霧の向こう

8.先行き


 ある夜、カードのところに軍からの使いが来た。翌日の出頭を命ずるものだった。
 定期的に顔を出していたカードは小首を傾げながらも了解の返事をし、エディンたちには事情を説明して留守にすることを報告した。
「じゃあ、明日は三人で教会に行こう。一人じゃ大した仕事はできないんだし。」
 マルタはいつも通りザイールのところに行く予定だ。
 エディンの提案にキャムが嬉しそうに賛成して、その様子にフェリエもつられるように笑顔を見せた。


 教会に行くと、その日は双子の子供が来ていた。
 サウリが難しい顔をしている。
「おはようございます。今日はその子たちですか?」
 フェリエの声に気づいて顔を上げた彼は、「そうなのですが、」と困り顔を見せた。
 双子はつながりが深く、昔から遠く離れていても互いのことがわかると言われている。この二人も小さいころから不思議なことがたびたび起こっていたという。片方が怪我をすると、もう一人も同じ場所に傷ができるのだ。
「問題は、封印解除の時に、それと同じことが起こるのではないかということです。」
「…つまり、片方の封印を解けば、もう片方に影響が出てしまう、と。」
「最悪、最初の子供に起こったことと同じような…。」
 最初に封印を解除した子供は、精霊の怒りに焼かれて死んだという。
 片割れの封印を解いたことでもう片方の封印が緩み、精霊が宿主を攻撃し始めるかもしれない。
 神妙に聞くフェリエに、サウリは考えていることを話す。
「二人、同時にやるしかないと思うのです。」
「同時…ですか?…私にはとても…。」
「はい、私にも二人の封印を同時に解く力はありません。ですから、私とあなたで、それぞれ一人ずつ。進み具合を調整しながら同時に解除が完了するようにしたいのです。」
 フェリエから解除法を聞いて数日で、サウリも解除が出来るようになっていた。正式な律師になっている彼は、フェリエよりもずっと力がある。術をものにしてしまえば使うのは難しいことではない。フェリエのように力を使い切ってしまうこともなかった。それでも、一日に一人に留めておくのが安全だろうというのは彼女と同じであるが。
「…そう…ですね…。それなら、できると思います。私も随分慣れましたから、合わせる余裕はあります。」
「では、祝詞の確認をしましょう。」


 双子の守護は、炎と雷だ。事前に同じ精霊を持つ人がついて来ていたが、同時進行という初めての試みで緊張するフェリエの力になろうとエディンとキャムが名乗り出た。
「俺たちの魔力、どんだけ使ってもいいからさ、頑張ってくれ。」
「応援してるよ、フェリエ。」
 うん、と無言で頷いて、フェリエは杖を強く握った。
 炎の精霊を持つカミルにはエディンが、雷の精霊を持つケビンにはキャムがついて、礼拝堂の長椅子に座る。
「大丈夫だよ。」
 キャムがケビンの手を握って、にっこり笑った。
 それを見てエディンもカミルの手を握った。


 サウリとフェリエは時折目配せをしながら、ゆっくりと祝詞を進めた。
 炎と雷が、双子の周りで小さく踊る。不安げな子供たちを、エディンとキャムが包むように抱き寄せた。
 祝詞は本来心地よいものだ。事が事だけに、誰もそれを心地よい響きとして受け止められないが、二人の声は礼拝堂の空気を柔らかく清らかなものにしているようだった。精霊像は優しげな眼差しでそこにいる全員を見下ろしている。空間が皆を包み、守っているかのようだ。
 最後の祝詞を同時に唱え終わって、二人は顔を見合わせた。
 恐ろしい事態は起こらなかった。双子は祝詞が終わったこともわからず、じっと目を瞑っている。
「終わりましたよ。もう魔法が使えるはずです。」
 そう言って二人に呪文を教えると、唱えるように促した。
 ポッと灯った火をカミルは嬉しそうにケビンに見せ、ケビンは何度も小さな電気を起こしてカミルに見せている。
 二人を眺めてサウリが目を細めた。
「やはり、不思議なことが起こりましたね。」
「ええ、本当に。」
 二人の顔には封印解除による痣ができていた。これまで解除を施した子供たちも、場所は様々だが必ず痣ができている。しかしそれは何か怪我によってできた痣や生まれながらの痣と何ら変わらない、ただの痣だ。でも双子は違っていた。
 炎の精霊を持つカミルの右目の下には稲妻の形に、そして、雷の精霊を持つケビンの右目の下には炎の形に、痣ができている。
 双子の絆の深さを垣間見た気がして、フェリエは胸の中に温かいものを感じた。




 双子の封印解除の後、いつものように教会でフェリエの回復を待っている間、サウリは本部から応援の僧侶がやってくるという報告を聞かせてくれた。
 以前からこの街の封印解除の問題には本教会も頭を悩ませていたらしく、サウリの応援要請の手紙に快く応じてくれた。本部には名のある僧侶が数多くいる。事を重大に受け止めているというなら、解決に向けて大律師クラスを差し向けてくれるだろう。もしかしたら僧正クラスの僧侶もやってくるかもしれない。その人たちなら、フェリエやサウリのように一日に一人だけという制限に縛られることもないはずだ。
「そうなったら、私の出番はなくなりますね。」
 フェリエのその言葉は卑下する気持ちではなく、喜びから出たものだ。この陰鬱とした問題を自分たち二人で解決しなければならないという重圧が、一気に拭われた気分だった。
「はい。安心して旅をお続けください。」
 フェリエは深々と頭を下げ、自分たちの出発までは微力ながら尽力すると約束をして、教会を後にした。




 宿の前でカードに出くわしてエディンが声をかけると、彼は何か物思いにふけっていた様子で返事まで一拍の間が空いた。
「…ああ、帰ったのか…。夕食に出かけるか?」
 宿に向けていた足を止めて、繁華街のほうを指し示す。
「…そうだな、今日はどっか別のとこで食べるか。」
 大抵は宿のレストランで済ましてしまうのだが、いつも同じ場所では勿体ない気がする。エディンは賛成してから「いいか?」とフェリエとキャムに訊ねた。
 二人が笑みとともに頷いて、カードを先頭に歩き出した。「今日はね、」と話し出したキャムの言葉に微かな笑みを返してはいるものの、カードの様子はいつもと纏っている雰囲気が違う。エディンが気のせいだろうかとフェリエを窺うと、彼女も何か違和感を感じたようで、不思議そうな視線をエディンに向けていた。

 カードは賑やかな酒場の前で足を止め、ここにしよう、と返事も聞かずに店に入って行く。
 別段反対する理由はないのだが、その店選びが彼らしくないことが引っかかる。カードは貴族出身だけあって、店を選ぶ時もどちらかというと静かで上品なところを選びがちだ。あまり上品すぎるところはエディンやマルタが嫌がるから、その辺は心得ているようではあるが、だからと言ってここまで賑やかな店を選んだのは初めてのことだった。
「…うるさくないか?」
 店の喧騒が気になってそう言うと、カードはこれぐらいがいいと返す。
「静かな店じゃ話しにくいからな…。」
 店の奥まったところに空いている席があった。そこなら店の喧騒に会話を邪魔されることは無さそうだ。
「あ、みんな。夕飯?」
 席の手前で声をかけられてそちらを見ると、マルタとザイールが食事をとっていた。
「やあ、…丁度良かった。」
 マルタにも関係のある話だから、と言って席に着いた。すぐ隣の席だから本当に都合がいい。

 取り敢えず注文を済ませ、カードが重い口を開く。
「実は…、ちょっと困ったことになった。」
「今日は軍に行ってたんだよな?軍で何かあったのか?」
 カードは首を横に振る。討伐の話だという。
「討伐の予定が早まった。遅くても3ヶ月後にはフォガット山に入らなくちゃいけない。」
 フォガットとは目的の山の名前だ。
「…3…ヶ月…か。」
 エディンは期限についてあまり考えたことがなかった。ゆえにそれが短いことも実感がわかない。
「予定ではどうだったのですか?」
 フェリエが訊ねた。もともと部外者だった彼女が事情をよく知らないのは当然のことだ。共に旅をしてはいるが、討伐に参加するかということまでは話をしていなかった。
「はっきりとした期限があったわけじゃないんだが、俺たちが出発するとき、前に3つのグループが討伐隊として出ていたんだ。だから、かなり余裕がある風に聞かされていた。場合によっては俺たちの出番がないかもしれないってな。…しかし、その3グループが…全滅したらしい。」
 カードが聞いてきた話では、3グループのうちの最初のチームは、自分たちだけではドラゴンに敵わないと判断し、ふもとの町で国軍とともに山から下りてくる竜族を食い止めながら、他のグループを待っていたという。そして、追いついた二つのグループとチームを組んで、満を持して山に挑んだ。
「3グループで…何人いたの?」
「20人程だ。その全員が、山に入ったきり帰らないと報告があった。」
 うそ…とキャムが力なく呟く。
 口をつぐんだ面々にカードは話を続けた。
「これまでの竜族の動向から言って、3か月もすればまたふもとの町を襲い始めるだろうという話だ。だから、それまでに俺たちは山に入らなくちゃいけない。…俺としては…明日にもこの街を出て、もっと強力なモンスターのいるところで修行をしたいと思っている。…どうする?」
 聞かれてエディンは仲間たちと顔を見合わせた。
 3グループ、20人が挑んで敗れたというドラゴンに、あと3ヶ月で自分たちが太刀打ちできるようになれるのか。強い仲間を集められるのか。想像もできない。
 返事をできずにいると、カードが急に明るい声を出した。意識して出した声だったため、少々不安げではある。
「いいこともあるんだ。」
「いいこと?」
「成功報酬が上がった。6千万ルーベだ。」
 6千万!?と声を上げたのは、ザイールだった。意外なところから出た声に皆の視線が集まる。
 ザイールは手にしていたジョッキをテーブルに置いて、身を乗り出して話に入ってきた。
「なんだその法外な金額は。真面目に言ってんのか?」
「真面目だよ。我らが女王のお達しだ。」
 へー、と一旦興味なさげに身を起こし、ジョッキを持ち直してクピッと酒を煽る。そして一言。
「俺にも一枚噛ませろ。」
 即座にエディンが突っ込む。
「オッサン、俺たちとはもう組まねーんじゃなかったのか?」
「んなもん、その金額がありゃあ、どうにでも主義を変えてやるってんだ。一人1千万ルーベだろ。」
 それには全員がガックリと肩を落とした。
「オジサン、聞いてなかったの?20人がやられちゃったんだよ?」
「聞いてたぞ?ンあ~、おら、ニイちゃん前に言ってたろ。命令書持ってるって。」
 この街に来るまでの道中、何かの話のついでにチラッとそのことを言ったんだった、とカードは思い出した。
「ああ、国軍兵士を何人連れて行ってもいいと言われている。」
「なら、やりようはいくらでもあんだろ。とにかく、討伐隊はこの6人だ。…まあ、一人二人増やしてもいいが…取り分が減るからな…。国軍兵士は給料貰って兵士やってんだから、成功報酬は俺たちのもんだよな。」
 あはは、とマルタが笑った。
「はいお待ち。」
 店主が料理を運んできて、ドカッと大皿を中央に置く。続けて小皿料理を並べながら声をひそめていった。
「あんたら、もしかして、ドラゴン討伐隊かい?」
「え?ああ、そうだけど。」
 特に隠す必要を感じなかったエディンは即答する。
 店主は顔を曇らせた。
「…嫌なうわさを聞いてね…。悪いことは言わない、あんたら、早く国軍に見つからないところに逃げたほうがいい。」
 思いもしなかった忠告に、エディンは冗談かと思って笑顔を返した。
「俺たち、ちゃんと女王様に任命されたんだ。国軍から逃げるって、どういう…?」
「なんも知らんのだな…。討伐隊って名前は隠れ蓑で、本当は生贄にされるって話だぞ。」
 もうグアンドから北のどの町でもまことしやかに語られているというその話は、耳を疑うものだった。

「数年前から竜族の被害に遭ってるウーフじゃ、町の長老の判断で浮浪児を生贄に捧げてたんだ。でもそれを知った女王が長老やそれに関わった者たちを罰して生贄を禁止した。ドラゴンは国軍で討伐するって言ってな。それが、女王が思った以上にドラゴンは手強かったんだ。国軍はドラゴンを倒せない、でも、生贄を禁止した手前、大っぴらに生贄を出すわけにもいかない。それで、討伐隊さ。討伐隊に見えるように数人を集め、勝てないと知っていながら山に送り込む。国は討伐の意志があると見せかけることができるし、その犠牲でドラゴンは少しの間、おとなしくなるって寸法だよ。」

「そんな…そんな馬鹿なことがるものか!」
 どんっとテーブルを叩いて、カードが声を上げた。自分を見送ってくれた人たちの顔が脳裏に去来してのことだ。中でも、「立派にやり遂げてきなさい。」と言った母の凛とした表情を。
 皆唖然とする。温厚で冷静、育ちのせいか、兵士でありながらどちらかというと平和主義な彼が、そんな風に声を荒げたのは初めてだ。
 店主は少々気まずそうにしながらカードを見やり、その襟元の紋章に視線を止めた。
「…あんた…貴族か…。お家存続も大変なんだな…。」
 店主にしてみれば気の毒に思って出した言葉だったが、それが更にカードの気持ちを逆なでしたようだった。
 ギリッと奥歯をかみしめ、カードは立ち上がった。右手は腰にある短剣を掴んでいる。
「どういう意味だ。」
「…え…いやぁ…その…。」
「カード…、落ち着いて。」
 キャムが立ち上がって傍らで止めようとするが、カードは一歩踏み出した。
「父や母が、出世のために子を差し出したと言いたいのか!愚弄するな!」
「カード、落ち着けって。」
 エディンも立ち上がってカードの腕を押さえた。短剣に置いている手が震えているのが分かる。怒りか、戸惑いか。どちらにせよ、ここで剣を抜くのは間違いだ。
 エディンは努めて明るい声で店主に「ありがとう。」と言葉をかけた。
「忠告、心得とくよ。でも、噂だろ?」
「え…ああ、…まあ、…そう、だな。俺も聞いただけだ。…その…悪かったね、要らんことを言った。」
「いや、情報はありがたいよ。どっちにしたって俺たち強くならなきゃ挑むこともできないんだから。」
「…気をつけて、な。」
「うん、ありがとう。」
 店主は去り際にキャムに視線をやり、一段と気の毒そうな表情で背中を向けた。
 ポンポン、とエディンがカードの背中を叩く。
 それを合図にやっとカードは理性を取り戻した風だ。
「…すまない…。取り乱してしまって…。」
「いや?…な、カード、俺、思うんだけど。」
 椅子に座り直してエディンが言うと、カードは「ん?」と顔を見た。
「俺たちの出発を見送ってくれた時さ、女王様、俺たちの手を握ってくれただろ?『生きて帰れ』って、言われたよな?」
「ああ。」
「生贄にそんなこと、言わないんじゃないかなってさ。」
 そうだよ!とキャムが明るい声を上げる。
「要は、」
 しばらく静観していたザイールが口を開いた。
「ターゲットを倒しちまえばいいんだろうが。」
 そう言って、冷めちまうぞと料理を指さした。




 宿について部屋に帰ろうとすると、後ろから「よお、」と声がする。
 振り向けばザイールだった。
「…あんた、宿ここだったか?」
「ひととこに留まるのもつまんねぇから、そろそろ変えようと思ってたんだよ。」
 エディンたちと同じ階にやってくる様子にまた小さく驚く。
「たまたまそこが空いてたんだ。それに、話もあるしな。…なあ、ニイちゃん。」
 振られてカードは微かに目を見開いた。
「…俺か?」
「ああ、お前、まだ納得いってねえんだろ。納得いかねえ何かを知ってるな?」
 生贄の話だと気付き、カードは口をつぐむ。
「話してやれよ。てめぇら仲間だろうが。」
 足の止まった面々を、談話室に促した。
「どうしたんだ?あんなのただの噂だよ。気にすることないと思うけどな。」
 談話室のソファに落ち着いて、エディンが真っ先にそう言った。
 カードは頷きながらも暗い表情は変わらない。
「生贄の話を裏付ける、何かがあるってことだろ。」
 ザイールの言葉にカードは目を伏せた。
 数秒、考えに入ってから、ボソッと話し出した。
「俺が試験を受けた時、他にも受けたやつがいるんだが…。」
 自分よりも実力のある友人が試験に落ちたのだとカードは言った。
「あいつには普段から何をやっても敵わなかった。俺に利点があるとすれば、それは貴族だということぐらいだ。」
 考えてみれば、この討伐隊はあまりにも未完成だ。
 出発の時点でのメンバーは、カードとエディン、そしてキャムの3人。急ぎで出されたにしても少なすぎる。
 それなのに、軍からはカード一人だけが選ばれ、その友人は選外とされた。
「俺と友人のどちらかじゃなく、二人とも隊に入れればいいはずだ。それなのに、あいつは残された。どちらか一方である必要はない筈なんだ。…生贄じゃなければ…。」
 その友人が残されたことが、生贄の話で納得できてしまう。本当に実力のある人間を、死なせるわけにはいかない。
 押し黙って聞いていた面々の中、エディンが口を開く。
「…でもさ、女王様は生きて帰れって…。」
「あの方は真に王族たる資格のある方だ。知性に富み、思慮深く、慈悲の心を持ちながら時に冷酷だ。国を守るためなら、何かを捨てることを厭わない。あれが演技だと言われても、俺は驚かないよ。」
 そんな、とキャムが呟いた。
 女王の目は優しげだった。握った手からは真に生還を願っているのだと伝わってきた気がしていた。あの見送りを、心からありがたいと思っていた。
「へー?なるほどね。」
 気の抜けた声でザイールはそう言った。
「お前にはそのダチの件が、女王さえも疑う材料になるわけだ。」
「そういう言い方はやめてくれないか。あいつが選ばれなかった理由が…わからないんだ。」
「生贄だったら頷けるって?」
「…すんなり、合点がいってしまった。」
 そうとしか思えないじゃないか、とカードは力なくソファに背中を沈める。
 なら、ご両親は?と聞いたのはフェリエだ。
 それにもカードは悲しげな笑みを向けた。
「父が昔から家を背負って苦労しているのは知っている。何度も苦しい選択を迫られたと。…もし生贄だと知って俺を送り出したのなら…二人とも苦しんだと思う。苦しみはするが…ありえない選択じゃない。…俺には兄と姉がいるから…子の中の一人を諦めることも…。」
 そもそも軍に入ったのも家のためなんだ、と笑う。
「ま、あり得なくねーな。」
「オジサン!!」
 キャムがむっと睨んだ。そんな言い方はない、と抗議をしようとしたが、それはカードの返事で遮られた。
「そう思うだろ?」
 皆、何を言っていいか判断がつかず、シンとする。
「でもな、」とザイールが返す。
「それは、十分条件じゃねえ。」
「………。」
「確かに、生贄の話が本当だってんなら、お前のダチは死なせないために間引かれて、お前の親は家のために子を諦めたんだろうよ。だからと言って、ダチが選ばれなかったから、お前らが生贄だ、ってのは違うだろ。」
「…どう違うと?」
「生贄の話が全くのデマだったら、どうだ。」
「…あいつが選ばれない理由がわからない。」
「そんなもん、いくらでもあるだろうが。国ってのは常に問題を抱えてるもんだ。例えば…。」
 ザイールは眉間にしわを寄せて目を細めた。んー、と小さく唸る。
「女王が命を狙われてて、その護衛に腕の立つ奴が必要だ、とか。」
 成程、とフェリエが頷き、キャムとマルタも表情を明るくした。
 しかしカードが首を振る。
「…それは、ない。あいつにはあの後、異動の命令が出ていた。城の中での異動なら簡略化されてるから、異動先を書面で知らされて終わりだが、あいつには呼び出し状が来ていた。ということは、城の外への異動のはずだ。」
「なら、こういうのはどうだ?」
 ザイールはソファの背もたれに肘を預け、閉じたままの窓の外を仰ぎ見るようにわずかに振り向く。遠くを見ている風だ。
「国はドラゴン討伐よりも重大な問題を抱えている。実はそっちに手練れの兵士がほしいってのが本音だ。ちょうど持ち上がったドラゴンの問題を利用して、強い奴を集め、二番手を討伐隊に、一番手をその問題にあてている。」
「重大な問題なら、少しぐらい情報があってもよさそうなものだろ?」
「わかんねぇぞ?例えば、国外からの侵略。今表向き、国交は穏やかだ。でも、水面下で侵略の動きがあって、それを国が察知した場合。一般市民にそれを知らせてしまうと色んな影響が出る。物価やらなんやら、経済に与える影響は大きい。それから、相手国の人間に対する迫害。そんなことが起きれば国交が更に悪化するのは必至だ。だから極秘裏に準備が進められる。」
「戦争…ですか…?」
 フェリエが静かに聞いた。あまり信じたくない話だ。
「あり得ない話じゃない。もう何十年も平和にやってるけどな、隣国と仲好しこよしってわけにはいかねぇ。微妙な均衡を保ってるってのが現実だ。」
 それにもカードは異を唱えた。
「そんな話を国軍が知らないのはおかしくないか?隣国との問題なんて、チラッとも聞いたことがない。」
 そうか?とザイールはとぼけたような表情だ。
「一般市民の目ってのは中々鋭いもんがある。商人なんて特に目ざとい。国軍兵士のピリピリした雰囲気ってのを一発で見破ったりする。それを警戒して、ぎりぎりまで伏せておく気かもしれん。」
 カードは視線を落とし、拳を唇に当ててジッと考え込んだ。
 確かにありえない話ではない。
「それに、もひとつお前が失念してることを教えてやろうか?」
「え?」
「その懐に、女王を信じるに足るモンを持ってるだろうが。」
 ハッとして自分の胸を押さえた。万が一のことを考え、常に懐に入れてある、女王の命令書。
「生贄にするなら、国軍兵士を犠牲にする必要なんてこれっぽっちもねえ。お前ら3人だけで山に入りゃすむ話だろうが。3つのグループが全滅したってったな?そいつらはその命令書をもってなかった筈だ。持ってたら、もっと大人数で行けただろ。」
「…あ…ああ、でも、どうして俺たちにだけ…。」
「女王は勝てると思って討伐隊を送り込んでいた。でも何度やっても駄目だ。まあ、考え直すのが遅いと言えばそうだが、やっとやり方を変えることに思い至った。で、それじゃねえのか?」
 肩をすくめてザイールは立ち上がる。
「お前が何を信じるかは自由だ。でもな、俺はみすみす生贄になるためにドラゴンの前に行く気はねえ。仕事ってのは成功させて何ぼだろうが。」
 大人しく生贄になることを良しとする奴とチームを組む気にはなれない、ということだ。先ほどまでのカードにはそういう危うさがあった。背負うものがある人間は、時に弱い。生贄になることが真の命令なら、その通りにやってしまいかねないのだ。
「…あんたを…信じるよ。」
 自分の思い込みを恥じるような笑みを浮かべ、頬を掻く。
 ザイールはニマッと笑って返した。
「鵜呑みにされても困るけどよ。当てずっぽうだからな。」
「わかってる。色んなことを踏まえて、あんたの説が一番頷けるって思っただけだ。」
 ほうっとその場にいた全員が息をついた。
「じゃあ、生贄って話はただの噂ってことだね。」
 じっと傍観していたマルタが、明るく言った。




 次の日、カードが提案した通りに、一行はグアンドを発ってより修行に適した場所を目指すことになった。
「急な話で申し訳ありません。サウリ律師もどうかご無理をなさらないように。」
「いえ、もうすぐ本教会からの応援も参りますから、お気になさらず。」
「この街の平穏を祈っております。では。」
 フェリエは深々と頭を下げて、教会を後にした。
「お待たせしました。」
「ん。じゃあ、行こうか。」
「まったく、めんどくせぇよな、教会ってやつは。」
 門のすぐ脇の石垣に腰を下ろしていたザイールは、よっこらしょ、と重そうに立ち上がった。

 ふいっとエディンは後ろ髪を引かれるように街を振り返った。昨日の出来事を思い出す。
 これから北に向かうにつれ、生贄の話が耳に届きやすくなるだろう。その度にカードは胸を痛めるのかもしれない。
 エディンはそのことを忘れないようにしようと一人決意をした。噂を吹き飛ばせるぐらい明るく、そして討伐をやり遂げられるように強くなるのだと。

「エディン?」
「ん?ああ、行こう。」
 見上げてくるキャムの手が、何かの決意を伝えるかのように、しっかりとエディンの手を握っていた。



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