霧の向こう

11.天を目指す木々


 ひゅうっと冷たい風が吹き、マルタが首をすくめた。
 後ろからフェリエが自分のストールを外してマルタの首にかける。
「寒くなってきましたね。」
「うん。もうちょっと暖かい服買っとくんだったなぁ…。」
 北に向かうにつれ低くなってきた気温に合わせて冬の装いを揃えていたのだが、もともと露出が多めの服を好む彼女は体を覆ってしまうような衣類をあまり選ばなかった。旅なんて初めての経験で、昼間歩いているだけでここまで寒いということを想像できなかったのだ。
 初めての旅と言う点ではキャムも同じだが、そこはエディンが多少は心得ていたようで、あれこれと買い与えていたのが役に立っている。店で選んでいるときは荷物になるからもういらないと首を振っていたキャムも、今ではしっかり身に付けてそのありがたみを味わっていた。
「マルタ、手袋貸してあげる。私はコートの中で暖かいから。」
 差し出された手袋を遠慮がちに受け取って、マルタはその暖かさに破顔する。
 チラッと何かが落ちてきたことに気付いてカードが空を見上げた。
「…雪…かぁ…。久しぶりに見る。」
「雪?」
 エディンは立ち止まって真っ直ぐに上を向いた。すぐ側で「うわぁ、」とキャムとマルタが驚きの声を出す。フェリエも動きを止めて暫し呆けたような表情を見せた。
 ひとつふたつゆっくりと落ちてきたと思ったら、その後さらに白いものが舞い落ちてくる。
 すげー、と思わず漏らしたエディンの感嘆に、ザイールが呆れたような声を出した。
「雪も知らねえのかよ。そんなんでよく旅に出てきたな。」
「うるさいな。知ってるよ。積もってるのは絵で見たことあるんだ。降ってるの見たのが初めてなんだよ。」
「んなもん、知らねえのとおんなじだろうが。」
「うちの方じゃ降らないんだ。仕方ないだろ!?」
 ムッとしてエディンは前方に向き直った。
 雪は辺り一面に舞い降りている。行先の村も、白い飛来物に覆われつつあった。




 村は祭りの準備中で、行きかう人々は皆忙しそうにしていた。
「ああ、闇の月だもんな。」
 エディンがそう言うと、カードも思い出した様子で「そうか。」と呟いた。
 祭りは戴冠式を兼ねてのものだ。この国では18歳の誕生日を迎えた男子を大人として認める意味で、その年の最後の月、闇の月の初旬に戴冠式を行う。
「…俺、戴冠受け損ねちゃったな…。まあ、仕方ないけど。」
 残念そうなエディンの呟きに、キャムが慌てて声を上げた。
「戴冠おめでとう!!エディン!!」
「そうですね、本来受けてしかるべきなのですから、今日を境に大人になったとすれば良いのではないでしょうか。」
 おめでとうございます、とフェリエも笑顔で付け加える。カードやマルタにもお祝いの言葉を言われ、エディンは照れ臭そうに笑った。



 くいっと顎で呼ばれ、エディンは嫌な予感が湧き上がるのを隠して皆に笑顔を向けた。
「わりぃ、俺、ちょっと出てくるよ。」
「あんまり遅くなっちゃだめだよ?」
 キャムの言葉にカードたちが笑みを漏らす。戴冠を受ける歳の男がそんな言葉を掛けられるのは少々情けない、というところだ。
「ああ、そう遅くはならないさ。…多分。」
 じゃあ、と片手を上げて宿のロビーに向かった。
 多分、と付け加えたのは、呼んだザイールがどういうつもりなのかがはっきりしないからだ。エディンは、あまりいい話ではないのだろうと予想している。だとすれば、話が長引くこともあるだろう。
 エディンの姿を確認したザイールは、先にドアを開けて外に出た。
 溜め息を吐きながらその背中を追う。
 わざわざ一人を呼び出すということは、やはり苦言を突き付けられるのだろう。それがどんなものであれ、きちんと聞かなくてはいけないのだと思っている。自分には知らないこと、解らないことがまだまだあるのだ。年長者の言葉には何かしら成長につながるものがある。それを、素直に受け取らなくてはいけない。
 そうは思っていても、それがすんなり出来る自信がエディンにはなかった。嫌味とも蔑みとも取れるザイールの言葉に、いきり立たないで返事をするのに毎度苦労しているのだ。
 緊張の面持ちで、外で待つザイールに近づくと、しかめ面を向けられる。
「なーに変な顔してやがんだ?行くぞ。」
「え?行くって?」
「いいからついて来い。」
 訳が分からないまま後に従うと、ザイールはすぐそこの酒場に入って行った。
 カウンター席に着いたザイールの斜め後ろで立ち尽くしていると、また彼は眉を顰める。
「突っ立ってないで座れ。」
 すぐ隣の椅子を示され、気後れしながらもそこに腰かけた。
「俺はソウジュ、こいつにはパオ酒を頼む。」
 自分の分まで注文されたのを聞いて、エディンは焦って口を挟んだ。
「お、俺、酒はあんまり…。」
「奢りだ。飲め。」
 次いで出された言葉に目を丸くすると、ザイールはフンっと息を吐いて明後日の方向に視線をやる。
「戴冠の、祝い、だ。」
「え…?」
 驚きで言葉を次げずにいるところに、バーテンがグラスを差し出した。
「いいねぇ、お客さん、親父さんの奢りかい?」
「親父じゃねえよっ!!」
 即座に否定したのはザイールだ。
 そこにすぐそばで飲んでいた客が近付いてきた。
「兄ちゃんも戴冠なのか。んじゃ祝ってやらなきゃな。ほい。」
 一杯奢る、とその男がエディンの前にコインを一つ置く。と、他の客もわらわらと集まってきて、コインをひとつずつ置き始めた。
「あ、いや、俺、そんなに飲…。」
「飲めねえなんて言わねえよな?お前の戴冠を、祝ってくれるって言ってんだ。」
 ザイールが肩を強くつかんで言葉を遮った。
 その眼は楽しそうに細められている。金を出してくれた面々も、人の善意を蹴るつもりかと笑う。
 エディンは青ざめながら観念した。



 あはは、とエディンは笑い声を立てた。
 特に笑うようなことは起こっていないところをみると、もうかなり酔っているのだと分かる。
 そろそろダウンするのではないかと横目で見ながら、ザイールは酔いつぶれるであろうエディンの運び方に少々困っていた。
「戴冠ねぇ…。お客さん、明日の戴冠式、出る気はあるかい?」
 バーテンがまた一杯パオ酒を追加して、エディンの前にある最後のコインと交換しながらそう言った。
「ん~?戴冠式?出たい出たい出たい!!俺18なんだ!!来年に持ち越しなんて、ねーだろ?」
「なら、村長に言っとくから明日集会所に来なよ。準備しとくよ。」
「ホントか!?やったー!!」
 喜んだ勢いで、エディンは前に置かれた酒を一気に煽る。
「飲んだ!祝いの酒、全部飲んだぞ!?」
 空のグラスを掲げて見せた彼に、周りからははやし立てるような声が掛かった。と、またグラスが置かれる。
「え…もうこれで最後だったろ?」
「こいつは俺から。最後の一杯だ。さあ、飲んでくれ。」
 バーテンはにっこりと笑った。その笑顔には何の含みもないのだが、先ほどの戴冠式の話を取り消されそうな気がして、エディンはグラスを持ち替えた。
「…なんか…さっきのが最後って…思ってたから…スゲーきついん…ですけど…。」
 ちびちびと口を付けながら出す言葉は、少々ろれつが怪しくなっている。飲み終えたと思っていた所為か、脱力してカウンターにもたれるように肘をついて、じとっとザイールを見た。
 それを連れてきたことに対する不満だと受け取って、ザイールは片側の口角を上げる。
「俺は一杯奢っただけだ。なんなら先に帰っても良かったんだがな。」
「………。」
 沈黙が更なる反感かと次の言葉を探すと、エディンはカクンと首を落とすかと思う勢いで頷いた。
「……あり…がと…。」
 あっけにとられたザイールの表情が、珍しく抜け落ちて呆けている。
 その視線に居心地の悪さを感じたらしく、エディンはまた酒を煽った。



 次の朝、エディンは戴冠式の話を覚えてはいなかった。
 それを予想していたザイールが前もって詳細をカードに伝えていたため、二日酔いの頭を抱えてベッドから起き上がった彼は、出かけるぞと言うカードにパチクリと瞬きを返してしばらく呆ける羽目になった。
 まったく、とカードはぼやいた。
 準備をしろよとだけ言って部屋を出たのは、少々不機嫌だったからだ。
「飲みに行くなら誘ってくれればよかったじゃないか。」
 そう文句を言ったのは昨夜のこと。
 ザイールは肩をすくめて返した。
「貴族のニーチャンには釣り合わねえ店だからな。」
 小さな村には上品な酒場など存在しない。とは言え、都会の下町のような喧騒もそうそう起こらない。別に気取って飲みたいわけではないのだし、エディンの祝いなら付き合って飲むぐらいのことはするのに、とカードは漏らした。
「わりぃわりぃ、次は誘うさ。」
 ザイールのその態度が悪意のないものだということは解っている。それを貴族だということへの揶揄として聞いてしまうのが自身の内面の問題だと自戒するだけの心持はあるのだが…。
 国軍兵士、それも貴族の特権を使えば楽に小隊長の地位に就けるものをわざわざ一般兵として志願したのは、己の実力で名誉を勝ち取る方が聞こえがいいと思ったからだ。名ばかりの隊長の地位に胡坐をかいて、部下の力でのし上がった人物への蔑みを何度も耳にした。家のため、自分はそうなるわけにはいかないと思っている。
 そうは言っても、庶民と肩を並べることにも問題はあった。
 謂れの無い妬みが常に付きまとう。実力で保っている成績も生まれのせいだとされてしまい、それならばと目に見える形で努力をしてみれば、真面目な堅物だとか外面がいいのはやはり貴族だからだとか周りからは揶揄の言葉しか出てこなかった。時折近付いて来るのは貴族の恩恵にあずかりたい輩ばかりで、それもカードの家系が下流貴族だと知れるとあっさりと去って行った。
 孤立していたカードの救いとなったのは、レクレスとの出会いだ。
 レクレスは他の者と違い、全くカードの生まれを気にしている様子がなかった。庶民の中でも底辺の貧しい家庭で育った彼は、己の力で上り詰めることこそ幸福への道だと、軍師にまでなることを視野に入れている。その気概ゆえ、周りの人間がどういう生まれだろうと関係がないらしい。
 彼のおかげで孤立からは脱することが出来たが、それでもやはり貴族へのやっかみは時折聞こえてくる。言いたい奴には言わせておけという友の言葉に頷きはするものの、全く気にしないではいられなかった。それをいまだに引きずっていることを、カード自身、情けなくは思っていた。
 自分は大人になったはずなのだが。
「…戴冠式か…。」
 数年前のことを思い起こした。
 家での祝いは勿論催されたが、軍での戴冠式が忘れられないものになっている。
 国軍で行われる戴冠式は、式自体はいたって普通のものだ。しかし、その式に出るためにはある試験を通過しなければならなかった。10人抜きと呼ばれるその試験は、名の通り10人を相手に剣技で勝ち続けなければならない。一度でも負ければ失格だ。勿論相手は格下の後輩たちなのだが、その実力がまちまちであるため、誰と当たるかがその結果に大きく影響する。対戦相手は普通無作為に選ばれるのだが、カードたちの年は前年の戴冠者が選出に関わって偏ったものになっていた。レクレスが先輩たちの10人抜きを阻止したため、その報復に腕の立つ者を彼の対戦相手に当てたのだ。おかげでカードは一度の挑戦で通過することが出来た。レクレスはというと、先輩たちの作為空しく阻止は叶わず、彼もまた一度の挑戦で通過していた。

 エディンとともに集会所に行くと、待っていた村人数人が代わる代わる式の説明をしてくれた。
 この村の戴冠式は、年長者とペアを組み、剣技を披露してから行われるという。そのためにカードも呼ばれたのだ。
「まあ、簡単なもんさ、こう、何度か剣を打ち合わせてから、相手役が膝をついて負けを認めれば終わりだ。」
 相手役には本来前年の戴冠者が選ばれるのだが、近ごろは村を出て行くものが多く、今年の三人の戴冠者の相手役も数年前に戴冠を済ませた青年たちだと言う。あまり年を取ったものがその役をやるのは見栄えが悪いということで、なるべく若い者から選ばれる。そして相手役の兼任がタブーとなっているのは、昔兼任した者の家に不幸があったからだ。
「最近はホント自由でね。今年も一組は剣舞を披露するって話だ。」
 ある程度の決められた流れの説明の後、次は戴冠式の運びを説明するからとエディンは式のために作られた舞台に連れていかれた。
 その背中を眺めてカードが呟く。
「…わざと負ける、か。」
 その様子を見て、その場に残っていた男が笑った。
「なんだい。貴族のプライドが許さないってか?」
 貴族だと判断したのは服に付けている紋章の入ったカフスを見たからだろう。いっそのこと紋章の付いたものをすべて外してしまえばいいかとも思うが、それこそ貴族のプライドが躊躇させていた。
 カードはバツが悪そうに笑う。
「いや?どちらかと言えば、兵士のプライド、かな。国軍では10人抜きをやってのけなければ戴冠式に出られなかったんだ。そんな簡単に受けられるのは、羨ましい…いや、むしろ妬ましいな。」
 レクレスのおかげで一発合格はしたが、勿論簡単なことではない。後輩に負けるのは恥だと教えられ、その一年は厳しい訓練が課せられる。前年は前年で戴冠者の10人抜き阻止を目標に訓練に励んでいたからこそ、それ以上のものを求められるのである。
 ふーんと男は相槌をうち、少し考えに入った。ややあって口を開く。
「あの兄ちゃん強いのかい?」
「ああ、中々の腕だ。」
「…なら、ふっかけたらどうだい。」
「ふっかける?」
「段取り無視して、本気の勝負を挑むんだよ。」
 カードは少々驚いて瞬きをして彼を見返した。
「そんなことをしたら、式が滅茶苦茶になるだろう?」
 そう返すと、男は笑って顔の前で手を振る。
「いいんだよ。元々あれは本気の勝負をする場なんだ。最近の若いのは大人しいのが多くってね。すっかりやらなくなっちまったが、昔はそれが祭の楽しみだったんだよ。」
 なるほど、とカードは頷き思案した。
「…いいのか?」
「ああ、村長には俺から言っとく。楽しませてくれよ?」
 戴冠のイベントは午後から。エディンの出番はこの村の戴冠者3人の後になっている。勝負がつかない時は開始から30分で鳴らされる鐘を合図に負けを認めるように言われ、カードは了解の意を返した。



 昼食を終えて一息ついた頃、村の招集の鐘が鳴らされた。舞台上では取りまとめ役らしき男が戴冠式の開始を知らせる口上を述べている。
「エディンたちは準備に行った?」
「はい、私たちも参りましょう。折角ですから舞台が良く見えるところに座りたいですわ?」
「だね。」
 大きな半円状の舞台の周りには、テーブルとイスが準備されていて、周りの出店で買ったものを食べながら見られるようになっていた。
 面倒臭そうにしているザイールに発破をかけ、フェリエ、キャム、マルタの三人はわくわくとしながら舞台に向かう。運よくテーブルはまだ空いていた。席に着いたと同時に一人目の戴冠者が舞台に足をかけ、客席から声が上がる。囃し立てるような掛け声に、青年は照れ臭げな笑みを漏らした。
 剣を打ち合わせる音は小さな村に響き渡る。式を楽しみにしていたのだろう。子供たちが慌てて駆けてきた。
「おにいちゃーん!!がんばれー!!」
 兄弟なのか、近所の子供なのか、一人の男の子が舞台の青年に向けて目一杯の声援を送った。
 それを微笑ましくフェリエは眺める。
 マルタもその子供に目をやってから、彼女の方を向いた。
「ねえ、フェリエは戴冠式やったの?」
 一瞬その質問に疑問を返しそうになって、フェリエは思い直した。知らないのも無理はない。マルタは孤児だ。世間のそういった行事には関わる機会がなかったのだろう。
「いえ。戴冠を受けるのは男性だけです。」
「え?そっか。じゃあ、あたしもやらないんだね。…つまんない…。」
 なーんだ、とガッカリした様子でマルタはテーブルの下で足を揺らした。
 ウフフ、と笑ってフェリエは付け足す。
「でも、地域によっては女性の行事もありますよ?私は故郷で『わたまとい』というお祝いを受けました。」
「ワタマトイ?」
「はい、大人になった女性が将来幸せな結婚をして元気な子供を産めるようにという願いを込めて、ふわっとした衣装の腰回りに綿の花をいっぱい巻きつけるのです。丁度、赤ん坊を身籠った女性の体形を模るように。」
「あ、それ、うちの村でもやってるよ?」
 横からキャムが身を乗り出した。
 そうですね、とフェリエが頷き、へーっとマルタが感心したように相槌を打つ。
「その綿を使って花嫁衣裳を自分で作ると幸せになれる、という言い伝えがあります。」
「そうなの?フェリエは?作ったの?」
 フェリエはまた笑って首を横に振った。
「綿を糸にするところから始めなくてはいけませんから、とても時間がかかるのです。わたくしはそれ以前から僧侶を目指していましたので修行に忙しくて。でも友人は今でも頑張って作っているはずです。」
 製糸、機織り、縫製、すべての工程を一人でやり遂げるのが良いとされているため、日常の仕事の合間にそれを習ってコツコツと作業を進めていくことになる。伝統に重きを置く家庭では、娘が生まれると小さいころからその修行をさせるほどだ。フェリエも糸のつくり方を習った時期があったのだが、魔法を覚えることの方が楽しくてあっさりと投げ出してしまったのだった。

 舞台では二人目の戴冠者とその相手役の青年が剣舞を舞い始めた。昔からある型なのか新しく殺陣を組んだのかはわからないが、その舞は淀みなく、皆が目を奪われた。
 客席から、ほうっと感嘆の声が漏れる。
「すごーい。カッコイイね。」
 キャムが祈るように手を前で組んで舞台の上を眺めた。
 それは、エディンもあれをやればいいのにと考えているのだろうとフェリエは思った。
「そうですね。素敵ですね。」
 そう答えながら、剣舞を踊るのがあの美丈夫二人だとしたら、さぞ映えるだろうと思い浮かべる。
 その向かいでは、ザイールがつまらなそうに酒を飲んでいた。



 三人目の戴冠が済むと、急に周りがざわつき始めた。
 次はエディンのはずだ。何かあったのかと舞台のそでに目をやるが、特に問題が起こっている様子はない。不思議に思いながら、フェリエたちはもう一度腰を落ち着ける、と。
 そのすぐ傍に、村人が数人走ってきた。
「ほら、早くしろよ。始まっちまうぞ?」
「おーい、商売なんかやってる場合かよ。メインイベントだ!!」
 そう言って出店で食べ物を売っている店番にも声を掛ける。
 なんのことだろうと、ザイールが振り向いてすぐ近くの男に訊ねた。
「村の奴らの戴冠は終わっちまったぜ?これから他所もんの戴冠だ。何がメインイベントなんだ?」
「なんだ、あんたら聞いてないのかよ。」
 その言葉に一同顔を見合わせる。
「貴族のあんちゃんが勝負ふっかけるってよ。何年振りかねぇ、興奮するぜ。」
「あんま煩くすんなよ。あの兄ちゃんまだ知らないんだから。感付かれるだろ?」
「平気平気。兄ちゃんの顔見ろよ。緊張でこっちの声なんて聞こえてねえって。」
 舞台に上がったエディンは、村人の言うように緊張の面持ちだった。戴冠式に出られるのは嬉しいが、今朝急に降ってきた話にまだ覚悟がついていないようである。
「へーぇ?…見ものだな。」
 先程まで詰まらなそうにしていたザイールが、一度背凭れから体を起こし、体重移動をして座りなおした。手放さなかったグラスをそっとテーブルに置いて頬杖をつく。
 舞台中央に歩みを進めたエディンは、カードと向かい合うと軽く一礼をして剣を構えた。カードも同時に同じ構えを取る。ワクワクとした周りの空気などチラッとも感じている様子はない。見ればカードの表情にも緊張が窺えた。
 はじめ、と声がかかってゆっくりとした動きで剣先が揺れる。エディンがスッと振りかぶり、カードが受けるために向きを変えた剣に向かって打ち付けた。
 キンッ。
 そして続けて二度三度。
 段取り通りに最後の剣は振り抜こうと少しスピードを付けた剣筋がカードの剣を打つ。
 と、
 カチンとそれは弾き返されてしまった。
「!?」
 驚いてエディンがカードを見遣る。すると彼は勢いよく剣を打ちつけてきた。
 圧されたエディンがよろめいて後退る。
「え?…ちょ、カード…?」
 カードは血糊を払い落とすような仕草でブンと剣を振るうと、切っ先をエディンに向けた。
「簡単に負けてやるつもりはない。戴冠を受けたければ本気で俺を倒せ。」
「え?だってさ、段取りじゃ…。」
 そこで初めて周りの歓声が耳に入った。
「やれやれ!!」
「期待してるぞ!!」
「頑張れ兄ちゃん!!」
 周りを見回せば、明らかに先程までとは違う客席の様相。村長もにっこり笑って頷いている。
「エディン!相手はこっちだろ?構えろ!」
 戸惑いながらもエディンは剣を構え直した。
「マジで?…嘘だろ?」
「真面目だ。俺を倒さなければお前は戴冠を受けられない。つまり、明日からもずっと子供扱いだということだ。」
 そう言われても尚躊躇っているエディンに、カードは一歩近づく。
「お前から来ないなら、こちらから行くぞ。」
「え、ちょ、待ってくれって。何が何だか…。」
「本気の勝負をしようと言っている!!」
 ブンッとカードが牽制の振りを見せると、慌ててエディンは飛びのいた。カードの表情は真剣そのものだ。その腕の筋肉も張りつめたように力が入っているのが見える。
 エディンは訳が分からぬまま、今度こそ真剣に構えを取った。



 目の前にいるのはよく知っている男のはずだ。顔も声も彼のものだ。
 エディンの中で混乱が生まれ始める。

 動きが違う!なんでこうも…!

 まるで見たことのない舞を踊っているかのように、カードは淀みない攻撃を繰り出していた。それに翻弄され、エディンは圧され気味だ。
 普段槍を使っている彼が、剣を使うのを見るのは初めてだった。動きに見覚えがないのも当然である。エディンともザイールとも違う太刀筋は、流派が違うのか独特なものだ。鍔迫り合いも、槍を使っているカードではありえない。槍の柄で剣を真っ向から受けることはまずない。槍を杖代わりにして宙返りでかわすのがカードは得意だった。
「うわっ!!」
 またエディンに剣が迫る。
 剣は儀式用の鈍刀だから肉をそぐことはないものの、当たればもちろん痛い。それよりなにより負けてしまっては戴冠が受けられなくなるというのだから、絶対に負けたくなかった。
「カード…剣を使えるなんて聞いてない、ぞっ!」
 合間を縫ってエディンも攻撃を繰り出すが、まるで当たらない。
「俺がいつ、剣技が苦手だなんて言った?国軍での訓練は剣技が基本だ。ある程度のレベルを越えなければ好きな武器なんて選ばせてもらえない。」
 カチンとエディンの剣を弾いて、カードの剣が弧を描く。寸でのところでそれを避け、身を翻してまた構え直した。
 勝てそうにない、と思ってしまってすぐ、意識してその考えを取り消す。
 キリッと奥歯をかみしめた。

 違う。
 違う奴だ、こいつは。

 構えたまま、しっかりと瞬きをする。視界が遮られたその一瞬に、自分の意識を塗り替える。

 カードじゃない。
 知らない剣士だ。

 ハアッ!!という気合の声とともに覇気を纏う。エディンの周りに一瞬火が走った。



「へぇ?」
 ザイールが口角を上げた。
「やっと本気になりやがったか。」
 そのすぐ傍ではキャムが不安げな眼差しを舞台に向けている。
「なんで?なんで本気でやんなくちゃいけないの?戴冠式、受けさせてあげてよぉ。」
「心配すんな。戴冠は受けれるだろ。ニイちゃんも引き際は心得てるさ。」
 ザイールの言葉に振り返って「ほんと?」と問うと、「応援してやれ。」と返ってきた。
 こくりと頷きはするが、大きな声で応援することは躊躇ってしまう。エディンに勝ってほしい。でも、カードだって大事な仲間だ。エディンを応援したらカードが気を悪くしないだろうか。
 考えあぐねていると、フェリエが言った。
「応援しましょう。カードにはカードの考えがあってのことでしょう。…エディンには強くあってほしいですもの。」
 キャムは唇をキュッと閉じ、真剣なまなざしを彼女に向ける。覚悟を決めるように唾を飲み込んだ。
「うん、応援する。」



 遠くでキャムの声がする。
 それを聞き取っている余裕はないが、応援してくれているのだと分かった。
(負けるもんか!)
 強がりの言葉を意識に上げ、手に力を込める。ブンッと横に振った剣圧が、カードにまっすぐ向かう。
 その攻撃に炎が加わっていることに気付いてカードは踏みとどまった。
「チッ…!!」
 剣圧に圧されぬよう足に力を入れ、思わず槍を体の前で振り回そうとしてしまう。風を起こす槍の防御技だ。
 今手にあるのが剣だと気付いて即座に集中した。
「風よ!!」
 ぶわっと風が沸き起こり、炎を上空に散らした。
「魔法はナシだ!周りに被害が出る。」
「わりぃ、つい。」
 本気になればなるほど魔法の制御は難しい。勝ちたい、倒したいという思いは精霊に伝わり、助力となって表れる。精霊信仰の意識が高いほどそれは顕著だ。
 エディンは軽く表情を崩して苦笑いを見せ、すぐに顔を引き締めた。



 徐々にエディンの動きは良くなっていった。それを感じながらも、まだだ、とカードは思う。
 その程度で倒されるわけにはいかない。家の、国軍兵士の、プライドに懸けて。

 ガシッとまた剣を弾き、相手が体勢を立て直す前に次の攻撃に移る。
 と、よろけたと思ったエディンが後足で踏みとどまった。
「!!」
 即座に振られた剣がカードをかすめた。
 振り始めていた彼の剣はエディンの振りに止められてしまう。
 とっさに後ろに飛んだ。
 びりびりと剣の重みに腕が痺れている。
 もうかなりの時間が経ったというのに、エディンの余力は有り余っているのだということに素直に驚いた。
 カードが優勢なのは経験の差によるものだ。相手の力の隙を突くことを心得ている。鍔迫り合いで力負けしないのは、コツを知っているからだ。
 そのコツをエディンが手に入れれば、恐らくカードよりも上を行くだろう。
 あと数分で終わりを告げる鐘が鳴るはずだ。それまで膝を付く気はない。
 カードは自身を叱咤して切っ先をエディンに向けた。
「ハァッ!!」
「ヤァッ!!」
 両者気合を入れ直し、また打ち合いが始まった。



 村の中央にある鐘が鳴るまさにその瞬間、何度目かの衝撃にカードは膝を付いていた。
 剣を舞台に突き立てて体を支え、肩で息をしながら自分が負けたのだと実感した。
 ハアハアと息を整えてゆっくりと立ち上がる。
 舞台の中ほどに進んでエディンに向かって片膝を付いて恭しく頭を下げる。
「まいりました。」
 そして、頭の中で自分が口にした言葉を反芻した。

 負けた。
 負けたのだ。田舎から出てきた庶民の青年に。
 兵士である自分が。貴族である自分が。
 これまで本気で打ち合ったことがなかったのは仲間を傷つけることを必要以上に気にするエディンの性格の所為だ。手合せの機会に本気でやろうと持ち掛けて了承しても、彼は無意識に力を抜いているようだった。だから実力のほどはモンスターとの戦闘を見て判断するよりなく、カードは自分との比較を互角以下だと思っていた。
 それが驕りだったのかと自分に問いつつ、カードは立ち上がって一礼して舞台から降りる。
 仲間がいる客席のそばを通り、「負けてしまったよ。」と苦笑を見せ、着替えてくると告げて宿に向かった。
 その背中に何か気になるものを感じてフェリエが眺めていると、ザイールが視線も向けずにぶっきらぼうに言った。

「脛と脇腹だ。」
「え?」
 何を言われたか分からずフェリエが振り返ると、面倒臭そうに顔を歪めた。
「脛と脇腹を怪我してるから、治してやれ。ヒーラー。」
 一拍おいてカードが今の勝負で怪我を負ったのだとやっと理解して、彼女は弾かれたように立ち上がった。
「は、はいっ!!」




 部屋に帰ったカードは、胸元を緩めるとベッドに座り込んだ。深い溜め息を吐く。
「プライド、か。」
 勝負を挑もうと思った理由は色々あった。
 実力を知っておきたいというのもその一つだ。エディンに大人になる覚悟を付けさせる為、というのもある。普段は教えていない剣技のコツだって伝えておきたいと前々から思っていた。
 でもその傍らで、彼を見下した部分はなかっただろうか。
 戦闘は荒削り、確かに強いがチーム戦を分かっていない。自分は強いのだという思い上がりも垣間見える彼を、一度叩きのめしたいと思っていたのではないか。
「…思い上がりは俺の方か…。」
 そう呟いた直後、ノックの音が聞こえた。
「フェリエです。よろしいですか?」
 返事を返さずにいると、ノックの主はそう言って返事を待っているようだった。
「あ…ああ、どうぞ。」
「失礼します。」
 入ってきたフェリエは真っ直ぐカードに近づくと、薬袋を探りながら屈み込んだ。
「フェリエ?」
「脛の治療をします。ブーツを緩めてください。どちらの足ですか?」
「え…いや、別にいいよ。大した怪我じゃない。」
「ザイールさんが治してやれと仰ったのです。それなりの怪我なのだと判断します。」
 少々の怪我ならあのザイールがわざわざ魔法を使って治せと言うわけがない。それはカードも納得できることだった。
 数秒の躊躇ののち、カードはブーツのひもを緩めた。
 きつく縛ってあった部分が緩むと急に痛みが戻ってくる。
 眉を顰めたところを丁度フェリエに見上げられ、バツが悪そうに視線を逸らした。
「やはり痛むのですね?いけませんよ、無理をなさっては。」
「…はは、8つも年下に負けたのが恥ずかしくてね。その上、怪我だなんて情けないだろう?」
「勝負は時の運、とも言うじゃありませんか?それに…。」
 慰めの言葉を掛けながら、フェリエは裾をまくって患部をみると、ハッとして言葉を止めた。
「これはいつ?…確か膝を付いたのは、脇腹への攻撃だったと…。」
「ん?…ああ、その数分前かな。」
「よく…立っていられましたね…。」
 先程までブーツで硬く縛ってあった脛は、解放された途端みるみる腫れ上がっていた。骨までは行っていないようだが、衝撃を受けた瞬間膝を付いてもおかしくない怪我だ。
「…意地、だよ。」
「なぜそうまでして…。」
「さあ…俺も知りたいよ。」
 とにかく治療をしましょう、とフェリエは薬をかざして呪文を唱えた。

 脛の痛みが治まると、カードは礼を言って治療を終える風を見せた。
「まだ脇腹の治療をしていませんわ?」
 さあ、脱いでください、とフェリエに促され、カードは力なく笑う。
「そう落ち込ませないでくれるか?」
「え?」
「放っておけば治るよ。…この村の医者に行ってもいいし。…その…あまり無様な姿を身内に見られたくないんだ。」
 フェリエはじっと彼の顔を眺めた。
 気持ちは分かるし、その希望は聞いてもいいのだが、そうしてしまうのが何となく勿体ない気がしていた。
 彼は自分たちのことを身内と呼んだのだ。
 貴族であり兵士である彼は、他のメンバーと違った立場を背負っている分、ドラゴン討伐に至るこの旅の意義を自分たちとは違うところに置いているような気がしていた。それは彼と自分たちの間に見えない壁のようなものだった。
 意義は確かに違うのかもしれない。しかし、それでも仲間だと、身内だと思ってくれているのだと知って、フェリエは嬉しかった。
「…ダメです。私が治療します。大事な仲間なんですもの。さ、お脱ぎになってください!」
 フェリエは微かに悪戯っぽい笑みを浮かべて、ベッドに座るカードを半ば抑え込むようにしながらチュニックの裾をまくりあげる。予想外のことにカードは気圧されて仰向けに肘をついてしまった。
「うわっ…ちょっと、きみっ!」
「大人しくしてください。ほら、こんなに色が変わっているじゃありませんか。治療は早いに越したことはないのですから。」
 しばし抵抗を試みたものの、すでに患部はしっかりと見られている。カードは観念して任せることにした。
 足だけベッドの外に投げ出したまま、仰向けに寝転んでフェリエの詠唱に耳を澄ます。フェリエはすぐ横に腰かけ体をひねるようにして患部に集中する。
 その時、ガチャッとドアが開き…、
「カード!!怪我したんだって!?大丈夫か!?…って…あっ!!ごめん!!」
 バタンとドアはすぐに閉じられた。
 天井を見ていたカードと治療に集中していたフェリエは姿を見なかったが、声はもちろんよく知ったものだ。
「…今の…エディンだったよな?」
「そうですね。どうしたのでしょう。」
 きょとんとして二人は顔を見合わせた。



 エディンは予想通り「怪我をさせてごめん。」と謝りを言った。
 カードは笑って首を横に振る。
「本気の勝負を挑んだのはこっちだ。悪かったな、せっかくの戴冠を。」
「別にいいよ。なんか、村の人たちも楽しんでたみたいだし、戴冠は受けられたし。」
 村人たちはあのあとエディンの勝利をダシに盛り上がっていた。エディンはそこここで引き留められ、賛辞を掛けられて照れ臭い思いはしたものの、それが嬉しくないわけではない。
「戴冠おめでとう。これからは子供扱い出来ないな。」
「ありがとう。あはは、カードは別に子供扱いなんてしてなかっただろ?…ザイールはともかく。」
 そう言って少し離れた場所にいるザイールをチラッと振り返った。
 そして顔を顰める。
「これからは餓鬼扱いされない代わりに、『それでも大人か』とか言われそうだ。」
 エディンの言にカードはクスリと笑った。
「ああ、大いにあり得るな。気を引き締めておくといい。」

 自身の不甲斐なさを痛感する羽目にはなったが、一晩経って、今回の件をカードは間違いではなかったと納得するに至っていた。エディンの中に変化をもたらすきっかけにはなったのではないかと。
 彼には心身ともに強くあって貰わなくてはならない。
 そう思ってから、それは自分も同じなのだと自戒していた。



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