霧の向こう
13.決戦
村は静かだった。
暗雲が立ち込めているのは竜族の結界の所為だという。山には霧がかかり、所々に尖った頂が見えるだけだ。
村人の姿がなく、宿らしき看板も見えない。村に足を踏み入れたところでエディンたちはどうしようかと立ち止まった。
そこに一番近くの建物から一人の女性が小走りで出てくる。こそこそと、怯えた風だ。
「もしかして、討伐隊の勇者様方ですか?」
「…ああ、討伐隊だけど、取り敢えず、宿はどこかな?」
「ああ!よくおいでくださいました!どうぞこちらへ。宿の経営者はもう他所に移ってしまったんですが、私どもで精一杯お世話させていただきますので。」
そう言って急ぐように建物の中へと促した。
「さあ、存分にお召し上がりください。旅の疲れを癒さねば討伐もままならないでしょう。」
村長だと言う壮年の男性に豪華な食事を勧められ、少々戸惑ってしまう。宿が建っている場所は山に近く危険だということで集会所のようなところでの食事だったが、待遇も内容も最上級だ。
「あ、あの…ホントにこれ、ただで戴いていいんですか?」
勿論です、と村長は答えた。
「村のために駆けつけてくださった方々をもてなすのは当然です。さ、ご遠慮なく。」
まだ気後れしているエディンに、フェリエが「いただきましょう?」と声を掛けて席に着く。見ればザイールは早々に座っていた。
食べ始めてしばらくすると、村長が「ところで、」と不思議そうな表情でエディンたちに視線をよこす。
「お仲間はあとどれくらいいらっしゃるのでしょう。もてなしの準備をしておきたいのですが…。」
エディンは今口にいれた大きめの肉を咀嚼しながら、何と返事をしようか考える。6人だけの討伐隊だなんて言ったら驚くだろうし、もしかしたらまた討伐が失敗すると思って絶望するかもしれない。
「…えっと…、取り敢えず、俺たちだけなんだけど…、な、カード、女王様がくれたアレでなんとかなるよな?」
「ああ、食事の後で国軍に行ってくる。それなりの人数はいるはずだ。」
エディンの返事に一旦驚いた顔をした村長だったが、その後のやり取りを聞いて訊ねた。
「それは…どういう…?」
「命令書を賜っているのです。ここに駐屯している国軍兵士を連れていきます。」
なるほど、と言って村長は黙った。納得したような口ぶりではあったが、何やら考え込んでいる風であとは他愛ない社交辞令しか彼は口に出さなかった。
「あーお腹いっぱいだねえ。美味しかったし。」
キャムが用意されたベッドに身を投げ出して幸せそうな顔をしている。うふふと笑ってからフェリエは首を傾げた。
「でも、こんなお天気では植物も育たないでしょうし、食材はどうしているのでしょう。村の収入もあまり見込めないのではないでしょうか。」
「ここは元々農業はやってないんだ。山で切り出した鉱石と工芸品が主な収入だろうな。今、鉱石は取れねえだろうが…国が支援金でも出してんじゃねーか?」
それにしても、とザイールは考えをめぐらす。
「こんなことになってんのに、何で村人を避難させないんだ?被害を出してまでここに人を置いておく必要はねー筈だが…。」
そう言えばそうだ、とエディンも首を捻った。
「それは、国を守るためです。」
ハッと顔を上げると、入口に若い娘が立っている。先程給仕していた人の中に見た覚えがあった。年齢はマルタと同じぐらいだろうか。
「守るため?」
近くに立っていたマルタが聞き返す。
「はい。竜族の暴走はこの村にとどまらないだろうというのが、学者様のお考えです。この村を捨ててしまったら、次は近隣の村々を、いずれは国中を襲いだすだろうと。」
それはザイールの故郷で聞いた話とはまるで違う考えだ。
「それは本当のことなのか?俺たちはこの村が縄張りの中に入っているのが原因だと言ってる奴に会ったんだが…。」
「そんな話も聞いたことはありますが、国は学者様の説を信じているようです。この村の人たちも…。」
国は希望的観測で対策を決めるわけにいかない。村を捨てて人々を逃がした所為で竜族の脅威が国中に広がってしまっては、本末転倒だ。あのケーテという男の説が正しいと言う確証がない以上、村の放棄を良しとはできないだろう。
「勇者様方…。」
彼女はうつむき加減にそう呼んだ。押し殺すような声が言ってはならないことを口にしようとしていることを物語っていた。
「どうか…お逃げください。今夜、皆が寝静まっている間に…。」
エディンは驚いて皆の顔を見た。返事に窮していると彼女は続ける。
「6人での討伐など絶対に無理です。」
「それなら心配しないでくれ。俺たちには女王の命令書がある。国軍兵士を連れていくよ。今、カードが話をしに行ってるんだ。」
いいえ、と娘は首を振った。
「大人たちは皆言っています。兵士など何十人連れて行っても役には立たないと。」
駐留している兵士たちも、あの噂を信じているのだと彼女は語った。いつ女王から生贄になれという命令が下るかと怯えているらしい。
「討伐など名ばかりです。もうこれ以上、勇者様方が犠牲になるのを見たくないのです。」
3つのチームが集まった前回の討伐で皆、今度こそはと期待を掛けて見送った。その彼らが一日たっても二日たっても戻らず、村は以前にもまして絶望的な空気に包まれてしまった。村を捨てることはできない。そして、先の学者の言によれば全滅することも許されない。騙されて犠牲になる若者たちを、ただ手厚く歓迎して見送り続けるしかないのだ。
だからどうか、と彼女は目を潤ませた。
「ありがとう。…でも、俺たち死ぬつもりはないよ。危なくなったらみっともなく逃げ帰ってくるさ。な、みんな。」
エディンが笑ってそう言うと、仲間たちも頷く。
フェリエは優しい笑みを湛えて彼女に歩み寄った。
「さあ、もうお帰りなさい。内緒で来ているのでしょう?大人たちに見つからないうちに。」
「でも…。」
「大丈夫。無理はしないよ。ありがと、おねえさん。」
ベッドの上で起き上がってキャムがニコッと笑って見せる。
少し迷った風を見せながら、娘は沈んだ表情のまま帰って行った。
「どうしたんだ?」
入れ替わるように戻ってきたカードは、立ち去った彼女の背を見ながらそう訊いた。
その顔が少々沈んでいることに気が付いてエディンは一抹の不安を覚えながら「国軍は?」と聞き返す。すると彼はますます顔を曇らせた。
「…すまない。国軍の手は借りられなくなった。」
命令書があるだろうが、とザイールが眉を顰める。
娘の話の通り、兵士たちは怯えきっているという。カードが命令書を見せ、詳細を離すと、そこここから嘆くような声が漏れた。国軍の兵士になることは名誉だ。だから相応のプライドがある筈で、戦いに臆する者がいるなどとカードは考えたこともなかった。いや、恐れはあっても、兵士としての誇りが充分にそれを打ち消せる筈だと思っていた。しかし、「我々にまで死ねとおっしゃるのか!」と声を上げた者がいて、考えを改めざるを得なかった。
「独断で悪いが、申し出を取り下げてきたよ。あの状態では、連れて行っても足手まといだ。」
戦う気力のない者を何十人と連れて行ったところで、犠牲者が増えるばかりだろう。
ザイールが苦りきった顔をして頭を掻いた。
「…ったく、しゃーねーなぁ。作戦変更だ。即効性の魔力回復薬を持てるだけ持ってくぞ。」
「行けるか?」
「今更、1000万ルーベを諦められるかっての。」
それかよ、とエディンは苦笑した。
「で、作戦は?」
「全員の気配を俺とフェリエの魔法で消して、目的の巣穴まで行く。スピードは出せねえし、6人の気配を消しての移動は魔力の消費がデカイだろうが仕方ねえ。」
「休憩を取れそうな場所をあらかじめ確認しておかないといけないな。」
カードが机に地図を広げた。
朝になり支度を済ませて外に出ると、村長と数人の村人が見送りに出てきた。
「無事の御帰還を祈っております。」
そう言って深々と頭を下げると、彼らは足早に建物の中に戻っていく。山の上空の所々に竜族の姿が見えた。外を歩くのは危険な行為だ。
「もう気配を消した方が良さそうだな。」
道のりを考えると魔力を温存したいところだが、そうは言っていられない。ザイールはフェリエを呼び、集中するべく目を伏せた。
その時、静まり返った村に押し寄せるような音が聞こえてきた。何事かと全員が音の方向を見ると、それは見る見る近づいている。
それは騎馬隊だった。先頭の馬がすぐそばまでやってきて、エディンたちの前に立ち塞がった。
「そこの者!待て!」
騎乗の戦士が威圧する。
「城からの討伐隊だな。入山はならん。討伐は我々が行う。」
驚いて見上げると、それはエディンが受けた試験で手合わせをした相手だった。
「ヴァズ隊長!それは一体どういう…。」
カードが一歩前に出て戸惑った声を上げる。
ヴァズは馬から降り、静かに、毅然とした態度で言った。
「我々は女王陛下の命を受けた正規討伐隊だ。退いてもらおう。」
はあ!?とザイールは不満をそのまま口に出した。
「ふざけんな。こっちは討伐のために何か月も前から準備してんだよ。時間も仕事も犠牲にしてる。はいそうですかってわけにはいかねーな。」
「それなりの謝礼は出すと陛下はおっしゃっている。お前たちはこのまま戻れ。」
城まで行けばこの旅に掛かったお金に色を付けて支払ってくれると言う。
「俺たちはドラゴン討伐の依頼を受けた。それをそっちも承知してた筈だろうが。契約違反ってやつじゃねーか。」
強く出られない他の面々の代わりに、ザイールがさらに抗議を続けている。その後ろでカードは一人、ヴァズの言葉を思い返していた。
正規討伐隊とは何だ?彼らの隊が正規なら、他の討伐隊は?
その答えは一つしかない。あの噂の通りだ。
つまり、やはりこれまでの討伐隊は生贄だったということ。
「カード!」
呼んだのはレクレスだった。
その顔を見てまた納得する。彼は正規討伐隊に配属されていた。
「カード、彼らを説得しろ。俺たちはこの日のために修業を積んだ。もとから討伐は俺たちの仕事なんだ。それが女王陛下のご意思なんだよ。お前は女王陛下に忠誠を誓った兵士だろ?」
忠誠と言われ、カードは視線を落とした。その通りだ。自分は国軍に志願するとき、誓約した。いや、もとより女王に逆らうつもりなどない。
「…そう…だな。」
「カード!!」
仲間たちが信じられないと言った風に名を呼ぶ。危険な仕事だからと退く気は毛頭ない。しり込みをするような気持ちなら、とっくに投げ出していたはずだ。
「何のために旅してきたんだよ。今までのことが全部無駄になるなんて、あんまりだろ?」
エディンの言葉に、キャムとマルタも「そうだよ!」と力強く賛同する。
その皆の顔を見遣って、カードは微かに笑みを見せた。
「レクレス…、確かに俺は国軍兵士だ。陛下に忠誠を誓った。…でも…だからこそ、退けない。」
キッと決意の眼差しをレクレスに向ける。
レクレスは目を見開いた。
「何を…。意地を張るところじゃないだろ!?手柄が欲しいならお前だけ一緒に来ればいい。その子たちを危険な目に合わせる必要がどこにあるって言うんだ!」
「ある。俺たちが行かなきゃいけない理由はある。考えてみろ。俺たちが退いて、『正規討伐隊』なんてものが討伐を成功させてしまったら、今までの討伐隊が生贄だったと公言しているようなものじゃないか。それは民の不信に繋がる。女王の名は地に落ち、場合によっては暴動にもなりかねない。違うか?」
既に、生贄の噂で女王への信頼が揺らいでいる。それにとどめを刺すような行為だ。
そんなことはあってはならない、と呟いて、カードはヴァズの正面に移動した。
懐から命令書を出して、スッと息を吸う。
「この命令書のもと、バルトゥールの名において命ずる。これよりお前たちは討伐応援隊と名乗り、この私、カード・バルトゥールの指揮下に入れ。」
場にいた全員が息をのんだ。
国軍ではまだ一般兵でしかないカードが、格上の隊長に向かって高圧的な物言いで命令を下した。それは貴族だからできることである。
「ヴァズ殿、ご返答を。」
隊長、とは呼ばず、自分が上の立場だと示す。
ヴァズが返事に窮するのは当然のことだ。討伐の命令は女王から下った。女王の命令だという部分だけなら、自分たちに下された命令の方が新しいのだから、討伐は成すべきである。しかしそれを実行すればカードが言った通りの状況になるだろう。だからと言って、年端のいかぬ少女が混じるこの6人に討伐を任せてしまうことなど出来ようか。
カードの手にあるのは女王直筆の命令書。そしてカードとヴァズの出自の差。ヴァズは王族の血を引いてはいるが、城の重鎮たちがそれを黙殺している状態だ。
最善はどれか、答えを探しているのだろう。
「隊長さん。俺、死ぬつもりはないよ。仲間を死なせるつもりもない。」
「そうだよ。私、強いよ。ううん、強くなったよ。あの時とは違う。」
エディンとキャムがそう言ったが、難しげに視線を落とす。
「バルトゥールなどという下流貴族の命令など聞けないとおっしゃるか?」
「…いえ…、しかし…。」
ヴァズの内心は、女王の立場とそばに立つ少女の命を天秤にかけている気分だった。女王アイリスの命とその少女の命なら、迷わずアイリスの命を助けるだろう。しかし、立場と命、それを天秤にかけていいのか。いや、王の失脚は国を荒らす。女王の立場を守ることは国を守ること。国を守ることが兵士の使命なら、そのために誰かを犠牲にすることも覚悟しなくてはならないのか。
「従わぬと言うなら、女王の名を汚した罪でお前たち全員を審議にかけるが、いかがか。」
さらに脅しをかける。
レクレスが慌てた風に言った。
「カード!…お前、この局面で…ズルいぞ!?」
ちらりと友の顔を見るとカードは言い捨てた。
「気安く話しかけるな。私は貴族だ。」
愕然とするレクレスを気にも留めず、ヴァズに視線を戻す。
「ご返答を、ヴァズ殿。アイリス様の失脚など、あなたの本意でもないでしょう。」
観念したように、ヴァズは片膝を付いた。
「了解しました。ご指示通りに。」
ヴァズたち応援隊に護衛を任せたエディンたちは、殆ど戦う必要がなく、力を温存したまま進めた。幸い休憩場所の状態も良い。隊にはフェリエほどではないにしても光の魔法を使える者も数人いて、休憩時には結界を張る。隊員たちも充分に体力を回復できた。
エディンが驚いたのは、彼らが連携技を使っていたことだった。そう言えば城を出る前に連携技のことをあれこれ聞かれたっけと思い出す。その技の強さは目を見張るほど。自分たちは誰にも負けない強さを身に着けたと思っていたが、それも思い上がりだったようだと苦笑をこぼした。
「お飲み物をどうぞ。」
何度目かの休憩のとき、カードが岩場に腰を下ろしたところに後ろから声が掛かり、礼を言って受け取ろうと相手の顔を見て彼は慌てた。
「!…レ、レクレス…。」
「どうぞ、バルトゥール様。」
「や…やめてくれないか、そんな呼び方は。」
バツが悪そうにそう返すと、レクレスはとんでもないと返す。
「これまでの数々の無礼をどうかお許しください。庶民の私が貴方様のようなお方に軽々しく口をきくなど、浅はかな愚民と一蹴なさってくださいますよう。」
先刻のことを根に持っているその言い草にカードは困り果てたような顔を向けた。
「悪かった。わかってるだろう?本心じゃないことぐらい。謝るから普通にしてくれ。」
いえいえそんな、と何度かのやり取りをしてから、レクレスは笑った。
「あんまり苛めても可哀想か。許してやるよ、親友だしな。」
「まったくもう…。一世一代のハッタリで倒れそうだったんだ。勘弁してくれよ。」
「まったく、と言いたいのはこっちだ。訓練生のときだって、ああやってふんぞり返ってれば良かったんだよ。本物の貴族だろうが。そうすればお前にあれこれ言う輩なんて追い出せただろうに。このお人好しめ。」
そのやり取りで、カードが軍の中でどう過ごしていたかを垣間見れる。やっぱりお人好しなんだ、とエディンは笑った。
そんな和やかな空気も、山を登るにつれて否応なく削がれていく。中腹を少し過ぎたところで、ヴァズが片手を上げて隊を止めた。
「…ここを過ぎれば目標の巣穴までもうすぐだが…。一番の難関だ。」
岩陰から様子を窺うと、広い平地に何頭ものドラゴンが集まっていた。普段ならのんびりと日向ぼっこでもする場所なのかもしれないが、人間が踏み入っていることはもう分かっている。殺気立っているのが見て取れた。その中を突っ切らなければならない。
「4人ずつでドラゴンを足止めする。その間に向こう側まで走り抜けてくれ。あの岩場に入ってしまえば安全だ。」
隊員に指示を出してから、傍にいたエディンにそう言った。
人間の姿が見えれば、ドラゴンはもっと集まってくるだろう。エディンが心配げに仲間を振り返る。返事に困っているのだと見てザイールが彼の代わりに了解の返事をした。
「行くぞ!」
ヴァズの合図で全員が駆け出した。
最初のドラゴンを左前方にいたチームが食い止める。その横を走り抜け、次に向かってきた数匹にはまた一つのチームが当たった。
「早く行け!!」
ヴァズも自分のチームと共に戦いながら、エディンたちの道を開けた。
応、と答えて走り抜けるそのはるか後方で、爆音と誰かの悲鳴。ハッと足を止めて振り返ると、一人が怪我を負ったふうが見える。
「行け!!」
ヴァズが重ねて言い、ザイールも先を促した。
エディンはそれに従おうと二三歩踏み出したが、また足を止め首を振った。
「ザイール!俺は戻るぞ!!」
「私も!!」
つられて仲間たちも引き返し始める。
「チッ…、だろうと思ったぜ。」
しかめっ面でザイールも踵を返し、フェリエに声を掛けた。
「あれをやるぞ!!来い!!」
キャムが叫ぶ。
「カード!!あそこに水龍!!」
怪我を負った兵士が対峙しているドラゴンはまだ倒れていない。そこに新たな個体がやってくるのが見えた。
「わかった!行くぞ!キャム!!」
槍を振りかぶると同時に風の魔法を発動させる。OKとキャムが返事をして、ビリビリと帯電させた。
「サンダートルネード!!」
二人の掛け声とともに、竜巻がドラゴンに向かっていく。
「マルタ!ヒールをくれ!」
「OK!思いっきし行っちゃって!」
「行くぞ!エナジーアタック!!」
「おい!隊長さん!奴ら蹴散らして全員ここに集めろ!」
何をするのかと言う質問を受け付けないザイールの気迫にヴァズは黙って従った。隊長の呼び声に全員が駆けつける。
「気合い入れろよ!」
「分かっています!光の聖霊よ!闇と手を取りそのヴェールで我らを覆い隠せ!」
「ステルス!」
怪我人を担いだ者が到着すると同時に薄暗い空気が全員を包み込んだ。
ザイールが人差し指を口の前に立て、岩場を指さす。それに頷いて皆でゆっくりと歩き出した。
ドラゴンたちは目の前から獲物が消えてしまったことに戸惑うようにキョロキョロと辺りを見回している。
一匹がバサッと羽を広げて飛び上がった。その爪がキャムを掠めていく。
驚きに声を上げそうになり、すんでのところでエディンが後から抱きすくめて口を押えた。
「マルタ、結界。」
「了解。」
岩場は小さな洞窟のようになっていた。結界を張っている間はドラゴンたちに見つかることはないだろう。
マルタに指示を出したザイールは、その場にへたり込んだ。フェリエもほど近いところで崩れるように岩にもたれかかる。
「…この距離で…この疲労かよ…。最初の作戦はちと…無茶だったかな…。」
「…仕方…ありませんわ?…こんな人数、…よく隠せたものです…。」
ハアハアと息を吐きながら、魔力回復の薬を懐から出す。飲もうとしたところでヴァズがそれを止めた。
「目標との戦闘に取っておけ。今はこれを。」
受け取った薬を飲みながら、ザイールは片眉を上げた。
「アンタらだって楽な仕事じゃないぜ?雑魚を食い止めて、退路を確保してもらわねーと。」
「了解している。そちらこそ無茶はするな。逃げ帰るのも大事な選択だ。」
了解、と返すとヴァズは静かに頷いた。その顔は最初のような『犠牲になる者を憐れむ顔』ではなくなっている。先程の戦闘で、エディンたちの実力がわかったのだろう。
フェリエが薬を飲んで一息ついたところへマルタが「いい?」と呼びに来た。
「ごめん、疲れてると思うけどさ、あたしのヒールじゃ傷口が塞がんなくて。」
兵士の怪我が思いのほか深く、回復魔法を使える者が代わる代わるヒールを掛けても完全には塞がらず困っているところだった。
フェリエは傷口を観察すると、脈や顔色を見、怪我人といくつか言葉を交わして小さく頷く。
「マルタ、この方の様子を見ていて必要そうならヒールを掛けてください。判断は任せます。」
そう言って呪文を唱え出した。
最初は変化が見られなかった傷口が徐々に塞がっていく。
「すごーい!」
驚きに、マルタは頼まれたことを忘れそうになっていた。ハッと気が付いて怪我人の様子を見てみるが、特に苦しそうにもしていない。数分で傷はミミズ腫れのようにまでなった。
「もう大丈夫ですね?」
「はい、ありがとうございます。」
「体力が落ちている筈です。回復なさっておいてください。」
仲間の元に戻る後を追って、マルタがまた「すごいね。」と声を掛ける。
フェリエは腰を掛けるのに良さそうな場所を見つけて落ち着くと、再度魔力の回復薬を一口含んで微笑んだ。
「はい、精霊はわたくしたち人間が生きる術をいくつも準備してくださっています。本当に素晴らしいですわ?」
うん、と頷いてマルタはちょっと複雑な顔をする。彼女がすごいと言ったのはフェリエのことだったのだが、本人は精霊のことだと勘違いしたらしい。
「さあ、そろそろ、本戦だ。」
数分後、全員の様子を見てザイールが立ち上がった。
エディンは最初、そこにドラゴンの姿はないと思ってしまった。
そっと窺い見て岩陰から足を踏み出しそうになり、それをザイールが制した。
「ワリィ…。」
小声で謝った時にはドラゴンを視認できていたが、それは信じられない大きさだった。
まるで小さな丘だ。隙間からの光しかないその場所では、体を丸めてしまえば塊にしか見えない。
行くぞ、とザイールが号令を掛け、塊の前に躍り出た。
キャムとマルタは巣穴の岩壁を急いで上った。
「いいか?あんな巨体じゃ致命傷与えるなんて至難の業だ。心臓まで攻撃は届かねえ。お前らは出来るだけ高いとこに昇って、額の甲羅を攻撃しろ。どぎついのかましてヒビを入れてやれ。」
ザイールの言うように額にヒビが入れられるのか、若干の不安を抱えながら、それでもキャムの雷を纏ったマルタの矢の威力ならと二人は上を目指す。幸い岩壁には充分な足場があり、腕力がない少女でも容易に上って行けた。目標の足元では他の四人が攻撃を仕掛けて気を引いてくれている。
数メートル上がったところでキャムが振り向くと、丁度ドラゴンが火を噴こうと首を下げたところだった。
「マルタ!行くよ!!」
天を指さしたキャムの指先にビリビリと光が点る。マルタは振り返ると同時に弓を構えた。
「OK!」
「撃てよ雷撃!!」
「飛んでゆけ!!」
「サンダーアロー!!」
ひゅんっと風を切って矢が飛んで行く。静止した的は大きく、外すことはない。しかしそれはドラゴンの額に当たったものの、軽い音を立てて力なく落ちて行った。
ドラゴンは相変わらず足元の人間に気を取られている。気にするほどの衝撃にもならなかったということだ。
「もう一回!!」
「サンダーアロー!!」
電気を纏った矢が、今度は幾分か衝撃を与えた。
それを煩く思ったらしく、ドラゴンの顔がゆっくりと二人の方を向いた。
「ヤバ…。」
「キャム!上って!」
慌てて少しでも場所を移動しようと先を目指すが、丁度大岩に阻まれて思うように進めない。
クワっと開かれた口から炎の弾が吐き出された。
「シールド!!」
咄嗟にマルタが光のバリアを張る。と、火球はバリアに触れたところで爆散した。
「…あ、ありがと、マルタ。」
「危なかったね…。よし、上ろ!」
ドラゴンはもう足元の敵に気を取られている。今ならゆっくり足場を探せそうだ。
数発の攻撃で、肉を削ぐだけでは致命傷に至らないことが分かり、エディンたちはただ上を目指す二人の為におとりに徹していた。
ドラゴンの治癒能力は想像を超えている。斬撃で深い傷を負わせても、見る見る肉が盛り上がって修復してしまった。
深手を負わせようと同じ場所を続けて攻撃するのだが、そう易々と斬らせてはくれない。攻撃が当たれば即座に反撃が来る。それは鋭い爪だったり、炎だったり、毒や氷も降ってきた。
爪が来る。それを避けるため飛び退こうとしたとき、エディンはすぐ後ろにフェリエがいることに気付いた。
「フェリエ!!」
飛びついて地面に倒れ伏す。
「もっと下がって!!」
立ち上がりながら庇うように腕を広げた。
「でも!カードに魔法が届きません!」
いつの間にか、カードは回り込んで巨体の向こう側に位置していた。敵を翻弄するのにはいい作戦だが、回復が出来ないのでは危険だ。チッと舌打ちをしたザイールが二人に走り寄った。
屈み込んで地面に片手を付く。途端彼の手元から地面が壁のように盛り上がった。壁はドラゴンを囲むように大きく回り込む。
「ここを通って行け!エディン、仕掛けるぞ!」
敵の注意をひいてくれる二人を尻目に、壁の外側をフェリエは急いだ。カードにはもうかなりの疲労が襲っている筈である。加えて反撃によりつけられた傷。
「彼の者に生の活力を…聖なる光の盾よ、彼の者に強固な守りを…。」
走りながら詠唱を唱える。
(もう少し…間に合って!)
壁が途切れてカードの姿が見えた。
「ヒール・ハス・プロテクト!!」
光がカードを包んだのと同時に、ドラゴンの羽が彼を打つ。防御の体勢はとっていたが、滑るように後方に倒れ込んだ。
「光に満ちたその陽だまりに彼の者を誘い、さらなる祝福を、加護を、癒しを、ヒールアップ!!」
全回復の魔法に包まれたことに気付いてフェリエの方に視線を向けた彼は、微かに笑みを見せる。つられてヒーラーも口元を緩ませた。
「キャム!」
マルタの呼び声に応えて、少女は電撃を纏った。
放たれる矢を追うように撃ち出す。
「サンダーアロー!!」
何度も何度も技を放った。その度にドラゴンが顔を上げたが、仲間のサポートと光の精霊の力で持ちこたえる。その繰り返しだ。
「もう少し…登ろう。」
マルタが指さす先を見ると、そこには大きな岩棚があった。矢を撃ち込むのに絶好の場所だと言える。咆哮と地響きを背中に聞きながら、岩に足を掛けた。
矢の威力は上がっている。それでもヒビを入れるには至らない。
また放たれた火球を防いでから、マルタが静かにキャムを呼んだ。
「ちょっと見てて。」
そう言って、彼女は弓の弦を引く。矢を宛がわずに引いたその手の中から、光の筋が伸びた。
「何それ…。すごい…。」
光の魔法で矢を作り出したのだとキャムにもすぐわかった。
「練習してたんだ。」
えへへ、と照れ臭そうに笑って一旦光の矢を消す。そして真剣な顔を見せた。
「目一杯ちから込めて作った矢にキャムの雷合わせて、飛ばしてみよう?」
キャムはパッと笑顔になって賛成した。
「いいね!行けるよきっと!!」
でもねぇ、とマルタの顔が苦笑いに変わる。
「…魔力が少ないから、頑張っても2回。回復薬使っても、すぐには撃てないと思う。」
「一撃必中、だね。」
「うん。」
「大丈夫だよ、マルタの腕なら。さっきから一発も外してないじゃん!」
「…うん。…やれる。」
二人はキリッとした目をドラゴンに向けた。
キャムは絶対的信頼を持って力を全部その一撃に預ける決意、マルタはキャムが言った命中率のその上を行く一撃を放つ決意で片足を前に出した。
「強固な盾をも貫く槍を!」
マルタは出鱈目な呪文を言って矢を作り出す。守護精霊には呪文は必要ない。伝わればいいのだとフェリエも言っていた。(実際にはマルタには難しい教義の終わりに付け加えられた一言だったから、フェリエの教えたかったこととは少々違うのだが。)
「お願い精霊さん!目一杯の雷撃をちょうだい!!」
キャムも神頼みのような文句を言って高く手を掲げた。
「二つの力を合わせて、あの甲羅を突き破って!」
飛べよ雷撃、とマルタが矢を放ち、撃てよ光の矢、とキャムが追うように叫ぶ。
それは、その一点を目指して真っ直ぐに飛んで行った。
バシン、と今までにない衝撃音が聞こえ、ドラゴンの体が揺らいだ。
二人の攻撃が当たった場所で欠片が舞うのが見て取れた。
「ヒビが!!」
「やった!!」
うねる様に揺れた巨体に驚き見上げた仲間たちも、その声で状況を理解する。
「前足を狙え!!」
ザイールの指示にエディンとカードが即座に斬撃を繰り出した。
脳震盪を起こしかけたドラゴンは成すすべなく倒れ込む。前足を折って地面に伏すその時、額を攻撃した二人を憎々しげに見上げ、口を開いた。
「あ…。」
火球か衝撃波か、判断する暇もない。マルタはキャムの前に立って、なけなしの魔力でバリアを出した。
しかしドラゴンの攻撃はわずかに下に逸れ、岩棚に崩壊をもたらした。
「きゃあ!!」
「キャム!」
崩れ落ちる岩と共に二人の体が宙に投げ出されたのを目にして、エディンが青ざめる。
「任せろ!お前は止めを刺せ!!」
すぐ横で駆け出したザイールにそう言われて振り返った。
肉の傷のような回復は見られないが、放っておけばあのヒビも治ってしまうだろう。力なく倒れている今なら止めを刺せる。崩落の音と彼女らの叫び声が後ろ髪を引くものの、任せろと言い切ったザイールがヘマをするわけがないと心の中で頷く。
「エディン!来い!」
カードが両手で足場を作って構えた。そこに足を掛けて飛び上がる。
「風よ!吹き上げろ!高く!」
竜巻のような風がエディンの体を持ち上げて、巣穴の天井まで届ける。後は一直線、目標に向かって落ちていくだけだ。その一点を狙って剣を向ける。
「彼の者に疾風の速さを!!」
ついでカードが呪文を唱えると、ハッとしてフェリエも杖を掲げた。
「彼の剣に氷の鋭さを!!」
「稲妻の衝撃を!」
「強固なベールを!」
土のクッションで助けられたキャムとマルタも残りの魔力を呪文に乗せる。ドラゴンの足に力が入っているのに気付いたザイールがぼそりと縛り魔法を呟いた。
「行けー!!エディン!!」
皆の声が重なり、その願いが彼の背中を押す。そして…。
村は静かだった。
暗雲が立ち込めているのは竜族の結界の所為だという。山には霧がかかり、所々に尖った頂が見えるだけだ。
村人の姿がなく、宿らしき看板も見えない。村に足を踏み入れたところでエディンたちはどうしようかと立ち止まった。
そこに一番近くの建物から一人の女性が小走りで出てくる。こそこそと、怯えた風だ。
「もしかして、討伐隊の勇者様方ですか?」
「…ああ、討伐隊だけど、取り敢えず、宿はどこかな?」
「ああ!よくおいでくださいました!どうぞこちらへ。宿の経営者はもう他所に移ってしまったんですが、私どもで精一杯お世話させていただきますので。」
そう言って急ぐように建物の中へと促した。
「さあ、存分にお召し上がりください。旅の疲れを癒さねば討伐もままならないでしょう。」
村長だと言う壮年の男性に豪華な食事を勧められ、少々戸惑ってしまう。宿が建っている場所は山に近く危険だということで集会所のようなところでの食事だったが、待遇も内容も最上級だ。
「あ、あの…ホントにこれ、ただで戴いていいんですか?」
勿論です、と村長は答えた。
「村のために駆けつけてくださった方々をもてなすのは当然です。さ、ご遠慮なく。」
まだ気後れしているエディンに、フェリエが「いただきましょう?」と声を掛けて席に着く。見ればザイールは早々に座っていた。
食べ始めてしばらくすると、村長が「ところで、」と不思議そうな表情でエディンたちに視線をよこす。
「お仲間はあとどれくらいいらっしゃるのでしょう。もてなしの準備をしておきたいのですが…。」
エディンは今口にいれた大きめの肉を咀嚼しながら、何と返事をしようか考える。6人だけの討伐隊だなんて言ったら驚くだろうし、もしかしたらまた討伐が失敗すると思って絶望するかもしれない。
「…えっと…、取り敢えず、俺たちだけなんだけど…、な、カード、女王様がくれたアレでなんとかなるよな?」
「ああ、食事の後で国軍に行ってくる。それなりの人数はいるはずだ。」
エディンの返事に一旦驚いた顔をした村長だったが、その後のやり取りを聞いて訊ねた。
「それは…どういう…?」
「命令書を賜っているのです。ここに駐屯している国軍兵士を連れていきます。」
なるほど、と言って村長は黙った。納得したような口ぶりではあったが、何やら考え込んでいる風であとは他愛ない社交辞令しか彼は口に出さなかった。
「あーお腹いっぱいだねえ。美味しかったし。」
キャムが用意されたベッドに身を投げ出して幸せそうな顔をしている。うふふと笑ってからフェリエは首を傾げた。
「でも、こんなお天気では植物も育たないでしょうし、食材はどうしているのでしょう。村の収入もあまり見込めないのではないでしょうか。」
「ここは元々農業はやってないんだ。山で切り出した鉱石と工芸品が主な収入だろうな。今、鉱石は取れねえだろうが…国が支援金でも出してんじゃねーか?」
それにしても、とザイールは考えをめぐらす。
「こんなことになってんのに、何で村人を避難させないんだ?被害を出してまでここに人を置いておく必要はねー筈だが…。」
そう言えばそうだ、とエディンも首を捻った。
「それは、国を守るためです。」
ハッと顔を上げると、入口に若い娘が立っている。先程給仕していた人の中に見た覚えがあった。年齢はマルタと同じぐらいだろうか。
「守るため?」
近くに立っていたマルタが聞き返す。
「はい。竜族の暴走はこの村にとどまらないだろうというのが、学者様のお考えです。この村を捨ててしまったら、次は近隣の村々を、いずれは国中を襲いだすだろうと。」
それはザイールの故郷で聞いた話とはまるで違う考えだ。
「それは本当のことなのか?俺たちはこの村が縄張りの中に入っているのが原因だと言ってる奴に会ったんだが…。」
「そんな話も聞いたことはありますが、国は学者様の説を信じているようです。この村の人たちも…。」
国は希望的観測で対策を決めるわけにいかない。村を捨てて人々を逃がした所為で竜族の脅威が国中に広がってしまっては、本末転倒だ。あのケーテという男の説が正しいと言う確証がない以上、村の放棄を良しとはできないだろう。
「勇者様方…。」
彼女はうつむき加減にそう呼んだ。押し殺すような声が言ってはならないことを口にしようとしていることを物語っていた。
「どうか…お逃げください。今夜、皆が寝静まっている間に…。」
エディンは驚いて皆の顔を見た。返事に窮していると彼女は続ける。
「6人での討伐など絶対に無理です。」
「それなら心配しないでくれ。俺たちには女王の命令書がある。国軍兵士を連れていくよ。今、カードが話をしに行ってるんだ。」
いいえ、と娘は首を振った。
「大人たちは皆言っています。兵士など何十人連れて行っても役には立たないと。」
駐留している兵士たちも、あの噂を信じているのだと彼女は語った。いつ女王から生贄になれという命令が下るかと怯えているらしい。
「討伐など名ばかりです。もうこれ以上、勇者様方が犠牲になるのを見たくないのです。」
3つのチームが集まった前回の討伐で皆、今度こそはと期待を掛けて見送った。その彼らが一日たっても二日たっても戻らず、村は以前にもまして絶望的な空気に包まれてしまった。村を捨てることはできない。そして、先の学者の言によれば全滅することも許されない。騙されて犠牲になる若者たちを、ただ手厚く歓迎して見送り続けるしかないのだ。
だからどうか、と彼女は目を潤ませた。
「ありがとう。…でも、俺たち死ぬつもりはないよ。危なくなったらみっともなく逃げ帰ってくるさ。な、みんな。」
エディンが笑ってそう言うと、仲間たちも頷く。
フェリエは優しい笑みを湛えて彼女に歩み寄った。
「さあ、もうお帰りなさい。内緒で来ているのでしょう?大人たちに見つからないうちに。」
「でも…。」
「大丈夫。無理はしないよ。ありがと、おねえさん。」
ベッドの上で起き上がってキャムがニコッと笑って見せる。
少し迷った風を見せながら、娘は沈んだ表情のまま帰って行った。
「どうしたんだ?」
入れ替わるように戻ってきたカードは、立ち去った彼女の背を見ながらそう訊いた。
その顔が少々沈んでいることに気が付いてエディンは一抹の不安を覚えながら「国軍は?」と聞き返す。すると彼はますます顔を曇らせた。
「…すまない。国軍の手は借りられなくなった。」
命令書があるだろうが、とザイールが眉を顰める。
娘の話の通り、兵士たちは怯えきっているという。カードが命令書を見せ、詳細を離すと、そこここから嘆くような声が漏れた。国軍の兵士になることは名誉だ。だから相応のプライドがある筈で、戦いに臆する者がいるなどとカードは考えたこともなかった。いや、恐れはあっても、兵士としての誇りが充分にそれを打ち消せる筈だと思っていた。しかし、「我々にまで死ねとおっしゃるのか!」と声を上げた者がいて、考えを改めざるを得なかった。
「独断で悪いが、申し出を取り下げてきたよ。あの状態では、連れて行っても足手まといだ。」
戦う気力のない者を何十人と連れて行ったところで、犠牲者が増えるばかりだろう。
ザイールが苦りきった顔をして頭を掻いた。
「…ったく、しゃーねーなぁ。作戦変更だ。即効性の魔力回復薬を持てるだけ持ってくぞ。」
「行けるか?」
「今更、1000万ルーベを諦められるかっての。」
それかよ、とエディンは苦笑した。
「で、作戦は?」
「全員の気配を俺とフェリエの魔法で消して、目的の巣穴まで行く。スピードは出せねえし、6人の気配を消しての移動は魔力の消費がデカイだろうが仕方ねえ。」
「休憩を取れそうな場所をあらかじめ確認しておかないといけないな。」
カードが机に地図を広げた。
朝になり支度を済ませて外に出ると、村長と数人の村人が見送りに出てきた。
「無事の御帰還を祈っております。」
そう言って深々と頭を下げると、彼らは足早に建物の中に戻っていく。山の上空の所々に竜族の姿が見えた。外を歩くのは危険な行為だ。
「もう気配を消した方が良さそうだな。」
道のりを考えると魔力を温存したいところだが、そうは言っていられない。ザイールはフェリエを呼び、集中するべく目を伏せた。
その時、静まり返った村に押し寄せるような音が聞こえてきた。何事かと全員が音の方向を見ると、それは見る見る近づいている。
それは騎馬隊だった。先頭の馬がすぐそばまでやってきて、エディンたちの前に立ち塞がった。
「そこの者!待て!」
騎乗の戦士が威圧する。
「城からの討伐隊だな。入山はならん。討伐は我々が行う。」
驚いて見上げると、それはエディンが受けた試験で手合わせをした相手だった。
「ヴァズ隊長!それは一体どういう…。」
カードが一歩前に出て戸惑った声を上げる。
ヴァズは馬から降り、静かに、毅然とした態度で言った。
「我々は女王陛下の命を受けた正規討伐隊だ。退いてもらおう。」
はあ!?とザイールは不満をそのまま口に出した。
「ふざけんな。こっちは討伐のために何か月も前から準備してんだよ。時間も仕事も犠牲にしてる。はいそうですかってわけにはいかねーな。」
「それなりの謝礼は出すと陛下はおっしゃっている。お前たちはこのまま戻れ。」
城まで行けばこの旅に掛かったお金に色を付けて支払ってくれると言う。
「俺たちはドラゴン討伐の依頼を受けた。それをそっちも承知してた筈だろうが。契約違反ってやつじゃねーか。」
強く出られない他の面々の代わりに、ザイールがさらに抗議を続けている。その後ろでカードは一人、ヴァズの言葉を思い返していた。
正規討伐隊とは何だ?彼らの隊が正規なら、他の討伐隊は?
その答えは一つしかない。あの噂の通りだ。
つまり、やはりこれまでの討伐隊は生贄だったということ。
「カード!」
呼んだのはレクレスだった。
その顔を見てまた納得する。彼は正規討伐隊に配属されていた。
「カード、彼らを説得しろ。俺たちはこの日のために修業を積んだ。もとから討伐は俺たちの仕事なんだ。それが女王陛下のご意思なんだよ。お前は女王陛下に忠誠を誓った兵士だろ?」
忠誠と言われ、カードは視線を落とした。その通りだ。自分は国軍に志願するとき、誓約した。いや、もとより女王に逆らうつもりなどない。
「…そう…だな。」
「カード!!」
仲間たちが信じられないと言った風に名を呼ぶ。危険な仕事だからと退く気は毛頭ない。しり込みをするような気持ちなら、とっくに投げ出していたはずだ。
「何のために旅してきたんだよ。今までのことが全部無駄になるなんて、あんまりだろ?」
エディンの言葉に、キャムとマルタも「そうだよ!」と力強く賛同する。
その皆の顔を見遣って、カードは微かに笑みを見せた。
「レクレス…、確かに俺は国軍兵士だ。陛下に忠誠を誓った。…でも…だからこそ、退けない。」
キッと決意の眼差しをレクレスに向ける。
レクレスは目を見開いた。
「何を…。意地を張るところじゃないだろ!?手柄が欲しいならお前だけ一緒に来ればいい。その子たちを危険な目に合わせる必要がどこにあるって言うんだ!」
「ある。俺たちが行かなきゃいけない理由はある。考えてみろ。俺たちが退いて、『正規討伐隊』なんてものが討伐を成功させてしまったら、今までの討伐隊が生贄だったと公言しているようなものじゃないか。それは民の不信に繋がる。女王の名は地に落ち、場合によっては暴動にもなりかねない。違うか?」
既に、生贄の噂で女王への信頼が揺らいでいる。それにとどめを刺すような行為だ。
そんなことはあってはならない、と呟いて、カードはヴァズの正面に移動した。
懐から命令書を出して、スッと息を吸う。
「この命令書のもと、バルトゥールの名において命ずる。これよりお前たちは討伐応援隊と名乗り、この私、カード・バルトゥールの指揮下に入れ。」
場にいた全員が息をのんだ。
国軍ではまだ一般兵でしかないカードが、格上の隊長に向かって高圧的な物言いで命令を下した。それは貴族だからできることである。
「ヴァズ殿、ご返答を。」
隊長、とは呼ばず、自分が上の立場だと示す。
ヴァズが返事に窮するのは当然のことだ。討伐の命令は女王から下った。女王の命令だという部分だけなら、自分たちに下された命令の方が新しいのだから、討伐は成すべきである。しかしそれを実行すればカードが言った通りの状況になるだろう。だからと言って、年端のいかぬ少女が混じるこの6人に討伐を任せてしまうことなど出来ようか。
カードの手にあるのは女王直筆の命令書。そしてカードとヴァズの出自の差。ヴァズは王族の血を引いてはいるが、城の重鎮たちがそれを黙殺している状態だ。
最善はどれか、答えを探しているのだろう。
「隊長さん。俺、死ぬつもりはないよ。仲間を死なせるつもりもない。」
「そうだよ。私、強いよ。ううん、強くなったよ。あの時とは違う。」
エディンとキャムがそう言ったが、難しげに視線を落とす。
「バルトゥールなどという下流貴族の命令など聞けないとおっしゃるか?」
「…いえ…、しかし…。」
ヴァズの内心は、女王の立場とそばに立つ少女の命を天秤にかけている気分だった。女王アイリスの命とその少女の命なら、迷わずアイリスの命を助けるだろう。しかし、立場と命、それを天秤にかけていいのか。いや、王の失脚は国を荒らす。女王の立場を守ることは国を守ること。国を守ることが兵士の使命なら、そのために誰かを犠牲にすることも覚悟しなくてはならないのか。
「従わぬと言うなら、女王の名を汚した罪でお前たち全員を審議にかけるが、いかがか。」
さらに脅しをかける。
レクレスが慌てた風に言った。
「カード!…お前、この局面で…ズルいぞ!?」
ちらりと友の顔を見るとカードは言い捨てた。
「気安く話しかけるな。私は貴族だ。」
愕然とするレクレスを気にも留めず、ヴァズに視線を戻す。
「ご返答を、ヴァズ殿。アイリス様の失脚など、あなたの本意でもないでしょう。」
観念したように、ヴァズは片膝を付いた。
「了解しました。ご指示通りに。」
ヴァズたち応援隊に護衛を任せたエディンたちは、殆ど戦う必要がなく、力を温存したまま進めた。幸い休憩場所の状態も良い。隊にはフェリエほどではないにしても光の魔法を使える者も数人いて、休憩時には結界を張る。隊員たちも充分に体力を回復できた。
エディンが驚いたのは、彼らが連携技を使っていたことだった。そう言えば城を出る前に連携技のことをあれこれ聞かれたっけと思い出す。その技の強さは目を見張るほど。自分たちは誰にも負けない強さを身に着けたと思っていたが、それも思い上がりだったようだと苦笑をこぼした。
「お飲み物をどうぞ。」
何度目かの休憩のとき、カードが岩場に腰を下ろしたところに後ろから声が掛かり、礼を言って受け取ろうと相手の顔を見て彼は慌てた。
「!…レ、レクレス…。」
「どうぞ、バルトゥール様。」
「や…やめてくれないか、そんな呼び方は。」
バツが悪そうにそう返すと、レクレスはとんでもないと返す。
「これまでの数々の無礼をどうかお許しください。庶民の私が貴方様のようなお方に軽々しく口をきくなど、浅はかな愚民と一蹴なさってくださいますよう。」
先刻のことを根に持っているその言い草にカードは困り果てたような顔を向けた。
「悪かった。わかってるだろう?本心じゃないことぐらい。謝るから普通にしてくれ。」
いえいえそんな、と何度かのやり取りをしてから、レクレスは笑った。
「あんまり苛めても可哀想か。許してやるよ、親友だしな。」
「まったくもう…。一世一代のハッタリで倒れそうだったんだ。勘弁してくれよ。」
「まったく、と言いたいのはこっちだ。訓練生のときだって、ああやってふんぞり返ってれば良かったんだよ。本物の貴族だろうが。そうすればお前にあれこれ言う輩なんて追い出せただろうに。このお人好しめ。」
そのやり取りで、カードが軍の中でどう過ごしていたかを垣間見れる。やっぱりお人好しなんだ、とエディンは笑った。
そんな和やかな空気も、山を登るにつれて否応なく削がれていく。中腹を少し過ぎたところで、ヴァズが片手を上げて隊を止めた。
「…ここを過ぎれば目標の巣穴までもうすぐだが…。一番の難関だ。」
岩陰から様子を窺うと、広い平地に何頭ものドラゴンが集まっていた。普段ならのんびりと日向ぼっこでもする場所なのかもしれないが、人間が踏み入っていることはもう分かっている。殺気立っているのが見て取れた。その中を突っ切らなければならない。
「4人ずつでドラゴンを足止めする。その間に向こう側まで走り抜けてくれ。あの岩場に入ってしまえば安全だ。」
隊員に指示を出してから、傍にいたエディンにそう言った。
人間の姿が見えれば、ドラゴンはもっと集まってくるだろう。エディンが心配げに仲間を振り返る。返事に困っているのだと見てザイールが彼の代わりに了解の返事をした。
「行くぞ!」
ヴァズの合図で全員が駆け出した。
最初のドラゴンを左前方にいたチームが食い止める。その横を走り抜け、次に向かってきた数匹にはまた一つのチームが当たった。
「早く行け!!」
ヴァズも自分のチームと共に戦いながら、エディンたちの道を開けた。
応、と答えて走り抜けるそのはるか後方で、爆音と誰かの悲鳴。ハッと足を止めて振り返ると、一人が怪我を負ったふうが見える。
「行け!!」
ヴァズが重ねて言い、ザイールも先を促した。
エディンはそれに従おうと二三歩踏み出したが、また足を止め首を振った。
「ザイール!俺は戻るぞ!!」
「私も!!」
つられて仲間たちも引き返し始める。
「チッ…、だろうと思ったぜ。」
しかめっ面でザイールも踵を返し、フェリエに声を掛けた。
「あれをやるぞ!!来い!!」
キャムが叫ぶ。
「カード!!あそこに水龍!!」
怪我を負った兵士が対峙しているドラゴンはまだ倒れていない。そこに新たな個体がやってくるのが見えた。
「わかった!行くぞ!キャム!!」
槍を振りかぶると同時に風の魔法を発動させる。OKとキャムが返事をして、ビリビリと帯電させた。
「サンダートルネード!!」
二人の掛け声とともに、竜巻がドラゴンに向かっていく。
「マルタ!ヒールをくれ!」
「OK!思いっきし行っちゃって!」
「行くぞ!エナジーアタック!!」
「おい!隊長さん!奴ら蹴散らして全員ここに集めろ!」
何をするのかと言う質問を受け付けないザイールの気迫にヴァズは黙って従った。隊長の呼び声に全員が駆けつける。
「気合い入れろよ!」
「分かっています!光の聖霊よ!闇と手を取りそのヴェールで我らを覆い隠せ!」
「ステルス!」
怪我人を担いだ者が到着すると同時に薄暗い空気が全員を包み込んだ。
ザイールが人差し指を口の前に立て、岩場を指さす。それに頷いて皆でゆっくりと歩き出した。
ドラゴンたちは目の前から獲物が消えてしまったことに戸惑うようにキョロキョロと辺りを見回している。
一匹がバサッと羽を広げて飛び上がった。その爪がキャムを掠めていく。
驚きに声を上げそうになり、すんでのところでエディンが後から抱きすくめて口を押えた。
「マルタ、結界。」
「了解。」
岩場は小さな洞窟のようになっていた。結界を張っている間はドラゴンたちに見つかることはないだろう。
マルタに指示を出したザイールは、その場にへたり込んだ。フェリエもほど近いところで崩れるように岩にもたれかかる。
「…この距離で…この疲労かよ…。最初の作戦はちと…無茶だったかな…。」
「…仕方…ありませんわ?…こんな人数、…よく隠せたものです…。」
ハアハアと息を吐きながら、魔力回復の薬を懐から出す。飲もうとしたところでヴァズがそれを止めた。
「目標との戦闘に取っておけ。今はこれを。」
受け取った薬を飲みながら、ザイールは片眉を上げた。
「アンタらだって楽な仕事じゃないぜ?雑魚を食い止めて、退路を確保してもらわねーと。」
「了解している。そちらこそ無茶はするな。逃げ帰るのも大事な選択だ。」
了解、と返すとヴァズは静かに頷いた。その顔は最初のような『犠牲になる者を憐れむ顔』ではなくなっている。先程の戦闘で、エディンたちの実力がわかったのだろう。
フェリエが薬を飲んで一息ついたところへマルタが「いい?」と呼びに来た。
「ごめん、疲れてると思うけどさ、あたしのヒールじゃ傷口が塞がんなくて。」
兵士の怪我が思いのほか深く、回復魔法を使える者が代わる代わるヒールを掛けても完全には塞がらず困っているところだった。
フェリエは傷口を観察すると、脈や顔色を見、怪我人といくつか言葉を交わして小さく頷く。
「マルタ、この方の様子を見ていて必要そうならヒールを掛けてください。判断は任せます。」
そう言って呪文を唱え出した。
最初は変化が見られなかった傷口が徐々に塞がっていく。
「すごーい!」
驚きに、マルタは頼まれたことを忘れそうになっていた。ハッと気が付いて怪我人の様子を見てみるが、特に苦しそうにもしていない。数分で傷はミミズ腫れのようにまでなった。
「もう大丈夫ですね?」
「はい、ありがとうございます。」
「体力が落ちている筈です。回復なさっておいてください。」
仲間の元に戻る後を追って、マルタがまた「すごいね。」と声を掛ける。
フェリエは腰を掛けるのに良さそうな場所を見つけて落ち着くと、再度魔力の回復薬を一口含んで微笑んだ。
「はい、精霊はわたくしたち人間が生きる術をいくつも準備してくださっています。本当に素晴らしいですわ?」
うん、と頷いてマルタはちょっと複雑な顔をする。彼女がすごいと言ったのはフェリエのことだったのだが、本人は精霊のことだと勘違いしたらしい。
「さあ、そろそろ、本戦だ。」
数分後、全員の様子を見てザイールが立ち上がった。
エディンは最初、そこにドラゴンの姿はないと思ってしまった。
そっと窺い見て岩陰から足を踏み出しそうになり、それをザイールが制した。
「ワリィ…。」
小声で謝った時にはドラゴンを視認できていたが、それは信じられない大きさだった。
まるで小さな丘だ。隙間からの光しかないその場所では、体を丸めてしまえば塊にしか見えない。
行くぞ、とザイールが号令を掛け、塊の前に躍り出た。
キャムとマルタは巣穴の岩壁を急いで上った。
「いいか?あんな巨体じゃ致命傷与えるなんて至難の業だ。心臓まで攻撃は届かねえ。お前らは出来るだけ高いとこに昇って、額の甲羅を攻撃しろ。どぎついのかましてヒビを入れてやれ。」
ザイールの言うように額にヒビが入れられるのか、若干の不安を抱えながら、それでもキャムの雷を纏ったマルタの矢の威力ならと二人は上を目指す。幸い岩壁には充分な足場があり、腕力がない少女でも容易に上って行けた。目標の足元では他の四人が攻撃を仕掛けて気を引いてくれている。
数メートル上がったところでキャムが振り向くと、丁度ドラゴンが火を噴こうと首を下げたところだった。
「マルタ!行くよ!!」
天を指さしたキャムの指先にビリビリと光が点る。マルタは振り返ると同時に弓を構えた。
「OK!」
「撃てよ雷撃!!」
「飛んでゆけ!!」
「サンダーアロー!!」
ひゅんっと風を切って矢が飛んで行く。静止した的は大きく、外すことはない。しかしそれはドラゴンの額に当たったものの、軽い音を立てて力なく落ちて行った。
ドラゴンは相変わらず足元の人間に気を取られている。気にするほどの衝撃にもならなかったということだ。
「もう一回!!」
「サンダーアロー!!」
電気を纏った矢が、今度は幾分か衝撃を与えた。
それを煩く思ったらしく、ドラゴンの顔がゆっくりと二人の方を向いた。
「ヤバ…。」
「キャム!上って!」
慌てて少しでも場所を移動しようと先を目指すが、丁度大岩に阻まれて思うように進めない。
クワっと開かれた口から炎の弾が吐き出された。
「シールド!!」
咄嗟にマルタが光のバリアを張る。と、火球はバリアに触れたところで爆散した。
「…あ、ありがと、マルタ。」
「危なかったね…。よし、上ろ!」
ドラゴンはもう足元の敵に気を取られている。今ならゆっくり足場を探せそうだ。
数発の攻撃で、肉を削ぐだけでは致命傷に至らないことが分かり、エディンたちはただ上を目指す二人の為におとりに徹していた。
ドラゴンの治癒能力は想像を超えている。斬撃で深い傷を負わせても、見る見る肉が盛り上がって修復してしまった。
深手を負わせようと同じ場所を続けて攻撃するのだが、そう易々と斬らせてはくれない。攻撃が当たれば即座に反撃が来る。それは鋭い爪だったり、炎だったり、毒や氷も降ってきた。
爪が来る。それを避けるため飛び退こうとしたとき、エディンはすぐ後ろにフェリエがいることに気付いた。
「フェリエ!!」
飛びついて地面に倒れ伏す。
「もっと下がって!!」
立ち上がりながら庇うように腕を広げた。
「でも!カードに魔法が届きません!」
いつの間にか、カードは回り込んで巨体の向こう側に位置していた。敵を翻弄するのにはいい作戦だが、回復が出来ないのでは危険だ。チッと舌打ちをしたザイールが二人に走り寄った。
屈み込んで地面に片手を付く。途端彼の手元から地面が壁のように盛り上がった。壁はドラゴンを囲むように大きく回り込む。
「ここを通って行け!エディン、仕掛けるぞ!」
敵の注意をひいてくれる二人を尻目に、壁の外側をフェリエは急いだ。カードにはもうかなりの疲労が襲っている筈である。加えて反撃によりつけられた傷。
「彼の者に生の活力を…聖なる光の盾よ、彼の者に強固な守りを…。」
走りながら詠唱を唱える。
(もう少し…間に合って!)
壁が途切れてカードの姿が見えた。
「ヒール・ハス・プロテクト!!」
光がカードを包んだのと同時に、ドラゴンの羽が彼を打つ。防御の体勢はとっていたが、滑るように後方に倒れ込んだ。
「光に満ちたその陽だまりに彼の者を誘い、さらなる祝福を、加護を、癒しを、ヒールアップ!!」
全回復の魔法に包まれたことに気付いてフェリエの方に視線を向けた彼は、微かに笑みを見せる。つられてヒーラーも口元を緩ませた。
「キャム!」
マルタの呼び声に応えて、少女は電撃を纏った。
放たれる矢を追うように撃ち出す。
「サンダーアロー!!」
何度も何度も技を放った。その度にドラゴンが顔を上げたが、仲間のサポートと光の精霊の力で持ちこたえる。その繰り返しだ。
「もう少し…登ろう。」
マルタが指さす先を見ると、そこには大きな岩棚があった。矢を撃ち込むのに絶好の場所だと言える。咆哮と地響きを背中に聞きながら、岩に足を掛けた。
矢の威力は上がっている。それでもヒビを入れるには至らない。
また放たれた火球を防いでから、マルタが静かにキャムを呼んだ。
「ちょっと見てて。」
そう言って、彼女は弓の弦を引く。矢を宛がわずに引いたその手の中から、光の筋が伸びた。
「何それ…。すごい…。」
光の魔法で矢を作り出したのだとキャムにもすぐわかった。
「練習してたんだ。」
えへへ、と照れ臭そうに笑って一旦光の矢を消す。そして真剣な顔を見せた。
「目一杯ちから込めて作った矢にキャムの雷合わせて、飛ばしてみよう?」
キャムはパッと笑顔になって賛成した。
「いいね!行けるよきっと!!」
でもねぇ、とマルタの顔が苦笑いに変わる。
「…魔力が少ないから、頑張っても2回。回復薬使っても、すぐには撃てないと思う。」
「一撃必中、だね。」
「うん。」
「大丈夫だよ、マルタの腕なら。さっきから一発も外してないじゃん!」
「…うん。…やれる。」
二人はキリッとした目をドラゴンに向けた。
キャムは絶対的信頼を持って力を全部その一撃に預ける決意、マルタはキャムが言った命中率のその上を行く一撃を放つ決意で片足を前に出した。
「強固な盾をも貫く槍を!」
マルタは出鱈目な呪文を言って矢を作り出す。守護精霊には呪文は必要ない。伝わればいいのだとフェリエも言っていた。(実際にはマルタには難しい教義の終わりに付け加えられた一言だったから、フェリエの教えたかったこととは少々違うのだが。)
「お願い精霊さん!目一杯の雷撃をちょうだい!!」
キャムも神頼みのような文句を言って高く手を掲げた。
「二つの力を合わせて、あの甲羅を突き破って!」
飛べよ雷撃、とマルタが矢を放ち、撃てよ光の矢、とキャムが追うように叫ぶ。
それは、その一点を目指して真っ直ぐに飛んで行った。
バシン、と今までにない衝撃音が聞こえ、ドラゴンの体が揺らいだ。
二人の攻撃が当たった場所で欠片が舞うのが見て取れた。
「ヒビが!!」
「やった!!」
うねる様に揺れた巨体に驚き見上げた仲間たちも、その声で状況を理解する。
「前足を狙え!!」
ザイールの指示にエディンとカードが即座に斬撃を繰り出した。
脳震盪を起こしかけたドラゴンは成すすべなく倒れ込む。前足を折って地面に伏すその時、額を攻撃した二人を憎々しげに見上げ、口を開いた。
「あ…。」
火球か衝撃波か、判断する暇もない。マルタはキャムの前に立って、なけなしの魔力でバリアを出した。
しかしドラゴンの攻撃はわずかに下に逸れ、岩棚に崩壊をもたらした。
「きゃあ!!」
「キャム!」
崩れ落ちる岩と共に二人の体が宙に投げ出されたのを目にして、エディンが青ざめる。
「任せろ!お前は止めを刺せ!!」
すぐ横で駆け出したザイールにそう言われて振り返った。
肉の傷のような回復は見られないが、放っておけばあのヒビも治ってしまうだろう。力なく倒れている今なら止めを刺せる。崩落の音と彼女らの叫び声が後ろ髪を引くものの、任せろと言い切ったザイールがヘマをするわけがないと心の中で頷く。
「エディン!来い!」
カードが両手で足場を作って構えた。そこに足を掛けて飛び上がる。
「風よ!吹き上げろ!高く!」
竜巻のような風がエディンの体を持ち上げて、巣穴の天井まで届ける。後は一直線、目標に向かって落ちていくだけだ。その一点を狙って剣を向ける。
「彼の者に疾風の速さを!!」
ついでカードが呪文を唱えると、ハッとしてフェリエも杖を掲げた。
「彼の剣に氷の鋭さを!!」
「稲妻の衝撃を!」
「強固なベールを!」
土のクッションで助けられたキャムとマルタも残りの魔力を呪文に乗せる。ドラゴンの足に力が入っているのに気付いたザイールがぼそりと縛り魔法を呟いた。
「行けー!!エディン!!」
皆の声が重なり、その願いが彼の背中を押す。そして…。