CAT!CAT!











林の中にも冬が来た。


早朝に土を盛り上げる霜柱を、隆一はサクサクと踏みしめる。
葉の落ちた木々の枝は、その隙間から緩やかな陽射しを地面に透す。
小川の水は周りの草を凍て付かせて、細く針のようにきらきら光る。

隆一は、はぁ…と空に息を吐いた。
途端に。
白く霞む向こう側。



「ーーー真っ白」


まだ雪は降らないけれど。
日毎、真冬へ向かう季節。
隆一には、その景色は真っ白に見えたのだ。







木蓮の木の根元にある隆一の住処は、それでも中は微かに暖かかった。
秋のうちに、いっぱいに貯めこんだ枯葉。
それが底の方からゆっくりと発酵して。柔らかくてふかふかな、あったかい暖を蓄えたベッドになっていた。
冬の林、食べ物は少なくなるけれど。
あったかい寝床さえあれば、どうにか毎年冬を越す事が出来ていた。






サクサク…


今日は冬日にしては暖かい。
天気がとても良いからか、林のあちこちに陽だまりができる。
隆一はご機嫌そうに、その陽だまりを選んで歩いていた。



「今日何しようかな」


サクサク…


「向こうに赤い実が見えるけど、あれは烏瓜だ。中身が空っぽで、美味しくない」


サクサクサクサク


「もっと美味しい木の実。どこかにないかなぁ」


鼻歌にも聞こえる隆一のひとり言。
誰に聞かせるわけでもないけれど、隆一は早朝に林の中を歩くのが好きだった。




サクサクサクサク…

ぴちょん


「ひゃっ!」


びっくん!と耳が立って。
シッポもボワっと毛が逆立った。


「ーーーびっくりしたぁ…」


上を見ながら、頭を擦る。
そう。
木の上から落ちてきた冷たい水滴が、ちょうど隆一の頭の天辺に着地したのだ。



「ーーー水?上にあるの…?」



氷柱でも上にあるのだろうか?
隆一はじっと目を凝らす。
面白そうな事は確かめたい。
そこに何があるのか見てみたい。
好奇心旺盛な隆一はキョロキョロと辺りを見回すと。
手頃な枝が張り出した木を見つけて、すぐにかりかりと幹によじ登り始めた。



カリ…カリ、カリ…


「…ん、しょ」




ぱきっ、


隆一が手をかけた極細い、枯れた枝が折れて落下する。
それを視線で追うと、自分がずいぶんと高い木の上まで登って来たことがわかって。
隆一は、ちょっとだけ。
嬉しかった。



カリカリ…


「ーーー着いた、」



もうこれ以上は登れないくらいの木の上。
掴まる場所も限られて、隆一はぎゅっと枝にしがみ付いて落ちないように。
辺りを見回した。





「…あ、」



すると天辺に。
氷で凍てついた白い花が一輪。
こんな季節にはもう花は終わった木のはずだけれど、もしかしたら秋に咲いた咲遅れの花が、こうして残って凍ったのかもしれない。
見たところ破損も無く、花の形を綺麗に残したまま凍った花は。
まるでクリスタルのティアラのようにも見えた。


「きれい」

「これの水滴が落ちてきたのかなぁ」



隆一はじっと観察した。
その花は隆一の寝床の木である白木蓮にも似ている気がしたけれど。


「春の花だし…」


それとも咲き遅れではなく、だいぶ気の早い早咲きなのだろうか?
どちらにしても、それはきらきら輝いて、とても美しくて。
隆一は惹き込まれるように見つめ続けた。











「みゃーあ」


「ぇ、?」



唐突に猫の声が聴こえて。
隆一はハッとして、枝の隙間から下を見た。



「にゃあ、隆ちゃん!」

「イノちゃん!」



木の下から隆一を呼んだのはイノランで。
こんな冷え込む早朝に、まさか会いに来てくれるなんて思わずに。あまりの嬉しさに掴まる枝から身を乗り出した隆一は…



ぱきっ!


「…にゃっ、」

「っ…りゅ、あぶない!」



体重を預けていた枝が音を立てて折れた。
猫といえどもいきなり態勢を崩した隆一は前のめりになって短い悲鳴を上げた。



タッ…!


「隆っ!」



咄嗟に幹に飛び付いたのはイノラン。しなやかな長い尻尾でバランスをとりながら、ぐんぐんと幹を登る。隆一のいる天辺まであっという間に登り切ると、前脚で枝にしがみ付いていた隆一の首筋を咥えて、太い枝の上に引きづり上げた。










「落っこちなくてよかった」

「…ぅ、ごめんね」

「びっくりしたよ。隆のところに行く途中で、木の上から隆の声がするんだから」

「俺も、まさかイノちゃんが助けてくれるなんて思わなかったよ」



お互いに思いもよらない場所で出会えて。
それがやっぱり気が合う証拠に思えて。
イノランと隆一は、高い木の上で顔を見合わせて笑った。





「それにしても何してたんだ?」


なりふり構わず勢いで駆け上ってきたから、イノランは改めて今いるその高さに目を丸くして言った。
すると隆一はエヘヘと笑って、さっき見つけた氷の花を指差した。



「これ、ここで見つけたの。お花が凍って、きらきらしてて綺麗でしょ?」

「わ、ホントだな。これだけ散らずに残って凍ったんだ」

「お姫様のティアラみたいだよね?ーーー俺ねぇ、本物の宝石って見たことないんだけど、きっとこんなのなのかなぁって思うんだ」

「ーーー宝石か」

「イノちゃんは見たことある?」

「ん?ああ、そうだな」



イノランは、隆一の問い掛けを受けて。
いつだったか飼い主のおばあさんが大事そうに嵌めていた指輪の事を思い出していた。
青い透き通った石は、なんていう名前だったか。イノランはそれを思い出せなかったけれど。


〝結婚する時におじいさんにもらったんだよ〟


そう言って、出かける時によく着けていたと。




「ーーー結婚」


ポツリ。
イノランは呟いた。

それは猫であるイノランにとっては、深くはよくわからない事だけれど。
好きなひとと一緒にいる約束だと知った時。
それは何となくわかるな…と、頷いた覚えがあった。


ひとでも、猫でも。
好きになったら側にいたいと思うから。
隆一と出会って、その気持ちはますますわかるようになっていた。


(だってさ、)

(こんな寒い冬の朝の林に)

(会いに行こうって、前日の夜からわくわくするくらいなんだから)

(隆に会いたいって、)

(いつだって思ってる)




ーーーそれってさ?

















ふたりで協力して、木を降りて。
水場の小川で、雪解けの冷たい水の飲む。


「ふぁっ…」


ぷるるっ、と首を振って、口元の水滴をはらう。
それでも細い猫髭の先に着いた細かな水玉は。隆一を飾る宝石のように輝いた。



「隆ちゃんにはダイヤモンドが似合いそう」

「ーーーにゃん?」

「ダイヤ、知ってる?」

「聞いた事はあるけど…」

「俺も本物は見た事あるけど触った事はないよ。街のショーウィンドウに飾ってあったのをガラス越しに見ただけ」

「綺麗?」

「すごく。透明で、氷みたいにきらきらしてて。光の加減で虹色にも見えて。さっき氷の花を見た時に思ったんだ。おばあさんの持ってたのは青い宝石だったけど、黒猫の隆ちゃんには無色透明のダイヤモンドが似合いそうって」

「っ…ほんと?」

「うん。だって今も、水の粒が散ってる隆ちゃん、すごく綺麗」

「!」



黒猫だから。
頬っぺたに朱が散らばる…なんて、実際にはわからないけれど。
イノランにはわかったのだ。



(隆ちゃん、照れてる?)

(ーーー可愛い)




好きだって思うのは、こんな瞬間。
お互いの小さな〝好き〟をどんどん集めて、積み重ねて、ぎゅっと抱きしめたら。
それはもう、離れられないくらい、大切な想いになる。





〝結婚したとき…〟

〝もらったんだよ〟



ずっと一緒にいようねって約束。

その約束を交わしたい相手。



それはイノランにとって。
他の誰でもない。
目の前にいる、黒猫だった。





「ーーー」



小川の氷、石の上の霜、土の中の霜柱。
ーーーけれども…




タッ!


「え、あ?イノちゃん⁈」

「隆ちゃんちょっとだけ待ってて!」

「ええっ⁇」

「隆ちゃんの住処で待ってて!」



そう言うと、ぽかんとする隆一を置いて。
イノランは林を駆けた。
今来た道を、もう一度。



























こつん。



「みゃぅ。」



かつん。



「にゃー…」





ーーーはぁ。



イノランに言われるままに白木蓮の住処にひとりで戻って来た隆一は。
つまらなそうに足元の石ころを蹴って暇つぶし。



「どこ行っちゃったんだろ…イノちゃん…」



せっかく会いに来てくれたのに。
用事でも思い出したのか、急用でもできたのか。
今日はずっと一緒にいられると思っていただけに、落胆は大きい。



「一緒にご飯とか…一緒にお昼寝とか」


「赤い木の実も一緒に探したかったな」



それから土に埋まったドングリや、昼間の空の白い月も一緒に見たかった。
イノランと一緒なら、どんな事だって楽しい。
だからこそ、ひとりになった途端に感じるのだ。

寂しいって気持ち。





「っ…ぐし、」



鼻を啜って気が付いた。
泣いてる自分。
これくらいで泣くなんて。
そもそも猫は群れない。
ひとりで平気なはずなのに。



「ーーーっ…違、」


何でだろう?


「イノちゃ…」


イノランだけは違うのだ。



「…ふっ…ぅ…ぇ、え、」



嗚咽が止まらなくなった。








「隆ちゃん!ごめん、」



「ーーーっ…にゃ、」


「待たせた!」





ザッ…!と、木蓮の木の根元に駆け寄って来たのはイノラン。
何処へ行ったんだろう?と、待ち焦がれた彼だった。














ぐすぐすと鼻を啜る隆一を見て、イノランはおおいに慌てて側に寄った。
急にいなくなったから心配も落胆もさせてしまったんだろうと、謝った。





「ごめん」

「…ん、」

「ごめんな、いきなり」

「ーーーーーゃだ、」

「隆、」

「…いなく、なる…の」

「!」

「一緒にいたい…」

「っ…隆、ちゃん」





ぺろ。


「ん、」



舐める。
相手を宥める、一番の方法。
イノランは涙で濡れた隆一の目元と、それから綺麗な毛並みを丹念に舐めた。
ごめん、と。
愛おしさの気持ちを込めて。





















落ち着いた頃。

イノランは、大切に持ってきた物をそっと差し出した。





「っ…ぁ、これ」

「ーーーちょっと溶けちゃったけど…」

「イノちゃん…」

「さっきの、木の上で凍ってた花」

「それで引き返して来たの?」

「ん。ーーーほら、宝石とか、ダイヤモンドの話したじゃん」

「ぅ、うん」

「ーーー隆にあげたくて。隆にも、きらきらの宝石」

「!」




〝結婚〟とか、〝一緒にいようね〟とか。
それから。
隆一によく似合う、無色透明のきらきらした輝き。



「俺には本物の宝石をあげるのは…今は難しそうだから…。今は今日見た中で一番綺麗な物を隆ちゃんに」


無理だから。とは言わないのは、イノランなりの意地だ。
いつかは溶けないきらきらの宝石をあげたいと思うから。




「ーーーだからさ。…その、」

「え、?」

「ーーー隆ちゃん、」

「…ぅん」




きらり。


解けて艶を増した氷の花が、朝陽を受けて光り輝く。
頑張れと、イノランの背中を押す。

いつかの雨の日の夜に思った願いを。
言葉変えて。





「隆ちゃんが好きだよ」

「ーーーぁ、」

「一緒にいよう?」




「…イ、」



ぽたん。


(…うわ、)



ぽたん、ぽたん。
隆一の大きな瞳から涙が落ちる。
寂しさじゃなくて、嬉しさの。



「っ…ぅ、う、」

「りゅー?」

「ーーーっ…イノちゃん!…うん!」



ありがとう!嬉しい!の笑顔をいっぱいに浮かべて。
隆一はイノランに体当たり…じゃなくて、抱きついて。
鼻先をちょんと突いて、親愛のシルシ。



「俺もイノちゃんが大好き」



ふたりの隙間の氷の花は。
いつのまにか解けて、砕けて。
中の白い花だけが、美しく黒猫に映えていた。





end





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