開拓史

4事故


 事の起こりは、艦内に響く警報だった。
 それぞれの場所で勉強をしていた全員が、アイの指示に従って集まる。レーザーバリアの故障だと姿を現したホログラムが言った。
「でも、修理は自動でやってるんじゃないの?」
「ある程度は。でも、修理できなくても代替えがある筈だろ?」
 アラートを鳴らしただけのことはあり、緊急性があるようで、アイは止めどなく一連の問題を説明した。
 まず、船体を宇宙の塵から守るためのレーザーバリアの端子が一つ壊れた。普通はその端子がはめ込まれた外壁が裏返って反対側にある予備の端子がバリアを張るようになっているのだが、そのギミックが動かなくなっているという。
 アイが調べた結果、外壁の隙間にゴミが挟まり、それが邪魔になっているようだ。
「外壁の掃除ロボットがあるでしょ?」
「それに不具合が見つかりました。毎日稼働はしていましたが、どうやら不具合の所為でゴミが取り切れていなかったようです。」
 とにかく今は挟まったゴミの除去が急務だと知らされ、誰が行くかと言う話になった。
「俺がやる。ニック、補助を頼む。」
 エダが手を上げて、皆が納得しかけたところでニックが首を横に振った。
「いや、俺がやる。いいだろ?折角初めて船外活動するんだから、傘持ってるだけなんてつまらないよ。」
「お前な。どっちがやったって同じだろ?」
「じゃあ、俺でいいじゃん。決まり。」
 文句を言いたげなエダを置いて、ニックは楽しそうに走り出した。慌ててエダが追いかける。皆が笑って二人を見送った。
「二人に任せておけば大丈夫だね。」
 セイゴがそう言って、モコが頷く。
「壊れた端子が収納されたら、修理は僕が引き受けるよ。」
「他に役割ある?」
「二人に危険がないように宙域の監視は必要かな。」
「じゃあ、それは私とアイでやるわ。他の人は勉強に戻っていいわよ。」
 スーザンの言葉にメリサとルトゥェラとニーナ、そしてセイゴが頷いた。



 二度目の招集は、警報ではなかった。アイのホログラムが事態を知らないメンバーのところに現れ、大変です、と人間のように慌てて言った。
 一番離れた場所にいたメリサが到着した時、その場は緊迫した空気に包まれていた。
 ニーナがメリサを呼んだ。
「手術に関する知識は!?」
「器具の名前を覚えた程度…。」
 そう答えながら、寝かされているニックを見ると、左胸から腹部にかけて、血に染まっていた。
「無理だ…無理だよ…。」
 そう言いながら、セイゴが後ずさった。
 それを追いすがるように腕をつかんで、エダが言う。
「手術ったって、殆どオートなんだろ!?やってくれ!」
「駄目だよ…心臓に近すぎる…機械任せには出来ない…。…でも…僕じゃあ…。」
 船外活動で、目的の作業は問題なく終わった。しかし、船内に戻ろうとしたところで、運悪くバリアの隙間から入り込んだ塵が船体を傷つけ、尖った破片がニックの胸に刺さってしまった。
「じゃあ、どうしろってんだ!?お前以外にそんな知識があるやつがいると思ってんのか!?」
 医学を専門的に履修しているのはセイゴだけだ。ニーナも習ってはいるが、他の分野にも時間を割いていることもあり、彼の知識にはまだ遠く及ばない。
「だって、まだ模擬体での練習もしたことないんだ…。本物の人間の体を切り開くなんて…。」
「やるしかないだろ!?」
 セイゴも解ってはいる。自分以外に手術をこなせる知識を持った人間はこの船にいない。
「…わ、わかった…。今から模擬体で練習して…。」
「セイゴ!!」
 掴んでいた腕を引き寄せ、エダがもう一方の腕も掴んで顔を近づける。
「ニックを見ろ!!コイツはお前が練習している時間、もつのか!?」
 エダから視線を外し、ニックに顔を向けた。見るまでもなく、既に状態は把握している。
「…も…もたない…。」
「じゃあ!一か八かでいい!!やれ!!やってくれ!!誰もお前を恨まない!!このまま放っておいて死なせるくらいならやれるだけやってくれ!!」
 セイゴの唇が小刻みに震えた。
「セイゴ。」
 落ち着いた声でニーナが言う。
「私が助手をします。お願い。手術をして。」
「…わ…分か…った…。」
 セイゴの答えを聞くや否や、ニーナがてきぱきと指示を出す。
「メリサは準備を手伝って。アイ!手術の準備中にセイゴにおさらいをさせて。ニックを手術台に!急いで!」



 手術室が閉まり、外にいる4人はしばらく呆然としていた。
 アイが声を掛ける。
「皆さんは船の不具合の方をお願いします。」
「…そうね、待っていても仕方ないもの。出来ることをしましょう。」
 モコは船内に収納されたレーザーバリアの端子の修理をし、程近いところでエダが不具合のある掃除ロボットの部品交換を始め、スーザンとルトゥェラはその手伝いにあたった。
「…ねぇ、スー。」
 廃棄部品を片付けながら、ルトゥェラは心細げな声を出した。
「なあに?」
「…私ね、神様なんて信じてないし、お祈りなんてしたことないんだけど…、今とても祈りたい気分なの…。どうしたらいい?」
「…私もよ、ルティ。…いいんじゃないかしら、祈れば。」
「何に?…神様っているの?…いるとして、地球の神様はこんな遠くの声を聞いてくれる?」
 作業の手を止め、二人は暫し見つめ合う。ルトゥェラの不安げな顔に、スーザンは口の端を上げて見せた。
「宇宙の神様よ。地球にはいなかったと思うけど、宇宙には居るわ。だって、私たちの住む場所を用意してくれているんだもの。」
 天文学を専門に学んでいる彼女は、行き先の星を観察するにつけ、その存在を意識せずにはいられなくなっていた。何度観測しても、母星に似た特徴を崩さない。きっと人間が住むのに適した星だと期待してしまう。ありえないような確率の事象をデータの中に見て、神という言葉をいつも思い浮かべた。
「…スーが言うんなら、信じるわ。」
「ええ、一緒に祈りましょう。」
 二人は目を閉じた。その様子を見て、エダとモコもそれに倣う。
 どうか、うまくいきますように、と。



 手術が無事終わったとアイから連絡を受けた4人が駆けつけると、セイゴは心底安堵した様子だった。
「後はカプセルの中でしばらく過ごせば、動けるようになるよ。」
 傷跡が消えるかどうかわからないけど、と彼は自信なさげに付け加えた。
「ありがとう、セイゴ。治るまで、ニックのことよろしくね。」
 ニーナは目に涙を浮かべていた。
 スーザンは早々にその場を離れ、あとに倣ってついてきたモコにこっそりと言う。

 私、ニーナに拍手を送りたい気分だわ。


 あの局面で、泣き崩れることなく、ニックを助けるための最善を尽くした。その彼女が、その後決断した事柄を知った時の驚きは、筆舌にしがたいものだった。



 ニックが怪我をしてから二ヶ月ほど経ったある日、数人がレストルームでくつろいでいるところに、彼はニーナと喧嘩をしながらやって来た。
「ふざけるな!答えはノーだって言ってんだろ!?」
「分かってる、私が悪いのは分かってるの。でもお願い…。」
「ついてくるなよ!話は終わりだ!」
「お願い、ニック!」
 もともと人に聞かせたかったのか、それともこの場所に誰かがいることを想定していなかったのか、唖然とした面々には判断が付かなかったが、ニックは「聞いてくれよ!」とニーナを無視して話し出した。
「こいつ、俺が動けないのをいいことに、セイゴの奴と浮気してたんだ!信じられないだろ!?それどころか離縁してくれってさ。馬鹿にしやがって!」
「ごめんなさい。私が悪いの。でもお願いだから…。」
「嫌だって言ってるだろ!?ぜってー離縁なんてしてやらないからな!」
 ニーナは謝罪と要求を繰り返し、ニックは延々それを突き放す。
 数分のやり取りで辟易したルトゥェラは、わざと声を立てて笑った。
「そりゃ災難ね、ニック。でもさ、アンタどうしたいのよ。」
「は?だから、離縁なんてするつもりねーし。」
「へー?多分、ニーナはそれに納得してもアンタのこともう好きにはならないと思うわよ?自分のことを大事に思ってくれない相手と、一生を共にするの?楽しいの?それ。」
 返事に窮して、チッと舌打ちをする。
「…だからって…要求通りに離縁したら、浮気したもん勝ちじゃないか…。」
「まあ、納得は出来ないわよね。わかるわよ?」
 だろ?と不服そうな顔をさらに歪めて見せた。
 でもさ、とルトゥェラが続ける。
「悪いことをした人を懲らしめるために、アンタは自分の幸せを諦めるの?そんなの、アンタ損ばっかりしてるじゃない。つまんないわよ?」
「分かってるよ!そのくらい!」
 でも納得できるわけないだろ、と言ってから、自分以外の全員が別れるべきだと思っているのを感じ取ってまた舌打ちをした。
「…分かったよ、別れてやるよ。サインぐらい、いつでもしてやる。でもしばらくお前の顔は見たくない!」
 そうニーナに言い置いて、彼は自室へ帰って行った。





 次の日、メリサが食堂に行くと、そこでは何やら話し合いが始まっていた。見回しても、ニックとニーナはいないようだ。
「やるわよね、セイゴも。」
 そう言われてセイゴは居心地が悪そうにしている。
「何の話し合い?」
「ああ、やっと来た。ね、メリサもサインして欲しいんだけど。」
 ルトゥェラがそう言って見せてきたのは、離縁申請の書式だった。
「…え…?なんで?」
 離縁だ何だと騒ぎになっているのは、ニックとニーナだけで、他のメンバーには関係ない筈だ。
「だから、この船では婚約制度をやめようって話よ。自由恋愛にするの。その方がいいと思わない?」
 メリサは突然の提案に驚いてエダの顔を見た。でも彼は難しい顔をしているだけで、何の助言もしてくれそうにない。
 どう答えていいか困って、昔習ったことを思い出して言ってみた。
「…でも、政府は私たちが幸せに暮らせるようにって性格が合う相手を選んでくれたわけだし、一概にどっちが良いって言えないんじゃ…?」
 するとルトゥェラは笑う。
「ホント、メリサって真面目よね。真面目っていうか素直って言うか…。政府は都合のいいように教育してるだけなのよ?」
「…え…?でも、ほら、昔、出生率がすごく下がって、それから婚約制度ができたわけでしょ?マッチングのおかげで離婚率がすごく下がったって。」
 ルトゥェラは困った風に肩をすぼめた。
「あのね、これは…まあ、メリサは知らなくて当然なんだけどね…」
 インターネット内の怪しげな掲示板で彼女は政府のやり口を学んだという。本来そんなサイトは存在するわけがなく、作られてもすぐに検閲に引っかかって消されてしまうはずが、政府の目を掻い潜った違反サイトが存在していた。そして、全寮制の各学校で行われている閲覧チェックをごまかせるようなクッションのサイトを経由して、彼女はそこを覗いていた。
「私たちが地球にいた頃の離婚率ってどのくらいだったか覚えてる?」
「…確か、ほぼ0%だったと思うけど…。」
「そう、ほぼゼロ。でもね、それにはカラクリがあるのよ。結婚してからでも離縁申請出せるのは知ってるよね?」
「うん、でもゼロってことは、殆ど出す人がいないんでしょ?」
「違うわよ。」
 離縁申請を出して、そのどちらかに問題があると判断された場合、問題視された人物は更生施設送りになる。すると、その二人の婚姻は、病的もしくは法的に問題があったものだから政府が隔離した、ということに置き換えられる。
「だから、『当事者の自由意思による離婚』としてカウントされないの。」
 離縁申請には正当な理由が必要だ。だから大抵、暴力や浮気などの問題行動が挙げられる。となれば、どんなに離縁申請が多くても、その全てに更生施設送りという判断を下してしまえば離婚数はゼロのままだ。
「でも、じゃあ、ゼロじゃなくてほぼゼロなのは?」
「身近に離婚したカップルを知ってる人が離婚率ゼロなんて数字見たら、嘘なのがバレバレじゃない。だから、ほぼゼロ、なのよ。」
 彼女の話が本当なのか判断が付かず、メリサはすがるような目でエダに助けを求めた。自分では答えが出せない、と思ったとき、そうするのが癖になっていた。
「俺もその話は知ってる。その掲示板に書き込んでるやつの話じゃ、婚約制度が出来る前と出来た後で離婚率に差はないってさ。ただ、取り敢えず結婚はさせられるから、出生率は上がったらしいな。」
 エダの証言を得られたことでルトゥェラは得意げに言った。
「離婚率が変わらないってことは、マッチングには殆ど意味がないってことじゃない?」
 確かに、とメリサは納得するしかなかった。
「…だから、自由恋愛にしたほうがいいの?」
「マッチングに縛られる意味がないのに、縛られたままなの、おかしくない?」
 それにもメリサは「確かに」と答えた。
「じゃあ、サインしてくれるわよね。」
 そう言われて頷こうとしたところに、エダが割って入った。
「いや、サインはダメだろ。」
 ドキッとしてメリサは身を固くする。エダの気に入らない返事をしようとしていたことを後悔した。
「そ…そうだよね…」
 危うくサインしてしまいそうだったことをごまかすようにそう言ったメリサだったが、エダはそれを特に気にすることなくルトゥェラに反論していた。
「婚約制度自体をやめたいわけだろ?だったら、その制度に従って離縁申請するのはおかしいじゃねーか。サインするなら、婚約制度の廃止を提案する書式を作らねーと。」
「なるほど。そうね。」
 メリサの後悔をよそに、二人は話を進めている。自分の勘違いを恥じ、メリサは小さく溜め息を吐いた。



「はい、了解しました。全員のサインも揃っていますし、問題ありません。」
 エダとルトゥェラが率先して集めたサインをアイに見せると、それはすぐに審議にかけられ(コンピュータによるものだからほんの数秒のことだったが)承諾がもらえた。
「言っておくけど」とスーザンは冷めた表情をルトゥェラに向けた。
「婚約制度の廃止には賛成したけど、モコと別れる気はないから。彼に手を出したらそれなりの報復はするわよ?」
 その視線にたじろぐことなく、ルトゥェラは悪戯っぽく笑う。
「あら、そんなこと一人じゃ決められないんじゃないの?モコはどうかしらね。」
「僕も同じだよ。スーと別れるつもりはない。」
 間髪入れずに後ろで聞いていたモコがそう言った。
「…意外とラブラブよね。ご心配なく。私、モコに興味はないから。」


 婚約制度の廃止を言い出したルトゥェラは、もちろん自分にパートナーがいないことを不服に思っていたというのが本音ではあったが、それとは別に、そうすることが正義だという思いがあったのも事実だ。しかしそれが彼らの関係にどう影響するかについては予想していなかった。



4/10ページ
スキ