霧の向こう

小休止7


1.炎
 冬のある日、暖炉を見つめていたマルタが呟いた。
「火ってさ…、あったかいね。」
 傍で本を読んでいたフェリエは、いつになく弱々しい彼女の声色に視線を上げる。
「…ええ…。」
「でもさ、時々ちょっと怖いんだ。」
 えへへ、と笑って見せるマルタ。それが無理をしているように見えて、フェリエは考えを巡らせた。
「戦闘中に何か怖い思いでもしましたか?…エディンに言っておかなくてはいけませんね。」
 ぶんぶん、とマルタは首を振る。
「違うよ、大丈夫。エディンはさ、ちゃんと気を付けて魔法使ってるよね。ずっとキャムと一緒だったからかな。」

 違うんだ、と彼女はもう一度言った。
 炎が怖いというのとは少し違うかもしれない、と。

「あたしね、多分だけど、覚えてないんだけどさ、火事で家族が死んじゃったんだと思うんだよね。」
 一番古い記憶は焼け落ちた家だと言う。
 両親のことも、兄弟がいたかも覚えてはいない。ただ、家だった場所を見つめて立ち尽くしている自分。そして、同じように焼け落ちた隣の家の前には、女性がいた。
「その人のことはちょっと覚えてるんだ。優しい人でさ、お菓子くれたり、頭なでてくれたり、…大好きだった。」
 でもその時は。
「半狂乱っていうの?泣き叫んでさ、何か言ってたの。覚えてないけど、『なんでうちまで』みたいなことを言ってたんじゃないのかな。わかんないけど怖くてさ、その人に見つからないようにしなくちゃって思って逃げ出したんだ。」
 思い返せばその女性は火を出した隣家に対しての恨みつらみを並べ立てていたのではないかと想像できる。子供心にそれを感じ取ったのかもしれない。
「隠れた場所が馬車の中でさ、そのまま寝ちゃったみたいで気付いたら別の街にいて…。見つかって放り出されちゃった。」

 えへへ、とまた笑う。
 フェリエは言うべき言葉が見つからず、ただ「大変でしたね。」と呟くように言った。
「火を見るとさ、たまに思い出すんだよね、その人の顔…。たまーにだけどね。」
 その女性も家族を失ったのかもしれない、とフェリエは想像をしてみる。
 きっと遣る瀬無く、怒りを隣家に向けるほかなかったのだろう。
「何があったのかは分かりませんが、なんにしてもマルタさんの所為ではありませんわ?…だってお小さい時だったのですもの。」
 マルタはくすぐったそうに「ありがと。」と返してくるんと背中を向けた。
「不思議なのはさぁ…、あたし、その人に会いたいってたまに思うんだよね。親のことなんかなんとも思わないのに。」
「…マルタさんにとっては、家族のようなものだったのかもしれませんね。」
「家族かぁ…。会いたいな、…嫌われてるだろうけどさ。」
「きっと、心穏やかに会える日がきますよ。」
「そうかな…。」
「きっと。」
「そっか。」
 昔を懐かしむような目で、マルタはまた暖炉の火を見つめた。
 どことも知れない、故郷に思いを馳せながら。




2.渡し
 まだ薄暗い早朝、フェリエはベッドを抜け出して服装を整えた。
 その途中、何度か同室のキャムとマルタに声を掛けたが二人は起きそうにない。無理に起しても可哀想かと諦めて部屋を出る。
 今日は光の月、第一日。『渡し』の日だ。
 この明けの日の出を見ることを習慣にしている者は多い。新年を祝う最初の行事として定着している。太陽が見え始めてから昇りきるまでの間にお祈りをすれば願いが叶うという言い伝えが、その習慣のはじまりだ。
 部屋を出てすぐの憩いの場が日の出を眺めるのに丁度良さそうだと、フェリエは宿を取ったその日から考えていた。毎年の習慣を途切れさせてしまうのは勿体ない。きちんと太陽が見える場所で、祈りを捧げたい。
「…あら、お早いですね。」
 一番乗りだと思っていたら、窓際にはザイールが立っていた。先を越されたことを少し悔しく思いながら声を掛けた。
「さっきまで飲んでたんでな。ついでだ。」
「まあ。」
 昔馴染みと酒を交わしていたのだから仕方のないことだが、フェリエは呆れたという風に顔を顰める。
「ご無理をなさらないでくださいね。今になっての欠員は困ります。」
「そんなヤワじゃねえよ。」
「あら、ご自分の年齢をお忘れですか?」
「年寄り扱いかよっ!そっちこそしっかり寝ねえと『お肌』が…。」
「あっ!」
 フェリエはザイールとの言い争いを急に止めると、窓の外を指し示した。吊られてザイールも目をやる。
 白くぼやけていた稜線に、しっかりと光を放つ輪郭が見え始めている。
「渡し、ですわ?」
「ああ。」
 ゆっくりとした動きでフェリエは手を合わせて胸の前で組み、目を伏せた。
「今年もこの時を無事に迎えられたことを感謝します…。」
 祈り始めた彼女にチラッと目をやり、ザイールは肩をすぼめる。祈ると願いが叶うとは言うが、大真面目に祈る者はあまりいない。大抵の者は昇る朝日を数秒、長くて1~2分、眺めるだけだ。僧侶見習いだからこその真面目さなのだろうと納得して、もう一度『渡し』を眺めた。
「いかがですか?」
「…んあ?」
「久しぶりの故郷での渡しは。」
 まだ祈りの姿勢のまま、ちらりと視線を向けてフェリエが問い掛けると、ザイールは毎度のごとく面倒臭そうな表情を見せて「別に。」と答えた。
「どこで見ようが『渡し』は『渡し』だ。」
 予想外の返答にフェリエは不思議そうな顔をする。
「そうでしょうか…?」
「そうだよ。…で?何祈ったんだ?必勝祈願か?」
 鼻で笑う様子は、祈ったところで意味はないと思っているのだと分かる。しかし、フェリエは別段それを不快には思わなかった。彼女も願い事の意味を少し斜に構えて捉えているところがあるからだ。
「いいえ?それは祈らなくても成し遂げるのでしょう?」
「じゃあ、なんだ?」
 ザイールの予想が外れるのは珍しい。その意外そうな顔を見て、フェリエは緩んだ口元を手で隠した。
「わたくしの場合、願い事とは少し違いますね。宣戦布告をしているのです。」
「宣戦布告?」
「はい。今年こそ、闇の精霊との契約を果たして見せますわ?」
 なるほど、とザイールも笑う。幼子のように盲目的に精霊の助けを信じているのではないと分かって面白く思っているのだ。
 そこに「おはよう。」と声が掛かり、二人は振り向いた。
「おはようございます。カード。」
「よう。」
「寝坊してしまったよ。」
 苦笑いのカードに、フェリエは「まだ大丈夫ですよ。」と窓際を譲る。太陽はもう半分以上顔を出していた。
「毎年のことなのに、不覚だ…。」
 カードは渡しを見ながらそう言った。
 祈りの姿勢を取らず、そのままジッと眺める姿に憂いが窺える。きっと彼は毎年のように家のことを願っているのだろうとフェリエは思った。
 その数分後、慌ただしく出てきたのはキャムとマルタだ。
「あー!ずるい!起こしてよぉ。」
 三人の姿を見てキャムがすねるような声を出す。
「起こしたんですよ?」
 フェリエは苦笑を向けてそう答え、さあ、と窓際に促した。もう日が昇りきるまで一分もない。
 キャムが胸の前に手を組むと、マルタもそれを真似た。
「良かったぁ、何とか間に合った。」
「あれ?エディンは?」
 マルタの言葉にキャムも一緒にキョロキョロと見回す。
 と。
 バタン!と勢いよくドアが開き、転げるようにエディンが出てきた。
「渡しは!?」
 彼の青ざめた顔が太陽の方を見たのを確認すると、皆窓の外に視線を向ける。先程まで一部が隠れていた太陽。その輪郭は山の稜線から離れた後だった。
 絶望するように項垂れるエディンを馬鹿にするように、ザイールが言った。
「餓鬼かよ。くだらねえ。祈りなんざ気休めだろうが。」
「気休めじゃねーよっ!毎年願いは叶ってんだ…。今年も絶対って思ってたのに…。」
 怒るように言い返して、また打ちひしがれている。
 フェリエはキャムの方を窺って首を傾げた。幼馴染みである彼女ならエディンの落ち込みの原因が分かると思ったのだが、そうでもないらしい。キャムも不思議そうに小首をかしげている。
 渡しでの祈りが必ず叶う、という話は信仰心の強い者なら大人でも信じていることが多いが、それには少々からくりがある。
 願いは叶えられる。しかしそれはその者の分に合った願いである場合だけだ。願いが叶わなかった時、それに不服を言う子供を、大人は「過ぎた望みを願うものではない。」とたしなめる。願いが叶わないのは願う者が身の程を知らないからだということだ。
 だからこそ、フェリエは努力で手に入れることをその願いに乗せようとはしない。分に合う願いなら、努力で手に入れられる筈で、分に合わないなら、まだ己の力が足りないということなのだから。
 あまりのエディンの落ち込み具合に、見かねてカードが慰めを言った。
「…それにしても、そんなに気落ちするなんて、一体何を願うつもりだったんだ?」
 苦笑交じりで彼がそう訊ねると、エディンは深いため息を吐いた。
「…キャムんちのおじさんに殴られませんようにって…。」
「え?」
 何人かが同時に訊き返す。
 するとエディンは堰を切ったように話し出した。
「だってさ、キャムんちのおじさんのゲンコツ、めっちゃ痛いんだって!」
 子供のころは村の大人たちから剣の扱いを習っていたが、その指導役の一人がキャムの父親であるジェドだ。剣の指導は勿論のこと、家族のように仲のいい隣人だからこそ、生活面においてもジェドに叱られることが度々あった。その時の痛い思い出が、彼の毎年の祈りの要因だった。
「渡しに祈り始めてから殴られなくなったんだって。絶対お祈りが効いてるんだ。」
 それは単に彼が成長してゲンコツを貰うような失敗や悪戯をしなくなっただけのことだろうが、本人はいたって真面目だ。
「今年は絶対祈らなきゃって思ってたのに…。」
 何せ、約束を破ってキャムを旅に連れ出してしまったのだから。そう言ってまた項垂れる。
 ザイールが噴き出して、楽しそうに歯を剥いた。
「それはアレだな。精霊が、お前の祈りを阻止したんだ。」
 なるほど、とカードも笑みを浮かべる。
「今年はそういう運命だってさ。エディン、お前、覚悟を決めて旅に出たんじゃないのか?」
「おじさんに殴られる覚悟はしてなかったんだよぉ…。」
 拗ねるような口ぶりがまるで子供だ。ドラゴンよりもそのゲンコツの方が余程怖いらしい。くすくすとフェリエとマルタも笑い出してしまった。

 笑い事じゃないよと弱々しく返すエディンを、ただ一人、キャムだけは心配そうにのぞき込んでいる。
「エ、エディン、殴られるときは…私も一緒だから…。だから、一緒に謝ろ?」
 両手にグッと力を入れて、キャムは頑張ろう、と励ました。
「わかってくれるのはキャムだけだ!ありがとうな!キャム!」
 エディンは感動しきりだった。




3.昔話
 ザイールの故郷、セレネアを発とうと宿での準備を終えて皆が集まったところで、フェリエはどこか遠慮がちに「あの…。」とザイールに話しかけた。
「わたくし、どうしても納得のいかないことがあるのです。」
 話しかけられた本人は何のことだかわからず、訝しげに見返すだけだ。構わずフェリエは続けた。
「あの女性のことです。…何故、助けて差し上げなかったのですか?…あなたには、出来たはずです。」
 ソニアというあの女性が娼婦だったことは想像がついた。そして、二人が互いに相手を大事に思っていることも。
 娼婦宿には買い上げの制度がある。何らかの、おそらくは経済的理由で娼婦の仕事をしている女性たちを、救済する制度だ。借金を肩代わりし、店に手切れ金を払えばその女性は自由になれる。
 勿論それには多額の現金が必要なのだが、ザイールにはそれを払うだけのお金があったはずだとフェリエは思ったのだった。
「この街に来てから、いろんな方があなたに言ってらしたでしょう?」
『あの時みたいにまた盛大に奢ってくれよ。』そんなことを言う人物が、一人や二人ではなかったのだ。それは知人に何回か食事をご馳走する、という程度のものではなかったのが分かるほど。この街でザイールを知らない人間はいないのではないかというくらい、彼はたくさんの人から声を掛けられていた。その内容がほぼすべて、金銭の援助に関する礼だとわかる言葉だった。
 チッと舌打ちして、ザイールは不機嫌に返す。
「お前にゃ関係のない話だ。行くぞ。」
「納得がいきません!…大切な方なのでしょう?どうして…。」
 想い人がつらい仕事を強いられているのを彼が見過ごしてきたという事実を、フェリエはどうしても納得できずにいた。人それぞれ事情がある、ということは頭ではわかる。でも何度考えても、その事情を予想することができない。ザイールの人となりはある程度理解しているつもりだが、彼女の不幸を顧みなかったという一点だけで、その理解を覆してしまいそうなのだ。
 気にしないつもりでいたが、どうしても引っかかってしまう。この不信を抱えたまま、戦いに出ることを良しと出来なかったのである。
 はあ、とザイールは大きく溜め息を吐いた。
「仕方ねえだろうが…一筋縄じゃいかねえ女だったんだからよ。話は終わりだ。」
 フェリエは彼の言ったことが分からず、歩き出した背中に訊き返した。
「それはどういう…。」
「フラれたって言ってんだよ。行くぞ。」
 一瞬の後、追って声を掛ける。
「そんな!そんなはずは!だってあの方…。」
「フェリエ、それ以上は立ち入るべきではないよ。」
 まだ問い詰めそうなフェリエを、カードが止めに入った。
 カードの制止で追いすがるのをやめたものの、まだ納得は行かない。
「だって、あの方、ザイールさんの贈り物をたくさん身に着けていたじゃないですか。そんなはずは…。」
 古いものは擦り切れそうなほどだった。それほどまで想っている相手を拒絶することがあるのだろうか。
 フェリエの納得がいかない風を見て、エディンも少々気になってしまった。
「みんなゆっくり来いよ。門の外で待ってる。」
 そう言いおいてエディンはザイールを追った。



 カシカシと頭を掻く後ろ姿に声を掛けると、ザイールは面倒臭そうな目を向けた。
「のんびりもしてられないんだろうが。」
「まあ、すぐ来るよ。それより、さっきのことだけどさ…。」
「人のことを興味本位で探るんじゃねえよ。」
 不機嫌にそう返して、ザイールはスタスタと門の外に向けて歩いていく。
 それを追いかけてエディンは話しかけた。
「まあ、ね。こういうの、野次馬根性って言うんだろうけどさ、やっぱ気になったことってスッキリさせたいじゃん。フェリエも言ってたんだけど、あの女の人、なんで断ったのかなってさ。仲良さそうに見えたのに。」
 はあ、と溜め息を吐いて、ザイールは岩場に腰かけた。
「つまんねえ昔話だ。」
「いいぜ、つまんなくても。」
 エディンのあいの手に「こいつ。」と苦笑する。
「俺も若かったからな、そりゃ昔は買い上げが一番の方法だって思ってたさ。」
 だから必死で金を貯めた、とザイールは続けた。

 買い上げには当然たくさんの金が要る。特に彼女は一番人気の娼婦だったため、店に払う手切れ金も並ではなかった。
「食う物もろくに食わずに、危ない仕事も一人でこなして…5年掛かった。…やっと貯まった時はもう居ても立っても居られなくて駆けてったさ。」
 そう言って自嘲の笑みを浮かべる。
「ゼッテー喜んでくれると思ってたのに、俺の前に来るなりあの人は…。」
 彼女は、つかつかと歩み寄るなりザイールに平手打ちを食らわせた。
「『女を金で自分のものにしようなんて最低の男だ』ってよ。」
 買い上げにはルールがあり、必ずその娼婦の意思確認がされる。意にそぐわぬ買い上げで本人の自由を奪わないためだ。
「…でも、ザイール、助けたかっただけだろ?弁解しなかったのか?」
「したさ、でも、聞く耳を持ってくれなかった。…結局、自分が特別だと思ったのは俺の思い上がりで、あの人にとっちゃただの客だったんだって納得するしかなかった。」
 そう言って黙ったザイールをチラッと見やり、本当にそうだろうかと考える。しかしエディンには想像もつかなかった。
 しばらく沈黙が流れた後、ザイールがフッと笑った。
「この話には続きがあってよ。笑い話だが…。」
「え?」
「使い道のなくなった金を俺は親父にくれてやった。持ってても仕方ねえと思ってよ。世話にもなってたし。そしたらよ、あのやろー、その金を一晩で使い切りやがったんだ。」

 一晩経って街に出てみたら、出会う人全員から礼を言われた。何のことかわからず一人に尋ねると、金を受け取った『親父』は昨晩仲間と豪遊した挙句、残った金をばら撒くように配ったというのだ。
「店の改装資金の足しにするだの納屋が直せるだの、皆好き勝手言いやがってよ、ったく…。500万ルーベもあったんだぞ?」
「…マジで?」
「勿論、俺は親父んとこに怒鳴り込みに行った。そしたらシレっとこう言った。『俺の手に渡った時点でアレは俺の金だ。どう使おうが俺の勝手だ。』ってよ。」
「…それはそうかもしれないけど…ちょっと酷いと思う。」
「だろ?だからよ、言っちまったんだよな。」

『ふざけるな!俺がどんな苦労をしてあの金を貯めたと思ってるんだよ!あんた知らないわけじゃねーだろ!?』

 それは当然の主張のように思える。苦労をして貯めた金をそんな風に使われたら、怒るのは当たり前じゃないだろうか。
「親父は笑ったよ。『ほら見ろ。』ってな。」
 エディンにはまるで分らなかった。どちらかと言えば『親父』さんの方が悪い気がする。しかし今のザイールはそう思ってない様子だ。
「『お前はその言葉を一生女に言わずにいられるのか?』ってよ。自分の意にそぐわないことをした女と大喧嘩になったときにも、それを言わずにいられるかってさ。それを言っちまったが最後、女は男の奴隷になるしかなくなる。そんな度量の男に、女がついてくるもんかって話だ。」
 仲良く暮らしている間は良くても、何か軋轢が生じた時、買い上げられた女性は負い目がある以上男に従うしかなくなる。一度そんな関係に陥ってしまったら、もうまともな夫婦関係には戻れないだろう。
「あの人がそんなことを考えて断ったのかは知らねえけどよ、多分、親父の言ったことは正しい。だとしたらもう、あとは金払いのいい上客になってやるぐらいしか、してやれることなんかねえだろ。」
 そうか…とエディンは小さな相槌を打った。納得がいった。
「ま、んなわけで俺はこの街じゃ有名人だ。女にフラれたうえに金を使われちまった可哀想な男ってな。いい物笑いの種さ。」
「…なんか…ごめんな、嫌な話させてさ。」
「いや?…まったく、餓鬼ってのは頭が悪くて察しが悪い。」
「だから悪かったって。」
「お前のことじゃねーよ。」
 自分のことではないと聞いて首を傾げる。今の話の流れなら当然自分に向けられた苦言だろうと思ったのに。
 誰のことか聞き返そうとしたところで、後ろから声が掛かった。
「悪い、遅くなった。」
 カードの声に振り向くと、皆旅支度を終えてやってきたところだ。
 フェリエがザイールに歩み寄って頭を下げた。
「先程は申し訳ありませんでした。立ち入ったことを言ってしまいましたわ。」
 恐らくカードが宥めてくれたのだろう。それなりに踏ん切りを付けてきたらしい。
「いや、わかりゃいいさ。」
 そう答えて歩き出したザイールを追うようにして、エディンは訊ねる。
「あ、もしかしてさっきのってフェリエのことか?」
 今度は当たっているだろうと思ったが、ザイールは呆れたような顔で振り向いた。
「ちげーよ。」
 何の話?とキャムが駆け寄る。
「ザイールがさ、餓鬼は察しが悪いって。俺のことじゃないって言うから…。」
「え?じゃあ、私?」
「もしかして、あたし?」
 キャムに続いてマルタも自分を指さした。
「お前らの話なんかしてねーよ。」
『なんか』と言われてしまって二人は膨れる。
「じゃあ、…カード?」
 残った一人の名を上げると、当の本人は困ったような笑みを浮かべた。
「え?…確かに俺もザイールからしてみたら青二才かもしれないが…。何の話をしてたんだ?」
 えっと、とエディンが返事に困っていると、ザイールが「昔話だ。」と代わりに答える。
 それを聞いてカードは納得がいったように頷いた。
「そういうことか。」
「ほら見ろ、察しがいい。」
 そう言ってザイールはカードを指さす。
「え?どういうことだよ、わかんねーよ。」
 立ち止まってしまったエディンを細目で見やって、ザイールは歩を進めた。
「やっぱお前のことだ。行くぞ。」
「え!?なんでだよ!」
 誰のことだよ、と詰め寄ってももうザイールは答える気がないようだ。
 ヒントになればとカードがザイールに声を掛けた。
「報酬貰ったらまた来るんだろう?応援しているよ。」
 ハタと歩みを止めるザイール。
「てめ…。そこまで察しがいいと嫌味だぞ。」
「アンタほどじゃないよ。今のは鎌をかけてみただけだ。」
 チッと舌打ちしてザイールは先頭を行く。二人のやり取りを見て余計に訳が分からなくなったエディンはカードにも訊ねてみるが、ごまかすような返事しか返ってこない。
 少し遅れて歩く女三人は、その意味をひそひそと話し合っていた。




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