霧の向こう

12.望郷


「前から気になってたんだけどさ…。」
 皆で連れだってギルドの仕事に出たその道中で、エディンは少し後ろを振り返って言った。
「店出たとこから、誰かにつけられてないか?」
 今日に限ったことではなく、時々後をついて来る人影に気付いていた。気にはなっていたが、実害はないし、兵士であるカードが気付いていないわけはないだろうに何も言わないから、放っておいてもいいのだろうと気にしないようにしていたのだ。
「ああ、ありゃあフィルキャットだ。」
 ザイールの返事にエディンは首を傾げる。
 フィルキャットというのはモンスターの名前だ。モンスターとはいっても殆ど人間には害を及ぼさない。モンスターの食物連鎖の中にいる一種である。
 確か他のモンスターが捕った獲物の残骸を食べたり、時には捕ったモンスターが食べ始める前に横取りしたり、とにかく小狡く生きているモンスターのはずだ、とエディンは思い出す。
「…フィルキャット?」
「解体屋だ。狩人と違って自分ではあまり狩りをしない。」
 カードが微かに眉を顰めて言い換えた。狩人の仕事の、解体の部分だけを専門的にやっている職業である。その仕事柄、戦士の後をついて行った方が効率がいいのは何となくわかった。
「モンスターから何か取るのか。…やり方教えてもらおうかな。」
 何気なく呟いた言葉に、ザイールとカードの二人が揃って止めておけと返す。
「彼らの領域に踏み込むべきではないよ。失礼だ。」とはカードの言。モンスターから価値のあるものが取れるのを教えてくれたのはカードだが、あの時は彼らの姿がなかったからということなのだろう。
「俺たちが根こそぎ持ってっちゃあ、フィルキャットの取り分がなくなるだろうが。」
 ザイールがそう付け足すと、カードはさっきよりもはっきりと眉を顰めた。
「ザイール、『解体屋』だ。」
 その言葉に、今度はザイールが顔を顰める。
「いいだろうが、呼び方なんざ。」
「良くない。それは差別用語だ。きちんと『解体屋』と呼ぶべきだろ。」
 カードは毅然としてそういったが、ザイールは呆れたように肩をすぼめた。
「何十年前の話だよ。国軍じゃまだそんなこと言ってんのか。」
 その呼び名が差別だと騒がれたのは30年も前の話だ。まだ、彼らの仕事が卑しいものだとされていた頃のこと。
 戦士の後をつけ、モンスターの死骸に群がる彼らの姿は、傍目に見れば確かに卑しいものに見える。大抵は戦う力がない者が仕方なく解体で生計を立てていることもあり、戦士からは弱者扱いをされ、それ以外の庶民からも死骸を扱っていることで気味悪がられていた。最底辺の職業だと認識されていたのである。
 しかし、時代は移り、その認識は変わってきている。
 彼らフィルキャットの果たす社会的役割の重要性が、今では常識として広まっている。街道がモンスターの死骸だらけにならないのは彼らのおかげだ。そして道具や防具、薬などの原料を安価で店に卸してくれている彼らがいなければ、安全な暮らしを手に入れるのにもっと労力やお金が掛かっているはずである。時折薬の原料の調達がギルドに依頼されることもあるが、それは対象のモンスターが大型だったり特に急ぎの依頼だったりした場合だ。そうなると薬の単価はグンと跳ね上がる。安定した価格で庶民の手元に必要なものが渡るのは、彼らの存在に依るものだ。
 それに彼ら独自の技術の引き継ぎというものもある。
 質のいいものを良い状態のままで店に卸す、その方法は素人には分からない。戦士が仕事のついでに取った素材は傷があったり変質していたりと価値が損なわれていることが多いが、彼らフィルキャットの扱う品は上質なものばかりだ。その技術を持っている彼らを蔑むことは、己が世間知らずだと吹聴しているに等しい。
 だからかなり前から彼らは自らフィルキャットと名乗り、それを卑下することはなくなっていた。
「お前は知らねえだろうが…。」
 ザイールはそこで言葉を止めてガシガシ頭を掻くと、まあいいかと呟いて後ろを振り返った。
「よお、あんたらどんなモンスターが入用だ?」
 すぐ近くにいる仲間に話すより通る声で出されたその言葉に、人目をはばかりながらついてきていたフィルキャット数人が顔を出す。居心地が悪そうにしているのは、声を掛けられることなど稀だからだ。隠れるようにして後を付けてくるのはそれが礼儀だとされているからに過ぎず、昔のような戦士に対しての気後れではない。
 リーダー格だとみられる中年の男は近づいてザイールの顔をみると眉を顰めた。
「…ンだよ、お前か。」
「…チッ…それはこっちのセリフだっての。」
 久しぶりだなと互いに言って、二人は歩き始めた。他の面々もそれに倣う。
「今日は別に目当てのモンスターはねぇよ。なんだっていい。…そうだな。フラワーフロッグの肝がありゃあありがてえが。」
「運がよけりゃ取れるな。目的地は川べりだ。」
 仕事内容について少し話すと、男はフフッと笑った。
 ザイールは予想がついたようでしかめっ面を見せる。
「お前がこんな若い連中とつるむなんてな。意外過ぎて笑えるぜ。」
 うるせえ、と一言。
「てか、もうチームは組まねえのかと思ってたのにな。」
「でかい仕事控えてんだよ。」
 面倒臭そうにそれだけ言うと、請け負った仕事の目的地に着いたことを視線で仲間に伝え、ザイールはフィルキャットたちに下がっているよう指示を出した。



 フィルキャットのリーダーに許しをもらってエディンたちはその仕事を眺めた。
 手際の良いリーダーとは違い、まだ子供である他のメンバーは慣れない手付きだった。さっき言っていたフラワーフロッグを前に、一人の子供がリーダーを呼ぶ。
「ああ、無暗に裂くなよ?」
 男は分厚い麻袋を子供に持たせると、解体の仕方を説明しながらモンスターの体を切り開いて、内臓を一つ取り出した。そしてそれを麻袋の中に慎重に入れる。
「よし、大体取ったな?あとは俺がやっとく。お前ら街まで走れ。」
「うん、わかった!行くぞ!」
「あんま揺らすなよ!ぜってー地面に置くなよ!?」
「わかってるって!」
 走り出した子供たちを追うように注意をすると、ほうっと息を吐いた。
「子供たちだけで大丈夫か?」
 エディンが心配そうに言うと、リーダーは笑って言う。
「この辺の街道は危険が少ない。問題ねえよ。それより急がねーとあれが駄目になっちまうからな。」
「そんなに傷みやすいのか?」
「ああ、知らねえ奴が扱った日にゃ使いもんにならなくなる。」

 解体をしてるとそれを倒した戦士の癖や性格も想像がつく、と彼は残りの死骸を処理しながら言った。
「こいつはザイールが仕留めたろ?」
 先程のフラワーフロッグを指して視線をザイールに向ける。ザイールは肩をすぼめた。
「急所以外に傷が殆どない。こういう仕留め方してくれるとこっちはありがたい。」
 他のモンスターも一所に集め、売れるものを取りつくして彼が立ち上がる。
 何やら呪文を唱え始めたのをザイールが制した。
「マルタ、サーキュレーション。」
 傍観していたマルタを振り返ってそう声を掛ける。
 マルタは油断していたのか、慌てた風に自分を指さした。
「え?え?」
「マルタさん、循環の祈りです。生き物の体や魂が、この世界で正しく循環するよう願う光の魔法です。」
 横からフェリエが説明を入れる。
「…循環を祈ればいいの?」
「はい、モンスターの死骸が土に帰って次の命を育むことを思い描いて祈りをささげてください。」
 マルタはこくりと頷いて死骸の傍に歩み寄った。
 サーキュレーションという指示呪文とともに光が死骸に降りかかると、それはゆっくりと地面に溶け込んでいく。
「詠唱なしで………光の精霊かよ。…ヒーラーとは別に光の精霊連れてるたぁ…守りは最強じゃねえか。…あの噂…マジか?」
「噂?」
 男の呟きにザイールが引っかかって聞き返すと、彼は答えた。
「お前があのドラゴン討伐隊に加わったって話だ。みんな信じてなかったが…そうなのか?」
「ああ、まあな。」
「こいつは驚きだな。国に尻尾を振るようになったか。」
「金がいいんでね。一人一千万ルーベだ。主義を曲げてもいい額だろ?」
「国軍から声がかかった時にゃ雲隠れしたくせに。」
 ザイールはまた肩をすくめて歩き出した。
「あん時ゃ報酬がもっと安かったんだよ。」
 それにしたって、と男はザイールに付いていく。その後を追うメンバーに目をやって彼は足を止めた。
「その嬢ちゃんは誰かの連れかい?」
 それは戦力外だと見越しての質問だと分かって、キャムはムッとする。
 何と言い返そうかと思っていると、一足先にザイールが答えた。
「そいつも戦力だ。」
「はあ!?マジかよ!!あのドラゴンをやるんだろうが!わかってんのか?身の丈30mもあるって話だぞ!?」
「役に立つ奴だから組んでる。お前が気にすることじゃねえだろうが。」
「マジか…マジ…だよな。………お前のことだ、勝算がなきゃそんな依頼受けねえだろ?」
「まあな。」
 男が腕組をして考え込んでいるのを横目で見やり、ザイールは彼を殴るそぶりを見せた。
「人を賭けにしてんじゃねぇよ。」
「あ、バレたか?」
 あはは、と笑って男は楽しげに話す。
「これまではお前が討伐に行くって信じてないやつが多かったから賭けになんなかったんだが、確定した以上みんな乗り気になるぜ?そうだな…お前が生きて帰ってくるってのは当然だから、いくつかパターン分けして賭けさせるか。」
「だから人を賭けに使うなっての。」
「いいじゃねえか。」



 なんだかんだと言い合っている間に街に到着した。が、門をくぐったところで一行は足を止めることになる。ザイールは低い声で男を呼んだ。
「あの餓鬼、さっきのだろ?」
 一足先に素材屋に向かった筈の子供たちが、門番に足止めを食らっていた。荷物を検められているらしく、道具も素材も足元に広がっている。ただ一つ、あのフラワーフロッグの肝が入った麻袋だけは、必死で渡すまいと抗議しているところだった。
 男はハッとして唇を引き締めた。
「お前ら、関わるなよ。ギルドに向かうんだろ。早く行け。」
 そう言って足早に離れていく。

 行くぞ、と促したザイールに従ってついて行く一行の背中に、門番とフィルキャットのやり取りが聞こえてきた。
「怪しいって言ってんだろ。さっさとそれを渡せ!!」
「今仕事から帰ってきたんだ。中身は素材に決まってるでしょうが。」
「わかるものか。お前らみたいなゴミはいつどこで悪事を企んでるか。」
「急ぎなんだ。この麻袋だけでも先に店に届けさせてもらえませんか。」
「ますます怪しいな。おい、渡せと言ってるだろうが!」
 気になって振り向いたエディンたちの目に、門番が子供の手から麻袋を奪ったところが映った。慌ててリーダーが手を伸ばしている。
「待ってくれ!開けたら台無しになっちまう!」
「やっぱり盗んだものでも入れてるんだろう。これだから解体屋は。」
 門番の手首に触れるが早いか、即座にもう一人の門番に捉えられてしまった。
「国軍に刃向うつもりか?解体屋の分際で!!」
 捉えた方の門番が、男を乱暴に突き飛ばす。ドサッと音を立て、倒れこむと同時に身に着けていた荷物が道に転がった。
「最近の盗みはお前らだろ。世間を騒がせやがって。」
「盗みなんてしてない!袋の中身だってモンスターの肝だ!」
「口答えする権利があると思うなよ!?」
 転んだすぐそばに剣を突き立てられ、男は起き上がることもできない。ふん、と門番が笑って麻袋の口を縛っている紐を解き始める。
 見かねたエディンとカードが踵を返し、駆け寄ろうとしたところをザイールは制した。
「やめとけ。口出ししたって無駄だ。」
「でも!」
 ポンポン、となだめるように肩を叩いて自分は門番に歩み寄る。
「ちょっと待った。」
 厳重に縛ってある麻袋はまだ開けられていない。門番の手を制するように指をさした。
「なんだお前。こいつらの仲間か?」
「いや?…ただ、俺はそいつらがモンスターを解体してるのを見てたからな、中身が肝だってことを知っている。それが駄目になる前に買い取りたいんだが。」
 なんだと?と睨みつける門番に、ザイールは腰につけたギルドの認証タグを見せる。と、門番の二人は顔を見合わせてから咳払いをしてみせた。
「Sクラスの戦士が言うことなら確かだろう。わかった。これは不問にする。」
「ありがとよ。」
 ザイールは麻袋を受け取ると、倒れている男に手を差し伸べる。男は剣に気を付けながら身を起こし、ザイールに礼を言った。
「で、これ、いくらで売る予定だったんだ?」
「安くても300ルーベにはなる筈だが…。」
「了解。300だな。」
 そう言ってお金を出す。男は慌てて首を横に振った。
「それじゃアンタの儲けがないだろう?」
「ご心配なく。350で売ってやるさ。」
「…いいのか?…ありがてえ…、恩に着るぜ。」
 行くぞ、と仲間に声を掛け、ザイールはその場を離れた。
 その後ろで、フィルキャットたちに向けられる疑いがまだ晴れていないことが分かるやり取りがなされている。カードがまた後ろ髪を引かれるように足を止めた。
「やめとけ。俺たちはたかが旅人だ。お前が国軍兵士だろうと、あいつらに何か命令が出来る立場ってわけじゃない。」
 キリッと奥歯を噛みしめたカードは、門番たちが口にしていた『解体屋』という呼び名が蔑みの言葉に聞こえたことを思い出していた。

 肝の状態は良かったらしく、ザイールは儲けが出たと機嫌よく宿に戻ってきた。
「大丈夫かな、あの人…。」
 エディンは先程のことが気になって、ザイールが部屋に入って行く手前で呼び止めた。
「…まあ、大丈夫だろう。あいつは盗みなんてやるやつじゃないし、証拠もなく裁くほど国軍は横暴じゃねえ。ありゃ単なる鬱憤晴らしだ。」
 そのやり取りの傍でカードは視線を落とす。それをまたザイールは見逃さなかった。
「俺たちが…いや、お前が気にすることじゃねえ。アレはここの部隊を取り仕切ってるやつの怠慢だ。もっと言えば、ここいらを治めている筈の領主の怠慢だろ。お前はその領主に責任を持たなきゃいけない立場じゃねえ。」
「それは…そうなんだが…。」
 下流貴族であるカードは他の貴族に意見出来るわけもなく、ゆえにこの地で起こっていることに責任も発生しない。しかし、だからといって無視してしまえるほど彼は冷たい人間ではない。あんな風に何のいわれもなく疑われたり虐げられたりするのを見過ごしていいものか、なんとかできないものか、そんなことを考えあぐねていた。
 その様子を見かねたのか、ザイールは呆れたように息を吐き、口角を上げて見せる。
「やりようがないわけじゃねぇけどな。」
「え?」
 笑って目を伏せ、肩をすくめる。
「ここに駐留してる国軍の、いちばん偉い奴に掛け合うんだ、お前が。貴族の名を持ってな。」
 お前の部下がとんでもないことをしている、領主にバレでもしたら大ごとだ、お前の首もどうなるか分かったものじゃない、と吹き込めとザイールは言った。解体屋を差別するような兵士がいることがもし女王の耳にでも入れば領主の立場にも関わる。事実を知った領主は即刻処分にかかるだろう。今なら自分の胸に収めてやるから、早々に対処せよ、と脅しを掛けろと言うのだ。
「…ハッタリをかませってことか…。」
「そういうこった。ここの領主にゃ顔は効かねえんだろ?」
 確かにそうだとカードは頷く。しかし…。それをやるには度胸も必要だがそれ以上に覚悟もいる。
 力なく苦笑いを見せるカードの背中をまた宥めるように叩いた。
「本気にすんなよ?そんなことが貴族の耳に入ったら今度はお前んちが困るだろうが。」
「…情けなくて嫌になるよ。」
「気にすんな。もっと確実なのは、ドラゴン討伐を終えてから女王に直接上申することだ。そうすりゃ誰も困らねえ。」
 そうだな、とカードは納得して目を伏せた。


 次の日、街を発つ前に下町の路地裏を訪れると、フィルキャットのリーダーが仕事に出るところだった。
「よう、大丈夫か?」
 門番から暴力を受けた痕が見受けられる。顔を腫らした彼にザイールが声を掛け、昨日の麻袋を差し出した。上質な麻袋は入手が難しい。駄目にしてしまってはいけないと素材屋が手入れをして返してくれたものだ。その手入れの仕方はザイールも知らなかった。
「ああ、昨日はありがとよ。儲けが出ねえと俺たちもやってけないからよ。」
 男は麻袋の内側を確認して懐にしまう。
「捕まっちまったかと思ったぜ。」
「んあ?…まあ、実は朝までな。今朝方、犯人が捕まったとかで釈放されたよ。」
「災難だったな。」
「ま、慣れてるよ。町のモンは俺たちのことを分かってくれてるしな。」
 フィルキャットが不当に扱われていると、時には味方になってくれる者たちもいる。しかし助けに入ってくれた人物まで捕まってしまうこともあり、その場では関わらないのがセオリーだ。
「もう発つのか?」
 旅立ちの準備が整っているのを見て彼はそう訊いた。
「ああ。力付けるには実践が一番だからな。道々、手ごろなモンスター見つけて狩るさ。」
「故郷には立ち寄るのか?」
「うんにゃ?そんな予定はねえよ。用事もねえしな。」
 ザイールの返事に男は暫し明後日の方向を向いて思案する風を見せる。
「なんだよ?」
「あそこにドラゴンに詳しい学者がいるって風の噂で聞いたんだが…。」
 へえ?とザイールも遠くを見るような顔をした。
「少しでも勝算上げといた方がいいだろ?行っとけよ。…それにあそこにゃ、いとしき…。」
 そこまで言ったところでザイールがギロリと睨みを効かせ、慌てて男が口を噤む。
「おっと、やぶへびやぶへび…。」
「んじゃな。情報ありがとよ。」
「ああ、討伐の成功祈ってるぜ。」
「賭けのためにな。」
 歯を剥いて笑ったザイールに、男も悪戯な笑みを向けて片手を上げた。




「で、ザイールの故郷ってどっちなんだ?」
 先を行くザイールが故郷に寄るつもりなのかどうか判別がつかず、エディンはそう尋ねた。
 いつものように面倒臭げに振り向いたザイールは、くいっと南の方向を顎で指す。そして足を止めて息を吐いた。
「正直、どうしようか考え中だ。面倒のレベルがただ事じゃねえ。」
「面倒?故郷に寄るのが?」
「んまあ、…何かとしがらみがな。」
「嫌いな人でもいるの?」
 あっけらかんとマルタが訊くと、ザイールも気にするでもない様子で「そりゃいるけどよ、」と返す。
「それに加えて、辿り着くにも面倒だってのがまた…。」
「辿り着くにも?」
「あの街はなぁ…陸の孤島っつーか、とにかく隔離されちまってんだよな。」
 そう言うとザイールは山の端に見える湖を指さした。
「グアンドから西の山を峠越えすりゃあ、山道はキツイが並の旅人でも行き来は出来る。でもこっからとなると、あの湖を渡るしかない。で、その湖には面倒なモンスターが居ついてるときたもんだ。」
 肩をすくめて顔を顰める。
「倒せばいいじゃん。」
 キャムが首を傾げてその顔を見上げた。エディンも賛成する。
「だよな、経験積むついでにこの辺りの人の役に立てるならいいことじゃないか。面倒臭がらずにさ。」
「おう、力付けるにはいい経験だ。でもあんま感謝はされないぜ?その上、ちょっと急ぎの旅路になる。」
「どういうことです?」
 そのモンスターは大型で、勿論倒さなければ湖は通れない。しかし、一体倒しても、一週間もするとまた別の個体が現れる。それは昔から変わらず繰り返されていることで、理由はまだ解明されていないがそうなることは確実だということだ。
「群れで出てきたりはしないのか?」
「一匹しか目撃されたことがない。大昔からそうだってよ。でも、倒して一週間経つとまた一匹出てくるって寸法だ。」
「どういう…生体なのでしょう…。」
「さあな。説はいくつかあるぜ?…死ぬ寸前に卵を産み落とすだとか、湖の底には群れがいて、見張りに一匹だけ外に出てるだとか。学者でもそんなんだから、俺たちにゃ分からねえよ。それより…。」
 わざわざそれを倒して行ったところで、新たな情報を得られる保証がない、というところが二の足を踏む原因だ。
 ドラゴンの情報は国軍が集められるだけ集めてあるはずで、今国軍が持っている情報以上のことが、風の噂の学者から聞けるものかどうか、そもそもその学者が存在するかどうかさえ怪しいのだ。
「なにせ風の噂だからな…。」
 ふん、と鼻息を吐くザイールが、何を一番面倒くさがっているのか、皆には分からない。モンスターは倒せばいい。そして学者を探して見つからなければまた戻ってくればいいだけの話なのだが、無駄足にはなるだろう。そして、しがらみ。
 エディンは悪戯っぽく笑った。
「行こうぜ?モンスター倒してさ、一週間で戻れなきゃまた倒せばいいじゃん。一匹ずつならいけるだろ?」
 まあな、とザイールは同意する。しかし浮かない顔はそのままだ。
 それに向けてエディンは一層楽しげに笑う。
「オッサンの故郷、見て回ろうぜ?知り合いから昔の話聞けるかもしんないしさ。」
「…テメ…。」
「あ、そうじゃん!行こ行こ!」
「うん!いいね!私も話聞きたい!」
 ザイールの低い声はマルタとキャムに掻き消されてしまった。



 氷で覆われた湖の水面は、永久凍土のように固く、踏みしめても滑る気配がない。表面が解けないうちに足を離せば問題なく歩ける。
 その氷に下り立つ手前でザイールは足を止めた。
「湖の中央まで行くとソイツが出てくる。先に戦い方を考えておけ。」
 で、どんな奴なんだ?とエディンが訊ねると、フンと息を吐く。
 ミミズのお化け、とザイールが表現したそのモンスターは、タールワームと呼ばれる巨大なものだ。巨体の先端は大きな口になっていて、その中から無数の触手を伸ばし獲物を取る。目と思しきものは見当たらないが、人間の動きは逐一把握している様子だからどこかにあるのか、もしくは視覚以外の感覚器官で察知しているのだろう。
「体の表面は油で覆われてる。それに火を点けちまえば終わりなんだが、そう簡単には点けさせてくれないわな。」
 鉄壁の防御を崩すには、炎の戦士が片手分は必要だと言う。
「ヤツは分厚い氷の壁を作り出す。それを抜けて火を放たなくっちゃならねえ。」
「遠くから魔法で点ければいいんじゃないか?」
 ほら、こうやって、とエディンが少し離れたところに火を熾して見せた。
 ザイールは肩をすくめる。
「どのくらい離れた場所に点けられるんだ?」
「えー?…そうだなぁ…。」
 考えあぐねるエディンにザイールは家三軒分離れたところにある木を指さした。
「あの木に火を点けられるか?」
「あれ!?…どうかな…。」
 じっとその木を見つめ、集中してファイヤーと唱える。
 しかし少し手前で不発の炎が上がっただけだった。
「もうちっと近づかなきゃならねえってこった。氷壁と、触手…そいつを掻い潜ってお前が近づけるように立ち回らなくっちゃな。」
 触手に絡め捕られたら大変なことになる。しかし安全な場所から炎を飛ばすだけでは氷壁に阻まれてどうにもならないだろう。
 うーん、と困ってしまっているのはエディンだけではなく、カードも他の仲間も同じだった。
 その様子を少し笑ってザイールが号令をかける。
「よし、行くぞ。」
「え?どうするんだよ、作戦。」
「とにかく遠距離攻撃。ネェちゃんはマルタと組んで炎を飛ばしまくれ。カード、お前は火種になるものを敵の周りに舞い上がらせろ。チビは火種に向けて雷を落とせ。キツイ奴だ。炎が上がるぐれえの。俺は出来る限り奴の動きを封じる。」
「俺は?」
「氷壁と触手を避けながら近づいて、火を点けりゃ成功だ。」



 ドカンと爆発のような音とともにそれは現れた。
 一定の距離を保ちつつ攻撃を始めるも、氷壁は思わぬところに立ち上り、それだけではなく足元の氷も凸凹と形を変えるため皆体勢を保つのに苦労を強いられた。
「赤き衣を纏い舞い踊れ、ファイヤー!」
 ボッと点った炎を乗せ、マルタの矢がタールワームめがけて飛んで行く。しかしそれはあっさりと氷壁に止められる。それを数度繰り返したところでフェリエが別の呪文を唱えた。
「歌い踊れ祭り火、大気のそこここに汝の存在を知らしめよ。宴の主に赤き衣を捧げ、皆で囲み舞い踊れ、フレイムメイルストローム!」
 小さな炎がいくつも宙に浮かびそれが踊るように目標に向かっていく。しかし、立ち上ったいくつかの氷壁を囲んで溶かしはしたものの、モンスターの傍まで到達するかと思ったところでそれは力尽きて消滅した。
 フェリエはキリっと奥歯を噛みしめた。
「駄目ですわね。詠唱時間の無駄でした。」
 これが連続で出せれば、カタが付きそうだが守護精霊が水であるフェリエには不可能だ。エディンが同じ技を出せればよいのだが、あくまで戦闘の補助的にしか魔法を使わない彼は、まだそれを習得していない。加えて、それを連続で出せるほどの魔力も持ち合わせていないだろう。
「じゃ、上から行こう!」
 マルタの提案に、フェリエが「上から?」と聞き返す。
「炎の矢を、雨のように降らせるのってどう?」
 一瞬の驚きの表情ののち、笑みを浮かべて頷いて見せた。

 湖の中央での戦闘に火種になるものを飛ばせと言われても、そもそもそんなものは見当たらなかった。
「どうする?カード。」
 ふん、と息を吐いて暫し考えて、カードは頷いた。
「厄介だな。…仕方ない、キャムは気にせず雷を落としてくれ。」
「効くかなぁ…。」
「細かい塵を集めてみるよ。うまくいけば電撃で小さな爆発が起こる。火が点くかもしれない。」
「オーケー、派手に行くよ?」

「オッサン!バインド!」
「この距離じゃ無理だっての。」
「どうすんだよ。」
「慌てんな。…シャドウ・タイ!」
 ザイールが呪文を唱えたことに気付き、エディンはモンスターの方を見やった。しかし、何かが起こった風には見えない。
「失敗か?」
「取り敢えず軽い縛りだ。移動が出来ない程度だがな。」
 そう言って走り出す。エディンも後を追った。
 そこここで氷の柱が突然生えてくる。それを剣で破壊したり炎で溶かしたりしながら前に進んだ。
「触手だ!」
 ザイールが叫んで剣を振う。その一本が自分に向かっているのを見やってエディンは咄嗟に炎を出した。
 ひゅんっと風を切る音を立て、触手は炎を恐れるように引っ込んだ。
「本体まで届かなくても、アレを燃やせばいいんじゃないか?」
 いいことを思いついた、と続けて炎を飛ばしてみる。
 ところがそう上手くはいかなかった。
 触手は素早く、あっさりと炎を交わしてしまう上、やっと当たったと思った炎は即座に氷に覆われて消えてしまった。
「魔力残しとけよ!?」
 むきになって炎を飛ばすエディンにザイールは苦言を吐く。そうして間合いをみてバインドを唱えた。
 二人は敵が止まったことを確認してさらに飛び出す、と突然足もとの氷が大きく揺れた。
「うわっ!?」
「なんだっ!?」
 バキバキと音を立てて分厚い氷が割れて傾く。氷山のように飛び出た突端が、二人の間に突き立った。
「やべっ…!」
 エディンが立っていた場所が急な坂道のように傾き、先程からの皆の攻撃で表面が解けた氷は踏ん張る足など留めてはくれない。滑って行く先にはモンスター。
「ザイール!!バインドが効いてないぞ!?」
 先刻動きを止めたと思われた標的は、何事もなかったかのようにうごめいている。
 体勢が崩れたままタールワームの目前に放り出されたエディンは、襲い掛かる何本もの触手をろくに切り付けることもできず足を取られてしまった。
「うわあっ!離せっ!このっ!」
「エディン!!」
 高々と持ち上げられ、エディンは焦って剣を振う。ザイールが寸でのところで制止の声を上げた。
「やめろ!今切ったら…!」
 エディンの下にはモンスターの大きな口がパックリと開いている。その中に落ちてしまったら助かる術がない。しかしこのままではどのみちあの口の中に放り込まれてしまうだろう。
 皆が息を呑んだ。
「どうしろって………あ、」
 焦りの中、エディンは自分が魔法の射程圏内に入ったことに思い至った。
「ファイヤー!!」
 ボッと小さな音を立て、タールワームの体に火が点る。それを皆の視覚が捉えた次の瞬間、炎は巨体の全身に燃え広がった。
「ばかやろっ!」
 ザイールが怒鳴った意味を即座に全員が理解する。キャムが声にならない悲鳴を上げた。
 火に焼かれ苦しむタールワームは、のたうつように触手を振り上げる。絡め捕られていたエディンの足は解放され、彼は巨体の真上に投げあげられてしまっていた。
「わあああぁぁあぁー!!」
 湖の上で周りの氷を溶かしながら燃え盛る炎に向けてまっすぐに落ちていく。
「フリーズ!!」
 フェリエの声を遠くに聞き、目の前が真っ白になったところから、エディンは意識を手放していた。




 気が付くと、彼は湖の岸辺で横たえられていた。すぐ近くに焚火が見えたが、体は冷え切っている。すぐ後ろから「大丈夫ですか?」とフェリエの声が聞こえた。
「…俺…なんで…。」
 状況が分からず、声の方に少し振り向いて訊ねると、フェリエの優し気な笑みが覗き込んできた。
「私が凍らせてしまったので…。氷はすぐ解けたようですが、水の中に落ちてしまわれたから…お寒いでしょう?」
 まるで夢の中のことのように、エディンはタールワームとの戦闘を思い出した。
 ああ、そうか、あれは氷だったんだ、と目の前を覆った真っ白いものを今更理解する。
「あ、エディン!気が付いた?大丈夫?」
 薪を抱えたキャムが手の中のものを放り出して彼に駆け寄った。
「すぐ飲み物を用意する。起き上がれるか?」
 携帯用の小鍋を火にかけながらカードがそう言う。
「あ、ああ。わりぃ…。…ヘマやっちゃったな、俺。」
「まったくだ。あんな状況で火を点けるなんざ。」
 起き上がってザイールの声に振り向くと、いつものしかめ面があった。
「…焦っちゃってさ。悪かったよ。迷惑かけた。」
 キャムとともに薪を集めに行っていたらしいマルタは、焚火に小枝をくべながら苦笑いのエディンを気に掛けるように覗き込んでから、悪戯な笑顔を作って言った。
「ところでザイール。冷静に考えて、あの時エディンがとるべき行動は何だったと思う?」
 皆の視線がザイールに行き、いつもの馬鹿にしたような小言が出てくるだろうと待ち構えていると、暫しの間が空いた。
「………触手にゃ気を付けろって言ったろうが。捕まったのが悪い。」
「ザイールにも策はないってことだよね。」
 あはは、とマルタが笑う。ケッと喉を鳴らしてザイールが顔をそむけた。
 言い当てられたのだと解って、エディンも声を立てて笑った。



18/22ページ
スキ