霧の向こう

14.帰還


 ヴァズ率いる応援隊は、巣穴に襲来するドラゴンたちを相手に苦戦していた。地形的にドラゴンが大挙することはないのが救いだが、一頭一頭討伐する余裕はなく、蹴散らしてその入り口を死守するので精一杯である。
「二班下がれ!!三班前へ!!」
 交代で前に出て、下がった者は回復に努める。その繰り返しだ。
「まだか…。中の様子を見て来い!」
 傍にいた隊員に命じてヴァズはまた前に出た。

 クワッと火竜が口を開いた。
「防御!!」
 盾を構えてその攻撃を待ち構えた都の直後、ふわりと空気が流れた気がした。
 数秒待っても攻撃が来ず、盾の端から様子を窺うと、火竜は開いた口を宙に向けて不発の攻撃を吐き出している。
「…何だ?」
 ドラゴンたちの様子がおかしい。どの個体も戸惑っているように見えた。
「隊長!」
 目の前の出来事に困惑している状況で呼ばれ、ヴァズは少々不機嫌な声を返す。
「何だ!どうした!」
「は、はい!お、終わりました。」
「何がだ!」
 聞き返されてしまった彼も困惑顔を見せたが、自分の報告が不十分なことに気付くと気を取り直して姿勢を正した。
「討伐です。彼らがやりました。目標討伐を成し遂げました。」
 バサッと大きな音を立てて火竜が宙に上がった。他のドラゴンも思い思いに飛び上がる。
「…結界…?結界が消えたからか…?」
 先程感じた空気の流れはそれだったのかとヴァズは納得の息を吐いた。





「あ、隊長さん!外は?」
 エディンが気の抜けた声で聞くと、ヴァズは少し笑って問題ないと答えた。
「こんな大物をよく…。」
 感嘆の声に若者たちは得意げな顔を見せる。
「えーっと、右前足、第一指の爪、だっけ?」
 そう言って、エディンは自分の剣をドラゴンの爪の際に差し入れた。目標を討伐した証拠になる物だ。四苦八苦して切り離し、持ち上げる。
「うわ、重いぞこれ。」
 竜族の爪は武器に加工されることもある固いものだ。岩ほどではないが、それに近い重さがあった。
 持って帰るのが大変だとエディンが言い、それはこちらで運ぶとヴァズが提案をするがザイールがいい顔をしない。やいのやいのと言い合って、借りている倉庫に転送魔法で一旦入れ、城についてから取り出す、ということに落ち着いた。
「では、帰還しよう。村で一晩休んでから、馬車で城までお送りする。」
「城までかぁ…。どのくらいかな?」
 疲れたからゆっくり帰りたいという意味なのか、早く故郷に帰りたいという意味なのか、測り兼ねながら「討伐の報告は早馬を出すから帰還はゆっくりで構わない、一週間から十日くらいだ。」とヴァズが答えると、エディンはうーんと唸った。
「なあ、ザイール。飛んだらどのくらいで着くかな?」
「はあ?知らねーよ。」
 グライダーは旅の途中でたまたま手に入っただけの物だ。どのくらいの距離をどの程度の時間で移動できるかまで熟知していない。
 またエディンは唸って、にかっと笑った。
「空から帰ろうぜ。きっと早く着くよ。」
「城まで!?途中の休憩とか野宿とかいろいろ問題が…。」
 カードの心配をよそにエディンは続ける。
「山の天辺まで登れば他の山に飛んで行けるだろ?航路はよろしくな、ザイール。」
 ザイールは「はあ!?」と抗議の声を上げてから、「仕方ねえなあ。」と歯を剥いて笑った。
「マジで?」
「…まあ、楽しそうだけど。」
「…お付き合い、いたしますわ。」
 ここで別行動なんて視野にない。驚きながらも皆飛ぶことに決めた。
「と、いうわけだから隊長さん、城まで、競走な。よーい、ドン!」
「ちょ、ちょっと待て!我々はこれから下山が…。」
「俺たちも上まで登るからさ、おあいこだろ?さ、よーいドン!」
 走り出したエディンたちをしばし呆然と見送ったあと、ヴァズは我に返った。
「下山するぞ!下りたら早馬を二頭用意しろ!俺とラナヴェルで先行して報告に帰る!」

 下山途中に部下のラナヴェルに彼らを無理やりにでも止めた方がよかったのではないかと進言されるまで、ヴァズはそのことに気付かなかった。カードの件ですっかり自分の立場が下だと納得してしまっていたのだ。
 苦虫を噛み潰したような顔をしながら後処理のことを残る隊員たちに命じ、自分は早馬にまたがった。






「女王陛下、謁見の機会を賜りましたこと、心より感謝いたします。」
 謁見の間、女王アイリスが座る玉座から数段下、許された位置まで歩み寄ると、ロブは深々と頭を下げた。うむ、とアイリスは短い返事で応じる。
「この数か月、数分のお目通りが叶わぬほどの激務をなさっていたとか、さぞお疲れのことでしょう。」
 それは毎日のように謁見を願い出ても無視され続けたことへの嫌味だと、はっきりとわかる物言いだ。そうと知りながら女王はシレっと答えた。
「ああ、なかなかに多忙でな。今もそう長居はしておれん。して、何の用だったかな?」
「はい、お疲れでしょうから手短に言わせていただきます。」
 そう言って後ろにいる妻に目配せした。エレーヌとミネットがそれぞれ抱えるほどの袋を差し出す。
「こちらにドラゴン討伐の前金を持って参りました。1ルーベも手を付けてはおりません。謹んでお返しいたします。ですから、討伐の話はなかったことにしていただきたい。」
 睨むような目を向けるロブに、玉座の人は無感情な視線を落としている。返事に窮していると言った風には見えない。
 控えていたジェドもロブの隣に立ち、同じように女王を見上げた。
「討伐はお断りします。子供たちを…エディンとキャムを返していただきたい。」
 4人とも身なりは整えてきているが、その姿には疲れが見える。村を出てからの数か月、謁見の許しをもらうために何度も城を訪れなければならなかった。そのために城下町で仮住まいを構え、慣れない仕事で日々を過ごしてきたのである。
「なるほど、分かった。…しかし、困ったことに今の彼らの居場所は皆目わからんのだ。呼び戻したくとも儘ならん。」
 頬杖をついて答えるその様子は真摯なものとはとても言えず、黙っていた妻たちは手を振るわした。
「そんなもの!かの村に早馬を出して足止めすればよろしいでしょう!?山に入るなと女王様が一言お命じになれば、済むことではないですか!!」
「お金はお返しします!!返してください!!私たちの子供を!元気な姿で返してください!!」
「私どもは子供を生贄に出すつもりはございません。」
「どうか、返してください。」
 やはり生贄の話が伝わっていたか、と女王は静かに息を吐いた。
 どうこの場を静め、彼らを諦めさせるか。必ず呼び戻すと心にもない約束をするかと思案していると、大臣が急ぎ足で歩み寄って来る。
 耳打ちをされてアイリスは立ち上がった。
「すまぬ。急用が出来た。この件はまた後日。」
 弾かれたようにエレーヌは玉座までの階段を一二歩進んだ。そこで衛兵に止められる。
「無礼であるぞ!」
「女王様!!お待ちください!!そうやってうやむやにする気ですか!!今日まで私たちがどんな気持ちで過ごしてきたかお分かりですか!?返してください!!子供たちを返してください!!。」
 他の3人も口々に子を返せと訴える。
 立ち去ろうとしていた女王は足を止めて振り返った。
「急用は嘘ではない。込み入ったことである故、戻れるかどうかもわからんのだ。今日のところは帰ってくれぬか。」
「ではお待ちします。何時間でも。子供たちを返すと約束をいただけるまで、ここを離れるつもりはありません!」
 言っても聞かぬ風を見て取って、アイリスは溜め息を吐く。
「わかった。急ぎ戻ってこよう。」
 くつろげるように整えてやれ、と衛兵に命じ、女王はその場を後にした。





「何が来たと言うのだ。」
「それが、皆目…。空を飛んでいるので大型の鳥か、もしくはドラゴンか、と。しかしどうもおかしいのです。」
「おかしい?」
「はい、今まで見たどんな生物にも当てはまらぬ飛び様で…。羽ばたく様子もありませんし…。」
「こちらに向かっているのは確かなのか?」
「はい、まっすぐに。通り過ぎて行けばよろしいのですが…。」
 庭に出ると近衛隊が警戒態勢をとっているところだった。
「街の外に落とせるか?」
「いえ、今からでは街に被害が。気付くのが遅すぎました。物見の塔の番が居眠りをしていたと。」
「減給だ。」
「はい、もう通達してあります。」
 肉眼でも見えるそれは確かに羽ばたく様子がない。常に滑空しているのだと予想はつくが、どんな鳥も時折羽を動かすものだ。
「見えました。人です!」
 遠眼鏡で監視していた兵士が声を上げた。
「モンスターに捕らわれているのか。」
「いえ…人が…翼を付けているように…見えます。」
 何だと?と大臣が慌てて命令を出す。
「弓隊前へ!!陛下をお守りしろ!!」
 人間が自分の意志で飛んでいるなら、わざわざ城の上を通り越していくだけとは考えにくい。賊の襲撃と考えるのが道理だ。
「城の敷地内に落とせるか?庭師には申し訳ないが、街に被害は出したくない。」
 女王の言葉に弓隊のリーダーがお任せをと答える。
「充分に引きつけろ!仕損じるなよ!!」
 大臣の声を聴きながら、遠眼鏡を、とアイリスは手を差し出す。控えていた侍女がすぐに手渡した。
 それを覗きながら彼女は声を上げる。
「待て!!撃つな!!」
 驚いて振り返った大臣の横をすり抜けて構えている弓兵に駆け寄った。
「弓を下ろせ!撃ってはならん!!」
「陛下!!お戻りを!!危険です!!近衛隊!!陛下をお守りしろ!!」
 戻るようにと口々に進言しても、アイリスは空から舞い降りる物に駆け寄っていく。立ち止まった彼女の周りに兵士たちが慌てて走り寄って剣を構えた。



 ふわりと降り立つはずが、ドスンと音を立てて地面に落ちてしまった。
 大きな翼が被さって前が見えず、エディンは這い出るように持ち上げた。
「女王様!!…って…あれ?」
 見れば周りの兵士たちが自分に剣を向けている。状況が分からずに言葉を失っていると、少し離れた場所に降りたカードの声がした。
「剣を納められよ。私はバルトゥール家子息、カード・バルトゥールだ。討伐の報告に参上した。」
 そう言ってエディンの傍らに来ると女王に向かって片膝を付いて恭しく頭を下げる。
「申し訳ございません。街の外に降りるように言ったのですが、この者はまだ操縦になれておらず、こんなところまで飛んできてしまいました。一人で向かわせるわけにもいかず、全員でここまで来た次第です。」
 次々に降り立った仲間がすぐそばまで来てカードに倣って膝を付く。エディンも慌てて真似をした。
「よい。近衛隊、退いて構わない。彼らは討伐隊だ。」
 女王の言葉でやっと警戒は解かれた。

 カードが恭しく討伐の報告とともに証拠の爪を差し出すと、大臣に呼ばれてやってきた老学者が少し調べて言った。
「この大きさ、かのドラゴンに間違いないでしょう。」
 おお、と周りの兵士たちにざわめきが起きる。
 女王も感嘆の息を漏らして聞き返した。
「本当に、お前たちだけで倒したのだな?」
「はい。ヴァズ隊長率いる討伐応援隊には、退路の確保を命じました。」
 カードの言葉で女王は全てを理解した様子だ。一兵士としてではなく家の名を名乗ったことも、彼女の思考の助けになっていた。
「何にしましても、真偽を確かめるためには一度視てみませんと。それまでは保留ということで…。」
 学者がそう言って事を終わらせようとしたところに、門番が走ってきた。
「陛下!ヴァズ隊長がお戻りになりました。」
 ヴァズの報告のおかげで、討伐の報告に嘘はないと認められた。大臣と学者は少々渋ったが、女王の一言ですぐに納得の返事を返した。
 女王は今夜宴を開くよう命じ、「その時に見ればよいではないか。そうすればわかる。もし嘘ならばこの者たちが恥をかくだけのこと。」と言ったのだ。
 エディンは首を傾げた。
「何を見るって?」
 フェリエがこそっと教える。
「遺骸の一部を特別な魔法の火にくべるのです。そうするとその最期が鮮明に映し出されます。」
 へー、と感心した声を漏らしたのはエディンだけではなかった。キャムやマルタは勿論だが、ザイールも知らなかった様子だ。それを見て教会やお城でしか扱われない、珍しい技術なのだろうとエディンは思った。


「あの…早速で申し訳ないんですけど…。」
 エディンは恐縮しきりの様子でそう切り出した。ザイールにせっつかれてのことだ。
「報酬の方は…。」
「ん?ああ、それなら勿論…。」
 言いかけで止まってしまったアイリスの様子に一同見返す。
「と、言いたいところなのだが、少々問題があってな。」
「え!?やっぱり6000万ルーベなんて無理ですか!?」
「いや、そうではない。エディン、キャム、そなたらの両親が揃って来ていてな。前金を返すからお前たちを返してくれと…。アレを返されてしまうと、討伐の話はなかったことになってしまうのでな。…どうしたものか…。」
 二人は「え!?」と声を上げて「返しません!」と声をそろえた。
「私が何を言っても聞きそうにないのでな、お前たち、ちょっと行って説得してくれぬか。」
「はい!勿論!」
 慌てて走って行こうとする二人に謁見の間までの案内を付けて、女王は笑った。




 謁見の間では、ロブたちが椅子も飲み物も断り、床に座り込んでいた。そこにエディンが扉を開けると、4人が一斉に顔を向け、皆目を丸くして固まった。
「エディン!?」
「父さん!母さん!」
 エレーヌが弾かれたように立ち上がって駆け出し、他の3人もその後に続く。
「エディン!よく無事で!ホントにエディンなのね!?」
 そう言いながら駆け寄った息子に抱きついたエレーヌ。ロブも生きていることを確かめるかのように何度か肩を叩き、目を潤ませている。
 困ったような顔をしてエディンがキャムを見ると、彼女も同じような状態だった。
「感動の再会だな。」
 いつの間にかやってきたアイリスがそう言ったのを聞いて、ミネットが涙を拭きながら女王の方に深々と頭を下げる。
「先程は、…なんて失礼なことを…こんなに早く返していただけるなんて…。」
「失礼なことを申し上げました。お約束通り、前金はお返しいたします。」
 父親二人がそんなことを口々に言って前金の入った袋を差し出すのに気付いたエディンは、慌ててそれを止めた。
「あー!!それ返しちゃダメだから!」
 そうだよ、とエディンに賛同の声を上げたキャムは、ミネットに「何を言っているの!」と怒られる。
「あなた達、このお金を受け取ったら討伐に行かされるのよ!?」
「そうよ、これはお返ししなくちゃいけないの!!」
「ダメだって、それ返したら報酬もらえなくなっちゃうんだって。」
「ドラゴンの討伐なんてあなた達には無理に決まってるでしょ!?」
「せっかく帰って来たのに、また危険なところに行くつもりなの!?」
 エディンの言葉にも畳みかけるような言葉が返ってきて反論の隙がない。
 大丈夫だと繰り返すエディンと、訊く耳を持たない親たち。しびれを切らしたキャムが母親の手をすり抜けて、女王とお金の袋を差し出す父親たちの間に立った。
「だから、終わったんだってば!!」
 キャムの剣幕にジェドがあっけにとられている。
「終わったって何が?」
「ドラゴン討伐!終わったの。私たち、ドラゴンやっつけてきたんだよ!?」
 顔を見合わせる親たちを見て、やっとわかってもらえたかとエディンとキャムがホッとしていると、今度はまた抱きつきそうな勢いで親たちが二人に詰め寄った。
「倒しただって!?」
「怪我はないのか!?」
「ホントに本物!?」
「生きてるのよね!?幽霊じゃないわよね!?」
「大丈夫、大丈夫だって。」
 二人は怪我がないと確認できるまで、体をあちこち触られた。「んもう!」とキャムがふくれ、エディンは苦笑いでなすが儘になっていた。
 本当に?と何度も聞く親たちに、うん、と頷いてみせる。
「倒したんだ、本当に。俺たち6人で。」
 そう言ってエディンは近くで見守っていた仲間たちの傍に立った。キャムもそれに倣う。
「ただいま!父さん、母さん!」







 エディンは寝転んで空を見上げる。いつものお気に入りの場所だ。故郷の風景の中、こんなにのんびりした気持ちはいつ以来だろうと考えていた。
「エディーン!」
 彼はくすっと笑った。あの呼び声も、前のままだ。
「どうした?」
 キャムの様子から特に緊急性はないと判断して、取り敢えず上半身だけを起こす。
 やっぱりここにいた、とキャムは嬉しそうに笑っている。サアッと気持ちの良い風が吹き抜けた。


「皆元気かな?」
 キャムの言葉にエディンは笑って見せる。
「こないだ別れたばっかじゃないか。元気だよ、きっと。」
「こないだって言ったってもう1ヶ月だよ?皆バラバラになっちゃって、ちょっと寂しいなって思うでしょ?」
「昨日手紙出したんだろ?」
「カードとフェリエにだけね。ザイールとマルタは住所知らないんだもん。」
 あー、と困り顔で頬を掻くエディン。
「まさかあんなことになるなんてな。」
 ザイールが根無し草なのは承知していた。だから、彼があっさりと「じゃあな。」とだけ言って去ったことは特に驚かなかった。でも、マルタは帰る場所もなく仲間がバラバラになることを淋しく感じているようだったから、この村に来ないかと誘ったのだが、ちょうどそこに金持ちの老紳士が通りかかった。
『お嬢さん、行くところがないのかい?』とその老紳士は訊ねた。そして続けて、『玉の輿に乗ってみないかい?』と言ったのだ。
「マルタったら、あんなおじいさんと結婚するなんて、ちゃんと意味解ってんのかなあ?」
 一も二もなく玉の輿に乗りたいと答えた彼女は、仲間が止めるのも聞かずに老紳士について行ってしまった。
 カードの話ではその人物は有名な慈善家で問題はないと言うことだったが、やはり心配だ。時々様子を見て、何かありそうなら結婚を考え直すように説得するとカードは約束してくれた。
「手紙でその後のことも知らせてくれるさ。」
「うん。フェリエはまだ家に帰れないのかな?」
「僧侶になるための試験受けるって言ってたもんな。…僧侶になったら、すぐ帰れるってわけでもないみたいだし。」
 彼女は故郷の教会で師匠の後を継ぐことを目標にしているが、勤め先は本教会が決めるものだそうだ。希望は出してもその通りになるとは限らない。でもそろそろ結果は出ている頃だろう。
 それぞれの人生があり、それぞれの生活がある。そのことはキャムも一応理解はしている。
「手紙、早く来るといいなぁ。」
「ああ。でも二人ともきっと忙しいだろうから、気長に待たなきゃ。」
 そだね、とキャムが立ち上がった。
「そろそろ時間だよ。エディン。」
「ん?…そうか。…なあ、キャムも一緒じゃダメか?」
 渋々、と言った感じでエディンも立ち上がった。
「何言ってんの。勇者様なんだから、わがまま言わないの!みんな楽しみにしてるんだからね!」
 キャムは説教するような口調でそう言って、エディンの後ろに回り込むと背中を押した。
「でも、苦手なんだよな、教えるのなんてさ…。」
 今日から村の子供たちに剣の使い方を教えることになっている。以前はジェドがその役目を引き受けていたが、エディンの活躍を聞いた村の大人たちが話合って決めたことだ。今や彼は勇者様で、以前に増して子供たちの憧れの的。彼が教えれば鍛錬に身が入るだろうと言うのがその理由である。
「だからって、私がついてったって仕方ないでしょ?頑張って。」
「キャムも一緒に鍛えるつもりでさ、いいじゃないか。」
「ダーメ!私は私でやらなきゃいけないことあるんだから。これでも農家の一人娘なんだからね。」
 旅から帰ったキャムは、両親に心配を掛けたことを心底反省したらしく、これからはモンスター退治を控えてジェドの仕事を手伝うと宣言した。もとより農園を継ぐことは彼女なりに覚悟していたのだ。覚えなくてはいけないことが山ほどある。
 一人っ子という点ではエディンも同じだ。でもこちらは親の方から早々に当てにしていないと言いおかれていて、気楽な立場である。勿論それは、戦士になりたがっていたエディンの気持ちを汲んだ両親の思いやりによるものだが。
「ほらほら、さっさと歩く!先生やるんだからシャンとして!」
 ぐいっと押すと、エディンはようやく自分で歩き出した。

 集会所の前にはもう子供たちが集まっている。それを見てエディンは自分が剣技を習い始めた頃のことを思い出した。
(ああ、俺も、あの中の一人だった…。)
 じゃあね、と離れていくキャムが数歩歩いたところで振り返る。
「ね、エディン?」
「ん?」
「また、一緒に旅しようね。」
 そう言った彼女の顔は、叶わぬ夢を見る風ではなかった。屈託のない笑顔。以前と同じ風景のこの村でも、以前とは違うことがあるのを知っている。時は流れ、人は育ち、状況も変わる。エディン一人で守ってきた村に、次のエディンになろうとしている子供たちがいるのだ。
 吹き抜ける風につられる様に二人は高い空に舞う鳥を見上げた。
「ああ、また、旅をしよう。」

 霧は晴れた。あの山のように。
 捕らわれの身だと人生を諦めるような感傷は、もうエディンの心から消えていた。



fin.
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