開拓史

6凪いだ海

 エダとルトゥェラが付き合い始めて数か月が経つ。
 当初、動揺してぎこちない態度を見せたメリサも今では何事もなかったかのようだ。以前は頻繁にエダに勉強を教わっていたが、それもなくなり、何とか一人でこなしていた。

(案外できるものなんだ。頼って甘えていただけだな…)
 解らないことが無くなったわけではないが、アイに聞けば済むことだった。
「ステージ8、終了しました。メリサ、次回は次の単元に入ります。」
「はい。…アイ、私は生徒としてどう?」
「どう、とは? 成績のことでしょうか。」
「…う…ん、つまりはそういうことになるかな? デキはいいかどうか。」
「充分な成績を収めています。予定から大きく外れることもなく、順調に進んでいますよ。」
 ありがと、と礼を言って、メリサは部屋を出た。

 レストルームには他の面々が揃っていた。それぞれの日程がすべて終わったようだ。
「おかえり、メリサ。何か飲む?」
「ただいま。自分で入れるからいいよ。」
 立ち上がろうとしたニーナを制してメリサはドリンクサーバーに向かう。その後ろからルトゥェラが声を掛けた。
「今日は言語学だっけ?」
 言語学を学んでいるのはメリサだけだ。自分にかけられた言葉だとすぐにわかって紅茶が注がれるのを眺めたまま返事をした。
「うん。結構進んだよ。」
「頑張ってるのね。でも、前から思ってたんだけどさ、」
 メリサがカップを持って振り返ると、ルトゥェラは頬杖をついて思案するように口を尖らせていた。
「この計画に言語学って必要なのかしら。」
 途端にドキッと胸が鳴った。
 その疑問はメリサの中にもあったものだ。そして、それと同時に思い浮かぶもう一つの疑問が、彼女の胸を締め付ける。
 だってさ、とルトゥェラは続けた。

 自分たちが向かっている惑星は探査されたこともなく、ほとんど何もわかっていない。ただ、観測された数少ない情報をもとに「地球と似た環境なのではないか」と推測されただけだ。
 しかし、この船が距離を縮めるにつれて、観測結果からわかる情報は増えている。
「ねえ、スーの見立てだと、知的生命体はいなさそうなんだよね?」
「まあね。でも、地底に居るという可能性はあるわよ? 外は自然のままで、大気にも汚物を漏らさず、つつましく暮らしている、とか。」
「でも、おそらくいないってこの前言ったじゃない。」
「ん~、まあ、私の見解では、ということ。」
 スーザンはそう言葉を濁した。
「まあ、居たとしても、よ。」
 知的生命体がいないから言語学が必要ないと言いたいわけではなく、とルトゥェラは言う。
 居たところで、人間の言語ルールが役に立つのかどうか。むしろ役立たないと考えるのが妥当ではないか。
 メリサは少し困ったような顔をして笑った。
「それ、私も思ってた。」
「あ、やっぱり?」
 そうなるとさ、とまたルトゥェラは話を発展させた。
「メリサの役目って、かなり二次的なものじゃない? 勉強してる内容が…」
 そう、そうなのだ。メリサは触れてほしくない問題に話が及びそうになっているのを感じて、目を伏せあまり深く考えないようにしながら彼女の言葉を聞いた。
 他の7人は、気象学、地学、天文学、植物学、動物学、医学など、新天地で生きていくために必要であろうことをそれぞれ専門的に学んでいる。それぞれが補い合うために、一つを主に深く、あと二三を補助的に浅く学ぶ。
 メリサだけは少し違っていた。言語学を主に、そして、他のメンバーが学んでいる全ての学問を浅く広く学べるよう、カリキュラムが組まれていた。
「別にいいと思うのよ。どの分野でも補助に入れる人材を確保しておくのは。でも、だとしたら…」
 立ち去りたい衝動に駆られながら、メリサは平静を装った。
「どうして、メリサが社会不適合者だと言われて船に乗せられたのか。そう思わない?だって、こう言っちゃなんだけど、この計画にどうしても必要なのって、メリサよりもエダでしょ? メリサを選んだ理由が分からないわ?下手をすれば、エダはメリサと離縁をして船に乗らなかったかもしれないんだもの。」
 その通りだ。メリサは心の中で頷いた。考えないようにはしていたけれど、ずっと疑問だった。なぜ自分なのか。本当に自分は必要な人材なのか。
「ああ、それは性格の問題だろ。」
 そう答えたのはエダだった。
「俺は絶対に離縁しない。でももし逆の立場だったら、絶対に離縁しろとメリサに言った筈だ。そしてメリサは絶対にそれに従う。人数確保のためにはメリサを選ぶのが妥当だったってことだ。」
 人数確保。そんな理由で選ばれたんだと思うと陰鬱な気分だったが、それよりもその事実を突きつけてきたのがエダなのが今は悲しい。
 そんな思いを押し殺して、メリサは笑った。
「あー、なるほど。ずっと不思議だったんだよね。エダの方が数倍優秀だもん。あの学者さんだって、エダを選びたいはずなのにどうしてだろうって。」
 うまく言葉が出せたことにホッとして、紅茶を飲み干した。




 必要な人材ではなかった。そう答えが出て。

 私は何故、ここにいるんだろう。

 エダのパートナーだったから選ばれ、必要な人材であるエダを連れてくるのが私の役目だったのか。

 何故。


 そんな風に沈んではみても、もし自分が地球に残されていたらと思うとそれも怖かった。
 何も知らずに最後の時を迎えるのか、狂乱する人々と共に逃げる方法を探すのか。

(ううん、そんなことより。エダのパートナーだったからここにいるのに、なぜ私はエダのパートナーじゃないんだろう…)
「私は…選ばれたのに…」
 政府に選ばれてエダのパートナーになり、学者に選ばれて船に乗せられた。
 でも。
「エダには選ばれなかった。」
 呟いたのと同時に涙が零れた。

 やっとわかった。私は、エダに、選ばれたかったんだ。
 ずっと怖かった。エダが私を見限ってしまうことが。パートナーだから仕方なく隣に居るという事実に向き合うことが。

 ひとしきり泣くと、ようやく腑に落ちた。メリサは自嘲の笑みを浮かべ、これからを想った。




「ホントもうっ!あのバカ信じられない!」
 息まいてレストルームにやって来たのはルトゥェラだ。
「また喧嘩?もう別れなさいよ。」
 スーザンは呆れてそう言う。
 この数か月、エダとルトゥェラは毎週のように喧嘩をしていた。理由は様々、取るに足らないものから苦言を呈したくなるような一方の我儘やデリカシーの無い発言まで。いちいち聞くのも馬鹿らしく、スーザンは鬱陶しく追い払うように手を振った。
「はい別れます。もう決めたしお互いの合意にも至ったから。」
「え?ホントに?」
 ドスンと椅子に腰かけて、スーザンの前にあったカップのコーヒーを飲み干すルトゥェラ。
 ちょっと、とカップを取り返そうとしたものの間に合わず、スーザンの手は行き場を失った。
「もともとね、試しだったのよ。でも終わり。意味ないし。」
「試しね。なら納得。ホントにあなた達がうまくいくなんて誰も思ってないわよ。」
「出だしは良かったんだけどな~…メリサあんなのとよくパートナーやってられたわね。尊敬するわ。」
 すぐ傍の席で静観していたメリサは、急に話を振られて曖昧に笑った。
「エダは基本的に間違ったこと言わないから。」
「正論だろうが何だろうが、あの物言いがムカつくんじゃない!あー、別れるって話になって清々したわ。メリサもあんなのと別れて正解よ、正解。」
「あんなのって…。」
「あなたが甘やかしてたからああなったんじゃない?メリサ、全然反論しなかったでしょ。女は黙って言うことを聞くもんだと思ってるのよ、アイツ。」
「そんなことはないんじゃない?ルティの意見だってちゃんと聞いてたでしょ?」
「聞いてた!?あれで!?全然よ! 一応聞くふりはしても全く考えを変える気がないんだから。」
「自分と相手の意見を比べた上で、正しい方を選…」
「あー!!ほら、そうやって甘やかす!アイツはね、自分の意見を押し通したいだけなのよ!人の上げ足取ってねじ伏せるのがアイツの常套手段じゃない!メリサ、ムカつかないの!?」
「常套手段って…。エダはそんな人じゃ…」
「絶対あとでほくそ笑むやつだよ。人を自分の下に置いて気分良くなるタイプね。」
「なにそれ。」
「は?」
「エダの事なんにも知らないくせに。」
「なによ。あなたも私のこと馬鹿にするつもり?あー、そうだったね、あんた達ずっとパートナーだったもんね。人のこと見下すのも似てるんだ。へー、お似合いじゃない。」
 ルトゥェラの言葉にメリサは思わず立ち上がった。
「なによそれ!」
「何ってホントのことじゃない!二人して馬鹿にして。それなら別れなきゃよかったじゃない。あなたの所為で損したわよ。」
 ルトゥェラは、馬鹿馬鹿しいとでも言うように肩をすくめそっぽを向く。メリサは詰め寄った。
「私の所為!?ルティがエダと付き合ったのはルティの勝手でしょ!?」
「はあ?私が好きであんな奴と付き合ってやったと思ってんの?あんたが手綱引いてないからこうなったんじゃない!」
 相手の言い草に我慢が出来ず、メリサは彼女の肩口を掴んで引っ張る。勢いルトゥェラは椅子から立ち上がって、よろけながらメリサを突き飛ばすように押した。
 途中から喧嘩を目撃したニーナがスーザンに駆け寄ったが、スーザンは人差し指を口の前に立てて呟く。
「やらせておきましょ?メリサには必要なことよ。」
 ニーナは不安げに二人を見遣った。
 メリサはもう一度ルトゥェラに掴みかかって、そのまま二人で床に倒れ込んだ。二人がこんな喧嘩をするのは初めてのことだ。いや、つかみ合いなんてルトゥェラはともかく、メリサは生まれて初めてだろう。
「なによ!なによそれ!仕方ないでしょ!?私は選ばれなかったんだから!!ルティは選ばれたくせに!選ばれたくせに何わがまま言ってるのよ!!喧嘩しないで済む努力したの!?私からエダを奪ったくせに!努力もしないで文句ばっかり!」
「はあ!?奪ったってなによ!あんたなんにも言わなかったじゃない!別れたくないならそう言えばよかったでしょ!?」
「仕方ないじゃない!私は選ばれなかったんだもん!ルティは選ばれて!でも!私は選ばれなかったんだもん!仕方ないじゃない! …ルティなんか嫌い!ルティなんか!!」
 死んじゃえ。そんな言葉が口から出る寸前に、警告音とともにアイのホログラムが現れた。
「メリサ・アイム。やめなさい。自室謹慎を命じます。」
 茫然として動かないメリサに、アイがもう一度告げた。
「今日から三日間の自室謹慎を命じます。従わない場合は厳しく処罰します。」
 ルトゥェラの服を掴んでいた手をゆっくりと開き、メリサは立ち上がった。
「はい…。部屋に戻ります。」
 スーザンが部屋までの監視を申し出て、二人は退室した。
「ルトゥェラ・テレウス。あなたは24時間の謹慎処分にします。怪我はありませんか?」
「大丈夫。…アイ、メリサ、ちゃんと反省すると思うから、早めに出してあげて。…私も悪かったし。」
「罰の軽減はこちらが判断します。部屋に戻ってください。」
「はい。」


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