霧の向こう

小休止5


1.高み

 あれを撃て。

 そう言われて真っ先に意識に上がったのは、『無理』の一言だった。
 距離の問題ではない。的が小さすぎるのだ。普通の植物の種とは違い、それは生命の光のようなものを発していて目には入ったが、とても自分の腕で射落とせるものではないと思った。
 でも次の瞬間視界に入ったものは、自らを奮い立たせるのに十分なものだった。
 キャムの後を追って落ちていく種から伸びるもの、それが根だということ、ひいてはあのモンスターはまだキャムを取り込もうとしているのだということが一瞬で分かり、マルタの腕は自然と動いていた。
 この時ほどスムーズに、矢をつがえたことがあったろうか。
 記憶に残らないほどの短時間で、マルタの構える矢は目標に向けての軌道に乗っていた。



 モンスターに憑かれてしまったキャムを残して山を下りる時、マルタはザイールが投げ捨てた小さな枝を拾いあげた。キャムが自分で切り落としたであろう若芽だ。
「んなもん、何の役にも立たねえぞ。」
 そう言われたが、すぐに手を離す気にはなれなかった。
 憑かれた者はモンスターと感覚を共有するのだという。だとしたら…。
「…痛かったかな…。これ…。」
 訊ねるでもなく呟いた言葉に、ザイールはぶっきらぼうに「だろうな。」と答えた。エディンがつらそうに俯いたのが目の端に映る。
 自分の体に刃物を立てるようなものだ。
 伸び出した若芽で自分の異変を知ったキャムは、モンスターの手から逃れようと手裏剣を使った。少し傷をつけただけで痛みが走ったはず。それを必死に、痛みに耐え、切り落としたのである。小さな枝を切り落とすだけで精一杯だったろう。
 いや、むしろ切り落とせたことが不思議なぐらいだ。
 マルタは手の中の小枝をやはり捨てる気になれず、こっそりと胸元に隠した。




 矢は引き込まれるように種に向かって行った。
 マルタは自分でも信じられず暫し呆けていたが、同じく信じられないものを見たというようにカードが呟いたことで我に返った。
 上げた歓声は他人事の様。
 無理もない。マルタには自分が射たという実感がまるでなかった。
 ただ一つ彼女の記憶にあるのは、あり得ない映像だった。

 手のひらに乗せても尚小さい筈の種が、あの瞬間、目の前に拡大されて見えていた。
 色合い、つや、しわの一本一本までもを思い出せる。きっとこの先あの種を見せられることがあったなら、パラサイトオークの種だと言い当てられる、と自信を持って言えるぐらいだ。
 その不思議な映像を何度も頭に思い描きながら、マルタはザイールが以前言っていたことを思い出していた。

『手練れになると、的の方から寄ってくるんだとよ。』

 茶化すようにそう言ったザイールはそれを信じているわけではなく、『言葉のあや』だと思っている様子だった。
 マルタも、きっとそれは名人の技を見た周りの人間が言いだしたことに違いないと思っていたのだが、もしかしたら、と今は思っている。
 的の方から寄ってくる、自分はそれを体験したのではないか。
 勿論その力が身に付いたなどと己惚れるつもりはない。
 あれは何かを呼び寄せたのだと思っている。
 キャムを助けたいという一心が、自分の体を何者かに貸したのだ。その何者かの力を借りて、的が寄ってくるという不思議な体験をしたのだ、と。




 険しい顔で射抜くような視線で目標であるモンスターを見据え、マルタは矢を放った。
 しかしわずかに逸れる。
 今日は調子が悪いと思っているところにザイールが呆れて声をかけた。
「眉間にしわ寄ってんぞ。…あんなもん何度も呼べるもんじゃねえんだよ。お前の腕で撃て。」
 見透かされてしまったことに驚きながら、マルタは苦笑いをして見せた。
 あの不思議な感覚は、もう味わえないのだろうか。少々残念に思う。
「先は長いだろうが。」
 慌てることはないのだと諭され、マルタは肩の力を抜いた。

 ひゅうっと風を切って矢が飛んでいく。
 今度は外さなかった。





2.巡らせる思考
 あの技は?とフェリエはザイールに訊ねた。
 キャムを助けた時、フェリエの魔法と同時に放った技のことだ。
「あ?…あぁ、隷属蓮華。闇属性の大して威力の無い技だ。」
 威力がない技は使う機会が極端に少ない。他の目立った技を使い尽くした後だったから思い出したが、そうでなければもう使う気のない技だった。そして、ザイール自身、その技の特性をはっきりとは理解していなかったため、まさかあんな効果があろうとは夢にも思わなかったのだ。
「浄化魔法が効くようになると、どうしてわかったのですか?」
 聞かれてザイールは微かに顔を顰めた。
「ニイちゃんの魔法が効いたろ。アレだよ。」
 そう答えはしたが、フェリエの望む返事ではないのは解っている。
 たまたま合わさったカードの風技が、パラサイトオークにダメージを与えた。だから賭けてみようと思ったに過ぎない。それを言ってしまっていいものかと思案しながらフェリエの反応を待った。
「それは解りますが、風の魔法と浄化魔法ではまるで種類が違います。それをどうして…。」
「あー…。」
 やはり突っ込んで聞いてきたかと、ザイールは人差し指でこめかみを掻きながら言葉を探す。
 こういうやり取りは面倒だ。好奇心のある若者はこういう聞き方をしてくることが多い。物事には必ず明確な答えがあると思っている節がある。そんなときに賭けだのなんだのという答えを返すと、さらに面倒な論争が始まりかねない。特にこの目の前の人物は、『賭け』などという不確かなものに自身の魔力全部を託したことを良く思わないだろう。
 エディン相手ならいくらでも突っぱねるが、フェリエ相手にはそうはいかないと思っている。それは単に女だからと言う理由もなくはないが、エディンを中心にまとまっているかのように見えるこのグループを支えているのが、実はこのヒーラーなのではないかと最近思い始めたところだからだ。
「風の精霊と光の精霊の相性がいいって話…知ってるか?」
「聞いたことはありますが、それは俗説です。教会ではそういう見方はしていません。」
「まあ、な。でも、何でもかんでも教会が正しいってのはどうかね。自然界で尊ばれる二大精霊だ。相性が悪いってこたねえだろ?」
 ザイールの言葉に、フェリエは意外そうな顔をして目をぱちくりとさせる。
「正しくは、水と光を二大精霊と呼びます。勿論風も重要な精霊ですが…。」
 そうだったか、と明後日の方向を向く目の前の男が、何故そんな間違いを口にしたのか、彼女には解らなかった。
「植物が育つのに必要な水と光を崇める意味で、その二つが二大精霊と呼ばれています。肥沃な土地を創る闇と大気を清浄に保つ風がその補佐だとされていて…。」
 まるで授業をするかのように話し出したフェリエの見えない方向で、ザイールは微かに口角を上げる。
「あ~、わかったわかった、次までに勉強しとくさ。」
 じゃあな、とザイールは面倒臭そうな様子を見せてフェリエの前から立ち去った。
 彼女が精霊信仰についての見解について気にかかって、暫くの間、話を逸らされたことに気付かずにいてくれることを期待しながら。





3.エディン
「てめぇ、あの程度の攻撃も受け止められねぇのかよ。」
 モンスターを倒し終わった直後ザイールが言った言葉に、エディンは眉を顰めて口を開きかけた。
 その戦闘で、エディンは軽い攻撃を無理して避けていた。それはその攻撃が強いものか弱いものか判別がつかなかったからだ。そのモンスターが同じような動きで強力な攻撃を何度か出したのを見ている。その違いが彼には解らなかった。
 それを言ってしまいそうになって口を噤む。
 数秒の思案ののち、エディンは眉間に寄せたしわを緩めた。
「悪い。次からは気を付ける。」
 周りにいた全員が彼に注目して、小言を言ったザイール本人が今度は訝しげに眉を顰める。
「…なんだよ、気持ちわりぃな。」
「いいだろ?…マルタに倣ってみようと思っただけだ。」
 あたし?とマルタが不思議そうに自分を指さすと、エディンはニッと笑った。
「マルタは成長が早いだろ?どんどん腕上げてさ。きっと素直に人の話聞いてるからだ。」
「あたし、素直に聞いてる?」
 今度はザイールに向かってそう訊ねる。
 ザイールは「さあな。」と言って背を向けたが、それはエディンと同じ見解だからだろう。
 マルタはザイールに何か言われる度その殆どに文句を返しはするが、根が素直なのか、最終的にその言葉をきちんと受け止めている。それに引き換え自分は、とエディンは思っていた。
 元々馬が合わないと感じていた所為もあって、ザイールの言葉の殆どを嫌味や揶揄のような嫌がらせとしか受け取っていなかった。その真意がどうであれ、後から思い返せば年長者としての当然の苦言だったり、受け取り方次第ではアドバイスと言ってもいい内容だったりする。
 そんなことに最近気付き始めていた。
(モンスターの動きを見ろということだ。小さな違いに気付けるぐらいにしっかりと。)
 先ほどの嫌味をそう受け止める。
 ザイールが自分の成長を期待している、なんてことは信じられない。それを聞いてみたところで、ザイールは否定するだけだろう。実際、嫌がらせなのかもしれないのだし。
 それでも、とエディンは思う。
 嫌味も小言も苦言も罵声も、自分の問題としてきちんと受け止めよう。それが成長につながるのだ。


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