霧の向こう

1.二人の旅



 エディンは不機嫌に空を見上げていた。

 村を一望できるその場所は、彼の特等席としていつも空けられていた。
 眺めがいいから他の子供たちだってそこで寛ぎたいだろうに、それはまるでいけないことのように教えられている。
 別に昔からの習わしでも何でもない。
 ただ、エディンのお気に入りの場所だと言うだけのことなのだが…。

 それがどうしてそうなってしまったかと言えば、エディンが村一番の剣士だからということだろう。
 彼はそんな特別扱いが欲しくて強くなったわけではない。
 ただ、強く、格好良くなりたいと夢見て、鍛錬に励んだだけだ。
 その結果、いつの間にか村の役に立つ剣士に成長していたのである。

「エディーン、西門に大蛇がいるんだって!来て!」
 エディンはハッと我に返った。
 物思いにふけることはあっても、村を守る仕事をサボろうなんて気は少しもない。
 急いで剣を持って駆け出した。

 呼びに来たのはエディンの家の隣に住むキャムだ。10歳になったばかりのおてんばな女の子である。
 もう18になったエディンから見ればまだまだ小さな女の子だが、本人は彼のパートナーになっている気でいる。
「タァくんちのおじさんが怪我したって。今治療受けてる。」
 走りながらキャムが知っている情報を聞かせる。
「蛇は門の外か?」
「うん、開けたら入って来そうだって。」
「門の北側からまわるぞ。」

 門はこんもりと盛り上がった小山の間に作られた木製のもので、大した強度はない。
 行ってみると大人たちが丸太を渡して補強していた。
「おう、エディン。悪いな、俺達には手に余ってな。」
「任せとけって。」
 今、村にはエディン以上の戦士はいない。そのため、こういった仕事の大半が彼に回ってくる。
 他の戦士は家庭を持っていて、農作業もあり、モンスター退治だけをやっている訳ではないのだから当然のことではある。

 エディンは門の北側の小山に、草をかき分けながら登っていく。
 その後ろにキャムが続いた。
「キャム!お前はやめろ!」
 呼び止めたのは先程門の補強をしていた大人たちの一人だ。
 彼女の両親だけでなく、村の大人全員が彼女のおてんばに手を焼いていた。
 女の子が野山を駆け回るだけでもあまり歓迎されないのに、モンスターに自分から向かって行くなんて危険なことを許せるわけがない。
 キャムは振り向いて、アッカンベー、と舌を出した。
「キャム!!大人でも倒せないんだぞ!?」
「エディンだって子供だよー。」
「アイツはもうすぐ戴冠だろうが!!」
 とにかく行くなと腕を掴もうとすると、ビリビリッと電気が走る。
「私がいないとエディンがやられちゃうじゃん!」
 物心がつかない歳から電気を操る彼女を、皆止めるすべを持たない。
「アイツは一人でも大丈夫だ!お前が行くことはないだろう!?」
 何とか思いとどまらせようと説得を試みるが…。
「おーい、キャム。来ないのかぁ?」
 茂みの向こうからエディンが呼んでいる。
「今行くー!」
 キャムは再び登り始めてしまった。
「ったく…。」
 当のエディンが呼んでしまったら、他の誰が何を言ったって聞きはしない。
 皆溜め息を吐き出した。



「エディン!またキャムを連れてったんだって!?」
 家に帰ると母親が毎度の小言を言い始めた。
「だって、アイツ強いだろ?」
「強いって…同い年の男の子には負けないでしょうけどね、モンスター退治をさせるような歳じゃないっていつも言ってるでしょう!?」
 同年の男児どころではなく、下手をすればエディンと同年の男でも彼女に敵わないかもしれない、とエディンは思っている。
 それに、エディンの強さには彼女の力も含まれているのだ。

 キャムが小さな頃、エディンが子守をしていたからなのか、二人は息が合う。
 偶々二人でいるときにモンスターに出くわして、それを力を合わせて倒して以来、二人には特別な『技』があった。
『ライディーンブロウ』とエディンが名付けたその技は、キャムの雷技があってこその合わせ技だ。
 キャムはその時あまりにも小さくて、どういう経緯でその技が生み出されたのかを覚えていない。
 ただ、どのタイミングでどういう風に電気を走らせればいいかを身体で覚えているにすぎない。
 ともかく、その技が二人を強く、少し傲慢にしていた。

「キャムがいた方が早く仕事が終わるんだ。本人も喜んでついてくるし。…何も悪いことないと思うけど…?」
「よそ様の娘さんに何かあったらどうするの!!」
「心配し過ぎだって。何もないよ。俺がちゃんと守ってるからさ。」
 どれだけ怒っても、エディンはどこ吹く風だ。
 今頃お隣でも同じような光景が繰り広げられているのだろうと思うと、母親は気が重くなった。






「みんなどうして怒るのかな。」
「キャムの強さを解ってないんだ。うるさくて嫌になるよな。」
 二人は特等席で寝転んで流れる雲を見ていた。
 エディンの母親の予想通り、キャムもあの時怒られていたらしい。
 確かに年齢から言えばキャムを闘わせるのは問題なのかもしれない。
 でも二人は納得できなかった。
 小さいモンスターなら、キャムは一人で数匹を倒してしまえる力がある。
 そして二人で戦えば、単純に足し算をしただけの力ではなく、それ以上の力を出すことが出来る。
 それを皆解っていないのだ。

 いつか二人で旅をしよう、というのが二人の口癖になっていた。
 でも、それは多分無理だろうとエディンは溜め息を吐く。
 幸か不幸か、彼は村一番の剣士になってしまった。
 村を守るのが彼の役目なのだ。
「なんで女は戦っちゃダメなの?」
 キャムがまたぽつりと不服を漏らした。
 だよな、とエディンは短く返す。

「いつか…二人で旅をして、でっかいモンスター倒そうぜ。」
 その言葉は夢想にすぎない。
 空の高いところを、大きな鳥が飛んで行くのが見えた。




 城から数人の兵士が遣いに来たと聞いても、エディンはそれが自分に関係のある話だとは思わなかった。
 何か新しい御触れが出され、その通達に来たぐらいのものだろうと思っていた。
 村人が呼びに来てもそれは気になるものではなく、村を守るものとして話を聞いておけとまた年寄りたちが煩く言うのだろうなと彼は複雑な顔をした。

「…俺が…ですか?」
「君がこの村で一番と噂される剣士なら、君で間違いない。」
 兵士が携えていた書状には、エディンに対する呼び出し云々が書かれていた。
 何でも国の北端に位置する山に国軍でも手に負えないほどのモンスターが出現したらしく、その討伐隊を組むために名だたる戦士を集めるのだという。
「…城に…出向けばいいんですか?」
「取り敢えずは。そこで試験を受けてもらい、充分な力があると認められれば女王から名誉ある任務が言い渡される。力を試してみないか?」
 エディンの頬は紅潮が見て取れるほどだった。
 こんなチャンスがあるだろうか。もう諦めていたことが突然目の前に降ってきた。これを逃しては二度と、そんな幸運はやって来ないだろう。
 逸る気持ちを抑え、忘れてはならないことを口に出す。村長がいる手前、エディンは村の戦士としての立場を貫かなくてはいけない。
「…でも、少し問題が…。」
「どうした?」
「俺がいなくなると、村の守りが手薄になります。他にも戦える者はいますが、戦力が減るのは困ります。…ですよね?村長。」
 気にせず行って来い、なんて言葉は期待できない。
 実際エディンがいなくなれば、村はモンスターの脅威に日々怯えることになるだろう。
 一も二もなく「行く」と答えたい気持ちを拳の中で握りつぶす。
 村長は無言で頷いたが、それには兵士が解決策を提示してくれた。
「勿論それはこちらも心得ている。この村も大事な国土だ。国にはそれを守る義務がある。君がこの村を留守にする間は、我々がこの村の守りを固める。」
 そう言って後ろに控えた兵士たちを示す。駐屯の準備もしてあるらしい。
「…じゃあ…。」
「君は心おきなく、その力を試してくればいい。言っておくが、この辺りのモンスターは大人しい方だ。いつものように簡単にいくものではないということは心得ておけ。」
 胸の中で何かが湧きあがる。
 今度こそ、手放しで喜んでいいのだろうか。それでもやはり村人の前ではそんな態度を取ってはいけない気がする。
 必死で冷静を装い、大人ぶって呼び出しに快諾の意を示した。

 エディンの意志を確認すると、兵士は懐からもう一つ書状を出して読み上げた。
「なお、噂に聞く連携技と言うものを女王が見てみたいと仰っている。その戦士も同行させることを命ずる。」
「それはっ!!」
 黙って聞いていた村長が、驚きに声を上げた。
 兵士は、村一番の戦士を貸し出すことには了承した村長が何故それほど驚くのかが解らない。
 駐屯の兵士は充分な人数の筈だと訊ねる。
「何か問題が?村の守りなら我々が…。」
「そういうことではありません!あの子はまだ子供なのです!」
 書状にある『その戦士』というのがまだ10歳の女の子だと知ると、兵士も困惑の色を見せた。
「…しかし…この文面では…断れば命令に背くことになります…。」
「エディンには選ぶ権利が与えられているのに、何故…。」
 ふん、と兵士は考えに入る。
「実のところ、エディンに対する書状も命令のようなものです。私は必ず説得して出向かせるようにと命令を受けてきました。了承の返事を得られなければ、それは私が命令に背いたことになります。」
「何故、キャムに対する書状は命令になっているのです。」
「こちらは私が城を出る直前に渡されたものです。後から女王が見たいと仰って、取り急ぎ書かれたのでしょう。恐らくは子供だということを知らずに。心配はいりません。女王も子供を討伐隊に加えようなどとは仰らない筈。命令は城に出向くところまでです。試験を受けろとも書かれていない。女王に披露するだけでいいのです。」
 確かに、命令は城に行くところまでで、それ以上のことは書かれていなかった。
 村長は一晩考えさせてもらうと兵士に返事をして、その晩キャムの家に相談に出向いた。


「本当に披露するだけで帰らせてもらえるんでしょうね!?」
 キャムの両親が村長に喰ってかかる。
 村長は困り顔で宥めるように「まあまあ、」と両手を胸の前に広げた。
「書状には『命ずる』と書かれていた。背いては要らぬ疑いを掛けられかねないだろう。書状をしたためたところで、10歳の子供がそんな技を使うと信じてくれるか解らない。それこそ女王の不興を買うというものだ。旅はエディンと一緒だから問題はないのだし、堪えてくれんか。」
「エディンは試験に受かったら、討伐隊に入ってしまうではないですか!」
「兵士の話だと、そんな簡単なものではないらしい。エディンも腕試しに行くだけで、受かるとは限らない。万が一受かっても、キャムを連れ帰る時間ぐらい貰えるだろう。」
 何を言ってもキャムの両親には承知できることではない。
 村の近くでモンスター退治をしているだけでも命の縮む思いで心配をしているというのに、そんな遠いところに行かせるなんて。
 堂々巡りを続けている大人たちを、エディンとキャムは少し離れて見ていた。
 こそっとキャムが言う。
「行けるといいな。…私も討伐隊の試験受けたい。」
「あはは、試験は無理だよ。俺だって簡単じゃないって釘刺されたんだから。」
 でも、とエディンは思った。
 討伐隊に入るのは無理でも、討伐の旅に連れていくことはできないだろうか。
 強いモンスターと戦わせる気はない。でも、約束をした。
 いつか二人で旅をしよう、と。
 それは城までの短い旅で満足できるような約束ではない。世界中を二人で巡ることを思い描いていたのだ。
 チャンスはこれっきりだ。
 そう思ったら、エディンは立ち上がっていた。
「おじさん、おばさん、キャムを連れて行かせてください。お願いします。必ず俺が守ります。危険なことはさせません。ちゃんと連れ帰ります。どうか、お願いします。」
 深々と頭を下げる。
 キャムも立ち上がった。
「お父さん、お母さん、お願い!旅してみたいの、エディンと一緒に…お城まで…お城まででいいから。」
 キャムの旅はお城までで終わり。ちゃんとエディンが連れ帰る。
 それは、小さなウソだった。
 示し合わせたわけではないが、二人とも、もし状況が許せばその先も、と考えている。小さな小さな期待を抱いている。
 きっと許されないだろう。もしかしたら試験に落ちて、それでお終いかもしれない。
 でも期待せずにいられないのだ。





 翌日、二人は村長の家に呼び出された。
 昨夜遅くまでキャムの件で話し合っても答えは出せず、今朝も親たちは話し合っていたようだった。
 二人して頭を下げて頼んだが、どうなるか予想もつかない。
 女王からの命令なのだから、城まではもしかしたら行けるかもしれない。そう思ってすぐ、キャムの両親がどうしても首を縦に振らずに断りの書状を書いたかもしれない、と思い直す。
 緊張の面持ちで、村長が待つ部屋に入った。

「いいの!?」
 エディンの引き締まった返事は、キャムの歓喜の声で掻き消された。
「これ!キャム!静かになさい!」
 母親にたしなめられ、キャムは恥ずかしげに小さくなった。
 村の者たちだけなら気にしない彼女も、外から来た兵士の前では多少なりとも羞恥心が湧くようだ。
「エディン、くれぐれもキャムを頼む。危険なことには近付けないこと。もし道中怪我をしたら、すぐに引き返すこと。万が一、討伐隊にキャムを加えるというような話が出た時には、断固として否と答えること。…いいな?」
「…きっと、…それはないと思います。」
 討伐隊に加えるなど、ありえないだろう。強いと言ってもキャムはまだ子供だ。
「万が一だ。いいな?」
「はい。」
 世界中を旅するにはまだ早いのだと、エディンは何度も自分に言い聞かせた。
 たとえチャンスがこれっきりだとしても。

 キャムの両親はエディンに「頼む」と何度も頭を下げた。
 親戚のような付き合いの一家なのにそんな風にされるのは居心地が悪かったが、それだけ責任が重いことなのだと諭されているように感じた。
「絶対、怪我なんてさせません。必ず連れて戻ります。」
 改めてそう誓って自戒を込めて口に出す。
「大丈夫だよ。ホントみんな大袈裟なんだから。」
 キャムは不服そうにそう言った。





 村のことは兵士に任せて、二人は出発した。
 城までなら途中で一度野宿することになるが、モンスターよけの薬草は有り余るほど持たされているから問題はないだろう。
 キャムは初めての旅に浮かれている。
 エディンは修業時代に何度か街に行く大人について行った事があるから、この程度の旅は小旅行とも呼べないぐらいだ。
 でもキャムは村の周りでモンスターを狩ることはあっても、それ以上先には行く機会がなかった。
 浮足立つのも仕方ないというものだ。
「油断するなよ?薬草に強いモンスターだっているんだから。」
 この辺りでそういうモンスターに出くわしたという情報は聞いたことがないが、あまり浮かれていると転ばないとも限らない。
 脅すつもりでエディンはそう言った。
「え!?そうなの!?」
 やはりそういう知識はなかったか、と苦笑する。
「あの兵士も言ってたけど、うちの村の周りは大人しいモンスターばかりなんだ。街に近づくにつれて強いのが出てくる。…街の向こうは…あまり良く知らないけど、また違ったモンスターもいたはずだ。」
 へ~、と感嘆の声をあげてから、「流石エディン。」とキャムは笑って見せた。

 小さなモンスターには何度か出会い、キャムも問題なくそれを倒していく。
 エディンの手伝いなど要らないくらいだ。
 野宿をするときの心得はエディンが知っていて、それを教えればキャムは素直に聞いた。
 一晩薬草をたき続け、モンスターに眠りを妨害されることもなく朝を迎えた。
「燃え残りはきちんと片づけるんだぞ。」
「はーい。」
 野宿の後片付けを終えて出発すると、すぐに開けた高台に出た。
「エディン!お城だよ!ほら見て!」
 少し先を歩いていたキャムが興奮気味に指さしている。
 すぐ横に立ってそちらを見れば、左右の山で挟まれた谷のずっと向こうに、街が見え、そこに城らしき形の建物が見える。
「ほんとだ、こんなところから見えるんだな。」
 見えるとは言ってもまだ距離はある。今日一日歩いてやっと着くぐらいだ。暗くなる前には着けるだろうか。
 暫し二人で景色を眺めた。
 あそこまで。あの城まで行ってしまったら、キャムの旅は終りだ。
 少しの感慨。
 それは若者に良くある一時の感傷なのかもしれない。
 少し視点を変えれば、キャムは若くてこの先いくらでも時間はあるのだから、今回の旅がこれで終わったところで悲しむ必要はない。
 エディンの感傷の本当の原因が自分の人生にあるのだということに、当の本人はまだ気付いていない。
「エディン?」
「…行こうか。暗くなる前に着かなくちゃな。」

 小さい頃から面倒を見ていた。
 幼馴染みで、兄妹のような関係だ。
 だからいつも一緒にいた。共にいるのが当たり前になっていた。
 大人たちの言う、女の子なのだから危険なことをやっちゃいけないという考え方も解らないではない。
 もし彼女が大人しくておしとやかな女の子だったら旅に連れ出そうなんて考えなかっただろうし、もしかしたら「一緒に旅をする」という約束もなければエディン自身も村を守る仕事だけで満足していたかもしれない。
 でもキャムはそんな風ではなかった。村の大人たちの考え方は、彼女を縛り付けることにしかならないだろう。
 「村から出る」ということがエディンの元々の願望なのか、約束所以の自由欲しさに依る願望なのか、はたまたキャムの旅に対する夢を叶えてあげたいという願望なのか。
 そんな疑問すらエディンには湧いてこなかった。
 ただ、自分が村に縛り付けられている限り二人の約束が果されるチャンスはやって来ない、とずっと思っていた。
 だからこのチャンスは、『約束』という観点からみると生涯たった一度のものなのだ。


 沢に出たところで、エディンは感傷に気を取られて、はしゃぐキャムからふと眼を逸らした。
 その時、短い悲鳴と水音が耳に届く。
「キャム!?」
 すぐに視線を戻すと、キャムは浅瀬の岩の上で転んでいた。
「いった~い。」
 大事ないことにホッとしてエディンは笑った。
「何やってるんだよ。そんなとこで転んでちゃ、城まで行けないぞ?」
「む~~~ぅ。ちょっと滑っただけだもん。たまたまだもん!」
 あはは、とまた笑って手を差し出す。
 キャムはその手につかまって立ち上がった。
「あー…びしょびしょ…。最悪…。」
「天気がいいからすぐ乾くだろうけど…着替えるか?風邪引いても困るし。」
 すぐ近くの日当たりのいい大岩に上がって荷物を開ける。
 ごそごそと荷物を漁るエディンの行動に、キャムは少々困惑した。
「あ…あのさ…着替えるって…ここで?」
「え?いいだろ?誰もいないし。ここ日当たりいいし岩も温まってるし。」
 エディンがいるじゃん、とキャムは反論をボソッと口に出す。
「何か言ったか?」
 彼の耳には届かなかったようで、何の躊躇いもなく服を差し出している。
 受け取ってしまったら着替えなくてはいけない。
 キャムが困ってもじもじしていると、エディンは首を傾げた。
「…どうしたんだ?………その服、お気に入りなのか?」
 だから脱ぎたくないのか?と的外れなことを言っている。
 エディンにとっては妹同然でも、キャムにとっては違うのだということが分かっていない。
 それに、兄妹だとしても男と女だ。
 女の子らしくしろと言われるのは嫌だけれど、女の子扱いされないのは少々悲しい。
 キャムは少し膨れてそっぽを向いた。
「…すぐ乾くなら面倒くさいから着替えない。」
「…風邪引かないかな。」
「大丈夫だよ!」
 ぴょんっと岩から飛び降りて、キャムは沢の横の小道を下る。
「あっ…キャムっ!待てよっ!荷物がっ…。」
 エディンの言葉にキャムはちらっと振り返ったが、止まる気はないようだ。
 エディンは慌てて服を荷物の中に突っ込み、追いかけた。


「待てって!一人じゃ危ないんだ!知ってるだろ!?」
 エディンが必死で呼び止める。その様子に、先程の不満な気持ちは薄れた。
 キャムは歩みを緩めた。つまらなそうに石ころを蹴飛ばす。
 やっと追い付いて、エディンは困ったような笑顔を向けた。
「おじさんたちから頼まれてんだからさ、怪我しないでくれよ?」
「わかってるよーだ。」



 拗ねた口ぶりは子供っぽさを目立たせてしまうのだが、キャムにはまだそんな計算は出来ない。
 早く大きくなりたい。そうすればきっとエディンの見る目も変わるはずだ。
 そんな風に思っている。

 エディンはそんなキャムの慕情に気付きもせず、兄のような優しい目を向けた。



1/22ページ
スキ