霧の向こう

小休止6


1.誤解
 暖炉の前でフェリエが寛いでいると、そこにカードがやってきた。
「…あれ?」
 彼女に視線をやってからあたりを見回したカードは呟くような声に疑問を乗せている。
「どうかなさったのですか?」
 不思議そうに尋ねると、彼は頬を掻きながら言った。
「エディンがいたと思ったんだが…。」
「はい、先程までいらっしゃいましたよ? 何か御用だったのですか?」
 続けて尋ねるフェリエに、少々困ったような顔を向ける。
「いや、そういうわけじゃないんだ。…ただ…最近どうも避けられているように感じてね。」
「避けられている?」
「…戴冠式…ちょっとやり過ぎたかな…。」
 先日の戴冠式で本気の勝負を挑んだことをエディンがよく思っていないのではないか、とカードは言った。
 そうでしょうか、と返すフェリエに自嘲気味の笑顔を見せて、小さく息を吐いた。
「あまり面白いものではないだろう。自分の晴れの舞台をかき回されたんだ。」
「…でも、エディンは勝って晴れ晴れとしたお顔をしてらっしゃいましたわ?」
「その時点ではそうでも、後から考えて腹を立てたとしてもおかしくはないだろう?」
 そう考えなければ、避けられる理由など他に思いつかないのだ。
「本当に避けられているのですか?…昨日、普通に話していませんでした?」
「…そう…だな…。確かに皆がいる時には普通に接してくれているが、…いや、寝室が同じときも普通かな…。」
 でも、とカードは続けた。
「近頃、俺が来ると立ち去る、という場面が何度も…。気付かないか?」
 フェリエは唇に軽く握った拳を当てて考える。
 言われてみればそういう場面に何度か居合わせた気はした。
「でも…偶然、ということも…。」
「まあ、そうかもしれないが…。」




 二人が考えあぐねている頃、エディンはキャムを誘って散歩に出ていた。
 当てもなく歩き回るエディンを不思議に思ってキャムが首を傾げる。
「急に散歩しようなんて、どうかしたの?」
「ん?…いやぁ…別に…。」
 大きな木の下に丁度良さげな岩を見つけ、エディンは腰かけた。あたりは先日の雪がちらほらと残っているが、茂った木に守られたようにその岩はむき出しになっている。
「ちょっとさ、どうしていいか困っちゃってな。」
 あはは、とエディンは力なく笑う。
「何が?」
 キャムには見当がつかず、エディンの前に立ったままキョトンとした顔を向けた。
 ポリポリと頬を掻く仕草は、別段そこにかゆみを覚えたからではないのが一目瞭然だ。
「…カードがさ、…。」
「カード?」
「いや、カードとフェリエ、仲いいよな。」
「…悪くはないと思うけど?」
「うん、いいんだよ。…で、邪魔しちゃ悪いなって思ってさ。」
 パッとキャムの中に一つの構図が出来上がった。先日まで自身も恋に悩んでいたこともあって、そういう事には年齢に似合わず気が回ってしまう。
 仲のいいカードとフェリエ、そして…それに嫉妬しているエディン…。
 キャムは顔を曇らせて尋ねた。
「エディン、…フェリエのこと…好きなんだ?」
 その言葉に今度はエディンがキョトンとする。
「は?…なんでそうなるんだ?」
「え?…違うの?」
「俺そういうのよくわかんないよ。とにかくさ、仲のいい二人が喋る機会を、俺が側にいて邪魔しちゃいけないだろ?」
「…え…それは…。」
 確かに恋人同士の会話を邪魔するようなことは無粋だと思うけれど、二人はそんな関係だろうか。
 そんなことを考えて返事に困っていると、エディンは勝手に話を終わらせてしまった。
「わかんないよな。キャムは子供だし。ごめん、変な話して。」
 大いに異議を唱えたかったキャムだが、自分の恋心をまだ打ち明ける勇気もなく、そんな子供じゃないと喚き散らしたところであしらわれるのは目に見えている。大体にしてエディンはキャムを子供としか見てくれないのだ。
「薬草でも探しに行くか。」
 人家の近くなら危険は少ない。エディンは村の外周を回るように歩き出した。



「ねぇ、エディン?」
「ん?見つけたか?」
「違う。フェリエのことだけど。」
「ん?」
 エディンはチラッと周りを警戒してモンスターの気配がないことを確認してから、キャムに向き合った。
「フェリエは修行中だよ?この前ちょっと話したんだけど、修行が終わるまでは男の人とお付き合いする気はないってはっきり言ってたし、…カードと特別な関係だとは思えないんだけど。」
 そんな会話をしたのか、と意外に感じつつ、エディンは「でもなぁ、」と反論する。
「そういうのってさ、止められないって言うじゃないか。修行しなくちゃって思ってても、好きになっちゃったら仕方ないだろ?」
「でも、カードだってフェリエが修行中なの知ってるんだし、それを邪魔するようなこと…。」
「俺たち子供だから分か………、コホン、キャムは子供だから、分かりにくいと思うけど、人の感情ってそんな簡単なものじゃないんだぞ?」
 言いかけてから自分が先日戴冠式を終えたのを思い出したらしく、自分は大人だと言わんばかりに、エディンはキャムに言い聞かせるようなことを言う。
 キャムは背を向けてぷうっと膨れた。恋心に関して言えば、キャムはエディンより先輩のつもりだ。事実、その気持ちが分かるからパラサイトオークに憑かれてしまったのだし。
「わかったよ、私が二人に聞いてあげる!」
 そう言ってキャムは駆け出した。
「わ、ちょっと!駄目だって、キャム!!」




「フェリエ、聞きたいことがあるんだけど。」
「はい?何でしょう。」
 フェリエは開いていた書物を閉じてニコッと微笑んだ。
「フェリエとカードって恋人同士なの?」
 キャムの予想外の質問に、フェリエは暫し唖然として間をあけた。
「違います…けれど、どうしてそんなことを?」
「エディンが言ってたの。この前、二人がベッドの上で仲良くしてたって。」
 まるで叱責するような口調になっているのは、修行が第一だと言っていたフェリエを信頼も尊敬もしていたからだ。
 キャムは追いかけてくるエディンを無視していたが、彼の口からそんな話を聞いて足を止めた。
 詳細を聞こうにもあとはもごもごと誤魔化すようなことしか言わないエディンに痺れを切らし、今度こそ脱兎のごとく真っ直ぐにフェリエのところにやってきたのである。
 ハッとしたフェリエに心当たりがあるのだとキャムは判断し、彼女の顔を指さす。
「フェリエ!!今は修行中なんじゃなかったの!?僧侶になるために頑張ってるんでしょ!?なのに何でそんな…カードもカードだよ!!」
「ま、待ってください、キャム。」
「誤魔化さないで!!」
「違います。誤解です。落ち着いてください。」
 落着けないよ!と返しながら、彼女から出た『誤解』という言葉を反芻する。
「…誤解?」
「はい、私は、誓ってお付き合いはしておりません。エディンの誤解です。」
 静かな口調にキャムは落ち着きを取り戻し、フェリエの言に耳を傾けた。
「エディンが見たのは、私がカードの怪我の治療をしていた様子です。あの時、彼はベッドに横たわっていましたし、私はもちろんその傍にいました。」
「…それだけ?…例えば…キスしたりとかは?」
「してませんっ!!」
 力いっぱい否定するフェリエの顔は真っ赤だ。
 一緒に居ただけの二人を何故エディンがそんな風に思ってしまったのかが不思議だったが、目の前のフェリエが嘘を吐いているようには見えない。
「…なあんだ…。びっくりしちゃった。エディンったら何か凄い場面でも見ちゃったみたいに…もごもご言ってるんだもん。」

『こないだ、ベッドの上でさ、その…いや、キャムに話すことじゃないな、うん、ごめん、なんでもない!』
 そう言ったきり、キャムが何を聞いても何を言っているのかわからないような口ごもりようだった。

「なんだ、そんな理由だったのか。」
 事情をフェリエから聞き、カードは呆れたように笑った。
「それにしても治療のためにフェリエがいるのは知ってたはずなのに、そんな風に思うなんて免疫なさすぎだろう。」
「純朴な方ですもの、エディンは。」
 先が思いやられるな、と言ったカードとは違い、フェリエはそれでいいのだと思っていた。
 キャムの恋心を応援することになるのか挑むことになるのか、自分がどういう立ち位置にせよ、まだ彼には子供でいてもらいたい。
 もちろん、恋愛に関してだけの話ではある。





2.仲間
「っつぅ~…。」
 倒し終える寸前、エディンがモンスターの爪をまともに腕で受けてしまい、その痛みに動きを止めた。
「エディン!!」
 誰ともなく叫び、フェリエとマルタが駆け寄った。
 目の前で苦痛の表情を浮かべるエディンの様子にキャムはたじろぐ。
 そうこうしているうちにカードとザイールがモンスターを倒した。

 いつものように、ごめんとキャムが謝り、気にすんなよとエディンが笑う。
「だから…いいのに、ちょっとぐらい怪我したって平気なんだから、エディンは無理しなくても…。」
 時折こういうことがある。
 キャムが無茶をし、エディンがそれを庇う。大抵の場合、キャムは無傷でエディンが怪我をすることになるのだ。
「キャム。」
 語気に微かな叱責を乗せ、カードが声を掛けた。
「今のは君の落ち度だ。前に出過ぎるな。君が出なければエディンも無理をする必要はなかった。」
 普段の優しさは垣間見れない。その声にキャムはどきりとする。
「う、うん。なんか、いけそうな気がしちゃって。」
 えへへ、と苦笑いを見せてみるが、彼は笑ってはくれなかった。
「誰が倒すかじゃない。俺たちはチームだ。君が倒そうと俺が倒そうと変わりはないだろう。無茶をしてまで倒す必要はない。」
 視線は射抜くようにキャムを捕らえ、言ったことを理解しているのかと問う。
 エディンが慌てて二人を隔てる位置に立ち上がった。
「カード!俺は大丈夫だって言ってるだろ?そんなに言わなくったって…。」
「エディン!俺はキャムに話している。黙っていてくれ。」
 二人が対峙するなんて、これまでになかったことだ。ハラハラとフェリエとマルタが見守っている。
「俺が言いたいことが分かっているかい?キャム。」
 エディンを押しのけるようにしながら、カードがそう訊ねると、キャムは顔を背けて頷いた。
「うん…。分かってるよ…。ごめん…ちょっと…頭冷やしてくる。」
 カードがキャムに対して、こんな風に苦言を突き付けるのは初めてではないだろうか。
 キャムは今までにない叱責に込み上げるものを感じてその場から逃げ出した。
「キャム!!」
 追おうとしたエディンをカードは制して、マルタに追うように指示する。
「任せといて。」
 マルタは笑顔を見せて走って行った。



「キャムはまだ小さいだろ?あんな風に言うことないじゃないか。」
「子供だから守ってやって当然だと?」
「そうだろ?当たり前じゃないか。」
 ムッとした顔を向けるエディンに、カードは溜め息を吐く。
「ならどうして旅に連れてきた。ドラゴン討伐はどうするつもりなんだ?キャムを抜いて挑むつもりだったのか?」
 ハッとして口を閉ざす。
 キャムを連れてきたのは女王の命令だから、仕方なく、なのだろうか。いや、連れて来られないと思っていたのは、帰らせるという約束があったからだ。それさえなければエディンの中でキャムを置いて来るという選択肢はなかった。
 ではドラゴン討伐は?
 倒せると思っていた。キャムと二人ででも。それが思い上がりなのだということはこの旅で充分理解したが、それでもキャムをチームから外すことなど考えたこともなかった。
「外すなら外すでいいんだ。それなら守ってやって当然だというのも賛成するよ。でも、エディン。もし連れていく気でいるなら、今のままでは困る。彼女が危険な目に遭った局面で、お前が盾になってしまったら、それでお前の力を当てに出来なくなってしまったら、多分俺たちは勝てない。下手をすれば逃げ帰ることさえ出来ないだろう。お前にはどんな局面でも、立っていてもらわなくてはならない。たとえ彼女が倒れても、だ。」
 反論は出来ない。カードの言は正しい、とエディンは思った。しかし、どう答えを出していいのかまるで分らなかった。
「子供には危ない、というなら、女性にも危ない仕事だ。フェリエやマルタだって危険なのは変わりない。どうする?彼女たちも置いていくか?」
「それは…。」
 エディンが返事をできずにいると、後ろからフェリエが凛とした声で答えた。
「私は参ります。ヒーラーがいなければ安心して戦えないでしょう?」
 カードは笑みを見せて頷く。そうして少し離れたところで退屈そうにしているザイールの方に身体を向けた。
「アンタはどう思う?ザイール。おんな子供を置いていくか否か。」
「どっちでも?…まあ、俺の計算にはあの餓鬼んちょと嬢ちゃんの力も入ってるからな、外すんならそれなりの戦士を補充しなきゃならねぇ。」
 肩を竦めてそう答えたザイールが、本当は外す気はないのだと見て取れる。




 キャムがしゃがみこんでいるすぐ横に、マルタは腰かけて笑った。
「どうしたんだろうね、カード。なんか機嫌悪かったね。」
 明るい声にキャムは顔をあげる。
「いいの。分かってる。悪いのは私だから。ごめんね、付き合わせて。」
 そう言ったキャムの目には涙が溜まっていた。
 慰める言葉を探して、マルタは空を見上げた。
「キャムはさ、すごいよ。私よりずっと。」
 ぶんぶんと首を横に振るキャム。マルタは笑って言う。
「知ってる?キャム、自分でちゃんと分かってるんだよ。自分の出来ること出来ないことをさ。」
「え?」
「キャムはエディンがいないときはちゃんと自分の出来る範囲で動いてるの。あたし後ろで見てて何度か気付いたんだけど、ちゃんと危ない時は足を止めてるんだよ?」
 涙で濡れたままの顔をマルタに向け、キャムはポカンとした。
「それがさ、エディンが傍にいる時だけ、キャムは突っ走っちゃうの。びっくりしちゃった。キャムはさ、エディンがどこにいるか、いつでも知ってるんだよ。たとえ自分の見えない位置にいても、ちゃんと分かってるの。で、傍にいるって思うと無茶しちゃうんだよ?」
「そ、そう…なの?」
 他人事のようにそう訊ねる。キャム自身気が付いていなかったことだ。
「うん。ちゃんとエディンが守ってくれるって、心の底から信じてるってことだよね。」
「そう…なの?…そう…か。私、エディンが助けてくれるの、期待して無茶しちゃうんだ…。そ…か。気を付けなくちゃ。エディンに怪我させちゃうことになるもんね。」
 キャムは自分の両手に視線を落とし、決意を固めるように握り拳を作った。
「うん。エディンが怪我するの、嫌だよね。」
 マルタの言葉に素直に頷く。その様子に笑みをみせ、マルタは続ける。
「あたしも嫌だよ。それに、キャムが怪我するのもね。」
 それにはなんと返していいか困って、キャムはただマルタを見返した。
「ねえ、キャム。キャムは時々言うでしょ?『ちょっとぐらい怪我したって平気なのに』って。あれ、ズルイよ?」
「え?」
「ね、平気なわけないじゃん。エディンもみんなも。キャムが痛い思いするの、平気で見てらんないよ。全然平気じゃないんだよ?」
「マルタ…。」
「だから、アレ禁止ね。もう言っちゃだめだよ?」
「う、うん。…ごめん。私、怪我しないように気を付ける。」



「さ、参りましょう?夜になるまでに宿のある街に着かなくては。野宿は好きではありませんもの。」
 フェリエの明るい声が後ろからかかり、マルタとキャムが振り向くと彼女の後ろにはエディンたちもついてきていた。
 キャムは跳ねるように立ち上がって、バツが悪そうに視線を逸らした。
「…あの…カード…ごめんね。私、気を付ける。」
「ああ、分かってくれたならいいよ。」
 そう答えたカードの横で、エディンもまた気まずそうに他所を向いている。まだ先程の答えが出せずにいるからだ。
 連れていくか否か。
 ザイールが「まだいいんじゃねえの?」と独り言のように呟いて、程近い場所に立った。

 ズズズズズ…。

 地鳴りのような音がかすかに聞こえ、小さな振動が体に伝わってくる。
 ハッとしてザイールが叫ぶ。
「ここから離れろ!!」
 真っ先にザイールが駆け出そうとしたが、みるみる地面が割れ始めた。
 チッと舌打ちをして屈む。
「メルトロック!!」
 バラバラに砕けそうになっていた足元が一つの塊になって皆を押し上げようと盛り上がり始めた。
 が、その塊自体がどんどん沈み込んでいく。
「駄目だ、足りねぇ!カード!フェリエ!この地面の下に風を起こせ!!うまく着地させろ!!」
「ブラスト!!」
 即座にカードが風を起こし、追って詠唱を終えたフェリエの風も合わさる。ゴォっと洞に響く風の音がして、足に不安定な振動が伝わってくる。ゆっくり、ゆっくりと、辺り一帯にあいた大穴の、その底部に降り立った。
「なんだこれ…。」
「やばいぞ、この大きさは…。」
「だから何なんだよ。何かいるのか?」
 エディンの焦った声にザイールは静かにしろと人差し指を立てた。
 これは昆虫タイプのモンスターの罠だ。獲物を取るために作る落とし穴である。
「すぐに横穴から来るはずだ。…ふつうは人ひとり分の穴を掘るやつなんだが…こりゃ、ドラゴン並にデカいかもしれん。」
「逃げたほうがいいか?」
「無理だ。ここは登れそうにない。一人ずつならメルトロックで上げられるが、そんな時間はねえ。」
「…特徴は?属性は?」
「長い体の中央あたり、腹部が急所だ。多足類で一番前の二本の足だけ鎌になってる。口からねばねばした網みたいのを吐き出して、獲物を捕まえる。雷をバンバン落としやがるから注意しろ。」
 数秒、エディンは考えに入り、キッと前を向いた。その先から何かが這い出して来る音がする。
「キャム、カード、二人でおとりを頼む。」
 皆がハッと顔を見合わせた。
「了解!任せて。雷ならどんだけ受けたって平気だもん!」
 カードを付けたのは、キャムの無茶を止めるためだ。
「フェリエは離れた場所で回復魔法を頼む。マルタはフェリエを守ってくれ。俺とザイールで回り込んで急所を狙う。」
 了解、と皆が声をそろえた。
「で、後は?」
「…えーっと…まあ、なんとかなるんじゃないか?」
 急に心もとない返事をするエディンに、皆笑みを漏らした。
 ザイールが剣を構えながら歯を剥く。
「ばかやろう。そういう時は、『臨機応変に』って言やあいいんだ。」
「なるほど、じゃあみんな、後は臨機応変に!!」
「了解!!」



 現れたのはサイザー。かなり大きなモンスターだった。
 おとりとして走り回るキャムに向け、バシバシと稲妻が落ちた。その殆どをかわしていたが、キャムには当たっても大したダメージはない。ただ、大きな雷が落ちればその衝撃で吹き飛ばされることはあるから、その隙に鎌を振られれば致命傷にもなるだろう。同じくおとり役のカードが、うまくモンスターの気を引きながらキャムに時折指示を出した。
 巨体に似合わず小回りが利くサイザーに、エディンとザイールは振り回されている。適地に回り込もうとするとすぐに気付かれた。
「うわっ!!」
 降ってきた粘液にエディンが捕まってしまった。
 もがこうとする彼をザイールが慌てて制する。
「動くな!!余計絡まって身動きが取れなくなる!!乾くのを待て!!」
「わ…わかった!」
 了解の返事は出したが、この状況で動けない敵をモンスターが放っておいてくれるとは思えない。現におとりには見向きもせず、エディンに狙いを定めているようである。
「ちくしょう…早く乾けよっ!」
 カードとキャムが攻撃を仕掛けてもエディンに向かう歩みを止める様子がないのを見て、ザイールがエディンの前に出る。
「ザイール!?」
「心配すんな。乾くまでの間ぐらい持ちこたえてやる。」
 そう言って、振り下ろされた鎌に向けて斬圧を飛ばした。
 幾度となく繰り返される鎌の攻撃に、ザイールの立ち位置が徐々に押されていく。エディンのところまであと数歩、その時キャムがモンスターのすぐそばまで走り寄った。第5足あたりの位置で大きな雷を落とす。
「ほら!こっちだよ!!あんたの雷なんかに負けないんだから!!」
 バシン、バシン、とキャムは立て続けに雷を落とした。
 それを煩く思ったのか、モンスターは急に方向を変え、ザイールに向けて振られていた鎌で大きな弧を描いた。ハッとしてキャムは飛び退く。が、思った以上に鎌の可動範囲は広かった。
「エディ…っ!!」
 助けを呼びそうになってグッと息をつめた。呼んではいけない。また無理をさせてしまう事になる。そう思っている間にも鎌は迫る。しりもちを付くように倒れ込み、恐怖に目を閉じた。
 鎌が当たると思った瞬間、体の周りに風が起こるのを感じて目を開けると、キャムの前ではカードが槍と風で攻撃を防いでいた。
「カード!!」
 チラッと振り向いて笑顔を見せる。
「俺も頼りになるだろ?」
「うん、ありがと!」
「よし、走るぞ!」
「了解っ!!」


 キャムのおかげでモンスターの方向は変わったが、早く倒しにかからなければ皆が危ない。エディンは網が乾くのを今か今かと待っていた。
 少し腕を動かすとまだ粘液はゴムのような弾力がある。
「早く乾けよ!…あ、乾けばいいんだな!?」
 苛立ちを口に出してすぐ、あることに気付いた。
 エディンが何を思いついたのか、ザイールは見当が付かずにいぶかしげに振り向く、と。
 ぼうっと二人の間に炎が上がる。
「おわっ!?何してやがんだ!!」
 熱さに飛び退いて声を荒げると、エディン自身も熱に中てられているようで「あちち!」と慌てた声を出している。しかしその熱で粘液はすぐに固く乾き、剣を使って簡単に解放された。
 ザイールが呆れて肩をすくめる。
「無茶な奴だな、まったく。」
「あはは。でも乾いただろ?」
 ニッと二人で笑い合って、次の瞬間走り出す。
 モンスターは背中を向けている。今なら入り込めそうだ。



 ドスンと巨体が倒れて辺りに土煙がもうもうと立ち込める。
「うあ~、やっと終わった。」
 げんなりした顔でエディンがその場にしゃがみ込んだ。
 皆がほうっと息を吐いて笑みを漏らす中、マルタは倒れたモンスターの頭部を指さして嬉々としている。
「ねー!あれ、宝石!?すんごくデカいよ!?」
 サイザーの鎧のような硬い表皮のところどころにキラキラと光る石が見える。彼女が目を付けるだけあり、どうやら価値がありそうだとザイールも唸った。
 取って行こうよ、とさっそくナイフを出してマルタが近付いたとき、死んだはずの巨体が微かに動いた。
「!?…待て!」
 異変にザイールが真っ先に声を上げる。
 何が起こっているのかと皆がその巨体を舐めるように見ていると、その腹部が盛り上がり、破れたと同時に小さな鎌が光った。
「やばい、こいつ卵を抱えてやがったんだ!」
 サイザーは卵を体内で孵化させる。標準的な数は10匹程度。一匹は小さくても、逃げ場のないこの状況で囲まれてしまっては危険だ。
 歯噛みしつつザイールが指示を出し、全員で大穴の淵まで下がった。
「まだ戦えるか?」
 皆、先程の戦闘でかなり疲れている。任せとけなんて言葉は出てこない。
 一匹二匹と姿を現した。今はまだ母体の腹のあたりでうろうろしていて、こちらには気づいていないようだ。
「チビから上げる。お前ら防御を頼む。」
 メルトロックで土を盛り上げ始めれば、その音ですぐに近づいてくるだろう。
 いくぞ、とザイールが地面に手をついたところで、「待ってください。」とフェリエが制した。
「これを。」
 彼女が示したのは母体が戦闘中に吐き出した粘液。岩場に被さったまま乾いたそれは、ドームのような形をしている。二、三回分重なっているようでフェリエの起こした風をはらんで浮き上がり始めた。
「いいぞ!これに掴まって皆で上がろう!」
 エディンの声で全員が同時にそのドームに掴まる。カードもすぐに風を起こした。
「上がるか?」
 六人の重さを上げるにはまだ風が弱い。フェリエはさらに詠唱を重ね、強い風を呼ぶ。
 巻き上がる土埃、それに釣られてサイザーの幼体がわらわらと近付いてきた。
「来やがった。…急げ。」
 降りて来た時よりもゆっくりとしたペースで六人の体が上がり始める。もどかしいスピードだが、今のところ全員で逃げ出す方法が他にはない。
「上げろっ!もっと強く!」
 そうは言ってもドームが砕けては困る。風を起こす二人は慎重に勢いを加えた。
 パシン、と電撃が落ちた。かと思うと続けて雨のように電撃が降り注ぐ。
「うわっ!!」
 びりびりと体に走る電気にエディンが声を上げた。
 あちこちに落ちる電撃のひとつが、マルタの掴まる手を襲った。
 ひゃっ!というような声の直後、彼女の手の中の網に亀裂が入り、ガクンと体の位置が下がる。持つ場所を変えようと片腕を伸ばしたが届かない。網が千切れる寸前、隣のザイールがマルタの腕を掴んだ。
「ありがと。」
「しっかり掴まれ。」
 電撃の雨は尚も続く。少し位置が低くなったマルタの足元に振り上げられる鎌を見ながら、キャムは自分に出来ることはないのかと焦っていた。
(私が盾になれればいいのに!)
 この降り注ぐ電気を全部自分が吸収してしまえれば、と考えてふと上を見上げる。
「傘!」
 キャムはパッと笑顔になり、片手を空に向けた。
「お願い精霊さん!皆を守って!」
 呪文なんて知らない。こんなときどう願っていいのか分からない。ただ、自分の中にいる雷の精霊に祈るだけだ。
 その願いが通じたのか、キャムの見上げる先、ドームのすぐ上に被さるように淡い黄色の傘のようなものが現れた。



 数分後、全員無事に地上に脱出することが出来た。
 脱力感に皆地面にへたり込んでいる。
「こいつはギルドに報告しとかねぇとマズいな。」
 はあ、と息をついてザイールがそう言った。
 この大穴に気付かずに落ちてしまうということはないだろうが、興味本位で降りる者がいないとも限らない。特別に危険だと思われる箇所はギルドや軍に報告する義務がある。
「幼生が8匹、か。」
「12匹だよ?」
 ザイールの言葉にマルタが返した。
 一瞬、ザイールは目を丸くして聞き返す。
「12!?んなに居たか?」
「あとから4匹出てきてるのが見えた。多分それでおわり。」
「おめー、あの状況でよく…。」
 ザイールが8匹だと判断したのは、マルタが落ちかけた後、彼女の足元に群がっていたのを見てのことだ。となるとその4匹はその後出てきたということだろう。落ちかけて、モンスターの脅威に一番近かった本人だ。普通なら恐怖に戦いて状況判断なんてできなくても不思議ではない。
 そんな驚きで言葉を止めると、マルタは肩をすくめている。
「オジサンがいつも言ってるんじゃん。敵の数は把握しとけって。」
「あははは!」
 体を起こしかけていたザイールは、笑いながらもう一度仰向けに寝転がった。
「こいつは楽しみだ。…よう、カード。誰を抜くって?」
 カードは笑顔で目を伏せた。
「解体するには惜しいチームだな。」

「ちょっ!まさか!あたしたちをチームから外すって話してたの!?」
 二人のやり取りの意味に気付いたマルタが声を上げたのは、一時間後だった。



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