虹を見上げて




 ザイールはある領地の領主からの依頼で来たと言った。
「ま、腐れ縁で昔から繋がってる貴族がいてな。」
 そいつが厄介な依頼を持ちかけてきたんだ、と続ける。

 5~6年前に水害があったろ? 覚えてるか?
 あんときに山がひとつ崩れたんだが、その山に住んでたモンスターが住処を失ってな、何匹かが大移動を始めたんだ。
 その殆どはすぐに討伐されたらしいが、一匹だけ行方が分からなくなって探してたんだってよ。

「それがここにいるっていうの?」
「そういうことだ。」
 ごく簡単に説明をして、出されたお茶を飲むザイール。
「どんなモンスター?」
「大型の、蛇とムカデのあいの子みたいなやつだ。」
「なんで討伐目標になってるの? モンスターが住処変えることなんて、それなりに普通にあると思うけど。」
「迷惑な奴なんだよ。ここもこんなになっちまったろ?」
 え!?と声を上げて私も、おじさんおばさんも、エイランさんも固まった。
「ちょっと待ってよ!この状況の原因が分かってるなら、なんで今まで放っておかれたの!?植物が枯れ始めてからもう2年以上経ってるんだよ!?」
 あー、と面倒くさそうにザイールは頭を掻いた。
「それはなんつーか、領主の問題でな。」
 ザイールに討伐を依頼した領主と、ここの領主の折り合いが悪く、互いに弱みを見せたがらなかったことが事態を悪化させたらしい。
「俺の依頼主は、自分の領地から迷惑なモンスターが他所に行くのを極秘裏に阻止しようとした。だから、その話は全く外に漏らしていなかった。でも、一匹を見失っちまった。…一方でここの領主は自分の領地で問題が起こっていることを周りに知られないように気を配っていた。互いに、相手の情報を手に入れる手段がなかった。」
 それがいよいよ村を捨てなくてはならなくなったことで状況が変わったそうだ。
 新しく開墾をするにあたって、領主は女王に報告をしなければならない。報告をすればその情報は他の領主たちにも共有されるようになる。その情報の中に、この村を捨てるに至った経緯も入っていた。
「それで、ここにそのモンスターがいるってわかったの?」
「そういうこった。」
「なんでもっと早く…。」
「ま、それは無理な相談だって。今更なんだしよ、諦めな。」
「…そんな言い方ないでしょ…。」
 かつての仲間の冷たい態度に、この村への申し訳ない気持ちが沸き上がる。押し黙っていると、エイランさんが口を開いた。
「…貴族のことはわからないから、仕方ないですよ。きっといろんなしがらみがあるんでしょう。」
「おう、にぃちゃん話が分かるな。」
「それで、討伐をしてくれるんですよね? おひとりで?」
「一人に見えるかい?」
 そう言ってザイールは周りにいる5人の子供たちを指し示した。
「え?」
「こいつらが、討伐チームだ。もちろん俺も入るが。」
 見たところ全員10歳前後だろうか。確かに武器も携えているけど、子供でも倒せる相手だということなのか。でも、さっきザイールは厄介な依頼だと言った筈。あれこれ考えていると、ザイールはニヤッと笑った。
「なんだよ。お前がドラゴンの討伐に行ったのだって、このくらいの歳だったろうが。」
「そうだけど、…ほら、あれはみんながいたから…。」
「随分しおらしくなりやがったな。あんときゃ、自分がいなきゃってぐらいの気概があったろうに。」
 それは子供だったからだよ、とは言えなかった。今、この子たちの前で言っちゃいけない気がする。
「まあ、頼りなく見えるのは仕方ねえが、心配すんなよ。このチームで、もう充分な経験は積んでる。大体、俺が負け戦をすると思うか?」
 そうだ、確かに、ザイールが勝てない討伐を請け負うはずがない。
「ううん、信頼はしてるよ、そういうとこ。」

 あたりの様子を少し調べてから作戦を立てると言って、ザイール達は外に出て行った。
 私も外に出て彼らの様子を眺める。
 そうか、討伐か。
 懐かしく思う。ドラゴンの討伐以来、モンスター退治をしても軽いものだったし、食料調達の狩りはお手のもの。二回目の旅ではそこそこ大変なこともあったけど、私の人生で一番の大事件はあのドラゴン討伐だった。
 ぞわっと心の中で何かが動く。私は何かの役に立てているのかな。
 両親に心配をかけたことを反省して、あれからお父さんの仕事の手伝いに励んではきた。でもずっと手伝ってきたのに、バリーさんの足元にも及ばないしエイランさんにだって負けていると思う。彼は私を師匠の娘として敬ってくれるけど、敬われるだけのものを私は持っていない。
 ずっと思っていた。私の居場所はどこなんだろう。
 お父さんもお母さんも、きっといつまでも家にいていいと言ってくれるだろう。でもそれは、私が必要とされているわけではなく、二人が私に優しいだけ。
 子供の頃は、エディンのパートナーだということが私の誇りだった。必要とされている自信があった。

 今は?

 そんなことを考えていたら、居ても立ってもいられなくなった。
「ザイール!」
 私は駆け寄って拳に力を入れた。
「私も、…私も一緒に戦いたい!」
 ザイールは一瞬キョトンとした顔を見せたけど、すぐにニッといつものように笑った。





 そのモンスターは地中の深い場所にいて、外には滅多に出てこないらしい。
「居場所を突き止めるのと燻り出すのは俺とフランでやる。」
 フランという男の子の守護精霊は闇。二人の魔法で目標を戦いやすい場所に追い込む。
「急所は首だが、ここは狙うな。」
 どうして?と訊いたのは私だけだった。子供たちはもう知っているようだ。
「毒袋があるんだ。大体この辺り。」
 そう言って簡単に書いた絵の首に丸を付ける。
「この村をこんなにしちまったのはその毒だ。あいつが住む場所は常に毒で汚染されるから、植物が育たない。あいつを倒して、地中の毒を洗い流さなきゃ元には戻らねぇ。薄めて加工すりゃ薬品にもなるんだが、原液は酸が強くて何でも溶かしちまう程だ。触ると皮膚も肉も溶けるから注意しろよ?」
 まずは脚を斬って動きを止める。それから腹を狙って体力を奪い、首を持ち上げられなくなったところで頭部を剣で貫く。少し手間がかかるけど、一番安全で確実な方法だという。
 手順と配置を確認すると、皆コクリと頷いた。
 メンバーは、ヒーラーのフラン、片手剣使いのイオとクレア、短剣使いのココ、槍使いのハンク、それにザイールと私。
「よろしくね。」
 子供たちに握手を求めて手を差し出すと、ちょっと躊躇いながら応じてくれる。素直ないい子たちだ。
「気ぃ抜くなよ。行くぞ。」



 戦闘は順調だった。ザイールが心配するなと言っただけのことはある。皆、子供とは思えない戦いぶりだった。それでも沢山ある脚を斬り落とすのには時間がかかる。うまくいけば一撃で断てるけど、なかなかそうもいかない。
「集中しろ!」
 ザイールが何度かそう言った。きっと普段ならもう少し手際よくできるんだろう。もしかしたら、私が入ったことでチームワークが乱れているのかもしれない。
 そんなことを考えていたら、それは起こった。
 蛇のような長い体の前方についている脚を狙っていたイオが、前に飛び出した。モンスターが逸らせた上体を追っての動きだった。でも痛みに悶えるモンスターは、予想外の方向に身体を倒した。
 イオが振るった剣は、急所の近く、毒袋のあるまさにその場所を斬り裂いてしまった。
 斬り裂く一瞬前のイオがハッとしたのを見た私には、これから起こる情景がまざまざと頭に浮かんだ。そしてその通りのことが、時の流れが止まったかのように、ゆっくりと…。
 イオが斬り付けるとき、ココの前をすり抜けていた。毒液は、ココが驚いて立ち尽くしているその場所を目指して落ちていく。彼女は驚きのあまり目を見開いて、口も開いたまま。
 肉を溶かす毒液。ザイールがそう言ったのを思い出す。
 すぐ近くにいた私は、咄嗟に飛び出した。私の体なら、この子を覆い隠してしまえるだろう。必死で抱きすくめた直後、体のあちこちに湧く熱と痛みを感じ、最後にザイールが私の名前を呼ぶのを聞いて意識が遠のいた。



 声が聞こえた。
 これは祝詞だ。
 懐かしい気分になって記憶を手繰り寄せているうちに、体の痛みが戻って来た。
 痛い。…どこが痛むのか分からないけど、とにかく痛い。…ということは、私、生きてるんだ、なんて思いながら祝詞を聞いた。
 ああ、と思い出す。
 これは、ドラゴン討伐の時に訊いたのと同じやつだ。深手を負った兵士に、フェリエが掛けていた治癒魔法。
 そうか、フェリエが来てくれたんだ。私を助けに来てくれたんだ。
 そう思ったら安心して、私はまた眠りについた。



 次に目覚めた時、私はベッドの中にいた。
 外は雨が降っているようで、部屋の中は薄暗い。今は何時ぐらいだろう。
 時計を見たくて顔を動かすと、視線の先にザイールの姿が見えた。何やら武具の手入れをしているようだった。
「…お、目ぇ覚めたか。…あぁ動かなくていい。まだ寝てろ。」
 言われて布団の中でおとなしくすることにした。
「…ココちゃんは?無事?」
「ああ、ちょっと待ってろ。」
 そう言って、ザイールは部屋の外に顔を出して子供たちを呼んだ。
 ベッドのすぐ傍に来たココとイオは泣きそうな顔をしていた。
「ごめんなさい、勇者様。」
「勇者様、ごめん! 俺がヘマをした所為で大けがをさせてしまって…。」
 勇者様なんて呼ばれたことに驚いて返事に窮したけど、気を取り直して言葉を返す。
「大丈夫だよ。ココちゃん、怪我は?」
「少しだけ。すぐクレアが治してくれたから何ともないです。」
「そう、良かった。イオも気にしないで。私、大丈夫だよ?すぐ元気になるから。」
 コクリと頷いて、二人は涙を拭った。
「ほら、お前ら、キャムが目ぇ覚ましたって知らせて来い。」
 ザイールがそう言うと、子供たちは慌てて駆けて行く。
 それを見送って、私はザイールに訊いた。
「フェリエは?」
「は? あいつが居るわけねーだろ。」
 そう言われて思い出した。そうだ、フェリエは今、お腹に赤ちゃんがいるんだった。こんなところまで旅をしてくるわけがない。
「…じゃあ、…夢だったのかな。フェリエの祝詞が聞こえたの。」
 ああ、とザイールは笑った。
「フランだよ。あの治癒魔法、習得してるからな。」
「…うそ…、だって、あれ、高位魔法でしょ!?」
 アイツ生まれつき魔力が強くってよ、とザイールは言う。

 ザイールがあの子たちの面倒を見始めたのは、奥さんのソニアさんが亡くなってすぐのことだ。孤児を引き取ったという話は、エディンやマルタからの手紙で知っていた。
 フランは引き取った時から魔力が強く、請負屋稼業を教えるつもりだったザイールは、すぐに彼を教会に修業に出したんだとか。
「あれこれ習得できたのは良かったが、教会の奴ら『あの子は高僧を目指すべきだ』って離したがらなくってよ。仕方ねぇから、掻っ攫ってやった。」
「…ちょっと、ザイール、それ、誘拐じゃ…。」
「誘拐なもんか。本人がこっちに来たいって言ってんのに、あいつら閉じ込めてやがったんだ。救出って言ってほしいね。」
 もう、苦笑いしかできない。きっと、ひと悶着だけじゃ済まなかったんだろうな。ザイールのことだし。
「…まあ、おかげで私は助かったんだね。」
「そ。感謝しろよ、俺に。」
「フランに、ね。」
 コイツ、とザイールが拳を作って見せ、私はべーっと舌を出した。昔のようなやりとりが嬉しくて、笑った。

 コンコン、とノックの音が聞こえて、返事をするとエイランさんが顔をのぞかせた。
「キャム、目を覚ましたって聞いたんで…。大丈夫ですか?」
「うん、特に痛みはないよ。大丈夫。」
「お腹空いたでしょう。丸一日寝てたんですから。シチュー作ってるとこですけど、食べられそうですか?」
 じゃあ、いただこうかな、と答えて枕に頭を沈める。エイランさんはすぐに階下に下りて行った。
「…丸一日…、マジですか…。」
 そんなに寝てたのか、と驚いていると、ザイールがバツの悪そうな顔をする。
「…すまなかったな。今回のことは、俺の作戦ミスだ。」
「え…、いや、でも、私が急に参加したいなんて言ったから、それが原因じゃないかな。」
「あいつら、お前のこと『勇者様』って呼んだろ?」
「あ、うん。ちょっとびっくりしたし、照れ臭かったな。」
「前に城下町行ったときにな、勇者像見たんだよ。その時の喜びようと言ったらなかったぜ。あいつらにとって、あの像の中で一番の勇者はお前なんだよ。」



 勇者像は、私たちがドラゴン討伐を成功させて帰ってきた後、その功績を讃えて作られたものだ。エディンだけじゃなく、私も、勿論ザイールもその中にいる。6人の勇者、と名付けられた像。
 あの頃はそれがとても誇らしく、城下町に行く用事がある度にこっそり眺めていたのだけど、時が経つにつれ、逆に恥ずかしくなってしまった。
 それは街ゆく人の何気ない会話を聞いてしまった所為。

 あんな小さな子が討伐なんて、ホントかな。
 まさか。ただの連れだろ? いいよな。同行しただけであんな像になって、金まで貰えたって話だぜ?

 最初はすごく腹が立った。
 私はちゃんと闘った。役に立ったし、必要とされてた。私達6人の、誰が欠けても討伐は難しかった筈だ。そう、思っていた。
 でも、それ以来、なぜだか勇者像の近くで聞こえてくる言葉は同じようなものばかりだった。あの小さな女の子はただの同行者だ、と。
 あの像の女の子は私だよ、と自慢したいのを我慢していた私は、いつからかあれが私だと気付かれるのを恐れるようになっていた。

 それなのに、あの子たちは私を勇者と呼んだんだ。

「俺もねだられてお前の武勇伝聞かせたことがあるしよ。憧れってやつだろうな。」
 ザイールが付いているとは言え、まだ本格的に請負屋をやるには早い年齢。ギルドの認証タグを貰うのにも時間がかかって、しかも未だCクラス。信用してもらうことに時間を費やすこともあるそうだ。
 だから、あの像の少女こそが彼らにとっての勇者。自分たちの目指すもの。
「それを、俺は忘れてた。慣れない人間がいる緊張だけじゃない。憧れの勇者と共に闘う、なんていう気負いがあることに気付けなかった。…だから、俺のミスだ。…悪かった。」
 私はブンブンと首を横に振り、気にしないでと呟いた。
「えへへ…、私、勇者様かぁ…。」
 ただの呼び名としての勇者様じゃなく、本当の意味でそう呼んでくれたのだと知って私は目頭が熱くなった。やっと認められたような気がした。ううん、認めてくれる人は他にもいたんだ。でもそれが見えなくなっていた。
「まあ、くすぐったいよな、そういう呼ばれ方は、よ。」
「ザイールも呼ばれたことある?勇者様って。」
 思いっきり顔を顰めた。ザイールのことだから、きっと凄く嫌なんだろう。『うるせえ!』とか返していたかもしれない。



 またノックの音がして、エイランさんが入って来た。お盆に乗せられたお皿から、シチューのいい匂いがする。
「すみません、ザイールさん。お任せしてしまって。」
「ザイールは何もやってないよ?」
「お前が暴れ出さねーように見張ってたんだよ。」
「暴れないよぉ。」
「どうだか。おてんばだからな、お前。」
 あはは、と笑いながら、エイランさんがベッドのすぐ横にシチューを運んできてくれた。
「もう、失礼しちゃう。」
 私は口をとがらせながら、シチューを食べるべく起き上がった。
 途端、エイランさんがお盆を持ったまま向こうを向いてしまう。「あわわ」だか何だか、変な声を出しながら。
 どうしたんだろうと思ってザイールを見ると、彼もまた口元を拳で隠しながら横を向いている。
 二人が見る先に何かがあるのかと、もう少し体を起こしたところで自分の着てるものが頼りないことに気付いて下を向いた。
「ひゃあっ!」
 薄衣一枚、うっすら中が窺えるし胸元も大きく緩んでいた。慌てて掛け布団を引っ張る。
「あー、悪かったな、嫁入り前の娘を引ん剥いちまって。ま、毒液のついたモン、全部身体から離さねえと危なかったからよ。」
 もう一度布団に入りなおす時に、髪の毛が短くなってることにも気付いた。
「そうそう、髪の毛にもべったりだったんで、切っちまった。」
「…いいよ、仕方ないし…。」
 恥ずかしくて、顔も半分布団で隠しながらそう答える。
 私が布団に入ったことで事態が収拾したと思ったのに、ザイールが言わなくていいことを言った。
「まあ、にぃちゃんは役得だったよな。」
「み!見てませんから!!」
「んなわけねえだろ。丸裸のこいつを運ぶの手伝ったじゃねえか。」
「見てません!見てませんからね!キャム!」
 そうか。よく考えたら、当然そうなるだろう。でも、もう!ザイールったら! そんなこと知りたくなかったよぉ…。
 両手で顔を覆った私が泣いていると思ったのか、エイランさんが心配そうにのぞき込む。
「…あの、…ホントに見てませんから。そんな余裕…なかったんで…。怪我が、酷くて、…骨も見えてたし…ホントに、死ぬんじゃないかと…思って…。」
 そんなに酷かったのか…。それをフランが治してくれたんだ。
「ホントに…見てない?」
 拗ねたように尋ねると、エイランさんは「はい。」と頷いた。
「ザイールは?」
 ぶーっと怒った顔で聞いてみた。
「俺は女の裸なんて見慣れてるんでね。だいたい、お前の裸なんてまだガキの範疇だ。」
「うるさーい!どうせガキですよお!」
 ホントにこのオジサンは。いい人なのか嫌な人なのか、よく分からない。



 雨は私が怪我をした次の日から三日間、たっぷり降り続いた。
「丁度いいさ、これで地中の毒がだいぶ薄まるだろ。」
 ザイール達は討伐の報告があるからと、その雨の中を帰って行った。私はその出発に間に合わせて家への手紙を書いて、それを届けてくれるように頼んだ。
 植物が枯れた原因と、それを取り除いたことを報告しておきたかった。きっとお父さんも喜ぶから。
 怪我のことは、「軽い怪我をしたけどもう大丈夫」と書いておいた。そもそも討伐に参加したことも書かない方がいいかと悩んだけど、体に少し痕が残ってるから小出しにしておいた方がいいだろう。あとで大騒ぎにならないように。
 少し遠回りになる寄り道をザイールが快く引き受けてくれたのは、責任を感じているからだと思う。

 私はベッドから起き上がって伸びをした。陽が出て、辺りがキラキラしているのが部屋の中でも分かった。
 窓を開けると、まだパラパラと細かい雨が残っている。でもすぐ上がるだろう。しばらく窓からの景色を楽しんでいると、畑を見に行ったエイランさんがこちらを振り返って手を上げた。
「キャム! 出てこれますか!?」
「はーい、今行きます!」
 服を整えて、階下に降りていく。おいしそうな朝ご飯の匂いでお腹の虫が鳴きそうだ。
「もう準備できるからね。」
 そう言って微笑むおばさんに、手伝わなくてすみませんと謝るといいのいいのと返してくれる。
「ちょっと畑を見てきますね。」
「無理しちゃダメよ?」
「はーい。」
 命の心配をするほどの怪我だったから、目を覚ました私がその日のうちに立ち上がろうとしたら、みんなして「寝てなさい。」の号令だった。フランのおかげで傷口らしい傷口もなく塞がっているし、私としてはすぐに普通に動けそうな気がしたんだけど、ザイールまでもが動くなっていうから仕方なくおとなしくしていた。ホント退屈だった。
 外に出て、もう一度伸びをする。ああ、気持ちいい。
 ゆっくりと畑に歩いていくと、エイランさんがそわそわと待っていた。
「キャム。ほら、見てください。」
 そう言って指し示した先には、この前枯れかけていた双葉の間から出ている新芽。私はしゃがみ込んで顔を近づけた。すっかり枯れてしまったものもあるけれど、持ち直したものもたくさんある。
「ホントだ。すごい…。頑張ってるね、この子たち。」
「はい、きっと大きく育ちますよ。」
 笑顔を見せるエイランさんの方を見上げると、そのずっと向こうに綺麗な色が見えた。
「あ…。」
「え?」
「エイランさん、虹が出てる。」
 彼も振り返って見上げる。
「ホントだ。大きいですね。」
「うん、綺麗。」
 私は立ち上がって隣に並ぶ。二人で数分、無言で虹を眺めた。
「…キャム。」
「はい?」
「お願いがあるんですが…。」
「なあに?」
 消えてしまった虹の方を見るのをやめて、また無言になってしまったエイランさんの方を向く。
 彼は、首を傾げた私の手を取った。
「この村を、再興させようと思います。一緒に…一緒に、村を、作りましょう。それで、また、一緒に、虹を見たいです。」
 一緒に。それってつまり…。
 あれこれ考えてしまって返事を出来ずにいると、慌てたように彼は付け足した。
「あのっ、これは仕事の依頼という訳ではなくてですね、つまり、その、…プロポーズ…なんですけど…。」
「は、はい。解ってます。えっと…その…。」
「…僕を、支えてくれませんか?」
「あの…えっと…よ、よろこんで。」
 ちゃんと返事になっていたのか心配で、私は彼の手をぎゅっと握り返した。


 ああ、そうか、ここが私の居場所になるんだ。必要としてくれる人と一緒に、居場所を作っていくんだ。


 霧がかかった未来が、スッと晴れたような気がした。



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