CAT!CAT!











〝お前の色は夜空のようだね〟


〝黒い毛並みと、琥珀の瞳〟


〝まるで夜空と月みたい〟


〝とっても、とっても…綺麗よ?〟


〝…隆一〟








ーーーそれが俺の、母さん猫との最後の記憶。
この青い花の野原で、一緒に夜空を見上げたあの日。

翌日。
狩りに出た母さん猫は、そのまま帰って来なかったんだ。













ふぁあぁあぁぁ。



よく寝たぁ…。


青い花の野原をちょっとだけ奥に進んだ雑木林。
そこに俺の寝床がある。
立ち並ぶ木々の中に、一際面白い形に伸びた白い木蓮の木があって。その木の根に出来た、地面と岩と根っこの、天然の隙間。
そこで俺は暮らしてるんだ。
ーーー子供の頃から、ずっとね。




朝陽が眩しく、寝床の中に差し込んで。
俺は大きく欠伸と伸びをすると外へ出た。




「いい天気!ーーー今日はちょっと、暑いくらいかも?」


鼻先で木々の匂いを嗅ぐ。
気温が高くなる日は、こんな早朝から空気が違う。草の匂いも、いつもより濃く感じられるんだ。


サクサクサク…


下草を踏みながら、いつもの水場へ。
耳を澄ますと聞こえてくる、小さな小さな水の流れる音。
この雑木林の裏手には小さな山がある。そこから湧いて流れる水は、細い小川になってここまで届く。

冷たくて美味しい、綺麗な水だ。

バシャバシャッ…と顔を浸して。それから水を飲む。




「っ…ぷはっ…ぁ!ーーー」



美味しい水。朝起きて、ここで水を飲むと今度はお腹が空いてくる。

雑木林は、よーく見ると食べ物がいっぱいだ。
木の実、柔らかい草の芽、小川の中の小さな魚。蟹とかもいるんだよ。花の蜜。ツツジの蜜は美味しいよ!

…こうゆうのは全部、小さかった頃に教わった事。




「ーーーお腹すいた」



ぐぅ…
寂しそうなお腹をさすって雑木林を駆け抜ける。
そうしたらすごく…甘い匂い。



「ーーーっ…もしかして!」



匂いを辿って注意深く進む。

もうちょっと…?
こっちかな?


サクサクサク…

…サク。




「あ!あった!やっぱりだ」



見つけた見つけた!
俺は嬉しくなってそれに駆け寄った。
何かって⁇

それはね。




「ハチミツ!」




木の上から落ちたのかな。
蜂の巣が地面に落ちて、壊れてる。
もう先客の虫や小鳥がいたけど。

…俺にも少し頂戴ね?



ぺろ。
ひと口舐めて。
思わずニンマリ。


「うわぁ~!美味しいな」


甘いの大好き!

実はハチミツは自分で見つけた美味しい物。これは母さん猫には教わらなかったんだけど。
見つけちゃったんだよね。
今では俺の大好物なんだ。









甘い朝ごはんで満足。

これから青い花の野原に歩いて行って、毛繕いの時間。
それから歌をうたおうかなぁ。


サクサクサクサク。

野原までの道を歩きながら思い出す。
それは昨日の出来事。
久しぶりに出会った、同じくらいの歳の猫。
灰色の身体と、深いブルーグレーの目が格好よかった。




「ーーーイノラン。…イノちゃん」



低めの声が心地よくて。
優しく笑う表情が、好きだなって思った。



「…俺と会えて嬉しいって…」



また来るって言ってた。…イノちゃん。

俺も嬉しかった。
俺もまた会いたい。
昨日は初めてで、ちょっと緊張してしまったから。
ーーー次に会えたら…



「いっぱい話そう」


俺の事。


「いっぱい聞こう」


イノちゃんの事。



こんなに誰かにわくわくするのは久しぶり。
…とゆうか。
初めてかもしれない。

ずっとひとりで暮らしてきた。
もちろん、楽しくもある日々だけれど。
ひとりの俺の日常に突然現れた、彼。

何か素敵な事が始まったんだって、そう思えたんだ。









朝の野原は静かだ。


そよぐ風で青い花が揺れるばかりで、動物の気配も、あんまりしない。
時々小鳥の声が聞こえるけど、朝だから忙しそう。





ぺろぺろ。

毛繕いは、時間をかけて丁寧にやる。
汚れたままは、色々良くないからね。

ぺろぺろ。

しかも今朝は朝ごはんにハチミツを食べたから、黒い毛のあちこちがペタペタする。俺はそのひとつひとつを、丁寧に舐めて綺麗にした。



「みゃう」



そうだ。
もしかしたらまたイノちゃんに会えるかもしれないんだから。
綺麗に綺麗に。
丁寧に丁寧に…



ぺろぺろ…ぺろぺろ。



仕上げに顔を拭いて、手のひらを舐めて。
完成。

ーーーいつもより、もっと時間をかけて丁寧に。



「…みゅう」



綺麗になったかな?
変じゃないかな。
ちゃんとチェックしようと身を捩ったら、くるくる回ってそのまま花の上に転がってしまった。
急に視界が変わってびっくりしてたら、すぐ側で声が聞こえたんだ。




「隆ちゃん、大丈夫?」

「っ…にゃあ」



ーーーえ、⁇



「ーーー起きられる?」




草丈が少し伸びた青い花。
そこに寝転がる俺の、花々の隙間からの視界に見えたのは。

灰色の猫。
青空を背中に背負って、優しげな声で俺に話しかける、イノちゃんだった。






「おはよう。…朝早くだけど、来ちゃった」

「ーーーにゃーぁ」

「あ。…早過ぎだった?」

「にゃ!っーーーう、ううん‼」

「ホント?」

「ホント!大丈夫だよ?早くに来てくれて嬉しい‼またイノちゃんに会いたかったんだ」

「そっか!それじゃあ、良かった。ーーー俺もね?昨日帰ってからも、早くまた会いたかった。隆ちゃんに」

「にゃん!」




俺は嬉しくなって、ぴょん!と起き上がって。
じっと見つめてくるイノちゃんの鼻先に、ちょんと自分の鼻先をくっ付けた。



「っ…隆ちゃん」



…思わずしちゃったんだけど…。いきなりだったから、イノちゃんはびっくりしたみたい。



「あ…ごめんね?…いきなり」

「や、いいんだよ全然!びっくりしただけってゆうか、むしろ嬉しい…し」

「え?」

「仲良くなれてさ。嬉しいよ?」

「っ、うん!」



お返しとばかりに、今度はイノちゃんから鼻先をツンツン。
昨日出会ったばかりなのに、こんなにすぐ仲良くなれるなんて不思議だ。

そんな事を思っていると、イノちゃんはちょっと首を傾げて俺を見る。
ーーーなんだろう?




「なぁに?イノちゃん」

「ーーー昨日も思ったんだけど。…隆ちゃんいい匂いするな」

「⁇…匂い?」

「うん。なんの匂いだろ…。最初この青い花かなぁって思ったんだけど、ちょっと違くて。隆ちゃんの側に寄るとすごくいい匂い」

「ーーーん…。ーーー今朝は…ハチミツを食べたけど。…それかなぁ⁇…でも昨日は食べてないし…なんだろ」

「ハチミツ?」

「うん、今朝の朝ごはん!大好物なんだぁ。…でもいつもある訳じゃないから、見つけたらラッキーなの」

「へぇ!」



イノちゃんは目を丸くして、もっと俺をくんくん…。
ーーーそんなに俺、匂いがするのかなぁ?自分じゃわかんないや。



「ーーーハチミツ…かどうかはわかんないけど。でもいい匂いにかわりはないや。隆ちゃんの匂い好きだよ。どこにいても隆ちゃんを見つけられる自信ある!」

「っ…ホント?」

「うん」




ぺろ。
イノちゃんが俺のおでこを舐めてくれた。今度は俺がびっくりする番。
ーーー毛繕いちゃんとしといて良かった…。




「ーーーちょっと甘いな。ハチミツ…?」

「…毛繕い…ちゃんとしたと思ったのに」

「いいじゃん。ハチミツの味がするなんて、なんか可愛いし。ーーー朝ごはんって、いつも探して食べるのか?」

「そうだよ。この野原のちょっと奥の木蓮の木の下が寝床なの。小さな頃からずっと住んでる。その周りに水場も食べ物もあるんだよ」

「ーーー木蓮の木?」

「今はもう時季が過ぎちゃったんだけど、三月あたりから真っ白な花が咲くんだ」

「へぇ、見てみたいな。…ーーー隆ちゃんは、そこでひとりで?」

「うん。小さい頃に母さん猫が狩に出たまま帰って来なくなって…そこからは、ひとり」

「ーーー」

「でもね、それまでに教わった事があったから。なんとかやってこれた。…あの木蓮の木の家も好きだしね?」

「ーーー」

「ここにいると、あんまり他の猫も来ないんだ。住宅地からも結構離れてるし。…ここをひとりで離れて放浪するのも…なかなか勇気が出なくって。…だからーーーーー」

「ーーーん?」

「イノちゃんがここまで来てくれて、本当に嬉しかったよ?」

「ーーー隆ちゃん」

「イノちゃん、ありがとう」










ひとりより、ふたり。

ひとつひとつ。小さな発見、ひとりで越える達成感。そんなひとりの暮らしも、もちろん素敵な事がいっぱいだ。

ーーーだけれど。


一度出会ってしまったら、共有する喜びでワクワクが溢れてくる。
一緒にいる、ドキドキする気持ちが生まれてくる。

交わす言葉とか、側に感じられる匂いとか。触れ合う体温とか。

幼い頃にいきなり手離してしまった自分以外の存在が。
嬉しくて嬉しくて、仕方ないよ。





ぺろ。


あ。イノちゃんが、またおでこを舐めてくれた。


ぺろぺろ。

繰り返し繰り返し、イノちゃんは優しく触れてくれる。



「ーーーイノちゃん」

「…ん。」



優しい触れ合いの裏に隠れてる。
言葉は無いけど、伝わってくる。


〝これからは俺が一緒にいるよ〟


そんなイノちゃんの優しい気持ちだ。




「ーーーふふふっ」

「ん?…なんだよ?ーーー」

「…うん。ーーーイノちゃん」

「ん?」

「ーーーーーありがとう」




嬉しくて、ぴょんっ!と、イノちゃんに体当たり。
イノちゃんはバランスを崩して、俺と一緒に花の中に転がった。

嬉しくって、楽しくって。
イノちゃんと笑いながら戯れあって。
その時、突然聞こえた鳥の声にハッとして。

急に静かになって。
寝転んだまま、ふたり一緒に空を見上げた。




青い花が縁取る、綺麗な青空。



ひとりで見上げていた時は、青空に癒されながらも。その日の終わりに、夕闇に包まれる夜を想像して。

ああ、また今日も。
ひとりの夜を迎えるんだ…と。
心の隅に、寂しさを隠していたのも事実。




〝お前の色は夜空のようだね〟




母さん猫がくれた、最後の言葉。
それと同じ、夜空を見上げて。

寂しいって、思っていたんだ。

このまま、ひとりきり。
俺の身体が、夜空に溶けてしまいそうで。






「ーーーーー…にゃーぁ…」




「ーーー隆ちゃん」




隣に寝転んでいたイノちゃんが、起き上がって俺を見下ろした。
イノちゃんから見たら、今の俺は花に埋もれてる感じだよね。


俺から見たイノちゃんは。
ーーーイノちゃんは……ーーー

灰色の毛並みが、銀色に光って見えて。
…眩しい。明るい…
俺とはきっと、正反対なんだ。






「ーーー隆ちゃん、綺麗」

「…え?」

「黒。艶々で、すっげえ綺麗」

「ーーー綺麗…じゃない…よ」

「綺麗だよ」

「ーーーなんで…?」




俺も起き上がって、イノちゃんを見る。
せっかくした毛繕いだけど、多分ぐちゃぐちゃになっちゃった。

ちょっと恥ずかしくなって、俯いたら。
本日何度目かの、イノちゃんの。
ぺろ。

舐めたイノちゃんは、悪戯っ子みたいに笑った。





「隆ちゃん、楽譜って見たことある?」

「え、楽譜?ーーーううん」

「音符ってのがいっぱい並んでるんだ。それがね、白い紙の上に、真っ黒な色で書かれてるんだよ?」

「…黒?」

「そう!…それから、ピアノの黒鍵。指揮者の燕尾服。シルクハット。楽器は…ものにより色々だけど。黒くてカッコいいギターもある!」

「ーーーにゃー?」

「こうして並べてみるとさ。音楽って、黒がめちゃくちゃ似合うんだ。ロックなんて、黒が不可欠な感じするし」

「ーーー」

「だから、思った。隆ちゃんの毛色は音楽にピッタリだって。どんな楽器も、どんなステージも。隆ちゃんなら相性抜群だ」

「っ…ーーー」





パッと。
何かが晴れた…と思った。
だってそんな事、今まで考えもしなかったし…。
俺が知らなかったってゆうのもあると思うけど。

…そんな。
そんな…嬉しい言葉をくれるなんて。
大好きな音楽と、ピッタリだ…なんて。





「ーーーえっ?」




ーーーイノちゃんが、急に慌ててる。
ごめんなさい。
俺のせいだよね?
だって俺がいきなり…こんな…。





「隆ちゃん。…なんで、泣くの?」

「んっ…ぅうん」

「ーーー俺、なんか…ダメな事言ったか?」

「ぅうん、うううううんっ!」

「え?ううん?」

「にゃーぁ…ん」

「隆ちゃん…」





違うよ。違うよ?
イノちゃん悪くないよ。


嬉しかったんだ。


母さん猫に言われた〝夜空〟も好きだ。
月と星が映える夜空が好きだ。
…でも。
ひとりで迎える夜空の下は…寂しいの。
溶けてしまいそうで。
夜の闇に、俺も消えてしまいそうで。

寂しかったんだ。

ーーーだから、嬉しかった。

〝音楽〟とよく似合うって、言葉をもらって。
イノちゃんの存在が、もうひとりじゃないって。
思えるから。





ぺろ。



ーーーあ。まただ、イノちゃんの…。


ぺろぺろ。




「っ…にゃあ」

「ーーーっ…えっと。」

「え?」

「泣くな…よ」

「ーーー」

「俺、なんもできない…けど。」

「ーーー」

「隆ちゃんの…側にはいられるから」



な?
そう言って、にこっと微笑んでくれたイノちゃん。

嬉しくて、嬉しくて。
俺もイノちゃんのおでこを、ぺろりと舐めて。
それから、言った。




「大好き、イノちゃん」









俺の色。

母さん猫にもらった〝夜空〟の言葉。
イノちゃんにもらった〝音楽〟の言葉。


前より好きになった、自分の毛色。
俺は黒猫。






end




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