開拓史
10開拓史
私たちの開拓は、成功とは言えなかった。
メリサは古びたノートにそう書き込んだ。
今となっては紙は貴重品だ。そう簡単には手に入らない。簡単な製紙技術は再現することが出来たものの、それをやるだけの意義と効率が釣り合わなかった。
このノートも百年と持たないだろう。だからこそ、彼女は吐き出してしまいたかったのかもしれない。
この星で人類は原始的な生活を送っている。
開拓当初、当然のように地表に降ろしていた宇宙船は今、衛星軌道にある。すべての科学技術を捨てることを余儀なくされたのは、この星の理に従う必要があったからだ。
到着前に上がっていた急激な温度変化の謎は、地表に降りてからも一向に解明できなかった。それを動物たちの魔法だと言い始めたメリサを皆あきれて見ていたが、結果的に解決に導いたのはその突拍子もない思いつきと彼女の好奇心だ。
「やっぱり鳴き声とは別で音を出してる。きっとあれが呪文なんだよ。」
嬉々としてそう言ったメリサはそれ以降その音を真似る努力を始め、その鬱陶しさに皆辟易したものだが、ある日、その努力が意外な形で実った。
何者かから彼女にコンタクトがあったのだ。
コンタクトと言っても普通に会話が出来たわけではなく、彼女は意識を失って数日間生命維持装置に入れられていた。その数日の間の精神世界での出来事だった。
目を覚ました彼女はそのことを仲間に話した。
この星の管理者である神と精霊の存在。人間が降り立ったのを快く思っていないこと。この星では循環が何より大切だということ。
「あとね、あれは魔法だって。」
動物たちが起こしている現象を『精霊』は魔法だと説明した。ただし、これには訳がある。『精霊』はメリサの記憶から様々なことを読み取り、彼女が一番理解しやすい形に言語化したに過ぎない。つまり、『神』も『精霊』も『魔法』もコンタクトを交わしたのが彼女だったからこその説明である。
「精霊じゃなく、上位精神体と呼ぶべきだ。」
セイゴはそう主張したが、精霊と言葉を交わせるのがメリサだけだった為、最初の呼び方が定着してしまった。
『神』は人間を嫌っていた。母星を壊した生き物がこの星に住み着けば、いずれ循環が壊されて滅ぶことになるだろう。住み着くことを許す気はなかった『神』がそれを覆したのは精霊がメリサを気に入ったからだった。
「ただし」と神は言った。
この星の循環に乗らないものを、持ち込まないことと作り出さないこと。それを守れない場合は容赦なく排除する。それが条件だ。
当然のように、後から到着した移民団の政府はそれに反発をし、メリサたちの言い分を虚偽として取り合わず、好き勝手地表に降り立った。神の存在も定住の条件も否定した彼らは、開拓者たちを断罪して刑にかけようとまでした。
そこで恐ろしいことが起こる。
『神』が姿を現し、政府とそれに加担する者たちをひねり潰した宇宙船とともに星の外に放り出したのだ。
そのときにメリサたち開拓者は、神の加護を受けているかのごとく守られていた。その情景を目の当たりにした人々は神を恐れ、条件を受け入れた。
人々は二分化した。開拓者を神の代弁者として敬う者と、加護を受けたいが為に媚びへつらう者。反対者が出なかったのは勿論あの情景を見ていたからだ。
必要以上に持ち上げられ、特別視され、そして責任も負わされた8人は『神』の出した条件を後生に伝えるため、信仰を作ることになる。
人々は、唯一精霊と言葉を交わせる彼女を「メリサ様」と呼んだ。
科学を捨てた人類が、魔法を使う動物たちの世界で暮らすのは危険が多すぎた。最初は鉄すら無く、武器は木や石だけだ。対抗するために、人間全員に守護精霊をつけるようメリサは精霊に頼み込んだ。
「それでは、今後この星で生まれる子供に守護精霊をつけることにしましょう。」
その対価はメリサの死後、彼女の魂を精霊の下に留め置くというもの。魂もこの星の循環に乗る。それを差し出したことで、メリサは神格化され、聖母と称されるようになった。
開拓から三十年以上が過ぎた頃、開拓者たちは荘厳な山の中腹の社に居を構えていた。
メリサは聖母として教会の長の位置にすわり、エダは永遠の伴侶としてその補佐を務めている。そのほかの六人もそれぞれの役職で仕事をする。元々最先端の技術を学んでいた彼らは天体を見て暦を決めたり、自然を見て災害を予測したりもしたため、まるで霊的な力で占いをしているかのようにも見え、それなりに人々の信仰心を維持するのに役立っていた。
そうは言っても時折反発する者もいる。そういう人々は離れて自治を構えるようになった。
「北の奴ら、もうちょっかいは掛けてこないみたいだ。」
「自然よりも魔法よりも、人間の心が一番やっかいだね。」
モコの報告にルトゥェラが肩をすくめる。
スーザンがため息をついた。
「若い人だけじゃないんだから、ヴァエルを怒らせることはしないと思うけど…心配よね。」
若い世代は『神』ヴァエルのあの暴虐を見ていない。だから下手をすれば禁忌を犯すかもしれないが、あれを知った者が若者を率いているならまず大丈夫だろう。
「大丈夫さ。」と言ったのはセイゴだ。
「変なモノを作り出す方法なんて教えてないから。そもそも道具だってないんだし、危ない物を発明するような人材は現れないよ。」
「魔法って便利な力もあるからね、私たちの星のような発展の仕方はしないんじゃないかしら。」
ニーナは今もセイゴの助手として傍らにいる。
「あら、ルティ?ニックは一緒じゃないの?」
ニーナがそう聞くと、ルトゥェラは悪戯っぽく笑った。
「うちはアンタんとこ程ラブラブじゃないからね。」
「うらやましい?」
「あ、余裕になって可愛くない。」
「いくつだと思ってるのよ。もう孫もいるって言うのに。」
皆がそれぞれ子をもうけ、家族がまた次の命を紡いでいく。当たり前の歴史がいろんな事件の中で進んでいく。そんなことを不思議に感じるときがある。
「エダ。聖母様は物見屋倉かい?」
「なんだ?急用か?ニック。」
「尾根に巣を張った鳥のモンスターがいるんだ。あそこから見えるかと思ってさ。」
「また居眠りでもしてるかもしれんからな、俺も行くわ。」
二人で社の端の塔に向けて歩き出す。
「変な感じだな。」
「何が?」
「…あー、ここで生きてるのとか、なんか、普通じゃん?平和で、虐げられることも管理されることもなく、さ。」
ふん、とエダは頷くともなく息を吐いた。
「不便なのが玉にきずだが。」
「お、聖母様の伴侶らしからぬ発言だな。」
「不便を嘆くぐらいいいだろうが。」
「便利な暮らしの話は御法度だろ?」
母星の話はほとんど誰も語らなくなった。禁止したわけではないが、やはり危機感を持っているのだろう。あの星の暮らしを夢見て、人類が突き進めば当然この星を壊すことになる。いや、その前にヴァエルの怒りに触れるのは明白だ。
屋倉ではエダの予想通りメリサが居眠りをしていた。
突っ伏した机にはノートが広げてある。
私たちの開拓は、成功とは言えなかった。
その言葉から始まった日記は、あの頃の後悔を綴ったものだった。
うまくやれなかったこと。何が足りなかったのか。ほかに方法はあったのか。
何より…。
あの犠牲を出したことが最大の失敗だと思う。でもあれがあったから、今の暮らしが始まったのも事実だから…。
「まだ気にしてたのか…。あんなんヴァエルのせいだろうが。」
「それに、ヴァエルがああでもしなきゃ、俺たちが死んでたよな。」
エダが思わず呟くと、ニックが続けて言った。
「おま…、日記を勝手に読むなよ。」
「エダだって読んだんだろ?」
「俺はいいの。旦那だから。」
二人の言い合いにメリサがピクリと反応した。「ん…」肩をすくめて上体を持ち上げる。うーん、とのびをして、そこでやっと二人の存在に気がついた。
「あれ?おはよ。」
「おはよじゃねーよ。風邪引くぞ。あと何のための物見屋倉だよ。」
「私の秘密基地。」
確かにこれと言って警戒する事態もなく、メリサの私室のようになっている。まったく、とエダはぼやいて時間を告げた。
そろそろ降りようかというときに、外を見ていたニックが何やら声を上げた。
「何かあったのか?」
「空から何か降りてくる。」
ニックの指さす方向を見ると、ゆっくりと降りてくる物があった。
「…まさか…。」
光の反射、そして形状。思い当たることがあって、三人は慌てて庭まで走った。
社の前の庭にそれは降りてくる。抱えられる程度の大きさだ。
途中で声を掛けた開拓仲間も駆けつけてそれを出迎えた。
「通信機…だよな。」
ニックがそう言うや否や、地面に降りたそれは光を発してホログラムを浮かび上がらせる。
「お久しぶりです。皆さん。」
懐かしい姿と声。あの頃と変わらないアイだった。
驚きと戸惑いで何も言えずにいる面々に、アイは先を急ぐふうに言う。
「ルール違反だということはわかっています。でも、どうしてもお別れが言いたかったので。」
「お別れ?」
船は老朽化が進み、機能が衰えている。修復機能があるとはいえ、無人ではそれも限界があった。何よりあの船は元々処刑の道具だ。移民団の使っていた船と比べたら雲泥の差だった。
「このままでは、いずれ地上に落下するかも知れません。」
毒ガスを積んでいる船が落ちれば、この星を汚すことになる。ヴァエルは許さないだろう。
「本機はこれよりこの宙域を離脱。充分離れたのち、自爆します。」
止めることはできなかった。
彼女をこの星に降ろすのは不可能だ。皆押し黙った。
「ごめんね…。さよなら…。」
ルトゥェラは視線を落としてそう言った。自分が言うべきだと思ったのは、きっとメリサは言えないだろうから。このメンバーの中で、メリサが一番アイを人間のように扱っていた。しかし現状の地位による関係で、皆彼女の言葉を待つ癖が付いている。その沈黙を切るためだ。
「謝罪の必要はありません。私は私の使命を果たします。」
「…使命?」
「あなた方の命を守ることです。」
ありがとう、とメリサは小さく言って嗚咽をこらえる。他の面々も口々にお礼を言って、通信機を見送った。
去り際にアイは言った。
「私専用のドリンクサーバーはまだ使えます。あなた方の想い出を味わいます。ありがとう、皆さん。」
無人の船の中で彼女がホロを出して行動する意味は無い。あれを使うまでもなく、記録されたものを閲覧することは出来る。それでもあのドリンクサーバーの前に姿を現し、思い出を味わうことを楽しんでくれているなら、それは皆にとっても嬉しいことだった。
「ねえ、エダ、あれは心じゃないのかな。」
静かに建物の中に戻る皆の後をゆっくりと歩きながら、メリサがそう尋ねた。
「そうだな。心かもな。」
「魂は循環に乗るんだよ?」
「ああ、きっと回収されるだろ。」
それが気休めだというのはメリサもわかっている。
「うん、きっと。」
長い旅だった、とメリサは思った。
旅の最初は、と思い浮かぶのは宇宙船への移送ではなく、もっともっと古い記憶。
初めてエダを見た日、彼の隣に立つ自分の姿など思い描きもしなかった。ただ、仲良くしなくちゃいけない相手という認識だ。
それからいろんな思いを抱きながら時を過ごし、今ここにいる。
ひとりの仲間が死出の旅に出た。これもひとつの節目にすぎないのだろう。
いろんな人が死に、生まれ、時が流れていく。その世界すべてを把握することは出来ない。そんな時の流れの中に、自分は立っている。
(ちっぽけだ。ちっぽけな人間。でもこれが私の世界の中心)
他の人も皆、それぞれがそんな世界を持っている。それを不思議に感じた。
そう、ただの一人の人間でしかない。聖母と呼ばれているだけの人間。
(今は彼女のために祈ろう)
それが今できることの全てだ。
どうか、かの魂が、この星に流れ着きますように。
その日の日記にはそう書き足された。
fin.
私たちの開拓は、成功とは言えなかった。
メリサは古びたノートにそう書き込んだ。
今となっては紙は貴重品だ。そう簡単には手に入らない。簡単な製紙技術は再現することが出来たものの、それをやるだけの意義と効率が釣り合わなかった。
このノートも百年と持たないだろう。だからこそ、彼女は吐き出してしまいたかったのかもしれない。
この星で人類は原始的な生活を送っている。
開拓当初、当然のように地表に降ろしていた宇宙船は今、衛星軌道にある。すべての科学技術を捨てることを余儀なくされたのは、この星の理に従う必要があったからだ。
到着前に上がっていた急激な温度変化の謎は、地表に降りてからも一向に解明できなかった。それを動物たちの魔法だと言い始めたメリサを皆あきれて見ていたが、結果的に解決に導いたのはその突拍子もない思いつきと彼女の好奇心だ。
「やっぱり鳴き声とは別で音を出してる。きっとあれが呪文なんだよ。」
嬉々としてそう言ったメリサはそれ以降その音を真似る努力を始め、その鬱陶しさに皆辟易したものだが、ある日、その努力が意外な形で実った。
何者かから彼女にコンタクトがあったのだ。
コンタクトと言っても普通に会話が出来たわけではなく、彼女は意識を失って数日間生命維持装置に入れられていた。その数日の間の精神世界での出来事だった。
目を覚ました彼女はそのことを仲間に話した。
この星の管理者である神と精霊の存在。人間が降り立ったのを快く思っていないこと。この星では循環が何より大切だということ。
「あとね、あれは魔法だって。」
動物たちが起こしている現象を『精霊』は魔法だと説明した。ただし、これには訳がある。『精霊』はメリサの記憶から様々なことを読み取り、彼女が一番理解しやすい形に言語化したに過ぎない。つまり、『神』も『精霊』も『魔法』もコンタクトを交わしたのが彼女だったからこその説明である。
「精霊じゃなく、上位精神体と呼ぶべきだ。」
セイゴはそう主張したが、精霊と言葉を交わせるのがメリサだけだった為、最初の呼び方が定着してしまった。
『神』は人間を嫌っていた。母星を壊した生き物がこの星に住み着けば、いずれ循環が壊されて滅ぶことになるだろう。住み着くことを許す気はなかった『神』がそれを覆したのは精霊がメリサを気に入ったからだった。
「ただし」と神は言った。
この星の循環に乗らないものを、持ち込まないことと作り出さないこと。それを守れない場合は容赦なく排除する。それが条件だ。
当然のように、後から到着した移民団の政府はそれに反発をし、メリサたちの言い分を虚偽として取り合わず、好き勝手地表に降り立った。神の存在も定住の条件も否定した彼らは、開拓者たちを断罪して刑にかけようとまでした。
そこで恐ろしいことが起こる。
『神』が姿を現し、政府とそれに加担する者たちをひねり潰した宇宙船とともに星の外に放り出したのだ。
そのときにメリサたち開拓者は、神の加護を受けているかのごとく守られていた。その情景を目の当たりにした人々は神を恐れ、条件を受け入れた。
人々は二分化した。開拓者を神の代弁者として敬う者と、加護を受けたいが為に媚びへつらう者。反対者が出なかったのは勿論あの情景を見ていたからだ。
必要以上に持ち上げられ、特別視され、そして責任も負わされた8人は『神』の出した条件を後生に伝えるため、信仰を作ることになる。
人々は、唯一精霊と言葉を交わせる彼女を「メリサ様」と呼んだ。
科学を捨てた人類が、魔法を使う動物たちの世界で暮らすのは危険が多すぎた。最初は鉄すら無く、武器は木や石だけだ。対抗するために、人間全員に守護精霊をつけるようメリサは精霊に頼み込んだ。
「それでは、今後この星で生まれる子供に守護精霊をつけることにしましょう。」
その対価はメリサの死後、彼女の魂を精霊の下に留め置くというもの。魂もこの星の循環に乗る。それを差し出したことで、メリサは神格化され、聖母と称されるようになった。
開拓から三十年以上が過ぎた頃、開拓者たちは荘厳な山の中腹の社に居を構えていた。
メリサは聖母として教会の長の位置にすわり、エダは永遠の伴侶としてその補佐を務めている。そのほかの六人もそれぞれの役職で仕事をする。元々最先端の技術を学んでいた彼らは天体を見て暦を決めたり、自然を見て災害を予測したりもしたため、まるで霊的な力で占いをしているかのようにも見え、それなりに人々の信仰心を維持するのに役立っていた。
そうは言っても時折反発する者もいる。そういう人々は離れて自治を構えるようになった。
「北の奴ら、もうちょっかいは掛けてこないみたいだ。」
「自然よりも魔法よりも、人間の心が一番やっかいだね。」
モコの報告にルトゥェラが肩をすくめる。
スーザンがため息をついた。
「若い人だけじゃないんだから、ヴァエルを怒らせることはしないと思うけど…心配よね。」
若い世代は『神』ヴァエルのあの暴虐を見ていない。だから下手をすれば禁忌を犯すかもしれないが、あれを知った者が若者を率いているならまず大丈夫だろう。
「大丈夫さ。」と言ったのはセイゴだ。
「変なモノを作り出す方法なんて教えてないから。そもそも道具だってないんだし、危ない物を発明するような人材は現れないよ。」
「魔法って便利な力もあるからね、私たちの星のような発展の仕方はしないんじゃないかしら。」
ニーナは今もセイゴの助手として傍らにいる。
「あら、ルティ?ニックは一緒じゃないの?」
ニーナがそう聞くと、ルトゥェラは悪戯っぽく笑った。
「うちはアンタんとこ程ラブラブじゃないからね。」
「うらやましい?」
「あ、余裕になって可愛くない。」
「いくつだと思ってるのよ。もう孫もいるって言うのに。」
皆がそれぞれ子をもうけ、家族がまた次の命を紡いでいく。当たり前の歴史がいろんな事件の中で進んでいく。そんなことを不思議に感じるときがある。
「エダ。聖母様は物見屋倉かい?」
「なんだ?急用か?ニック。」
「尾根に巣を張った鳥のモンスターがいるんだ。あそこから見えるかと思ってさ。」
「また居眠りでもしてるかもしれんからな、俺も行くわ。」
二人で社の端の塔に向けて歩き出す。
「変な感じだな。」
「何が?」
「…あー、ここで生きてるのとか、なんか、普通じゃん?平和で、虐げられることも管理されることもなく、さ。」
ふん、とエダは頷くともなく息を吐いた。
「不便なのが玉にきずだが。」
「お、聖母様の伴侶らしからぬ発言だな。」
「不便を嘆くぐらいいいだろうが。」
「便利な暮らしの話は御法度だろ?」
母星の話はほとんど誰も語らなくなった。禁止したわけではないが、やはり危機感を持っているのだろう。あの星の暮らしを夢見て、人類が突き進めば当然この星を壊すことになる。いや、その前にヴァエルの怒りに触れるのは明白だ。
屋倉ではエダの予想通りメリサが居眠りをしていた。
突っ伏した机にはノートが広げてある。
私たちの開拓は、成功とは言えなかった。
その言葉から始まった日記は、あの頃の後悔を綴ったものだった。
うまくやれなかったこと。何が足りなかったのか。ほかに方法はあったのか。
何より…。
あの犠牲を出したことが最大の失敗だと思う。でもあれがあったから、今の暮らしが始まったのも事実だから…。
「まだ気にしてたのか…。あんなんヴァエルのせいだろうが。」
「それに、ヴァエルがああでもしなきゃ、俺たちが死んでたよな。」
エダが思わず呟くと、ニックが続けて言った。
「おま…、日記を勝手に読むなよ。」
「エダだって読んだんだろ?」
「俺はいいの。旦那だから。」
二人の言い合いにメリサがピクリと反応した。「ん…」肩をすくめて上体を持ち上げる。うーん、とのびをして、そこでやっと二人の存在に気がついた。
「あれ?おはよ。」
「おはよじゃねーよ。風邪引くぞ。あと何のための物見屋倉だよ。」
「私の秘密基地。」
確かにこれと言って警戒する事態もなく、メリサの私室のようになっている。まったく、とエダはぼやいて時間を告げた。
そろそろ降りようかというときに、外を見ていたニックが何やら声を上げた。
「何かあったのか?」
「空から何か降りてくる。」
ニックの指さす方向を見ると、ゆっくりと降りてくる物があった。
「…まさか…。」
光の反射、そして形状。思い当たることがあって、三人は慌てて庭まで走った。
社の前の庭にそれは降りてくる。抱えられる程度の大きさだ。
途中で声を掛けた開拓仲間も駆けつけてそれを出迎えた。
「通信機…だよな。」
ニックがそう言うや否や、地面に降りたそれは光を発してホログラムを浮かび上がらせる。
「お久しぶりです。皆さん。」
懐かしい姿と声。あの頃と変わらないアイだった。
驚きと戸惑いで何も言えずにいる面々に、アイは先を急ぐふうに言う。
「ルール違反だということはわかっています。でも、どうしてもお別れが言いたかったので。」
「お別れ?」
船は老朽化が進み、機能が衰えている。修復機能があるとはいえ、無人ではそれも限界があった。何よりあの船は元々処刑の道具だ。移民団の使っていた船と比べたら雲泥の差だった。
「このままでは、いずれ地上に落下するかも知れません。」
毒ガスを積んでいる船が落ちれば、この星を汚すことになる。ヴァエルは許さないだろう。
「本機はこれよりこの宙域を離脱。充分離れたのち、自爆します。」
止めることはできなかった。
彼女をこの星に降ろすのは不可能だ。皆押し黙った。
「ごめんね…。さよなら…。」
ルトゥェラは視線を落としてそう言った。自分が言うべきだと思ったのは、きっとメリサは言えないだろうから。このメンバーの中で、メリサが一番アイを人間のように扱っていた。しかし現状の地位による関係で、皆彼女の言葉を待つ癖が付いている。その沈黙を切るためだ。
「謝罪の必要はありません。私は私の使命を果たします。」
「…使命?」
「あなた方の命を守ることです。」
ありがとう、とメリサは小さく言って嗚咽をこらえる。他の面々も口々にお礼を言って、通信機を見送った。
去り際にアイは言った。
「私専用のドリンクサーバーはまだ使えます。あなた方の想い出を味わいます。ありがとう、皆さん。」
無人の船の中で彼女がホロを出して行動する意味は無い。あれを使うまでもなく、記録されたものを閲覧することは出来る。それでもあのドリンクサーバーの前に姿を現し、思い出を味わうことを楽しんでくれているなら、それは皆にとっても嬉しいことだった。
「ねえ、エダ、あれは心じゃないのかな。」
静かに建物の中に戻る皆の後をゆっくりと歩きながら、メリサがそう尋ねた。
「そうだな。心かもな。」
「魂は循環に乗るんだよ?」
「ああ、きっと回収されるだろ。」
それが気休めだというのはメリサもわかっている。
「うん、きっと。」
長い旅だった、とメリサは思った。
旅の最初は、と思い浮かぶのは宇宙船への移送ではなく、もっともっと古い記憶。
初めてエダを見た日、彼の隣に立つ自分の姿など思い描きもしなかった。ただ、仲良くしなくちゃいけない相手という認識だ。
それからいろんな思いを抱きながら時を過ごし、今ここにいる。
ひとりの仲間が死出の旅に出た。これもひとつの節目にすぎないのだろう。
いろんな人が死に、生まれ、時が流れていく。その世界すべてを把握することは出来ない。そんな時の流れの中に、自分は立っている。
(ちっぽけだ。ちっぽけな人間。でもこれが私の世界の中心)
他の人も皆、それぞれがそんな世界を持っている。それを不思議に感じた。
そう、ただの一人の人間でしかない。聖母と呼ばれているだけの人間。
(今は彼女のために祈ろう)
それが今できることの全てだ。
どうか、かの魂が、この星に流れ着きますように。
その日の日記にはそう書き足された。
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