霧の向こう
小休止4
1.連携
生贄だという噂のせいで一時の不安に襲われたものの、それを否定できる小さな証拠が見つかり、皆ホッとして部屋に戻っていく。
フェリエは、今後のことを考えると自分たちはもっと精進しなくてはいけないのだと改めて思っていた。
例えば、連携技。
皆、時として偶然に連携技を生み出すことがある。ああいったものをもっと積極的に探すべきではないだろうか。
「…あ……。」
ふとあることを思い出した。
コンコンとノックをすると、部屋の主はすぐに顔を出した。
「ああ、ネェちゃんか。なんか用か?」
ザイールは背中をドアのふちに預け、手首に着けているリストガードを外しながらそう聞いた。もう寝る準備をしていたのだろう。胸元も緩んでいて肌が少し覗いている。
「あの…実は少々お尋ねしたいことが…。」
「ふーん?」
ザイールは意外だという風な顔で先を促した。これまで苦言しか言われたことがない身では不思議に思っても仕方がないというものだ。
「あの時の…。」
フェリエが思い出したのは、山頂の村からグライダーで飛んだときのことである。
皆とはぐれての道中でモンスターに出くわしたとき、ステルスで二人の気配を消して事なきを得たのだが、あれは自分の力もかかわっているのだろうかと。
「呼吸を合わせろとおっしゃいましたでしょう?もし私の呼吸が合わなかったら、あの魔法はあなたの姿しか隠さなかったのでしょうか…?」
問われてザイールはとぼけた表情をする。
「さあな。まあ、俺の知ってる限り、ステルスってのは自分の気配を消すだけの魔法だ。あんときゃいちかばちかやってみたがな。」
やはり、と言ったフェリエにザイールは眉を顰めた。
「何がやはりなんだよ。」
「あれは連携技に似た効果が出たのではないかと思ったのです。」
「連携技?…ああ、あの餓鬼どもがたまにやってる奴か。」
頷いて自分の考えを話す。
これまで見てきた限り、連携技というのは二人の力をより増大させることができるもののようだ。きっとドラゴン討伐に役に立つに違いない。
「もしかしたらあのステルスも、鍛えれば全員を覆ってしまうぐらいになるかもしれません。」
今自分たちの中で一番強いのはザイールだ。そのザイールが連携技を使えば、心強いことこの上ない。フェリエがこんな話をしにきたのは、彼にもそういうことを視野に入れておいてほしいと思ってのことだった。
へぇ?とザイールは口角をわずかに上げた。
「なら、鍛錬ってのをやっとかなきゃあな。」
「ええ、そう思います。」
「ならさっそく。」
「え?」
一歩踏み出したザイールが自分に迫ってくるのを察して、フェリエは戸惑いながら身を退く。と、壁に追い詰められてしまった。
「あ…あの…。」
「鍛錬、だろ?」
ステルスの魔法を使おうとしているのだとわかって慌てる。
「あ、あのっ、今やる必要はないかと!」
「善は急げっていうだろ。」
「練習はいつでもできると思いますっ!」
「こういうことを人前でやるのか?」
さらに体が近づき、耳元に囁かれてしまう。
「息を合わせろ。」
どきりと鼓動が高鳴り、身を硬くした。
言われた通り、息を合わせようとしてハタと気づく。
「あのっ!このような態勢でやる必要はないのではないでしょうか!」
目を瞑ってザイールの体をグイッと押すと、くつくつと堪えるような笑い声が降ってきた。
見上げれば楽しげな顔。
フェリエはムッと見返した。
「お?意外にすぐ気付いたな。」
「私は真面目な話をしに来たのです!!」
「へいへい、心得とくよ。」
いい加減な返事を返してザイールは部屋に入っていく。
フェリエは攻撃魔法を唱えたい衝動に駆られたが、後ろ姿を睨みつけて思い留まった。
2.師弟
「ねえ、オジサン。」
ノックもせずに、マルタは無遠慮にドアを開けた。
「んだよ…。」
心底面倒臭そうに返したザイールの様子などお構いなしで、彼女は部屋の中に入って椅子に陣取る。
「ちょっといい?」
「テメェな…座ってから聞くかよ。」
「んじゃ、聞きたいことあるんだけどさ。」
チッと舌打ちしてザイールはベッドに腰掛けた。なんだよ、と問えば、ちょっとね、とマルタは口ごもる。
ザイールは呆れて、手近にあった煙草に手を伸ばした。
「あ、ベッドで吸っちゃいけないんだよ?」
「…知ってるよ。」
「はい。」
渡しなさいとでも言うように差し出された手を無視して、ザイールは仕方なく煙草を仕舞った。
「で、何の用だよ。」
「…うーん。」
「出てけ。」
「あ、用事あるんだってば。」
「ならさっさと言え。」
オジサンってさ、とマルタは言った。
何でも知ってて何でもできるじゃん?なんで?どうすればそんなになれるの?勉強いっぱいしたの?偉い先生のところで修行したの?それとも元々頭いいの?
「何かと思えばくだらねえ。どうでもいいだろ。部屋に帰って寝ろ。」
無碍もなく言い放たれた返事に、マルタはムッとして顔を背けた。
「くだらなくないもんっ!」
「くだらねえな。」
マルタの言いたいことは分かる。同じように勉強すれば自分もそうなれると思ってのことだろう。しかし、ザイールには特にこれという答えはなかった。ただ年を重ねてきただけだ。強いて言うなら、今マルタがザイールに付いてやっていることこそ、重ねる年の土台となっていくだろうということ。
無視してベッドに入ろうとするザイールに、マルタは「だってさぁ…。」と拗ねたように言った。
「国の話とかさ、さっきの。なんで知ってんの?モンスター狩って生きてく分にはそんな知識要らないじゃん。ザイールって何でも知ってるの?」
数刻前カードに話したことを持ち出され、ザイールは顔を顰めた。それこそ、いい加減なことを言っただけで別に知識でも何でもないのだ。
ガシガシと頭を掻いて唸る。
面倒臭いと思いながら、この娘の知識欲をどうするか思案した。
「あー…たとえば、だ。」
「たとえば。」
「こないだの種取ってくる仕事ん時。」
うんうん、とマルタは身を乗り出している。ザイールの言うことは何でも興味をそそるらしい。
「俺は俺の持ってる知識で情報を買って、お前の買った情報と併せて種の場所を推察したよな?」
「うん。」
「俺はたまたまガザクイの存在を知っていた。でも、それを知らなくても俺としては問題はねえ。」
「問題ない?」
「お前の買ってきた情報だけでも、三ヶ所ぐらいには絞れただろ。そこで、お前からどこがいいかって聞かれたら、俺はこう答えればいい。」
じっと見返してくるくりっとしたマルタの目に、不敵な笑みを返してやる。
「『そんなことも解んねえのか、バーカ。』もしくは、『自分で答えを見つけなきゃ意味がねえだろ。』」
「…え?」
「それで、俺は『その先の知識はあるけど教える気はない』という体を保てるって寸法だ。」
「え!?」
「『一から十まで聞くつもりか?』でもいいな。」
ガタンと椅子を鳴らしてマルタは立ち上がった。
そのセリフには聞き覚えがある、というか、どれもザイールがよく言う言葉だ。
「ぇええ!?」
一番思い当たるのは、最初に弓を教えてもらった時。
基礎の基礎だけを教えられ、後は試行錯誤していくしかなかった。「わからない」と言おうが何と言おうが、ザイールは詳しいことを教えてくれず、「そのくらい自分で考えろ」と言うばかりだった。
「じゃあ、弓の知識って…。」
「得意分野じゃねえって最初に言ったはずだ。自分では殆どやったことがねえ。」
そういえば一度も見本は見せてくれなかった。やって見せてくれと頼んだこともあったが、「人がやってんのを見てうまくなるならだれも苦労しねえよ。」と返されて終わりだった。
「でも、構え方とか教えてくれたじゃん。」
「んなもん聞きかじりで覚えてただけだ。あとは大体の予想。まあ、弓の腕はお前の方が格段に上だろうな。」
ザイールの知識量が膨大に見えるのは、その聞きかじりをたくさんストックしてあるからなのだろう。
マルタの中で今までイメージしていたザイールの姿というのがバラバラと崩れていく気がした。
このところ彼女はあまり口答えしなくなっていた。それはザイールのことを崇拝めいた目で見ていたところがあったからだ。ザイールの方はというと、そんなマルタを都合がいいと放っておいたのだが、半面、従順なマルタを少々つまらなく感じていたところもある。
愕然とするマルタを、ザイールはくつくつと笑って見上げていた。
3.喧嘩
きっかけは些細なことだった。
沢の近くを歩いているときに出てきた水生モンスターの鱗が普通のものと違い珍しい色をしている、とザイールが言った。
高く売れるからと早速攻撃をかけたのだが、思いのほか足が速くて逃げられそうになり、慌てたエディンが炎の大技で仕留めたのだ。水生モンスターは炎に弱い。当然鱗は売り物にならなくなってしまった。
それをいつものようにザイールが散々に貶し、対するエディンは自分の失敗は認めてもザイールの言いように憤慨して売り言葉に買い言葉の応酬である。
「大体、あんたなし崩しで俺たちについてきてるけどな、俺はあんたを仲間にするなんて言った覚えはないぞ!」
「生贄の話にビビってたくせに。あんとき仲間が欲しいって顔に書いてあったぜ?」
「ビビってたのはカードだろ!?」
キャムとフェリエが心配そうにカードを覗き込むと、彼は苦笑いだ。皆エディンが本心で言っているわけではないことは分かっている。勢いで言ってしまっただけだ。
「そうかよ。ならお前らだけで行くってんだな?」
「あんたとは行かないって言ってんだ!!他で探すさ!」
「好んで生贄になりに行くやつなんているかよ。」
「勝てばいいんだろ!?」
実際のところ、生贄の噂が広まったこの地で仲間を探すのは難しいだろう。
「お前の足りない頭で勝てるとは思えねえな。」
一層不愉快な顔をして、エディンは小さく唸った。
「あ~ぁ、そう言えばあんた何とでもなるって言ってたな。どう何とでもするのか聞かせてもらおうか。」
ザイールは肩を竦め、面倒臭そうに踵で岩をけって靴の汚れを落とした。エディンは返答に困っているのかと口角を上げたが、ザイールの方も表情は余裕だ。
「聞きたいんなら教えてやるよ。俺は今のこのメンバーでもターゲットを殺る方法を知ってる。」
「はっ、どうだか。」
エディンも肩をすくめて見せる。ザイールは続けた。
「まず、国軍兵士を100人連れて山に入る。で、雑魚のドラゴンが集まってきたところでその中の10人をそこに置き去りにして先に進む。次にドラゴンが出てきたときも10人、その次も10人、俺らは無傷でターゲットのとこへ行きつくことができる。残った兵士を盾にしてターゲットと戦い、倒した後はグライダーで逃げ出しゃあいい。それで任務は達成だ。」
それには全員が驚愕の色を見せた。
「そんなこと!!」
エディンが握り拳を震わせる。
「やるわけないだろ!?金がもらえりゃ人を犠牲にしても平気なのかよ!あんたは!!」
にやっと笑って、ザイールは「お前が聞きたいって言うから、教えてやったまでだ。」と嘯いた。
「あー、もうやってらんねえ!!」
エディンは拳を側の岩壁に打ち付け、背中を向けた。
「あんたとは組まない!」
「お前にそんな権限あんのかよ。」
「討伐隊の任命を受けたのは俺だ!報奨金が欲しけりゃあんたは別でやってくれ!」
「ああ、俺もお前なんかと仲良く生贄になるのはごめんだな。」
「行くぞ!みんな!」
歩き出そうとするその背中に、ザイールは馬鹿にしたような声を投げかける。
「全員がお前についてくと思ってんのか?よう、ニィちゃん、お前は家のために名を上げるんだろうが。そいつと行って生贄になるより、ちゃんと討伐して帰った方が名誉だろ?俺と来いよ。そんな餓鬼の子守はもうウンザリだよな?」
はあ、とカードは深くため息を吐いた。
「あんたな、そういう言い方やめろよ。エディンも、とにかく落ち着けって。」
カードが仲裁をしようとしたことに、エディンは小さなショックを受ける。このやり取りを見て、ザイールの味方をする者がいるとは少しも思っていなかったからだ。当然自分が擁護されるべきで、皆この男と手を切ることを賛成してくれると思っていた。
「…カードは家のことがあるもんな。いいよ、好きにすれば。」
「俺はそんなこと言ってないだろ。喧嘩すんなって言ってるんだ。」
「喧嘩?ただの喧嘩だっていうのかよ。このオッサンは金のために国軍兵士を犠牲にするって言ったんだぞ!?」
「落ち着けって、今の俺たちの力じゃあって話だ。本気でそんなことするわけないだろ?」
「わかるもんか。俺は組まない。いいさ、みんな好きにすればいいじゃないか。俺と組む奴は俺とくればいいし、オッサンに付くんならそうすれば。」
言ってエディンは歩き出してしまった。
キャムが不安げに追いすがる。
「エディン…。」
キャムがついてきていることにホッとして、エディンは歩調を速めた。
ふん、と笑ってザイールは反対側に足を向ける。
残された3人は顔を見合わせて溜め息を吐いた。
「なあ、あんたも大人なんだからさ、もうちょっと…。」
カードが後ろから声をかけると、ザイールは意外そうな顔をして振り返った。
「お前、マジでこっちに付く気か?」
ムッと睨んで立ち止まる。
「仲裁する気だ!」
「無理だな。あんな餓鬼に合わせんのはごめんだ。」
追い払うように片手をふいっと上げて見せ、ザイールは先に進む。
待てよ、とカードは更に追った。その後ろにはマルタが困り顔でついてきていた。
しばらく歩いて少し開けた場所に出ると、ザイールは立ち止まって岩に腰かけた。カードはその前まで歩み寄る。
「なあ、頼むからさ、折れてくれよ。アイツまだ…子供だからさ。」
「ああ、どうしようもねえ餓鬼だな。」
「またそういうことを…。」
程近いところにマルタも腰を掛ける。
マルタは二人の会話に口を出す気はなかった。出せる材料もない。ただどちらに付くかと言われれば、今はザイールに付くつもりでいた。
エディンにも恩は感じているものの、マルタにとってザイールは師匠ともいうべき存在だ。彼がどういう人物かというのをメンバーの中で一番理解しているだろう。口は悪くても、言っていることはほぼ正論だと感じていた。一般的に言ってどうかというのはマルタには解らないところも多かったが、ザイールの言には何でも頷けてしまうのだ。
勿論仲直りしてくれれば助かる。でも彼女は仲裁をするだけの立場も言葉も持ち合わせてはいなかった。
「俺はな、ニィちゃん。夢だの希望だの可能性だのを武器にする餓鬼が大嫌いなんだよ。人間の価値ってのは結果だ。これからどうなるとかこの先大人になるとか言われても信用できねえな。」
前に立つカードを不敵な笑みで見上げているザイールは、折れる気がなさそうだ。
またひとつ溜め息を吐いてカードは言葉を探した。ふと視界の端にマルタの姿を捕らえる。
「…じゃあ、彼女は?彼女も餓鬼だろ。なんであんた、面倒見てんだよ。」
「言ったろ。結果だ。そいつは結果を出す。この先はどうか知らねえが、取り敢えずこれまで俺の教えたことに対して必ず結果を出してきた。面白いぐらいにな。」
「エディンだって…。」
「あいつにゃ無理だ。」
「そんなことないだろ。」
「そもそもあいつは俺の話を聞く気がねえ。勝手に突っ走って勝手に自滅すりゃいい。」
暫しカードは口を結んだ。きっと唇を引き締める。
「…それは、大人のエゴだ。」
ザイールは眉を顰めて見返した。こいつも結局はあの餓鬼と変わらないのかと少々残念な気持ちになりながら。
カードはしっかりと視線を合わせ、毅然と言う。
「自分に従う者だけが正しくて、反発する者は間違ってるって言ってるのと同じだ。そんなのおかしいだろ。あんたは大人で、子供が成長するのを知ってる。色んな奴を見てきたはずだろ、世話をしたことはないにしても。くだらない大人に成長する奴もいるが、少なくともエディンは道から外れたことをするような大人にはならない。俺はそう信じてる。あんたにだって判るはずだ。アイツが身に付けているのは強さだけじゃない。ちゃんと正しさを見極められる力を身に付けている。身に付けていける。」
ザイールも暫しの間をおいて、口角をわずかに上げた。
「甘いな、ニィちゃん。俺が求めてんのは正しさなんてもんじゃない。結果だけだ。どんな卑怯な手を使ってでも結果を出す、その覚悟だ。」
「…そんな…そんなふうにはならない…。」
「だろうな。」
「でも、結果は出すよ。卑怯な手を使わずに。」
「世の中そんなに甘いもんじゃねえんだよ。」
ザイールの言うことが分からないではなかった。カードは貴族社会を間近で見ている。そこには地位の奪い合いや策略が渦巻いていた。現実というのは理想では片付かないものだ。
でも、と思う。
理想を忘れてしまったら世界は暗く混沌としたものになる。そんな世界は嫌だと思うから、人は理想を持つのではないか。いつか理想を現実のものにしようと、そういう人がいるから、今の世界が保たれているのではないか。
「みんながみんな、あんたみたいな物わかりのいい大人になったら…きっとつまらない世の中になると思うよ。」
それは素朴な感想だった。言ってしまってから、カードは今の言が仲裁に役立つとは思えず、取り繕おうと言葉を探す。
するとボソッとザイールが呟いた。
「…まあ、確かに…そうかもな。」
その言葉も思わず出したものだったらしい。言ってからザイールは今の言葉を取り消すかのように拳で唇を押さえた。
「だからって、アイツの甘さを容認する気はねえ。」
「容認しろとは言ってないよ。少し長い目で見てやってくれって言ってるんだ。」
ザイールはすぐには言葉を返さなかった。
腰に付けているポーチから煙草を出し慣れた手つきで火をつけると、ふうっと煙を吐き出した。
そして小さな舌打ち。
今まで下を向いていたマルタが視線を上げた。その舌打ちが否定的なものではなく受け入れた証拠であることを、彼女は知っていた。
「カードもマルタも…あのオッサンと行くのか。…なんでだよ。」
自分についてきているのがキャムとフェリエだけだったのがかなり堪えているらしく、エディンは拗ねたように道端の茂みを棒切れで打った。
「…きっとカードは文句言いに行ってるんだよ。ちょっと待ってみよ?」
キャムが取り繕おうとそう言うと、エディンはチラッと一瞥し、すぐ脇の草原にそれて地面に腰を下ろした。
「疲れた…。休む。」
「少し眠ったらいかがですか?疲れているときはいい考えが浮かばないものです。」
「ん。じゃあ寝る。何かあったら起こしてくれ。」
エディンは二人に背を向け、目を瞑る。キャムとフェリエはその程近いところに落ち着いて、音にならない溜め息を吐いた。
「…寝たみたい。」
エディンを覗き込んだキャムが、小さな声でフェリエにそう言った。
二人はまた溜め息を吐き、困ったね、と顔を見合わせる。
「あの方は口が悪いのが困りものですわ。エディンが腹を立てても仕方ないと思います。」
「うん…。確かにエディンが失敗したけどさ…エディンだって謝ってたし、しまったと思ったはずだし…あんなに言うことないよね。」
頷いて、でも、とフェリエが遠慮がちに言った。
「実際問題…この先、ともに討伐に向かう仲間を見つけるのは難しいと思います。あの噂、この北の地ではもう広まりきっているようでしたし…。」
「…じゃあ…。」
「ここはエディンに折れてもらって、あの方を仲間にするしかないと思うのです。」
「あのオジサンの言うように、6人で勝てると思う?」
「…犠牲を払うやり方を選ぶ気はありませんが…、あの方がさっきあのようなことを言ったのは、エディンを怒らせようとしただけじゃないでしょうか。私たちはこれからももっと強くなる筈でしょう?それを考慮に入れれば、あの方は他の策を提示するだけの知識があるのだと思います。もし、マルタさんとカードがこちらに来たとしても、…私たちは若いですわ。知識が足りません。どうしても、助け手が必要になります。」
一層つらそうな顔をしてから、キャムは伸びをするようにして寝転がった。
「仲直りさせるしかないのかぁ…。」
「気が進みませんか?」
「エディンを悪く言う人は嫌い。」
はっきりと言ったキャムに苦笑を向けはしたが、フェリエは彼女の態度に好感を覚えていた。
キャムから見てエディンが頼れるお兄さんであるのと同じく、フェリエにとっても似たようなものだった。年は彼のほうが一つ下ではあるものの、優しさと正義感においては敬意すら持っている。そのエディンを悪く言う人物に好意を抱けるわけがなかった。たとえ正論をかざされても、である。
「私たちだけでは、討伐を果たせないでしょう。そして、今後の人員確保は望めないとなれば…。」
「うん、わかってる。あのオジサン…もうちょっと性格治らないかな…。」
「…それは…難しいでしょうね。」
「うー…先が思いやられる…。」
ブチブチと手に触る草をむしって、キャムは手を握りしめた。
この先、どうすればあの人物とうまくやっていけるのか、ちらっとも思いつかない。自分ができることと言ったら、エディンに味方して喧嘩に加わることぐらいだ。
不意にエディンが起き上った。
二人はハッとして彼を見る。
「行くか。」
「え?」
「行こう。」
それだけを言って歩き出したエディンは、もと来た道を戻りだした。
キャムとフェリエは顔を見合わせ、微かに笑んで後を追った。
しばらく進むと、向こうからカードがやってくるのが見えた。その後ろにはマルタとザイールの姿もある。
無言で近づき、少しの距離を置いて立ち止まった。
エディンはじっと地面に視線をやっていたが、キッと唇に力を入れると、口を開いた。
「…さっきは…。」
「残念だったな。」
ザイールが遮って行った言葉に、エディンは疑問を浮かべた視線を向けた。
「あの鱗、装飾品に加工して女にくれてやると、必ず落とせるって代物だったのに。」
「え?」
「買うにゃ高すぎるが、鱗があれば安く作れる。フェロモンに似た匂いを出してるんだそうだ。惜しいことしたな、お前。」
「フェロモン?」
「ま、迷信ってやつ?おまじないみたいなもんだ。夜伽相手ぐらい見つけられるかもしれなかったのにな。」
「いらねーよ。」
「そうか?昔、商売女んとこ持ってったら先客断って相手してくれたぞ?」
「い、いらねーよ!!」
「どうだか。あぁ、次の街に行ったらいい店紹介してやるぜ。」
「必要ねえからっ!!」
笑い声をたてて歩いていくザイールに文句を言いながら、エディンも同じ方向に歩いていく。
カードは呆れたように肩を竦め、笑ってそのあとについていく。
一拍遅れて女3人がその後を追った。
「ねー、夜伽って何?」
その質問はマルタのものだった。キャムもうんうんと頷いている。
「えー…っとですね…。…寝るときにおとぎ話を読んであげることでしょうか。」
1.連携
生贄だという噂のせいで一時の不安に襲われたものの、それを否定できる小さな証拠が見つかり、皆ホッとして部屋に戻っていく。
フェリエは、今後のことを考えると自分たちはもっと精進しなくてはいけないのだと改めて思っていた。
例えば、連携技。
皆、時として偶然に連携技を生み出すことがある。ああいったものをもっと積極的に探すべきではないだろうか。
「…あ……。」
ふとあることを思い出した。
コンコンとノックをすると、部屋の主はすぐに顔を出した。
「ああ、ネェちゃんか。なんか用か?」
ザイールは背中をドアのふちに預け、手首に着けているリストガードを外しながらそう聞いた。もう寝る準備をしていたのだろう。胸元も緩んでいて肌が少し覗いている。
「あの…実は少々お尋ねしたいことが…。」
「ふーん?」
ザイールは意外だという風な顔で先を促した。これまで苦言しか言われたことがない身では不思議に思っても仕方がないというものだ。
「あの時の…。」
フェリエが思い出したのは、山頂の村からグライダーで飛んだときのことである。
皆とはぐれての道中でモンスターに出くわしたとき、ステルスで二人の気配を消して事なきを得たのだが、あれは自分の力もかかわっているのだろうかと。
「呼吸を合わせろとおっしゃいましたでしょう?もし私の呼吸が合わなかったら、あの魔法はあなたの姿しか隠さなかったのでしょうか…?」
問われてザイールはとぼけた表情をする。
「さあな。まあ、俺の知ってる限り、ステルスってのは自分の気配を消すだけの魔法だ。あんときゃいちかばちかやってみたがな。」
やはり、と言ったフェリエにザイールは眉を顰めた。
「何がやはりなんだよ。」
「あれは連携技に似た効果が出たのではないかと思ったのです。」
「連携技?…ああ、あの餓鬼どもがたまにやってる奴か。」
頷いて自分の考えを話す。
これまで見てきた限り、連携技というのは二人の力をより増大させることができるもののようだ。きっとドラゴン討伐に役に立つに違いない。
「もしかしたらあのステルスも、鍛えれば全員を覆ってしまうぐらいになるかもしれません。」
今自分たちの中で一番強いのはザイールだ。そのザイールが連携技を使えば、心強いことこの上ない。フェリエがこんな話をしにきたのは、彼にもそういうことを視野に入れておいてほしいと思ってのことだった。
へぇ?とザイールは口角をわずかに上げた。
「なら、鍛錬ってのをやっとかなきゃあな。」
「ええ、そう思います。」
「ならさっそく。」
「え?」
一歩踏み出したザイールが自分に迫ってくるのを察して、フェリエは戸惑いながら身を退く。と、壁に追い詰められてしまった。
「あ…あの…。」
「鍛錬、だろ?」
ステルスの魔法を使おうとしているのだとわかって慌てる。
「あ、あのっ、今やる必要はないかと!」
「善は急げっていうだろ。」
「練習はいつでもできると思いますっ!」
「こういうことを人前でやるのか?」
さらに体が近づき、耳元に囁かれてしまう。
「息を合わせろ。」
どきりと鼓動が高鳴り、身を硬くした。
言われた通り、息を合わせようとしてハタと気づく。
「あのっ!このような態勢でやる必要はないのではないでしょうか!」
目を瞑ってザイールの体をグイッと押すと、くつくつと堪えるような笑い声が降ってきた。
見上げれば楽しげな顔。
フェリエはムッと見返した。
「お?意外にすぐ気付いたな。」
「私は真面目な話をしに来たのです!!」
「へいへい、心得とくよ。」
いい加減な返事を返してザイールは部屋に入っていく。
フェリエは攻撃魔法を唱えたい衝動に駆られたが、後ろ姿を睨みつけて思い留まった。
2.師弟
「ねえ、オジサン。」
ノックもせずに、マルタは無遠慮にドアを開けた。
「んだよ…。」
心底面倒臭そうに返したザイールの様子などお構いなしで、彼女は部屋の中に入って椅子に陣取る。
「ちょっといい?」
「テメェな…座ってから聞くかよ。」
「んじゃ、聞きたいことあるんだけどさ。」
チッと舌打ちしてザイールはベッドに腰掛けた。なんだよ、と問えば、ちょっとね、とマルタは口ごもる。
ザイールは呆れて、手近にあった煙草に手を伸ばした。
「あ、ベッドで吸っちゃいけないんだよ?」
「…知ってるよ。」
「はい。」
渡しなさいとでも言うように差し出された手を無視して、ザイールは仕方なく煙草を仕舞った。
「で、何の用だよ。」
「…うーん。」
「出てけ。」
「あ、用事あるんだってば。」
「ならさっさと言え。」
オジサンってさ、とマルタは言った。
何でも知ってて何でもできるじゃん?なんで?どうすればそんなになれるの?勉強いっぱいしたの?偉い先生のところで修行したの?それとも元々頭いいの?
「何かと思えばくだらねえ。どうでもいいだろ。部屋に帰って寝ろ。」
無碍もなく言い放たれた返事に、マルタはムッとして顔を背けた。
「くだらなくないもんっ!」
「くだらねえな。」
マルタの言いたいことは分かる。同じように勉強すれば自分もそうなれると思ってのことだろう。しかし、ザイールには特にこれという答えはなかった。ただ年を重ねてきただけだ。強いて言うなら、今マルタがザイールに付いてやっていることこそ、重ねる年の土台となっていくだろうということ。
無視してベッドに入ろうとするザイールに、マルタは「だってさぁ…。」と拗ねたように言った。
「国の話とかさ、さっきの。なんで知ってんの?モンスター狩って生きてく分にはそんな知識要らないじゃん。ザイールって何でも知ってるの?」
数刻前カードに話したことを持ち出され、ザイールは顔を顰めた。それこそ、いい加減なことを言っただけで別に知識でも何でもないのだ。
ガシガシと頭を掻いて唸る。
面倒臭いと思いながら、この娘の知識欲をどうするか思案した。
「あー…たとえば、だ。」
「たとえば。」
「こないだの種取ってくる仕事ん時。」
うんうん、とマルタは身を乗り出している。ザイールの言うことは何でも興味をそそるらしい。
「俺は俺の持ってる知識で情報を買って、お前の買った情報と併せて種の場所を推察したよな?」
「うん。」
「俺はたまたまガザクイの存在を知っていた。でも、それを知らなくても俺としては問題はねえ。」
「問題ない?」
「お前の買ってきた情報だけでも、三ヶ所ぐらいには絞れただろ。そこで、お前からどこがいいかって聞かれたら、俺はこう答えればいい。」
じっと見返してくるくりっとしたマルタの目に、不敵な笑みを返してやる。
「『そんなことも解んねえのか、バーカ。』もしくは、『自分で答えを見つけなきゃ意味がねえだろ。』」
「…え?」
「それで、俺は『その先の知識はあるけど教える気はない』という体を保てるって寸法だ。」
「え!?」
「『一から十まで聞くつもりか?』でもいいな。」
ガタンと椅子を鳴らしてマルタは立ち上がった。
そのセリフには聞き覚えがある、というか、どれもザイールがよく言う言葉だ。
「ぇええ!?」
一番思い当たるのは、最初に弓を教えてもらった時。
基礎の基礎だけを教えられ、後は試行錯誤していくしかなかった。「わからない」と言おうが何と言おうが、ザイールは詳しいことを教えてくれず、「そのくらい自分で考えろ」と言うばかりだった。
「じゃあ、弓の知識って…。」
「得意分野じゃねえって最初に言ったはずだ。自分では殆どやったことがねえ。」
そういえば一度も見本は見せてくれなかった。やって見せてくれと頼んだこともあったが、「人がやってんのを見てうまくなるならだれも苦労しねえよ。」と返されて終わりだった。
「でも、構え方とか教えてくれたじゃん。」
「んなもん聞きかじりで覚えてただけだ。あとは大体の予想。まあ、弓の腕はお前の方が格段に上だろうな。」
ザイールの知識量が膨大に見えるのは、その聞きかじりをたくさんストックしてあるからなのだろう。
マルタの中で今までイメージしていたザイールの姿というのがバラバラと崩れていく気がした。
このところ彼女はあまり口答えしなくなっていた。それはザイールのことを崇拝めいた目で見ていたところがあったからだ。ザイールの方はというと、そんなマルタを都合がいいと放っておいたのだが、半面、従順なマルタを少々つまらなく感じていたところもある。
愕然とするマルタを、ザイールはくつくつと笑って見上げていた。
3.喧嘩
きっかけは些細なことだった。
沢の近くを歩いているときに出てきた水生モンスターの鱗が普通のものと違い珍しい色をしている、とザイールが言った。
高く売れるからと早速攻撃をかけたのだが、思いのほか足が速くて逃げられそうになり、慌てたエディンが炎の大技で仕留めたのだ。水生モンスターは炎に弱い。当然鱗は売り物にならなくなってしまった。
それをいつものようにザイールが散々に貶し、対するエディンは自分の失敗は認めてもザイールの言いように憤慨して売り言葉に買い言葉の応酬である。
「大体、あんたなし崩しで俺たちについてきてるけどな、俺はあんたを仲間にするなんて言った覚えはないぞ!」
「生贄の話にビビってたくせに。あんとき仲間が欲しいって顔に書いてあったぜ?」
「ビビってたのはカードだろ!?」
キャムとフェリエが心配そうにカードを覗き込むと、彼は苦笑いだ。皆エディンが本心で言っているわけではないことは分かっている。勢いで言ってしまっただけだ。
「そうかよ。ならお前らだけで行くってんだな?」
「あんたとは行かないって言ってんだ!!他で探すさ!」
「好んで生贄になりに行くやつなんているかよ。」
「勝てばいいんだろ!?」
実際のところ、生贄の噂が広まったこの地で仲間を探すのは難しいだろう。
「お前の足りない頭で勝てるとは思えねえな。」
一層不愉快な顔をして、エディンは小さく唸った。
「あ~ぁ、そう言えばあんた何とでもなるって言ってたな。どう何とでもするのか聞かせてもらおうか。」
ザイールは肩を竦め、面倒臭そうに踵で岩をけって靴の汚れを落とした。エディンは返答に困っているのかと口角を上げたが、ザイールの方も表情は余裕だ。
「聞きたいんなら教えてやるよ。俺は今のこのメンバーでもターゲットを殺る方法を知ってる。」
「はっ、どうだか。」
エディンも肩をすくめて見せる。ザイールは続けた。
「まず、国軍兵士を100人連れて山に入る。で、雑魚のドラゴンが集まってきたところでその中の10人をそこに置き去りにして先に進む。次にドラゴンが出てきたときも10人、その次も10人、俺らは無傷でターゲットのとこへ行きつくことができる。残った兵士を盾にしてターゲットと戦い、倒した後はグライダーで逃げ出しゃあいい。それで任務は達成だ。」
それには全員が驚愕の色を見せた。
「そんなこと!!」
エディンが握り拳を震わせる。
「やるわけないだろ!?金がもらえりゃ人を犠牲にしても平気なのかよ!あんたは!!」
にやっと笑って、ザイールは「お前が聞きたいって言うから、教えてやったまでだ。」と嘯いた。
「あー、もうやってらんねえ!!」
エディンは拳を側の岩壁に打ち付け、背中を向けた。
「あんたとは組まない!」
「お前にそんな権限あんのかよ。」
「討伐隊の任命を受けたのは俺だ!報奨金が欲しけりゃあんたは別でやってくれ!」
「ああ、俺もお前なんかと仲良く生贄になるのはごめんだな。」
「行くぞ!みんな!」
歩き出そうとするその背中に、ザイールは馬鹿にしたような声を投げかける。
「全員がお前についてくと思ってんのか?よう、ニィちゃん、お前は家のために名を上げるんだろうが。そいつと行って生贄になるより、ちゃんと討伐して帰った方が名誉だろ?俺と来いよ。そんな餓鬼の子守はもうウンザリだよな?」
はあ、とカードは深くため息を吐いた。
「あんたな、そういう言い方やめろよ。エディンも、とにかく落ち着けって。」
カードが仲裁をしようとしたことに、エディンは小さなショックを受ける。このやり取りを見て、ザイールの味方をする者がいるとは少しも思っていなかったからだ。当然自分が擁護されるべきで、皆この男と手を切ることを賛成してくれると思っていた。
「…カードは家のことがあるもんな。いいよ、好きにすれば。」
「俺はそんなこと言ってないだろ。喧嘩すんなって言ってるんだ。」
「喧嘩?ただの喧嘩だっていうのかよ。このオッサンは金のために国軍兵士を犠牲にするって言ったんだぞ!?」
「落ち着けって、今の俺たちの力じゃあって話だ。本気でそんなことするわけないだろ?」
「わかるもんか。俺は組まない。いいさ、みんな好きにすればいいじゃないか。俺と組む奴は俺とくればいいし、オッサンに付くんならそうすれば。」
言ってエディンは歩き出してしまった。
キャムが不安げに追いすがる。
「エディン…。」
キャムがついてきていることにホッとして、エディンは歩調を速めた。
ふん、と笑ってザイールは反対側に足を向ける。
残された3人は顔を見合わせて溜め息を吐いた。
「なあ、あんたも大人なんだからさ、もうちょっと…。」
カードが後ろから声をかけると、ザイールは意外そうな顔をして振り返った。
「お前、マジでこっちに付く気か?」
ムッと睨んで立ち止まる。
「仲裁する気だ!」
「無理だな。あんな餓鬼に合わせんのはごめんだ。」
追い払うように片手をふいっと上げて見せ、ザイールは先に進む。
待てよ、とカードは更に追った。その後ろにはマルタが困り顔でついてきていた。
しばらく歩いて少し開けた場所に出ると、ザイールは立ち止まって岩に腰かけた。カードはその前まで歩み寄る。
「なあ、頼むからさ、折れてくれよ。アイツまだ…子供だからさ。」
「ああ、どうしようもねえ餓鬼だな。」
「またそういうことを…。」
程近いところにマルタも腰を掛ける。
マルタは二人の会話に口を出す気はなかった。出せる材料もない。ただどちらに付くかと言われれば、今はザイールに付くつもりでいた。
エディンにも恩は感じているものの、マルタにとってザイールは師匠ともいうべき存在だ。彼がどういう人物かというのをメンバーの中で一番理解しているだろう。口は悪くても、言っていることはほぼ正論だと感じていた。一般的に言ってどうかというのはマルタには解らないところも多かったが、ザイールの言には何でも頷けてしまうのだ。
勿論仲直りしてくれれば助かる。でも彼女は仲裁をするだけの立場も言葉も持ち合わせてはいなかった。
「俺はな、ニィちゃん。夢だの希望だの可能性だのを武器にする餓鬼が大嫌いなんだよ。人間の価値ってのは結果だ。これからどうなるとかこの先大人になるとか言われても信用できねえな。」
前に立つカードを不敵な笑みで見上げているザイールは、折れる気がなさそうだ。
またひとつ溜め息を吐いてカードは言葉を探した。ふと視界の端にマルタの姿を捕らえる。
「…じゃあ、彼女は?彼女も餓鬼だろ。なんであんた、面倒見てんだよ。」
「言ったろ。結果だ。そいつは結果を出す。この先はどうか知らねえが、取り敢えずこれまで俺の教えたことに対して必ず結果を出してきた。面白いぐらいにな。」
「エディンだって…。」
「あいつにゃ無理だ。」
「そんなことないだろ。」
「そもそもあいつは俺の話を聞く気がねえ。勝手に突っ走って勝手に自滅すりゃいい。」
暫しカードは口を結んだ。きっと唇を引き締める。
「…それは、大人のエゴだ。」
ザイールは眉を顰めて見返した。こいつも結局はあの餓鬼と変わらないのかと少々残念な気持ちになりながら。
カードはしっかりと視線を合わせ、毅然と言う。
「自分に従う者だけが正しくて、反発する者は間違ってるって言ってるのと同じだ。そんなのおかしいだろ。あんたは大人で、子供が成長するのを知ってる。色んな奴を見てきたはずだろ、世話をしたことはないにしても。くだらない大人に成長する奴もいるが、少なくともエディンは道から外れたことをするような大人にはならない。俺はそう信じてる。あんたにだって判るはずだ。アイツが身に付けているのは強さだけじゃない。ちゃんと正しさを見極められる力を身に付けている。身に付けていける。」
ザイールも暫しの間をおいて、口角をわずかに上げた。
「甘いな、ニィちゃん。俺が求めてんのは正しさなんてもんじゃない。結果だけだ。どんな卑怯な手を使ってでも結果を出す、その覚悟だ。」
「…そんな…そんなふうにはならない…。」
「だろうな。」
「でも、結果は出すよ。卑怯な手を使わずに。」
「世の中そんなに甘いもんじゃねえんだよ。」
ザイールの言うことが分からないではなかった。カードは貴族社会を間近で見ている。そこには地位の奪い合いや策略が渦巻いていた。現実というのは理想では片付かないものだ。
でも、と思う。
理想を忘れてしまったら世界は暗く混沌としたものになる。そんな世界は嫌だと思うから、人は理想を持つのではないか。いつか理想を現実のものにしようと、そういう人がいるから、今の世界が保たれているのではないか。
「みんながみんな、あんたみたいな物わかりのいい大人になったら…きっとつまらない世の中になると思うよ。」
それは素朴な感想だった。言ってしまってから、カードは今の言が仲裁に役立つとは思えず、取り繕おうと言葉を探す。
するとボソッとザイールが呟いた。
「…まあ、確かに…そうかもな。」
その言葉も思わず出したものだったらしい。言ってからザイールは今の言葉を取り消すかのように拳で唇を押さえた。
「だからって、アイツの甘さを容認する気はねえ。」
「容認しろとは言ってないよ。少し長い目で見てやってくれって言ってるんだ。」
ザイールはすぐには言葉を返さなかった。
腰に付けているポーチから煙草を出し慣れた手つきで火をつけると、ふうっと煙を吐き出した。
そして小さな舌打ち。
今まで下を向いていたマルタが視線を上げた。その舌打ちが否定的なものではなく受け入れた証拠であることを、彼女は知っていた。
「カードもマルタも…あのオッサンと行くのか。…なんでだよ。」
自分についてきているのがキャムとフェリエだけだったのがかなり堪えているらしく、エディンは拗ねたように道端の茂みを棒切れで打った。
「…きっとカードは文句言いに行ってるんだよ。ちょっと待ってみよ?」
キャムが取り繕おうとそう言うと、エディンはチラッと一瞥し、すぐ脇の草原にそれて地面に腰を下ろした。
「疲れた…。休む。」
「少し眠ったらいかがですか?疲れているときはいい考えが浮かばないものです。」
「ん。じゃあ寝る。何かあったら起こしてくれ。」
エディンは二人に背を向け、目を瞑る。キャムとフェリエはその程近いところに落ち着いて、音にならない溜め息を吐いた。
「…寝たみたい。」
エディンを覗き込んだキャムが、小さな声でフェリエにそう言った。
二人はまた溜め息を吐き、困ったね、と顔を見合わせる。
「あの方は口が悪いのが困りものですわ。エディンが腹を立てても仕方ないと思います。」
「うん…。確かにエディンが失敗したけどさ…エディンだって謝ってたし、しまったと思ったはずだし…あんなに言うことないよね。」
頷いて、でも、とフェリエが遠慮がちに言った。
「実際問題…この先、ともに討伐に向かう仲間を見つけるのは難しいと思います。あの噂、この北の地ではもう広まりきっているようでしたし…。」
「…じゃあ…。」
「ここはエディンに折れてもらって、あの方を仲間にするしかないと思うのです。」
「あのオジサンの言うように、6人で勝てると思う?」
「…犠牲を払うやり方を選ぶ気はありませんが…、あの方がさっきあのようなことを言ったのは、エディンを怒らせようとしただけじゃないでしょうか。私たちはこれからももっと強くなる筈でしょう?それを考慮に入れれば、あの方は他の策を提示するだけの知識があるのだと思います。もし、マルタさんとカードがこちらに来たとしても、…私たちは若いですわ。知識が足りません。どうしても、助け手が必要になります。」
一層つらそうな顔をしてから、キャムは伸びをするようにして寝転がった。
「仲直りさせるしかないのかぁ…。」
「気が進みませんか?」
「エディンを悪く言う人は嫌い。」
はっきりと言ったキャムに苦笑を向けはしたが、フェリエは彼女の態度に好感を覚えていた。
キャムから見てエディンが頼れるお兄さんであるのと同じく、フェリエにとっても似たようなものだった。年は彼のほうが一つ下ではあるものの、優しさと正義感においては敬意すら持っている。そのエディンを悪く言う人物に好意を抱けるわけがなかった。たとえ正論をかざされても、である。
「私たちだけでは、討伐を果たせないでしょう。そして、今後の人員確保は望めないとなれば…。」
「うん、わかってる。あのオジサン…もうちょっと性格治らないかな…。」
「…それは…難しいでしょうね。」
「うー…先が思いやられる…。」
ブチブチと手に触る草をむしって、キャムは手を握りしめた。
この先、どうすればあの人物とうまくやっていけるのか、ちらっとも思いつかない。自分ができることと言ったら、エディンに味方して喧嘩に加わることぐらいだ。
不意にエディンが起き上った。
二人はハッとして彼を見る。
「行くか。」
「え?」
「行こう。」
それだけを言って歩き出したエディンは、もと来た道を戻りだした。
キャムとフェリエは顔を見合わせ、微かに笑んで後を追った。
しばらく進むと、向こうからカードがやってくるのが見えた。その後ろにはマルタとザイールの姿もある。
無言で近づき、少しの距離を置いて立ち止まった。
エディンはじっと地面に視線をやっていたが、キッと唇に力を入れると、口を開いた。
「…さっきは…。」
「残念だったな。」
ザイールが遮って行った言葉に、エディンは疑問を浮かべた視線を向けた。
「あの鱗、装飾品に加工して女にくれてやると、必ず落とせるって代物だったのに。」
「え?」
「買うにゃ高すぎるが、鱗があれば安く作れる。フェロモンに似た匂いを出してるんだそうだ。惜しいことしたな、お前。」
「フェロモン?」
「ま、迷信ってやつ?おまじないみたいなもんだ。夜伽相手ぐらい見つけられるかもしれなかったのにな。」
「いらねーよ。」
「そうか?昔、商売女んとこ持ってったら先客断って相手してくれたぞ?」
「い、いらねーよ!!」
「どうだか。あぁ、次の街に行ったらいい店紹介してやるぜ。」
「必要ねえからっ!!」
笑い声をたてて歩いていくザイールに文句を言いながら、エディンも同じ方向に歩いていく。
カードは呆れたように肩を竦め、笑ってそのあとについていく。
一拍遅れて女3人がその後を追った。
「ねー、夜伽って何?」
その質問はマルタのものだった。キャムもうんうんと頷いている。
「えー…っとですね…。…寝るときにおとぎ話を読んであげることでしょうか。」