Providence



 何百回目だろう。
 エダは数える気もなくそう思った。
 つい先刻まで無かった記憶が、その空間に入った途端よみがえる。
「お帰りなさい。今回はどうだった?」
 見ていただろうに毎回そう尋ねるメリサに、エダは苦笑を向ける。
「まあまあだ。…知ってんだろ?」
 その返事も毎度のことだ。
 年老いて死を迎えた二人は、それぞれ契約の通りに扱われた。
 メリサは永遠の牢獄に。エダはいくつもの人生を送っては死ぬたびにここを訪れる。
 新しい人生に入るたび記憶をなくす彼は、その人生を生きている間、自分がエダであることもメリサのことも忘れている。当然に恋をしたり結婚をしたり、子を作ったりする。そのことがエダは心苦しかった。
「私はエダが幸せなら嬉しいんだよ?」
 その言葉も百回以上聞いているはずだ。
「永遠を誓ったってのにな。」
「別人格だからいいの。また幸せな人生を送って。」
 それでこの邂逅は終わる。本当に刹那の逢瀬だ。
「またな。」
 そう言って流されるまま身を任せようとすると、不意に立ち塞がるものがあった。
『大変なことになった』
『責任を取れ』
 二言聞こえたというよりは、一度に両方の意味を流し込まれた風である。
 エダの前には魔族の王ヴァエルが居た。
「何があったのです」
 慌てて尋ねたのは光の精霊トワだった。この空間はトワの領域だ。
『循環を守れ。確約したはずだ』
 そう言っている間にも、エダは命の流れに飲まれていく。その流れはヴァエルとトワにも止められないようだった。
『丁度良いのがいる。近くに助け手を送ろう』
 かろうじてその言葉を聞き取ったが、エダには何が何やらわからなかった。
 そして意識を失っていく。





 ハッと目を開けると、あたりは真白で何も見えない。
(何だ…何が起こったんだ?)
 今は記憶を失っていない。なら、ここは何処だ。これまでこんなことは無かった。
 半ばパニックになりながら、手足とおぼしき部分を動かしてみる。
 ボワンと何かが聞こえた。人の声のようだ。
 何やら耳障りな声が続いていると思ったら、それは自分の口から出ていた。
 呼吸が苦しいほどに声を上げている。
 落ち着け、と自分自身に言い聞かせてやっと声を抑えると、周りの声がさっきよりしっかり聞こえた。
「───よ。────ねぇ。」
 誰だ、と言おうとしたが舌がうまく動かない。
 ぼんやりと光の中に人影が見えはしたが、その大きさが恐怖を呼び思わず「わあっ」と声を上げた。


「元気な男の子ですよ?しっかり息もしてますし、手足もよく動きます。」
 生まれたばかりの赤ん坊を見せられ、母親はホッと胸を撫で下ろした。
「初めまして、私の坊や。頑張ったわね。」


 目が慣れ、耳がきちんと音を選別するようになる頃には、エダは自分の状態を把握していた。
 赤ん坊だ。
 生まれ変わったのだ。いつものように。
 ただし、記憶があることだけはいつもと違っていた。

 仕方ないこととはいえ、動くこともままならない状況に彼は苛立った。早く動けるように、早く喋れるように。それだけを目標にしていると、ヴァエルの話を忘れそうになる。
(知るか!ロクに説明もしやがらねーで!)
 それでもいつもと違うこの状態が使命を帯びているせいだと思えば、運命に身を委ねるしかない気がした。

 気の遠くなるような長い時間の感覚は、幼児期特有のものなのだろうか。
 彼は時の流れの遅さに苦痛を感じながら、数年を過ごした。




「あらぁ、可愛い坊や。お名前は?」
 通りすがりの女性が頭を撫でてそう尋ねたが、その質問がまだ自分で名前を言うには幼い彼ではなく母親に向けられているのは知っていた。知っていて敢えて自分で答える。
「ギル。」
 そうすると大抵の大人は驚いて褒めそやし、少々恥ずかしそうにしながら去って行く。小さな子供というだけで寄ってくる大人が鬱陶しくて、彼はよくそういう対応をした。
 賢い子だと褒められれば、母親は悪い気はしない。
「お名前はってやり取り、いつ覚えたのかしら。ほんと賢い子ね、ギルは。」
 二歳になる前には会話が成り立ち、魔法も使えた。
 三歳には自分の身の回りのことは殆ど手伝いなしでこなした。
 目立ちたくはなかったが、近所でも評判の子供だった。

 四歳になって、やっと一人で出歩くことが出来るようになり、彼は毎日外に出かけた。仲間を探すために。

 ヴァエルは「助け手を近くに送る」と言っていた。
 ヴァエルの言葉は「言葉」として聞こえるわけではない。意識が直接頭に届く。あの時のニュアンスは「魂を再構築できそうな人物がいる。それを生み出して近くに置く」というものだった。そしてそれはエダのよく知る人物の筈だ。どの人生での知り合いかは分からないが。

「わかりやすく目印とか付けてくんねーかな。どうやって探しゃいいんだ。」
 近所を歩き回ってもそれらしき者は見当たらず、ある日ハタと気づく。
(まだ生まれてない可能性もあるか)
 近くに、と言ったからには近いのだろう。一番近くと言えば…。
「あら、ギル。どうしたの?抱っこ?」
 洗濯物を干している母親のお腹に触れてみるが、中に赤ん坊がいる様子は無い。
「赤ちゃんは?」
「まあ、弟か妹がほしい?残念だけど、今は生まれそうにないわね。」
 今お腹にいないということは兄弟として生まれるなら一年先、会話が出来るのはさらに一年以上先だ。
(ないか…いや、あるにしても他を当たっておくべきだな)
「遊びに行ってくる。」
「気をつけてね。」


 近所の子供とは、一通り仲良くなった。行動範囲を広げていくが、出会ってすぐ「前世を覚えているか」なんて質問をして回るわけにはいかない。そもそもこの星で生まれ変わりは無いことになっているし、そう信じられている。前世、なんて概念が根付いていないのだ。
 だから、まず仲良くなり、何気ない会話から記憶を探り、様子を窺う。
「あー、ちくしょう。無駄に顔が広くなるな。無駄な記憶が増える一方だ。」
 彼は時々知恵熱を出した。
 それはこれまでの記憶をたぐり寄せようと何百もの人生を思い起こすせいだ。前世までの記憶は魂に刻まれている。しかし、それを引っ張り出しあれこれ考えるのは今の未熟な脳でやるしかない。言わばキャパオーバー。それが分かってからはなるべく他の人生の記憶には触れないように気をつけている。
 そんな状態なのに、さらに記憶しなくてはいけないことが増えるのは頭の痛い話だ。



 少し通りを外れて歩いていると、大きな家の裏のゴミ箱に群がる子供たちを見つけた。浮浪児だ。街には孤児院もあるのだが、それでもそんな子供たちが存在した。
 声を掛けるのは少々憚られる。が、少し離れた場所のゴミ箱を一人で漁っている子供がいた。そちらならまだ声を掛けやすい。乱暴されてもなんとかなるだろう。
 しばらく様子を見ていると、その子供は何かを拾い上げてたっぷり数分間、固まっていた。不思議に思ってまた近づくのを躊躇っているうちに、他の子供たちがその子のところに駆け寄った。
「何だよ!お前、いらねーならよこせ!」
 体格の良いひとりが脅すように言って、奪い取って走って行く。他の子供はその後を追った。
 何かを奪われた子供は、ぽつんと残されてため息をついた。そしてとぼとぼと歩き出す。
 気になってついて行くと、その子は街の外に出ようとしていた。
「おい!門の外は危ないぞ!モンスターがいる。」
 走り寄って声を掛けると振り向いて、年齢に似合わない表情で困ったように笑った。
「大丈夫だよ。ちょっと食べるものを探しに行くだけ。」
 あれ?とギルは思った。何だろう。見たことのある顔…いや、表情だ。
「腹が減ってるのか?何か買ってやるよ。来い。」
 殆ど直感だったが、こいつに違いないと手を掴む。と、相手は逃れようと引っ込めた。
「き…汚いから…。」
「いいよ。とにかく来い。」

 出店のあるところまで無理矢理引っ張って連れて行き、店主に骨付き肉をひとつ注文する。
 店主は困り顔で尋ねた。
「坊主、ギルだよな?まさか、そいつに恵んでやるのか?」
 ギルが賢い子だというのは街の誰もが知っている。簡単な買い物ならきちんとこなし、金額の計算も出来るようだと噂されていた。しかし、子供であることには変わりない。危ないことに巻き込まれるようなら止めてやるべきだろう。そういう風に気に掛けてのことだ。
「友達なんだ。ちゃんと隠れて食べさせるから。」
 そう言って繋いでいない方の手で、器用にお金を出した。
「気を付けるんだぞ?」

 浮浪児たちが居た場所からなるべく離れ、あたりに見とがめる人影がないことを確かめてから肉を差し出した。
「ほら、食え。」
「…ありがとう」
 食べるのを眺めながら質問をする。
「さっき、ゴミ漁ってただろ。」
「…うん」
「何拾ったんだ?取られたろ。」
「…生ゴミ…」
 浮浪児たちにとって、どんなものでも食べられそうなものは食べ物の筈だ。だから奪われたというのに、それを生ゴミと言った。
「食えないもの?」
「…みんなは平気で食べるが…私はとても…」
 思い出してしまったようで、うっと嘔吐いて口を押さえる。
「あ、わりぃ、忘れろ。それ、うまいだろ?」
 いつからそんな生活をしているのかと問えば、随分前かららしい。食料は街の外で食べられる草を探すか、たまにはモンスターを倒して食べていたという。
「お前、魔法使えるのか?」
 こくりと頷き、風を出した。
 風、そして先程の見知った表情。エダは思い出した。
「あっはっは!マジか。粋なことをしやがる。ヴァエルめ。」
 不思議そうに見る相手に、エダ──ギルは言った。
「お前、カードだな?カード・バルトゥール。」
 目を見開いた子供の口から、漏れるように声が出る。
「…何…で…キミは…誰だ…」
 ギルはニッと歯をむいて笑った。
「ザイールだよ。久しぶりだな。」








 カードは戸惑っていた。自分という存在に。
 生まれ変わりは無いはずだ。なのに、死んだはずの自分は何故子供になって生きているのか。
 魂が循環に乗れずに、子供に乗り移ってしまったのか。そんなことがあるのか。

 そんなことを思いながら生きてきた。精霊に疎まれる覚えは無かったが、それでも罪悪感のようなものを抱えていた。
 今、目の前に自分と同じ存在が居る。その驚きにすぐには言葉が出なかった。
 しかし相手は自分とは違い、なにやら楽しげだ。しかも、あのザイールだという。きっと何か自分の知らないことを知っているに違いない、と思い至ってやっと口を開くと、矢継ぎ早に質問が出てきた。
「ザイールも同じなのか!?私たちはどうなったんだ!?生まれ変わったのか!?それとも子供に乗り移っているのか!?今はいつだ!?私たちは循環に乗れないのか!?何か重大な罪を犯したのか!?」
 不安が溢れ出し、詰め寄って尋ねる。
 ギルは、落ち着け、と宥めた。
「生まれ変わったんだ。今回だけ特別だ。んで、…その…」
 言い淀む相手に、またカードは不安げな顔を向けた。
 ギルは苦笑した。
「わりぃな。お前は俺に巻き込まれたんだ。」
 説明は追々する、と約束して家に誘った。
「俺が頼み込んでお前もうちで暮らせるようにするから。」



 母親は困り果てたが、息子も連れられてきた子供も深々と頭を下げ、まだ五つにもならないのに働いてお金を稼ぐと言い張るため、取り敢えずしばらく預かると承諾した。
「とにかく、まずお風呂に入りましょうね。」
 そう言って彼女は、ぼろ布をまとう薄汚れた子供に名前を聞いた。
「………」
 首を横に振る様子を見て一層哀れに思う。名前を呼ばれたことも無いのだ。

 ギルは自分も一緒に入ってしまおうと、着替えを二人分持って風呂に行く。入ろうとドアを開けると、中から母親が慌てて止めた。
「ギルは後よ!?」
「え、一緒でいいよ。」
「駄目!」
「汚いのは知ってる。ちゃんと洗ってやるから。」
「駄目よ!女の子とは別々に入るものなの!」
「え…女!?」





「まさか女に生まれ変わってるとはね…」
「私が一番驚いてるよ。」
 カードはカーラと名乗ることになった。ギルが呼び間違えないようにと似た名前を提案したら、母親が気に入ったようですぐに決まった。
 その夜、二人はギルの部屋で寝ることになってそそくさと部屋に引きこもった。積もる話がある。
「魂かき集めるので手一杯だったんだろうな。」
 女に生まれたことを、ギルはそんな風に言った。
「詳しく聞かせてくれるんだろ?」
 何もかもを早く知りたくて、カーラはベッドの上で座ったままじっとギルを見る。
「あー…」
 一方ギルは、何をどう、何処まで説明していいのか、自分の本当の名を言うべきか、考えあぐねていた。
「え…っと、俺はザイールで…」
「知ってる。」
「…お前はカード。」
「ふざけてるのか?」
 ムッとした顔を向けるカーラに、ギルは困り顔を見せた。
「正直、俺もまだ分からないことが山積みでよ。」
 確実に自分よりは知っているだろう、とカーラは疑念の目で見据え、昼間言われたことを問うてみる。
「ヴァエルって魔族の王だよな?」
 そんな名前を出してしまったか、とギルは口元を拳で隠した。
「私がカードだと気付いて、あんたは『ヴァエルが粋なことをした』と言った。つまり、この生まれ変わりには魔族の王が関わってる。」
「ご明察。」
「で?」
「以上。」
「そんなわけないだろう!?」
 大きな声を出した相手に、しっと指を立てて見せる。そしてカシカシと頭を掻いた。その癖はエダの時もザイールの時も同じだった。
「俺はヴァエルから使命を言い渡された。お前はその助け手に生まれた。取り敢えず、ハッキリと言えるのはこれだけだ。」
「使命?」
 聞かれて眉をひそめる。
「…それが、わかんねーんだよ。」
 苦虫を噛みつぶしたような顔をするギルを見て、カーラは納得した。嘘は言ってないようだと判断できた。
 その上で疑問を向ける。
「そもそも何で私たちに…いや『あんたに』『ヴァエルが』使命を与えたんだ?」
「あー…」
 ザイールだと明かしたのは失敗だったか、とギルは思った。最初からエダだと言っていれば、と考えて、いや、それはそれで円滑に進まなかっただろうと思い直す。
「明日な。」
 考えるのが嫌になって、ギルはそう切り上げた。また熱でも出したら両親が大騒ぎするだろう。
「ザイール!」
 カーラが怒るのも無視して、ギルは布団に入った。



 ギルの両親は、カーラを引き取ることを一晩話し合って決めていた。
 浮浪児にしては礼儀正しく、ギル同様賢そうなことと、そしてギルが兄弟を欲しがっていたことが決め手になった。
 家族で連れ立って教会に行く。義務では無いが、新しい家族を迎えるときは精霊に報告するのが習慣になっている。簡単な儀式を済ませ、僧侶にお礼を言って、教会を出た。
「俺たちもうちょっと精霊像を見てく。」
 ギルがそう言うと、両親は息子が精霊信仰に興味を持っていることすらも誇らしげに笑って「気を付けて帰っておいで」とだけ言い置いて帰って行った。
 礼拝堂に戻ると、ギルは中央の精霊像の前ではなく、その傍らにかしずくように据えられている聖母メリサ像の前に腰掛けた。
 隣に座ったカーラにちらっと視線をやる。
「トワとメリサの関係は知ってるか?」
 不遜な態度はザイールゆえだと理解して、カーラは気にせず答えた。
「聖母メリサ様は、光の精霊トワ様と契約を交わし、我々に守護精霊をもたらした。その対価として、今もメリサ様はトワ様のそばにいらっしゃる。」
 こくりとギルは頷いて、像を見上げる。
「精霊信仰の伝承はあらかた正しい。でも少々違うところもある。」
 なぜその情報を知っているのか不思議には思ったが、ザイールはそんなところのある男だった。
「例えば?」
 ギルはメリサ像を指し示す。
「あの像は後世の人間が空想で作ったものだ。メリサはあんな大人っぽい美人じゃねぇ。可愛いタイプだ。」
 カーラはがくりとうなだれた。
「ふざけてるなら帰るぞ。」
「信じないのか?」
「いつ見たんだよ。人類の始祖だぞ。」
「見たんだよ。俺の記憶にちゃんと入ってる。なんせ俺は…」
 またこの男は適当なハッタリを言うんだろう、と呆れ顔のカーラ。そんな彼女をよそにギルは言った。
「エダだからな。」
 カーラは耳を疑った。嘘にしては不敬が過ぎる。そしてそんな嘘を吐く理由が分からない。
「え、…ちょっと…待て…」
「これは信じてくれねーと先に進めねぇんだが。」
「え、だって、あんた、ザイールだって…」
 混乱して何をどう判断していいのか、虚実の境が見極められないでいる。ギルからしてみれば、嘘など吐いていないのだから境も何も無い。
「ザイールでもあるし、エダでもある。ついでに他の名前も言おうか?…ケント、マイク、サンドラ、ガラナ、アビー…。」
 カーラは、名前を並べ立て始めたギルに両手のひらを見せて止めた。
「ストップ。…つまり…ザイールはたくさんの生まれ変わりの中の一人だと…」
「そういうこった。」
「そんなこと、一言も…」
 ザイールは言わなかった、とカーラは目を泳がせている。しかしそれは当然だ。いつもは生まれ変わっても前世の記憶なんてないのだから。
「言ったろ。今回は特別だ。」


 今回生まれ変わる直前にヴァエルに言われたことを話し終えてカーラを見ると、彼女は何やら姿勢を正している。
 神妙な面持ちで視線をよこした。
「あの…エダ様、質問があるのですが…」
 ギルは額に手を当てて唸る。予想はしていたが早速か。
 エダも信仰の対象になっているのは知っていた。神格化はされていないにしても、聖母に添い遂げた永遠の伴侶として特別視されている。
「様はやめろ。ギルでいい。喋りにくいならザイールと呼んでもいい。」
「いや、…ですが…。」
「俺がやりにくいんだよ。ザイールだと思ってろ、カード。」
 はい、と返事をしてから咳払いをして、カーラは視線を逸らした。
「質問…。ヴァエルは魔族の王だろ?何でその『場』に居たんだ?」
「そこが間違った伝承だな。」

 精霊信仰では精霊と魔族は敵対しているように伝えられている。関係性を詳しく書き起こさなかったせいで、憶測が解釈の主流になったのだろう。
 本来、ヴァエルこそがこの星の神的存在で、トワはその伴侶のようなものだ。
「あいつ、人間嫌いだからな。信仰の対象にするわけには行かなかったんだよ。」
 当のヴァエルが神と名乗らなかったのだからどうしようもない、とギルは言う。
「神が人間を嫌ってるなら、何故人間は存在してるんだ?」
「トワがメリサを気に入ったからだ。」
 光の精霊トワはメリサとその友を受け入れ、助けたいと願った。故にヴァエルが存在を許した。
「ヴァエルが…真の神…」
 これまで魔族を悪と見なしてきた精霊信仰の信者としては衝撃的だ。飲み込むのにも時間がかかる。
「お前、聖魔信仰とかやめろよ?あれこそ今回の元凶だ。ヴァエルは人間を嫌ってる。信仰の対象になるのも、ましてや使役されるなんてもってのほかだ。考えても見ろ。魔族を使役するってのは、神の一族をアゴで使うってことだ。不敬にもほどがある。」
 カーラは頷いた。聖魔信仰はあってはならないのだ、と理解した。
「でも、だったらどうして魔族は契約に応じるんだ?契約を交わさなければいいんじゃないのか?」
「あれは契約じゃねえ。縛りだ。」

 聖魔信仰では、契約と称して魔族に精霊を捧げる。
「魔族が精霊を食うのは自然の摂理だ。循環の一部なんだよ。魔族…神は精霊を取り込み、新たな精霊を生み出す。だが、その循環の外で精霊を取り込んでしまうと、それに見合った対価を払わなくちゃならない。あいつらに拒否権は無いんだ。」
 聖魔信仰の暴走は、腹に据えかねたヴァエルが術者に罰を与えることに依るものだ。関わりを極力絶っている神自身が、わざわざ力を振るう。怒りはかなりのものと考えていいだろう。

 一通りの説明を受け、カーラは、ふむ、と自分の中に落とし込む。
「それで、今回あんたがやるべきことって何だ?いつも通りなら、またヴァエル…様が手を下せばいい筈だろ?」
「様はやめとけ。嫌がるぞ、あいつ。」
「分かった。で?」
 ギルは腕組みをしてまた唸る。
「それなんだよなー。おそらく聖魔信仰絡み、しかも大規模な循環の乱れが関わる可能性がある。それを止めろってことだと思うが…」
 二人が生まれ落ちたのは、かつてドラゴン討伐が成された国、勇者伝説が残るその場所だった。城下町には何度も作り直されているだろうが、今も勇者像が残っている。
 この国で問題が起こっているのか否かも分かっていない。が、一番怪しいのは隣国ではないか、とギルは睨んでいた。どの時代も、聖魔信仰に関わっていたのはあの国だった。
 ギルがヴァエルに対する文句を言おうとしたとき、不意に後ろから声がかかった。
「おや?ギルにカーラ。まだ帰ってなかったのかい?今何やら聖魔とか聞こえたんだが…。」
 先程、家族に儀式を施してくれた僧侶だ。彼の階級は僧都。もう初老で、一般人から見ればそれなりの威厳がありそれに見合った階級なのだが、かつての仲間であるフェリエが大僧正にまで上り詰めたことを知っている二人にしてみると、あまり身構える必要のない相手、という印象だった。
 ギルは笑って答えた。
「昔話で聞いたよ。悪い信仰があったけど、もう滅んだって。」
「相変わらず物知りだ。その頭は一度聞いたら何でも覚えてしまうみたいだね。」
 二人のやり取りを見て、カーラは首をかしげる。
「滅んだ?」
 ギルがそうだよと答えると、僧侶は説明を始めた。
 その昔、何度も魔族を使役しては自滅する国があり、それを重く見た各国の王がその信仰の禁止を取り決めた。それ以来完全に滅んだはずだ。という話。勿論その『魔族を使っていた国』は隣国のことだが、僧侶は明言しなかった。偏見に配慮してのことだろう。


 帰り道、カーラがクスリと笑った。
「なんだよ。」
「いや、あんたが子供っぽく振る舞うのがちょっと…」
「仕方ねーだろ。俺たちまだ四歳だぞ。」
「私は多分三歳だ。」
「マジかよ…」
 そう、まだ幼児だ。事を成すとしても、まだずっと先。今は準備をするしかない。
「戦えるようになるのは十年後。人を動かせる人脈と信頼と…問題もわかってねーのに何すりゃいいんだ…」
 二人は先の見えない状況に、ため息を吐いた。



 その後間もなくして、二人はお城の教会に修行に入ることになった。
 魔法が自在に使え、頭も良いと一目置かれていたため、案外居心地は良かった。情報集めや歴史を調べるのにも都合がいい。
 推薦してくれたのはあの教会の僧都だった。ギルは相変わらず不遜に「僧侶に取り入っておくのも悪くないな」と笑った。



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