開拓史
光はそこに
肉眼で目的地が確認できる頃には学生のような勉強の時間は殆どなく、実際の開拓の手順を確認したり練り直したりと話し合いをすることが増えた。その惑星の環境が地球に酷似しているのは確実だとデータが告げている。しかし、だからと言って簡単にその大地に降りていいかと言えばそうではない。
「あ、ほら、まただ。これ、何だよ。」
エダが顔を顰めてリアルタイムの観測データを眺める。
スーザンは困り顔を向けて「こっちが訊きたいわよ。」と返した。
環境は地球と同じはず。だが不可解なデータが時折飛び込んできた。
「今度は高熱?それとも電気?」
モコがちょっと笑ってそう訊いた。
「笑い事じゃないのよ。訳が分からないんだから。」
スーザンはモコの様子に呆れながら、エダの指さす場所を覗き込む。
「低温。零下。周りの気温は変わらず、この一点だけだ。」
地表を観測していると度々そんなデータが取れた。局所的、一時的な急激な温度変化、時には雷のような瞬間的な電流。
「これどうすんだよ。場所も特定されないし、原因も解らない。人間が暮らすには危険すぎる。」
「…何もない時は穏やかなんだけどね。災害規模でもないし。」
不思議なのは、その変化の直後にはもう何もなかったかのように元に戻っているということだ。当初、急激に温度が上がったのを見つけた時は、マグマの噴出、つまり噴火ではないかと予想を立てた。しかし、その後の観測でそれはあり得ないと分かった。
「地表にはなんも変化なし、まるで空気中でいきなり炎が上がったみたいに…。」
「メタンガスとか、可燃性のガスが爆発したんじゃないのか?」
「それはあるかも。でも、だとしたら、いつどこで爆発するかわからない環境で、まともに暮らせるとは思えないわね。」
「高温はそうだけどよ。低温は?なんでいきなり空気が冷えるんだ。周りに原因になるようなこと起こってないぞ。」
「急激な…気圧変化とかは?上昇気流とか。」
「観測されてない。」
ああでもないこうでもないと言い合う中、ルトゥェラがメリサに合図して部屋から出た。
「困っちゃうわね。すんなり暮らせそうかと思ったのに。」
追いついてきたメリサを振り返ってそう言った。
「うん。で、どうしたの?」
「うーん、相談。」
気象学、地学などに明るくないルトゥェラは先程の話し合いの輪にいても仕方ないと判断して、自分の抱えている問題を取り敢えず話しておこうとメリサを連れだしたのだった。
向かった先は菜園。
「私のミッションにね、地球の植物が現地で育つかの実験と栽培があるんだけど…。」
「あ、そうだね。私も見た。」
畑を見降ろしてルトゥェラは眉を顰める。
それを見てメリサは首を傾げた。
「気が進まない?」
「そう。」
学校で習わなかった?と彼女は言う。
「外来種の持ち込み禁止。これって常識でしょ?」
「…うん、それはちょっと気になってた。」
「ちょっと?…意外だわ。メリサ、わりと割り切りできるのね。」
地球上での新天地の開拓に置いて、外来種を持ち込んだために環境が激変した例は沢山ある。動物にしても植物にしても、新しい種が入り込むことで在来種が大ダメージを受けるのは歴史上明らかだ。
「人間が住める環境を整えるのが目的だから、ある程度は仕方ないかなって。…私もちょっと意外。ルティ、そういうの気にする方だった?」
言われて思い切り顔を顰める。
「何よ。私はルール違反上等だって?」
「…ごめん、わりとそんなイメージ。」
「意味のないルールを強いられたら反発するわよ。でも、納得のいくルールは守るのが正義だって思ってる。」
外来種の持ち込み禁止は、彼女の中でしっかりと納得できたものだった。
「地球上で、人間の移動でそれが起こるのは仕方ないし、止めることも難しいし、ある意味人間の行動も地球の自然の一部だから、起こってしまった過去はどうこう言うつもりはないわ。でも、これから行くところは、本来地球の動植物が辿り着くわけがない場所でしょ。そこに地球のものを持ち込んで、あの星の自然を壊したらどうなる?」
うまく共存してくれればいいが、そういかないのは地球上の開拓で答えが出ている。
メリサは、うーんと唸ると「じゃあさ、実験はとりあえず船の中でやるのはどう?」と笑顔を向けた。
「取り敢えずはね。でも、私達、不利な立場よ。多分、どう転んでも悪者にされる。」
「え?」
開拓の為に地球の植物を植えて将来自然が壊れたら、おそらく人々は最初にそれをやった者に責任を求める。だからと言って開拓の計画を勝手に変えて、現地の植物で食料を調達することにしても、うまくいかなくなれば開拓者の責任にするだろう。エダたちが議論していることだって、住める環境を確保できなければ責任追及はこちらに向けられる。
「定期連絡は送ってるけど、地球に着くのは一年後、返事が届くのはその一年後。いままで、返事は来てない。あのニールセンって学者の話を信じるなら、あと五年くらいで地球は住めなくなる。で、避難民が来るのがその五年後。今から十年で避難民が住めるようにしなくちゃいけないの。」
「食料確保…。」
「割り切って植えちゃえばいいかもしれない。何とか共存してくれるかもしれない。うまくいけば環境を壊さずに根付いてくれるかもしれない。…これって勝手な希望的観測よね。」
畑の前でしゃがみ込み、ルトゥェラは自分の膝を抱くようにして顔をうずめた。
「責任って重すぎるでしょ…。」
その横に同じようにしゃがみ込み、メリサはしばらく考える。頬杖をついて笑った。
「おいしそうなもの探そ。」
「メリサ…。アンタね。」
「食料確保すればいいんでしょ。食べられるもの探して、それを栽培する。地球のものは船の中か、できそうならハウス栽培オンリーで。」
ルトゥェラは「ふふっ」と笑って顔を上げた。
「暢気者。…でも、ありがと。ちょっと落ち着いた。」
だいたい、とエダは息巻く。
「あの学者野郎、放り出すだけ放り出して一度もメッセージ寄越さねえじゃねえか。」
相談したいことは山ほどある。今決める必要がなくても、星に降りて開拓を始めるときには方針を決めなくてはならない。
「こっちで判断できることはしろってことだろ。てか、そうするしかない。そのために専門知識を叩きこまれたんだ。」
ニックの言にルトゥェラが顔を顰める。
「で、あとで来た政府のお偉いさん方に、勝手なことをしたって怒られるんでしょ?」
少し詰まってニックが返す。
「…それは、あの学者が責任取るべきだろ。勝手に俺たちを送り込んだんだからさ。」
「責任、取ってくれるかしら。」
スーザンがそう言って溜め息を吐いた。
確かに、とセイゴも渋い顔をする。
「そもそも僕たち、凶悪犯ってことにされてるんだよね。そこの説明も、ちゃんとしてくれるかどうか。」
「当てにしない方がいいかもね。少なくとも、開拓した英雄、なんて扱いはしてもらえないと思う。」
モコがそう言うとエダはまた毒づいた。
「畜生、今更ながらあの学者、信用ならねえ。」
話し合いの輪にアイも入っている。メリサはニーナをチラッと見遣ってから、アイに小声で言った。
「あの、ごめんね。ニールセンさんの悪口、あんまり聞きたくないよね?」
「そうよね。ごめんなさいね、アイ。」
二人が自分に向けて申し訳なさそうな顔をしたのを見て、アイは「どういうことですか?」と返した。
「え、だって、アイの親みたいなものなんじゃないの?」
「私の製作者という意味でなら彼は親ということになりますね。ですが、私の中では彼は製作者として名前が挙がっているだけで、それ以上の意味はありません。」
そっか、と二人はホッとして笑みを見せる。
「ですが、他者への悪意はあまり好ましいものではありません。度が過ぎれば指導はします。」
はいはい、とエダが両手を上げた。
今日はこのくらいにしましょう、というアイの言葉で皆小さく息を吐いて立ち上がる。各々が部屋に戻っていく中、エダが足を止めてアイを振り返った。
「アイ、あんた誕生日ってあるのか?出来上がった日、とか。」
消えかかっていたホロがまた濃くなって形を保つ。
「度々修正が加えられたので、完成日というものは設定されていません。」
ふーん、と特に興味はないような素振りでエダは退室した。
もう5年経つね、と言ったのは誰だったか。これまでメンバーの誕生日もささやかに祝う程度で淡々と過ごしてきた8人だが、ルトゥェラがパーティーをしようと言いだして、急に沸き立った。
「でね、この日は美味しいモノ食べて、飲んで、ゲームして、楽しもうって話になったの。空けてくれる?」
「全員の予定をキャンセルして別の日に調整すればいいですね?」
「そうそう。」
アイにスケジュール調整を頼むと、メリサとルトゥェラは何を食べようかと相談を始めた。時折アイにも話題を振って、相談をする。
別の部屋、観測機の調整をしているエダにモコが小声で話しかけた。
「で、どう?」
「まーなんとか。」
そう答えてモコの様子を少し笑う。
「声ひそめたって全部録音されてるって。変な様子見せたら逆に観察対象になっちまうぞ。」
会話は全て保存されているが、取り立てて気になることがなければアイも閲覧しない。ただ保存されているだけのことだ。それでも秘密にしておきたいことがあるときは、別部屋でアイに何かしらの頼み事をすると少しだけ注意がそがれるということがこの数年で分かった。
「ファイルチェックが次の日で良かったね。」
月に一度のファイルチェック、その時に開示を拒否すると処罰対象になる。
「ああ。大体のプランは頭の中にあるんだ。当日までに仕上げるさ。」
「僕にできることある?」
「そっちに送ったデータで微調整頼む。」
「了解。」
「ねえ、アイ、おすすめのケーキってある?」
「この船の中で作ることのできるケーキは数十種、バリエーションも含めれば数百になります。オートで製作可能です。特別な装飾をつけたければ手を加えることもできます。」
「うーん、おすすめを聞きたいんだけど。」
「製作の手間はオートなので差はありません。味については皆さん好みが違いますし、私には味わうことが出来ないので分かりません。」
「じゃあ、見た目が派手な奴。」
「色彩的にはこの辺りでどうでしょう。」
そう言って出された画像は原色の色とりどりのケーキだった。
「…確かに、派手ね。」
「アイ?それはちょっと食欲がわかないかも。原色は無し。飾りがごちゃっとしてるのとか、きらびやかなのとか。」
「あ、あと、逆に派手さはなくていいから高級そうなのとか。」
二人から出される条件に合うものをデータの中から選び出して次々に映し出す。その間、アイのホロは人間のように考えるそぶりを見せた。
その様子を眺めて、メリサは呟くように聞いた。
「アイは、どんな時が楽しい?」
突然の話題の変更に一瞬の間を見せ、アイはメリサの方を向いた。
「楽しい、という感覚は私にはわかりません。」
感情というものがAIにあるのか、議論をするにはメリサには知識が足りない。以前そんな疑問をエダに投げかけたときは、作ることはできる、というような返答だったと覚えている。
ケーキの画像を見ながら、ルトゥェラもその会話に混ざった。
「笑顔とか悲しげな顔って、やっぱプログラムされてるからそうなるの?」
またアイは考えるそぶりを見せる。
「そうですね。皆さんの様子を観察し、状況を判断し、それに合う表情を作り出します。」
「ほら、その考えてる感じとか、質問されると必ずそうなるわけじゃないわよね?」
「その時々の状況に応じた反応になっています。相手がどう受け取るか、というようなことも加味しますので話している相手によっても変わります。」
ふーん、と二人は少し考えを巡らせた。
「でも…。」
「それって人間も似たようなもんだよね。」
「相手によって相槌や返事の仕方って変わるよね。やっぱりいい印象を与えたいし。」
「相手の反応を逆手にとって何かをさせるために、真逆のことをやったり…は、アイはしない?」
そうですね、と熟考するふうにアイはゆっくり答える。
「相手の行動を狙って反応を変えることは充分にありえます。」
「ありえます、か。やったことはない?」
「皆、素直な方ばかりですから。」
「あ、今ちょっとお世辞入れたでしょ。」
ルトゥェラが意地悪な笑顔を向けた。それを見てメリサは笑う。
するとアイの表情が一秒ほど消えた。
「今のは、罰則を与えるほどではなく、こちらが操作するまでもないという…いえ、そう、お世辞かもしれません。」
ふふっとメリサはまた笑った。
「ほら、ルティ、アイが困ってるよ?」
「アイ、真面目よね。適当に流していいのよ、今のは。」
「そうでしたか。でも誤解を与えたのではないかと。」
「お世辞かもって言いなおしたのはどうして?」
それは、と口ごもる様子を見せるアイにルトゥェラが「いいよ。なんとなく分かってるから、言って。」と促した。
「説明をすることでこちらのルトゥェラに対する評価が伝わって、本人が気を悪くするのではないかと判断したためです。判断が遅すぎました。すみません。」
「いいよ、別に。なんかね、そういうとこがわりと人間っぽいから、感情も普通にあるように見えるのよね。」
うん、とメリサが頷く。
「返事に困るっていうのは感情ってことになるんじゃないの?」
「そう表現することはできると思います。」
「思います。」
「それは言葉の選び方であって、私のプログラムがあなた方のように思っているわけではないと思われます。」
「あ、思われますだって。変えてきた。」
アイが微妙に表現を変えたことにルトゥェラはうーんと唸った。
アイは笑って見せる。
「私は皆さんに誤解を与えたくありません。なるべくフラットに、物事を受け取ってほしいのです。」
「人間と同じように見られたくない?」
「その表現は誤解を生みますね。誤解を与えてはいけない、と私のプログラムが言っています。」
メリサが首を傾げる。
「さっきの『感情と表現することはできる』っていうのは誤解を与えることじゃないの?」
ハッとした表情のアイ。
「そうでした。すみません。」
「謝らないでよ。誤解してないから。誤解する可能性があったかもしれないけど、ちゃんと伝わってるから。それも私たちなら伝わると判断してそう言ったってことなんじゃないの?」
「そうですね。過去ログをさかのぼると、そう判断したようです。」
瞬時にデータをさかのぼって解析したことに二人は驚いたが、そうやって記憶をたどるのも人間っぽいと思える。
メリサがまた質問をした。
「楽しい、は難しかったかな。じゃあ、アイがとても良いと思う状況ってどんな時?」
アイは少々困った顔をした。感情についての質問に誤解を混ぜずに説明するのが難しいと判断したのだろう。
「とても良い、ですか。そうですね。皆さんが談笑して、争いがないひとときはとても良いと言えます。」
にっこりとメリサは笑う。
「だよね。私もとても良いと思う。」
「ファンタジー脳なんだか、SF脳なんだか。メリサそういうの好きよね。」
呆れた風のルトゥェラにちょっと不服そうな顔を向けるメリサ。その様子を見たアイは優し気に笑った。
徐々に近付く目的地の様々な謎を解く方法を議論する一方、5周年のパーティーの準備も着々と進んでいた。
「名目は?まさか、私達宇宙に放り出されました記念日?」
スーザンが真顔のまま茶化すようなことを言う。
「はいはい、何でもいいわよ。なんならそのまんま横断幕にでも書いてあげようか?」
ルトゥェラの応戦にニーナが苦笑いを向けた。
「もう、パーティーの名目なんていいじゃない。必要なら、私たちが出会った記念日にしよう?」
いいね、とメリサが同意する。
「出会いの記念日だね。」
すると示し合わせたようにスーザンとルトゥェラが声を合わせた。
「ロマンチック~」
もう、とニーナが頬を膨らませた。
「飾り付けなんてするつもりかい?資源の無駄遣い。ホロでいいじゃないか。」
「…やっぱりもったいないよね。ゴミも出るし…」
地球ではホロの機械があっても、縁起物だとして実際に飾り付けることが多かった。ゴミも最終的に燃やすことで厄を払う意味が込められていて、やめるべきだという意見が出ることも少ない。だが、ここは限られたスペースで物質の循環を完結しなければならない。ゴミは極力少量にすべきで、環境の中で循環させられないものは作り出すべきではない。
派手を好むルトゥェラと何かと物語のような空間にしたがるメリサが実際の飾りつけの方法を探していたが、セイゴの正論で即却下された。
「アイ~、部屋の飾りつけよろしく。やってみて。」
「はい。これでどうでしょう。」
パッと部屋に装飾が施される。
「ほら、簡単じゃないか。」
「簡単だからいいって話じゃないの!」
セイゴの一言にルトゥェラが口を尖らせた。だよね、とメリサもルトゥェラに同意する。
「もうちょっと光量落として。あとあっちはちょっと色変えてみて。」
モコが注文を付けると、他の面々もあれこれ言い始めた。
「ここにこう、斜線が入るように光当てて。」
「あ、じゃあ、こっちはね…」
飾りつけに興味のないエダはニックを誘って星空の見えるデッキに向かった。
「続きか?」
「おう。ちょっとうまくいかないとこがあってよ。見てくれるか?」
「エダが分からないんじゃ俺ムリだろ。」
「目を皿にしてプログラムを見るのには人数がいるんだよ。」
うげ、とニックは天を仰ぐ。
「人数がいると言いながら、俺とお前の二人かよ。モコも呼べよ。」
「今話の輪にいたから連れ出すわけにいかなかったろ。」
アイに訝しがられる、という言葉は言わなかった。暗黙の了解だ。
「エダ、少々質問があります。」
一人になったところにアイのホロが現れてそう言った。
内心警戒しながら、しかし表情に出さないように気を付けて彼は返事をする。
「なんだい?」
「最近何かプログラムを組んでいるようですが、何をしているのですか?開示がされていません。」
「あー、アレね。」
視線を上げて聞かれて思い出した風にしながら返事を考えた。
「ちょっとさ、自信がないから内緒。うまくいくかテストしてからでいいか?ファイルチェックまでには開示するよ。」
「構いませんが、何故秘密にする必要があるのですか?」
「失敗したら恥ずかしいだろ。…ヤなんだよ、恥かくの。」
ちょっと拗ねたような顔をしてみる。
「私は笑ったりしませんよ。」
「そういう問題じゃねーの。ヤなの、俺が。」
拗ねた顔に少し怒った様子を出した。
「そうですか。分かりました。きちんと期日には開示をお願いしますね。」
「おう、なんか、悪いな。」
そう答えたときにはホッとして、安堵した様子が出てしまう。そこを突っ込まれたらヤバいと思いながら、アイを窺うと特に疑う様子はなかった。
「エダ、何か悩みがあるなら相談に乗りますよ。以前のような失敗はしません。」
どうやら別の方向に勘違いしたらしく、そんなことを言った。
「失敗?」
「はい、告白のやり方は違ったようでしたね。」
メリサに告白をした時のことを思い出し、エダの顔は一気に染まった。
「そんな前のことはいいからっ!」
「そうですか?とにかく相談はいつでも受け付けますよ。」
「お、おう、サンキュ。」
そして、パーティー当日がやって来た。
「モコとエダは?まだ来ないの?」
「準備が出来てないって。」
スーザンが、二人がいないことに気付いて不服を言うと、アイは「様子を見てきますね」と言った。
「待って!!ダメ!!」
即座にメリサが声を上げる。
「アイ!えっと、アイはその…用事があるの。だからここに居て。」
ここに居てとお願いしても、アイは人間とは違い瞬時に別の部屋に移動できる。ここにホロの体があるからと言って、他の部屋に出現させられないわけではない。もう飛んでいてもおかしくないのだが、メリサの様子に違和感を覚えたアイは、数秒の思考のあと、取り敢えず従うことに決めた。
「どうしたのですか?メリサ、心拍数が上がっています。体温は…少し下降しているようですね。」
どんな用事を言えばいいか必死で考えてはいるが、思いつかずしどろもどろになっている。
ニーナが助け舟を出した。
「アイ、食器の準備をしたいから数の確認と、飲み物の準備を手伝って。他にも飾りつけで変えてほしいところもあるし。二人はすぐ来ると思うから、準備終わらせよう?」
「アイ、ここの装飾やっぱもうちょっと大きくしたいんだけど。」
セイゴも続けて言い、その後にニックやルトゥェラもこまごまとしたことを頼みだした。
「分かりました。しかし、皆さん様子が変です。何か隠し事があるようですね。」
あちゃー、とセイゴが声を出し、スーザンは肩をすくめる。
「もう、仕方ないわね。」
「何よ、スーの所為じゃない。」
スーザンは、はいはいと認めてアイを呼んだ。
「アイ、疑わなきゃいけないようなことじゃないわ。種明かしはすぐするから。」
「あなた方のことは信頼しています。ですが、不明瞭な行動はペナルティに関わります。」
船の中の規則は随分とゆるくなった。軽微な違反が命にかかわるようなことはまずない。しかし、アイが全ての機能を掌握したかと言えばそうではなく、まだ古い基準で動くシステムもあるのだ。そのシステムが彼らの行動を是としなければ動き始める可能性もある。船内のいたるところにある機銃や毒ガス噴出口は、簡単には作動しないようにアイが管理しているとはいえ、決定権の上位は旧システムのままなのである。
「ごめんね、心配かけて。」
申し訳なさそうにメリサがそう言うと、「心配」とアイは復唱した。
「注意を促しています。」
「それは、私たちが危ない目に合わないようにするためでしょ?」
「はい。あなた方の言動が、システムの倫理に反しないように常に観察し、誘導します。」
「それは心配と呼んでも差し支えないと思うよ。」
「感情という意味での心配なら、当てはまりません。」
うーん、とメリサは考える。
「そうか、そうかもね。でも、私は厳密な意味で喋る必要性を感じないから。いいよね、心配で。」
「必要性ということなら、確かにすべてを厳密に判断するのは労力的にも良いとは言えませんね。」
メリサはにっこりと笑顔を見せた。
「すまない、遅くなった。」
入ってくるなりそう言ったエダは、部屋の空気が微妙な雰囲気であることに気付き、足を止めた。
「どうしたの?」
モコも立ち止まってキョトンとしている。
ごめんなさいというスーザンの謝罪の言葉は溜め息交じりで、特に謝罪の気持ちは入っていない様子だ。
「ばれちゃったのよ。隠し事が。」
「エダ、モコ、あなた方も関わっているのですか?」
アイの言葉に小さく肩をすくめて、エダとモコは顔を見合わせた。
「もう始めるんだしいいだろ?サプライズのつもりだったんだが。」
「だよね、アイ、誕生日おめでとう。僕たちプレゼントを作ってたんだよって話は聞いた?」
アイのホロは直立のまま、目を二三回しばたたかせた。
「今日は誰の誕生日でもありませんが、どういうことでしょうか。」
「アイの誕生日だよ。僕たちと出会った日。あの日以前からキミが存在してたのは分かってるけど、作り主以外の人間と接したのはあの時が初めてでしょ?」
製造年月日でも分かればその日を誕生日にしようと思っていたが、アイ自身そこはあやふやだった。どうやら何度も不具合修正や書き換えが加えられたらしく、最後に手を加えられた日も完成日としての登録はなかった。必要があればまだ修正をするつもりだったのだろう。
「だから、今日がアイの誕生日にしようってみんなで決めたんだ。迷惑だったか?」
モコに続けてエダがそう付け加えた。
「いえ。皆さんの総意なら問題ありません。五年前の今日を私の誕生日と登録します。それで、隠し事は以上ですか?」
エダはそう訊かれて、おや?というような顔をする。
「なんだ、バレてないじゃねーか。これ。アイも知りたがってたろ?今から開示するから。」
そう言って部屋の隅にあるコンピュータ端末に持って来たプログラムを入れた。
「誕生日おめでとう。これが俺たちからアイへのプレゼントだ。」
「さあ、始めよう。飲み物を入れてよ。」
「そうね。音楽を掛けてくれる?アイ。」
言われるまま音楽を流し、皆が慌ただしくパーティの開始準備に動き回るのを傍観しながら、プレゼントであるプログラムを確認しようとファイルにアクセスを試みる。
「あー、アイ、ちょっと待ってくれ。俺が準備するから。」
「あなたは開示をすると言いました。」
「せっかくだからさ、プログラムの中身じゃなくて、こっちを見てくれよ。」
そう言ってエダが操作をすると、本物のドリンクサーバーの隣に小型のドリンクサーバーのホロが現れる。
「みんなの分の飲み物、準備できたか?」
「オッケー。さ、アイも一緒に飲も?何がいい?」
またもやアイは目をぱちくりと動かした。
「私の飲み物が出てくるんですね?」
「そう。珈琲と紅茶、ジュースも数種ある。」
「ごめん、お酒は一応考えたんだけど、酔って支障が出ると困るからやめたんだ。」
モコの言葉にアイは小さく笑って見せた。
「私は人間のように酔うことはありません。それに、本物ではないでしょう?」
ホログラムのドリンクサーバーで出てくるのは勿論ホログラムの飲み物だ。たとえお酒でも、何の支障もない筈だとアイは予想した。
ニッとエダが笑う。
「そう馬鹿にしたもんでもないんだぜ?ま、好きなボタン押してくれよ。」
「馬鹿にしたつもりはありませんが、皆さんをお待たせしていますね。では、珈琲を。」
アイはホロの体を動かし、その指先でドリンクバーのボタンを押した。
ゲームの出現エフェクトのような光とともにカップが現れ、そこに液体が注がれる。見た目はカンペキだ。
よし、とエダが片手を握りしめた。
「さ、乾杯しましょ。出会いの記念日とアイの誕生日に乾杯。」
スーザンの掛け声をかわきりに、皆も口々に乾杯やおめでとうを言い合う。アイもそれに合わせて乾杯を言い、珈琲のカップを口に近付けた。
口に付く寸前、アイは動きを止める。
「これは…」
「香り。どうだ?」
「前世紀のブラジル産カドテアズール。」
「検索はかけないでくれよ?取り敢えず飲んで。」
「はい。」
口に付け、カップを傾ける。ほんの一口飲んで、アイはハッと目を見開いた。
「程よい甘み、優しい甘味、ほのかなコクと苦みの調和が素晴らしい。風味豊かでいてすっきりとした飲みやすさがあります。」
味の評論のような文句が出てきたことにニーナが驚く。
「すごーい。味が付いてるの?」
「いや、今のおもっきり資料がそのまんま出てきたでしょ。」
「一応、味として付けたんだが…。真っ先にそれが出たか。」
どういうことですか?とアイがエダに尋ねたが、もう一口飲むよう促されただけだった。
そしてもう一口。
「あ…。」
「どうしたの?」
「ルティがここで派手に珈琲をこぼした記録が現れました。」
ルトゥェラが「はあ!?」と声を上げ、エダをにらみつける。
「それも思い出だろ?」
「わすれなさいよっ!」
「結構大変だったんだぞ?その日の記録探し出して、いい感じに風化させて、データとして盛り込むの。」
「人の失敗を思い出に入れてんじゃないわよ!」
言い合っている二人をよそに、アイはもう一口珈琲を飲み込んだ。
「あ…今度は数式が流れ込んできました。」
「なによそれ、エダ、真面目に作ったの?」
「真面目に決まってんだろーが。珈琲飲んでると数式思い出すだろ?なあ。」
当たり前のように言われて、振られたセイゴはうーんと困った顔で考えている。
「え?じゃあ、ニックは?」
「普通数式は思い出さないかな?」
嘘だろ?と絶句するエダに、メリサが小さく声を掛けた。
「それ、多分一緒に勉強してた頃の記憶じゃない?」
そういえば珈琲を片手に数学を教えたことがあったと思い出す。
「あ…。」
とまたアイが動きを止めた。
「今度は何?私は小動物の映像入れてって頼んだんだけど。」
「私はオープンカフェの風景とか森とか。」
「暖炉も入れてくれた?」
全員の意見を盛り込んで作ったプログラム。飲み物を飲むと思い出すものの一部を入れてある。ほんの欠片だけでいい。ヒントになる映像でも画像でも言葉でも。アイが「今のは何だろう」と考えるだけで関連する記録が引っ張られてくる。
「ここで皆さんがくつろいでいた風景を思い出しました。…暖かい…珈琲です。」
肉眼で目的地が確認できる頃には学生のような勉強の時間は殆どなく、実際の開拓の手順を確認したり練り直したりと話し合いをすることが増えた。その惑星の環境が地球に酷似しているのは確実だとデータが告げている。しかし、だからと言って簡単にその大地に降りていいかと言えばそうではない。
「あ、ほら、まただ。これ、何だよ。」
エダが顔を顰めてリアルタイムの観測データを眺める。
スーザンは困り顔を向けて「こっちが訊きたいわよ。」と返した。
環境は地球と同じはず。だが不可解なデータが時折飛び込んできた。
「今度は高熱?それとも電気?」
モコがちょっと笑ってそう訊いた。
「笑い事じゃないのよ。訳が分からないんだから。」
スーザンはモコの様子に呆れながら、エダの指さす場所を覗き込む。
「低温。零下。周りの気温は変わらず、この一点だけだ。」
地表を観測していると度々そんなデータが取れた。局所的、一時的な急激な温度変化、時には雷のような瞬間的な電流。
「これどうすんだよ。場所も特定されないし、原因も解らない。人間が暮らすには危険すぎる。」
「…何もない時は穏やかなんだけどね。災害規模でもないし。」
不思議なのは、その変化の直後にはもう何もなかったかのように元に戻っているということだ。当初、急激に温度が上がったのを見つけた時は、マグマの噴出、つまり噴火ではないかと予想を立てた。しかし、その後の観測でそれはあり得ないと分かった。
「地表にはなんも変化なし、まるで空気中でいきなり炎が上がったみたいに…。」
「メタンガスとか、可燃性のガスが爆発したんじゃないのか?」
「それはあるかも。でも、だとしたら、いつどこで爆発するかわからない環境で、まともに暮らせるとは思えないわね。」
「高温はそうだけどよ。低温は?なんでいきなり空気が冷えるんだ。周りに原因になるようなこと起こってないぞ。」
「急激な…気圧変化とかは?上昇気流とか。」
「観測されてない。」
ああでもないこうでもないと言い合う中、ルトゥェラがメリサに合図して部屋から出た。
「困っちゃうわね。すんなり暮らせそうかと思ったのに。」
追いついてきたメリサを振り返ってそう言った。
「うん。で、どうしたの?」
「うーん、相談。」
気象学、地学などに明るくないルトゥェラは先程の話し合いの輪にいても仕方ないと判断して、自分の抱えている問題を取り敢えず話しておこうとメリサを連れだしたのだった。
向かった先は菜園。
「私のミッションにね、地球の植物が現地で育つかの実験と栽培があるんだけど…。」
「あ、そうだね。私も見た。」
畑を見降ろしてルトゥェラは眉を顰める。
それを見てメリサは首を傾げた。
「気が進まない?」
「そう。」
学校で習わなかった?と彼女は言う。
「外来種の持ち込み禁止。これって常識でしょ?」
「…うん、それはちょっと気になってた。」
「ちょっと?…意外だわ。メリサ、わりと割り切りできるのね。」
地球上での新天地の開拓に置いて、外来種を持ち込んだために環境が激変した例は沢山ある。動物にしても植物にしても、新しい種が入り込むことで在来種が大ダメージを受けるのは歴史上明らかだ。
「人間が住める環境を整えるのが目的だから、ある程度は仕方ないかなって。…私もちょっと意外。ルティ、そういうの気にする方だった?」
言われて思い切り顔を顰める。
「何よ。私はルール違反上等だって?」
「…ごめん、わりとそんなイメージ。」
「意味のないルールを強いられたら反発するわよ。でも、納得のいくルールは守るのが正義だって思ってる。」
外来種の持ち込み禁止は、彼女の中でしっかりと納得できたものだった。
「地球上で、人間の移動でそれが起こるのは仕方ないし、止めることも難しいし、ある意味人間の行動も地球の自然の一部だから、起こってしまった過去はどうこう言うつもりはないわ。でも、これから行くところは、本来地球の動植物が辿り着くわけがない場所でしょ。そこに地球のものを持ち込んで、あの星の自然を壊したらどうなる?」
うまく共存してくれればいいが、そういかないのは地球上の開拓で答えが出ている。
メリサは、うーんと唸ると「じゃあさ、実験はとりあえず船の中でやるのはどう?」と笑顔を向けた。
「取り敢えずはね。でも、私達、不利な立場よ。多分、どう転んでも悪者にされる。」
「え?」
開拓の為に地球の植物を植えて将来自然が壊れたら、おそらく人々は最初にそれをやった者に責任を求める。だからと言って開拓の計画を勝手に変えて、現地の植物で食料を調達することにしても、うまくいかなくなれば開拓者の責任にするだろう。エダたちが議論していることだって、住める環境を確保できなければ責任追及はこちらに向けられる。
「定期連絡は送ってるけど、地球に着くのは一年後、返事が届くのはその一年後。いままで、返事は来てない。あのニールセンって学者の話を信じるなら、あと五年くらいで地球は住めなくなる。で、避難民が来るのがその五年後。今から十年で避難民が住めるようにしなくちゃいけないの。」
「食料確保…。」
「割り切って植えちゃえばいいかもしれない。何とか共存してくれるかもしれない。うまくいけば環境を壊さずに根付いてくれるかもしれない。…これって勝手な希望的観測よね。」
畑の前でしゃがみ込み、ルトゥェラは自分の膝を抱くようにして顔をうずめた。
「責任って重すぎるでしょ…。」
その横に同じようにしゃがみ込み、メリサはしばらく考える。頬杖をついて笑った。
「おいしそうなもの探そ。」
「メリサ…。アンタね。」
「食料確保すればいいんでしょ。食べられるもの探して、それを栽培する。地球のものは船の中か、できそうならハウス栽培オンリーで。」
ルトゥェラは「ふふっ」と笑って顔を上げた。
「暢気者。…でも、ありがと。ちょっと落ち着いた。」
だいたい、とエダは息巻く。
「あの学者野郎、放り出すだけ放り出して一度もメッセージ寄越さねえじゃねえか。」
相談したいことは山ほどある。今決める必要がなくても、星に降りて開拓を始めるときには方針を決めなくてはならない。
「こっちで判断できることはしろってことだろ。てか、そうするしかない。そのために専門知識を叩きこまれたんだ。」
ニックの言にルトゥェラが顔を顰める。
「で、あとで来た政府のお偉いさん方に、勝手なことをしたって怒られるんでしょ?」
少し詰まってニックが返す。
「…それは、あの学者が責任取るべきだろ。勝手に俺たちを送り込んだんだからさ。」
「責任、取ってくれるかしら。」
スーザンがそう言って溜め息を吐いた。
確かに、とセイゴも渋い顔をする。
「そもそも僕たち、凶悪犯ってことにされてるんだよね。そこの説明も、ちゃんとしてくれるかどうか。」
「当てにしない方がいいかもね。少なくとも、開拓した英雄、なんて扱いはしてもらえないと思う。」
モコがそう言うとエダはまた毒づいた。
「畜生、今更ながらあの学者、信用ならねえ。」
話し合いの輪にアイも入っている。メリサはニーナをチラッと見遣ってから、アイに小声で言った。
「あの、ごめんね。ニールセンさんの悪口、あんまり聞きたくないよね?」
「そうよね。ごめんなさいね、アイ。」
二人が自分に向けて申し訳なさそうな顔をしたのを見て、アイは「どういうことですか?」と返した。
「え、だって、アイの親みたいなものなんじゃないの?」
「私の製作者という意味でなら彼は親ということになりますね。ですが、私の中では彼は製作者として名前が挙がっているだけで、それ以上の意味はありません。」
そっか、と二人はホッとして笑みを見せる。
「ですが、他者への悪意はあまり好ましいものではありません。度が過ぎれば指導はします。」
はいはい、とエダが両手を上げた。
今日はこのくらいにしましょう、というアイの言葉で皆小さく息を吐いて立ち上がる。各々が部屋に戻っていく中、エダが足を止めてアイを振り返った。
「アイ、あんた誕生日ってあるのか?出来上がった日、とか。」
消えかかっていたホロがまた濃くなって形を保つ。
「度々修正が加えられたので、完成日というものは設定されていません。」
ふーん、と特に興味はないような素振りでエダは退室した。
もう5年経つね、と言ったのは誰だったか。これまでメンバーの誕生日もささやかに祝う程度で淡々と過ごしてきた8人だが、ルトゥェラがパーティーをしようと言いだして、急に沸き立った。
「でね、この日は美味しいモノ食べて、飲んで、ゲームして、楽しもうって話になったの。空けてくれる?」
「全員の予定をキャンセルして別の日に調整すればいいですね?」
「そうそう。」
アイにスケジュール調整を頼むと、メリサとルトゥェラは何を食べようかと相談を始めた。時折アイにも話題を振って、相談をする。
別の部屋、観測機の調整をしているエダにモコが小声で話しかけた。
「で、どう?」
「まーなんとか。」
そう答えてモコの様子を少し笑う。
「声ひそめたって全部録音されてるって。変な様子見せたら逆に観察対象になっちまうぞ。」
会話は全て保存されているが、取り立てて気になることがなければアイも閲覧しない。ただ保存されているだけのことだ。それでも秘密にしておきたいことがあるときは、別部屋でアイに何かしらの頼み事をすると少しだけ注意がそがれるということがこの数年で分かった。
「ファイルチェックが次の日で良かったね。」
月に一度のファイルチェック、その時に開示を拒否すると処罰対象になる。
「ああ。大体のプランは頭の中にあるんだ。当日までに仕上げるさ。」
「僕にできることある?」
「そっちに送ったデータで微調整頼む。」
「了解。」
「ねえ、アイ、おすすめのケーキってある?」
「この船の中で作ることのできるケーキは数十種、バリエーションも含めれば数百になります。オートで製作可能です。特別な装飾をつけたければ手を加えることもできます。」
「うーん、おすすめを聞きたいんだけど。」
「製作の手間はオートなので差はありません。味については皆さん好みが違いますし、私には味わうことが出来ないので分かりません。」
「じゃあ、見た目が派手な奴。」
「色彩的にはこの辺りでどうでしょう。」
そう言って出された画像は原色の色とりどりのケーキだった。
「…確かに、派手ね。」
「アイ?それはちょっと食欲がわかないかも。原色は無し。飾りがごちゃっとしてるのとか、きらびやかなのとか。」
「あ、あと、逆に派手さはなくていいから高級そうなのとか。」
二人から出される条件に合うものをデータの中から選び出して次々に映し出す。その間、アイのホロは人間のように考えるそぶりを見せた。
その様子を眺めて、メリサは呟くように聞いた。
「アイは、どんな時が楽しい?」
突然の話題の変更に一瞬の間を見せ、アイはメリサの方を向いた。
「楽しい、という感覚は私にはわかりません。」
感情というものがAIにあるのか、議論をするにはメリサには知識が足りない。以前そんな疑問をエダに投げかけたときは、作ることはできる、というような返答だったと覚えている。
ケーキの画像を見ながら、ルトゥェラもその会話に混ざった。
「笑顔とか悲しげな顔って、やっぱプログラムされてるからそうなるの?」
またアイは考えるそぶりを見せる。
「そうですね。皆さんの様子を観察し、状況を判断し、それに合う表情を作り出します。」
「ほら、その考えてる感じとか、質問されると必ずそうなるわけじゃないわよね?」
「その時々の状況に応じた反応になっています。相手がどう受け取るか、というようなことも加味しますので話している相手によっても変わります。」
ふーん、と二人は少し考えを巡らせた。
「でも…。」
「それって人間も似たようなもんだよね。」
「相手によって相槌や返事の仕方って変わるよね。やっぱりいい印象を与えたいし。」
「相手の反応を逆手にとって何かをさせるために、真逆のことをやったり…は、アイはしない?」
そうですね、と熟考するふうにアイはゆっくり答える。
「相手の行動を狙って反応を変えることは充分にありえます。」
「ありえます、か。やったことはない?」
「皆、素直な方ばかりですから。」
「あ、今ちょっとお世辞入れたでしょ。」
ルトゥェラが意地悪な笑顔を向けた。それを見てメリサは笑う。
するとアイの表情が一秒ほど消えた。
「今のは、罰則を与えるほどではなく、こちらが操作するまでもないという…いえ、そう、お世辞かもしれません。」
ふふっとメリサはまた笑った。
「ほら、ルティ、アイが困ってるよ?」
「アイ、真面目よね。適当に流していいのよ、今のは。」
「そうでしたか。でも誤解を与えたのではないかと。」
「お世辞かもって言いなおしたのはどうして?」
それは、と口ごもる様子を見せるアイにルトゥェラが「いいよ。なんとなく分かってるから、言って。」と促した。
「説明をすることでこちらのルトゥェラに対する評価が伝わって、本人が気を悪くするのではないかと判断したためです。判断が遅すぎました。すみません。」
「いいよ、別に。なんかね、そういうとこがわりと人間っぽいから、感情も普通にあるように見えるのよね。」
うん、とメリサが頷く。
「返事に困るっていうのは感情ってことになるんじゃないの?」
「そう表現することはできると思います。」
「思います。」
「それは言葉の選び方であって、私のプログラムがあなた方のように思っているわけではないと思われます。」
「あ、思われますだって。変えてきた。」
アイが微妙に表現を変えたことにルトゥェラはうーんと唸った。
アイは笑って見せる。
「私は皆さんに誤解を与えたくありません。なるべくフラットに、物事を受け取ってほしいのです。」
「人間と同じように見られたくない?」
「その表現は誤解を生みますね。誤解を与えてはいけない、と私のプログラムが言っています。」
メリサが首を傾げる。
「さっきの『感情と表現することはできる』っていうのは誤解を与えることじゃないの?」
ハッとした表情のアイ。
「そうでした。すみません。」
「謝らないでよ。誤解してないから。誤解する可能性があったかもしれないけど、ちゃんと伝わってるから。それも私たちなら伝わると判断してそう言ったってことなんじゃないの?」
「そうですね。過去ログをさかのぼると、そう判断したようです。」
瞬時にデータをさかのぼって解析したことに二人は驚いたが、そうやって記憶をたどるのも人間っぽいと思える。
メリサがまた質問をした。
「楽しい、は難しかったかな。じゃあ、アイがとても良いと思う状況ってどんな時?」
アイは少々困った顔をした。感情についての質問に誤解を混ぜずに説明するのが難しいと判断したのだろう。
「とても良い、ですか。そうですね。皆さんが談笑して、争いがないひとときはとても良いと言えます。」
にっこりとメリサは笑う。
「だよね。私もとても良いと思う。」
「ファンタジー脳なんだか、SF脳なんだか。メリサそういうの好きよね。」
呆れた風のルトゥェラにちょっと不服そうな顔を向けるメリサ。その様子を見たアイは優し気に笑った。
徐々に近付く目的地の様々な謎を解く方法を議論する一方、5周年のパーティーの準備も着々と進んでいた。
「名目は?まさか、私達宇宙に放り出されました記念日?」
スーザンが真顔のまま茶化すようなことを言う。
「はいはい、何でもいいわよ。なんならそのまんま横断幕にでも書いてあげようか?」
ルトゥェラの応戦にニーナが苦笑いを向けた。
「もう、パーティーの名目なんていいじゃない。必要なら、私たちが出会った記念日にしよう?」
いいね、とメリサが同意する。
「出会いの記念日だね。」
すると示し合わせたようにスーザンとルトゥェラが声を合わせた。
「ロマンチック~」
もう、とニーナが頬を膨らませた。
「飾り付けなんてするつもりかい?資源の無駄遣い。ホロでいいじゃないか。」
「…やっぱりもったいないよね。ゴミも出るし…」
地球ではホロの機械があっても、縁起物だとして実際に飾り付けることが多かった。ゴミも最終的に燃やすことで厄を払う意味が込められていて、やめるべきだという意見が出ることも少ない。だが、ここは限られたスペースで物質の循環を完結しなければならない。ゴミは極力少量にすべきで、環境の中で循環させられないものは作り出すべきではない。
派手を好むルトゥェラと何かと物語のような空間にしたがるメリサが実際の飾りつけの方法を探していたが、セイゴの正論で即却下された。
「アイ~、部屋の飾りつけよろしく。やってみて。」
「はい。これでどうでしょう。」
パッと部屋に装飾が施される。
「ほら、簡単じゃないか。」
「簡単だからいいって話じゃないの!」
セイゴの一言にルトゥェラが口を尖らせた。だよね、とメリサもルトゥェラに同意する。
「もうちょっと光量落として。あとあっちはちょっと色変えてみて。」
モコが注文を付けると、他の面々もあれこれ言い始めた。
「ここにこう、斜線が入るように光当てて。」
「あ、じゃあ、こっちはね…」
飾りつけに興味のないエダはニックを誘って星空の見えるデッキに向かった。
「続きか?」
「おう。ちょっとうまくいかないとこがあってよ。見てくれるか?」
「エダが分からないんじゃ俺ムリだろ。」
「目を皿にしてプログラムを見るのには人数がいるんだよ。」
うげ、とニックは天を仰ぐ。
「人数がいると言いながら、俺とお前の二人かよ。モコも呼べよ。」
「今話の輪にいたから連れ出すわけにいかなかったろ。」
アイに訝しがられる、という言葉は言わなかった。暗黙の了解だ。
「エダ、少々質問があります。」
一人になったところにアイのホロが現れてそう言った。
内心警戒しながら、しかし表情に出さないように気を付けて彼は返事をする。
「なんだい?」
「最近何かプログラムを組んでいるようですが、何をしているのですか?開示がされていません。」
「あー、アレね。」
視線を上げて聞かれて思い出した風にしながら返事を考えた。
「ちょっとさ、自信がないから内緒。うまくいくかテストしてからでいいか?ファイルチェックまでには開示するよ。」
「構いませんが、何故秘密にする必要があるのですか?」
「失敗したら恥ずかしいだろ。…ヤなんだよ、恥かくの。」
ちょっと拗ねたような顔をしてみる。
「私は笑ったりしませんよ。」
「そういう問題じゃねーの。ヤなの、俺が。」
拗ねた顔に少し怒った様子を出した。
「そうですか。分かりました。きちんと期日には開示をお願いしますね。」
「おう、なんか、悪いな。」
そう答えたときにはホッとして、安堵した様子が出てしまう。そこを突っ込まれたらヤバいと思いながら、アイを窺うと特に疑う様子はなかった。
「エダ、何か悩みがあるなら相談に乗りますよ。以前のような失敗はしません。」
どうやら別の方向に勘違いしたらしく、そんなことを言った。
「失敗?」
「はい、告白のやり方は違ったようでしたね。」
メリサに告白をした時のことを思い出し、エダの顔は一気に染まった。
「そんな前のことはいいからっ!」
「そうですか?とにかく相談はいつでも受け付けますよ。」
「お、おう、サンキュ。」
そして、パーティー当日がやって来た。
「モコとエダは?まだ来ないの?」
「準備が出来てないって。」
スーザンが、二人がいないことに気付いて不服を言うと、アイは「様子を見てきますね」と言った。
「待って!!ダメ!!」
即座にメリサが声を上げる。
「アイ!えっと、アイはその…用事があるの。だからここに居て。」
ここに居てとお願いしても、アイは人間とは違い瞬時に別の部屋に移動できる。ここにホロの体があるからと言って、他の部屋に出現させられないわけではない。もう飛んでいてもおかしくないのだが、メリサの様子に違和感を覚えたアイは、数秒の思考のあと、取り敢えず従うことに決めた。
「どうしたのですか?メリサ、心拍数が上がっています。体温は…少し下降しているようですね。」
どんな用事を言えばいいか必死で考えてはいるが、思いつかずしどろもどろになっている。
ニーナが助け舟を出した。
「アイ、食器の準備をしたいから数の確認と、飲み物の準備を手伝って。他にも飾りつけで変えてほしいところもあるし。二人はすぐ来ると思うから、準備終わらせよう?」
「アイ、ここの装飾やっぱもうちょっと大きくしたいんだけど。」
セイゴも続けて言い、その後にニックやルトゥェラもこまごまとしたことを頼みだした。
「分かりました。しかし、皆さん様子が変です。何か隠し事があるようですね。」
あちゃー、とセイゴが声を出し、スーザンは肩をすくめる。
「もう、仕方ないわね。」
「何よ、スーの所為じゃない。」
スーザンは、はいはいと認めてアイを呼んだ。
「アイ、疑わなきゃいけないようなことじゃないわ。種明かしはすぐするから。」
「あなた方のことは信頼しています。ですが、不明瞭な行動はペナルティに関わります。」
船の中の規則は随分とゆるくなった。軽微な違反が命にかかわるようなことはまずない。しかし、アイが全ての機能を掌握したかと言えばそうではなく、まだ古い基準で動くシステムもあるのだ。そのシステムが彼らの行動を是としなければ動き始める可能性もある。船内のいたるところにある機銃や毒ガス噴出口は、簡単には作動しないようにアイが管理しているとはいえ、決定権の上位は旧システムのままなのである。
「ごめんね、心配かけて。」
申し訳なさそうにメリサがそう言うと、「心配」とアイは復唱した。
「注意を促しています。」
「それは、私たちが危ない目に合わないようにするためでしょ?」
「はい。あなた方の言動が、システムの倫理に反しないように常に観察し、誘導します。」
「それは心配と呼んでも差し支えないと思うよ。」
「感情という意味での心配なら、当てはまりません。」
うーん、とメリサは考える。
「そうか、そうかもね。でも、私は厳密な意味で喋る必要性を感じないから。いいよね、心配で。」
「必要性ということなら、確かにすべてを厳密に判断するのは労力的にも良いとは言えませんね。」
メリサはにっこりと笑顔を見せた。
「すまない、遅くなった。」
入ってくるなりそう言ったエダは、部屋の空気が微妙な雰囲気であることに気付き、足を止めた。
「どうしたの?」
モコも立ち止まってキョトンとしている。
ごめんなさいというスーザンの謝罪の言葉は溜め息交じりで、特に謝罪の気持ちは入っていない様子だ。
「ばれちゃったのよ。隠し事が。」
「エダ、モコ、あなた方も関わっているのですか?」
アイの言葉に小さく肩をすくめて、エダとモコは顔を見合わせた。
「もう始めるんだしいいだろ?サプライズのつもりだったんだが。」
「だよね、アイ、誕生日おめでとう。僕たちプレゼントを作ってたんだよって話は聞いた?」
アイのホロは直立のまま、目を二三回しばたたかせた。
「今日は誰の誕生日でもありませんが、どういうことでしょうか。」
「アイの誕生日だよ。僕たちと出会った日。あの日以前からキミが存在してたのは分かってるけど、作り主以外の人間と接したのはあの時が初めてでしょ?」
製造年月日でも分かればその日を誕生日にしようと思っていたが、アイ自身そこはあやふやだった。どうやら何度も不具合修正や書き換えが加えられたらしく、最後に手を加えられた日も完成日としての登録はなかった。必要があればまだ修正をするつもりだったのだろう。
「だから、今日がアイの誕生日にしようってみんなで決めたんだ。迷惑だったか?」
モコに続けてエダがそう付け加えた。
「いえ。皆さんの総意なら問題ありません。五年前の今日を私の誕生日と登録します。それで、隠し事は以上ですか?」
エダはそう訊かれて、おや?というような顔をする。
「なんだ、バレてないじゃねーか。これ。アイも知りたがってたろ?今から開示するから。」
そう言って部屋の隅にあるコンピュータ端末に持って来たプログラムを入れた。
「誕生日おめでとう。これが俺たちからアイへのプレゼントだ。」
「さあ、始めよう。飲み物を入れてよ。」
「そうね。音楽を掛けてくれる?アイ。」
言われるまま音楽を流し、皆が慌ただしくパーティの開始準備に動き回るのを傍観しながら、プレゼントであるプログラムを確認しようとファイルにアクセスを試みる。
「あー、アイ、ちょっと待ってくれ。俺が準備するから。」
「あなたは開示をすると言いました。」
「せっかくだからさ、プログラムの中身じゃなくて、こっちを見てくれよ。」
そう言ってエダが操作をすると、本物のドリンクサーバーの隣に小型のドリンクサーバーのホロが現れる。
「みんなの分の飲み物、準備できたか?」
「オッケー。さ、アイも一緒に飲も?何がいい?」
またもやアイは目をぱちくりと動かした。
「私の飲み物が出てくるんですね?」
「そう。珈琲と紅茶、ジュースも数種ある。」
「ごめん、お酒は一応考えたんだけど、酔って支障が出ると困るからやめたんだ。」
モコの言葉にアイは小さく笑って見せた。
「私は人間のように酔うことはありません。それに、本物ではないでしょう?」
ホログラムのドリンクサーバーで出てくるのは勿論ホログラムの飲み物だ。たとえお酒でも、何の支障もない筈だとアイは予想した。
ニッとエダが笑う。
「そう馬鹿にしたもんでもないんだぜ?ま、好きなボタン押してくれよ。」
「馬鹿にしたつもりはありませんが、皆さんをお待たせしていますね。では、珈琲を。」
アイはホロの体を動かし、その指先でドリンクバーのボタンを押した。
ゲームの出現エフェクトのような光とともにカップが現れ、そこに液体が注がれる。見た目はカンペキだ。
よし、とエダが片手を握りしめた。
「さ、乾杯しましょ。出会いの記念日とアイの誕生日に乾杯。」
スーザンの掛け声をかわきりに、皆も口々に乾杯やおめでとうを言い合う。アイもそれに合わせて乾杯を言い、珈琲のカップを口に近付けた。
口に付く寸前、アイは動きを止める。
「これは…」
「香り。どうだ?」
「前世紀のブラジル産カドテアズール。」
「検索はかけないでくれよ?取り敢えず飲んで。」
「はい。」
口に付け、カップを傾ける。ほんの一口飲んで、アイはハッと目を見開いた。
「程よい甘み、優しい甘味、ほのかなコクと苦みの調和が素晴らしい。風味豊かでいてすっきりとした飲みやすさがあります。」
味の評論のような文句が出てきたことにニーナが驚く。
「すごーい。味が付いてるの?」
「いや、今のおもっきり資料がそのまんま出てきたでしょ。」
「一応、味として付けたんだが…。真っ先にそれが出たか。」
どういうことですか?とアイがエダに尋ねたが、もう一口飲むよう促されただけだった。
そしてもう一口。
「あ…。」
「どうしたの?」
「ルティがここで派手に珈琲をこぼした記録が現れました。」
ルトゥェラが「はあ!?」と声を上げ、エダをにらみつける。
「それも思い出だろ?」
「わすれなさいよっ!」
「結構大変だったんだぞ?その日の記録探し出して、いい感じに風化させて、データとして盛り込むの。」
「人の失敗を思い出に入れてんじゃないわよ!」
言い合っている二人をよそに、アイはもう一口珈琲を飲み込んだ。
「あ…今度は数式が流れ込んできました。」
「なによそれ、エダ、真面目に作ったの?」
「真面目に決まってんだろーが。珈琲飲んでると数式思い出すだろ?なあ。」
当たり前のように言われて、振られたセイゴはうーんと困った顔で考えている。
「え?じゃあ、ニックは?」
「普通数式は思い出さないかな?」
嘘だろ?と絶句するエダに、メリサが小さく声を掛けた。
「それ、多分一緒に勉強してた頃の記憶じゃない?」
そういえば珈琲を片手に数学を教えたことがあったと思い出す。
「あ…。」
とまたアイが動きを止めた。
「今度は何?私は小動物の映像入れてって頼んだんだけど。」
「私はオープンカフェの風景とか森とか。」
「暖炉も入れてくれた?」
全員の意見を盛り込んで作ったプログラム。飲み物を飲むと思い出すものの一部を入れてある。ほんの欠片だけでいい。ヒントになる映像でも画像でも言葉でも。アイが「今のは何だろう」と考えるだけで関連する記録が引っ張られてくる。
「ここで皆さんがくつろいでいた風景を思い出しました。…暖かい…珈琲です。」