霧の向こう

7魔法


 マルタもギルドの仕事に随分慣れた頃、簡単な仕事なら一人でやらせてもいいかとザイールが依頼書を見比べていると、気になるものを見つけた。
「…前金20か…安すぎんじゃねぇか…。」
 普通、前金として提示される額は100単位だ。依頼主が前金を低額しか払わないというのは余程ギルドを信用してないか、依頼内容が特殊で途中で投げ出す可能性があるか。ギルドは仕事を請け負いに来た人物を見極めるのも仕事のうちだから、前金をもらってトンズラするような輩には金を出さないし、万が一の時に備えて滞在場所や滞在期間、誓約書なんかも書かせて仕事を与える。場合によってはギルドの判断で前金なしでやらせることもある。
「なになに?それやるの?」
 マルタが興味津々で肩越しに覗き込んだ。
「フェレックの種だとさ。種を一個とってくりゃいいって話。成功報酬が…なあ、店主、この額、高すぎんじゃねえか?なんか問題があるのか。」
 前金が見たこともないぐらい安いくせに、成功報酬のほうは仕事に見合わないような額を提示してある。
 カウンターの奥で事務仕事をしていた店主が返事をして近づいてきた。
「なんだい。…ああ、それか。金持ちの酔狂さ。まあ、依頼自体は真面目なんだが、普通にやらせるんじゃ面白くないってね、何組かに競わせようってのさ。もう3組が出かけたよ。やるんなら早いほうがいい。」
「一番早く届けたやつにだけ成功報酬を払うってことか。」
「そういうことだ。やるかい?あんた慣れてるからわかってるだろうが、先に行った奴らがすぐに手に入れられるかってのは仕事の腕次第ってとこだ。ゲームを面白がって引き受ける若い奴らは余程運がよくなきゃ勝てないね。」
「先に行ったのは若い奴らか?」
「ああ、多分、あんたなら充分勝ち目があるよ。」
 どうするの?と見上げるマルタを尻目に、どうしたものかと考える。
 自分一人だったら絶対引き受けない簡単な仕事だ。そして、マルタ一人にやらせるには難しすぎる。運に任せて探し回るだけなら簡単だが、成功報酬を手に入れるためには知識が必要だ。
「なんだ、マルタじゃないか。今から仕事か?」
「あ、エディン、カード。あんた達もやるの?」
 後ろから声をかけられ、マルタとザイールは振り向いた。
「兄さんたちもこの仕事やるかい?」
 店主はもう一枚同じ依頼書を出して二人に説明し始める。
 ザイールはチラッと二人を窺って、店主に声をかけた。
「やる。前金を頼む。」
「そうかい。頑張ってくれよ?昼までに届けりゃあ、うちの店の株も上がるってもんだ。」
「まあ、期待しないでくれ、お遊びだろ?」
「そういわんで、力入れてやってくれよ。」
 ザイールは「気が向いたらな。」と返して、マルタを促した。
「急ぐぞ。」
「オーケー!」
 二人が出ていくのを眺めて、エディンとカードは店主に振り向いた。
「あいつらが受けたのって、この仕事なのか?」
「ああ、競争になるけど、どうだい?やるかい?」
「やる!!」
 エディンはカウンターに覆いかぶさる勢いで身を乗り出して返事をした。





「オジサン、その花、東門から出たとこにある草原に咲いてるんでしょ?行かないの?」
「あの草原がどのくらい広いか知ってんのか?下準備だ。」
 そう言って、ザイールはある店の前で足を止める。
「この仕事はお前の仕事だ。お前の頭で解決しろ。」
「…?」
 その店は情報屋だった。
「…何か買うの?」
「情報だ。何がいると思う?」
 うーんと唸ってマルタは上目使いでザイールを見上げた。
「ヒントなし?」
「質問には答えてやる。」
 また唸って、マルタは腕を組んだ。
「…その花の分布図、とか?」
「残念だが、情報屋にその情報はない。ていうか、フェレックは冬以外ずっとどこかに咲いてるようなやつで、草原中が生息地だ。気候やいろんな条件で毎年咲く時期や場所が変わる。」
「え~?わかんないよ~。」
「出来なきゃ、今日の報酬はさっきもらった20ルーベだけだな。」
 げっと驚きの声を上げて、またマルタは考え始めた。
「うーんと…じゃあ、……あ、その花を食べたり蜜をのんだりするモンスターっている!?」
「ああ、蜜を好むのがメロウビー、花を食べるのがレッドウィリー。」
「…あと、その花が嫌いなモンスターは?」
「スラッジゲル。嫌いってか、匂いがそいつの体には毒らしくてな、まずそいつのいるところにフェレックはないと思っていいな。」
 マルタは頷いて、意を決したように店に入っていく。
「その支払いはお前持ちだからな。」
「わかってる。」
 緊張した背中を見送って、ザイールはにっと笑って壁に背中を預けた。
 何を選んで買ってくるか、少し楽しみだ。弓の覚えが早かったように、マルタは教えるとそれをすぐに吸収して自分のものにした。記憶力がいいだけではなく、勘もいい。厄介ごとを背負い込むのが嫌で極力人とつるむことを避けてきたザイールだが、打てば響くというのは気持ちのいいものだった。
「お待たせ。」
 戻ってきたマルタに何を買ったか尋ねる。
「メロウビーの分布図最新情報と、スラッジゲルの分布図最新情報。…どう…かな…?」
「ん。ちょっと待ってろ。」
 ザイールはそう言って一旦店に入り、数分で出てきた。
「行くぞ。」
「うん!」





 歩きながら情報屋から買った地図を広げる。
「で、なんでその二つだ?」
「えっと、その花のところにメロウビーがいるだろうけど、花のないところにもいるよね。ほかにも食べるもんあるだろうし。だから、メロウビーがいてもスラッジゲルがいたらそこには花はないってことでしょ?」
「レッドウィリーをやめたのはなんでだ?」
「花を食べちゃったら種できないでしょ?」
「よし、ま、第一段階は合格。」
 やったーと喜ぶマルタの手の地図を指さす。
「で、お前の予想はどこだ?」
「えっと…、一か所には絞れないな…。」
「まあ、あとは勘に頼ってもいいけどな。」
 メロウビーが多く分布しているところを何カ所か示し、マルタは足を止めて考えに入る。
「勘が外れたら、他の人に先越されるよね…。」
「ほかに情報がほしいか?」
 言われて、さっきザイールが店に入っていったことを思い出した。
「ザイール、何買ったの?見せてよ。」
「情報ってのは、買うもんだ。」
 マルタはぷうっと膨れて腰の財布を取り出した。
 払おうとして留まる。
「…何の情報か教えてくんないと、買う意味ないよね。」
「ふん、俺の持ってるのは、ガザクイってモンスターの分布図だ。欲しいか?」
 きょとんとしてマルタはザイールを見上げる。
「…なに、それ。さっき出てこなかった名前だよ?」
「お前は聞かなかったからな。」
「そのモンスターはフェレックを食べるの?」
「いんや?フェレックには見向きもしねえし、嫌いもしねえ。」
「…じゃあなんで。」
「こいつはその名の通り、ガザって虫を食う。」
 虫?とオウム返しに聞いて、マルタはパッと明るい顔になった。
「わかった!その虫がフェレック食べるんだね!?」
「ハズレだ。」
 えー?と不満げな声を返して、マルタは天を仰ぎ見た。
「わかんないよ~。」
「ガザってのは、サナって植物につく虫だ。で、サナってのはフェレックの花が終わったころに伸びてくる植物だ。」
 終わったころ、という言葉に引っ掛かり、マルタはアッと声を上げた。
「もしかして、あたしの買った情報って…無駄だった…?」
「いい線行ってたがな、まあ、惜しいところだ。」
 メロウビーが今いる場所には蜜を出している花があるだろう。そして、花が終わって種をつけたころにはもう、メロウビーは他の場所に移動しているのが普通だ。周りに食料があれば別だが。
 がっくりと肩を落としたマルタの様子を笑って、ザイールは「だが、全くの無駄じゃねえ。」と自分の持っている地図を広げる。マルタのものと見比べて、携帯している小さなチョークで印をつけた。
 ガザクイはガザしか食べない。そしてガザはサナの葉にしかつかない。だからガザクイのいるところには必ずサナが生えている。しかし、その成長の具合までは分からない。サナがもう伸び切った場所にあったフェレックは、もう種を落としてしまっているだろう。それでは意味がないのだ。
「役に立つの?あたしの買った情報。」
「ああ、スラッジゲルとガザクイがいる場所ではフェレックは跡形もなくなってるはずだ。んで、ガザクイとメロウビーがいる場所はまだ種になってないフェレックがあって、尚且つサナもある。ってことは種が出来立ての花があるはずだ。」
 書き込んだ地図を見て、マルタは嬉しそうに行先を示した。
「ここだね!!早く行こう!!」
「ほい、情報料。」
 掌を差し出されたのを見て、マルタはプイッと横を向く。
「あたし、買うって言ってないのにオジサンが書き込んだんだよ?」
 契約は不成立だ、と覚えたての言葉を使って支払いを断った。
 ザイールも顔をそむけ、「しゃーねーな。」と手をひっこめる。その顔はニッと楽しそうに笑っていた。




 目的地を目指して歩く途中、ザイールがふと立ち止まった。
「どうしたの?」
 すぐ近くの小高い山の中腹にある大きな木を見上げる。
「お前、あの木、覚えとけ。」
「?迷子にならないように?」
「まあな。戻るぞ。」
「え?」
 引き返し始めたザイールを、戸惑いながらマルタは追いかける。
 もう一度、どうしたのと聞こうとしたところで、またザイールは足を止めた。
「よお、奇遇だな。」
 その声に、木の陰から出てきたのはエディンとカードだ。
「あはは、そうだな、奇遇だな。」
 エディンは笑ってそう返したが、カードのほうは少々ばつが悪そうだった。
「オッサン帰るのか?」
「いんや?道間違えちまってな、ちょっと引き返すとこだ。じゃあな。」
 そう言って二人の横を通り過ぎる。マルタはバイバイ、と屈託なく手を振った。

「あいつら、俺たちの後をつけて種を見つける気だ。撒くぞ。」
「えー!?ずるいっ!!あたし頑張って考えたのに!!」
 エディンの行動はザイールに勝ちたいがためのもので、マルタにはとばっちりだ。
 場合によっては勝負を受けて立ってもいいが、この場合、種を見つけるところまでつけられてしまうと後は足の速さで勝敗が決まってしまう。若い男二人のコンビと、女連れの中年のコンビでは分が悪すぎる。
 分かれ道まで戻ると、ザイールはマルタに指示をした。
「お前は俺を追いかけるふりをしてさっきの木のところまで行け。俺はあいつらをやり過ごしたら戻って下で待ってる。」
 うん、とマルタは頷いて、道の後ろを気にしながら行先に足を向ける。ザイールは木の陰に入ってステルスで完全に気配を消した。
 エディンたちが追ってきたのを感じ、マルタは進行方向に目をやる。
「オジサン、待ってよぉ~!」
 そう呼んで、マルタは走り出した。
 ザイールが隠れているのに気付かず、エディンとカードはその後を追う。姿が見えなくなったのを確認してから、ザイールは走り出した。

「マルタ!!飛び降りろ!!」
 言われていた木のところまで行くと、ザイールが下から呼んだ。
「えー!?こんなとこから!?」
「心配すんな!!」
 そう言って何か呪文を唱えると、ザイールのすぐ前の地面が盛り上がり始めた。
「その上に飛び降りろ!柔らかいから大丈夫だ!!早くしろ!!」
 すぐ後ろにエディンが来たのを見て、マルタは慌てて飛び降りた。ボヨンとマルタの体を受け止めて、地面はゆっくりと戻っていく。
 すぐに下に着き、マルタは先を行くザイールを追った。
「ああー!!」
 はめられたことに気づいたエディンは愕然とし、そして飛び降りようとする。
「やめろ!!無理だ。戻ればまだ追いつける。」
 カードの制止で思いとどまり、エディンは悔しそうに唸った。
「なあ、やめないか、こんなこと。」
「やだね。あのオッサンの鼻を明かしてやりたいんだ。」
 カードは呆れたような溜め息を吐いた。


「すごいね、オジサンあんな魔法使えるの?」
 マルタは走りながら、楽しそうにそう聞いた。
「闇属性の魔法ならな。そういやお前何が使えるんだよ。…見たことねえなあ。」
「あたし、ないんだ。」
「ない?」
「うん。なんも出ないの。」
 ザイールは思わず足を止めた。ゆっくり歩きながら聞き返す。
「まだ、発現してないってことか?」
「うん、そうみたい。」
 そんな馬鹿な、と口に出しそうになって思いとどまる。17にもなって魔法の発現が見られないなんて聞いたことがない。しかし、そんなことを言っては彼女を傷つけるだけだ。いくら明るい娘だと言っても、こればかりは笑い飛ばせない話だろう。
「…精霊がお前に似て怠け者なんじゃねーか?」
「えー?」
「まあ、そのうち出るさ。そうなりゃ戦闘も格段にやりやすくなる。」
「そうかなぁ。」
「なくてもお前、弓の腕上がってるから、問題ねーけどな。」
 柄にもなく必至のフォローをする自分が滑稽に見えて、ザイールはまた走り出した。
「急ぐぞ。」
「うん。」


 目的地にはガザクイが沢山いた。メロウビーがいないところを見ると、もう花は終わったのだろう。
「うわ…どうしよう。やっつけるの?」
 マルタが弓に手をかけようとしているのをザイールは掴んで止めた。
「こいつらは攻撃しなきゃ襲ってこない。放っておいていい。種を探すぞ。」
 ああ、でも、とザイールは付け足す。「ガザクイは食事の邪魔をされると暴れだすことがあるから気をつけろ。」
 探しては見るものの、花は落ちてしまっていてどの植物が目的のものかわからない。
「依頼書に絵があるだろ。葉の形を見るんだ。」
「はーい。」
 同じ形の葉を見つけては、種がないことに落胆するのを何度か繰り返して、やっと種がついているものを見つけた。
「あった!あったよ!オジサン!」
「よし、採って帰るぞ。」
 マルタが指さす方向を見れば、確かに種がある。しかし、それを取り囲むようにサナが生え、そのすべてにガザクイがついて一心不乱にガザを食べていた。
「…どうする?やっつける?」
「そんな時間ねえだろ。…しゃーねえ、あとで奢れよ。メルトロック!」
 それはさっきマルタを受け止めた魔法だ。種のついたフェレックをその下の土が盛り上がって伸びてくる。ガザクイに当たらないように、アーチを描いてフェレックをマルタの手に届けると、土はまた元に戻っていった。

 振り返ると、程近いところでエディンたちが種を探している。
「お先。」
「じゃあね~。」
 二人は得意げにニッと笑って走り出した。
「あー!!すぐ追いつくからな!!」
 エディンの悔しそうな声に、つい吹き出してしまう。
「追いつかれる前に早く届けよう!」
「おう、へばんなよ?」



「ちくしょう…負けた…。」
 依頼主の屋敷の前でうなだれているエディンに、マルタはピースサインを出して見せた。






「やっぱ、変だよね。」
 溜め息とともにそう言ったマルタに、フェリエが首を傾げた。
「何が、ですか?」
 あはは、とマルタは力なく笑って見せる。その様子が彼女らしくないことを気にかけて、フェリエはまた訊ねた。
「何かあったのですか?」
「ん?ああ、ちょっとね。魔法、使ってみたいなって。」
「そう言えば、マルタさんが魔法を使ったところは見たことがありませんわ。守護は何の精霊なのですか?」
 その質問にはマルタは黙ってしまった。作り笑いも消えている。
「マルタさん?」
 どうしたのだろうとフェリエはマルタを注意深く見やった。
 ややあって、マルタが口を開く。
「知らない。」
「え?」
「魔法の発現まだだもん。」
 驚きに、フェリエは一瞬言うべき言葉が浮かんでこなかった。
「…あら、そうなのですか。では、練習のしようがありませんね。…その…呪文は唱えてみたことありますか?」
「うん、ブリーズとかショートとかスパークとか、あとは、ウィール。」
 風と雷と炎と水。基本のその四種類が駄目だとすると、次は闇。
「では…そうですね、闇の魔法の呪文は…あまり簡単なものがなくて…影縛りなんてどうでしょう。シャドウタイ、です。」
 フェリエは自分の影を指さして、ここに集中してください、と言ってマルタに視線を戻した。
 うん、と頷いてマルタは呪文を唱える。
「シャドウタイ。」
 やはり何も起こらない。
「…発現がまだでは無理もありません。…きっとそのうち現れますよ。きっとマルタさんの精霊がのんびりしているのです。」
「ザイールがさ、精霊があたしに似て怠け者なんだって言ってた。」
「まあ。マルタさんはとっても働き者です。勉強熱心ですし。」
 マルタは照れ臭そうに「ありがと。」と礼を言って、やっぱりまた少し暗い表情に戻った。
「なんで、かなぁ。あたしが悪いことしてたからかなぁ。」
 ハッとしてフェリエは言葉を探した。
 マルタは知り合う前、ずっと泥棒をして生きていた。そのことを悔いているのだと知って、フェリエはどう慰めるべきか言葉を探した。
 17歳で魔法の発現が見られないという話は聞いたことがない。原因なんて想像もつかない。彼女は、精霊は聖なるものだから自分の悪行が原因だ、と考えてしまうのだろう。でも、どんな悪人でも魔法は使えるのだ。
「私の知っている例では…15歳で魔法が現れた方がいました。マルタさんは17歳でしょう?たった2年の違いです。きっとそういうこともあるのでしょう。気にしなくて大丈夫ですよ。」
 マルタは少し悲しげに笑んで、腰かけているベッドに倒れこんだ。
 その時、何かきらきらとしたものが彼女の体に降りかかる。
 フェリエはそれを見て声を上げた。
「マルタさん!!まさか!」
 立ち上がってマルタのそばに駆け寄る。
「え?何?」
「マルタさん、私に向かって、プレヤーって唱えてください。」
 何事かと、マルタは体を起こした。
「…えっと…プレヤー…。」
 フェリエの全身に、きらきらとした粉のような光が降りかかった。
「やっぱり!マルタさん、ちゃんと魔法が発現しています。あなたの精霊は、光、です。」
「え…だって、光って…守護にはつかないんじゃ…。」
「はい、一般的にはそう言われていますが、ごくまれに光の精霊を守護にもって生まれてくる子供がいるのです。一説には十万人に一人とか。マルタさん、あなたはきっと前から魔法を使っていたのです。今だって、沈んでいるご自身を守ろうとして、魔法を使ったんです。元気が出るように。」
「ホントに?」
「はい、今ちゃんと祈りの魔法を使ったでしょう?」
 恐らく戦闘中も、自分を守るために使っているはずだ。フェリエは、未熟なマルタがメンバーの中で一番疲れにくいのを不思議に思っていた。それは彼女が光の精霊を連れているからだ。
「素敵ですわ。感動です。光の精霊を連れた方にお会いできるなんて。」
 心底嬉しそうな視線を向けるフェリエ。
 マルタは照れ臭くて居心地悪くなり、慌てて立ち上がった。
「マジで?じゃ、じゃあ、あたし、回復とか出来んの?」
「はい、勿論です。多少の訓練は必要ですが、呪文さえ覚えてしまえばすぐ出来るようになります。」
 興奮冷めやらぬフェリエは、光の精霊を持つとどんなに素晴らしいかを語り出している。
 マルタは少々困りながら、おとなしくそれを聞いた。



「でさ、フェリエってば、このあたしに僧侶になれっていうんだよ?光の精霊を守護に持ってると、すんごい力のある僧侶になるんだってさ。」
 次の日、マルタは嬉々としてザイールに報告した。
「お前が僧侶になったら、教会が滅茶苦茶だな。」
「あ、あとね、闇の精霊持ってる人もすごい僧侶になるって言ってたよ?」
 僧侶になれば?と悪戯っぽい笑みを向けるマルタに、ザイールはケッと喉を鳴らす。
「冗談じゃねぇ…。あんな退屈そうな仕事、死んでもやだね。」
「言うと思った。」
 あはは、とマルタは楽しそうに笑った。
「おら、ターゲットだ。気合い入れろ。」
「はーい。」

 今日の仕事は畑を荒らす四足の獣型モンスターの退治だ。極力作物には影響のない形で倒さなくてはいけないため、少々やりづらい。
「もう一発射ち込め!」
「了解!」
 畝を超えない位置から攻撃を仕掛け、畑から誘い出す。
 しかし好戦的な筈のそのモンスターは、攻撃を仕掛けても反撃のためにこちらに近づいてくるどころか、身を隠そうと作物の陰に入って行きそうになった。
 チッとザイールの舌打ちが出る。
「バインド!」
 縛り魔法でそれ以上作物に近づかないようにはしたが、縛りが効いている間に倒し終えるのは難しい。加えて、続けて縛り魔法をかけようとしても、二度目はかかりが悪いものだ。
「…おい、お前、回復魔法は?」
「…一応昨日、ヒールの練習したけど…。」
「成功率は。」
「えー?…8割…。」
「…6割か。」
「8割だってば!!」
「どうだか。」
「8割だもん!!」
 ぷーっと怒った顔に、ザイールはニィッと歯を剥く。
「言ったな。ならやって見せろ。」
「え!?」
 頼んだぞ、と言ってザイールはモンスターに駆け寄り、作物を体で守って剣で斬りかかった。
 剣圧が周りの作物に当たっては元も子もない。普段ならパワーのある技でモンスターを翻弄する彼が、今回ばかりはちまちまと通常攻撃を繰り返すしかなかった。
 すぐにバインドが解け、モンスターは目の前のザイールに鋭い爪を向ける。ハッとしてマルタはヒールを唱えた。
「ヒール!!」
 何も起こらず、ザイールの傷は増えていく一方だ。
 泣き言を漏らしそうになるが、失敗を悔しがっている場合ではない。続けてマルタはヒールを唱える。
 ザイールは作物を守るためにその場に足を踏んばり、攻撃を避けようともしない。
「ヒール!ヒール!!ヒール!!!」
 何度目かにやっと光がザイールを包んだ。しかし、まだ覚えたての魔法の力は微々たるもので、全回復には程遠い。マルタは祈るような気持ちで呪文を繰り返した。

 ドサッという音を立て、モンスターは倒れた。
 ザイールは大きくため息をつく。
「何とかなったな。」
「ザイール!…大丈夫?」
「心配するんなら、もっかいぐらいヒール唱えとけ。」
「うん、ヒール!」
 ザイールを光が包み、体にできた傷が塞がる。
「8割にしちゃ、呪文の回数と回復の回数が合わねえな。」
 そう言って笑うザイールに、マルタは「ごめん。」と呟いた。
 いつになく殊勝な様子を見て、ザイールは肩をすくめる。
「何謝ってんだよ、らしくねえ。『回復してやったんだから、その分の報酬よこせ』ぐらい言え。」
 そう言ってモンスターの死体の処理を始めたザイールの後ろで、マルタはポカンとした。
「…え?…あ!くれるの!?回復した分の報酬!!」
「やるとは言ってねえだろうが。」
「えー!?回復してあげたのは事実じゃん!!」
「3割の確率でな。」
「さ…5割だよ!!」
「二回に一回成功してたか?」
 聞かれて思い出してみると、確かに5割には到達していない気がする。
 ザイールは作業を終えて立ち上がり、言い返す言葉に困っているマルタを置いて歩き出した。
「あ、待ってよ。…3割でいいけどさ、回復したのは事実でしょ?」
「報酬はいつも通りだ。」
「えー!?」
「膨れんな。晩飯奢ってやるよ。」
 思わぬ言葉にマルタはポカンとする。奢ると聞こえたのが聞き間違いかと思ってしまうほど、予想外のことだ。いつもはザイールがダメだと言ったら絶対に覆らないのに。
 数秒呆けたあと、マルタは駆け出した。
 嬉しそうな顔でザイールを覗き込む。
「ステーキがいいな!高いヤツ!」
「…しゃーねーな。祝いだ。酒もつけてやる。」
「…イワイ…?」
 さっきから予想外の言葉が続いて、脳内で言葉を正しく理解できない。
「魔法発現のに決まってんだろうが。」
「魔法発現の…祝い…。」


 そんなお祝いをする風習は聞いたことがない。祝われるなんて思いもしなかった。もしかして、気にしていたことを知っていたのだろうか。いつもは面倒臭そうに相手をするくせに。なんだろ、このオジサン…。

 見上げる瞳が気に食わなかったのか、ただの照れ隠しか、ザイールはいつものように乱暴に、マルタの後頭部を掴んでぐいっと押した。





 久々に5人でギルドの仕事をすることになり、皆意気揚々と目的地に足を運んだ。
 今日ザイールは何か所用があるようで、いつものように出かけていったマルタは追い返されてしまったらしい。
 フェリエは再三休みを取るように言われていたのだが「封印解除を一人でも多くやりたい。」と聞き入れず、困ったサウリに「一つのことだけをやっているのは修行僧として良くない。」と別の魔法の鍛錬をすることを命じられた。勿論それは体力を極限まで使ってしまう封印解除より、モンスターと戦う方がずっと体にかかる負担が少ないのを見越してのことだ。
 なんにしても久しぶりに揃ったことが何となく嬉しいのは、皆同じだった。


 沼地に住み着いてしまった大型のモンスターは、毒を吐くらしい。万全を期して前日からマルタに毒消しの魔法を練習させてきた。ヒールも随分使い慣れて場合によっては呪文なしで発動したりすることもある。さすが光の精霊を持つ者といったところだ。
「いないな…。」
 沼は静かなものだった。
「マディーンって…どろどろなんだよね?沼の中に潜ってるんじゃない?」
「…火に弱い筈だよ。エディンの魔法で炙り出したらどうかな。」
 キャムの予想に同意してマルタが提案したやり方には、カードも頷いた。
 ザイールのおかげでマルタの知識は格段に増えた。これまでカードの知識が頼りだったのだが、そのカードが唸るほどだ。
「沼地の向こう側を囲むように火を使うか…。エディン、できるか?」
 コクリと頷いて、エディンは左腕を沼地に向けて伸ばす。
「なるべく植物は焼かないようにな。」
「ああ、わかってるって。」
 沼地の上に走るように炎が伸びていく。反対側を半分囲むように燃え盛る火は、泥沼の中からでも解るはずだ。
 しばらく待つと、ターゲットは沼から上がってきた。
 水から離れたところでエディンが後ろに回り込んで退路を断つ。
「行くぞ!」
 おう、はい、わかった、など思い思いの返事を返し、皆武器を構えた。



「マルタ!ピュリティ頼む!!」
「マルタ!ヒールお願い!!」
「こっちもだ!」
 フェリエ以外の3人が代わる代わるマルタを呼ぶ。
「ちょ…ちょっと!!なんであたしばっかなの!?」
 何巡かしたところで、マルタが肩を怒らせて抗議した。
 まだ戦闘中だ。攻撃魔法を撃とうとしていたフェリエは慌てて回復魔法に切り替えた。
「マルタさん、任せてください。攻撃お願いします。」
 そう言って、呪文を唱え始める。
「あ…いや、別に…いいんだけどね…。」
 フェリエに文句が言いたかったわけではなかったから、マルタは少々気まずくて口ごもった。
「彼の者に生の活力を。ヒール!」
「命を乱す穢れを取り去れ。ピュリティ!」
(あ、…そっか。)
 フェリエが回復魔法を使うのを何度か見て、マルタは気付いた。



「わりぃわりぃ。」
 モンスターを倒した後、頭を掻きながらエディンがマルタに謝った。
「呪文言わなくていい分、マルタのほうが早いだろ?だから、つい。」
 あはは、私も~、とキャムも苦笑いを向けている。カードも掌を立てて、申し訳ない、という風に笑った。
「ううん、いいよ。あたしもなるべく上手にできるように練習するね。」
 フェリエの守護精霊は水属性だ。光属性の魔法を使うには必ず呪文を唱えなくてはならない。『ヒール』などの指示呪文だけでなく、精霊の助力を求める呪文が必要なのである。難しい魔法になればなるほど呪文は長くなり、唱えている間はどうしても無防備になってしまう。

 もし、自分が光属性の高位魔法を呪文なしで出すことができれば、とマルタは考える。
 光の高位魔法にどのようなものがあるのかはまだ知らない。しかし、それができればこの上ない戦力になるのではないか。
 フェリエが自分に僧侶になるべきだと言ったのは、おだてたわけでも冗談を言ったわけでもなく、光の魔法をより有効に使い、仲間の役に立つことができるからなのだと納得した。
(僧侶なんかになる気はないけどさ。)



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