その街で

1記憶の起点


「あたし剣士ね!」
 そう言って五歳のフェイが細い枝を持った。
「たまにはお前がモンスターやれよぉ…」
 同い年のドードが不服を口に出すが、女の子をモンスターに見立てて男の子がそれを退治するのが見栄え的に問題があるのはもう知っていた。
 一度、親たちからこっぴどく叱られたことがあるのだ。
 その時「勇者ごっこは女の子がするものじゃない」と窘められたのだが、フェイはもうすっかり忘れてしまっているようである。
 そして、なぜだか彼女はザイールとチームを組みたがるので、大抵の場合、モンスター役はドードがする羽目になった。
「オレがドラゴンやる。あそこが巣穴な。」
 ザイールが自分からそう言って岩場に走っていくのを、少々がっかりした面持ちでフェイが眺めた。
「ドラゴンはカッコいいよな。」
 ドードがぼそっと呟くと、フェイは目を輝かせる。
「そだね!カッコいい!」
 はあ、とドードは溜め息を吐いた。
 これは自分がドラゴンにやられて死ぬ役目だな、と。そして仲間の死を乗り越え、フェイがドラゴンを倒し、最強の女剣士になって終わるという筋書きだ。
 フェイは機嫌を損ねると面倒臭い。気分良く終われるように立ち回らなくてはいけないのがドードは嫌だった。


「ぐあっ!」と大げさな声を出してザイールがやられたふりをすると、フェイは万歳をして飛び上がった。
 死んだふりで寝転んでいるドードがごろんと向き直って文句をつける。
「世界一の剣士はそんな風にはしゃがないんだぞ。」
「えー、だって…。…どーやるの?」
 フェイは自分でも格好悪かったと思ったのか、素直に尋ねた。
 二人が駆け寄って演技指導を始める。
「やっぱ最後は、決めポーズやらなきゃ!」
「剣をカッコよく振り回すんだ。こーやって、右に、左に、ぐるんって。」
「ああ、そこで自分もくるっと回って向き直る!」
「そー、剣を高く掲げて、ぴしっと!」
 言われた通りにフェイがポーズをとると、二人は腕組みをして考えてからポーズの修正に取り掛かる。
「右腕もうちょっと、こう。」
「左足はここ。」
「ホラ、それで最後のセリフだぞ?」
「うん!『我が剣に倒せぬものなし!この世界の平和は私が守る!!』」



 家に帰る手前の水場で、三人は汚れた手と足を洗う。遊びまわって体中砂埃だらけだ。
「ねえ、うしろ、キレイになった?」
 フェイがパタパタと払った背中を向けた。
 丁寧に汚れを落としているのは、フェイが特別綺麗好きなわけではなく、男の子と一緒に勇者ごっこをしていると小言を貰うから、なるべくバレたくないだけのことだ。
「うん、大丈夫。」
「どうして女の子は剣士やっちゃいけないのかな。前、モンスターやったら二人が怒られちゃったし、勇者を見送るお母さん役なんてつまんないし…。」
 フェイは大人たちが怒る理由が分からなくて、ぷうっと膨れた。
 フェイの母親は彼女におしとやかになってほしくて勇者ごっこ自体を禁止したのだが、彼女の中に「勇者ごっこをやらない」という選択肢はなかった。だからどの役をやっても怒られるのが理解できないでいる。
 それにはドードも頷いた。
「そーだよな。とーちゃんもかーちゃんも、わけわかんないとこで怒るんだよな。」
 二人は意気投合して文句を言い合い、ザイールにも話を振った。
「ザイールんちは?おじさん怒る?」
「え?うち?」
 ザイールは返答に困った。以前勇者ごっこの件で怒られたのはドードとフェイの親からで、その時ダイクはギルドの仕事で出かけていた。というか、いつも仕事でいないから、この二人の親たちが育ての親のようなものだ。
「…ダイクは別に…滅多に怒らないから…。」
「いいなー。怒られたことないの?」
「え、あるよ。…ダイクの仕事道具にカエルの死骸入れたとき…」
「あ、あれかー…」
 それはドードと一緒になってやったイタズラだった。
 ちょっと驚かそうと思ってやったのだが、ダイクは全く驚いた様子はなかった。ただ、どすの利いた声で呼ばれ、「次、仕事道具に何かしたら、家を失うと思え。」と眼光鋭く言いつけられただけだった。それがこの上なく怖かった。
 ドードはもう家に帰った後だったからその場面は見ていない。でも次の日のザイールのうろたえぶりを見て、二度とすまいと心に決めた。
「ザイールんちのおっちゃん、怖いんだか優しいんだかわかんないよな。見た目怖いけど普段怒んないし。」
「ダイクは仕事が一番だから。」
 ザイールがそう言ったところでフェイが首を傾げる。
「前から思ってたんだけどさ、ザイールはどうしておじさんのこと名前で呼ぶの?」
「え?」
「お父さんって呼ばないの?あたし、前に冗談でお父さんのこと名前で呼んだら怒られたよ?」
 数秒の間、ザイールは放心したような顔をした。今初めてそのことを考えたようだ。
 何故だろう。昔から、最初からそうだった。お父さんと呼んだ覚えがない。
「それにお母さんは?ザイールんち、どうしてお母さんいないの?」
 その質問には、横からドードが止めに入った。
「バカ!そーゆーのは聞いちゃいけないんだぞ!?」
「どーして?」
「人にはそれぞれ、カテイノジジョーってのがあるって、母ちゃん言ってたぞ!」
 以前、同じ疑問を持ったドードが両親に尋ねたとき、そう言って窘められたのだ。『そんな事情を根掘り葉掘り聞いたら可哀想でしょ?』とも言われた。よくわからなかったが、その質問をするとザイールが可哀想なのだと理解して、聞かないようにしていたのだ。
 ザイールは首を傾げる。
「聞いちゃいけないのか?」
 本当にわからないといった風を見て、ドードは自信なさげに答えた。
「だって、母ちゃんが『可哀想だから』って。」
「でも、オレ、お母さんがいないって今わかった。別にいなくても困ってないぞ?」
「ザイール可哀想なの?」
 フェイが心なしか不安げにそう言うと、ザイールは首を横に振った。
「大丈夫。今日、ダイクに聞いてみる。」



 台所に置いてある干し野菜で空腹を紛らわせながら、ダイクの帰りを待つのがザイールの日課だった。今日はその干し野菜にも手が伸びない。緊張している所為だ。
 ただいまの声もなくドアが開いて、ダイクが帰って来た。
 ふうっと疲れから出る溜め息を吐き出し、装備を外しながら彼はいつもと様子が違うことに気が付いた。
 普段なら一も二もなく、ザイールが「今日のメシは?」と買ってきた夕食を受け取るために駆け寄って手を差し出すのに、さっきから一歩も動いた風がない。
「よお、腹減ってねーのか?馬肉の香草焼、うめえぞ?」
 差し出して見せると、ザイールは一歩踏み出し、しかしそこで足を止めた。
 何か言いにくそうにしている。
「えっと…あの…父ちゃんおかえり!」
「はあ!?」
 ダイクが驚いていると、ザイールの方は言ってしまってスッキリしたのか、すぐそばに来て香草焼きに手を伸ばした。
 が、ダイクはそれを避けて手を高々と上げた。
「ちょっと待て。座れ。」
 料理に手が届かなくなってしまい、ザイールはきょとんとダイクを見上げる。
 自分は何か悪いことをしただろうかと考えるがわからない。不安を抱えながら、仕方なく言葉に従った。
 ザイールが椅子に腰かけると、ダイクは料理をテーブルの中央に置いて自分も座った。
「何だ、その『父ちゃん』ってのは。」
「…えっと…フェイがお父さんを名前で呼ぶと怒られるって言ってて…」
「俺は怒ったことあったか?」
「…ない。」
 そこでダイクは一旦黙り込んだ。
 ザイールは訳が分からず、上目遣いで様子を窺う。怒っているのだろうか。
 ダイクは、ガシガシと頭を掻いて「あー」と唸り声を上げた。
「あんなあ…念のため言っとくが…」
 なんだろう、とザイールは目の前の大人を凝視する。
「俺はお前の父親じゃねえぞ?」
「え?」
「『え?』ってお前、ここに来た時のこと覚えてねーのかよ。」
「来た時…?」
「初めてここに来た時だ。いきなり開いてたドアから入ってきて『ごはん』っつったんだ。」
 ぶんぶんと首を横に振る。まったく覚えていなかった。
「外見ても誰もいねーしよ、お前は『お腹空いた、ごはん』しか言わねーし、仕方ねーからメシ分けてやってよ…」

 取り敢えず一晩のつもりで泊めて次の日から近所中聞きまわり、憲兵にも事情を話して助けを求めたが親は見つからず、引き取り手もない状態が続いた。
 街に孤児院はなく、育てる大人がいない子供は浮浪児になる以外ない。憲兵も憐れむ風はみせるものの、「育てる気がないなら捨てろ。それが嫌なら自分でなんとかしろ。」と言うばかりだった。

「言葉はまだ殆ど喋らなかったが、聞き分けが良くてよ。まあ、家で大人しくしてるなら置いといてもいいかって置いてるだけだ。」
 いきなり聞かされた事実に、ザイールの頭は混乱してついて行けない。
「…じゃあ、お母さん、は?」
「さあな、知らねー。俺は独り身だしな。」

 まったく迷惑な話だ、と言いながら、ダイクは皿を出して料理を取り分けた。
「俺は結婚もしてねーのに子持ちになっちまうし、請け負い屋のチームからハブられそうになるし、散々だったんだぞ?」
 まだ結婚をあきらめたわけじゃないからな、と釘を刺すようにダイクは言った。
 だから父親なんて呼ぶんじゃない、と。


「だからさ、オレはダイクのこと『ダイク』って呼べばいいんだってさ。」
 ひと通りの説明をして、ザイールは「今日は用事があるから」と友達を残して家に戻る。
 遊ばずに帰ってしまったことを友達二人は少々不思議に思いはしたが、さほど気にせず遊び始めた。


 家に戻って中を見回す。
「…何を持ってけばいいかな。」
 取り敢えず食べ物、と思って干し野菜を手に取った。しかしそこで疑問が湧く。
 これはダイクが買ったものだ。それを持ちだしたら泥棒にならないだろうか。
 そう考えると、この家の中に自分のものは無い気がした。
 覚えていないけれど、ここに来た時、多分荷物は持ってなかっただろう。家の中にあるのはダイクが稼いだお金で買ったものばかり。ザイールのものと呼べるのは、草や木で作ったおもちゃぐらいのものだ。
 肩を落としてザイールは外に出た。
 頭の中にダイクがよく言っていた言葉が浮かぶ。
『人様に迷惑掛けんじゃねーぞ。』
 そして昨日言っていたこと。
『まったく迷惑な話だ。』
 彼は家を出て行こうと心に決めていた。



 街の一角に浮浪児が住み着いている広場があった。
 ダイクの家の方は貧しい家庭が集まった区画だが、その広場の辺りは比較的裕福な家が並んでいる。子供たちはその家々のゴミを漁ったり、施しを当てにして生きていた。
 あそこにいるのは親の無い子供だ、というのはどこかで聞いたことがある。その時は知らなかったが、つまり自分と同じ子供がいるのだと分かって、ザイールは仲間に入れてもらおうと思っていた。
 ところが、それはうまくいかなかった。
「お前、その服どうしたんだよ。」と年上の少年に指を指された。周りの子供たちはボロボロの汚い服を身に付けている。痛みの少ない、きちんと洗濯された服を着ているザイールは明らかに「普通の子供」だった。
 ザイールの服が特定の大人が買ってくれたものだと分かると、彼らは仲間に入れないとはっきり宣言した。面倒を見てくれる大人がいる奴は浮浪児じゃない、ということらしかった。
「俺たちの食いぶちが減るだろ!お前はその家で恵んでもらえよ!」
 どうやって食べ物を手に入れるのかを知りたかったが、そのまま追い払われ、近づこうとすると睨み付けられたため、諦めるしかなかった。

 当てもなく歩き回り、夕焼けが広がるころに何回か来たことのある露店街に出た。
 食べ物のいい匂いにつられ、数歩歩み寄る。と、声が掛かった。
「おい、坊主!こっちこっち。お前、ダイクんちの坊主だよな?」
 呼んだ露店の店主の方を向くと、見たことのある顔だ。反射的にこくりと頷く。
「おつかいか?」
 首を横に振ると、店主は「そうかい」と少し思案してから店の奥の荷物をごそごそと探った。
「ホラ、これ持ってけ。形が悪いから売り物にゃならねーが、うめーぞ?」
 ぽん、と手の上に乗せられたのは、いびつなオレンジだった。
「お金…持ってない…。」
 そう言って返そうとしたが押し返された。
「だから、売り物じゃねーからやるって。いつもダイクにはひいきにしてもらってるからよ。よろしく言っといてくれ。」
 はい、と返事をして歩き出す。
 これはダイクのものだ、と思った。ダイクがひいきにしてるお礼としてくれたわけだから、ダイクに渡すべきものだ、と。
 よろしく言うようにも頼まれてしまったし、オレンジも渡さなくちゃいけない。ザイールは仕方なく家に向かった。


 家に着くと、中からいい匂いが漂っていた。いつものようにダイクが夕食を買ってきたのだと分かる。
 そっと扉を開くとすぐにダイクが振り返った。
「よう、わんぱく坊主。遅かったな。今日は鶏のシチューだぞ。」
 足を止めて俯く。
「い…いらない…」
 そう言うと同時に、ギューウと腹が鳴った。
「…腹減ってんじゃねーか。シチュー好きだったよな?」
「こ、これ、渡しに来ただけだから、すぐ出てく。」
「何だ?それ。」
 訝しんで眉を顰めるダイクに、露店の店主に言われた事を伝える。
「ふーん?じゃ、それはお前のモンだ。」
「でも…」
「それは伝言の駄賃だ。大人が大人に渡すなら、その十倍は寄越す。んなもん一個ばかしで大人の付き合いにゃならねーよ。」
 そうか、とザイールは納得してオレンジを眺めた。今日はこれで空腹を紛らわそうと決め、そのまま出て行こうと背中を向ける。するとダイクが呼び止めた。
「ちょっと待て。んで、その『出てく』ってのは何だ。」
 ザイールは途中まで振り返ったところで俯いた。
「オレ、この家の子供じゃないし…ダイクにメーワクかかるから…」
 はあ!?とダイクは声を上げて歩み寄った。
「ダイク言っただろ?人にメーワクかけるなって。ここにいるとダイクにメーワクが…」
「ああ、メーワクだな。」
 声と同時にダイクの手がザイールの胸ぐらを掴んだ。
 声音はいつかのドスの利いたもの。
 ザイールはびくりと身を震わせた。
「座れ。」
 言葉は穏やかだが胸ぐらを掴んだ手は緩まず、ただ引っ張られるままついて行く。椅子に背を向けて立たされたところで手が離れた。
 ジロと見る視線が座れという意味だと理解して、ザイールは大人しく腰かけた。
「お前が出て行きたいならそれはいい。だがな…。」
 無言の間も視線はじっと相手を捉えている。ザイールはおずおずと視線を合わせた。
「今までどれだけお前に金を使ったと思ってんだ。」
 ダイクは説々と孤児が来てから丸二年で掛かった金の話を聞かせた。
 食事、服、その他こまごまとした物、そして当初仕事に出られなかったことによる損失。
「俺にメーワクを掛けたことが分かってんなら、今まで掛かった金をきっちり返せ。返しきるまでは出てくことは許さねえ。いいな?」
 その眼光に負け、何も考えないままザイールは頷いた。
「んじゃ、食え。」
「…でも、これもダイクの…」
「ばかやろ。食わなきゃ死ぬだろうが。返しきらずに死なれちゃ迷惑だっての。」
 これからの分も合わせて返せばいいと言われ、ザイールはやっと食べ始めた。



 名前はダイクが付けたのかと尋ねると、否の返事が返って来た。
「会話にならなかったが、名前はって聞いたときに言ったんだ。ホントにお前の名前なのか、身近な誰かの名前なのか、まったく関係ねー言葉なのか分からなかったケドな。」
 正確に言えば発音も怪しく、『ザイーユ』だか『ダイウ』だか言ったらしい。
 そんな状態だから本当の親を探すのも無理だろう、とダイクが言ったが、それについてはザイールは興味がなかった。
 そういえば、ともう一つ質問をする。
「誕生日は?」
 先日五歳の誕生日を祝ってもらったばかりだ。水の後月三十五日が誕生日だと教えられている。
「ああ、あれがここに来た日だ。年齢も定かじゃねーが、見たとこ三歳だろうって話でそうしてある。歳数えとかないと色々厄介だからな。」
 社会で生きてくには必要なことだ、とダイクは言った。


 次の日からザイールはお金の稼ぎ方を考え始めた。ギルドに行ってみたが、あっさりとつまみ出された。どこに行っても五歳の子供を雇ってくれる場所はなく、それから数回ギルドに仕事をさせてくれと頼みに行った。
「…おめーマジで働く気か?」
 またつまみ出されたところに丁度ダイクがやってきた。ギルドから苦情をもらってのことだったが、ザイールは知る由もない。
「だって…お金返さなきゃ…」
「大人になってからでいいんだが…まあいいか。ちょっと来い。」
 ダイクはザイールを促して歩き出した。始めて行く通りでキョロキョロとしていると、ある店から出てきた男にダイクが声を掛けた。
「よお、どうだ。」
「ああ、まあまあだ。何か…用か?」
 そこは買取専門の店だった。普通、戦士は訪れない場所だ。そこを利用するのは、解体屋が殆ど。戦士が倒したモンスターの死体を捌く彼らは下賤な輩だと蔑まれていて、こうやって話しかけられることも少ない。顔なじみとは言え、陽の高い、人目がある時間に呼び止められたことを男は少々疎ましく思っていた。
「急で悪いんだが、こいつに仕事教えちゃくれねえか?」
「歳は?まだ小さいだろ。」
「五歳だ。何、取り分はゼロで構わねえ。こいつが損失を出したらその分は俺が払う。稼ぎ方の基本を教えてくれりゃ、それで放り出してくれていいんだ。」
 男は少し渋っていたが、何度かのやり取りのあと承諾の返事をした。

「名前は?」
「ザイール。」
「ザイール、ね。俺はバンデってもんだ。解体屋をやってる。まあ、何をして金を作るのかは、後をついてくれば分かる。来い。」

 解体屋。それがザイールが最初に就いた職業だった。


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