開拓史

5波紋


 自習時間になると二人で自習室に行くのが、エダとメリサの習慣になっていた。メリサが苦手な部分をエダは丁寧に教える。多少知識がなくても、教科書や参考書を開けば彼はすぐ理解して教えることが出来た。そしてメリサは一般的に言えば優秀な方だったが、常にエダの隣にいるために彼との能力差を実感することが多く、自分を過小評価する傾向にあった。
「ホント、ごめんね。いつも付き合わせちゃって…。」
「別に問題ねーって。俺の勉強にもなるし。」
 そう言われても、彼のやっている分野以外まで面倒を見てもらっていることを、メリサは気にせずにいられなかった。
 何年たっても変わっていない、そう感じていた。自分でなんでもできるようにならなくては、しっかりしなくては、と思っていた筈なのに、何もできていない。エダに迷惑を掛けたくないというのはただの自己弁護の詭弁で、本当はそんな覚悟なんて自分の中に存在しないのではないか、と自分自身を責めていた。
「お二人さーん、ちょっとお邪魔していいかしら?」
 メリサがまた分からない問題に手が止まり、エダが横から覗き込んだところで声が掛かった。声の主はルトゥェラだ。
「ああ、どうぞ?」
「よかったー。ちょっとわかんないとこ出ちゃって。私もエダに教えてもらいたいわ?」
 生物学なんだけど、と端末の操作をしながらエダの横の席に落ち着く。
「あ、私、もうちょっと自分で考えるからあとでいいよ。」
「あらそう?じゃあ、エダ、お願い。」
 これまでルトゥェラとエダはあまり接点がなかったが、婚約制度の廃止で意見の一致を見てから会話が増えていた。それは良いことだと、メリサは自分に言い聞かせる。というのも、彼女からしてみれば、互いに敬遠しているように見えた二人が、婚約制度が無くなった途端に距離を縮めたことに一抹の不安を抱いたからだ。
 メリサは常に不安の中にいた。それは自分が弱いからだと彼女は思っているが、問題の本質はそこではない。
「流石ね、エダ。とってもわかりやすいわ? メリサはいいわね。いつも勉強を見てもらえて。」
 他意なく言ったルトゥェラの言葉にも萎縮してしまう。
「…申し訳ないなとは思ってるんだけど…。」
「あら、どうしてよ。ラッキーだと思っときなさいよ。」
「…でも…。」
「マッチングで知り合った相手が、とても優秀な人だったっていうのはすごくラッキーじゃない。」
「…うん…。」
 会話が途切れてしまったことに困って、メリサは立ち上がった。
「休憩にしない?コーヒーでも飲む?」
 部屋の端にあるドリンクサーバーの前に行って少し振り返る。
「何がいい?」
「ラテをお願い。」
「エダはいつものでいい?」
「ああ。」
 気まずさを感じながら、メリサは操作ボタンを押した。が、何も出てこない。
「…あれ?…壊れたのかな?」
 首を捻っていると、エダが立ち上がった。それに気づいてメリサは慌てた。
「あ、食堂に行ってくるから待ってて。故障直すより早いでしょ?」
 そう言って小走りに自習室を後にした。


 ホッとしている自分を感じ、メリサはそのことにも溜め息を吐く。
 何故だかあの場に居たくなかった。少しでも離れられるなら、そのほうがいい。頭の中を整理しなくては、と考え始めた。

 ルトゥェラが嫌いなわけではない。むしろ好感を持っている。友達だと思っている。なのに何故、居心地が悪かったんだろう。彼女の言ったことが気に障ったんだろうか。いや、聞き方によっては嫌味にも取れる言葉も、彼女の場合、そんな意味合いは含まれていないことの方が多い。それを自分は知っているし理解している。それを嫌味だと感じているのだとしたら、それは受け取る側の心の問題であり…。

 まるでレポートを書いているかのような調子で思考していく。
 普段から人の気持ちには気を配っているつもりだ。しかし、彼女にとって一番理解しがたいのは自分自身だった。
 エダはことあるごとにメリサに意見を言わせようとする。それに応えようと頭の中を探しても、意見なんてものは見当たらないように思えた。やりたいことはあるし、我儘な時もある。でも、自分の考えがどこにあるのか、口から出た言葉が本当に自分の意見なのか、いつも分からなかった。



 メリサが部屋から出て行ったあと、エダはドリンクサーバーを修理すべく操作盤を開けていた。
「全然動かないの?」
 横からルトゥェラが覗き込む。
「ああ。おかしいな…普通こんなことない筈なんだが。」
 ありとあらゆる機械が自動制御され、不具合にも対応している筈だ。接触不良にしても、それを知らせる機能まで止まることは滅多にない。とは言っても船外の掃除ロボットの件もある。どこかに不具合がある筈だと念入りに調べていく。
 それをつまらなそうに眺めて、低い位置で機械の中を覗いているエダに視線を合わせるべくルトゥェラもしゃがみ込んだ。
「ねぇ、エダ。ちょっと、ね…」
 何か言いにくそうにしている彼女にエダが顔を向ける。
「何だ?」
「あんま二人っきりになる機会無いから、言っとこうと思って。」
 そこから一呼吸おいて、覚悟を決めたように口を開いた。
「…ありがと…。」
「は?」
 エダは何のお礼かわからず、思い切り訝しげな顔を向ける。
「…あれよ、…その…。この船に乗るとき、私、泣きわめいて暴れて迷惑かけたでしょ?それなのにあなた、私を抱えて乗り込んでくれて…。私が今ここで生きてるのは、あなたのおかげよ。…だから、ありがと。」
 言い終わると同時に立ち上がって背中を向けたのは、気恥ずかしさの所為だ。
 エダはキョトンとした後、返す言葉に困って「別に…。」とだけ言い、またサーバーの中を覗く。そして、しばらくすると振り返った。
「…じゃあ…俺も言っとかなくちゃな。」
「…何を?」
「…すまなかった。」
「…どれよ。」
 この数年で、エダに対して不満に思ったことは山ほどあった。だから何のことを謝っているのか、ルトゥェラには見当が付かない。
「…あれだよ。名前のことで、言わなくていいこと言っただろ、俺。」
 ああ、と思い出す。彼に対する不満の中で一二を争う出来事だ。
「あの後、ニックたちにさんざん言われてよ。謝れって。…まあ、遅くなったが…悪かった。今は、反省してる。」
「今は、ね。」
「ああ、あん時ゃなんで謝らなきゃなんねーんだって思ってたよ。」
 でしょうね、と顔を顰めて見せてから、ルトゥェラは笑い出した。
「ホント、あの時はあなたのこと大っ嫌いだった。ま、悪い奴じゃないってのはすぐ分かったけどさ。」
「俺もあんたのことは嫌いだったよ。」
「お互い様ね。」
 少し笑い合った後、大きく息を吐いてルトゥェラが「そう言えば」と話題を変える。協力が不可欠なこの船のメンバーの中で、少々ぎこちなかった関係が一つ解消されたことに彼女はホッとしていた。そのせいか変えた話題は気安さが過ぎた。
「あなた達、どうするの?これから。」
「…俺…達?」
「あなたとメリサよ。スーは、ほら、婚約制度なくしてもモコと恋人のままだって宣言したじゃない? あなた達はそういうの無いのかしらって思って。」
 エダは手を止めてパネルを閉じた。
「駄目だな。不具合はここじゃない。」
 そう言って立ち上がって元の席に歩いていく。
「あら、そうなの?…アイが様子見に来ないのも変よね。弄ってるのは分かりそうなもんなのに。」
「そうだな。後で報告しとく。」
 もう興味をなくした風に、エダは自分の教材に目を落としていた。
 それに倣ってルトゥェラも席についた。先程出した話題は特に興味を持っていたわけではないらしく、返事が返ってないことを気にも留めていない様子だ。
「…俺は何も言えない。」
 ぼそっと言ったその言葉がどこから来たものなのか、判断するのに時間を要した。
「…え?」
「メリサが何も言わないなら、俺は何も言えない。」
 やっと自分が振った話題の返事であることに気付き、ルトゥェラは相槌を打つ。
「へえ?意外ね。エダはもっと強引なんだと思ってたわ。『俺について来い』的な感じで。」
 エダはフフッと自嘲気味に笑った。
「それをやったら、アイツ嫌でも俺の言うとおりにするだろ。だから言えないんだよ。」
「…あー…。」
 確かに、という言葉は口に出さず、ルトゥェラは数年前スーザンと交わした会話を思い出す。『あの二人は規則で寄り添っているだけだ』そうスーザンは言っていた。
 やはりメリサはエダのことが好きではないのだろうか。エダはそれを知っているから繋ぎとめておくことが出来ないのだろうか。
「エダはどうしたいのよ。」
「…さあ…。…そうだな、アイツを自由にしてやりたい。」
「別れたいってこと?それ。」
「…そういうことになるかな…。」
 ルトゥェラは少し考えてから何か閃いた様子で得意げな顔を彼に向ける。
「いいこと考えた。私達、付き合ってみない?」
「は?」
「あー、お互い合わないのは分かってるわよ。試しにってこと。お互いの歩み寄りで、良い関係が築けるかもしれないでしょ?で、自然とメリサとは別れることになるわけだし。」
 エダはたっぷり数分考え込んで、「わかった」と了承の返事をした。






 メリサが小走りに向かってくるのに気付いて、スーザンは声を掛けた。
「メリサ、どうかしたの?」
 スーザンと一緒にいたニーナが彼女の手に持っている飲み物に目をやる。
「それ、どこに持っていくの?」
 ドリンクサーバーは大抵の部屋に設置されている。わざわざ持って移動する事態はそうそうない。不思議に思って訊ねたのだが、メリサは複雑な表情を浮かべて視線を逸らした。
「あの…ごめんなさい、これ、自習室に持っていってくれない?…私、急用できちゃって…。サーバーが壊れてたの。だから、…それで、…私、急いでるから…。」
 そう言ってトレーをスーザンに押し付けた。
「え…いいけど…。アイから呼び出し?」
「う…うん。そう。ごめんね。」
 メリサは目を合わせないまま、また走っていった。
「…どうしたのかな。」
「…さあ。でも、呼び出しは嘘ね。」



 メリサが飲み物を持って自習室に戻ると、開いたままのその部屋の中で、エダの隣に座ったルトゥェラが彼の頬にキスをしようとしていた。
 反射的に足を止め、気付かれないようにその場を離れ、その後出会ったのがスーザンとニーナだった。
 メリサの頭の中では何度も同じ思考が繰り返される。
 どうして。二人は仲が悪い筈なのに。関係が良好なのはいい事で、でも、私は、私は、エダの、何?
 部屋に逃げ帰り、暗いままベッドに潜り込む。
「アイ。」
 ポンッと音が鳴ってアイのホログラムが現れた。
「メリサ、どうかしましたか? 体調が悪いならメディカルチェックを受けることをお勧めします。」
「大丈夫、ちょっと疲れただけ。…だから、今日の予定は明日に回してほしいの。」
「はい。では、カリキュラムを組みなおします。他に何か要望はありますか?」
「食欲がないから、夕飯は無くていいから。」
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫。今日は一人にしておいて。」
「はい。明日、いつも通りの時間に起こしに来ますね。」
「うん、ありがとう。」
 では、という声を残してホログラムは消えた。
(婚約制度はなくなった。なくなったんだ。)
 混乱する頭を整理しようとメリサは頭の中で呪文のように唱えた。
(私は、エダの…なんでもない。)
 自由恋愛というのがどんな風か、想像してみたことはある。古いものならそういう物語も存在したし、憧れもした。でも、自分がそんな世界でどう行動できるかは、まるで分らなかった。
 ずっと彼と共に生きていくのだと思っていた。その努力もしていた。嫌われないように、呆れられないように、不愉快な思いをさせないように、迷惑を掛けないように。でも、うまくできなかった。
(だから、選ばれなかったんだ。)
 彼はいつもメリサに言った。自分の意見を言え、と。何を考えているのか、と。
 それに応えられなかった。
(エダは自分の意見が言える女性が好きなんだ。私はそうなれなかった。)
 だから当然だ、と納得する。
 そう思ってしまえば、彼がルトゥェラを選ぶのも自然なことに感じた。
(エダは何も悪くない。だって、もう私たちは婚約者じゃないんだもの。ルティも悪くない。自由恋愛ってそういうものだし。ルール違反をしていない二人を悪く言うなんてことの方が間違ってる。だから、この気持ちを持っている私が悪いんだ。)
 自分の出した結論に少し引っ掛かりを感じながらも、メリサは納得をして眠りにつく。でもそれは、それ以上考えたくなかっただけかもしれない。



 翌朝、メリサは仮病を使って一日休むことにした。アイを騙せるか少し不安だったが、なぜだか困るほどの追及はされなかった。
「大丈夫なの?」
 食事を運んでくれたスーザンが、呆れたような顔でそう訊いた。
「ごめんね。大したことはないんだ。…ちょっと…熱っぽくて…。」
「そう。」
 短く相槌を打って、「そう言えば知ってるかしら。」と続ける。
「…何を?」
「エダとルティ、お付き合いするそうよ? びっくりよね。」
 メリサは息を飲んで固まり、それでも冷静さを装った。
「そ、そう…。…なんとなく、…そうじゃないかなって思ってたところ。…そうだね、ちょっとは、びっくりした、かな。」
「あんなに仲悪かったのに、どれだけ持つかしらね。」
 そう言って笑ったスーザンに合わせて、メリサも笑って見せた。




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