霧の向こう



 宿に荷物を置いたところで、フェリエが「決めました。」と誰に言うでもなく呟いた。
「え?どうしたの?フェリエ。」
「わたくし、もう一度先程のお店に行ってまいりますね。欲しいものがあるのです。」
 キョトンとして訊ねたキャムにそう答えて、彼女はそそくさと出て行く。
「…いってらっしゃい。」
 いつもなら新しい街に着くと観光がてら一緒に見て回るのだが、今日はなんだか有無を言わせない雰囲気を纏っていた。キャムとマルタは顔を見合わせて首を傾げた。


 フェリエは装飾品店に入り、買おうと決めたもののところに直行すると、その商品がまだ売れていなかったことにホッとして顔をほころばせた。
 街の入口近くに位置するその店に、皆で立ち寄ったのはつい先刻のこと。装飾品はただ着飾るだけのものもあるが、使われている材料によっては魔力や精神力を補助するものもある。新しい街では一通り見て回るのが習慣だった。
 一度購入を諦めて通り過ぎたのは、彼女が今身に着けているブレスレットとの相性が悪いからだ。そのブレスレットに使われている金属は光の精霊が好むものだとされていて、主に癒しの効果があり、心を落ち着け、魔力を安定させるもの。一方、彼女が目を付けたペンダントについている石は魔力を格段に上げるもので、精神の高揚を促す効果がある。同時に身に着けているとお互いの力を打ち消し合うことになる。
 ブレスレットは母が持たせてくれたものだった。持っている期間が長ければ長いほど効果が上がる。その効力を手放し、新たな効果に自分を慣れさせるまでの時間的なリスクと得られるものの兼ね合い。それが悩む理由だった。
(買うなら今が最後のチャンスですわ。もうあまり時間がありませんもの。)
 うん、と頷いて店員を呼ぼうと顔を上げた。
(あら?)
 店員はレジのところで客の相手をしていた。その客が…。
(ザイールさん…。)
 珍しい、と感じるのはこれまで装飾品店で彼が何かを買うのを見たことがないからだ。
 彼は年季の入った革製のブレスレットを常に着けていて、それが一番合っているからと買い替える様子はなかった。店に入るのも付き合いでついてくる程度で、いつも不機嫌そうに仲間を急がせる。
 そしてその買い物の内容も意外としか言いようのない物だった。赤とオレンジの石がたくさん使われている身飾りはどう見ても女性ものだ。ここは故郷だし、誰かへのプレゼントだろうかと思いきや、店員が丁寧に包もうとしているのを制止した。
「そのままでいい。」
 そう言って、お金を払うと無造作に懐へ身飾りを仕舞い、店を出て行く。
 フェリエは急いで店員を呼び、ペンダントを買うと後を追った。



「マルタもキャムも出かけたのか。」
「噂の学者、街で聞けば見つかるかな?取り敢えず、二人で聞いて回ろう。」
 エディンとカードが宿で一息ついて、さてどうするかと腰を上げた時には皆外に出た後だった。この街に来た目的はドラゴンの情報だ。一刻を争うわけではないが、ともかく目的は果たそうと二人は街に出た。
 しかし、学者のことはさっぱり分からなかった。誰に聞いてもこの街に学者がいるなんて話は聞いたことがないと言う。
「ホントにただの噂だったのかな?」
「まあ、風の噂なんてそんなものさ。明日は住宅街の方へ行ってみよう。それで駄目でも問題はないよ。国軍だって新しい情報があれば伝えてくれる。」
 エディンは頷いて街並みに目をやった。
 闇の月ももうすぐ終わる。この街はすっかり春の装いだ。
「あの湖はあんなに凍ってたのに、ここは暖かいな。」
 不思議そうにそう言ったエディンに、カードも頷いて見せる。
「湖を越えたあと、洞窟を通ってきただろう?あの山がかなり高いから、そのせいじゃないかな。」
 カードの言った通り、街はその山によって北風から守られていた。
 山のこちら側は南風が吹き込み山肌に当たって街の上空まで暖かい空気で覆われている。反対にあの湖には北風が吹き込んで冷たい空気が停滞していた。それに加えてあのタールワームの魔力で年中氷が張っているのである。
 少し歩くと街の南側にも湖があった。水はまだ冷たいだろうが、氷の気配はまるでない。
「ボートだ。乗ってもいいのかな?」
 エディンが首を傾げたところに近くの男性が声を掛ける。
「兄さん、ボート乗りたいのかい?一時間50ルーベだよ。」
 そんな商売もあるのかと内心で感心してからカードの方を見ると、彼は「俺はいいよ。」と苦笑した。
「キャムを乗せてやったら喜ぶんじゃないか?」
「…そだな。おじさん、あとで来るよ。」
 待ってるよ、と言う声に片手を上げて返し、街並みの方を伺いながら歩き出す。
「キャム達、どこに行ったのかな。」
「住宅街の方には行ってないだろうし、この辺りを回っていれば出会うんじゃないか?」
 小さい街ではないが、連れとはぐれてしまうほど大きい街でもない。案の定、すぐに見知った姿を見つけた。
「フェリエ。用事は済んだのかい?」
 広場の端で何か困ったようにキョロキョロしている彼女に、カードが声を掛けた。
「は、はい…。」
 伏し目がちに、戸惑いを含んだ返事をかえすフェリエ。
「…?…キャムを見なかったか?どっか出かけたみたいなんだけどさ。」
 どうしたんだろうと思いながらも思い当たるものがまるでなく、エディンはそう訊ねた。すると、彼女はさらに困惑した風だ。
「どうかしたのか?」
 訝しげに訊いたカードに、フェリエが「あの…、」と何かの告白をするように口を開く。
「マルタとキャムが…あちらの通りに入って行ってしまって…。あの…、止めたんです…。でもザイールさんがあちらに行ったことをお教えしてしまったので、追いかけようって走って行ってしまわれて…。」
 彼女が指した通りを覗いたカードが納得したように「ああ、」と頷いた。
「…少し心配だね。追いかけよう。」
「そ、そうですね。すみません。わたくし、連れ戻してまいります。」
 年長者として止められなかったことに負い目を感じていたのだろう。そう言ってフェリエは小走りに行ってしまった。
「フェリエ!俺たちが行くから!」
 一瞬出遅れたカードが踏み出そうとするのを、訳が分からないエディンが呼び止める。
「何をそんなに慌ててるんだ?」
「ここは娼婦街だよ。年頃の女の子たちが歩くところじゃないだろ?」
 言って走っていくカードを、エディンも慌てて追いかけた。




「いけません、早く戻りましょう。」
「えー?どうして?」
「だって、…こんな不道徳なところは…。」
 エディンたちが追いついたとき、フェリエは二人を説得しようとしているところだった。駄々をこねる二人に困って出した言葉に、彼女は自分でハッとして口を噤む。
 近くにいた娼婦が少し笑った。
「いいさ、間違ってないよ。まあ、さっさと立ち去ることだね。」
 肩をすくめてすぐ近くの建物に入って行く彼女をフェリエは気まずそうに見やる。
 横でマルタがつまらなそうに口を尖らせた。
「ザイールの知り合いに会えるかと思ったのに…。」
 ドアが閉まりきる直前にその声が届いたらしく、娼婦が振り返る。
「アンタたち、ザイール追っかけて来たのかい?」
 キャムがパッと笑顔になった。
「うん!知ってる?」
「ソニア姉さんのところに行ってるよ。その先の長屋の二つ目の辻にある薬草畑にいる筈さ。行ってみな。」



 今さら来た道を戻るより長屋の方へ抜けた方がいいとカードが言い、好奇心も手伝って結局5人はザイールが会いに行っているというソニアと言う女性を探すことにした。
 少し歩くと薬草の畑が見えた。背の高い植物が立ち並ぶ向こう側に、見慣れた姿を窺える。
「あ、いたいた。」
 エディンが呟くと、キャムとマルタが揃って口の前に人差し指を立てた。
 そして、こそこそと薬草畑のこちら側に身を隠し、ザイールの様子を覗き見始めた。
 どうする?とカードの方を見やると、小さく肩をすくめて苦笑いをしている。仕方ないから二人の隠密行動に付き合おう、ということだと受け取って、エディンも二人に倣って身をかがめた。



「辞めて何年になるんだ?」
 ザイールの問いに、彼と同世代だと思われる儚げな女性は少し視線を上げた。
「そうだねぇ…、5年くらいかしら。」
「…そうか、そんなに来てなかったか、俺は。」
 軽く笑ったザイールに、ソニアは覗き込むように顔を近づける。
「そうだよ。待ちくたびれて辞めちゃった。」
 返事に困ったようにザイールが黙ると、彼女はアハハと声を立てて笑った。
「嘘。もう潮時だと思ってね。こんなオバチャンだもの。」
「そんなことはねぇよ。まだまだ魅力的だ。」
「おや、『まだまだ』ってことは、『いずれは』ってことだね?」
 あ、とザイールが窮する。また彼女は笑った。
「…今のは失言だ。忘れてくれ。」
「仕方ないね。アンタ昔から失言の多い男だもの。忘れてあげる。」
「面目ねえ…。詫びっちゃなんだが、これ。」
 そう言ってザイールは懐から身飾りを出した。
「あら、綺麗。」
「モンスターの巣穴で拾ったんだ。俺はいらねえからよ。」
「ふーん?…素敵な身飾り…、拾ったにしちゃあ…。」
 手渡されたものをしげしげと見つめ、彼女は嬉しそうに口元を綻ばせながら悪戯な視線をザイールに向ける。その時。
「違いますよ。」
 いつの間にか二人の近くに歩み出たフェリエがそう言った。
「おめ…なんでこんなとこに…。」
 驚いた顔を一瞬見せてから、ザイールはすぐに睨みを効かせる。慌ててマルタがフェリエの傍に駆け寄った。
「じゃーん!!あとつけて来ちゃった。びっくりした?」
 おどけてみせるマルタの後ろにはキャムも楽しげにピースをしているし、さらに後ろにエディンとカード。
「てめーら…何やってやがんだよ。…ったく。」
 呆れたように肩を落としたザイールを無視して、フェリエはソニアに向けて言った。
「その身飾りは街の入口のところにある装飾品店で買ったものです。拾ったものではありませんわ?」
「あら、そうなの?」
「はい。…プレゼントになさるなら、きちんと包んでもらえばよろしかったのに。」
 視線を向けられたザイールはケッと喉を鳴らす。
「てめーにゃ関係ねーだろうが。」
 ソニアは口元を隠して楽しげに笑った。
「お嬢さん、面白い話を聞かせてあげましょうか。」
「面白い話?」
「ええ。この人が私に初めてくれたプレゼント、赤い石のピアスだったのよ。今とおんなじ風に、モンスターの巣穴で拾っただかお腹から出てきただか言ってね。」
 ザイールは嫌そうな顔を見せはしたものの、彼女に頭が上がらない風で何も言わずに明後日の方向を向いた。マルタもキャムも興味津々で彼女を見やる。
「でもね、そのピアス、街の職人の新作だったの。私前の日に店に見に行ったからよく覚えてたのよ。それを拾った、だなんてね。面白いでしょ?」
 なぜそんな嘘を吐くのかが分からず、フェリエはキョトンとした表情でザイールの方を向いた。マルタもキャムも同じ様子だ。
「ね?これもこれも、それからこれも、拾ったんだったわよね?」
 彼女は、自分が身に着けている装飾品をあれこれ指さしてそう言った。
 ザイールはカシカシと頭を掻く。
「うるせーな。どうせバレバレなんだから何言ったって同じだろうが。」
 ますます分からないという風にフェリエたちは顔を見合わせ、男性なら分かるだろうかと意見を伺うように後ろにいるエディンとカードを見た。
 しかしエディンにもそんな嘘を吐く理由など想像もつかない。カードも考えあぐねて肩をすくめた。
「それで、この子たちどなたなの?」
 ソニアに訊かれて、ザイールが仕事仲間だと答えると彼女は驚いてみせた。
「…私てっきり…。」
「てっきり?」
「アンタがどこかの女に産ませた子供たちかと思ったわ?」



 きゃっきゃと笑いながら、キャムとマルタが先頭を行く。
「ザイールがお父さんだなんてヤだよねぇ?」
「ホントホント。」
「こっちだって願い下げだってんだ。」
 そう言い返すザイールを後ろで、エディンは「綺麗な人だったよな。」と誰に言うでもなく来た道を振り返った。
 それにつられてフェリエも後ろに視線をやりながら、「ええ。」と静かに返す。おそらく彼女は以前娼婦宿で働いていたのだろうと少し悲しげな思いを乗せつつ。
 足を止めてしまった二人の様子に肩を竦め、ザイールは前を向いたまま言った。
「シリウスの蝶。」
「え?」
「そう呼ばれてたよ、その昔。」
 それは高山に住む幻の蝶。実在しないというのが学者の間での常識となっているが、見たという者が稀にいる。儚く美しい姿をしているという話だ。
「幼馴染みなのか?」
 カードの問いに短く否定の言葉を返す。
「俺はただの客だ。」
「邪魔して悪かったな。」
「いや?用は済んだ。また次の機会に来るさ。」
 故郷に立ち寄る度、彼女のところを訪れているのだろう。それにあの装飾品。彼女はザイールにもらったものをいくつも身に着けていた。つまりただの客ではないのだなとエディンは笑みを漏らした。




 朝からにがり顔のザイールにエディンは何度目か、「どうする?」と尋ねた。
 昨日一つの情報も得られなかったことを話すと、ザイールも同じだったようで「無駄足だったか。」と心底面倒臭そうな表情を見せ、腕組みをしている。住宅街の方へ行こうかと提案はしてみたが、一軒一軒聞いて回るのは面倒な上に訝しがられるだろうと却下された。
「娼婦ってのは結構情報通なんだが…あいつらが知らないってことはマジでただの噂って線が濃い。…ギルドは?行ったか?」
 エディンは首を横に振る。仕事を受ける気はなかったから、後回しにしていたのだ。
「んじゃ、ギルドだな。そんで分からなかったらやめだ。学者探しに何日もかけられねえだろう。」
「そしたらザイールの知り合いに挨拶回りしようよ。」
 おどけて言ったマルタに、ザイールは顔を顰めて見せた。
「しねえよ!」



 ギルドに入るなり、ザイールは店主に向けて気安く声を掛ける。店主は少し驚きはしたがすぐに笑みを見せた。
「珍しいじゃないか。ここで仕事していくのかい?」
「いや、ちょっと聞きたいことがあってよ。学者を探してるんだが、知らねえか?」
 ドラゴンに詳しい学者がいると聞いたことを話したが、店主はやはり首を傾げた。
「そんなのがいたら、情報屋が知らねえわけねえんだが…。街の奴らもそんな噂を聞いたって?」
「それがこの街じゃさっぱりだ。よその街で聞いただけでよ。」
「…いねえと思うがね。なんでそんな噂が出たんだか。」
「やっぱデマか…。まあ、いねえことが分かればそれはそれでいいんだ。悪かったな。」
 モンスター退治を生業にするギルドにも学者の話が伝わっていないということは存在しないと結論づけていいだろう。安全に仕事をするには詳しい情報が必要だ。だからギルドは情報屋との繋がりが深い。仕入れる情報の信憑性にも関わる以上、その情報源についてもよく知っている。
 詫びを最後に立ち去ろうとザイールが振り返った丁度その時、店に入って来た男が低く驚いたような声を出した。
「…なんだ、ザイールじゃねえか。お前、ここでは仕事しないんじゃなかったっけか?」
 微かにむっとして、ザイールは「野暮用でな。」と応える。
「そうかい。んじゃま、俺たちの邪魔はすんなよ?」
 ふん、と返事ともつかない声を返し、脇をすり抜けようとすると後から来た男の仲間たちの一人に肩を掴まれた。
「なあ、昔みたいにまた豪勢に奢ってくれよ。金はたんまりあるんだろ?」
 ニヤニヤと笑う相手に、ザイールはイラついた声で返す。
「奢ったのは親父だ。俺には関係ねえ。」
 掴まれた腕を払いのける。さっさと出ようと一歩踏み出すと横からフェリエが声を掛けた。
「お知り合いの方ですか?初めまして…。」
 深々とお辞儀をするフェリエに、「挨拶なんかしてんじゃねー、行くぞ。」と促すが、興味津々で寄ってきたキャムとマルタを見た男たちが笑い声を上げた。
「なんだお前、託児所でも始めたのか?それとも、かみさんに逃げられたか?」
「うるせーな。チームだ。てめーらには関係ねえだろうが。」
「チーム?はっはあ!チームだってよ。」
「親父の真似か?あの人は面倒見がいいからなあ。餓鬼だろうが半端もんだろうがうまくやってたが、お前に務まると思えねえな。」
「大体、おんな子供つれて狩りなんて足手まといだろ?お前そういうの一番嫌ってたじゃねえか。役立たずに金は分けたくねえって。」
 長身のザイールが同等かそれ以上のガタイの男たちに囲まれているのを、エディンも仲間もハラハラと見ていた。男たちの言いようには腹が立つが、喧嘩になってはまたザイールの立場にも関わるかもしれないと思うと口出しをするのも躊躇われる。どうするのだろうと窺っているとザイールは踵を返した。
「店主。この仕事、引き受ける。前金をくれ。」
 無造作に取った依頼書を見て、店主は困惑顔だ。
「…何人でやる気だい?ちゃんと読んだか?」
「この6人だ。さっき読んだ。問題ねえ。」
 店主から依頼書を奪うようにとって、ザイールはエディンとカードにそれを見せる。
「行けるな?」
「…ああ、このくらいなら…。やるのか?」
 依頼書を見る二人の後ろから男たちが覗き込んで、また揶揄を飛ばす。無理だと笑ったり馬鹿にしたりする言葉を全て無視して、ザイールはもう一度店主に向き直った。
「店主、前金。」
 ぶっきらぼうに手を出すザイールに、店主は溜め息を漏らす。
「お前さんのことは信用してるけどな、そのメンバーじゃ…。」
「なら前金はいい。仕事が終わったら成功報酬と一緒にくれ。」
 そう言いおいて、仲間を促して外へ出た。




「ねえ、あのおじさんたちついてくるよ?」
 キャムが後ろを振り返りながらザイールを追った。
「ああ、そりゃ今日一番の稼ぎをもってかれるとなっちゃあ、黙っちゃいねーだろうな。」
「もめたら不味くないか?」
 後のことを心配するカードの言葉にエディンが「そうだよな。」と返すが、ザイールは問題ないと言う。
「店主が心配してあいつらに来させたんだろう。あいつらはあいつらで見物がてら俺たちがしくじった後始末をするつもりだ。俺たちが降参するまでは手出ししてこねえだろうが、いいか、ぜってー速攻で仕留めるぞ。」
 そうすれば稼ぎの横取りだのなんだのと文句は言ってこないと断言した。
「わたくしたち、宿で待っていた方がよかったかもしれませんね。」
 溜め息交じりにフェリエが言った。
「面倒、ですわ。」
 マルタが笑った。「面倒」なんて言葉はザイールの常套句なのに、それをフェリエが言ったのが可笑しかったらしい。


 いつもは力を温存しろと煩いザイールが、この日の戦闘は初っ端から派手な大技を使い、しかもあっさり仕留められるところを手を抜いて、広範囲に及ぶモンスターの攻撃を待って後ろで見物している男たちを牽制した。
「オジサンたち退いててよね。」
 見物人のガードに入ったキャムがそう言って戦闘に戻ったあと、マルタが申し訳程度のヒールを掛けただけで、彼らを黙らせるには十分だった。足手まといになる筈の子供に自分たちが守られ、力のなさそうな娘は光の精霊を連れている。仕事に失敗したザイールを笑ってやろうと思っていた彼らは、考えを改める他なかった。
 モンスターを仕留めた後、パチパチパチ、と最初に出会った男、彼らのリーダーが手を叩いて近づいてきた。
 振り返ると、降参したというふうな面持ちだ。
「いや、すげえな。」
 まあな、とザイールは返した。そして小声で言う。
「よう、エディン、この稼ぎ、悪いが俺に預けてくれねえか。あとで埋め合わせはする。」
「…別に旅費には困ってないし、うん、いいけど?」
 そう返事をすると、ザイールはエディンの肩をポンポンと叩いてリーダーの方に近づいていった。
「こっちこそ悪かった。今日の稼ぎを横取りしちまったな。詫びに奢るぜ、全員。この成功報酬でそれなりに飲み食い出来るだろ。」
 マジかよ、と歓喜の声を上げたのは、ギルドでニヤニヤ顔を近づけてきた男だ。
「なんだよ、なんかワリぃな。別に俺ぁ、お前のこと嫌ってるわけじゃないんだぜ?」
 取り繕うような言葉にもザイールは苦笑を返すだけで文句を言う様子はない。
 案外、仲は悪くないのかとエディンたちはおとなしく後に続いた。


 酒を飲みながら学者の話を出したが、やはり皆知らないようだった。
「学者かぁ…。学者は知らねえけどよ、ドラゴンのこと調べてたやつなら一人いるな。」
 中の一人がそう言った。
「調べてた?」
「あ、いや、調べてたってのもちょっと違うか。無類の本好きでさ、一時期ドラゴンに関する本ばっか買い漁ってたことがあってよ。あのドラゴンの被害が出てからだったかなぁ…。だから商人が勘違いしたんじゃないか?」
 本を読むだけでは飽き足らず、実際にあの村にも足を運んだらしい。
「情報ったって、国軍以上のことを知ってるとは思えねえけどな?」
「それより、お前ホントに討伐に行くのかよ。」
「生贄だって話、アレ嘘か?」
 やいのやいのと騒ぎ立てる面々を適当に相手して、ザイールはその本好きな人物のことを聞き出した。
 闇の月の最後の日ということもあり、そのまま夜が更けるまで宴会のような騒ぎは続く様相だ。エディンたちはザイールを残して、一足先に宿に戻った。




 次の日、例の人物のところに行ってみると、その家は少し覗いただけで本に埋め尽くされているのが分かった。
「ケーテさん?いらっしゃいますか?」
 ケーテという男は、呼び声にのんびりとした返事をして玄関先まで出てきた。
「少しお話を伺いたいのですが…。」
 概要を離すフェリエに彼はニコニコとした顔を向けた。彼の言葉も話す内容も、学者っぽさはなく、本当にただ本が好きなだけなのだということが伝わってくる。ドラゴンに関してもそうなのだろうと思っていると、そこは表情を変えた。
「はじめはドラゴンが出てくる物語を読んでいたんです。そしたら村が襲われたという話があったでしょう?本当にドラゴンがそんなことをするのか疑問に思って。だって物語のドラゴンは強くて優しいんですよ。人間を襲うなんて、特別なことが起こった時だけです。例えば、人間が悪さをしたとか…。」
 最初こそ架空の話ばかりだったが、学者が書いたという専門書を引っ張り出してくると内容は現実的なものになった。
「まだ詳しいことは分かってない、というのが実状です。でもあれこれ読んで僕なりに思っていることはあります。」
 確証もないし根拠も自論だ、と言いおいて彼が言うには。

 ドラゴンが縄張りに張る結界が事の原因ではないだろうか。
 ドラゴンは群れの長が縄張りに結界を張る(らしい)。何らかの原因で長が住処を移したが、その縄張りにあの村の一部が入っているのではないか。
 縄張りの外では人間を襲わない。でもあの村は襲われた。なら、人間が結界に入ったと見るのが自然だ。そして人を襲ってから数週間の間が空くこと。あれは見せしめなのではないか。縄張りに入った人間を殺し、警告する。しかし人間は相変わらず縄張りを侵す。だからまた警告のために殺す。

「一番平和的なのは、群れの長に住処を変えてもらうことでしょうね。でも多分、それは無理だと思います。」
「会話が出来なきゃな。」
「その問題もありますが、賢いドラゴンがわざわざ人間の近くに住処を作るでしょうか。僕は長が年老いたか怪我をしたかでもうあの山を出られないのではないかと思っています。」
「…じゃあ、どうすれば?」
「討伐するしかないでしょうね。そうすれば結界が消え、他のドラゴンは山を去るでしょう。」




 結局討伐に役立つ情報はなかったな、と宿に向けて歩きながらエディンが言った。
「まあ、結界を消せば他のドラゴンが襲ってこなくなるってのは助かる情報じゃねーの?」
 つまり、他のドラゴンは相手にせず、まっすぐに巣穴に向かってターゲットだけを討伐する。その作戦でいいんだとザイールが言った。
「やはり、国軍の助けは必要だな。」
 女王からの命令書をありがたく思い、カードは胸に手を当てた。
 目的の村、ウーフまでもう寄り道はせず直接向かう予定だ。エディンは遠い故郷のある南の方角に顔を向け、固く口を結ぶ。
 誓いを新たに、まだ見えない北の山に向き直った。


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