虹を見上げて




 エイランさんの村、ヒシュエナに着くと私たちは畑に足を向けた。状態を見ようと思ったんだけど、畑に行く前から酷い有様なのが見て取れた。
 畑の作物はもう跡形もない状態で、それどころか村を取り囲む木々さえ枯れ始めている。
「…こんな…。」
 分かっていたつもりだった。この村の人たちだって素人じゃない。長く農業をやってきた人たちが、粘って粘って、それでも駄目だった。
「…帰ろう…。」
 お父さんはそう呟いた。何かできるなんて思い上がりだった、わざわざ見に来たのは失礼なことだった、と肩を落とした。
「うん…。」
 何もできないと判断を下したものの、そのまま背を向ける気にもなれず二人で立ち尽くしていると、後ろから声が掛かる。
「師匠!?お嬢さんも!」
 もう発ったものだと思っていたエイランさんが、そこには居た。
 他の村人はもう出て行ったけど、彼は諦めきれずに残っていたらしい。
「僕も明日発つ予定なんです。」
 そう言いながら招き入れてくれた家には、彼の両親もまだ残っていた。
「息子の道楽に付き合っていたんですよ。」
と彼の父親は優しげに言い、母親もニッコリ笑って頷く。
 お互いぺこぺこと頭を下げ合って挨拶をして、私たちは勧められた椅子に座った。
「もう何も残っていませんが、お茶でもどうぞ。」
「すみません。お気遣いいただいて…。」
 荷造りを済ませた家の中はがらんとしていた。もの悲しさに皆黙り込んで、お茶を飲んだ。
 なんだかとても悔しくて、私は言った。
「あのさ、私、実験してみたいんだけど。」
「実験?」
「うん、ダメなのは分かったけど、原因が分かれば、ほら、うちの村の予防にだってなるでしょ?だから…あの、畑を少し貸していただけませんか?」
 もう捨てる村だから自由に使っていいけど、とおばさんが戸惑いがちに言って、夫と息子の顔を見る。
 エイランさんも同じような顔をしてから私の方を向いた。
「どんなことをやるんです?お嬢さん。」
「え?…っと…ちょっとね、魔法でバリア張るとか、思い付きで…。だから、ただの実験。」
 まだ何も考えていなかったから、いい加減に口から出まかせを言う。
 気にしないで、と言ったら彼は首を横に振った。
「僕にも付き合わせてください。」
 皆、本当は村を捨てたくなんてないんです、だから僕は最後まで足掻いたんです、と。
「まだ足掻く方法があるなら、付き合わせてください。」
「そうね。私も付き合うわ。息子の道楽が少し伸びただけですもの。」
「そうだな。」
 三人でそんなことを言うから、今度は私が戸惑うことになった。



「では、娘のことをよろしくお願いします。しつけが成っていませんが、何か失礼がありましたら遠慮なく叱ってやってください。」
 お父さんは自分の畑のことがあるから、次の日に帰ることになった。深々とお辞儀をしてそう言った。
「ご心配なく。事が終わりましたら、ここを発つ足でそちらの村にお送りしますので。」
 私を送り届ける約束までしてくれた一家にもう一度お辞儀をして去っていくお父さんの背中を見送ってから、私もしっかりとお辞儀をする。
「よろしくお願いします。食料調達は任せてください。狩りなら得意ですから。」
 グッと拳を握って見せた私に、おばさんが「まあ、頼もしい。」と柔らかく笑った。




「お嬢さん、これでいいですか?」
 私が提案したことを引き受けてくれて、作業が終わった時に彼はそう言った。
 何もかもとてもありがたいんだけど、やっぱり言っておかなくちゃいけないかな…。
「…あのね、エイランさん。」
 名を呼ぶとハッとした顔を見せた。
「何か間違えましたか?」
「ううん、違うの。それは合ってるんだけど…。その、お嬢さんって呼び方、やめにしない?」
 そう言うと、今度はポカンとした顔になる。
「…いや、それは…。お世話になった師匠の娘さんなわけですし…。他に呼びようが…。」
「呼び方なんて、名前でいいじゃない? キャムって。だいたい、私の方が年下なんだよ?」
「いや、そんな、名前で呼ぶなんて…。」
 恐縮する彼を納得させる方法が無いかと頭を捻って、私はいいことを思いついた。
「…じゃあ…私もエイランさんのこと、お坊ちゃんって呼ばなくちゃね。」
「えぇえ!?いや、それは!やめてください!」
 彼の言葉を無視して家の方に歩き出す。
「今日の作業はこのくらいにして、戻りましょう、お坊ちゃん。」
「やめてくださいよぉ~。」
「お世話になっているご夫婦の息子さんなんですから、名前で呼ぶなんて恐れ多いですわ?」
 その後、数回『お坊ちゃん』と呼ぶと彼はやっと折れた。

「お二人も私のことはキャムって呼んでくださいね。」
 おじさんもおばさんも、娘が出来たみたいだ、と喜んでくれた。とても気さくないい人たちだ。おかげで私は随分と気楽に過ごさせてもらっていた。



 井戸の水は信用できない。飲み水も既に他から調達するようになっていたらしい。私はエイランさんと協力して、まだ木々が元気な隣の山から水を引くことにした。その作業に数日、畑の一角の土の入れ替え作業に数日が必要だった。
 ここまではこの村の人たちも何度も試したと言う。
「どうします?」
「…雷の魔法で、何とか毒を防げないかな…。」
 毒、とは言ったけど、本当のところ作物を枯らしているのが何なのかはわかっていない。とにかく良くないものという意味での『毒』だ。私は、一時的に結界のようなものを作り出すのは出来るんじゃないかと思っていた。けれど、それが農作物が育つまで持つかどうか。
「そんなことが出来るんですか!?」
 感心して驚いている彼に、ちょっと申し訳なくて苦笑いを返す。
「えーと…だから、実験、かな。結界の魔法とか習ったことないから、精霊さんにお願いするだけなんだけど…。」
 自分で言いながら、なんて頼りない実験だろう、と情けなくなってしまった。
 それでも彼は、なるほど、と頷いてくれる。
「僕は魔法はからっきしで…。おじょ…」
 またお嬢さんって言いかけて、咳払いをした。思わず口元が緩んでしまう。あれから何日か経ったけど、話をする度にこんな感じだからなんだか可笑しい。でもあんまり笑っても失礼だから、なんとかこらえてる。
「エイランさん、魔法苦手なの?…ちょっと力を貸してもらおうと思ってたんだけど…。守護は水だったよね?」
 そういえば、彼が魔法を使っているところを見たことがなかった。無暗に精霊を頼らない、という信念によるものだろうという予想をしていた私は、その予想が外れたことに少しがっかりした。
 すみませんと謝る彼に、ぶんぶんと首を横に振って見せる。私のがっかりはそういう意味じゃないよ。
「私が今からやろうとしてることだって、いい加減なものなんだからさ、ダメ元でちょっと手伝ってくれない?」
「えー…何もできないかもしれませんよ?」
「いいんだって。守護精霊にお祈りする程度だから。お願いを聞いてくれるかどうかは守護精霊次第ってことで。」

 引いてきた水を、土を入れ替えた畑に行きわたらせる。その水に雷の魔法を乗せて、この小さな区画から『毒』を追い出す作戦だ。と言っても、私たちにできるのは祈ることだけなんだけど。昔から私は精霊に無理なお願いばかりしてるな、と思う。
『精霊さん、お願い!』
 そんな言葉だけで助けてくれるのは、危機的状況を察してのことなのか、私についている精霊が特別慈悲深いのか。他の人がきちんと指示呪文を唱えているのを不思議に思うぐらい、私は自由に魔法を使ってきた。
「いつもありがとう…。」
 胸の前で左手の拳を右手で包むようにして、目を閉じた。
 エイランさんは、流れる水に手を浸けて祈りを捧げる。水の精霊と心を通わせるには、水に触れるのが一番の近道だ。
 魔法を使いなれない彼も、私と同じで指示呪文をあまり知らなかった。真逆なのに、だからこその共通点。そんな不思議な一致が、この魔法を成功させてくれるんじゃないかと勝手な期待をしてしまう。
 数メートル四方、深さにして1メートル程。水が隅々まで届くことを思い描いて祈るよう、彼にはアドバイスしておいた。
 私もそれに魔法を乗せるべく、彼が手を浸けている場所に右手を浸す。自然、手を重ねることになる。
(…もしかして…これって合わせ技と同じ効果があるんじゃない?)
 そう思いついてしまったら、もう私には成功するとしか思えなくなっていた。
「精霊さん、お願い! 悪いものを追い出して、ここを守って!」
 指先に集中して電流を起こす。魔力を開放すると光が水に乗って走って行った。
 二人でじっとして祈り続けていると、エイランさんが突然ふらついた。水から手が離れ、ドスンとしりもちをつく。
「エイランさん!」
「…す、すみません。なんだか目眩が…。」
 多分、魔力が少ないのだろう。魔法を使いなれていないのだから仕方ない。
「気にしないで。それより、大丈夫? 気分悪くない?」
「…はい、大丈夫、疲れただけです。」
 巧くいったんでしょうかと言いながら、彼はゆっくりと立ち上がる。私は彼が無理して平気なフリをしているんじゃないかと心配で、彼の肘のあたりに手を添えながら、畑を振り返った。
「うん、多分。…いつまで持つかわからないけど。」
 この日はまだ畑が水浸しだったから、作物を植えるのは明日にしようということになって、そのまま家に戻った。






「キャム!」
 畑を見に行ったエイランさんが、駆け戻ってきて笑顔を私に向けた。呼び捨てで呼ばれたのは初めてで、少しドキリとしてしまう。
 早く来てください、と急かす彼に手を引かれ、私は畑まで走った。
「…わぁ…。」
 思わず漏れた声に続ける言葉が出てこなくて、そのまま立ち尽くす。
 畑には小さな芽がたくさん出ていた。
「やりましたよ! こんなに目が出たのは数年ぶりです!」
 大成功です、と興奮して畑に向かって両手を広げていた彼は、私の方を向くとその腕を私に巻きつけた。…つまり、抱きしめられてしまった。
「ありがとうございます! こんな、こんな素晴らしいことが起こるなんて!」
 興奮冷めやらぬエイランさんの腕の中で、私はドギマギしていた。
「う…うん、良かった。…このまま、うまく育つといいね。」
 なんとかそう言って、腕から逃れるべくそっと彼の体を押す。と、彼も気付いたようだ。
「ああ! す、すみません!…つい、その…興奮してしまって…。」
「う、うん。気にしないで。」
 そのあと数日間、二人して意識してしまい、手や体の一部が偶然触れるたびに目が合って目を逸らして、の繰り返しだった。

 そんな空気を打ち破ってくれたのは、皮肉にも畑の作物たちだった。
「…そんな…。」
 順調に育っていた芽が、畑の端の方から枯れ始めていた。
「…魔法の効果が切れてきたんだよ。もう一回、やろう。」
 でも一回目のように水浸しにしてしまっては、せっかく育っている作物の根を腐らせてしまう。少量の水で畑全体を洗い流さなくてはいけない。水の流れは、エイランさんに任せるしかないのだけど…。
「…やってみます。どこまでできるかわかりませんが。」
 祈り始めた彼の手に、私も手を添えて集中する。精霊さん、彼の精霊さんに力を貸してあげて。私の魔力なら、いくらでも使っていいから。
「…行って!」
 電流を水に乗せて、この前と同じように畑を守るヴェールを作る。
 ドスン、と倒れ込んだのは彼だけじゃなく、私もだった。きっとうまくいってる。私の魔力を持っていかれたってことは、それだけの仕事を精霊たちがやってくれたってことだから。
 二人で支え合って立ち上がり、畑に向かって祈った。これは魔力を使わない、本当にただの祈り。人間の身勝手な願い。
 でも、お願いします。どうか。


 そうして二人で佇んでいると、村の入口の方から何やら聞こえてきた。
「あれ?人がいるみたいだよ?」
「あ、ホントだ。煙突から煙が出てる。」
「はあ? もう村人は他に移ったって話だったが…。まったく、いい加減な情報くれやがって…。」
 数人の子供と中年男性の声に、私もエイランさんも訝しんで顔を見合わせた。
 こんな荒れた村に何の用だろう。人がいないことを知って来たのだとすると、もしかして泥棒だろうか。でも引っ越した後の家に金目の物があるとは思えないし。
 畑からは姿が見えず、警戒しながら歩いていくと、その一行はエイランさんの家に向かったようだった。
 玄関先から声を掛けている。
 私はもう一度エイランさんの顔を見上げた。きちんと家人に挨拶しているところをみると、盗賊の類ではないような気がする。どう思う?どうする?と視線で尋ねる。
 彼は私の肩を抑えて、そのまま家に向かった。私はここで待ってろってことだよね。
「何か御用ですか?」
 横から声を掛けたエイランさんに、男が振り返って応えた。
「ああ、あんたもこの村の人かい? 俺は領主の依頼で来たんだが…。」
 物陰から様子を窺っていた私は、聞き覚えのある声と見知った佇まいにつられて歩み寄った。
「…まさか…ザイール?」
 そう声を掛けると男はこちらを見る。間違いない。
「お? 久しぶりだな、キャム。…てか、何だよ、お前何でここにいるんだ?」
「ザイールこそ。」
 半ば茫然とした私とザイールを、エイランさんもまた訳が分からずにキョロキョロと眺めていた。




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