その街で

3視界



 いつの記憶だろう。
 目を開ければ見えるのは自分の育った家の中。少し不自然なのは、視界は低く、床すれすれにいる感覚だ。そして見上げると、ダイクが何か言って器を差し出している。
 器はそのまま近づいてきて、目の前に置かれた。
 床に置かれた器には、食べ物が入っていた気がする。
 自分はそのあとどうしただろう、とザイールは考えるが思い出せない。
 床に置かれた器から、どうやって食べたのか。スプーンは刺さっていただろうか。手で食べたのか。それとも、顔を突っ込んでそのまま食べたのか。
 そのことを思い出すたびに、ザイールは自分の手を眺める。そうして、人間の手であることを確認してホッとする。
「ばかばかしい…。俺が犬なわけねーだろ…。」




 ダイクが仕事の準備を始めるのと同時に、ザイールも装備を整える。毎朝の光景だ。ザイールは十七歳、戦士になっていた。
「行くぞ。」
「ああ。」
 連れ立って出掛けるのは、同じチームでやっているからだ。十年程前からダイクは自分のチームを持ち、リーダーを張っている。
「なあ、親父。アイツ、マジでチームに入れるのか?」
 ダイクは仲間から親父と呼ばれている。ザイールも最近はそれに倣っていた。
「まあな。ちょっと様子見ってとこだ。」
 それは最近別チームで問題を起こし追放された男の話だ。悪評しか聞こえてこないその人物を仲間に入れることに、ザイールは難色を示した。しかし、リーダーのダイクが入れると言っている以上どうしようもない。
 ったく、と小さく零す。
 ダイクは、何かしらの問題を抱えている戦士を抱え込む癖があった。今いるメンバーだって、家庭に問題があったり、病気持ちだったり、住む家も無かったりした者たちばかりだ。金のない者にはある程度の収入が常に入るように仕事を回してやり、家がないと言えば口利きをしてやる。他のチームで問題を起こしてやって来た者も過去にいたが、困った性格のその人物はダイクに諫められて今は仲間とうまく付き合うようになった。
 そうは言っても今回は反対だった。
「マジで、とんでもねえ奴だって聞いたぞ?」
「そう言うな。どうにもならんかったら追い出すさ。しばらく付き合ってくれや。」

 その日は初めてその男、イズサを連れて仕事に出た。
 ひと通りの仕事を終えたが、イズサはロクに戦わなかった。ダイクが苦言を言うと、今日はチームの様子見だと言った。
「新入りが出しゃばっても悪いしね。明日はきっちりやるよ。それより…」
 彼は悪びれず、逆に不満を口にした。
「倒したモンスターから取れたもんも集めるってのはどうなんだよ。アレは倒した奴のもんだろ。頑張っても割に合わねえんじゃ、やる気出ねえよな。」
 な、と隣に居るチームの仲間に同意を求めるが、このチームでは前からそういうやり方で皆納得している。みんなで狩って、みんなで分ける。それで力の弱い者も助かっているのだ。
「倒した分、自分の収入になりゃあ、皆頑張って倒すだろ。いいやり方だと思うけどね。」
「そのやり方なら働くってのか?」
「まあ、そうだな。頑張るぜ?」
「…分かった。取り敢えず、試しにそういう事にしてみるか。」
 ダイクが了承したのを聞いて、ザイールは驚いて反論した。
「親父!マジで言ってんのか?そいつに合わせてやるこたねーだろ!」
 まあまあ、と宥めるダイクの横から、イズサが意地の悪い顔でザイールを見下した。
「フィルキャットは黙ってろ。リーダーが決めることだろ。」
 フィルキャットとは解体屋の蔑称だ。ザイールが以前、解体屋をやっていたことをどこかで聞いたのだろう。
「てめぇ…。」
「ザイール!」
 一歩踏み出しそうになったザイールを、ダイクが呼んだ。
 名を呼ばれただけだが、言いたいことは分かる。今は、我慢しろ、そういうことだ。


 次の日から、イズサは確かにモンスターを狩った。しかし、そのやり方はひどいものだった。
 仲間が仕留める寸前を狙って攻撃を仕掛ける。獲物を横取りするやり口に、皆不満を漏らした。
「こいつは俺のもんだ。文句はリーダーに言いな。」
 ダイクが味方に付いているかのような口ぶりだ。
 ダイクがどう考えているのか、いまいちわからなかった。それでもそのうち何とかしてくれるだろうと信じて、ザイールは言いたいことを飲み込んでいた。
 しかし、数日後。

 ザイールが獲物を仕留めようとしたその時、横からイズサが斬撃を放った。
 目立った傷の無かった獲物が、一瞬で血だらけになる。
「…てめっ!何しやがる!!」
「何だフィルキャット。お前が手こずってるから助けてやったんじゃないか。」
「こいつは皮が高価なんだよ!無傷で仕留めようと急所を狙ってたんだ!それを…台無しにしやがって!!」
 イズサはフッと笑って言った。
「そいつは悪かったな。さすがフィルキャット。卑しい仕事ぶりが染みついてるわけだ。そんなんで手こずるならチーム仕事は無理じゃないのか?」
 ザイールはふるふると拳をを震わせ、殴りかかりそうになるのを押さえて言葉を絞り出した。
「…ふざけるなよ…」
「ああ、ふざけてないさ。フィルキャットなんて汚い仕事やるやつがチームにいるのは我慢ならなくてね。」
 てめえ!と言うが早いか、殴りかかっていた。あっさりと当たったが、反撃が来る。お互い数発、思い切りぶん殴った辺りでダイクが駆け寄ってきた。
「やめねえか!」
 ダイクが両方の首根っこを掴んで投げるように引きはがす。
「親父!今すぐこいつを追放しろよ!するべきだ!」
「それを言うなら、フィルキャットこそ追放すべきだろ。薄汚い泥棒猫め。」
「泥棒!?どっちがだよ!人の獲物を横取りする奴が!!」
「言いがかりだな。俺はモンスターをロクに倒せないお前たちの手助けをしてやってるんだ。取り分も多くて当然だろ。」
「てめえは一人でモンスター倒したことあったか!?全部掠め取った手柄じゃねえか!!」
「やめろって言ってんだろうが!!」
 ひときわ大きな声でダイクが怒声を響かせ、二人は黙った。
「仕事は済んだ。ギルドに報告に行く。」
「親父!」
「言いたいことは分かるが、うまくやる努力をしろ、ザイール。」
「はあ!?」
 今何があったかは分かったはずだ。それでもイズサの行いは不問にし、ザイールに向けてうまくやれと言う。
「…俺が解体屋だからか?」
「そんなことは言ってないだろう。大体…」
「ふざけんな!こんな奴とうまくなんてできるか!コイツを追い出さないなら、俺が抜ける!じゃあな!!」
 ザイールはそう吐き捨てて立ち去った。


 ザイールは家を出るために、自分の装備や武器を纏めた。一人で暮らす部屋の手配は済んでいる。
 もう家を出ていい年齢だ。ザイールがほんの子供の頃、ダイクは「金を返しきるまで家を出るな」と言ったが、あれがザイールの家出を止めるための口上だったというのは知っている。
「よお、また家出か?」
 気楽な声でそう言ったダイクを振り返り、そうだ、と返す。
「心配しなくても金はきっちり返す。世話になったのは事実だからな。」
「一人暮らしってのは、案外寂しいもんだぞ?」
「もう十七だ。出稼ぎに行く奴だっている。」
「そうだな。」
「戦士のランクは心許ないが、俺のできる仕事はいくらでもあるだろ。」
「ああ。」
「…世話になった。まあ、金持ってまた来るわ。」

 不安がないわけではない。ギルドから与えられたランクはまだCだ。自分が出来ると思っても、ギルドの店主が認めないことには仕事は受けられない。それでも、前によそから来た戦士に腕を褒められたことが自信になっている。その戦士は、ザイールの剣の腕前を見て『Bランクに昇格できる充分な腕前』だと評した。ランクはギルドの店主のさじ加減によるものだ。他の街のギルドならBランクをもらえるだろう、と言っていた。
 他の街に行ってランクを上げることも考えたが、慣れない土地でうまく立ち回れるかわからない。そんなことをするより、この街のギルドでBを取った方が腕は上がるだろう。



 一人で請負仕事を始めてみて案外やれることが分かると、チームでやるよりずっと気が楽だった。
 一日で二つ三つと依頼を終わらせると、ギルドの店主は機嫌よくザイールを迎えてくれた。
「おはようさん。今日はこれやってみるかい。一日がかりになると思うが、金になる。それにこういうのも経験しておいて損はない。」
 見せられた依頼書を隅々まで読むと、いかにも面倒臭そうなものだった。他の街をいくつか駆け回らなくてはならない。それに情報収集も依頼内容に含まれている。思わず、うわ、と声を出してしまった。
「あっはっは。そう嫌そうな顔をするな。この仕事は、絶対後々役に立つ。」
 どう役に立つのか全く分からず、訝しんで店主を見た。
「お前は若いからな。」
 その言葉の意味も理解できない。依頼書を睨んで、断ろうか金の良さで引き受けようかと考え込む。
「目先の結果が欲しいなら、そうだな…この仕事の出来次第で、ランクを上げてやってもいい。」
 思わぬ提案にパッと明るい顔になり、引き受ける返事をしかけたところでもしやと思った。
「…誰も引き受けてくれねえから、そんな餌で俺を釣るのか?」
「そう思うんならいいぜ、やめときな。」
 あっさり引っ込められて焦る。
「あ、いや、やらないって言ってるわけじゃねーけど…。」
「俺が信用できないってんなら仕方ねえが、そうじゃないなら大人のいうことをそのまま飲み込んでみるのもいいんじゃねえか?」
 もう一度考えて頷く。
「あんたのことは信用してる。あんたが役に立つってんならそうなんだろう。でも、それが分からないまま受けて、身になるのか?」
「身、の定義によるがね。取り敢えず人脈は手に入る。それを使える人間になるかどうかはお前次第だ。」
「わかった。引き受ける。」
 サインをして前金を受け取ると、ザイールは立ち上がった。
「…ホントにランク上げてくれるのか?…餌じゃなくて。」
「ああ、それは『ついで』だ。いい機会だろ。」
 そろそろと思っていたんだ、と店主は言う。
 その評価に見合った働きをしなくてはいけない。ザイールは気を引き締めた。



 ランクが上がると、収入は安定した。一人暮らしにも慣れ、当たり前の日常を繰り返す。少々退屈にも感じていた頃だった。
 ダイクのチームがギルドに出入り禁止を食らったという噂が流れてきた。
 慌てて家に行ってみると、ダイクはのんびりと日向ぼっこをしていた。
「どういうことだよ。何があったんだ。」
「は?何の話だ?」
 顔を見るなり問いただすと、すっとぼけた答えが返って来た。
「出入り禁止の話だよ!」
「あー、お前には関係ない話だろうが。」
「そ!…それは…そう、だけどよ…」
 家族だろ、と言いかけてやめた。家族じゃないし、同居人でもない。もう、金を返すだけの関係か。
 そのザイールの心情を知ってか知らずか、ダイクは「つまんねー話だぞ」と前置きをして話し出した。

 ザイールが抜けてから、イズサの横暴は輪をかけて酷くなった。その一因が、ダイクがザイールを追いだした形になってしまったことにあるのは明らかだった。
「止めなかったのかよ。」
「ん、まあ、なんだ…思った以上に非常識な奴だったな。話が通じなかったんだ。」
 怒鳴りつけてもどこ吹く風、諭そうとしても独自の理論で曲解して伝わらなかった。
 チームでモンスターを狩ると、その殆どをイズサが斬撃で仕留める。その死骸は状態がひどく、せいぜい腹の中の石が採れるくらいだ。そうなるとその死体を解体する意味がないから、ダイクのチームの後ろに解体屋はついてこなくなった。
 あまり知られていないが、解体屋はモンスターの死骸から必要な物を取った後、その骸を処理する。闇の魔法か光の魔法が使える者がいればサーキュレーションをかけて土に返し、それが出来なければ簡単に土に埋める。そうすることで、街道や街の周りを綺麗な状態に保っているのだ。
 解体屋が手をつけなかった死骸は、そのまま腐敗して悪臭をまき散らす。そればかりか病気の蔓延の原因になる。ダイクたちが仕事をすればするほど、その先々で死骸が放置されて問題視された。
 まだ出入り禁止を食らう前、ギルドの店主と憲兵から注意を受けたが、その時もイズサは行動を改める様子がなかった。
「モンスターの死骸はフィルキャットに処理させればいいだろ。俺たちは戦士なんだ。なんでそんな文句を言われなきゃならないんだ。」
 それが彼の主張だった。
「それで出入り禁止かよ。さっさと追い出さねーからだろうが。」
「ああ、もう出てったよ。追い出すまでもなく。」
 出入り禁止になったのを機にチームのルールを元に戻そうとダイクが提案すると、あっさりとイズサは去っていった。


「やってらんねえってよ。」
「だろうな。…ったく、人が良すぎんだよ。」
「別にそんなんじゃねーけどよ。つい、思っちまうんだよな。一緒に過ごせば、分かり合えるんじゃねえかなって。今回は甘すぎたな。」
 その甘さに助けられた過去を持つザイールは、あまり文句も言えない。
「仕事、大丈夫なのか?アイツらだって困るだろう。」
 仲間の一人は病気の家族を抱えていたはずだ。収入が減れば薬だって買うのが難しくなるだろう。
「みんなそれぞれ他のチームに預かってもらったよ。俺はまあ、ギルドで稼げなくてもどうとでも食えるからな。」
 外に出て食料になるモンスターを狩れば食うには困らない。ついでに取れた素材も売ればいくらかになる。はっきりと聞いたわけではないが、どうやらダイクも解体屋の経験があるらしい。解体もお手の物だ。
「それに、出入り禁止も一か月だけだ。その間にチームを何とかしろってよ。」
 イズサがいなくなったのだから、チームに関してはもう問題はないだろう。
「俺、戻った方がいいか?」
 人数が減れば受けられる仕事の内容も変わってくる。収入にも響く筈だ。そう思って言ってみると。
「あはは、餓鬼がいっちょ前に心配か?必要ねえよ。」
 笑い飛ばされてザイールはムッとした。
「心配しちゃ悪いかよ。…まあ、他人だもんな。」
 ふいっと背中を向けた。
「じゃあな、必要ねえならいいや。帰るわ。」
「…そうかい。今月分、置いてけよ。」
 ダイクはそう言って笑って見せた。月々返済金と称して渡しているお金は、本当のことを言えば要らないのだろう。ダイクは当然のように受け取るが、収入は充分あるのだ。渡したお金をどうしているのかザイールは知らなかった。
「今日は持ってねえよ。また来らぁ。」
「ああ、待ってるぜ。」

 帰り道、ザイールは不機嫌に石を蹴飛ばした。
「金か…要らねえくせに…なんで請求すんだよ。…筋を通させるため、か?」
 意味のない決まりを守らせることで、上下関係を認識させる。そんなやり方が大人にはあるのだ、という話は聞いたことがある。そういう方法を取るということはやはり他人なんだろう、と思うほかない。
 金を返しきったら、どうなるんだろう。チームからも抜けた。家族でもない。
「アカの他人だよな。…人脈にはなるか…。」
 前にギルドの店主から言われたことを思い出す。仕事でできた人脈が後々役に立つようになる。
「利用するだけの相手、か。」
 人脈を使えるようになるかどうかはお前次第だ、とも言われた。
「使ってやろうじゃねーか。どうせ他人だ。」
 店主が言ったのは人間関係を大事にすれば、という意味だったが、まだそんなことを実感できるほどの人生経験がないザイールにとって、『人脈を使う』とは『利用する』という意味以外になかった。
 それでも筋を通してからだ、と思ってはいる。金を返すまでは大人しく従ってやる。そう、心の中で呟いた。



 月に一回ダイクに金を返しに行き、少し言葉を交わす。ギルドで顔を合わせることもあったが、チームを連れているダイクに声を掛けることはなかった。
 そんな生活が続いたある日、ザイールは珍しく熱を出して寝込んでしまった。
 子供の頃から丈夫で、少々咳が出ようが熱が出ようがすぐ治った彼は、今回も寝てれば治るだろうと高をくくって特に何もせずに寝ていた。しかし一向に良くならない。しまった、と思ったときには食べ物が底をつき、起き上がるのも辛い状態だった。
 チームを組んでいれば仕事に出てこない仲間を心配して見に来ることもあるだろう。しかし、ザイールが毎日顔を合わせるのはギルド店主ぐらいだ。その店主は毎日たくさんの戦士の相手をしているから、一日二日顔を見ないぐらいではおかしいと思わない。
「うそ…だろ…」
 ザイールは呻いてベッドからずり落ちた。
 怪我で死ぬのは分かる。病気で死ぬのもまあわかる。でも動けないせいで食べ物を買いに行けなくなって、空腹で死ぬなんて納得できない。まだ飢えて死ぬほどの日数は経っていないが、下手をすればそういう事になりかねないと焦り始めた。
「…誰か…来ねぇ…かな…」
 ああ、そうだ、魔法で、外の誰かに、異常を感じてもらえれば…。
 そう思って外に向かって魔法を出そうとするが、頭が痛くて集中できない。何度か呪文を唱えかけるが、それも途切れてそのまま気を失った。



 目を開けると、自分の部屋の床が見えた。何か音が聞こえる。
 誰か居るのかと音の方を見上げると、ダイクがこちらを見た。
「おう、目ぇ覚ましたか。粥、食うか?」
 そう言って器を差し出した。
 その光景はあの記憶のままだった。何度も思い出す、不思議な光景。
「ダイク…。」
「ん?起き上がれないんだろ。そのままでいい。食え。」
 そう言って床に直に器を置いた。
「…こんなとこ…置くかよ…きたねえだろ…」
「あはは、そんなん気にするタマかよ。」
「…気にする…そっち置いて、起き上がるの手伝ってくれよ。」
 手をついて上体を起こそうとしてもうまく力が入らない。ダイクは溜め息を吐いて手を貸した。
 ベッドにもたれ掛かって床に座ったまま、器を受け取ろうとしたがそれもままならず、見かねたダイクがひとさじ掬って口に入れる。
「…みっともねー…」
「病人がカッコよくてどうすんだよ。観念して受け入れろ。」
 そのまま食べさせてもらい、半分くらい食べたところでザイールは訊ねた。
「昔も、こんなこと、あったか?」
 ダイクは訝しげに見る。
「食べさせるのなんて初めてだぞ。」
「いや、そこじゃなくて、…俺が床に寝てて…ダイクが喰いもん床に置いた…。」
 少し間をおいて、ああ、と思い出したようだ。
「あったあった。よく覚えてんな。お前がウチに来てすぐぐらいだ。熱出してよ。ベッドに寝かしてもすぐ下りちまうんだ。床が冷たくて気持ちよかったのかもな。」
 ぼーっとした頭で、そうか、と納得して気になることを口に出した。
「あんとき、どうやって食ってた?覚えてねーんだ。手は…人間の手は付いてたか?」
「は?人間の手?何言ってんだ。」
「俺は…人間の手を持ってた?」
「当たり前だろ…おい、大丈夫か?」
 ふわっと体が揺れたことに気が付いて、ダイクは粥を置いてザイールの体を支えた。抱き上げてベッドに寝かせると、うっすらと目を開けて言う。
「ずっと…思ってた…俺は…犬じゃねえかなって…ダイクに育てられて…人間だと思い込んでる…犬…」
 すうっと寝息を立てて、ザイールは寝入った。


 それから数日の間、ダイクが看病に来た。
「今日も食べさせてやろうか?」と差し出されたスプーンを「ふざけんな」と奪う。
「犬っころは今日も元気だな。」
 ダイクがそう言ったのを聞いて「は?」と返した。何を言われたのか分からなかった。
 するとダイクはニヤッと笑って言う。
「いやあ、お前の頭がそんなメルヘンだったとはね、意外意外。」
「な…何が…?」
「自分が犬かもしれないなんてよ。めっちゃ生意気な犬っころだな。飼い主から逃げ出すし。」
 あっはっは、とダイクは高らかに笑った。
 それでようやく思い出した。頭がフラフラの状態で、あのことを話してしまったのだ。
「う、うるせー!熱でうなされただけだ!放っとけ!」
「ちゃんと人間の手があって良かったな。」
 この上ない失態をやらかした気分で、そのあとは何を言われても答えなかった。


 しばらくぶりにギルドに行くと、ザイールを見た面々はそれぞれニヤついたりクスクスと笑ったりして目を逸らす。よく知った男が「よお、」と声を掛けてきた。
「わんこ、もう体はいいのか?尻尾の調子はどうだ?」
 周りにいた数人がそれを聞いて爆笑した。
 ダイクがあの事を仕事仲間に話したんだと気付いて、ザイールは顔を真っ赤にした。
「う…うるせえ…」
 ぜってー許さねえ、とダイクに腹を立てたが、後の祭り。それからしばらくの間、ギルドの戦士たちから『犬っころ』呼ばわりされるのを我慢するしかなかった。


3/3ページ
スキ