虹を見上げて
1
エディンと一緒に旅したあの冒険。あれから9年が経ち、私は一応大人になった。
エディンとは、私が15の時にもう一度旅をした。その頃、彼は勇者として度々城に呼び出されていて、女王様はなんだかんだと便利にエディンを使っていたようだった。だから、その旅も小間使いの一つのようなものだったんだけど、そこから思わぬ展開になって…。って説明すると長くなるから、やめておこう。
その事件が隣国によるものだと発覚してすぐ、戦争が起こった。と言っても小競り合い程度で終わったけど。あの国は聖魔を信仰している。魔族を呼び出して魔法を使うのだそう。でも、本来魔族は人間には従わないものだから、使う人間がその力に飲まれて悪魔化して自滅する。あの戦争も向こうの自滅で終わった。
そこでフェリエが引っ張り出された。
フェリエはグアンドの精霊封印問題を解決したせいで、教会の中で特別視されている。なんでも、あの時に彼女が見た幻覚で出会った老婆が、人類の始祖、聖母メリサではないかと言われているらしい。フェリエは聖母の加護を受けている、というのが教会内部で定説になってしまった。だから…。
二年前のある日、フェリエは突然やってきた。いつもなら事前に手紙をよこすのに、その時はホントに突然だった。
そして私と二人きりになって言うことには。
「わたくしはこれから、エディンに結婚を申し込みます。ですから、キャム、その前に、あなたが先に彼に結婚を申し込んでください。」
何を言いだしたのかさっぱりだった。勿論私だって、エディンが好きだった。でも、おかしい、フェリエらしくない。
どういうことかと問い詰めると、彼女は目を潤ませた。
「わたくしは、きっとエディンを不幸にしてしまいます。だから、身を引くべきなのだと思います。でも、不安でたまらないのです。エディンに傍にいてほしい。わたくしと共にあってほしい。」
彼女が思い悩む理由は、本教会からの辞令だった。
聖魔信仰の国、あの隣国に、派遣されるのだと彼女は言った。
歴史的に見ても聖魔信仰は指導者が悪魔化して自滅するというのを繰り返していて、良い信仰とは思えない。戦争を仕掛けてくるのだって、その指導者がおかしくなり始めたサインのようなものだ。だから、教会は、あの国に精霊信仰を広めようとしているらしい。
でも、それはうまくいかなかった。
あの国の人間は精霊魔法を下等なものとして嫌っている。もともと、この国のことを見下しているところがあって、派遣された僧侶は皆、挫折して帰ってくるそうだ。
だから、フェリエが選ばれた。聖母メリサの加護を得ている彼女なら、成し遂げられるだろう、と。
なんて勝手な!と怒ったら、仕方ないことなのだとフェリエはうつむいた。
「誰かがやらなくてはなりません。先の戦争はすぐに終わりましたが、もっと強大な力を持った指導者が立ってしまうと、精霊魔法では太刀打ちできないのです。」
魔族は精霊を食べるのだそうだ。もともと、魔族に精霊魔法は効かない。何度戦争が起こってもこの国が亡ばなかったのは、そうなる前にあちらが自滅するからだ。でももし、自滅しない指導者が現れたら?
「聖魔信仰をなくさなくては、真の平和は訪れません。だから、わたくしは…。」
行きます、とそこだけは決意の目で言っていた。
「わたくしはエディンを攫って行こうとしているのです。だから、キャム。貴女が彼をこの村に繋ぎとめてください。お願いします。」
そう言って深々と頭を下げた。
「わかった。今から、エディンと話してくる。フェリエはここで待ってて。」
エディンの目の前に行くときには私の心は決まっていた。
好きだった。大好きだったエディン。ずっと昔から、エディンのことしか見ていなかった。だから、知ってる。
エディンが何故、まだこの村でくすぶっているのかを。
「エディン、大事な話があるの。」
そう切り出した私は、一気にまくし立てた。
「エディン、今の村の状況、分かってる?昔とは違うんだよ? 私は一人でも戦えるし、テオたちだってもう充分に強いでしょ。チームも組んで、立派に村を守ってる。なんで、エディンはここにしがみついているの?村が心配?おじさんおばさんが心配? 言っとくけどね、もうとっくに、エディンの役目は終わってるの。エディンは、ここじゃ、用無しなんだよ。」
エディンは少し驚いた顔をして、苦笑いを見せた。
「酷いなぁ、キャム。」
「酷くないもん。ホントのことだから。だから、エディン、出て行くといいよ。丁度フェリエも来てるし、結婚するってなれば、村長だって祝福して見送ってくれるよ。」
そう言って私は駆け出した。離れて、夕陽を背負える場所で振り向いた。そうしないと、涙を見られてしまいそうだったから。
「エディンのバーカ。意気地なし。そんなんだから、フェリエに先越されるんだよ。」
「え?先越されるって、何が。」
「フェリエは丘の上で待ってるよ。早く行ってきなさい!」
フェリエとの結婚に踏み切れなかったのは、どちらかが故郷を捨てなくてはならなくなるから。好きなくせに、うじうじしちゃって。さっさと出て行け、そして、しっかり彼女を守ってあげて。
その日のうちに、二人の結婚は決まった。数日後には発つという話だったから、大慌てで婚儀を済ませ、二人を見送った。
「あれから二年かぁ。」
昨日手紙が届いた。二人は今グアンドに住んでいる。やっぱり隣国での布教活動はうまくいかなかったらしい。エディンの話では、酷い嫌がらせを受けながら、それでも頑張っていたフェリエに限界を見て、説得して連れ帰ったんだって。エディン偉い。フェリエは責任感じ過ぎてて、無理してたんだよね。
手紙を机にしまったところで、ノックの音が聞こえた。
「お嬢さん、師匠がお呼びです。」
「はーい。行きます。」
お嬢さんなんて呼ばれるの、最初はすごく気恥ずかしかったけど、最近は慣れた。
彼はお父さんの弟子のひとり。多分、花婿候補ってことになるんだと思う。三人も弟子が来たことを、お父さんはエディンんちのおじさんに自慢していた。ちなみにエディンんちも弟子を取っているけど、男女一人ずつの計二人。うちは男三人だから、人数で勝ってるとお父さんは笑っていた。ら、お母さんがお父さんの頭をペシンと叩いた。
「いい歳して張り合ってるんじゃありません!恥ずかしい!」
お父さんがシュンとなったのが面白かった。お父さんを叩けるのはきっとお母さんだけだ。
そんな新たな日常が始まって、平穏な日々が続くのだと思っていた私に、意外に早い転機がやってきた。
お父さんのところに来た三人の弟子は、いずれもうちの農場の評判を聞いて是非にと言ってきた人たちだ。
うちの作物のなかでも、ベリーは酒造業界でかなり評価されている。だからその農園を欲しがる人もいて、時折、私のところに縁談が舞い込んだりもした。勿論そういうのはお父さんが全部シャットアウトしてくれてる。
でも、きちんと技術を学んで農園を引き継いでくれる人なら、と弟子を受け入れたというわけ。
まず、一人目バリーさん。
うちに来て一年近くになるのだけど、この人はきちんとお父さんの技術を受け継いでくれているなと感じてる。仕事に関するセンスがとても良く、教えればすぐにものにしていく人だ。
二人目はエイランさん。
彼は故郷の村の不作に悩んでお父さんに助けを求めてきた人だ。地質改良の仕方から学んでいる。きっと故郷に豊作をもたらすだろう。とても真面目な人だから。だから、多分、お父さんの農園を継ぐ気はないのだろうと思う。
それから三人目、アストさん。
…この人は…ちょっと困った人だ。来た当初は、とてもいい返事をするものだから、真面目でやる気のある青年だと皆思っていたのだけど、最近はどうも違う気がしている。素直に返事をするくせに、言われたことをまるで覚えない。それも最初は真面目にやってるけどどんくさいのだと思っていた。真面目さが空回りしてしまうタイプなのかと。でも、なんか、…違いそうなんだよね…。
「アストさん!どこ行ってたの?ここの仕事終わらないと次に行けないんだって言ったよね?私。」
「ああ、お嬢さん。これ、見てくださいよ。綺麗な花が咲いていたのでつい。はい、どうぞ。」
そんな笑顔で花を渡されても、嬉しくないんだけど。
顔を顰めたのが分かったのか分かってないのか、アストさんはどんなふうに花を見つけたかとか、それが私に似合うと直感したとか言い始めた。
「待って。話はあとで聞くから、まず、言われたことをきちんとやってください。」
「あ、はい。勿論。」
そう言って持ち上げた道具は今必要のない物。また一言二言小言を連ねてしまった。
彼のどんくささを見かねて私がサポートをしてきた所為か、どうも彼は私に好意を抱いているようだ。プロポーズとかされたら嫌だなあ。勿論断るけど。
そんなことを考えながら母屋に戻ったら、バリーさんが何やらお父さんにモノ申している様子だった。彼は自分の意見ははっきり言う人だけど、お父さんに対して食って掛かるようなことは今までなかったのに。
ちょっと入って行くには気が引けて、でも何を言っているのか気になってドアの前で耳をそばだてていると、話が見えてきた。
彼はアストさんを追い出すべきだと言っていた。いかにアストさんが不真面目で不遜な人物かをとうとうと語っている。
「この前一緒に酒を飲んだ時だって、自分はいずれこの農園を丸ごと手に入れるなんて言ってたんですよ! お嬢さんと結婚すれば簡単なことだと。お嬢さんだって分かっているとは思いますが、どんな手で口説こうと思っているんだかわかりませんし、万が一ということも。とにかく、一刻も早くアイツを追い出してください!」
私はドアの前で苦笑した。
大丈夫、あんなのに口説かれたりしません。
それにしても、と私は意外に思っていた。バリーさんがそんなに私のことを気にかけてくれるとは思っていなかったから。何せ、彼は私との結婚の話を持ち出したお父さんに、はっきりと断ったのだ。「すみません。…その、申し訳ないんですが、好みじゃないんで。」と。
お父さんにしてみたら歯がゆいことだろうと思う。
一番農園を譲りたい弟子は娘との結婚を拒み、次に頼りになる弟子はいずれ故郷に帰ることになっていて、さらに、一番農園を譲りたくない弟子が娘を狙っているのだから。
でも、農園に関してだけ言うなら、私はバリーさんに譲るのが一番だと思う。さっさとそう宣言しちゃえばいいのに、やっぱり娘の私に継がせたいんだろうか。こう言っちゃなんだけど、私じゃお父さんのベリーの品質を守れないよ?
バリーさんの進言でお父さんも心を決めたようだった。その夜、夕食の後、早速アストさんを呼び止めた。
「アスト、申し訳ないが、お前に仕事を教えるのは今日で終わりだ。今から荷物をまとめて、明日の朝、家に帰れ。」
突然のことで、アストさんは流石に慌てていた。お願いしますと何度も頭を下げ、泣きつくようなことも言った。でも、お父さんも一度言ったことを引っ込めたりはしなかった。
私は関わらないようにしようかと思ったけど、挨拶ぐらいはするべきかと考え直して、彼が部屋に入る手前で声を掛けた。
「残念だけど、今までありがとうね。お元気で。」
必要なことは言ったよね、と心の中で確認して、踵を返そうとしたら呼び止められてしまった。
「折り入ってご相談したいことが…。」
聞く義理はない気はする。でもシュンとした顔を見たら少し可哀想になって、聞くだけ聞いてあげようと思ってしまった。それが間違いだった。
誰にも聞かれたくないと言うから納屋で話を聞いた。大方の予想通り、プロポーズだった。
「ごめんなさい。私、あなたにそういう感情持ってないから。じゃあ、話は終わりで。」
きっぱり断って背中を向けると、突然首筋を掴みかかられた。
いや、掴みかかられたんじゃない。何か、首筋に宛がわれたんだ。
何するの!と言おうとして振り向いて、でも、何も言えなかった。唇が動かない。声も出ない。そして、魔法も。
「お嬢さん?」
「はい。」
「今から貴女のお父さんに、僕と結婚するつもりだって言ってください。言えますね?」
「はい。」
「僕を追い出すなら、自分も一緒に出て行く、と。」
「はい。」
自分の意思に反して唇が動く。声も出る。体も、勝手に動いた。
「お父さん。私、アストさんと結婚します。だから、彼を追い出さないでください。お願いします。」
深々と頭を下げる自分の体を、どうにか自分の意思で動かせないかと念じてみたけど、ダメだった。
頼みの綱は、この私の言葉をおかしいと気付く可能性だけ。お願い、気付いて。お父さん、私、結婚なんかしたいと思ってないよ。この間だって、アストさんの欠点の話、してたでしょ?困った人だって、私、言ったでしょ?お願い。気付いて。
お父さんは茫然として、「本気か?」と訊いてきた。
本気じゃないよ。嘘だよ。気付いてよ!
「はい、本気です。…お父さ…ま…。」
少しでも違和感を持たせたくて、なんとか言葉遣いを変えた。でも、小さすぎて聞き取れなかったみたいだった。
「キャム?ホントに?」
お母さんが心配そうに私の顔を覗き込んだ。おかしいとは思ってくれている筈だ。だって、彼はエディンとは似ても似つかない、私の理想からかけ離れた人なんだから。
でも、私の口から出たのは、「彼を愛しています。本気です。」嫌だ。誰か、気付いて。バリーさん、エイランさん。そんな、茫然としてないで何か言って。おかしいって言って。
心の中ではもう泣いていた。でも、涙も出なかった。体は支配されていた。
そこに…。
「こんばんは。おじさん、おばさん。久しぶり…あれ?なんか、取り込み中?」
元気に入って来たその人が誰なのか、振り向かなくても分かった。
エディンだ。エディン、エディン、エディン! 助けて!助けて!私、今困ってるの!
「ああ、今、ちょっとな…。悪いが明日に…。」
「どう取り込み中なわけ?」
まるで子供のように、聞き分けなくエディンがそう訊ねた。何か、感じ取ってくれたのかもしれない。
お父さんがざっと説明すると、エディンは私の前に来た。
「へえ?結婚か。大きくなったよな、キャム。おてんば娘が奥さんなんかやれるのか?」
からかう言葉に、支配された私の体は何も答えなかった。ただ、笑みを湛えるしかできない。
「ふーん?」
エディンは顎に手を当て、私を眺めている。気付いて。気付いてくれたの?
「で、アンタが旦那になるわけか。」
「はい。お嬢さんと結婚の約束を交わしました。ねえ、お嬢さん。」
「はい。その通りです。」
もう一度、エディンは「ふーん?」と言ってからお父さんの方を向いた。
「おじさん、コイツ、取り押さえて。」
その場にいた全員が驚きの表情を見せる。アストさんも。
「な、何を言っているんだ。」
「おじさん、早く。キャム、ちょっと待ってろよ。」
エディンは何か私の知らない長い呪文を唱え始めた。精霊魔法。多分、精霊の言葉だ。フェリエに習ったんだろうか。
「その呪縛を解き放て。」
最後にそう言って私めがけて放たれた魔法は、あっさりと首筋にあった何かを外してくれた。
「嘘だよ!お父さん、お母さん!私、結婚なんてしないんだから!」
外れた途端、私はそう言って声を上げて泣き出してしまった。
「そこのアンタ。」
ドアに程近い場所にいたエイランさんにエディンが声を掛ける。
「外に兵士が来てる。呼んできてくれ。」
兵士と訊いて、アストさんは逃げ出そうと暴れはじめた。けど、すぐにお父さんに殴り倒されて、もう逃げられないと悟ったのか、おとなしくなった。
私は泣き始めてすぐエディンの胸に身体を預けてしまって、周りのことはよく見てなかった。エディンは頭を撫でてくれたけど、私があんまり泣くからか、困ってお母さんに助けを求めてた。
「ほら、キャム、エディンが困ってるわ。もう大丈夫だから、涙拭いて。」
お母さんにそう言われて、やっと私はエディンから体を離した。子供みたいに泣いてしまった気恥ずかしさはあったけど、ちゃんとお礼は言わなくちゃと思って口を開いたら、しゃくりあげてしまってうまく言葉にならなかった。
「ごめ…ごめ、んね。あり…がと…。」
「大変だったな。でも、間に合ってよかった。」
エディンだ。エディンだ。エディンだ。
「ゆ、う…しゃさま…ヒック…エディ…ンは、ゆ、う…。」
エディンは昔から、私の勇者様だった。いつでも私を助けてくれる勇者様。
そう思ったらまた泣けてきた。
「あらあら、小さな子供に戻っちゃったみたいね。」
お母さんが抱き寄せて背中を優しく叩いてくれた。
エディンは教会の依頼で、私の首筋に付けられた魔法具を探していたらしい。正確に言うと、違法な魔法具を買った人物を探していたらしい。買った人物は勿論アストさんだ。
「ともかく、事件が解決して良かったよ。グアンドでそういう魔法具を売ってる商人が捕まったんだ。そいつがこの村の人間に魔法具を売ったって白状したらしくってさ。」
違法な魔法具を取り締まっているのは国だけど、教会も無関心ではいられない。それで、この村を良く知るエディンに依頼が来た。
アストさんはどうなるのだろうと思って訊いてみたら、私が思っていたよりも重い罰を受けることになりそうだ。買っただけなら軽い罪として扱われるらしいんだけど、実際に使った場合は別なんだって。人を殺したのと同じぐらいの罪の重さだとエディンは言っていた。
いい気味と思う気持ちと、ちょっと哀れむ気持ちが入り混じって、「ふーん。」としか返せなかった。訊かなきゃよかったと正直思った。
エディンは彼を連行する兵士たちと一緒に帰って行った。
また来てね、と言うと、「ああ、次は…赤ちゃん連れてくるかも。」だって。そっか。フェリエ、今大事な時期なんだ。
困った弟子が去って、お父さんはホッとしているようだった。でも、良くないことは続くもので、数日後、一通の手紙が届けられた。
宛先はエイランさん。彼の故郷がもう持ちそうにないとの知らせだ。近年の不作はどんどん悪くなる一方で、村を出て行くものも多く、領主様ももう土地を改良することも諦めてしまったということだった。
「突然ですみません。」
そう言ってエイランさんは故郷に帰って行った。
お父さんは出来る限りの支援として、丈夫な苗や薬を持たせて見送った。
うー、と唸って頭を掻いているお父さんが、弟子が減ったことを嘆いているわけではないのは分かっているけど、なんて声を掛けていいんだか分からなかった。
「…役に立つといいね、苗と薬。」
「ん?…ああ、あいつなら、頑張るだろうが、…まあ、心配だな。」
もっと色々教えることが出来たんじゃないか、とお父さんはこぼした。師匠としてちゃんとやれていたのかと自分を責めているようだ。
「大丈夫だよ、きっと。ほら、それよりウチだって人手が減ったんだから、いままでより頑張らなきゃ!」
そう言ってお父さんの背中をパシンと叩いた。
ああ、それから、これは言っておこう。
「私、農園要らないから、バリーさんに継いでもらってね。」
「え!?いきなり何を言いだすんだ、キャム!」
「いいじゃん。私が継ぐよりずっときちんとやってくれるよ。私は狩りでもなんでもやって生きていけるし、相手が見つかれば結婚だってするかもしれないし。農園なくても困らないよ。」
貴族じゃないんだからさ、と付け足して、私は畑に出た。
お父さんが血筋にこだわっているわけではない筈なのにその結論に辿り着かないのは、やっぱり私を心配してのことだろうと思う。ホントに、私とバリーさんが結婚すれば一番いいんだろうけど、生憎私も彼に興味を持ててない。うまくいかないなー。
「お父さんはね、あなたが他所の村にお嫁に行っちゃうのが嫌なのよ。」
お母さんはそう言って笑った。
それから半年は、穏やかな日々が過ぎた。
バリーさんの好みの女性がおしとやかなタイプだと分かって、じゃあ全然ダメじゃんとか笑ってたら、私の友達のレイナがいつの間にか彼と仲良くなっていて、確かに彼女はおしとやかで、納得した。
「子供の時は、どっちがエディンのお嫁さんになるかでもめたよね。」
「やだ、もう、その話はやめてよ。バリーさんには内緒だからね。」
「あはは、わかった。内緒にしとく。」
そんな平穏な日々に、また一通の手紙が届いた。
「エイランさん、どうだって?うまくいってる?」
手紙を読んでいるお父さんの横から、早く教えてとせっついていると、煩がっていたお父さんが急に息をのんだ。
「…駄目だったそうだ。渡した苗も全滅。薬も使い切ったが、効果なしだと…。」
もう、村人の三分の二は新天地を求めて出て行ったと書いてあった。新しく開墾して、村を作ろうとしているのだそう。
「確かに、それだけやって駄目なら、新しい道を探すのがいいかもしれませんね。」
バリーさんも手紙を読み終えてそう言った。
「それにしても、どういうことかしら。数年前までは普通に農業が成り立っていた場所なのに。」
「呪いが掛かってるって噂もあったみたいだね。」
「それなら、領主様が僧侶を呼んで解決だろう。領主様も諦めたんだ。八方塞がりだってことだな。」
エイランさんの手紙は近況を報告するだけのもので、助けを求めるようなことは書いていなかった。多分そのうち、エイランさんも他に移るんだろう。もう、心配しても仕方ないし、手助けの方法もない。考えても仕方ないんだけど…。
手紙が届いてから、お父さんは目に見えて元気がなくなった。責任、感じちゃってるのかなぁ…。
数日後の朝、私は出かける準備をして食卓に向かった。
「お父さん、私、エイランさんのところに行ってくる。出来ることはないか確かめて、やれそうなことはやって、それでも駄目ならあきらめて帰ってくるよ。しばらくの間、留守にするけどこっちはよろしくね。」
いつもなら、一人旅なんて駄目だと言いだすお父さんが、私の言葉を聞いて黙ってしまった。拍子抜けして、おずおずと言ってみる。
「…道中は、心配いらないからね。私、この辺のモンスターなら全然問題なく倒せるし、10匹が襲い掛かってきたって平気なんだから…、だから、うん、行ってくるね?」
何か考え込むように黙り込んでいるお父さんの代わりに、いつもはおおらかに構えているお母さんが心配して「ホントに大丈夫?」と訊いてきた。やっぱり護衛を頼みましょうよ、とお父さんに向けて言っている。
すると。
「護衛は必要ない。」
「だって、あなた、山道には盗賊だって出るかもしれないじゃない。」
「いや、俺が一緒に行く。留守の間のことは、おまえとバリーで何とかしてくれ。」
馬に持てるだけの物資を載せて、私とお父さんは村を発った。
「…二人で旅なんて、初めてじゃない?」
「ん?…ああ、そうかもな。」
微妙な空気。困ったなーと思いつつ、私は不思議と楽しい気分だった。
エディンと一緒に旅したあの冒険。あれから9年が経ち、私は一応大人になった。
エディンとは、私が15の時にもう一度旅をした。その頃、彼は勇者として度々城に呼び出されていて、女王様はなんだかんだと便利にエディンを使っていたようだった。だから、その旅も小間使いの一つのようなものだったんだけど、そこから思わぬ展開になって…。って説明すると長くなるから、やめておこう。
その事件が隣国によるものだと発覚してすぐ、戦争が起こった。と言っても小競り合い程度で終わったけど。あの国は聖魔を信仰している。魔族を呼び出して魔法を使うのだそう。でも、本来魔族は人間には従わないものだから、使う人間がその力に飲まれて悪魔化して自滅する。あの戦争も向こうの自滅で終わった。
そこでフェリエが引っ張り出された。
フェリエはグアンドの精霊封印問題を解決したせいで、教会の中で特別視されている。なんでも、あの時に彼女が見た幻覚で出会った老婆が、人類の始祖、聖母メリサではないかと言われているらしい。フェリエは聖母の加護を受けている、というのが教会内部で定説になってしまった。だから…。
二年前のある日、フェリエは突然やってきた。いつもなら事前に手紙をよこすのに、その時はホントに突然だった。
そして私と二人きりになって言うことには。
「わたくしはこれから、エディンに結婚を申し込みます。ですから、キャム、その前に、あなたが先に彼に結婚を申し込んでください。」
何を言いだしたのかさっぱりだった。勿論私だって、エディンが好きだった。でも、おかしい、フェリエらしくない。
どういうことかと問い詰めると、彼女は目を潤ませた。
「わたくしは、きっとエディンを不幸にしてしまいます。だから、身を引くべきなのだと思います。でも、不安でたまらないのです。エディンに傍にいてほしい。わたくしと共にあってほしい。」
彼女が思い悩む理由は、本教会からの辞令だった。
聖魔信仰の国、あの隣国に、派遣されるのだと彼女は言った。
歴史的に見ても聖魔信仰は指導者が悪魔化して自滅するというのを繰り返していて、良い信仰とは思えない。戦争を仕掛けてくるのだって、その指導者がおかしくなり始めたサインのようなものだ。だから、教会は、あの国に精霊信仰を広めようとしているらしい。
でも、それはうまくいかなかった。
あの国の人間は精霊魔法を下等なものとして嫌っている。もともと、この国のことを見下しているところがあって、派遣された僧侶は皆、挫折して帰ってくるそうだ。
だから、フェリエが選ばれた。聖母メリサの加護を得ている彼女なら、成し遂げられるだろう、と。
なんて勝手な!と怒ったら、仕方ないことなのだとフェリエはうつむいた。
「誰かがやらなくてはなりません。先の戦争はすぐに終わりましたが、もっと強大な力を持った指導者が立ってしまうと、精霊魔法では太刀打ちできないのです。」
魔族は精霊を食べるのだそうだ。もともと、魔族に精霊魔法は効かない。何度戦争が起こってもこの国が亡ばなかったのは、そうなる前にあちらが自滅するからだ。でももし、自滅しない指導者が現れたら?
「聖魔信仰をなくさなくては、真の平和は訪れません。だから、わたくしは…。」
行きます、とそこだけは決意の目で言っていた。
「わたくしはエディンを攫って行こうとしているのです。だから、キャム。貴女が彼をこの村に繋ぎとめてください。お願いします。」
そう言って深々と頭を下げた。
「わかった。今から、エディンと話してくる。フェリエはここで待ってて。」
エディンの目の前に行くときには私の心は決まっていた。
好きだった。大好きだったエディン。ずっと昔から、エディンのことしか見ていなかった。だから、知ってる。
エディンが何故、まだこの村でくすぶっているのかを。
「エディン、大事な話があるの。」
そう切り出した私は、一気にまくし立てた。
「エディン、今の村の状況、分かってる?昔とは違うんだよ? 私は一人でも戦えるし、テオたちだってもう充分に強いでしょ。チームも組んで、立派に村を守ってる。なんで、エディンはここにしがみついているの?村が心配?おじさんおばさんが心配? 言っとくけどね、もうとっくに、エディンの役目は終わってるの。エディンは、ここじゃ、用無しなんだよ。」
エディンは少し驚いた顔をして、苦笑いを見せた。
「酷いなぁ、キャム。」
「酷くないもん。ホントのことだから。だから、エディン、出て行くといいよ。丁度フェリエも来てるし、結婚するってなれば、村長だって祝福して見送ってくれるよ。」
そう言って私は駆け出した。離れて、夕陽を背負える場所で振り向いた。そうしないと、涙を見られてしまいそうだったから。
「エディンのバーカ。意気地なし。そんなんだから、フェリエに先越されるんだよ。」
「え?先越されるって、何が。」
「フェリエは丘の上で待ってるよ。早く行ってきなさい!」
フェリエとの結婚に踏み切れなかったのは、どちらかが故郷を捨てなくてはならなくなるから。好きなくせに、うじうじしちゃって。さっさと出て行け、そして、しっかり彼女を守ってあげて。
その日のうちに、二人の結婚は決まった。数日後には発つという話だったから、大慌てで婚儀を済ませ、二人を見送った。
「あれから二年かぁ。」
昨日手紙が届いた。二人は今グアンドに住んでいる。やっぱり隣国での布教活動はうまくいかなかったらしい。エディンの話では、酷い嫌がらせを受けながら、それでも頑張っていたフェリエに限界を見て、説得して連れ帰ったんだって。エディン偉い。フェリエは責任感じ過ぎてて、無理してたんだよね。
手紙を机にしまったところで、ノックの音が聞こえた。
「お嬢さん、師匠がお呼びです。」
「はーい。行きます。」
お嬢さんなんて呼ばれるの、最初はすごく気恥ずかしかったけど、最近は慣れた。
彼はお父さんの弟子のひとり。多分、花婿候補ってことになるんだと思う。三人も弟子が来たことを、お父さんはエディンんちのおじさんに自慢していた。ちなみにエディンんちも弟子を取っているけど、男女一人ずつの計二人。うちは男三人だから、人数で勝ってるとお父さんは笑っていた。ら、お母さんがお父さんの頭をペシンと叩いた。
「いい歳して張り合ってるんじゃありません!恥ずかしい!」
お父さんがシュンとなったのが面白かった。お父さんを叩けるのはきっとお母さんだけだ。
そんな新たな日常が始まって、平穏な日々が続くのだと思っていた私に、意外に早い転機がやってきた。
お父さんのところに来た三人の弟子は、いずれもうちの農場の評判を聞いて是非にと言ってきた人たちだ。
うちの作物のなかでも、ベリーは酒造業界でかなり評価されている。だからその農園を欲しがる人もいて、時折、私のところに縁談が舞い込んだりもした。勿論そういうのはお父さんが全部シャットアウトしてくれてる。
でも、きちんと技術を学んで農園を引き継いでくれる人なら、と弟子を受け入れたというわけ。
まず、一人目バリーさん。
うちに来て一年近くになるのだけど、この人はきちんとお父さんの技術を受け継いでくれているなと感じてる。仕事に関するセンスがとても良く、教えればすぐにものにしていく人だ。
二人目はエイランさん。
彼は故郷の村の不作に悩んでお父さんに助けを求めてきた人だ。地質改良の仕方から学んでいる。きっと故郷に豊作をもたらすだろう。とても真面目な人だから。だから、多分、お父さんの農園を継ぐ気はないのだろうと思う。
それから三人目、アストさん。
…この人は…ちょっと困った人だ。来た当初は、とてもいい返事をするものだから、真面目でやる気のある青年だと皆思っていたのだけど、最近はどうも違う気がしている。素直に返事をするくせに、言われたことをまるで覚えない。それも最初は真面目にやってるけどどんくさいのだと思っていた。真面目さが空回りしてしまうタイプなのかと。でも、なんか、…違いそうなんだよね…。
「アストさん!どこ行ってたの?ここの仕事終わらないと次に行けないんだって言ったよね?私。」
「ああ、お嬢さん。これ、見てくださいよ。綺麗な花が咲いていたのでつい。はい、どうぞ。」
そんな笑顔で花を渡されても、嬉しくないんだけど。
顔を顰めたのが分かったのか分かってないのか、アストさんはどんなふうに花を見つけたかとか、それが私に似合うと直感したとか言い始めた。
「待って。話はあとで聞くから、まず、言われたことをきちんとやってください。」
「あ、はい。勿論。」
そう言って持ち上げた道具は今必要のない物。また一言二言小言を連ねてしまった。
彼のどんくささを見かねて私がサポートをしてきた所為か、どうも彼は私に好意を抱いているようだ。プロポーズとかされたら嫌だなあ。勿論断るけど。
そんなことを考えながら母屋に戻ったら、バリーさんが何やらお父さんにモノ申している様子だった。彼は自分の意見ははっきり言う人だけど、お父さんに対して食って掛かるようなことは今までなかったのに。
ちょっと入って行くには気が引けて、でも何を言っているのか気になってドアの前で耳をそばだてていると、話が見えてきた。
彼はアストさんを追い出すべきだと言っていた。いかにアストさんが不真面目で不遜な人物かをとうとうと語っている。
「この前一緒に酒を飲んだ時だって、自分はいずれこの農園を丸ごと手に入れるなんて言ってたんですよ! お嬢さんと結婚すれば簡単なことだと。お嬢さんだって分かっているとは思いますが、どんな手で口説こうと思っているんだかわかりませんし、万が一ということも。とにかく、一刻も早くアイツを追い出してください!」
私はドアの前で苦笑した。
大丈夫、あんなのに口説かれたりしません。
それにしても、と私は意外に思っていた。バリーさんがそんなに私のことを気にかけてくれるとは思っていなかったから。何せ、彼は私との結婚の話を持ち出したお父さんに、はっきりと断ったのだ。「すみません。…その、申し訳ないんですが、好みじゃないんで。」と。
お父さんにしてみたら歯がゆいことだろうと思う。
一番農園を譲りたい弟子は娘との結婚を拒み、次に頼りになる弟子はいずれ故郷に帰ることになっていて、さらに、一番農園を譲りたくない弟子が娘を狙っているのだから。
でも、農園に関してだけ言うなら、私はバリーさんに譲るのが一番だと思う。さっさとそう宣言しちゃえばいいのに、やっぱり娘の私に継がせたいんだろうか。こう言っちゃなんだけど、私じゃお父さんのベリーの品質を守れないよ?
バリーさんの進言でお父さんも心を決めたようだった。その夜、夕食の後、早速アストさんを呼び止めた。
「アスト、申し訳ないが、お前に仕事を教えるのは今日で終わりだ。今から荷物をまとめて、明日の朝、家に帰れ。」
突然のことで、アストさんは流石に慌てていた。お願いしますと何度も頭を下げ、泣きつくようなことも言った。でも、お父さんも一度言ったことを引っ込めたりはしなかった。
私は関わらないようにしようかと思ったけど、挨拶ぐらいはするべきかと考え直して、彼が部屋に入る手前で声を掛けた。
「残念だけど、今までありがとうね。お元気で。」
必要なことは言ったよね、と心の中で確認して、踵を返そうとしたら呼び止められてしまった。
「折り入ってご相談したいことが…。」
聞く義理はない気はする。でもシュンとした顔を見たら少し可哀想になって、聞くだけ聞いてあげようと思ってしまった。それが間違いだった。
誰にも聞かれたくないと言うから納屋で話を聞いた。大方の予想通り、プロポーズだった。
「ごめんなさい。私、あなたにそういう感情持ってないから。じゃあ、話は終わりで。」
きっぱり断って背中を向けると、突然首筋を掴みかかられた。
いや、掴みかかられたんじゃない。何か、首筋に宛がわれたんだ。
何するの!と言おうとして振り向いて、でも、何も言えなかった。唇が動かない。声も出ない。そして、魔法も。
「お嬢さん?」
「はい。」
「今から貴女のお父さんに、僕と結婚するつもりだって言ってください。言えますね?」
「はい。」
「僕を追い出すなら、自分も一緒に出て行く、と。」
「はい。」
自分の意思に反して唇が動く。声も出る。体も、勝手に動いた。
「お父さん。私、アストさんと結婚します。だから、彼を追い出さないでください。お願いします。」
深々と頭を下げる自分の体を、どうにか自分の意思で動かせないかと念じてみたけど、ダメだった。
頼みの綱は、この私の言葉をおかしいと気付く可能性だけ。お願い、気付いて。お父さん、私、結婚なんかしたいと思ってないよ。この間だって、アストさんの欠点の話、してたでしょ?困った人だって、私、言ったでしょ?お願い。気付いて。
お父さんは茫然として、「本気か?」と訊いてきた。
本気じゃないよ。嘘だよ。気付いてよ!
「はい、本気です。…お父さ…ま…。」
少しでも違和感を持たせたくて、なんとか言葉遣いを変えた。でも、小さすぎて聞き取れなかったみたいだった。
「キャム?ホントに?」
お母さんが心配そうに私の顔を覗き込んだ。おかしいとは思ってくれている筈だ。だって、彼はエディンとは似ても似つかない、私の理想からかけ離れた人なんだから。
でも、私の口から出たのは、「彼を愛しています。本気です。」嫌だ。誰か、気付いて。バリーさん、エイランさん。そんな、茫然としてないで何か言って。おかしいって言って。
心の中ではもう泣いていた。でも、涙も出なかった。体は支配されていた。
そこに…。
「こんばんは。おじさん、おばさん。久しぶり…あれ?なんか、取り込み中?」
元気に入って来たその人が誰なのか、振り向かなくても分かった。
エディンだ。エディン、エディン、エディン! 助けて!助けて!私、今困ってるの!
「ああ、今、ちょっとな…。悪いが明日に…。」
「どう取り込み中なわけ?」
まるで子供のように、聞き分けなくエディンがそう訊ねた。何か、感じ取ってくれたのかもしれない。
お父さんがざっと説明すると、エディンは私の前に来た。
「へえ?結婚か。大きくなったよな、キャム。おてんば娘が奥さんなんかやれるのか?」
からかう言葉に、支配された私の体は何も答えなかった。ただ、笑みを湛えるしかできない。
「ふーん?」
エディンは顎に手を当て、私を眺めている。気付いて。気付いてくれたの?
「で、アンタが旦那になるわけか。」
「はい。お嬢さんと結婚の約束を交わしました。ねえ、お嬢さん。」
「はい。その通りです。」
もう一度、エディンは「ふーん?」と言ってからお父さんの方を向いた。
「おじさん、コイツ、取り押さえて。」
その場にいた全員が驚きの表情を見せる。アストさんも。
「な、何を言っているんだ。」
「おじさん、早く。キャム、ちょっと待ってろよ。」
エディンは何か私の知らない長い呪文を唱え始めた。精霊魔法。多分、精霊の言葉だ。フェリエに習ったんだろうか。
「その呪縛を解き放て。」
最後にそう言って私めがけて放たれた魔法は、あっさりと首筋にあった何かを外してくれた。
「嘘だよ!お父さん、お母さん!私、結婚なんてしないんだから!」
外れた途端、私はそう言って声を上げて泣き出してしまった。
「そこのアンタ。」
ドアに程近い場所にいたエイランさんにエディンが声を掛ける。
「外に兵士が来てる。呼んできてくれ。」
兵士と訊いて、アストさんは逃げ出そうと暴れはじめた。けど、すぐにお父さんに殴り倒されて、もう逃げられないと悟ったのか、おとなしくなった。
私は泣き始めてすぐエディンの胸に身体を預けてしまって、周りのことはよく見てなかった。エディンは頭を撫でてくれたけど、私があんまり泣くからか、困ってお母さんに助けを求めてた。
「ほら、キャム、エディンが困ってるわ。もう大丈夫だから、涙拭いて。」
お母さんにそう言われて、やっと私はエディンから体を離した。子供みたいに泣いてしまった気恥ずかしさはあったけど、ちゃんとお礼は言わなくちゃと思って口を開いたら、しゃくりあげてしまってうまく言葉にならなかった。
「ごめ…ごめ、んね。あり…がと…。」
「大変だったな。でも、間に合ってよかった。」
エディンだ。エディンだ。エディンだ。
「ゆ、う…しゃさま…ヒック…エディ…ンは、ゆ、う…。」
エディンは昔から、私の勇者様だった。いつでも私を助けてくれる勇者様。
そう思ったらまた泣けてきた。
「あらあら、小さな子供に戻っちゃったみたいね。」
お母さんが抱き寄せて背中を優しく叩いてくれた。
エディンは教会の依頼で、私の首筋に付けられた魔法具を探していたらしい。正確に言うと、違法な魔法具を買った人物を探していたらしい。買った人物は勿論アストさんだ。
「ともかく、事件が解決して良かったよ。グアンドでそういう魔法具を売ってる商人が捕まったんだ。そいつがこの村の人間に魔法具を売ったって白状したらしくってさ。」
違法な魔法具を取り締まっているのは国だけど、教会も無関心ではいられない。それで、この村を良く知るエディンに依頼が来た。
アストさんはどうなるのだろうと思って訊いてみたら、私が思っていたよりも重い罰を受けることになりそうだ。買っただけなら軽い罪として扱われるらしいんだけど、実際に使った場合は別なんだって。人を殺したのと同じぐらいの罪の重さだとエディンは言っていた。
いい気味と思う気持ちと、ちょっと哀れむ気持ちが入り混じって、「ふーん。」としか返せなかった。訊かなきゃよかったと正直思った。
エディンは彼を連行する兵士たちと一緒に帰って行った。
また来てね、と言うと、「ああ、次は…赤ちゃん連れてくるかも。」だって。そっか。フェリエ、今大事な時期なんだ。
困った弟子が去って、お父さんはホッとしているようだった。でも、良くないことは続くもので、数日後、一通の手紙が届けられた。
宛先はエイランさん。彼の故郷がもう持ちそうにないとの知らせだ。近年の不作はどんどん悪くなる一方で、村を出て行くものも多く、領主様ももう土地を改良することも諦めてしまったということだった。
「突然ですみません。」
そう言ってエイランさんは故郷に帰って行った。
お父さんは出来る限りの支援として、丈夫な苗や薬を持たせて見送った。
うー、と唸って頭を掻いているお父さんが、弟子が減ったことを嘆いているわけではないのは分かっているけど、なんて声を掛けていいんだか分からなかった。
「…役に立つといいね、苗と薬。」
「ん?…ああ、あいつなら、頑張るだろうが、…まあ、心配だな。」
もっと色々教えることが出来たんじゃないか、とお父さんはこぼした。師匠としてちゃんとやれていたのかと自分を責めているようだ。
「大丈夫だよ、きっと。ほら、それよりウチだって人手が減ったんだから、いままでより頑張らなきゃ!」
そう言ってお父さんの背中をパシンと叩いた。
ああ、それから、これは言っておこう。
「私、農園要らないから、バリーさんに継いでもらってね。」
「え!?いきなり何を言いだすんだ、キャム!」
「いいじゃん。私が継ぐよりずっときちんとやってくれるよ。私は狩りでもなんでもやって生きていけるし、相手が見つかれば結婚だってするかもしれないし。農園なくても困らないよ。」
貴族じゃないんだからさ、と付け足して、私は畑に出た。
お父さんが血筋にこだわっているわけではない筈なのにその結論に辿り着かないのは、やっぱり私を心配してのことだろうと思う。ホントに、私とバリーさんが結婚すれば一番いいんだろうけど、生憎私も彼に興味を持ててない。うまくいかないなー。
「お父さんはね、あなたが他所の村にお嫁に行っちゃうのが嫌なのよ。」
お母さんはそう言って笑った。
それから半年は、穏やかな日々が過ぎた。
バリーさんの好みの女性がおしとやかなタイプだと分かって、じゃあ全然ダメじゃんとか笑ってたら、私の友達のレイナがいつの間にか彼と仲良くなっていて、確かに彼女はおしとやかで、納得した。
「子供の時は、どっちがエディンのお嫁さんになるかでもめたよね。」
「やだ、もう、その話はやめてよ。バリーさんには内緒だからね。」
「あはは、わかった。内緒にしとく。」
そんな平穏な日々に、また一通の手紙が届いた。
「エイランさん、どうだって?うまくいってる?」
手紙を読んでいるお父さんの横から、早く教えてとせっついていると、煩がっていたお父さんが急に息をのんだ。
「…駄目だったそうだ。渡した苗も全滅。薬も使い切ったが、効果なしだと…。」
もう、村人の三分の二は新天地を求めて出て行ったと書いてあった。新しく開墾して、村を作ろうとしているのだそう。
「確かに、それだけやって駄目なら、新しい道を探すのがいいかもしれませんね。」
バリーさんも手紙を読み終えてそう言った。
「それにしても、どういうことかしら。数年前までは普通に農業が成り立っていた場所なのに。」
「呪いが掛かってるって噂もあったみたいだね。」
「それなら、領主様が僧侶を呼んで解決だろう。領主様も諦めたんだ。八方塞がりだってことだな。」
エイランさんの手紙は近況を報告するだけのもので、助けを求めるようなことは書いていなかった。多分そのうち、エイランさんも他に移るんだろう。もう、心配しても仕方ないし、手助けの方法もない。考えても仕方ないんだけど…。
手紙が届いてから、お父さんは目に見えて元気がなくなった。責任、感じちゃってるのかなぁ…。
数日後の朝、私は出かける準備をして食卓に向かった。
「お父さん、私、エイランさんのところに行ってくる。出来ることはないか確かめて、やれそうなことはやって、それでも駄目ならあきらめて帰ってくるよ。しばらくの間、留守にするけどこっちはよろしくね。」
いつもなら、一人旅なんて駄目だと言いだすお父さんが、私の言葉を聞いて黙ってしまった。拍子抜けして、おずおずと言ってみる。
「…道中は、心配いらないからね。私、この辺のモンスターなら全然問題なく倒せるし、10匹が襲い掛かってきたって平気なんだから…、だから、うん、行ってくるね?」
何か考え込むように黙り込んでいるお父さんの代わりに、いつもはおおらかに構えているお母さんが心配して「ホントに大丈夫?」と訊いてきた。やっぱり護衛を頼みましょうよ、とお父さんに向けて言っている。
すると。
「護衛は必要ない。」
「だって、あなた、山道には盗賊だって出るかもしれないじゃない。」
「いや、俺が一緒に行く。留守の間のことは、おまえとバリーで何とかしてくれ。」
馬に持てるだけの物資を載せて、私とお父さんは村を発った。
「…二人で旅なんて、初めてじゃない?」
「ん?…ああ、そうかもな。」
微妙な空気。困ったなーと思いつつ、私は不思議と楽しい気分だった。
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