その街で

2ソニア


 母親が死んだのは、末の妹がまだ二歳の時だった。街の外に出た際にモンスターに襲われ、死体も残らなかった、と聞かされた。
 その時ソニアは八歳、弟が四歳、そして末の二歳の妹。父親は居るが、ソニアが小さい頃から仕事はしていない。母親の稼ぎが全てだった。
 働かない父親の代わりに、ソニアは出来ることは何でもやった。しかし真面目な性格故、犯罪には手を染めなかったから、収入は微々たるものだった。


「お父さん!勝手にお金使わないでって言ったでしょ!?」
 食事もままならないというのに、父親のダフは彼女の稼ぎを酒と賭博に使ってしまう。そして金貸しに泣きついて借金が膨れる一方だった。
 ソニアが十五になるころには、どう頑張っても彼女の収入では返済できない額になっていた。そろそろ覚悟を決めなさいよ、と自治の相談役が彼女に言った。でもどうしても首を縦に振る気にはなれなかった。何故なら、相談役の言う「覚悟」とは「娼婦になる覚悟」だからだ。
「もう少し、待ってください。なんとかしてみます。」
「…そうかい…でも、もう時間がないんだからね?」
 わかってますと返事をして、ソニアは逃げるように家に入った。
 時間がない、という意味は一応知っている。父親が頼っている金貸しは、街の外から来た胡散臭い男だった。街の認可が下りている金貸しのところでは借りることが出来なかったダフは、二つ返事で金を持ってきてくれるその男から金を借りている。そういう金貸しは、気前よく大金を貸しておいて、返せないと判断するとその家の娘を連れていく。この街では禁止されている行為だ。
 もう借金は膨れきっていて、彼女が連れていかれるのも時間の問題だと相談役は言う。
 それから逃れるには、街の認可店の娼婦になる代わりに街から全額借金をし、その金貸しに返すしかない。それがこの街の救済システムだった。
 街に助けを求めても娼婦になるしかない。そして、借金のカタに連れていかれても、その行く末は娼婦だ。ただ、街の認可店の娼婦と街の外の娼婦では待遇が雲泥の差だった。ソニアも相談役からその話は聞かされていた。金貸しに連れていかれた先の娼婦宿は、女たちが奴隷のようにつながれて、客にどんな酷いことをされても耐えるしかないのだと。そして外に出ることもできず、体がぼろぼろになって死ぬまで男の相手をさせられる。
 恐ろしい、と思う。そんな目には合いたくない。でも、まだ決心がつかなかった。


 その数日後、父親が機嫌よく酒を飲んでいるのを見てソニアは嫌な予感がした。
「…お父さん、そのお酒どうしたの?…また借金したの?」
 顔をゆがめてそう訊いても、ダフは笑って言った。
「心配すんな。あの人はずっと前からウチに良くしてくれるんだ。返済だってちゃんと待ってくれてるだろ?」
「いったいいくら借金があると思ってるの!?私の稼ぎじゃ返せっこないじゃない!!」
「大丈夫だって。ちゃんと返せるように考えてくれてるって。前だってちゃんと、チャラになったんだから。」
 なにそれ、と呟くと、ダフは「あー、お前は小さかったから知らないか。」と話を終えてしまった。

 どういうことか、想像がつかない。ソニアは考えあぐねて相談役のところを訪れた。
「チャラになったって言ったんです。昔のことだから私は分からなくて…。何かご存じないですか?」
 相談役はソニアの肩に両手を置いてそのまま崩れて膝を付いた。
「もう駄目よ、覚悟を決めて。今すぐ街にお金を借りに行くの。」
「どういうことです?チャラになるっていうのがホントなら…。」
「なるわけないでしょ!?あんたのお母さんはそれで連れていかれたのよ!?」
「え…?」
 ソニアの母親は死んだわけではなかった。今生きているかは定かではないが、母親が死んだと聞かされたあの日、借金のカタに連れていかれたのだという。
「ごめんなさいね。あんたのお母さんの時は間に合わなかったの…。だから、今度こそ、あんたのことは助けたいのよ!わかって!覚悟を決めて!」
 モンスターに食われたのだと、死体も残らなかったのだと聞かされたのは全部嘘だった。自分の妻を犠牲にしておいて、それを「チャラになった」と言ったのだ。
 全身の血が逆流するような感覚に襲われ、ソニアは茫然とした。
「いいわね?今から借用書の控えを全部持ってきて。」
 言われて、ソニアは心を決めた。

 街の認可店で働くと誓約書に書き、父親の借金を丸ごと返せるだけのお金を借りて相談役と一緒に家に戻った。するとそこには金貸しの男が数人の屈強な男を連れて来ていた。
「ああ、お嬢さん。これから一緒に来てもらうから、支度しな。」
 そうはいかないよ、と相談役が前に出た。彼女も用心棒を連れている。
「借金のカタに連れて行くんだろ?じゃあ、これでこの話は終わりだ。」
 そう言って借りてきたばかりの金を見せる。
「金額の確認をしておくれ。」
「残念だが、その額じゃ足りないんだ。さっきまた貸したんでね。すぐに賭けにすっちまったらしいが。」
 相談役は「いくらだい?」と返した。
「三十万ルーベだ。びた一文まけられないな。」
「そのくらいは見越してたよ。」
 そう言って追加のお金を出した。
 そのお金は相談役の独断で自ら借りてきたものだ。後からソニアの借金に足すことになるが、それで借金取りを追い払えるなら安い筈だ。
 男は小さく舌打ちをして、金額の確認を始めた。
「確かに、きっちりあるな。まあ、金が入るなら文句はねえんだ。おい、行くぞ。」
 立ち去るときにばらばらと撒かれた借用書をソニアと相談役は一つ一つ確認して、集める。これをまた役所に持っていかなければならない。
 ダフは終始黙ったままだった。
 娼婦宿に行くために準備をしているときも、出て行くときも、まるでソニアが存在しないかのように何も興味を示さなかった。
 弟と妹にいくつかのことを教え、また来るからね、と約束して家を出た。

(チャラになったんだ。あの人の中では。借金が魔法のように消えたと思ってるんだ。)

 母もこうやって忘れられてしまったんだ、と思うと悲しかった。
 しかし悲しんでばかりはいられない。きっと今後も借金をするだろう。二人の兄弟を守る方法を考えなくてはならない。
 ソニアは前を向いた。


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