ピアノの音









隆一さんの弾くピアノの音色は、毛糸玉を一生懸命追いかける猫みたいだ。

真冬日の冷たい風で巻かれて足元に纏わりつく落ち葉みたいだ。

午後の柔らかな陽に縁取られて金色に光る産毛みたいだ。


それらを目の当たりにして心地いいなんて。
僕が隆一さんに向けて抱える感情はなんと言えばいい。














◻︎◻︎◻︎あこがれ/愛














「ねぇ、葉山っち。ここはどう弾くといいの?」

「ーーーはい、どこでしょう?」

「…ここ。この、」

「ああ、」



譜面の🎼♪と睨めっこしながら、ちょっとだけ眉間を寄せながら。
隆一さんは僕の方なんか見もしないで僕を呼ぶ。



「ここでいつもつっかかっちゃう。入るの難しいねぇ」

「慌てずに、ん。って、半呼吸飲み込んでから弾き出すといいです」

「ん。?」

「実際には声にしなくていいんですけれど…。でもそういうイメージですると、こんな感じで」



隆一さんが意気揚々とピアノの椅子を陣取っているから、わざわざどいてもらうのもなんだな…って。
まぁ、教える場合はこんなものだろうと思う事にして。
隆一さんの背後から、そっと。
覆い被さるように鍵盤に指先を置いた。





「…っ、」



すると一瞬だ。
本当にほんの一瞬だけれど。
隆一さんの肩が小さく揺れるのを見た。



(え、)



まさかこんな反応がくるなんて思っていなかったから、僕の方が面食らってしまう。
…っても、固まっている場合じゃないから、指先は触れ慣れた鍵盤をたたく。



(…どうしたんだろう)


弾きながらも内心は落ち着かない。
やっぱりこの体勢は良くなかっただろうか。
お手数でも、席をどいてもらった方が良かっただろうか…

…隆一さんは……と、ちらりと彼の姿を背後から観察すると。
今はもういつもの隆一さんで。
ホントだ、やっぱり葉山っちすごいね…なんて言ってくれていて。(いえ、褒めてくれるのはすごく嬉しいしくすぐったいんですが…)
変に意識しだしたら色んなところに目線も移り…



(ーーーつむじ…)

ここから見える隆一さんの黒髪から覗くつむじが可愛くて……
って。
こんなこと考えてるってあのひとにバレたら大変な事になる…気がする。
っていうか今の僕たちの体勢も見られたらまずい気がする!
教えていたんです、って僕が言っても。
教えてくれていたんだよ、って隆一さんが言ってくれても。


〝ふぅん。…〟


って、決して目が笑っていない微笑み付きで相槌打たれて終わりだ。
あのひと…イノランさんは隆一さんに関しては心激セマなんだから。










「ふぅん。…」




え。
隆一さんの背後に覆い被さる僕の背後から聞こえた声。
それがたった今の恐ろしい想像の中で聞いた声とおんなじで。
いや。
別にやましい事なんて何もしてないんだからビビる必要もないんですが。


(ーーー迫力が…)



隆は俺の隆は俺の隆は俺の隆は俺の隆は俺の……って!
圧がすごいですって。
何もしてません。
ただ隆一さんが可愛いって思っただけで。…って、それですでにアウトなんでしょうか⁇




「おはよー。遅れてごめんな」



そう。
仕事で遅れて登場したのはイノランさん。
明るい朗らかな声音も今はその裏があるように聞こえてならないんですけど…



「イノちゃん!」

「ん、お待たせ隆。なに、ピアノ弾いてたの?」

「そう、弾きこなしたいなって思ってる曲!難しくって葉山っちに教えてもらってたの」

「そっか、良かったな?」

「うん!」



僕が固まっている間にも、隆一さんはぴょこんと椅子から降りてイノランさんの元へ。
にこにこと弾んだ声で嬉しそうに。





「葉山君」

「ーーーーーあ、」

「おはよ」

「ーーーーーおはようございます」

「ありがとな、隆に」




「ーーーいえ、」





これくらいなんでもないですよ。
隆一さんのお願いですから。
お手伝いできて良かったです。
隆一さん、イノランさんが来て良かったですね。

ーーーつらつらつらっと、そんな当たり障りのない返事が僕の口から溢れ出す。
それはもちろん本心だし嘘でもない。
隆一さんもイノランさんも、僕にとっては尊敬と友愛で繋がったひとたちだから。

だから隆一さんとイノランさんが(隠しているつもりなのかどうかは別として)特別な愛情で結ばれているって知っているけれどそこで線引きしたりしないし。ましてやその仲に入り込もうなんて思わない。
だって僕は好きなんだ。
三人での時間。三人での音楽が。
それに。
隆一さんを世界一愛してるのは、愛せるのは、イノランさんしかいないと思うから。



ーーーでも。





「葉山っち、ありがとう!」

「ーーーいえ」

「また教えてね」

「っ…」




隆一さんの弾くピアノのように…

猫の頭を優しく撫でるように、隆一さんの髪に触れたい。

落ち葉が散る寒い風の中で抱きしめてあげたい。

陽射しの中で。柔らかな産毛に縁取られた頬に、唇を…




(…それは)

(それはだめだ)

(考えたらだめだ)

(それはもう、尊敬とか、友愛とか)

(超えてしまった想いじゃないのか)

(あこがれとか、そういう域じゃない)




「ーーー葉山っち?」



僕の様子が(きっと)おかしいから。
隆一さんはちょっと心配そうに僕を見る。
なんでもないですよって、僕は笑う。
そんな僕を。
彼の恋人は、いつもの朗らかな表情で見つめてる。
朗らかで優しい視線の奥で、僕の心情を探ってる。




「イノランさんだってピアノ上手でしょう?教えてもらえるんじゃないですか?」

「イノちゃんに?」

「はい」

「ーーーイノちゃん、いいの?」

「俺はいつでも大歓迎だけど、隆だってピアノ結構弾けるだろ?」

「〜〜俺だけじゃ出来ない部分を教えてもらいたいんだもの」

「はははっ!ーーーいいよ」

「良かったですね」

「ーーーうん!ーーーでも、葉山っちも、またお願いね?」

「ーーーーー」

「ね?だってやっぱり葉山っちのピアノ大好きだもの」



「ーーーーーーーはい、嬉しいです」












今日のスタジオでの仕事が終わると。
いつものように、隆一さんとイノランさんは二人揃って、お疲れ様って手を振って。
ドアが閉まり切る前に、そっと手を繋ぐのを知ってる。
通路を歩く間に絡まる手とか。
イノランさんが、隆一さんの耳元で愛を囁いて。
地下の駐車場の柱の陰で。
待ちきれないみたいに、唇を重ね合わせるのを知ってる。

イノランさんは優しく微笑んで、隆一さんはそんな彼に縋り付く。


友愛でも、あこがれでもない。
二人の繋がり。
あるのはきっと、とけあった深い愛なんだろう。








「ーーーじゃあ、あの時のあなたは…」

「どんな気持ちだったんですか?」




僕に背後を奪われたあの時の反応は。
どんなものだったんでしょうか?






「やばい…なぁ…」



独り言。
誰もいないスタジオで、聞いてくれるのはピアノだけで。



「恋愛は僕だって初めてじゃないです」

「知っています」

「僕が今どんな気持ちを持ってしまったか」




好きだったんだ。
ずっと前から。
それも、決して想いの叶わない相手を。
愛してしまった。






「ーーーイノランさん…早く、」



隆一さんに、消すことのできない痕を残してください。
それを見つけるだけで僕の気持ちが削がれるような。
隆一さんに向ける僕の想いが、あなたのそれと同じになる前に。






end




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