開拓史

3友達

 指示に従うことに決めてしまえば、宇宙船での日々は途端に平穏なものになった。毎日の勉強は、内容は違えど学生の本分だ。あとは若干の不便さを感じながらも、規則を守れば危険なことはなかった。それに、元々のシステムが素行の良さに合わせて規則を緩めていく仕様だったらしく、数週間で更生施設並に、数か月で学校並に過ごせるようになっていった。
「最初の夜なんて、眠れないのに『消灯時間です』とか言われちゃって、仕方ないからベッドで寝たふりしてたらそれもバレて警告されちゃってさ、寝たくても寝れないときってあるじゃない? 反抗心がないってことをどう証明しようかって悩んでたらやっと眠れたのよね。ホントふざけた船だわ。」
 ルトゥェラがいつものように不満をぶちまける。でもそれは規則が緩んだことを喜んでいるのだと、もう皆が理解していた。アイ(システムのAIのホロを、皆そう呼ぶようになっていた。)でさえ、彼女の発言にはおおらかになっている。当初、不平不満ばかりを口に出すルトゥェラをシステムは要注意人物として取り上げていたが、彼女の性格には裏表がないと判断されたようだ。

「それで、ルト、カリキュラムの進度は?」
 スーザンの質問に、ルトゥェラが溜め息を吐く。とは言っても、訊かれた内容に不服があるわけではない。
「スーザン、何度も言ってるけど、私の名前、ルトゥェラだから。勝手に変えないでよね。」
「…じゃあ、なんて呼ぼうかしら。ニックネームの希望はある?」
「ちゃんと名前で呼んでくれる気はないわけね。」
 この議論は二日目から始まり、今もまだ決着はついていなかった。文句を言われているのはスーザンだけではない。彼女の名は少々発音しにくいのだ。
「ルティ、紅茶いかが?」
 ニーナがカップを差し出した。ルトゥェラは呆れた顔を向けると、ニーナはおずおずとカップを下げる。
「飲む。飲むわよ。でもニーナ、」
「ルティって可愛いと思うんだけど…ダメ?」
 ぷいっと横を向いて紅茶を飲むルトゥェラ。
「せっかくニックネーム付けてくれてるのに、少しは受け入れたら?テレウス。」
「だよな。キミがいちいち発音を注意するから、みんな呼びにくくなったんじゃないか。なあ、エダも思うだろ?」
 ニックに振られたエダは興味なさげに、それでも一応頷いてみせる。
 ちなみに男性陣は指摘されるのが面倒で、早々にファーストネームを呼ぶのをやめていた。セイゴとニックはファミリーネームで、モコは『レディ』と呼ぶ。エダに至っては、呼ぶこと自体ほとんどない。どうしても必要な時だけ『おい』だの、『あんた』だのとぶっきらぼうに呼んでいた。
「…ルトゥェラは、自分の名前が好きなんだよね? ご両親の呼んでくれたその音を大事にしたいんでしょ?」
 唯一、彼女の望み通り名を呼んでいるメリサがそう言って首を傾ける。
「べ…別に、親なんか関係ないけど…。」
 メリサはあまり発言をしないかわりに、熟考している分、核心を突くことがある。しかし、言い当てたからといって解決するわけでもなかった。
「あなたには文句言ってないんだから、口挟まないでよ。」
 親のことを持ち出されたのが気恥ずかしかったらしく、ルトゥェラは突っぱねる。
 メリサはシュンとして黙った。
「じゃあ聞くが、」と口を開いたのはエダだ。
「何?」
「パートナーはどうだったんだ?ちゃんと呼んでたのかよ。」
 彼女のパートナーの話は持ち出さないのが吉と、皆タブー視していたのに、あっさりとそんなことを言う。
 ルトゥェラは急に顔を曇らせて、トーンを落とした。
「…彼は…恋人なんだから、特別な呼び方にしようって…。ど…どうでもいいでしょ?もう関係ないんだから。」
 それを聞いた全員がおそらく同じことを思い、エダがまた追い打ちを掛けそうになる。
「そうだよね!それより、休憩時間終わるよ!次の準備しなくちゃ!」
 メリサが珍しく、急き立てて皆を立ち上がらせた。




 デリカシーがないわね、彼。
 そんなことを口の中でひとり呟いて、スーザンはルトゥェラの後ろを歩いた。
 ルティ、なかなかいいじゃない、可愛くて。もうこれで決定でしょ。エダにあんなこと言われちゃ、流石にこれ以上呼び方で文句を言えないはずだし。…そうね、私のことはスーって呼んでね、ルティ、とか言ってみようかしら。
 丁度立ち止まった彼女に声を掛けようとして、でも顔を見てスーザンはたじろいだ。
「ちょっと…付き合ってくれない?」
 そう言ったルトゥェラは目に涙をためていた。
 スーザンはただ頷いて、促されるまま彼女の自室に入る。やっぱり、傷ついてるのよね、あのエダの言いように。
 数分沈黙が流れたあと、彼女は「何よアレ!」と言うなり吐き出すように続けた。
「分かってるわよ!私のパートナーも、私の名前を呼びたくなくて特別な呼び方にしようなんて言い出したって話でしょ!? 分かってるわよ!」
 何よ、何よ、とただ繰り返す彼女にどう声を掛けたものか…。愚痴を聞いてもらいたいだけなのかもしれないが、あれはあんまりだと思っていたこともあり言葉を探した。
「彼があんな風なのはもう知ってたでしょ? ああいう人なのよ。デリカシーがない。ホント、呆れちゃうわよね。」
 ルトゥェラは堪えるように口を噤んだ。どう受け取っただろう。敵だと見たのか、それとも味方と思ってくれたか。
「…そうよ、デリカシーの欠片もないわ。最初っから。人の気持ちなんてちっとも考えてないわよね。」
 ああ、うまく悪口に乗ってくれた。これで少しは気が晴れるかしら。スーザンは安堵する。
「ええ、もともと喧嘩っ早いって自分で言ってたぐらいだし、思ったことを良く考えずに言葉や行動に出してるのよね。」
 絶対そう、と強く頷くルトゥェラ。
 二人は思いつく限りの不満を口に出して、全部エダが悪いことにして頷き合った。スーザンとしてはエダに申し訳ない気持ちもあったが、不満は前から持っていた本心だし、まあこんな時ぐらいいいだろうと思うことにした。
 ひとしきり吐き出したら落ち着いたようで、ルトゥェラは軽く息をついてこんなことを言った。
「それにしても…、メリサはよくあんなのと付き合っていられるわよね。すごく仲がいいし。盲目の愛ってやつかしら。」
 愛ね…。愛、…そうかしら?
 スーザンが黙って考えに入ってしまったのを、彼女は訝し気に覗き込んだ。
「思わない?」
「んー、…あれ、本当に仲がいいと思う?」
「…いつもベッタリじゃない。」
「彼女、真面目でしょ? 決まりを守っているだけじゃないかしら。」
「…決まり?…つまり、マッチングで決まったパートナーだから、それに従って努力して仲良くしてるってこと?」
「少なくとも、私にはそう見えるわ。彼女の中に、ううん、エダの方にだって、愛なんてものはないんじゃないかしら。」
 その言葉が意外過ぎたのか、ルトゥェラはキョトンとして黙った。
 いいじゃない、どうでも、とスーザンは話を終わらせて、最初に言おうと思っていたことを付け加えた。
「ね、私のことはスーって呼んでね。ルティ。」





 エダとメリサについてのスーザンの見解を聞いてから、ルトゥェラは度々二人を観察するようになった。
 そして気付いたのは、メリサが頻繁にエダのことを怖がっているようだということ。
(メリサが自分の意見をあまり言わないのは、彼が怖いから?)
 そう考えると彼女のことが不憫で、助けるというつもりはないものの、自由時間にはエダから引き離すようにお茶に誘ったりした。

「メリサってホント真面目よね。そんな風で息がつまらない?たまには誰かの悪口でも言ってみたら?スッキリするわよ?」
 ルトゥェラの言葉にメリサが戸惑っていると、彼女はまた促す。
「大丈夫だって。監視プログラムだってだいぶ緩くなってるし、私、誰にも言わないから。」
 そう言ってから付け足した。
「あ、私の悪口はとりあえずやめてね、他の人に聞いてもらって。私、それを受け止められるほどの器はないわ。」
「ううん、そんな、ルティへの不満なんてないよ?」
 メリサが慌てて返事をする。
 そうして、はにかんで笑った。
「…最近仲良くしてくれるし…嬉しい…。」
「あら…、そう?」
「うん。」
 ニッコリ笑った顔はメリサの人柄を表している。しかし、本当に不満がないのか隠して笑っているだけなのか、ルトゥェラには判別がつかなかった。
 ルトゥェラは二人きりになる度、同じような話を振ってメリサの本心を引き出そうと試みたが、彼女が率先して誰かの悪口を言うことはなかった。せいぜい、ルトゥェラの言葉に頷くぐらいである。そしてそれにも必ず擁護の言葉を添える。

「そんな感じだからとてもエダの悪口なんて言いそうにないわ。たとえ思ってたとしても。」
 スーザンにそう報告して、ルトゥェラは溜め息を吐いた。
「言わせてどうするつもり?離縁でもさせる?」
「そんなつもりはないけど…。本心聞きたいと思わない?」
「そういうの、野次馬根性って言うのよ。やめなさいよ。」
「でも、もしかしたらホントに別れたいと思ってるかもしれないじゃない。」
 スーザンは大きなため息を返す。
「あなたがそんなにメリサの心配をしているとは知らなかったわ。」
 その言葉に揶揄の含みを感じ、ルトゥェラはプイっと顔をそむけた。
「スーこそ、そんなに冷たいとは思わなかった。ちょっとなんとかしてあげたいとか思わない?同じ女ならさ。」
「思わないわね。あの子の主体性の無さはあの子の問題よ。離縁したければ自分で言い出せばいい。それをしないのはあの子がそれを受け入れているってこと。周りが気に病むことじゃないわ。」
「…別に周りが救済すべきなんて思ってないけど、見ててイライラするんだもの。彼女、何を怖がってるのかしら。エダはパートナーに暴力振うことはなさそうだし。」
 ほら、と言ってスーザンは肩をすぼめると次のカリキュラムの為に部屋を出て行く。
「いくら考えたって仕方ないってことよ。」

 それ以降、ルトゥェラがメリサの本心を探ることはしなくなったが、一緒にお茶を飲む習慣は続いた。共同生活が始まった当初、性格の違いから一定の距離を保っていた二人の関係は、いつの間にか丁度良い友人の位置に収まったようだ。



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