルタは血の気が引いたような顔をしたが、ザイールは構わず二の腕を掴んで引っ張って行った。



 次の日の朝、宿のレストランで奥の方の席にザイールがいることにフェリエは気が付いた。
 その向かいにマルタが座っている。エディン達は気付いていないようだ。
 フェリエは昨晩ザイールに彼女を引き渡してしまったことを、今更後悔した。
 体で払え、というのは、やはりそういうことだったのだろう。そして今傍に置いているのは、自分の所有物と見なしているからではないのか。
 やるせない気分で朝食を済ませ、フェリエは早々に部屋に戻った。

「あの…さ、あたし…お金持ってないって、言ったよね?」
 マルタは、目の前に置かれた食事を食べていいのか悩んでいた。
「体力が持たねーから食え。昨日の分も合わせて、後できっちり払ってもらう。」
 ザイールの言に、「いいの?いいの?」と何度も確認してから、マルタは嬉しそうにパンにかぶりついた。
 ザイールが「体で」と言ったのは、娼婦として扱うという意味ではなかった。この後の仕事に無償で付き合わせるつもりでいるのだ。
「おいしいっ!焼きたてのパンなんていつ以来だろ~。」
 一口食べるごとに感嘆の声を上げるマルタをザイールは呆れたように見遣る。
「ま、せいぜい楽しんで食えや。しっかり働いて貰わなきゃあなんねえからな。」



 フェリエはザイールの部屋のドアをノックしようと拳を作って、そこで躊躇した。
 ぶんぶんと首を振る。
(怖気づいてはいけない。毅然とした態度で。)
 腰が引けてしまう自分を叱咤して、拳に力を入れた。

 自分の父親と同年代の、強面の男性に意見をするというのはそれなりに勇気のいる事だ。たとえ自分が正しいと思っていても。
 しかも相手はあのザイールである。以前関わりを持った時はエディンが応対をしていたし、常に仲間がいた。だからさほど怖いと思わなかったのだが…。
 今はどうしても言っておきたいことがあった。それは女性としての見解であるため、エディンやカードには相談がしにくかった。キャムはまだ子供だから、そんな話を聞かせたくはない。思い余って、フェリエは一人で意見をしにやってきたのである。

 ノックをするとドアはすぐに開いた。
「なんだ、ヒーラーのネェちゃんか。」
 意外な客人だ、と言いながら、ザイールはフェリエを招き入れた。
「あの…お話が…。」
 ドキドキと高鳴る鼓動を感じながら、フェリエは口を開く。
 いざ『彼女を解放してください。』と言おうとしたところで、部屋の中で立ちつくしていたマルタが、半泣きの顔をしてフェリエに縋りついてきた。
「昨日のおねえさん!助けてヨォ!」
 ギョッとして、またこの男が彼女に酷い事をしようとしているのかと自然と顔が険しくなる。
 するとその疑念を読み取ったのか、ザイールが呆れたように息を吐いた。
「誤解すんなよ。俺は昨日の詫びに仕事を手伝えって言っただけだ。」
「え?」
 仕事と聞いて、フェリエはキョトンとしてマルタを見た。
「怖いよぉ~一人じゃヤダよぉ~…。」
 泣き言を言うマルタにザイールは「朝食代も払えねえくせに文句言うんじゃねえ。」と取り合う気はなさそうだ。
「あの…昨日の詫びはこれからですか?」
「ああ、請け負った仕事にぴったりなんでな。働いてもらう。」
 そこでやっと「体で払う」の意味を理解したフェリエは、ホッとして表情を緩めた。
 そして落ち着いてマルタの話を聞いてみると。

 ザイールの請け負った仕事は、近頃この近辺に出没する山賊の討伐だった。
 賞金首になっているのはそのリーダーだ。なんでも冷血なサディストで、手に入れた女はいたぶり尽くして殺してしまうのだという。
 そのおとりとして、マルタに山を歩かせようというのである。

「そんな!危険すぎます!」
 マルタが怖がるのも無理はない。フェリエは瞬間的に湧いた怒りにまかせて抗議した。
 しかし、ザイールはどこ吹く風だ。
「別に生贄に差し出そうってんじゃねえんだ。ちゃんとやられる前に助けてやる。」
「怖いよぉ…。おねえさん一緒に来てよぉ…。」
 マルタはしっかとフェリエの腕にすがりついている。
 フェリエは可哀想になり、少し考えてザイールにキッとした顔を向けた。
「必ず、助けてくださいね。」
「んあ?ああ、勿論だ。」
「私も参ります。よろしいですね?」
 少々面食らった顔をして、ザイールは「好きにしろ。」と返した。





 二人で山道を歩いていると、予想されたポイントで山賊たちが現れた。
 へっへっへ、とイヤらしい笑い声を立てて、男たちは二人を取り囲む。
「オネーサンたち、ちょ~っと俺達に付き合ってくれない?」
「歓迎するぜぇ?」
「二人も連れてきゃあ、お頭上機嫌だなぁ。」
 フェリエとマルタは不安に身を寄せ合った。
「たあ!!」
 気合いの声と共に、山賊の一人を後ろから襲ったのはエディンだ。
 カードとキャムも加勢して、あれよあれよという間に6人の男を倒してしまった。
「大丈夫か!フェリエ!」
 ホッとして微笑むフェリエに、エディンが駆け寄る。
 と、ザイールがわなわなと拳を震わしていた。
「てめーら…。」
 全員が同時に振り向く。
「こんなザコやったって金は入んねえんだよ!!どうしてくれるんだ!!」
「フェリエが危険な目に遭ってんのに、放っとけるわけないだろ!?」
 怒り心頭のザイールに、エディンは怯まずに喰ってかかる。
 フェリエから事情を聞かされたエディン達は、こっそりと後を付けてきたのだ。
 当然ザイールとの作戦の打ち合わせなんてやっているわけがない。
 チッと舌打ちをして、ザイールは怒りにまかせて剣を地面に突き立てた。




「いい獲物が手に入りましたよ、お頭。」
 アジトに入ってきた男がそう言うと、奥で寛いでいた大柄な男が視線を向けた。賞金首の男である。
 周りの取り巻きが、興味津々で『獲物』を覗きこむ。
「女が二人も!?お~美人ですぜ、お頭ぁ。」
「装備品も金になりそうなもんばっかじゃねーか、いいもん見つけたな、お前。」
「へへへ、今日は運が良かったようで。」
 捉えられた二人は怯えるように寄り添っている。深くかぶったフードで顔全体は分からないが、整った顔立ちは見て取れた。
 重そうな体を持ち上げて立ち上がり、賞金首は獲物を呼んだ。男が後ろに手下を従えて献上品である獲物を差し出す。
「コイツはいたぶり甲斐がありそうだ。連れて行け。」
 取り巻きの一人が、獲物を受け取って奥へ連れて行き、その後を賞金首が悠々と歩いていった。
 男たちが楽しげに笑い声を立てる。
「どんな悲鳴が聞こえてくるか楽しみだ。」



 奥の部屋に入って最初に目についたのは太い鎖だった。
 あの鎖で繋がれてしまったら、簡単には逃げられそうにない。
 手下がその鎖の近くに寄せようとロープを引っ張ったところで、連れてこられた二人は身を翻した。
「ななななんだお前ら!!」
 驚いて声を上げた手下は、次の瞬間、床に伸びていた。
「よし、エディン!やるぞ!!」
「おうっ!」
 マントを外した二人はすぐ傍に迫った賞金首の腕を避け、隠し持っていた剣を構えなおす。



 奥の部屋からガタンと大きな音が聞こえたのを合図に、『獲物』を連れて来た男、ザイールは剣を出して周りの山賊たちに斬りかかった。その手下のふりをしていたのは、キャム、フェリエ、マルタである。
 キャムの雷技でその場の全員をひるませると、その後は4人の大立ち回り。対人戦には慣れていないキャムとフェリエだが、早く終わらせてしまわないと、エディンとカードが危ない。気合は充分で、次々と男たちを倒していく。マルタは戦闘などしたことがなかったが、近くの瓶を投げたりいすを持ち上げて殴ったり、時には危うくザイールを攻撃してしまいそうになりながら奮闘した。
 数分で全員を倒し、ザイールはエディン達の加勢に向かった。

「相変わらずへなちょこだな、テメーら。」
 賞金首に苦戦している二人を見て、ザイールはそう言った。
「うるせーな!プロならさっさと片付けろよっ!」
「おうよ!邪魔すんじゃねーぞ!」
 得意の縛り魔法を使い賞金首の動きを止めると、威力のある斬撃を繰り出す。
 エディンとカードはその剣圧に巻き込まれないようにさっと身を引いた。




 成功報酬を受け取って帰ってきたザイールに、エディンは手を差し出した。
「手伝った分はくれるんだろうな。」
 するとザイールはケッと喉を鳴らしてその横を通り過ぎた。
「手を貸せって言った覚えはねえぞ。」
 予想はしていたが、今回はカードも退く気がない。
「あの人数をあんた一人で相手に出来るわけがないだろ。成功したのは俺達がいたからだ。」
「ザコを相手にする破目になったのは、お前らの所為だ。俺は賞金首が一人になったところを襲う予定だったんだよ。毎度毎度、予定を狂わせてくれるよな、お前らは。」
 思いっきり顔を顰めて、ザイールは背中を向けた。
「待ってください!」
 キッと鋭い目を向け、フェリエは呼び止めた。
 傍らにマルタを伴って歩み寄る。
「マルタさんがあなたの仕事を手伝ったのは、昨夜の詫びと朝食の分でしたね?」
「ああ。」
「それにしては、危険が大き過ぎましたわ?釣り合いません。彼女には報酬を受け取る権利があると思います。」
 フェリエの視線にザイールは威嚇するような顔を向けた。が、フェリエは怯まなかった。
 ザイールがチッと舌打ちをする。
「…まあ…確かに、そう言えなくもねえか…。」
 そう言うとごそごそと財布を探り、中にあった小銭を鷲掴みにした。
「ほらよ。」
 慌てて出されたマルタの手に、バラバラと小銭を乗せる。
 報酬としてお金を渡されたのは初めてのことだった。マルタはうっすらと頬を染めて、それを眺めた。
「…いいの?これ…アタシの?」
 フェリエは額が少ないと文句を言おうとしていたところだったが、マルタが素直に喜んでいる様子を見て微笑ましくなり、水を差すのも気が引けて言うのをやめておいた。




 街での支度を終え、エディン達は次の街を目指そうと森の入口に向かった。
 するとそこにはザイールの姿が。
 彼は履いている靴の組み紐の具合が悪かったのか、しゃがみ込んで直していた。
「よお、お前らも出発かよ。」
「なんだ、あんたもか。オッサン。」
「目ぼしい仕事が無くなっちまったんでな。次はグアンドだ。」
「へー、奇遇だね。ご一緒する気はないけどな。」
「ああ、足手まといは要らねえよ。」
 軽く言い合ってからエディンが通り過ぎようとした時、後ろから声が掛かった。
「ねー!待ってよぉ!!」
 マルタが走って近づいてくる。
 なんだろう、と一行が足を止めると、マルタはすぐ近くまで来てハアハアと息を整えた。
「アタシもついてくから、よろしく!」
「えぇえ!?」
 エディンが驚きの声を上げ、カードが諭すように言った。
「あー…マルタ?俺達、修行の旅をしてるんだ。最終的には北の山のドラゴンを倒しに行く。とても危険な仕事だ。キミはやめておいた方がいい。」
 それを聞いてもマルタの心は変わらないようだった。
「面白そうっ!アタシも修行する!ね、山賊倒したし、アタシもギルドで稼げるよね?」
 そう訊ねた相手はザイールだ。
 彼は話を振られたことにギョッとした。
「…知らねーよ。」
「おじさんプロなんだろ?ねえ、教えてよ。稼ぎ方のコツってのをさ。」
「なんで俺がお前にそんなこと教えなくちゃいけねーンだよっ!」
「いいじゃん!旅の仲間だろ!?お願い!」
 どうやら彼女はザイールがエディン達の仲間だと思っているようだ。
「知るか!」
 言い捨てて歩いていこうとするザイールから、また視線をエディン達に移して、マルタは祈るように胸の前で手を組んだ。
「お願い!連れてってくれたら、もう絶対悪いことはしない!泥棒なんてしないからさ!ね!?」
 困り顔でエディンは頭を掻いた。
 彼女の更生の手助けになるなら、仲間に入れてやるのもいいか、と思う。
 仲間の顔を見ると、3人は仕方ないな、という笑みを浮かべていた。
「…絶対、悪いことしないな?」
「うん!」
「じゃあ、一緒に行こう。」
 パアッと花が咲いたように笑ったマルタは、先に歩きだしたザイールの所に駆けていった。
「おじさん!アタシ仲間になったからね!よろしく!おじさんがアタシの先生なんだから、面倒見てよね!」
 頭を抱えるザイールの姿が面白くて、エディンは暫く黙っておくことにした。


 なし崩しに同行することになったザイールは、エディンに近付いてボソッと言った。
「次の街までだ。」
「OK。よろしく、オッサン。」
「ザイールだ。クソ餓鬼。」
「俺はエディンだ。忘れんなよ。」
 チッと舌打ちをしてザイールは黙った。
 マルタに聞こえないように声を顰めたのがなぜなのか、ザイール自身分からなかった。別に同行者ではないと知れても何の問題もない。何かを気遣ってやる義理もない。
 強いて言えば、マルタの歓びように『水を差す』ことに気が引けたのかもしれない。





 次の街、グアンドまでは少し距離があった。山道を抜け、谷を抜け、平野を過ぎたところにある。
 途中、野宿をすることになりそうだとザイールが面倒臭そうに言った。エディン達の修行の旅に同行することになってしまった彼は、旅のスピードが落ちることにぶつくさと文句を言っていた。
 山に入ってしばらくすると、道は二つに分かれていた。
 地図で確認しようとしたが、山道まで描き込まれていない。
「えー?どっちかな…。」
 エディンは地図と目の前の別れ道を交互に見やりながら、頭を掻いた。
 カードが何か目印になるものがないかとあたりを探すと、別れ道の間に木の板が倒れているのが見えた。
「…これ…案内板…みたいだが…。」
 しかしそれはもうボロボロになっていて、書かれていた字も殆ど読み取れなかった。
「ザイール、アンタ知らないのか?」
「残念だが知らねえな。俺はいつも海岸線を通ってベイハイ経由で行ってたんだ。」
 ザイールは肩を竦めてそう言って、どっちに行くかは任せた、と付け加えた。
 地図を見た限りでは、次の街は北東の方向だ。
 カードも「地図にないんじゃ行ってみなくちゃ分からないだろ。」とエディンに一任している。
「うーん、じゃあ、方角的に右の方だから、右に行くぞ?」
「賛成!」
 キャムが真っ先にそう言い、他のメンバーも頷いた。

 だんだん険しくなる道に不安を感じ始めたのは、随分と上ってからだった。
「…山越えったって…険しいな…。」
「…でも、峠を越えれば谷を下る道に行く筈ですし…。」
「あ、ほら、谷が見えるよ!?」
 キャムが我先にと開けた場所に駆けあがった。
 しかし、何故だかそこで立ちつくしている。
「下りる道、見えたか?」
 エディンが追い付いてそう言うとキャムは指を指した。
 同じく立ちつくしてしまったエディンの後ろにザイールが歩み寄る。
「なんだってんだ?後ろが詰まっちまうだろうが。」
 そう言って先を見ると、そこには長いつり橋が掛かっていた。
 橋に近づいて、手前で座り込む。
「…どうする?」
「この橋の向こうがどこに繋がってるか、だな。」
「対岸を下りていくのかもしれませんし…。」
「…ぜんぜん違うとこに行くかもよ?」
「…戻るの?」
「戻ってそっちが違ってたらどうすんだよ。」
 今までの道のりを考えると出来れば戻りたくない。しかし、この道で合っている保証はない。どちらかというと疑わしい気がする。
 しばらく皆で言いあって、やはりはっきりするまで進もうということになった。


 行きついた先は小さな村だった。
 橋を渡った先の山の頂上付近にある、陸の孤島とも言える場所だ。
「ええ?グアンドに行きたいのかい?」
 村で最初に出会ったシーナという気の良さそうな中年の女性から聞いた話によると、あの別れ道は左に行くべきだったようだ。
「陸路は戻るしかないよ。残念だけどね。」
 気の毒そうに言ったシーナの言葉に、ザイールは引っかかって訊ねた。
「姐さん、今、『陸路は』って言ったか?」
「ああ、グライダーならひとっ飛びだけどねぇ。」
 ひとっ飛びと聞いて、皆色めき立つ。
「それってどんなの!?」
 マルタが興味津々でシーナに詰め寄ると、彼女は物置に案内してくれた。
「これだよ。ここのモンは皆これで街まで行くのさ。」
 それは獣の皮を縫い合わせた大型の羽根のようなものだ。
 空を飛ぶことへの興味も手伝って、これで行けばいいんじゃないかと皆顔を見合わせる。
「これ、売ってもらえませんか?」
 エディンがワクワクとした顔でシーナにそう頼んだが、返事はNOだった。
「悪いね。ここじゃ金なんてもらっても困るんだよ。街との繋がりが殆どないからね。」
 村では物々交換が基本だという。
 なら、何を渡せばグライダーを貰えるかと聞くと、グライダーの余分はないから作らなくてはいけない、その材料をもってくれば特別に作ってやってもいいという。
 よし、獣を狩ろう、と狩りに行こうとしたら、それも止められてしまった。
 一つのグライダーを作るのに、小型の獣だと10匹、中型でも4匹分の皮が要る。6人分のグライダーを作る為にはその6倍が必要だという事だ。それを取ろうとすれば狩り尽くしてしまう恐れがある。それは困るという話だ。
 がっくりと項垂れるエディンの様子に、シーナは何かいい方法はないかと村の男に声を掛けた。
「ねえ、皮のストック、あったかねぇ?」
「皮?ああ、あるんじゃないか?グライダー?6人分かぁ、…まあ、足りるんじゃないか?」
 材料があることが分かり、今度は村で不足している物を採ってくればそれと交換してくれるという。
 必要な物のメモを受け取ると、そこでも採り尽くさないように、としつこく注意された。
「じゃあ、グライダーは急いで作るけど時間かかるから、あんたらゆっくり行ってきなよ。」
 シーナに見送られて、6人は山に入った。



 空が赤く染まって、そろそろ陽が落ちるという頃、メモに書かれた物がやっとそろった。
 ホッとしたフェリエが、ぽつりと気になっていたことを零す。
「今更なんですが…。」
 その続きが分かってしまったザイールが口を挟んだ。
「言うな。空しくなる。」
 あはは、とカードが笑った。
「え?どうしたんだ?」
 エディンはまったく解らないようで、キョトンと3人を見遣った。
 カードが肩を竦めて言う。
「来た道を戻った方が、早かったんじゃないかって話。」
 キャムとマルタがそれを聞いてがっくりと肩を落とした。


 帰り際、もうすぐ村だという場所で大型のモンスターと鉢合わせをした。
 特に問題なく倒してから村に帰ってその事を言うと、シーナは苦笑を向けた。
「そのモンスターの毛皮がありゃあグライダーに使えるんだから、そんなに頑張って植物探してくれなくても良かったのに。」
 そうは言ってもモンスターと出逢ったのが集め終わった後なのだから仕方ない。
 大型モンスターの分も合わせるとグライダーだけじゃ割に合わないから、と彼女はあれこれとアイテムをくれた。
 その日はその村に泊まって、次の朝グライダーで飛ぶことになった。



 早朝から、エディン達はグライダーの練習を始めた。村のすぐ横の段々畑が子どもたちの練習場になっている。
「畑を潰さないどくれよ?」
 村の人は笑ってそう助言した。誰でも一度は畑の真ん中に落ちるらしいが、それは子供の頃の話だから被害が少ない。大人の体重で畑を踏み荒らせば笑ってられる事態ではない筈だ。それでも気にせず練習場として使わせてくれるというのだから、この村の気の良さがわかる。
「なるべく、作物のないところに落ちような。」「うん!」
 気合は充分だった。
 シーナの「村の者は皆これを使う。」という言葉を軽く受け取っていたから誰にでも使えるものだと高を括っていたのだが、向き不向きがあるようだ。
 元々のカンの良さなのか、ザイールとキャムは難なく自在に操って見せた。カードとマルタは数回の練習で飛べるようになった。
 しかし。
 エディンは何度やっても自分の思う方向にグライダーを向けられず、実った野菜を潰すこと数回。畑を守る柵をなぎ倒すこと数回。フェリエに至っては、飛ぶことを怖がっている所為か、ジャンプしてみても風には乗れず、飛んだ場所の1メートル先で落ちてグライダーに覆われて助けを求める、の繰り返しだった。
 農作業を休んで見物していた村人たちが笑い声を上げる。
「おお?今度はお前んちの畑に行ったぞ。」
「あああ!そこは母ちゃんの好物が生ってんだぞ!?潰すなよー!?」
「わああああああ!!」
 どっとまた笑い声が上がった。
「大丈夫か、兄ちゃん。」
「お、俺は大丈夫、です。…畑…すみません…。」
「…あはは、何とか避けたみてえだな、兄ちゃん。」
 エディンが振り向くと、お尻のすぐ横に柔らかそうな実が生っていた。
 生還を祝う集団のように、村人はエディンが戻って来る度に拍手をして囃したてる。

 はあ、とザイールは深く溜め息をついた。
 カシカシと頭を掻いて、家の横で洗濯物を干しているシーナの所へ向かう。
「おや、どうだい?お仲間は。」
「ったく、運動神経がどこについてんだか。グライダーに二人用ってのはねえのかい?」
「ああ、あるよ。なんなら取り替えてやるけど、…一組しか今は用意できないねぇ。」
「一組でいい。こっちの一人用二つと交換ってことでいいか?」
「ああ、かまわないよ。」

 ザイールが戻ると、またフェリエが転んだところだった。
「ヒーラーのねーちゃんは練習しなくていい。」
「え?どうするの?」
 すぐ横でキャムが不思議そうに見上げる。
「二人用を貰って来た。俺がねーちゃんを乗せて飛ぶ。」
「す…すみません。私にはどうやら無理なようですわ…。」
「エディンは?どうするの?」
「野郎のことなんか知らねえな。操作方法を逐一教えてやればなんとか飛べんだろ。」

 潰した作物の分にアイテムを置いていこうとすると、それは断られた。
「面白いもん見せてもらったから、気にしなくていいよ。」
 そうだそうだと皆頷きあう。
「す、すみません…。」
 エディンは照れ笑いをしながら頭を下げ、「お世話になりました。」と挨拶をして、飛び立つために斜面に上がった。

 ザイールの提案で二人ずつペアを組むことになり、飛ぶ順番を決める。
 エディンが飛んだすぐ後にカードが飛び立って追いつき、すぐ傍で操作の指示を出す。そうすればなんとか街まで飛んで行けるだろう。マルタとキャムは恐らく問題はないだろうが、二人で飛ぶのは万が一はぐれた場合一人にならないようにとの配慮だ。
 4人が飛び立った後、ザイールとフェリエが飛び立つ。二人用のグライダーで一度だけ練習をしたところ、問題なく操ることが出来た。
 このグループを纏める責任などは無いザイールだが、安全を考えれば自然とそういう役回りになってしまう。半ば諦め顔で、皆に指示を出した。



「いくぞ!」
 気合だけは誰にも負けないエディンが飛び立つと、すぐにそれをカードが追った。
「行こっか。」「うん。」
 マルタとキャムが飛び立つ。
 それを見届けてから、ザイールは立ち上がった。
「よし、行くぞ、ねーちゃん。」
「フェリエですわ。」
 何度訂正しても呼び方を変える様子はないが、フェリエは懲りずに訂正する。
 へいへい、と気のない返事が返り、直後、トーンの変わった声色でスタートの合図が出された。
 スピードのないフェリエの走り方に合わせ、ザイールは羽根が風を孕むのを肌で感じながら地面を蹴った。
「きゃっ!」
「大人しくしとけよ。」
 二人分の重さにグライダーは一旦ガクンと高度が落ちる。しかしすぐに風が持ち上げてくれた。
 時折フェリエがか細い悲鳴を上げる。
「心配すんな。ちゃんと飛んでるだろうが。」
「は…はい…。」
 青ざめた様子の返事に、ザイールは笑い声をあげた。
 谷から吹き上げる風は充分な力を持っている。下手をすれば煽られてもっと高く飛ばされてしまいそうなほどだ。行く先を見れば、目的地の街だけではなくそのずっと向こうの海まで見える。いつになく爽快な気分で、ザイールは歳に似合わない高揚感を味わっていた。
「このままワザとはぐれちまうのもいいかもな。」
「………どうしてです?」
 一瞬フェリエの存在を忘れた所為で出た言葉だったが、問われて我に帰る。
「いや、まあなんだ…。あの兄ちゃんがいないとこなら、好きなことが出来るからなあ。」
 にいっと笑って下を向くと、フェリエはその顔を見上げてハッとした。
「降ろしてください!!あなたとは飛びません!!」
 身の危険を感じたフェリエが急にじたばたと暴れ出す。
 バランスが崩れてガクンとグライダーが傾いた。
「ちょっ…待て!!暴れんな!!」
「きゃあ!!助けて!!」
「暴れるなっつってんだろうが!!」
「嫌です!!降ろしてください!!嫌あああああああ!!!!!!」
「落ちるだろうが!!大人しく…ぅおわああっ!!」


 辛うじて落下は免れたが、予定の航路から大きく外れた二人のグライダーは、うっそうと生い茂った森のなかほどに着地した。
 ぶつくさ言いながら、ザイールはグライダーを纏めている。
「あ…あなたがふざけたのが悪いのです…。」
「冗談の通じねぇねーちゃんだな。」
 とにかく街に向かおうと開けた場所から遠くを窺う。
「見えねえな…仕方ねえ、さっき川が見えたろ。あれに沿って行けば近い場所に出る筈だ。」
 唯一あった地図はエディンの荷物の中だ。地図の記憶と空から見た地形を照らし合わせて見当を付けるしかない。
 森の中はまるで前人未到といった感じだった。
 獣道らしきものもなく、地面は上がったり下がったりの繰り返し、ツタが邪魔をしたり蜘蛛の巣が体中に付いたりと、ロクでもない小旅行だ。
 フェリエはすぐに疲れてしまい、小さな段差に躓いて転んでしまった。
「きゃっ!」
「おいおい…。しゃあねえ、ちょっと休憩するか。」
 肩を竦め呆れ顔のザイールだが、女の体力ではキツイ道のりだということは分かっている。適当な場所に座れるところを用意して促した。
「…ありがとうございます。」
 普段なら、ザイールのそんな行動を意外だと訝しむところだが、それさえ出来ないくらいに疲れている。条件反射のようにお礼を言って、フェリエは座り込んだ。
 日はもう高い位置にある。空腹を感じ始めていた。
 ザイールはごそごそと荷物を漁り、中から保存食を取り出した。
「ほら、食え。」
「え…。」
「その荷物にゃ入ってねえんだろ。」
 はぐれるような事態はそうそう起こらないだろうと、フェリエの荷物の多くをエディンが持っている。エディンの好意に甘えてしまっていることに多少の引け目はあるものの、実質的な問題になるとは思っていなかった。
「…すみません。」
「いや?ま、俺にも責任の一端はあるからな。」
 その言には小さな反論が浮かんでしまって、フェリエはザイールの顔をちらっと見遣る。
「…んだよ…。俺の所為だって?暴れたのはねーちゃんだろうが。」
「…た…確かに私にも責任は…ありますね。」
 渋々認めて、貰った干し肉に口を付けた。
 硬いかけらをもぐもぐと咀嚼するのも疲れるが、空腹のままではこの先に進むのも困難だ。フェリエは敵に挑むかのように干し肉を噛みしめた。
 ザイールはゆっくりと食べているフェリエを横目に、自分はさっさと食べ終え立ち上がる。不思議そうに見上げるフェリエに「先を見てくる」と言い置いて茂みの向こうに入って行った。



 食べ終えて、フェリエは敷き布の上に上体を横たえた。満腹とまではいかないものの、少し空腹を満たされた事と疲れから眠気が襲う。
 うとうととし始めたところで体に重みを感じてハッと目を開いた。
 声を上げようとした口を塞がれる。
「静かにしろ。モンスターがいる。」
 ひそひそ声でそう言ったのはザイールだった。
 ザイールはゆっくりとフェリエの体を木の陰に移動させ、自分の体で覆い隠すように圧し掛かった。
「あ…あの…闘えばよいのでは?」
「でかい奴だ。今の俺たちじゃ手に余る。」
 足音が近づいてくる。
「気配を消すぞ。呼吸を合わせろ。」
「呼吸…?」
 どうやればいいか分からなくて戸惑いを見せるフェリエに、ザイールはゆっくりと息をして見せた。
 それを真似てフェリエもゆっくりと息を吐く。
 数回の呼吸で、二人の息はピッタリと重なり合った。そして周りの景色に溶け込む。
 ステルスはザイールの得意な魔法の一つだ。とは言っても、二人で使うのはこれが初めてだから、成功するかどうかはちょっとした賭けだった。
 バキバキと枯れた木が倒され、モンスターがすぐそこでうろついているのが分かる。食料を探しているのだろうか。中々立ち去ろうとしないモンスターに、フェリエは焦り始める。
 し、とザイールが口元に人差し指をたてた。
 コクリと頷き、また呼吸に集中すると周りの音は気にならなくなった。
 そのかわり、自分の呼吸とザイールの呼吸がやけに耳につく。身を寄せ合っている所為で相手の息がかかる。考えてみれば、フェリエは今までこんなに異性に近づいたことがない。そんなことに気付いてしまい、今度は別の焦りが出てきた。
 ドキドキと心臓が鳴る。数センチ前ではザイールが顔をモンスターの方に向け、気配を窺っている。その顎のラインに無精髭を見つけたことで余計に異性であることを意識してしまった。
「行ったな…。」
 ふうっとザイールが息を吐く。
 それを見てフェリエも安堵の溜め息を吐いた。
「あの…。」
「なんだ?」
「のいていただけます?」
 ニヤッとザイールが笑った。
「どーしようかね、こんな千載一遇のチャンスを。」
 あっと思った時には両手首を押さえつけられていた。
「なにを!?」
「そりゃあ勿論。」
「やめてください!!」
 必死で逃れようとするフェリエを、ザイールは面白そうに見下ろしている。
 さて、あんまり苛めても可哀想かと離そうとしたその時。
「いやー!!」
 ガシッ!
 途端手の力が抜け、ザイールは股間を押さえて倒れ込んだ。
 慌てて立ち上がったフェリエは顔を赤くして肩で息をしている。
「…てめ…蹴るこたあ…ねえ…だろうが……。」
「あなたが悪いんです!!」
「…冗談の通じねえ…ねーちゃんだ…。」
「こんなこと冗談になりませんわ!!」
 赤い顔のまま、フェリエはぷいっと横を向いた。




 夕方になって、二人はやっと街の手前の草原に辿り着いた。
 はぐれた場合の待ち合わせ場所に急いで行くと、他の4人はのんびりとキャンプの様相だ。
 フェリエには怪我の心配をしたエディンだったが、ザイールには嫌味を言うのを忘れなかった。
「うるせーな、ならお前が二人乗りで飛んでみやがれってんだ。」
 それには黙るしかなかったエディンだったが、ザイールをつつくネタを手に入れたことが嬉しかったのか、その夜はいつになく機嫌が良かった。


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