ピアノの音







あなたの前でピアノを。
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俺の仕事が終わったら迎えに行くから、それまで隆を葉山くんのとこで待たせてもらってもいい?






ーーー僕はそんなイノランさんの言葉にどう返事したっけ。



いいですよ、もちろん。

ーーーきっと、そんな感じだ。
唐突なお願いの電話に、僕は内心驚いたんだけれど。
電話越しだったから、上手く笑えてなくても大丈夫だったから。
(…でもイノランさんだからなぁ。バレてそうな気もする)

何はともあれ、彼の宝物は今、僕の部屋にいる。
初めて来る僕の部屋のインテリアやなんかの観察に忙しそうな隆一さんは、僕の心情なんて気にもならないんだろうな。





「隆一さん、お茶淹れましたよ」

「ありがとう葉山っち!ねぇねぇ」

「はい」




コト、と置いたティーカップには紅茶。
隆一さんにはコーヒーより紅茶かなって思うのは、イノランさんからの入れ知恵だ。
…しかしそんな事にも気に留めてなさそうな隆一さんは、僕の部屋の棚の飾りなんかに夢中。

冷めちゃいますよ。ーーーって言いかけて、やめた。
のびのび寛いでくれるなら嬉しいし。
今ここに隆一さんがいてくれる事がとても特別な事に思えたから。




「面白いものなんか無いでしょう?」

「そんな事ないよ、葉山っちの好きな物とかいっぺんに見られて楽しいよ」

「ーーーインテリアもそんな…拘り抜いてる感じじゃないですって」

「でもきちんとしてて落ち着くよ?初めてお邪魔したんじゃないみたい」

「そう言っていただけたら嬉しいです」

「ふふふっ」



にこにこ、と。
隆一さんは屈託なく笑って、テーブルに置いたティーカップに手を伸ばした。



「いただきます」

「はい、どうぞ」


ふぅ…と湯気が隆一さんの口元を掠めると、香りも味わうみたいに隆一さんは微笑んだ。
僕は向かいの席で、彼の所作を目で追いかける。
隆一さんと食事なんかはもう何度も行ってるし、お茶を飲む場面なんて数え切れない程見てる。
それなのに何でなんだろう。


(丁寧)

(綺麗な…)


カップを持って、お茶を飲む。
そんななんて事ない動作なのに、初めて見たみたいに目が離せない。
場所が自分の部屋というだけで、いつもの感じと違って見えて。


ーーー内心、落ち着かない。



(ーーーだめだなぁ…。こんなところ、)

(イノランさんにバレたら)





「葉山っち?」

「ーーーああ、はい」

「ぼんやり?」

「いえ、すみません」

「ーーー?」



きゅ?
小首を傾げる。



「ーーーへんなの」

「…そう、」

「ふふふっ、葉山っちどうしたの?」



くすくすと無邪気に笑う。
もうそこにはなにも無い。
計算とか、媚びとか、そうゆうのは。

きっと隆一さんにとっては、スタジオの延長の、いつもの隆一さんがそこにいる。




ーーーでも、僕は今日はどうにも…。

勝手が違うんだ。










「イノランさんは何時くらいになるんでしょうかね」

「ーーーイノちゃん?」




言ってしまってから、ハッとした。
そんな…気遣いの塊みたいな隆一さんにそんな問いかけ。
聞きようによっては客人の帰り時間を気にしている風にも聞こえなくは無い、微妙な言葉を。

案の定。
隆一さんは曖昧な笑みを浮かべて、そうだねぇ…って。



「俺の事は気にしないで葉山っちはいつもみたく過ごしてね」

「ああ、いえ。そうゆうわけじゃなくて…」

「ん?」


ーーーそうゆうわけじゃなくて…って。
また自分の首を絞めるみたいな言葉を言ってしまって、またハッとして首を垂れる。



「違うんです。いいんです。隆一さんにはゆったり過ごしていただきたいので」

「ありがとう」

「せっかく来て下さったんですから堪能してください」

「ーーー葉山宅を?」

「そうです」

「ふふっ」



ああ、よかった。
溢れた笑みは、隆一さんのいつもの朗らかなもの。
バレてない(多分…)
気付かれてはいない筈(多分ね)
さっきの台詞は隆一さんの帰り時間を気にする台詞では断じて無くて。
そうじゃなくて。

隆一さんを目の前にしてさっきから感じてる、いつもと勝手が違う僕の気持ちがよく解らなくて。
持て余し気味で。
不意をつかれたら何らかのボロが出そうな現状で。
どうにかイノランさんがここへ来るまでに自分を整えないとならないと思ったから。
迎えに来たイノランさんに、また遊びに来てくださいね。今度は是非お二人で。ーーーなんて。
そんな余裕ある大人の対応で送り出せるように。


(勘が鋭いひとだからなぁ…)

(ひとたび怪しまれたら誤魔化せる気がしない)



ーーーそう。
いつもと勝手が違う僕の気持ちの正体に、僕自身が気が付いてしまったら。




「ーーー終わりだ…」

「え?」

「ぇ、え?」

「葉山っち…。終わりって、何が?」

「あ、ぁあ…いえ」

「なんか変だよ?さっきから」

「いえ、すみません。せっかく来てくれているのに…。あの、終わりっていうのは」

「うんうん」

「ぇと…。ああ、そう!紅茶!もう飲み終わっちゃいましたか?おかわりいりますか⁇」

「え?ぅうん、ご馳走様。美味しかった」

「ーーーそぅ…ですか」



(ーーー誤魔化せた)


やや疲れてホッとしている僕の前で隆一さんが立ち上がる。
すると部屋の隅に設えたピアノの方へ行った。



「ーーーーいいね。葉山っちの側にピアノがあると落ち着く」

「落ち着く?」

「俺がね?勝手にそう思ってるだけなんだけど。ーーーピアノと葉山っちの組み合わせが視覚的にも雰囲気的にも…って事」

「見慣れてるからじゃないですか?このセットが」

「ーーーなのかなぁ?」

「それを言ったらイノランさんがギターと一緒にいたら落ち着くでしょう?」

「そうだね。それと、あと」

「?」

「ーーーどきどきしちゃう」

「ーーー」




どきどき。
少しだけ俯いて、微笑みを唇に乗せて呟く隆一さんは。
ここにはいない恋人の一番格好いい姿を思い浮かべているんだろう。


(ーーー乙女)


言えないけれど。


(可愛い)


って、やっぱり思うんだ。





「ね、葉山っち」

「はい」

「お願い。いい?」

「?…何でしょう?」



「あのね、」





ピアノ弾いてほしいな。




隆一さんのお願いに、僕はひとつ返事で頷いた。
だって、断る理由もないし。
ある意味ピアノの旋律の方が、僕の言葉よりもよっぽど今の気持ちを表せるような気がするから。


「いいですよ、なに弾きましょうか」

「嬉しい!ありがとう。ーーーえっとね、」

「はい」

「ーーー葉山っちにおまかせ」

「…何でも良いんですか?」

「どんな曲を弾いてくれても葉山っちの雰囲気が混ざるでしょう?だから、」

「それは喜んでいいんでしょうか」

「それはそうだよ。だって葉山っちにしか弾き表せない曲になるんだもの」



ーーーそんな事言われるとこの上なく嬉しいけれど。


(ハードルが上がってしまった…)


期待に満ちた目でこっちを見てにこにこしている隆一さんを視界の端で捉えながら。
さて、じゃあ。何の曲を弾こうか…と、ピアノの前に座る。
隆一さんに関わる曲、そうでない曲。
僕の好きな曲、それともまるっきり即興の曲。
それはもう、色々あるけれど。
僕の中で今回の選曲は、すんなりと決まったと思う。




ぽーん…



決まったら、思うがままに。
まず一音、指先で弾く。

始まりを報せる音で、隆一さんは背筋を伸ばした。




「ーーーもしよかったら歌っていただいても、」

「え?」

「隆一さんもよく知っている曲ですから」

「ーーー俺…?」






この曲を初めて聴いた時は僕はまだ彼らのファンで。(もちろん今もそう)
まだ二人のことも深くは知らなかったし、今の僕たちのような間柄ではなかったけれど。

きらきらして、脆くて砕けて、切なく美しいこの曲が。
彼が彼の為に作ったのだと、そう思えてならなかった。
傍でギターを奏でながら。
彼の歌が、この世で一番美しく映えるようにと。


gravity…という曲を。




「ーーーぁ、」



この際だから思う存分僕のピアノでアレンジされたこの曲のメロディを奏でた瞬間。
隆一さんの表情がふんわりと変わるのを見た。
歌い慣れているだろう、この曲を聴き歌う時。
隆一さんはきっと、彼の姿を思い浮かべるのだろう。
ほんのりと頬を綻ばせる様子は、さっきどきどきすると呟いていた時と同じ。
いまここにはいない彼を想う。

真っ直ぐに。






もしよかったら歌っていただいても…

弾き始める前に、そう言ってみたけれど。
隆一さんは歌う事なく、ピアノの側のソファーにちょこんと座ったままだった。



「ーーーーー」



あまりに印象的で、強烈で。
美しくて、脆くて、透明で。
曲も、映像も。
それからそれを歌う隆一さんも。

初めて見聴きした時は息をのんだものだ。




「ーーー…隆一さん」



ピアノを弾きながら話しかけるって事は、いつもはあまりしない事。
けれども今は、何となく。
声をかけていないと、隆一さんが曲に引き込まれて。
引っ張られて、ここから消えてしまいそうで。





「ーーーイノランさんは、」



だから僕は、敢えて彼の名を口にした。
隆一さんを何処かへ連れて行ってしまうのも彼だけど。
隆一さんをここへ繋ぎ止めていられるのも彼だと思うから。

ーーーもうすぐ仕事を終えて、あなたを迎えに来てくれますよ。



「イノランさんは、」

「…イノちゃん?」

「はい。ーーーイノランさんは、」

「ーーー」

「この曲を歌う隆一さんに」

「ーーー」

「心底恋したでしょうね」




僕の目から見たって、隆一さんは綺麗なひとだから。
ましてやイノランさんにとっては、愛すべきひとなんだから。

見惚れて。
爪弾く指先が縺れそうになったりしたのだろうか。


(ーーーいや、イノランさんに限ってそんな事はないかな)


逆に。
隆一さんの歌と呼吸し合うように、ギターを奏でたに違いない。








ピンポーン♪




曲の中盤ごろだ。
チャイムが鳴った。



「ぁ、」

「ーーーイノランさんですかね」

「うん!」



ピアノはここでおしまい。
主人の帰りを察知した猫のように、隆一さんの頭にピン…とした猫耳が見える…気がする。
僕はピアノの椅子から立ち上がって、背中に隆一さんをくっつけて、そのまま玄関へ。





「おかえりなさい、イノランさん」

「おかえりなさい?…嬉しいな!葉山君からのおかえりなさい」

「はははっ、良かったです」

「ただいま帰りました。どうもありがとう」

「いえいえ、僕は何のお構いもできませんで」

「そんな事ないでしょ。ーーーな?隆」



僕の後ろにペタリと隠れていた隆一さんの姿を目敏く見つけたんだろう。
イノランさんは、ひょこっと僕の背後を覗き込んで、そこにいる彼…に声掛けた。



「ただいま隆ちゃん」

「っ…お、」

「ん?」

「おかえり…なさい」


はにかみながら、隆一さんも挨拶。
照れ臭いのかな。



「お迎え、イノランさんが来てよかったですね」

「ん、葉山っち」

「?…はい」

「ありがとう」

「!」

「楽しかったよ?ーーーそれに、」

「ーーー」

「あの曲。もっと、好きになった」

「はい」

「あとね、」

「?」

「葉山っちのピアノもね?」

「ぇ、?」



お邪魔しました。
そう言って、丁寧にお辞儀をした隆一さんは。
僕の横をすり抜けて、玄関に立つイノランさんの横に寄り添って。
にっこり、微笑んでくれた。















ぽーん。

急に静かになった部屋で、無音なのがなんだか寂しくて。開けっぱなしだったピアノをひとり弾く。


ぽーん…




ーーーもっと好きになった

ーーーあの曲も

ーーー葉山っちのピアノもね?



帰りがけの隆一さんの言葉を思い出して、どうしようか…
胸がぽかぽか。
嬉しくて、溢れる笑みが抑えられない感じで。


ぽーん。

なす術無く、やっぱり鍵盤を弾くだけ。





「やっぱりすごいなぁ…隆一さんは」


一瞬で、こんな幸せな気分にしてくれる。



「イノランさんもそうなんだろうな」


隆一さんの側で、いつも。



ぽーん


「ーーー僕も、」



「あなたの歌が大好きですよ」




それから…



「あなたが好きです」







end




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